Ace Combat side story of ZERO - Skies of seamless - 作:びわ之樹
「あー、あんまり妙な物は撮らんで下さいよ?」
余計な仕事を増やしやがって。
そう言わんばかりの面倒そうな態度で、引率の士官から最初に言われたのがその言葉だった。
ベルカ国営放送の肩章でもぶら下げていればこうもぞんざいには扱われなかっただろうが、悲しいかな、左二の腕に巻かれた腕章には『週刊ベルカ軍事ジャーナル』の文字。規模から言っても出版数から言っても、盛りに盛ってせいぜい二流出版社のわが社にとって、こんな扱いは慣れたものである。先日の取材で、『赤いツバメ』ことデトレフ・フレイジャー少佐から何とも苦々しげに対応されたことを思えば、今日の扱いはむしろホワイトな部類とさえ言えた。
「はいはい、頑張っていらっしゃる軍人の皆さんに、ご迷惑はおかけしませんよっと」
「頼みますよ、一応終わったら検閲はさせて貰いますから。…さ、こっちです」
ぺろり。
背を向けた士官に舌を出しながら、私はカメラを手元に備えた。ひっきりなしに飛び立つ戦闘機、交換用の燃料や武器を運ぶ整備員、慌ただしく行き交う車、そして人。さながら忙しい車輪のようになったこの基地において、いつシャッターチャンスが舞い降りるか分かったものではない。まして、今回の取材の主目的を捉えようと思えば尚更のこと。短いその時間を活かさんと、カメラ片手に忙しなく左右へ眼を走らせるのは、二流記者なりの心構えであった。
ごう。
一瞬地に生じた影を追うように、空を仰いで轟音の主を探す。空中警戒だろうか、すぐに目に留まったのは、上空を通過する大型のカナード翼とデルタ翼を持った戦闘機が2機。機体下部の青みがかった白色が、澄み渡った南ベルカの蒼穹によく映えていた。
1995年4月15日、サピン王国との国境に位置する、グラティサント要塞北東の航空基地『アイシュガルト』。晴れ渡り暑くも寒くも無いその空は、絶好の取材日和だった。
******
当初の印象の悪さに反して、案内の士官は存外に寛容だった。
帰還してくる戦闘機の姿は勿論、そこから降りて来たパイロットの生の声や整備兵たちの愚痴、駐機している機体など、大部分のものは制止されることなく撮影・録音できたとは、当初の読みからすれば大収穫と言えるだろう。今更ながら、彼の背に舌を出したことを心中で詫びた。
ただ一点、西から帰って来た爆撃隊に対しては、写真撮影を許可されなかった。それを言われてなお、私が素直に引き下がったのは、その判断もやむを得ぬと思わせるその惨状ゆえだっただろう。
煙を吐きながら地に足を付き、陽の下に無数の弾痕を晒す爆撃機。中から運び出される搭乗員は漏れなく体のどこかを赤く染め、ぴくりと動きもせぬまま毛布をかけられ搬出される者すらいる。同時に着陸した護衛機に至っては、後席の部分が真っ赤に染まっているのが外からでも認められ、熾烈な迎撃を無言の内に物語っていた。何より、それを眼にした整備員がぽつりと零した呟きが、私の胸に刺さった。
「未帰還、8機か…。」
私が確かめられる限り、その時帰還したのは戦闘機が4機、爆撃機が2機だった。つまり、半数以上の機体が失われたことになる。
ベルカは、勝つ。やがて、かつてのような『強いベルカ』を取り戻す。軍人も民衆も、朧なその未来だけを頼りに、身を削り戦っている。軍からすれば、苦しみに耐え未来を信じる彼らに、そんな敗勢を一瞬でも連想させるような様を表沙汰にする訳にはいかないのだろう。
もっとも、私はそこまで考えていた訳ではない。血のこびりついた凄惨な戦闘機の写真など、そもそも撮った所でR-18規制に引っ掛かりかねない。どうせ雑誌に載ることも無いものに、フィルムを浪費したくはないだけだった。
「いやー、満足満足。思いのほか撮らせて貰って、ありがとうございます。…で、件の飛行隊は…?」
「ああ、予定通りならもうそろそろの筈ですよ。ただ、インタビューできるかどうかは何とも言えませんが…。………お、噂をすれば。ご帰還みたいですよ?」
一通り撮影を終えた後、今日一番の目的をそれとなく話題に上らせたその時、遠方の空に3つの機影が見え始める。士官曰く、それが目的の部隊らしい。
雑誌の連載企画、『現代エースパイロット列伝』。軍編制の関係上、我らがベルカ空軍は国土の割に部隊数が少なく、その分部隊当たりの戦果や練度は他国より高い部類に入る。必然的に、エースパイロットと呼ばれる名手の数も相応に存在する訳であり、この連載企画もベルカならではの物と言えた。
カメラを構え、僅かに仰角を付けて滑走路へ入る機影をその中心に捉える。小さな本体に無尾翼式の三角翼、胴体両側に設けられた曲線を帯びたエアインテーク、そして胴体横に記された黒の『15』の数字。低速時に安定性が低下するデルタ翼機でありながら、その機体はまるで鳥が降り立つように、ふらつくことなく地に降りて速度を落としてゆく。安定性を向上させた改良型である『ミラージュ2000⁻5』の能力もあるだろうが、一つにはそれを駆るパイロットの手腕による所が大きいのだろう。
翼の縁以外を真っ白に染めたその機体は、滑走路を回ってこちら――すなわち格納庫へとゆっくり進みつつある。
「お帰りなさい、今日の戦果は如何でした!?」
黒の15番を迎える整備員が、口の両側に手を立てながら、轟音に負けない大声で声をかける。キャノピーの内側では聞こえる筈もないだろうが、その姿を見たパイロットは、人差し指と中指、薬指を立てて、微笑んで見せた。どうやら恒例の事らしく、整備員の意図は容易に掴めたらしい。ハンドサインはすなわち3機撃墜、ということなのだろう。
気のせいか、その微笑はどこか寂しげに見えた。
「大戦果、おめでとうございます!流石大尉、今日は祝杯ですね!」
やがて停止位置に到達したのだろう、そのミラージュは目の前でエンジンを停止させ、透明なキャノピーが開かれる。喜ばしそうにパイロットへ話しかけた整備員に対し、そのパイロットはヘルメットを外し、応じる。グレーを基調としたヘルメットの下から、鮮やかな金色の髪が零れ出た。
「…ごめんなさい、今日はそんな気分になれそうにありません。…マルティンが、墜とされました」
は、と顔を強張らせ、恐縮した体の整備員。ミラージュを駆るその女性パイロットは、戦闘後とは思えない穏やかな、しかし悲しみを帯びた声で、ぽつりと零した。首筋の下までの、綺麗な金髪。ダークグリーン系統の軍服とは対照的な白い肌。そして、憂いを帯びた眼差し。その様は、まさに雨に濡れた梨花を思わせる姿。写真でその顔は知っていたものの、私は一瞬、息を忘れた。
ベルカ空軍第5航空師団第24戦闘飛行隊、通称『ヴァイス隊』。白を基調としたその小隊を預かる指揮官こそが、彼女――フィリーネ・“メーヴェ”・ハーゲンドルフ大尉その人である。
「それは…失礼しました。浅慮なことを…。」
「…いいえ。……敵に、腕の立つMiG-21乗りがいました。その敵にかかりきりになって、指揮を疎かにした、私のミスです」
機体から降りたフィリーネ大尉が、整備員と一つ二つ言葉を交わす。僚機を失ったという悲しみが、その言葉の端に滲み出ていた。
今、取材していいものだろうか。心身ともに疲弊したあの人を。柄にもなく、他人を想うそんな感傷が頭をもたげたことに、自分でも内心驚かずにはいられなかった。厚顔無恥と言われようと、面の皮を盾代わりにぐいぐい押して取材する。それを信条としておきながら、何ということだろう。相手が美人であることと、それはきっと無関係ではない。
ええい、それでも記者か。心の中で、自分を叱咤する。美人がどうした、取材なら顔など気にせずがんがん行け。むしろお近づきになる勢いで前に出ろ。
頭の中で感傷を蹴飛ばして、私は一歩足を踏み出した。背後の士官が、迷った挙句制止せんと息の呑む気配が伝わる。それはそうだろう、エースパイロット部隊が僚機を失ったなど表に出す訳にはいかない。だが、それでも一旦許可を出したのは基地側である。それになにより、一旦火が着いたジャーナリスト魂と興味を、むざむざと鎮火される訳にはいかない。
後ろからの手を振り切るように私は一歩、一歩と踏み出していく。もう少し、もうちょっと。正に声をかけるその刹那、まさかの邪魔は横合いから割って入った。
「フィリーネ大尉、帰還直後にすまないが、緊急任務だ。五大湖沿岸にオーシアの砲撃部隊が集結しつつある。補給が終わり次第、出撃してこれを叩け。詳細は追って連絡する。」
「少佐殿…。は、了解しました。補給を急がせます。」
どうやら司令部付きの士官らしいその男は、手短に要件を伝えるや、忙しく踵を返して戻っていく。フィリーネ大尉もまた、他の小隊員へ知らせるのだろう、別のミラージュが駐機する方向へと歩を進め始めた。
あの男め、折角の機会を。私は口内に悪態一つ、大尉へとカメラを向けた。後ろから引率士官が『はい、そろそろ時間ですから、そ、ろ、そ、ろっ…!』と私を抑えるのにも構わず、私は夢中で声を張り上げた。
「フィリーネ大尉!!」
かしゃ。
大尉が振り向くのとシャッターを下ろす音、そして私の体が後ろへ引っ張られるのは、せいぜい合して2秒あったかどうか。写真を確認する暇もないまま、私は士官に背中を押されて、そのままその場を離れざるを得なかった。
うまく撮れたかどうか、自信はない。が、目の奥にはシャッターを押すその瞬間の、フィリーネ大尉の困惑気味の微笑と、もの悲しい瞳の色が焼き付いていた。
******
《ターンが遅い、もっと『バラライカ』の機動を活かせ!》
「ぬ、お、ぁぁあああ!!」
《どうしたその程度か!
水平線が斜めに横切り、冷や汗が額を斜めに流れてゆく。ロックオン警報鳴り響く中、一際圧を増したGに体と胃袋を苛まれながら、カルロスは懸命にスロットルを引いた。急減速による小半径旋回、そこから機体を背面に移し、急降下からの加速離脱。一連の機動を終え、血と胃の中身が上へ込み上げそうになる。歯を食いしばって必死に堪えるカルロスの耳に届いたのは、無慈悲にも撃墜の判定だった。
《減速に移るのが遅い。反転後の機動は良くなったが、判断をもっと早くしろ。…よし、次は俺を追え。遠慮するな、ぶつける積りで来い》
「う、ぷ…。りょ、了解…!」
易々と追いつき横に並ぶMiG-21bisから、アンドリュー隊長の厳しい声がかかる。こちらが応答する前に、その声の主は右へ急旋回をかけ、先んじて『逃げ』の機動を取り始めた。吐き気を堪え、慌てて急旋回をかけるカルロスの目の前で、アンドリュー隊長はあらゆる機動で射線を巧みに躱し続ける。左右上下への蛇行、急減速、失速まで利用した回避機動は、こちらと同じ機体とは信じられない。それでも。それでも、あの背中に追いつく為。この戦いに生き残る為。ガンレティクルを凝視しながら、カルロスは疲れた体に鞭打って、切欠いた三角翼の機影をただひたすらに追い続けた。
オステア空軍基地の空に、2つの機影が曲線の幾何学模様を描いてゆく。
時に1995年4月18日。幹線171号上の戦闘から、既に3日が経過していた。
******
ようやく爆撃跡が修復された滑走路の上を、2機のMiG-21bisが奔り、空へ舞い上がってゆく。噴射炎の残影を眼で追いながら、カルロスは死んだように腕をだらんと下げ、パイプ椅子の背もたれに体を預けていた。空に上がって2時間半みっちりの戦闘機動演習で、体と精神の疲労はもはや限界に近い。しばらく出撃が無いとはいえ、この調子ではむしろ戦闘より先に参ってしまう。
「おう、お疲れだったな。…なんだ、隊長はもうフィオンと上がったのか?暇だからって、精が出るねぇ」
「あ、カークス軍曹…ありがとうございます。も、もう、今日は限界です、俺…」
先の様子を見ていたのだろう、カークス軍曹から冷たい水の入ったコップを受け取って、一息に飲み干す。乾ききった体に、水の潤いと冷たさが沁み渡るような心地だ。
先の戦闘で、ニムロッド隊はカークス軍曹のMiG-21bisを失い、隊長のMiG-27Mと自分のMiG-21bisもかなりの損傷を負ってしまった。幸いパイロットの負傷は軽微だったものの、使用できる機体は予備機を含めて2機のみとなった訳である。当然、当面の戦闘参加は困難と判断され、本社から機体を補充されるまでの間、ニムロッド隊は戦力から外されることとなった。以来の仕事が演習漬けの日々となったことは、配備が整うまでの暇潰しでもあり、なにより隊全体の技量底上げを図る上でも当然の帰結だったと言えるだろう。ミラージュ2000で編制された白い小隊に翻弄され尽くしたことは、今だ記憶に新しい。
「補充、いつ来るんですかねー…。ちゃんとした機体だといいですけど」
「さあなぁ。今やこんな情勢だし、機体の調達もままならんかもしれん。よくてせいぜいMiG-23シリーズ、下手するとMiG-19かミラージュⅢ辺りって所かねぇ」
がくり。疲労の溜まった体に、目の前の現実が重くのしかかり、カルロスは思わず頭を項垂れる。
確かに、戦争の激化に伴って、中古戦闘機の需要は各所で高まっているに違いない。数が出回っている物の中ではMiG-29『ファルクラム』が望みうる最良の機体だろうが、高性能な新鋭機でもあり入手はままならないだろう。ある程度多様な任務が行える、前と同じMiG-21bisか、MiG-27の前身であるMiG-23『フロッガー』系統ならば御の字という状況と言えた。まして、MiG-21よりさらに古いMiG-19『ファーマー』や『ミラージュⅢ』は、流通している数も多く入手は容易だろうが、その分性能はすこぶる頼りない。先日のような、ベルカが誇る精鋭部隊を相手どって、そんな機体で果たしてどこまで戦えるものだろうか。嗚呼、未来はどんより暗い。
「…ま、落ち込むなって。まだそうと決まった訳じゃなし。機体なんてのはいつか壊れるんだ、気楽に考えなきゃ損だってな」
「は、はぁ…。そんなもんです?」
「そんなモンそんなモン。…っと、そうだ、忘れる所だった。この前戦った白いミラージュだけどな、正体が分かったぜ。読んでみるか?」
「えっ…!?み、見せて下さい!」
機体は消耗品、とは言うものの、実際問題としてやはり金がかかる。元来貧困の環境で育ったためか、資金面がひっかかって容易に同意もしにくく、言葉を濁すカルロス。その空気を破ったのは、他でもない、カークス軍曹の言葉。正確にはその軍曹が携えていた、1部の新聞だった。
やや日が経っているのだろう、少々紙質がくたびれたそれをめくり、該当の項を眼で追う。
表をめくった第2面に、白黒ながらも大きな写真を伴って、間違いなくあの機体が映っている。胴体に黒く『15』と記したミラージュ2000、尾翼には白い鳥を描いたエンブレム。空戦の際には鳥、としか分からなかったが、写真を見る限りではカモメのように見える。そして、機体の前に佇むパイロットはといえば。
「…女……!?」
「この基地を制圧した時に残ってた、ベルカの新聞だそうだ。そう、まさかのお姉さまだぜ、しかも美人ときたもんだ。腹ァ立つ限りじゃねえか、え?」
「……。エース部隊、『ヴァイス隊』…」
ベルカが誇るエースパイロット部隊といえば、各国の空軍からは畏怖と脅威の象徴そして知られている。ここ最近の戦いでさえ、モンテローザ空戦における『シュネー隊』の活躍や、モーデル制圧戦の際の『インディゴ隊』による赫々たる戦果は記憶に新しい。そんなエース部隊の一端に、あろうことか自分たちが触れていたとは。そして、そのパイロットが、近年でもなお珍しい女性パイロットだとは。
今更ながらの驚異と、何より自らを省みた複雑な思いを、カルロスは抱かずにはいられなかった。
「まー、この広い空で2回出会うなんてそうそう無い。そう気にせず行こうぜ。――お、上はおっぱじめたか。フィオンの奴、やるじゃねえか」
「………」
空の上から、エンジンが唸り、空を割く音が響いてくる。どうやらアンドリュー隊長とフィオンが模擬戦を開始したらしく、辺りの整備員たちも空を見上げ、時折歓声を上げている。カルロスも同じように弧を描く2機を見上げ、それでいて意識は未だ、脳裏に残る白い機体へと結んでいた。
この空は確かに広い。だけど、それは確かに繋がっている一つの空なのだ。一度出会った相手と、再び出会わない保証などどこにもない。そしてその時、自分はまたこうして生き残れるのだろうか。
身を以て感じたエースの息吹を、カルロスは脳裏に反芻する。
空に刻まれた二つの軌跡は、どこか翼を広げた鳥の姿にも見えた。