少年の一家は転勤族という奴だった。
父親が日本を代表する企業の腕利きの営業マンで転居を伴う転勤が二、三年に一度ある。早い時は一年足らずで引っ越し、というのもあったくらいだ。大変な分、給与などの待遇は一般的なサラリーマンとは比べ物にならない程に良かったが、幼かった少年にとってはそんな事どうでも良かった。
幼稚園から始まり、小学校でも親しい友人ができてもすぐにお別れ。転校して半年もすれば親しかった友人とも疎遠になる。
そんな生活を続けるうちに少年が荒んでいったのも仕方がない事だったのかもしれない。
クラスメイトとの繋がりを極力断ち、家でテレビやゲームを嗜んで、何事も無かったかのようにまた別の学校へーーそんな生活が終わったのは高校生になってからだ。
都内のとある高校。偏差値もそれなりでこれといった特徴などない何処にでもある普通の公立高校。そこで少年は彼女と出会う。
『キミ、見ない顔だけどこの辺の子じゃないよね? 初めまして! 私はーー』
同じクラスでたまたま席が隣になった少女。初対面なのにその笑顔に見惚れてしまったのを覚えている。今思えば一目惚れだったのかもしれない。
それからも事ある毎に少女は少年に話しかけてきた。どんなに素っ気なく対応しようが御構い無し。何時でも笑顔を咲かせて話題を振ってきた。
ある日の放課後。少年は我慢出来なくなって言った。俺なんかに話しかけても楽しくないだろうと。対して面白い話を返してやるでもなく、ただ適当に相槌を打つだけの自分と話す価値はないだろうと。突き放すように言った。
しかし少女はやはり笑顔だった。どうしてここまでしても笑っているのか意味が分からなかった少年に少女は語った。
『私ね、夢があるんだ』
その言葉に聞き入っていた。
『これから頑張ってアイドルになってみんなを笑顔にしてあげたいの』
魅了されたと言っても過言ではない。
『まだまだレッスンばっかりだし、デビューは先の話だけどアイドルになりたいって気持ちは誰にも負けてない』
同い年の会って間もない少女に魅了されてしまった。
『アイドルってみんなを笑顔にしてあげられる存在だと思うんだよね。だからまずは周りの人達を笑顔にしてあげたくって!』
少女が語った若すぎるとも青臭すぎるとも言える夢に惹かれていた。
『キミっていつもつまらなそうにしてるなーって思ってさ』
笑顔が消え、悲しそうに少女の目尻が下がる。
『だから少しでも楽しいって思える様になってくれたら嬉しいんだけど……ひょっとして迷惑、だったかな』
さっきまで明るい雰囲気は何処かへ消えてしまっている。感情表現が豊かな様で何よりだと思った。
『……え? え? な、なんで笑ってるの?』
少年は久しぶりに笑った。どうして笑ったのかは自身でもよく分かっていない。意図せず少年を笑顔にしてしまった少女は困惑していたが、次第に少女も声を出して笑い始めた。
二人でしばらく笑い合った後、
『最初から思ってたけどやっぱり笑顔が素敵。普段からもっと笑った方が良いよ』
余計なお世話だ、と少年は一蹴して帰宅しようと鞄を肩に担いだ。それを見た少女も慌てて帰る支度を整えて追いかけてきた。
その日から少女と一緒に帰る日が増えた。少年の久しぶりの、この高校で初の友人となったアイドルの卵の少女。彼女が他のクラスメイトとの仲を取り持ってくれたおかげで次第に交友関係も広がっていった。久しぶりに楽しいと思える学校生活だった。
それから時間が経ち、もう少しで学年が上がるという頃。やけに少女が大人しい日があった。いつも鬱陶しいくらい絡んでくる少女が静かだった。彼女の笑顔にも悲壮感の様なものを感じた。
少年は柄にもないのは分かっていたが心配になり、放課後レッスンがあると言ってさっさと帰ってしまった少女を追いかけた。
追いついて元気の無い理由を聞いた。何でも、アイドルになる為の最終オーディションで落ちたらしい。
『あはは! 結構、頑張ってるつもりなんだけどな。私には才能、無いのかも』
笑いながら言っているが、少年には明らかに無理をしているのが分かった。
『同期で残ってる子もいないし。やっぱり無理なのかなぁ。私がアイドルなんて』
自嘲気味にそう言う彼女の姿など見たくなかった。
『後輩の子にも諦めが悪いって陰口叩かれるし、そろそろ潮時かも』
だからこそ少年は本当に柄にもなく言った。
お前の夢ってそんなもんだったのか、と。
『……だって、どんなに頑張っても叶わない。そんな夢なんて』
努力が必ず報われるなんて嘘だ。それが本当なら少年だって努力すればアイドルになれるだろう。
『友達と遊ぶ時間を削ってレッスンしても、休みの日も返上してオーディション受けても、報われないんだよ? そんなの、辛すぎるよ……』
だから少年は声を荒げた。甘えんな! と。
夢は叶わないから夢であって、叶ってしまえばそれは夢でなくなるのだ。
『だって!』
少女も負けじと叫んだ。彼女の大きな瞳には涙が浮かんでいた。
『誰も、応援してくれないんだよ!? 誰も私の夢を信じてくれないんだよ!? 私が馬鹿だったんだ! みんなを笑顔にしたいなんてそんな夢叶うわけないよ!』
少女の葛藤が辺りに響く。それでも少年は逃げない。少女から瞳を逸らさない。そして今度は、静かに言った。
“お前が信じろよ”
『え?』
“誰もお前を信じてくれないなら自分が信じればいい。お前がお前を信じないで誰が信じてくれるんだよ。だから、甘えんなってんだよ”
『私が私を、信じる……』
それに、と少年はバツが悪そうにそっぽ向きながら小声で、
“誰もお前を信じてくれないなら、俺がお前の夢を信じてやるよ”
その言葉に少女は驚きで瞳を大きく見開いた。
『……ほんと?』
少年は頷く。
『私の夢、信じてくれるの?』
再び頷く。
『私の、ファンになってくれるの?』
何度も言わせんな恥ずかしいから、と少年は背を向けて歩き出す。
『……ふふ』
少女は笑顔を浮かべて少年に並んだ。その瞳にはやはり涙が浮かんでいたが、その涙の意味は変わっていた。
『頷いてただけで何も言ってないじゃん!』
少年は相変わらずそっぽを向いたまま。少女の方など見ていない。
ーーありがとう、と。
隣を歩く少女の口がそう動いていた事に気付かなかった。
そんなエピソードがあってからそれなりの時間が流れ、少年は青年になった。その隣にあの時の少女はいない。
スーツの青年は今、三人の少女達と話をしている。
「「「掛け声?」」」
「はい。団体競技などで見られますが、チームの団結力や士気を高める為に試合の前にやる事があります。それを皆もやってみたらどうかなと思いまして」
「確かにそういうの決めてあったらカッコいいんじゃない?」
「でも掛け声って何を言ったら良いんでしょう?」
「未央の言葉に私達が合わせるとか? リーダーだし」
「うーん。そう言われてもなかなか思い付かないなぁ」
「三人で手を重ねてファイト、オー! とかどうかな?」
「別に形に囚われなくても良いと思いますよ。これはスポーツじゃありませんし、むしろ島村さん達らしい独特なやつがあればベストなんですが」
「私達らしいやつか……うーん」
「あ! だったら皆の好きな事合わせたらどうかな?」
「ふむ、好きな事をイメージするのは良いんじゃないでしょうか」
「私が好きな事って言われてもハナコの散歩とかなんだけど合わせるの難しいんじゃない? 」
「うっ、確かに……」
「だったら好きな食べ物とかどうかな? 美味しいものも好きな事に当てはまると思うけど」
「ナイスアイディアしまむー! ちなみにしまむーが好きな食べ物って何なの?」
「私は生ハムメロンです! 美味しいです!」
「生ハム……」
「メロン……」
「何だか語呂が良いですし、それを掛け声にしたらどうです?」
「ええ!? そ、そんな理由で決めちゃって良いんですか?」
「このままじゃいつまでも決められなさそうだし良いんじゃないかな。生ハムメロン……ふふ」
「しかし生ハムメロンってお金持ちの食べ物って感じだけど、しまむーってひょっとしてお嬢様だったり?」
「ただ好きってだけでお嬢様なんかじゃないよ。それにしても凛ちゃんは笑い過ぎです!」
「ごめんごめん……ふふふ」
「掛け声が決まった事ですし一度やってみたらどうです? というか、僕が見てみたいです生ハムメロン」
「ほ、ほんとにそれで良いんですか!?」
「よっし、それじゃあやってみよー! 生!」
「ハム」
「ええ!? め、メローン!!」
「意外と良い感じじゃないですか? 生ハムメロン……ぷぷっ」
「バイトさんまで笑うなんて酷いですよ!」
和やかな雰囲気。この場にいる全員が笑っている。
かつてあの少女が願ったように青年は今、楽しそうに笑っている。
「さ、気を取り直して今日も頑張りましょうか」
生ハムメロンがやりたかっただけじゃないですよ(震え)