Ace Combat side story of ZERO - Skies of seamless -   作:びわ之樹

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第6話 北を指す標(後) -天翔ける白鏃-

 地に堕ちたF-16(ファルコン)から黒い煙が昇り、徐々に北へ流れながら空気に融けて消えていく。ゆっくりと、そしてじわりじわりと煙が伸びて北へ流れゆく様は、まるでそのパイロットの魂が、ここから北方のベルカへ還っていく姿にも思えた。

 どうやら、南風が吹き始めたらしい。辺りを見渡せば、撃墜したA-10からも、そこから飛び火したらしい麦畑からも、煙が等しく北の方へと伸びている。

 

 もし俺もああして死んだのなら、その煙は南――故郷レサスへ流れてゆくのだろうか。

カルロスは無意識に南へと目を向け、確かめようもないその疑問を心に沈めていった。

 

《デル・タウロ、こちらの敵機は排除した。他に機影はあるか?》

《よくやった、ニムロッド隊。現在アルコ隊が交戦中の4機の他に機影は見られない。引き続き現在地にて警戒を……。………いや、待て》

 

 隊長の報告に応じる管制官の言葉が、いつになく澱む。通信の向うからは、何やらキーを叩く音や管制機のスタッフと忙しく交える声が届き、その異常性を際立たせた。

 緊急事態。脳裏に生じた嫌な予感は、直後に耳に届く狼狽で悲しくも裏付けられることになった。

 

《……アルコ3被弾!何なんだ、あの動きは!》

《くそっ、デル・タウロ、援軍を頼む!俺たちだけではもう――》

《…た、隊長機墜落!!……しまった、上から》

 

 雑音交じりの狼狽、恐怖、そして絶望。最後の声に至っては、言葉を末まで発せないまま、被弾音とともに『何か』が飛び散る生々しい音まで混じっている。それは通信回線を隔てた空の先の出来事だというのに、まるで血の匂いが漂ってきそうな断末魔。アルコ隊の身に、何かが起こっているのは明らかだった。

 ――先ほどの増援の4機。凶行の主へ向けた推論の辿り着く先は、至極当然と言って良い当たり前のもの以外に無い。しかし、一体何が。

 

《こちらニムロッド1。デル・タウロ、アルコ隊はどうなっている?》

《…信じられん…。アルコ隊、全機反応消失!ニムロッド隊、そちらに向かっている!距離4000、高度300!》

 

 一同に、俄かに緊張が舞い戻る。同じ機数にも関わらず瞬く間にアルコ隊を殲滅したことから見て、敵の力量は相当なものの筈。しかしその機種は、そして武装は。何より戦闘を経て、弾薬を消耗したこの状態で、対抗できるのだろうか。

 連絡にあった方向へと、各自は瞳を走らせる。いち早く敵を捉え、対策を取る為に。

 

《…全滅って、嘘だろ、オイ…!》

《……いずれにせよ、敵編隊の方が優速だ。ニムロッド隊、もうじき陸軍が到着する。それまでの間、制空権を維持せよ》

《了解。各機、対空戦闘用意。敵は超低空だ、上からQAAM(高機動空対空ミサイル)で一撃見舞うぞ》

 

 降って湧いた凶報に、僅かに震える空中管制官の声。苛立ちも込めた舌打ち一つ、アンドリュー隊長は機体を傾けて編隊を導き、高度を下げつつ機首を西南西へと向けた。不測の事態を前にして、その機動に揺るぎは一切見られない。その姿に頼もしさを覚えつつ、カルロスの頭は目まぐるしく回転する。

 

 先の隊長の命令と併せると、おそらく高度差を詰めてすれ違う瞬間に攻撃を行う戦法なのだろう。AAM(空対空ミサイル)では下方を通過する敵機は追尾しきれないが、近距離の誘導性能に優れるQAAMならば反転追尾が可能な上、低空ゆえに敵の逃げ場も少ない。この相対位置を考えれば、現状とりうる最適解と思えた。

 

《敵機視認、ミラージュ2000が4機。…舐めた真似を。丸見えの塗装だ》

「冗談だろ、なんて低空を…。」

 

 反射的に地上へ目を凝らしたカルロスには、隊長の呟きの意味がすぐに理解できた。

こちらに気づいていないかのように、前下方を高速で飛行する4機。特徴的なデルタ翼と小柄な胴体はまさしくミラージュ2000シリーズのものだが、通常通り迷彩を主とする塗装を施されていれば、発見はこうも容易にはいかなかったに違いない。

 地を彩る緑と土色の上で、それらの機体は翼も胴も白く染め抜き、その存在を誇示していた。わずかに主翼の縁を濃紺色で染めた他は、まごう事なき白一色。春色の地面の上で、そこだけが無機的な色彩に染まっている。

 機首を下げ、相対距離を縮める。敵機はこちらの下方をすり抜ける針路を取ったまま、依然進路を変える様子すら無い。すなわち、隊長が思い描いた通りの相対位置。

 

《全機、QAAM発射》

 

 減速したMiG-27Mの下を抜けて、前方に出たMiG-21bisからQAAMが放たれる。フィオン機から2基、カークス機とカルロス機から1基ずつ放たれたそれらは、予測通り下方を抜けた敵機目がけ急角度を描いて追尾を始めた。この低空では下降はもちろんのこと、速度と機動が低下する急上昇による回避も難しい。たとえ左右に旋回しようとも、ミサイルの誘導を回避する術はないだろう。それはまさに、位置と武装を活かした必中の策。

 予測が裏切られたのは、その瞬間だった。

 

 4機のミラージュは編隊下方を抜けるや急加速をかけ、そのまま機体を急上昇させ反転。いわゆるインメルマンターンを行い、瞬く間にこちらの後上方に陣取ったのだ。ターンの頂点でQAAMが誘導能力を失い、彼方へ飛び去ってしまったのは言うまでも無い。

 元来、ミラージュ2000は加速力に優れた機体ではあるが、低空におけるこれほどの加速と機動は尋常ではない。特殊な改装を施された機体なのか、あるいはパイロットの腕なのか。いずれにせよ、尋常の部隊ではないのは、誰の目にももはや明らかである。

そんな益体もない思考は、機銃を放ちながらこちらへと突入する2機の姿にかき消された。

 

《回避した…!?く、全機ブレイク!》

《へぇ…やるじゃん。》

《言ってる場合か!クソッタレ!……こちらニムロッド3、ミサイル残弾なし!》

「ぐぅ、ぅ…っ!ニムロッド4、同じく残弾なし!」

 

 ちぃっ。声にならない呻きを漏らし、カルロスは機体を右へ急旋回させる。目の前で大地が傾き、曳光弾が視界の端を切り裂いてゆく様を見ながら、カルロスはひたすら歯を食いしばって横合いのGに耐えた。先の2機はそのまま低空へ侵入し、噴射の残影を曳いて飛び去る。三角翼機らしい優れた加速性能を活かした一撃離脱は流石と言うべきか、その後方を補足する暇も無かった。

 

《不味いな、こちらが低空に叩き込まれた。各機、攻撃の隙を縫って上昇を…ちっ!》

「攻撃の隙を縫うったって…っ!?くそっ、また2機!」

 

 隊長の言う通り、低空で機動が鈍るMiG-21bisで空戦を続けるのは不利この上なく、高度を取るのが唯一の活路であることは全員共通の認識だった。

 そしてそれは当然、彼我の機体特性を知る敵にとっても先刻承知のこと。

 いち早く機首を上に向けた隊長のMiG-27Mへ向け、残る敵2機のうち1機が直進して機銃弾を乱射。咄嗟に右ロールで回避した隊長機はいくつかの弾痕を刻まれながら、機首を下げて再び高度を失ってゆく。残る1機も上昇の気配を見せたカルロス機へ向かい、速度を緩めぬまま機銃を浴びせかけ、衝突しそうな距離を掠めて抜けていった。たまらず左旋回で回避するカルロスの目には、その刹那に映った敵機のエンブレムが目に焼き付いていた。

 縁が黒い大きな翼を広げる、白い鳥。それはまさに、今眼前で舞う機体そのままの姿だった。

 

「抜けた!」

《カークス、フィオン、上がれ!》

《りょーか…うわわわっ!?…くそっ、僕をコケにして…!!》

《チッ、こっちもダメだ!完全に押さえられちまってる!》

 

 隙を突き機首を上げる二人の機体に、後方上空から2機のミラージュが襲い掛かる。それぞれの鼻先へ放たれた機銃を避けるべく、背面を空へ向け急旋回した両機は再び高度を落とす破目になり、その傍を攻撃者たる2機が掠めて飛び去ってゆく。その様は、まるで得物を嬲る猛禽を思わせた。

 奇策でこちらを低空に叩き落とし、そこから上昇する機体を2機1組で狙い撃つ。ミラージュの性能を活かし一撃離脱を仕掛けた後の隙は、残る2機が時間差で仕掛けてカバーし、先の2機同様に上空を抜けてゆく。その頃には先の2機がインメルマンターンで素早く反転し、続いて攻撃を仕掛ける――言うなれば、隙の無いモグラ叩きという所だろうか。いずれにせよミサイルも尽き、機銃で確実に損傷していくことを鑑みれば、時がかかる程不利になることは明らかである。だが、どうすればいい。

 

《バラバラにやっても埒が明かん。次の2機が行ったら、全機で上昇するぞ。…よし、今だ!》

 

 了解。3人分の重なった声を割くように、機銃をまき散らして頭上を擦過する敵機の姿が目に入る。

 ――抜けた。

 隊長の声を待つまでもなく、いち早く加速をかけたフィオン機が先陣を切って空を差し昇っていく。反転してすぐ前方に迫っていた敵機の銃撃をすんでの所で躱したその技量は、憎たらしくも流石のものだった。

残る1機は機首を水平に保ち斜め上を飛ぶ所で、到底こちらを銃撃できる距離ではない。 行ける。

 確信を抱き、乾坤の意気とともに操縦桿を引いて機首を上げた、まさにその刹那。カルロスの眼に、見慣れぬ光景が映った。

 射程外に見えるその1機の下部が、陽を反射してきらきらと輝いている。

 何だ、あれは。特殊な塗装か、ミサイルの噴射炎か。はたまた、下部機銃の発砲炎か。

 …違う。あれは。あの無数に迫る小片は。

 まさか。

 

「…っ!!軍曹、散弾です!!ブレイク!!」

《何っ!?…うおおおおおッ!!》

 

 頭上を水平飛行のミラージュが駆け抜け、一拍後に機体を衝撃が襲う。鉄を割く音、ガラスが割れる音、耳を打つ警報音。混乱の中で、カルロスの思考は沸騰した。

 反射的に左旋回したこともあり直撃は免れたが、胴体上部や右主翼には貫通痕が刻まれ、頭部のすぐ後ろにもガラスを割って貫通した跡が残っている。カルロスは知る由もないが、先刻まで傍らを飛んでいたカークス機は回避が遅れ直撃し、主翼を瞬く間に蜂の巣にされ発火。カルロスが低空に退避した頃には、咄嗟に脱出してまさに宙に舞う所であった。

 

 散弾――正確にはSFFS(自己鍛造小弾頭爆弾)と称される特殊兵装。目標上空で無数の金属片を放出し、戦車などの上部装甲を貫通する、本来は純然たる対地攻撃兵装である。いくら低空に追い込んだとはいえ、この兵装を戦闘機に放つとは尋常の腕前と発想ではない。

 脳裏に生じた『まさか』という思いは、常識と現実との狭間にできた呟きだった。

 

「軍曹っ!!……やばい、機体が、もう…うわっ!?」

 

 間髪入れず、ミラージュが後方に迫り追撃を仕掛ける。低空という状況、歴然たる性能と技量の差、そして機体の損傷。全てにおいて自らに不利な現状を自覚しながら、それでもカルロスはスロットルを倒し、エンジンを吹かして抗い続けた。たとえそれが徒労だとしても、地に落ちた蝙蝠の死に際の足掻きに等しいとしても。

 

《カル…ス、そ……ま方…095…飛…!友…の…………配置………て…る!聞こ………、……!!》

 

 無線から聞こえるアンドリュー隊長の声を、雑音と被弾の衝撃がかき消す。通信装置が破損したのだろう、最早隊長の声は聞き取れない。感じられる音はといえば、息絶え絶えの『フィッシュベッド』の鼓動と動くごとに刻まれる被弾音、そして自らの心臓の早鐘ばかり。カークス軍曹の安否も、隊長やフィオンの様子も確かめる余裕すらない、自分独りと背後に迫る死のみの世界が、カルロスの周囲を浸してゆく。

 死。

 俺も、赤と黒に染まる時。

 炎とともに、微塵になる時。

 魂が、煙になって消えていく時――。

 

「…う、あ、あぁぁぁぁぁ!!!」

 

 ――嫌だ。

 大人しく死ぬくらいなら、最期まで、抗ってやる。

 理念も矜持も無い、純粋な本能の叫びが心身から溢れるのと、カルロスが半ば出鱈目に機体を機動させたのは同時だった。操縦桿を引いたと思えば一気に左に倒し、エンジンの加減速も規則性なく繰り返される。それはカルロス自身、機体をどうやって動かしているのかすら分からない、言うなればヤケクソの操縦であった。

 

 事実、傍目に見えるであろう機動は、意図しているとは思えない無謀なものだった。低空からさらに機首を下げて降下し、加わった速度を活かし上昇しつつ左旋回。そのままバレルロールに移行するかと思えば、1回転した直後に右旋回へと舵を切る。これに機体特性ゆえの慣性とふらつきが加わるため、機動の予測はカルロス本人にすら困難であった。

姿勢把握も叶わぬまま、縦横左右に激しくGが襲い掛かる。絶え間ない重圧は瞬く間にカルロスの体を苛み、限界へと近づけてゆく。

 朧に見える外の景色が、がくりと右に傾いたその瞬間。カルロスの視界は、黒く染まった。

 

******

 

 カルロスが独り窮地に陥っていたその頃、アンドリューとフィオンもまた劣勢の戦いを強いられていた。

 先の機動により戦域は高度2000フィート前後の上空へと移り、先ほどと比べて空は格段に広くなっている。薄雲漂うその空を、2機の『フィッシュベッド』は絶えず輪を描いて旋回し、それらへ向けてミラージュが1機ずつ、直線の軌跡で襲い掛かっては抜けてゆく。対照的なその動きは、空の青を背に、不規則な幾何学模様を刻んでいた。

 

 ミラージュの速度を活かした一撃離脱に苛まれ続けたためであろう、アンドリューの『フロッガーJ』には幾つかの弾痕が刻まれており、損傷の色がやや濃い。加えて、元来空戦能力には劣る機体である上に、既にAAMは撃ち尽くし、残るは対地用のロケットランチャーと固定武装の30㎜機関砲のみ。その現状が、反撃という手すらもアンドリューの選択肢から奪っていた。片やフィオンの『フィッシュベッド』はといえば、被弾こそ少ないものの、残る武装はAAM1基のみと、こちらも抵抗の手は出し尽くしたに等しい。

 一方の敵機は、SFFSと機銃を除けば武装を持っていないのだろう、機銃しか撃ってくる気配がない。どこかの帰りにここへと急行したと推定されるが、たとえ機銃であろうと30mm弾を喰らい続ければ、機体がいつまで保つか分かったものではない。

 いずれにせよ、全滅は時間の問題と見えた。何度目かの弾痕を刻まれながら洩らしたアンドリューの舌打ちは、その決断の契機でもあったのだろう。

 

《流石に格闘戦の誘いには引っかからんか。カルロスも気掛かりだ、一気に仕掛けるぞ》

《あ、諦めたかと思ってた。いいですけど、どうするんです?》

《その大口に期待するぞ。敵の隊長機をしばらく引き付けられるか?》

 

 常通りの生意気な言葉遣いで返すフィオンに悪づきながら、アンドリューは試すように問いを送る。

 このジリ貧の現状を破るには、まず敵の一糸乱れぬ連携を崩すのが最善であるが、誘導兵装がないこちらとしては隊長機を釣り上げる他ない。勘と経験でそう結論付けたアンドリューは、改めて空域を旋回する敵機を見据えた。

 攻撃精度が高く、離脱時の加速に入るまでが僅かに早い、胴体に黒く『15』と記されたミラージュ。機動と位置から考えて、あの機体がおそらく隊長機だろう。先ほどから目を付けていた機体だが、フィオンも同感の筈だ。

 

《…落としちゃってもいいのなら》

《減らず口はとっくに一人前な奴だ、全く。…次のタイミングでやれ。頼むぞ》

 

 フィオンの声はやや上ずり、年よりやや幼いように聞こえた。

 ――こいつ、笑っていやがる。あれだけの強敵を相手に。

 底の知れないガキだ。痛快さに幾分かの危うさを覚えれば、口元に苦笑いがこみ上げる。

 それを口角に刻んだまま、アンドリューは機体を傾けて、迫る白い機影に備えた。2機の『ニムロッド(狩人)』が狩られる側から狩る側に移る、一瞬のその時を。

 

 こちらを狙い、正面から放たれた機銃をロールで回避する。

 黒の6番。違う、コイツじゃない。

 続いて左前方、旋回が間に合わず、金属が削れる音がコクピットに響く。

 黒の21番、これも違う。ならば。

 

《…行けッ!!》

 

 時間差を置いてフィオン機の右後方から迫るミラージュが、機銃を掃射しながら左前方へと抜けてゆく。その胴体に黒く記された『15』を認めるのと、頭を振るように小さく旋回したフィオンのMiG-21bisがAAMを放ったのは同時だった。

 不意の攻撃にも機動を乱さず、右上方向へのシャンデル機動でミサイルを回避する『15番』。その背を追い、格闘戦を仕掛けるべく追跡するフィオン。そして2機に分かれた瞬間を認め、こちらの後方を取るべく旋回する残り2機の敵。その全てを眼に収めた直後、アンドリューは『フロッガーJ』の可変翼を畳み、空気抵抗を抑えた形態で機首を下げて加速を始めた。

 

 逃げる。少なくとも、敵にはそう見えたことだろう。加速性能に劣る機体が逃げおおせる常套の手段といえば、重力を活かした急降下による加速と相場は決まっている。そして手負いのMiG-27Mでは、到底ミラージュ2000を引き離せないこともよく分かっているに違いない。手負いのカルロスまでわざわざ追撃していった奴らだ、折角の手頃な獲物を追わずにいられるものではない。

 案の定、2機の白い機影は、こちらを追って機銃を浴びせてきた。近くを擦過するだけだった曳光弾が、徐々に装甲を傷つけてゆく。いち早く加速したこちらに追いつこうと、敵機も速度を上げ、追いつきつつある様が脳裏に像を結ぶ。逃げる獲物を追い詰めようと、敵がこちらの速度を僅かに上回った、この瞬間。

 

《ぐっ…!!》

 

 ふ、とエンジンの唸りが弱まり、同時に『フロッガーJ』の可変翼が最大に開かれる。翼が軋み、激しい振動が機体を揺さぶり苛む。

 後方から急激にかかったGに呻き声を漏らすアンドリューの目の前には、急減速に対応できず前方に飛び出した2機の『ミラージュ』の姿が映っていた。

 加速性能に優れる『ミラージュ2000』は、翻って急減速への対応が難しいという欠点も持っている。まして、獲物に追いつかんと加速を行っていれば尚のこと。慌てて機首を上げて減速しようにも、『ミラージュ』では一度加わった速度を易々と落とせるものではない。

 HUD(ヘッドアップディスプレイ)に投影された丸い照準が、機動の鈍った敵機を捉える。引き金を引くと同時に、懸架したロケットランチャーから無数の弾頭が放たれ、その行く手を塞ぐ。その様は、どこか投げ網に捉えられる魚の姿を思わせた。

 右翼後方、左翼前、そして機首。白煙の尾は吸い込まれるように命中し、瞬く間に白い機体を焔に包む。衝撃で純白の三角翼を無残に千切れ飛ばし、『6番』のミラージュは照準の中で四分五裂して果てた。

 

《お返しだ、悪く思うなよ》

 

 爆炎の脇を通過し、一拍遅れた爆発音の中で呟く声。パラシュートも放たぬまま、炎の塊となって落ちてゆく『ミラージュ』を目で追いながら、アンドリューは来た方向へと機体を旋回させる。前方には残った1機が、翼を翻してフィオンらの空域へ向かう所だった。

 

******

 

「は…?…っ!うおおっ!!」

 

 大きく右に傾いた大地。その眼が再び像を結んだ時、カルロスは反射的に操縦桿を引き、乗機『フィッシュベッド』の体勢を立て直した。

俺は、いったい。…そうだ、敵。敵は。まだぼんやりとした頭を強引に働かせ、カルロスは左右へ、後ろへ目を走らせる。

 ――いた。左後方、先ほどと同じ『ミラージュ』。気を失っていたのは時間にして数秒程度だったらしいが、無茶苦茶な機動に幻惑されたのか、距離は多少離れたように思える。

 確かに悪あがきの甲斐はあった。が、ここからどうすればいい。

 つかず離れず、こちらの後上方を占める敵機を、怯えとともに幾度も振り返る。その度に距離が狭まり、射程圏へと一歩一歩引き釣り込まれていく。

 もう、駄目か。異変が起こったのは、何度目かも分からない振り返りの時だった。

 

「…?」

 

 ミラージュの機体が僅かに揺らぎ、唐突に翼を翻して西方へと鎌首を向ける。追い詰めていたのに、いったい、何故。混乱しながらも縦横に視線を飛ばすカルロスの眼に、ふと、遙か遠くに飛行機雲を曳く2つの機影が捉えられた。1機足りないが、おそらく先ほどの敵編隊。彼らが戦闘半ばにして、その場を離れてゆくのは明らかだった。

 呆然と、去って行く三角翼の機影を見送るカルロス。その翼の下が一面濃紺色に塗られていることに、カルロスは今更ながら気づいた。

 

《こ…らデル・……ロ。ニムロッ……機、………った。機甲…隊……置………完了し…。………には早…に迎えを…。各………に帰還…よ。》

《ニム……ド1、了解。…おい、フィ…ン、…ルロス、生きて…か》

《生…てまーす。…ちぇ、もう……で落とせ……に。》

 

 無線から聞き知った切れ切れの声が流れ、戦闘の収束を穏やかに告げる。機器が破損し声を送ることも叶わないカルロスは、遙か先に見える機影に向かって、機体の翼をゆっくりと振って応えた。

 終わった。生き残った。

 安堵とともに、どっと全身を満たす疲労感と吐き気が押し寄せ、カルロスはしばし堅い背もたれに身を預ける。割れたガラスから吹き込む冷たい風が、今はいっそ心地よい。

 

 風と共に、焦げた匂いが鼻を突く。地に落ちて燃えるカークス軍曹の機体が、麦を焼いて立ち上らせた、むせ返るような芳香。そこからやや離れた麦畑の中で、パラシュートを外したカークス軍曹が、無事を全身で示すかのように両手を大きく振っている姿が目に入った。

 

 地に転がるパラシュートは、白い生地に風をたっぷりと孕んで、ゆるりゆらりと揺れている。

 それが先ほどの『ミラージュ』と全く同じ色だとは、カルロスにはどうしても信じられなかった。


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