器物転生ときどき憑依【チラシの裏】   作:器物転生

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紅世より渡り来た徒(ともがら)は、この世に"神の敷いた法"が存在する事を知る。惑星の地表を覆う、その巨大な存在は、"風の神様"と呼ばれていた。


【転生】風の神様【灼眼のシャナ】

 人の定めた単位で、私の生まれた時を答える事は難しいものです。

 まだ人という種族は生まれていないために、人の作った暦(こよみ)を確認する事ができません。そもそも人どころか、まだ生物すら発生していません。そんな時に私の意識は確かな物となりました。惑星の内側から染み出て、この世に私は生まれたのです。それまでの間は惑星の内側にガスとして散らばっていたため、私の意識は曖昧な物でした。

 まだ惑星は出来たばかりのようです。惑星の重力に引かれた流星が降り注ぎ、ドッカンドッカンと地表に激突しています。とてもデンジャラスです。この惑星の周りは流星ばかりなのでしょうか。私の体内は舞い上がったチリと、蒸発した水分で満たされていました。とても暑そうに感じます。

 私の内側に生物はいません。表面がドロドロに融けているため、大地に生物が潜んでいるという事もないでしょう。長い時間をかけて惑星が固まるまで、生物の誕生は期待できない様子です。とても暇だった私は空気を回して、なんちゃって竜巻を作ってみました……竜巻って空気をグルグルするだけじゃできないんですか。

 

 そもそも私が何なのかを説明していませんか。惑星の大気として私は存在しているようです。耳も目も鼻も口もないけれど、物に触れている感覚はあります。大気を舞うチリのまで認識できるけれど、地表を流れる液体の中は分かりません。液体に触れても私の体は温度を感じず、液体を押し退けたに過ぎなかったのです。

 私に感じ取れたものは、ドロドロしている液体とユラユラしている蒸気に過ぎません。そのせいで熱い泥なのか、それとも溶岩なのか分かりません。人の視覚と違って不便な物です。私は肉体なんて無いのに、どこで思考して、どうやって感じ取っているのでしょうか。不思議なものです。

 私の体は惑星の表面を丸く覆っています。惑星の内側は物が詰まっているので、かたいボールに張り付いている気分です。逆に惑星の外側は宇宙なので、空っぽに感じていました。惑星の近くに衛星があるのか否かは分かりません。私は体内の事しか感じ取れず、人のように遠くの光を像として結ぶ、そんな便利な目は持っていないのです。光の粒子は小さすぎるために認識できず、地上が昼なのか夜なのかも分かりません。

 

 今は惑星が出来たばかりの時代です。なので人どころか、まだ生物すら発生していません。なのに人らしい知識を有している私は何なのでしょうか。どうして惑星の大気として存在しているのか分かりません。さっきも言った通り、惑星の内側から染み出た事で、私の意識は明確になりました。

 どこに中身があるのか分からない私の中に、おそらく未来の記憶があります。それによると私は男でもあり、女でもあり、大人でもあり、子供でもありました。どうやら複数の記憶がゴチャゴチャに詰め込まれているようです。こんな粗雑な事をしたのは、物の整理ができない存在に違いありません。

 神様でしょうか。しかし、いくつもの記憶を辿っても、神様らしき存在を見た事はありません。この場にあるのは天地を創造する神様の姿ではなく、物理という不変の法則に従って動く世界に過ぎないのです。きっと神様は何処かで休んでいるのでしょう。神様の生死に興味があるので、見つけたら首を絞めてあげようと思います。

 

 さて、時は流れました。

 

 空気を移動させるためには気圧が重要である事に気付いたり、空気の層を作ってバリアーを張ってみたら普通に素通りされたり、極点にある地表の気圧を下げると早く固まる事に気付いたり、背伸びをしたら地表の反対側が宇宙に流出したりしちゃったものの、私は存在しています。元気か否かと聞かれると、ちょっと答えに詰まるくらいです。

 流星の突入する度合は減り、私の体内を漂うチリは地表に降り積もりました。蒸気を上げていた大地が固まり、私の中にあった蒸気が水に戻ります。それから長い時間が経つと、海から涌き上がった空気の流れが地上に溜まり始めました。それは少しずつ高度を上げて空に留まっています。あれは何でしょうか。

 謎な空気の塊が現れて間もなく、地上へ上がる生物が現れました。私の外側だったので分からなかったものの、すでに海の中に生物は発生していたようです。私はペットを可愛がるように生物の面倒を見始めました。ちょっと圧力の加減を間違えて、潰してしまったりしたものの、生物たちは元気です。

 

 動物たちは生きるために争います。ペット同士で争って欲しくない私は、空気をクルクルと回して食べ物を運びました。ペットの世話で磨かれた私の技術は、圧力の差を用いて小さな草を千切り取れるほどです。しかし、草食なペットの食べる草を集めても、肉食なペットの口には合わない物でした。

 ガブガブと肉食なペットは、お腹を満たします。すると地面に液体が飛び散りました。ペットの血の色は赤いのでしょうか、それとも青いのでしょうか。ペット同士が殺し合うのは悲しいものです。だからと言って、肉食なペットを殺す訳にはいきません。お腹が減ったから肉食なペットは食べたのであって、それは仕方のない事なのです。私の力で殺す事を止めれば、肉食なペットは飢えて死ぬ事でしょう。

 海に住む生物でも取ってきましょうか。海面に空気の流れを作って強引に水を巻き上げ、私は海の生物を獲ります。そこで、ふと思いました。どうして地上の動物はダメで、海の生物ならば良いのでしょうか。それは大気である私にとって海は外側であり、外側に住む生物は"かわいい私のペット"ではないからでした。

 

 地上の動物は私の内側で、海の生物は私の外側でした。ならば地上と海を移動できる両生類は如何でしょうか。海の中で生まれ、海の中で育ち、やがて地上へ上がります。最後に地上へ戻ってくるのならば私の内側と思えました。ただし一生を終えても海から出てこない生物は、私の内側ではありません。

 土の中に住む動物は如何でしょうか。海の中と同じで、土の中も私の外側です。土の中で生まれ、土の中で育ち、やがて地上へ上がります。これも最後に地上へ戻ってくるのならば私の内側と思えました。ただし一生を終えても土の中から出てこない生物は、私の内側ではありません。

 ならば草や木は如何でしょうか。惑星の大気としては、酸素を作る植物に加担するべきなのでしょう。しかし人らしい知識と記憶を持つ私にとって、植物は生物と思えません。私の内側に存在しても、植物は物体に過ぎないのです。人に比べれば他の動物も"ペットに過ぎない"のでしょう。

 

 宇宙の様子を感じ取れない私にとって、突然の事でした。高い場所から落ちた動物を下から浮かべて地面に降ろし、洪水が起こらないように地面を削って整備していた時の事です。私の体内に巨大な流星が侵入しました。動物が生まれる前ならば兎も角、今の地上に落ちれば大惨事になるのは明らかです。

 私は頑張って流星を逸らそうと試みました。しかし大気圏に突入した流星を曲げる事は叶いません。流星は惑星に衝突して、大量のチリを巻き上げます。私は被害を軽減するために流動する空気の層を圧縮して重ねて、衝撃の広がる範囲を抑え込みました。桁外れの衝撃波が広がり、私の体を揺らします。

 閉じ込めた空間の中はチリで一杯です。このまま解放するなんて事はできません。私は一点に空気を集めて、チリを固めました。落下地点は熱で融けているらしく、ドロドロとしています。私は地表に影響の少ない上空の空気を、冷えるまで流す事にしました。うっかり"氷を含む空気"を使うと大変な事になるので、大気の大半を占める"水滴を含む空気"を使うしかありません。流星の落下よりも大気を大きく移動させた影響で、私のペットは数え切れないほど死んでいました。私は被害を抑えようと思ったのに困ったものです。

 

 巨大流星の後も火山が大噴火したり、病気が流行したりします。何度も地上の動物に、滅亡の危機が訪れました。大噴火は噴煙や溶岩を抑え込んだものの、病気は如何にもなりません。動物の体内に侵入されると、そこは私の外側です。感染して死に行くペットを見守る事しか叶わなかったのです。

 私は大気に過ぎず、神のように万能ではありません。動物の体内に侵入しようと思っても、意識を保つ事は叶いません。宇宙を漂うガスだった頃のように、意識は曖昧な物となります。私が意識を保っていられる最低の大きさは、未来の記憶にあるサッカーボール程度でした。

 いくつもの記憶を持っているけれど、神のように何でも知っている訳ではありません。粒子を感じ取れない私は、昼なのか夜なのかも分かりません。光の粒子は小さすぎて感じ取れないのです。人あらざる身の限界を私は知りました。私の認識できる最低の大きさはチリ程度なのです。

 

 かくかく、しかじか

 

 やっとサルの中から、2本の足で歩くヒトが現れました。もう少しだと思って、歩かせるために木々を刈った事が良かったのでしょうか、えっへん。人の進化は急速で、地上を歩く人は短い間に増加します。そんな人にも様々な種類があるようです。その中には動物を殴り倒すほどに肉体の強い種族もいました。私の持つ記憶と比べれば未熟な格闘術で、自身の体よりも大きな動物を倒したのです。

 しかし、その肉体の強い種族は絶滅の危機にあります。他の種族に比べて、強いために危機感が低く、あまり頭も良くないようです。仲間同士で殺し合おうとするために、私が止めなければ瞬く間に数を減らすでしょう。感情の発達も遅れているし、せっかく強い肉体を持つ種族なのに困ったものです。

 逆に肉体の弱い種族もあります。大人しく引きこもってくれるので安心できます。弱い肉体を補うために道具を使ったり、動物を仲間にしたりしています。肉体の強い種族のように、子供の育児を放棄する事もありません。いろいろと助力している私の存在も認識できるようです。問題があるとすれば、やっぱり体が弱い事でしょう。種族の問題なので、これは仕方ありません。

 

 どうしたものでしょうか。強い種族と弱い種族が出会ってしまったのです。襲いかかる強い種族を、私は空気で押し返します。諦めるという事を知らない強い種族なので、私は遠くへ吹き飛ばす事にしました。それでも折れる事なく、強い種族は立ち上がります。強すぎるのも問題です。

 そもそも私が助けなければ、強い種族は自滅していた事でしょう。強い種族は滅びるべきだったのでしょうか。私は強い種族と弱い種族の、どちらも選ぶ事はできません。問題が起こる度に私が止めるとしても、強い種族は争いの火種となるでしょう。その時、我慢の限界に達し、強い種族を滅ぼそうとする弱い種族を止めるのは、正しい事なのでしょうか。

 考え直してみれば私は、地上にある動物の中で人に加担しすぎています。人が動物を狩る時、私は動物を窒息させて狩りやすくしていました。その結果、動物の命が奪われています。人に加担する行為は、地上の動物に対して公平と言えません。植物も生き物です。生物に対して公平ではない私は、間違っているのでしょうか。

 

 地上の生物に対して公平であれば、いずれ増えすぎた人を減らさなければなりません。でも私は、人を殺したくありません。ならば、なぜ人ではない生物は殺せるのでしょうか。それは私が人としての知識を持っているからです。私は惑星の大気でありながら、人らしい意識を持ってしまったのです。

 大気として人を殺すべきなのでしょうか、それとも人として人を守るべきなのでしょうか。大気として公平である事が正しく、人に加担する事は間違っています。それでも私は人の意識を持ってしまったのです。私は自身が人であるという認識を捨て切れないのでした。

 私は記憶を持っています。かつて私は男でもあり、女でもあり、大人でもあり、子供でもありました。そんな多くの記憶を宿していても、大気である私という存在は空っぽです。空っぽの私は自身の存在を、人の中に見る事しか出来ません。人という存在は私なのです。私にとって人は自身であり、私は自身を殺せません。私は人に私自身である事を"期待"しています。

 

 弱い種族は死に絶えました。

 

 再び強い種族が襲ってきた時、私は弱い種族を守らなかったのです。どうして、そんな事をしたのでしょうか。それは人という種族の中に、私が自身を見ているからです。たとえ1つの種族が滅びても、私の期待している人が存続している限り、私が自身を見失う事はありません。

 他の生物が敵ならば、私は人(自身)に加担しましょう。人(自身)が敵ならば私は干渉しません。その結果として人が滅びたとしても受け入れましょう。大気である私が人を殺すのは間違っているけれど、私(人)が私(人)を殺すのならば、それは仕方のない事なのです。

 私のペットを助ける事は止めましょう。人に加担しながら、他の動物に加担すれば、それは人に対する裏切りとなります。他の生物に対して不公平であると知りながら、私は人に加担します。強い種族のように私の存在を信じなくても構いません。ずっと片思いのままでも構いません。人が私である限り、災厄から守り続けましょう。私が人に向ける気持ちは、きっと愛と言える感情でした。

 

 時が過ぎて、人の知能が発達します。

 

 地面に絵ではなく、文字を描いている人の姿を捉えました。多くの人種が遊牧生活を止め、土地に定住して数を増やします。定住によって作物を育てる農業も始めたようです。私は水不足になれば海面の気圧を上げて雲を作り、目的地まで運ぶと気圧を下げていました。

 そんな時、私の体内に侵入者が現れました。とても人とは思えない異形の姿です。少なくとも翼の生えている異種混合の人種は、私の体内に存在しません。いったい何処から現れたのでしょうか。空中から湧き出たとしか思えない現れ方です。私の感覚では異常を感じ取れません。

 もしや悪魔と呼ばれる存在でしょうか。いくつもある私の記憶の中にも、悪魔と対面した記憶はありません。悪魔は草原に立ち、なぜか泣いています。悪魔も泣くのでしょうか。その側には人も居ました。その人も泣いていたものの、今は悪魔の出現に驚いて固まっています。しばらく経った後、悪魔は何事もなく消えました。どこかへ帰ったのでしょうか。

 

 遠く離れた別の場所に、異形が現れています。しかし私の体内に距離は関係ありません。翼が存在しなかったために、さっきと事なる異形と分かりました。その異形は人と会話を試み、傷付ける事もなく消えて行きます。言葉は通じるのでしょうか。いったい何をしているのでしょうか。侵略前の情報収集でしょうか。

 異形は何度も来訪し、害意はないのかと不思議に思います。異形の現れる場所や姿も異なるものの、この惑星の大気圏ならば私の体内です。どうやら異形は、強い感情を抱いている人の下へ現れるようでした。そうして異形の来訪に慣れてきた時に事件は起こります。

 人が燃え上がり、間もなく世界は一変します。そこに存在する物は、1体の異形に過ぎません。その時の私は、なにが失われたのか分からなかったのです。そして異形は移動を始めました。私にとっては前触れもなく異形が現れ、当然のように移動を始めたようにしか思えません。しかし後から思えば1人のヒトが、私の体内から消えていたのでしょう。

 

 再び異形が行動します。すると人は炎に包まれて消えました。その時、私は異常に気付きます。異形によって人の存在が消されているのです。消えたのは人体に限らず、その人の持ち物すら消えていました。消えた人の記録は、私の記憶からも薄れ、影響を受けているようです。

 これは攻撃です。敵の攻撃に違いありません。異形は呼吸の必要がないらしく、窒息させようと思っても通じないようです。私は異形を中心に空気を渦巻かせ、ブラックホールのように吸い込ませます。木の枝が風に乗り、異形の体に弾かれました。消失した人の家を巻き込んで、屋根に敷かれていた枯れ草ごと圧し潰します。異形の体は圧し折れ、炎のような揺らぎが空気に現れました。火の粉が体の中から噴き出ています。あれは血の代わりでしょうか。異形は人と異なる構造のようです。

 別の場所では人と異形が、今にも殴り合う所でした。私は人を流動する空気で囲み、敵である異形を圧し潰します。しかし異形が死ぬと、人は悲しんでいる様子でした。人の声が聞こえない私は、どうして人が悲しんでいるのか分かりません。本気で怒っている訳ではなかったのでしょうか。バトルジャンキーなのでしょうか。

 

 私は悩みます。すべての異形を敵として撃退するべきでなのしょうか。しかし、人と親密な関係にある異形もいるようです。人を消す異形は一部に過ぎません。異形の中にも個体によって差があるのでしょう。人を消す行為が問題なのであって、すべての異形に問題がある訳ではないのです。

 排除するための基準を私は求めます。「人を傷付けること」では範囲が大き過ぎるのです。ちょっと喧嘩になって殴り合いになる事もあるでしょう。だからと言って殴った異形を排除すれば人は悲しみます。物の形から察する事しかできない私にとって、それぞれの事情を判断するのは難しいものでした。

 事情で判断するよりも、確かな基準を定めるべきです。なので異形を排除する基準として「人を消失させる」という事にしました。これならば分かりやすく、悩む事は少なくなります。この基準に従って排除して行けば、異形の知能が低くても「人を消してはいけない」という事を分かってくれるでしょう。

 

 

 

 現在は名前がなく、住人は"渦巻く伽藍"と称し、後に異世界人から"紅世"と呼ばれる世界がある。その世界には家も畑もなかった。それどころか物体がない。大地すらなかった。住人は力の塊として存在し、隣り合う力を削り合う。生まれ持った力の差は明確に現れ、弱者が生きる事を許さなかった。

 この世界では意識が大きな意味を持つ。住人は「本質」という性格の元となる物を持ち、その性質に応じて意識が形作られていた。「本質」が意識の元となっているために、極端な性格の偏りを住人は負っている。「本質」は意識に影響するに留まらず、その「本質」に応じた特異な能力を有していた。

 たとえば「束縛」という本質であれば、自分あるいは他人を「束縛」する性格となる。「束縛」する事に疑問を思えず、「束縛」という行為を得意とする。他人が用いる事は不可能と思える道具であっても、「束縛」という本質に通じる物ならば軽々と扱えるだろう。

 

 その世界で今、ホットな話題は異世界のことだ。異世界で放たれた感情を、精神構造の似ていた住人は感知し、異世界の存在を知った。そして異世界へ渡るための術である「狭間渡り」が開発され、実際に住民が異世界へ渡る。それを"迷惑な神"が迷惑な事に全ての住人へ強制的に伝達したため、異世界へ渡る術は周知された。

 異世界から感じる嘆きの声を辿り、異世界へ渡った住人は感動する。そこには大地があり、植物があり、空があり、光があった。異世界は家があり、畑があり、多くの生物が生きている。異世界人の持つ見ること・聞くこと・味わうこと・嗅ぐこと・触れることが意味を成さない世界から来た住人にとって、住民以外の物に形があるという時点で驚きの事だった。

 住人にとっては観光気分だ。それも初めての観光だ。そもそも住人の世界に観光できるような場所はなかった。そんな事を考えている余裕がないほどに争いの絶えない世界で、住人は観光を行った事がなかった。可能ならば永住したいと住人が思うのは、不思議な事ではない。

 

 しかし、異世界は住人の存在を拒んでいた。異世界に存在している程度で、保有している力を削られる。死ぬば住人は死体も残らず、その体は力を統べる意思によって形作られている。力を削られる事は住人にとって、その身を削られる事だった。異世界に存在している程度で、住民は命を削られるに等しい。

 術が周知された事で、多くの住人が異世界へ渡る。残念ながら美しさを保護する者よりも、その美しさを奪う者の方が多い。住人が欲望のままに暴れれば、異世界は荒れ果てる。異世界へ渡る術を秘匿すれば良かったものの、開発者の意思に関係なく"迷惑な神"によって広められてしまった。

 そして暴力を振るい、力を食ら者が異世界に現れる。精神構造の似ている異世界人は、住人にとって食べられる物だった。異世界人の力を食らえば、存在する事によって削られる力を補給できる。争いの絶えない世界で他人の力を奪う事もあったために、その行為に抵抗を覚える者は少なかった。他人の力とは他人の体であり、住人は食事のように他人の体を食らっていたからだ。

 

 そうして一度目に食らった住人は無事に戻り、二度目に食らった住人は風に潰された。風は力の流れを感じ取れないために、その場にいる全員を有罪とする。そのため異世界人を食らった者は一人として生きて戻れず、風の定めた基準が知られる事はなかった。ちなみに基準を定めた以上、わざと違反者を見逃すという不正を風は行わない。

 住人の中でも強い力を持つ者は、王と呼ばれる。住人の失踪に不自然な感覚を覚えたのは、異世界に渡った多くの王が戻って来なくなってからだった。ようやく何者かによって、異世界へ渡った住人が抹殺されている可能性に思い至る。「異世界人の宿す存在の力を奪った者」が抹殺されている事に住人は気付いた。

 いったい何者が住人を殺しているのか。最も疑わしい相手は異世界人だろう。異世界人が"風を操る力"を持っている事は知られている。しかし、人を食らえば存在は消える。"生きている間に反撃される"のならば兎も角、"死んで存在が消えた後に攻撃されている"と言うのは不可解な事だった。

 

 異世界の文化を保護しようと訴えている者達が疑われた。不毛な言い争いが始まろうとしていた所へ、"分身を作る力"を持つ住民から報告が上がる。本体は離れた場所に居たため、処刑に巻き込まれる事はなかった。「風によって圧し潰されている」という報告から風の扱いを得意とする者達が疑われ、やっぱり不毛な言い争いが始まった。

 まさか異世界の風が意思を持ち、「人を消失させた者」を圧殺しているとは思わない。「誰がやっているのか分からないけれど、人の存在を食べると殺されるので止めましょう」なんて事になるはずがなかった。住人の事情を全く考えていない風は、それを理解していない。罰を与え続ければ、いずれ従ってくれるだろうと考えていた。

 異世界で好き勝手な事をしたい住人は、犯人探しと共に風を防ぐ方法を考え始める。まずは風を遮断する術を使ってみたものの、風の量に耐え切れなくて力技で圧し潰された。攻撃に用いられている風の量から、王に並ぶほど強い力を持つ存在が犯人である事が察せられる。

 

 住人にとって訳が分からないのは、遠く離れた別の場所で同時に風を操れる事だろう。「事前にマーキングされて、術の発動地点となっているのではないか」と思われたものの、いったい何時・どこにマーキングされているのか分からなかった。まさか風の攻撃範囲が惑星を覆っているなんて思わない。

 

 特殊な力を持つ道具がある。住人と異世界人の望みが強く重なる事で生み出され、その道具は"宝具"と呼ばれていた。住人は自身の風を嫌う感情と共振する、風を嫌う異世界人の感情を辿る。そうして見つけた者は優れた自身の力を信じ、神という存在を嫌っていた。言葉を翻訳する術である「達意の言」を用いて、その異世界人と住民は協力し、「風を遮断する宝具」を生み出した。

 その過程で住人は"風の神様"と呼ばれる存在について詳しく知る機会があった。神を嫌っている者達からは敬称を外されて"風の神"あるいは、単に"風神"と呼ばれている。嫌っている者達も、その実在の有無を疑う事はない。頼みもしていないのに、あれこれと異世界人の世話をするからだ。住人と交流した短気な異世界人は、寒くて身を震わせた際に風が不自然に止まる事すら嫌っていた。

 果実が空を飛んでいく光景を見て、「あれは汝等の能力ではなかったのか」と住人は思う。異世界人の存在を食らった後で、その存在が消えたにも関わらず、風による攻撃を受けた理由だ。人の消失に怒った"風神"が、食らった住人を圧殺したと察せられる。異世界の神である"風神"は存在の消失に触れた事で、存在の消失を感じ取れるようになったと考えられた。

 

 住人の世界にも神と呼ばれる存在はいる。"世界の法則の体現者"と云われ、特異な権能司っていた。住人の世界に神と呼ばれる存在が居るのだから、異世界に神と呼ばれる存在が居ても不思議ではない。その神の気配を住人は感じ取れなかった。いったい、どれほどの大きさなのかも分からない。 

 指輪型である「風を遮断する宝具」を着けて、異世界人の存在を住人は食らう。周囲で風は渦巻き、しかし宝具によって張られた"風除けの結界"によって防がれていた。そうして成功かと思われた時の事だ。空から光の玉が降り注ぎ、住人は熱で蒸発した。指輪も融け、地面に焦げた後しか残っていない。

 風は遮断できたものの、その風を圧縮して作られた熱の塊までは防げなかった。これでは風ではなく火だ。風を圧縮すると温度が上がる事を知らない住人は、風以外の神も存在する可能性に思い至る。あれほど異世界が平穏なのは、厳しく管理している複数の神が存在するからなのだろうか。だからと言って、この世界に存在する神に、住人の世界を管理してもらおうなんて誰も思わない。その神の一柱が"異世界へ渡る術"を、開発者の許可も得ないまま無断で強制的に周知させた事は記憶に新しい。絶対にNOだ。

 

 異世界の神は「異世界人の存在を食った者は死刑」という法を敷いている。その法を守ることを神は期待していたものの、住人は法を擦り抜ける方法ばかり考えていた。「風を遮断するための宝具」や「火を遮断もしくは防ぐための宝具」を作るために、強い望みを持つ異世界人と接触している。海の中へ異世界人を引きずり込んだものの、海水ごと巻き上げられる住人もいた。

 その結果、"地面と同化する方法"と"人に姿を変える方法"が有効であると判明する。"地面と同化する方法"を取れる者は、大地と同化できるような特異な能力を持つ者に限られる。単に穴を掘っても空気が入るために意味がなかった。しかし、大地と同化すれば風の威力は軽減され、人を食っても逃げ切れる余裕が生まれると知れる。

 それよりも楽で「本質」を問わずに実行できる方法が、"異世界人に姿を変えること"だった。"風神"に力を感知する能力はないらしく、外見を異世界人と同じ物に変えれば処刑を逃れる事ができる。異世界人の外見をしていれば異世界人を食らっても裁かれない。そのために"人化の術"が開発された。こうして本来ならば人類の技術発展に応じて多用される事となる"人化の術"は、人類が鉄を知らない時代に"風神"の法を擦り抜けるために多用される事となる。

 

 しかし、"異世界人に姿を変える方法"は長く続かなかった。大気中は"風神"の体内であり、空気中に出現すれば異世界人の姿であっても疑われる。異世界人の感情を辿って異世界へ渡っているため、水中に出現する事は難しかった。なので風の追跡を振り切るために水中へ飛び込めば、風に包み込まれて呼吸を維持される新しいサービスが提供されていた。

 ついに住人は自身の体で動き回る事を諦める。そして"異世界人の内側に潜む方法"が発見された。異世界人の存在は力によって支えられてる。住人を食らって、異世界人は力を取り込む。その力に守られているため分解は出来ても、異世界人に潜む事はできない。しかし、異世界人を食べた後の残りカスならば別だ。

 残りカスを異世界人の形に加工すれば、外見は元の形と同じになる。その残りカスならば内側に潜む事ができた。その残りカスで異世界人を食えば「残りカスが自身の意思で食べたのか」それとも「住人に操られて食べたのか」は分からない。そもそも風神は「操られている人が死んだのか分からない」から動かなかった。

 

 風神と住人の静かな争いは、残りカスの利用によって終わる。残りカスは"トーチ"と呼ばれ、異世界の物体に宿る力は"存在の力"と呼ばれる事になった。住人はトーチに寄生して異世界で暴れ回る。寄生されたトーチが存在の力を食らってトーチを作り、そのトーチに住人が寄生する。ちなみに最初にトーチを作った住人は、尊い犠牲となった。

 風神による抑圧から解放され、異世界で存在の力が乱獲される。その頃、"世界の有り様を捉える"という能力を持つ住人は、両界の間に歪みが生まれている事に気付いた。異世界で放たれた感情を辿り、住人は異世界へ渡る。その途中で歪みに巻き込まて辿るべき感情を見失えば、迷子になって消滅するしかなかった。

 この歪みに注目した者達がいる。異世界の素晴らしさを知り、その異世界が荒らされる事を許せない住人だ。「存在の力を乱獲する事によって生じた歪みを放置すれば、いずれ大災厄が起こり、この世も崩壊に巻き込まれる」と仮説を立てた。仮説である。大事な事なので2回言った。データに基づいた証拠はない。危機感を刺激された住人は、歪みを治めるために行動を始める。

 

 両界の間に発生した歪みを、何とかしようと言う話だ。まずは両界の間にある歪みへ干渉する事で、問題を解決する方法を見つけるべきだろう。「異世界で暴れる住人を鎮圧するだろう」と思っていた者達は内心で焦っていた。しかし、歪みへ干渉する方法は早々に諦められる。

 異世界で存在の力の乱獲が起こっている。それによって次から次へと歪みが引き起こされていた。極端な性格の偏りから欲望に忠実な住人は、みんなで力を合わせる事が苦手だ。頑張っても間に合わない。こうなれば異世界で暴れ回っている住人を止めるしかなかった。

 しかし、だからと言って同じ世界の住人を排除するのは酷だ。そういう訳で異世界へ渡った住人へ「歪みを治めるために人食いは控えるようにしよう」と告げる。しかし異世界へ渡った住人は納得しなかった。風神の法を擦り抜けるために多くの犠牲を払い、やっと手に入れた自由だ。異世界へ渡らず、犠牲を払う事もなかった連中の言葉を耳に入れる事はなかった。こうして一部の者達が望んだ流れになる。

 

 異世界で暴れ回る住人を止めなければならない。しかし、異世界で存在するためには人を食らう必要があった。力を回復する度に異世界へ戻っていれば、歪みに巻き込まれて迷子になる確率は高まる。そこで、かつて"創造神"によって組み込まれた世界の法則を応用する事になった。

 生け贄を捧げて、神を召喚する。召喚された神は権能に沿った力を、より強く発揮する事ができる。その仕組みを応用して、異世界人の器に住人を宿らせた。住人に捧げられる物は異世界人の"全存在"だ。それを捧げれば他人の記憶から忘れ去られ、所有物も消え去り、その身一つだけになる。

 それは後に"フレイムヘイズ"と呼ばれる者の誕生だった。しかし異世界人と契約すれば、異世界人に付属する電池のような扱いになる。自ら望んで異世界人と契約する住人は少なかった。こんなネタを、どこぞの神が見逃すだろうか。最初のフレイムヘイズが誕生した同時に、その存在は全ての住人へ伝達された。問題があるとすれば"全て"というのは、異世界へ渡って存在の力を乱獲している住人も含んでいる。「また、お前か!」と言いたくもなる話だった。

 

 器に住人を宿した異世界人は、消費した存在の力を回復できる。異世界人を食らう者を倒すために、異世界人を食らう必要があると意味がないからだ。ただし回復できる限界は、異世界人の器に左右される。逆に住人の力が小さければ、回復できる限界も下がる。なので王と呼ばれる強い力を持つ住人が、大きな器を有する異世界人と契約を結ぶ事になった。

 こうしてフレイムヘイズと住人の果てしない争いは始まる。神と呼ばれる"天罰神"も異世界人と契約し、異世界へ渡った。やがて住人は住まう世界を"渦巻く伽藍"と例え、住人の話を聞いた異世界人は"紅世(ぐぜ)"と呼んだ。すると住人は住まう世界を"紅世"と称し、自身の事を"紅世の徒(ともがら)"と名乗り始める。

 逆に"紅世の徒"は異世界を、目に見える形を持つ事から"現世(うつしよ)"と呼んだ。そこに住む異世界人が風神に庇護されている事から、"現世の児(こ)"と呼ぶ。ただし、"紅世"について知る者は"現世の児"の中では数少なく、この名称が"現世"に広まる事はなかった。




"現世の児"は捏造設定です。原作では"この世"となっています。
児の意味は「子供、幼い」

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