彼らの異世界ライフ モモンガさんがやっぱり苦労する話 作:やがみ0821
レエブン侯は魔導国のやり方に脱帽した。
彼は今、リ・エスティーゼ州のロ・レンテ城内にあるヴァランシア宮殿の主であった。
レエブン侯の仕事の流れは大幅に変化した。
仕事中は当然、昼食を宮殿で食べることになるのだが、その昼食は魔導国からやってきたホムンクルスのコックが振る舞う料理であり、この世のものとは思えない程に美味しく、また日替わりのおやつに舌鼓をうち、午後には1時間の昼寝休憩まである。
彼の今の役職は魔導国リ・エスティーゼ州の州都であるリ・エスティーゼの行政と司法全般を司る州長官であった。
他にも軍事全般を司る州軍司令官としてボウロロープ侯がいる。
基本的にリ・エスティーゼ州は王国であったときの法律や慣習、その他制度を受け継ぎつつも、魔導国により廃止されたり、新設されたりした法律や制度なども多い。
爵位制度もその一つであり、基本的に王国貴族達の爵位は魔導国においても、受け継がれた。
だが、領地は根こそぎ魔導国の中央政府に帰属することになった。
結果として、貴族に残されたものといえば、これまでの財産と屋敷と爵位のみであり、軍権や徴税権などは全て取り上げられ、単なる歴史ある金持ちという程度に成り下がってしまった。
帝国がやったことを短期間で実施し、さらにそこから発展させた中央集権化だった。
魔導国との力の差を知ってなお、反対した貴族や反乱を起こしそうになった貴族は未然に鎮圧され、魔導国に送られ――数日後には魔導国に対してとても友好的になって帰ってくる。
彼らによれば非常によく魔導国を知ることができたとのことだ。
一方で魔導国は多くの貴族達を官僚として取り立てた。
レエブン侯やボウロロープ侯は無論、王国において六大貴族と呼ばれていた者達は魔導国においても何かしらの高い地位に就いている。
今までは王派閥と貴族派閥に分かれて、政争に明け暮れていた2つの派閥は魔導国に対して、ともに協力してリ・エスティーゼ州の繁栄と発展に尽くすことになったのは盛大な皮肉にしか思えなかった。
双方の派閥で反発した者は魔導国送りであり、数日後には派閥争いなど無意味、魔導王陛下とメリエル様に尽くすべし、という思想になっているのだから、いったい何をされたのか、想像もできない。
「何で、人間が統治していたときよりも良いんだろう」
レエブン侯の疑問に答えたのは、ちょうど扉を開けた人物だった。
「人間共はくだらないことで、勝手に争うからに決まっているわ。あなた達の多様性は素晴らしいし、そこは認めるけど」
その声にレエブン侯は思わずに身を固める。
入ってきた人物は赤い髪が特徴的な、白いレディーススーツ姿の凛々しい女性だった。
「ノックをしたけど、返事がないから入らせてもらったわ」
「ああ、失礼した」
何とかレエブン侯は言葉を絞り出す。
敬語ではなく、普段通りの言葉遣いで構わないというのが彼にとって、唯一の救いだ。
目の前の、それこそ国の運営なんぞ片手間にできそうな女性はメリエルが作ったホムンクルスだという。
それほどのものを簡単に作り出すメリエルはレエブン侯からすれば、どれだけの叡智を持つのだろうか、ともはや想像すらできない。
魔導王はそんなメリエルよりも叡智に優れていると言われており、最初から人間程度が小賢しい知恵を絞ったところで勝ち目などない。
「不足なものはあるかしら?」
単刀直入に尋ねてくる女性――シンシアだが、レエブン侯は慣れたものだ。
「先日提出したリストの通りだ」
「そう。今日の午後、ホムンクルスが20体程、増えるから。好きなように使いなさい」
「分かった。頭脳系か?」
「そうよ」
レエブン侯は割り振りを考える。
確か、総務部門が不足気味であった筈だ、と思い出しつつ、感謝を告げる。
「数日おきに優秀な人材がまとまった数、送られてくるのはとても助かる。おかげで、リ・エスティーゼは王国であったときよりも、大いに発展している。無論、復興支援も非常に有り難い」
リ・エスティーゼ州は広い。
元々王国であった時ですら、人手は足りているとは到底言い難く、王の直轄領であっても、また六大貴族などの大貴族の領地であっても、まったく手付かずの土地というのは多く存在した。
こんなに豊かで広い土地があるのに、宝の持ち腐れだ――
かつて、魔導王と会談した際、溜息混じりに言われたことがレエブン侯の脳裏に蘇ってくる。
アンデッドにすら、そんなことを言われてはもはや立つ瀬がない。
「当然よ。あなた達の使命は魔導国の為に州を繁栄・発展させること。その為には我々は勿論、御方々も援助を惜しまないわ」
レエブン侯は力強く頷く。
彼の元には魔導国から復興支援予算として、膨大な金塊が預けられている。
それこそ、リ・エスティーゼ王国時代の年間予算など、足元にも及ばない程度に。
しかし、直接に金塊を管理している財務部門はシンシアがトップであり、その部下は魔導国から送られてきたアンデッドやホムンクルスで構成されている。
貨幣価値の下落を抑える為の措置ではあったが、実質的に魔導国が州の財務部門を独占している。
だが、王国の財務部門よりも遥かに話が分かり、必要書類に記入し、計画書を提出すれば最短で翌日には予算をつけてくれる。
かつてない程のスピードでリ・エスティーゼ州が変わりつつあるのはシンシアら財務部門の意思決定の速さも大きな要素だ。
膨大な資金と豊富な人材、意思決定の速さ――
どれもこれもがかつてレエブン侯が喉から手が出る程に欲しかったものが、今の彼にはあった。
感情的な反発はないとはいえないがそれでも当初より遥かに小さくなっており、彼は現状に非常に満足していた。
満足している理由は仕事だけではなく、プライベートにもあった。
彼はなるべく定時に帰宅し、子供と一緒に遊んでいるのだ。
次の長期休暇は家族で旅行に行く計画も密かに立てている。
どうせ領地がないのなら、いっその事、少しでも子供といられるよう、王都に彼は新たに屋敷を購入していた。
それが功を奏した。
労働環境は州になってから、圧倒的に改善された。
「魔導王陛下も、メリエル様も、非常に慈悲深い方々だと常々思う」
レエブン侯の言葉にシンシアは当然と頷く。
ホムンクルスとアンデッド以外にはリ・エスティーゼ州において行政機関や司法機関、軍人などの極一部を除き、人間と亜人を対象に就業・終業時間の厳守と完全週休3日制が施行されている。
それを適用除外にするには別途書類を提出し、従業員に対して割増賃金を払わねばならない。
また元々適用除外とされている身分にある者も、なるべく早く帰宅するよう努力義務があり、更に基本給を高く設定する必要があった。
それを破って無断で従業員を働かせたり、部下を働かせたりした場合は死ぬよりも恐ろしい罰則――ニューロニスト送り、恐怖公送りといったもの――がある。
レエブン侯は、どこかに送られるのは罰則名から判断できるが、実際にどこに送られるかは怖くて聞けなかった。
商人や経営者などはまた別途違う法律が適用されるが、その場合でも休みを取れ、長時間労働はダメというのが原則だ。
レエブン侯もシンシアから聞いた話によれば、魔導王もメリエルも、人間や亜人などはそもそも体の作りが脆弱なので、よく休ませ、長時間労働をさせてはいけない、という考えらしい。
また、予想していた亜人も、いきなり強烈なものではなく、エルフやダークエルフといった人間にかなり近い外見の面々であった。
ダークエルフなんぞ、初めて見たというのが一般的な感想だったが、そのダークエルフ達は最近、国ごとトブの大森林に越してきたらしい。
彼らからすれば戻ってきた、ということらしいが。
さてアンデッドに関しては、色々と不安の声も聞かれていたが、労働や警備に従事している姿に慣れてしまったようで、最初ほど多くは聞かれない。
統計的には、州になってから今に至るまで魔導国のアンデッドが人間を襲ったという件数はゼロであり、むしろ人間が人間を襲うもの――いわゆる強盗であったり窃盗であったり――が多く発生し、大抵の場合は巡回していたデスナイトに捕らえられている。
その影響もあり、アンデッドを商売に活かそうと、商人達はこぞって魔導国とアンデッド利用に関する契約を結び始めているという。
そして、そのアンデッドをいち早く商売利用することで急激な成長をしている商会があった。
その商会とは複数の国家に跨る巨大複合商会セブンシスターズ。
7つの商会によって構成されているが、その実態は魔導国の国営商会ともいうべきものだ。
その最高経営責任者というのがシンシアの本来の立場である。
彼女がリ・エスティーゼ州長官の顧問をしているのは本当に片手間のことだった。
「問題や不足するものがあったら、すぐに教えて頂戴。報告を躊躇するような権限はあなたには無いわ」
「分かった。ところで、質問なんだが、魔導国の中央政府とやらは何処にあるのか?」
前々からの疑問であった。
基本的に用があるときは向こうからこっちにやってくるのが魔導国のやり方で、こちらから出向くということはまずない。
反抗的な貴族達は連れて行かれたのだから、存在しないということはないだろう。
するとシンシアは不敵な笑みを浮かべる。
「魔法的な防御が施されているから、普通の者では見つけることすらできないわ」
答えにレエブン侯は納得し、頷いた。
そして、そこまで慎重を期し、決して油断も慢心もしていない魔導王を彼は素直に心の中で称賛する。
「それじゃ、失礼するわ」
「ああ、また、よろしく頼む」
レエブン侯はシンシアを見送り、執務机の上にあるものを見つめる。
「パパン、頑張るからね。見ていてね、リーたん」
メリエルの好意で送られたマジックアイテムで記録されたものであり、そこには彼の溺愛する息子の満面の笑顔が映っていた。
ガゼフは複雑な思いであった。
今、彼とその戦士団は元国王であるランポッサ三世の護衛役だ。
王都の郊外にある屋敷をランポッサ三世に魔導国側は用意した。
ガゼフ達以外の、国王を慕っていた近衛兵や騎士なども、魔導国側は共にいることを許した。
それは魔導国側の自信の表れともいえるし、また何もできないだろうという考えもあっただろう。
そして、それは事実だった。
たとえガゼフが、それこそ100人いようと、魔導王が適当なアンデッドでも送り込めばそれだけで終わる。
むしろ、処刑などされず、余生を穏やかに不自由なく過ごすことを許されただけでも、敗戦国に対する扱いとしては慈悲深いと言えるかもしれない。
とはいえ、ランポッサ三世はこの屋敷で過ごし始めてから、明らかに元気になったのだ。
国王という重荷を下ろしたことが、その原因かもしれないし、魔導国側から提供される食事や菓子類が非常に美味であることも原因かもしれない。
また、彼を複雑な思いにさせているのはランポッサ三世だけではなく、彼とブレインが目にかけていたクライムだ。
「クライムとラナー王女は元気にやっているだろうか……」
ラナーはメリエルの側室として、魔導国に迎え入れられたのだ。
クライムはそのお供として、ついていくことが許された。
メリエル様も女ですし、大丈夫ですよ、と言っていたラナーの顔が忘れられない。
確かに、変なことにはならないだろうが、それでもガゼフには心配だった。
彼は手元にある1枚の書状に目を向ける。
ボウロロープ侯からのものであり、彼とその戦士団をリ・エスティーゼ州軍の中核部隊として迎え入れたい、報酬も待遇も好きなだけ言って欲しい、というものだ。
ガゼフとしてはランポッサ三世の護衛として過ごす、と決めている。
だが、配下の戦士達を、ここで腐らせるのは惜しいとガゼフとしては思うが、彼に似て戦士団の面々は皆、頑固であり、ガゼフについていくと言って聞かなかった。
もっとも、いつまでもそうはいかないだろう。
ガゼフとて、ランポッサ三世が高齢であることは理解できている。
いずれは身の振り方を考えねばならない。
「……ブレインは今、帝国だったか」
単純にボウロロープ侯よりも早く、帝国が彼を引き抜いていった。
それだけの話で、定期的に送られてくる手紙によれば、彼は今や帝国四騎士であった重爆の後任として勤めているとのことだ。
驚くことに、そこまでの高い地位に就けるよう、推薦したのが魔導国のメリエルだという。
どういう思惑があるのかは計り知れないが、ブレインは推薦など無くとも、その地位に就けただろう、とガゼフは思う。
「ブレインに相談してみるか……」
そう呟きながら、ガゼフは今のリ・エスティーゼ州に思いを馳せ、そして溜息を吐いた。
王国時代と比べて、州になってからリ・エスティーゼは変わった。
良い方向に。
外圧に頼らねば変わることができなかった王国に、ガゼフは複雑な思いだった。