Ace Combat side story of ZERO - Skies of seamless - 作:びわ之樹
本作戦はウスティオ共和国軍第6航空師団との共同作戦となる。諸君はウスティオ空軍による第一次攻撃後に戦域へ侵入し、残存部隊の掃討および171号線確保を担う陸軍機甲部隊の護衛を行え》
春風に穂を揺らす小麦畑が、褐色の地面にモザイク模様を彩っている。
晴れ渡った空からは穏やかな春の日差しが降り注ぎ、時折雲の影を地面に泳がせる。田園の中にはぽつりぽつりと風車や農機を収めた倉庫も見られ、この地が豊穣な穀倉地帯であることを如実に物語っていた。
牧歌的なその光景は、そのまま切り取ってキャンパスに貼りつければ、見事な風景画として成立しそうな風情を湛えている。今こうして地に影を落とす戦闘機の姿さえなければ、それを実践する画家がいても、何ら疑問を抱くことは無いであろう。眼下に広がるこの光景に、鉄の匂いは調和しそうにない。
サピン王国西部、アルロン地方。
肥沃な土壌と河川による水利に恵まれたこの地は、古くから穀倉地帯として発展しており、同時に内陸の大都市ディレクタスと水産資源に恵まれたオーレッド湾を結ぶ回廊としても機能していた。田園を突っ切り、北へ向けて遥かに伸びる大きな道路は幹線道路171号線と呼ばれ、平時には多くの車両が各地の産物を携えて交通していたのだという。
そして歴史を顧みるまでもなく、大規模な輸送路はそのまま兵站となり、大規模な軍団の移動を容易せしめるという意味も持っている。すなわちウスティオ早期攻略を目論むベルカにとって、大国オーシアからの兵站となるこの道を断つことは、ウスティオを孤立させ短期に制圧し尽くす上で不可欠な行動だった。ベルカが戦争の早い段階でこの地を制圧し、多くの機甲部隊や対空兵器を配置して防御を厳としているのは、それを雄弁に物語る証左と言えるだろう。
この現状の下、オーシア・サピン・ウスティオ3国の連携でベルカを退けるという連合国の方針を省みれば、これら3国が171号線の奪還へと動くことは当然の帰結であった。防衛線構築と海軍の展開に手間取ったオーシア軍が長躯攻撃できない中、数少ないウスティオ・サピン両軍のみでの奪還作戦に乗り出したのも、ウスティオの陥落による連合の瓦解が間近に迫った為である。
国の崩壊すら起きかねない、差し迫った戦争の現状。そんな現を気にする素振りもなく、小麦は穏やかに穂を揺らしていた。
時に、1995年4月15日。冬小麦が花を付ける、緑の季節の頃。
《こちらサピン第7航空師団第21戦闘飛行隊所属、『アルコ1』。当戦闘空域担当を引き継ぐ。応答されたし》
《アルコ1、了解した。こちらはウスティオ第6航空師団所属、空中管制機『イーグルアイ』。以降の上空警護を頼む》
編隊の先頭を行く『トーネードADV』からの通信に、高くよく通る声が返される。声の主の姿は見えないものの、空中管制機と言うからには遠方で支援を行っていたのだろう、その指示を受けたと思しきウスティオ軍機がこちらへと飛来するのが目に入った。事前の情報では、出撃したウスティオ軍機は6機。機影を見る限り、全て無事な様子である。
右手を上げて額に付け、先に戦闘を行ってきた彼らへ敬礼を表す。流石に相対速度は速く、相手の様子や表情を伺うことはできそうにないが、それでもわずかばかりの気持ちであった。
やや離れた右側方を、ごう、という音とともに6機がすれ違う。前を行く4機はF-5E、後続の2機はF-15Cだっただろうか。両翼端を青く染めた先の機体と、右翼を切り欠くように赤く彩った後の機体。辛うじて瞳に残ったその残影が、妙に鮮明に脳裏へと焼き付いた。
一瞬の邂逅を経た先。そこには、戦闘の痕を染みのように刻んだ大地が広がっていた。
《……おいおい、こりゃまた…。》
《ウスティオの連中、相当に張り切っていたらしいな。俺たちの得物はもう無いやもしれん》
「すごい…。たった6機でここまで…」
思わず呟いた驚嘆の声が無線を揺らす。
道路を封鎖していた戦車は悉く砲塔を吹き飛ばされ、周囲に配置された対空砲や
《こちら空中管制機『デル・タウロ』。各機、予定地点にて空中警備を開始せよ。陸上部隊は定刻通り進行中、あと15分で先発隊が到着する予定である》
《アルコ隊、了解した。これよりエムス川周辺にて任務に就く》
《ニムロッド隊、こちらも了解だ。アーレ川上空へ向かう。各機、行くぞ》
後方で指揮を執る空中管制機の命令に従い、4機の『トーネードADV』が翼を翻して、向かって右方へと進路を変える。アンドリュー隊長の号令の下、MiG-27Mに率いられた4機もまたやや左方へ舵を取り、目指すアーレ川上空へと機体を進め始めた。
一口に171号線といっても、ベルカ軍が封鎖していたその範囲は広い。重要拠点を一度に押さえようとすれば、どうしても戦力を分散せざるを得なくなるのは必然であった。これまで共に出撃することも多かったエスクード隊がいればより広範囲をカバーできたのだが、あいにく彼らは先のオステア奪還戦で戦力を消耗しており、作戦行動は不可能な現状にある。畢竟、展開までの時間と戦力を考えれば、現在投入できるのはこの8機のみ、というのが、懐寒いサピンの現状であった。
広い道路の幅をそのまま川に乗せたような、アーレ橋上空に差しかかる。先のウスティオ軍機による戦闘の痕跡は、ここにも色濃く残っていた。対空火器は勿論のこと、ご丁寧に川に浮かぶ哨戒艇まで沈められている辺り、
《こりゃ凄ぇ。人っ子一人いないぜ》
「やっぱりさっきの部隊でしょうか…。相当な腕前ですね」
《気を緩めるな。この状況だ、敵も黙ってはいないだろう。対空・対地警戒を厳にせよ》
《了解でーす。…はぁ、護衛なんて詰まらない。》
地上に敵の姿は最早無く、気を緩ませかけた面々に隊長の叱咤が被せられる。決まり悪そうな詰まり声一つ、『了解です』と律儀に返したカルロスの様子は、至ってマイペースな応答を返すフィオンと対照的であった。
もっとも、旧式な電子装備しか持たないMiG-21bisや対地戦に特化したMiG-27Mでは、遠距離の航空機を捕捉することは極めて難しい。実際に接近する目標を探知するのは後方の空中管制機の仕事であり、こちらはその命に従って獲物を狩る猟犬としての役割が主である。地上目標やステルス機などはその限りではないものの、警戒と言っても当面は気楽なものであった。
申し訳程度に地上へ目を走らせながら、思考は小麦畑を追って自然と離れてゆく。そういえば、こうして小麦畑をじっくり眺めたのは初めてかもしれない。故郷レサスでは小麦を栽培する畑はそう多くなく、主食を担う米の栽培が主である。春は緑を揺らし、秋には稲穂の黄金色で染まる大地を想起すれば、頭は記憶を辿ってゆく。豆類や海産物をふんだんに使った食事。記憶の中にある父の笑顔。穏やかな家庭の姿。
記憶を辿るカルロスに、現実は突然に舞い降りた。
《方位280に機影6、高度1000で空域に侵入中。ニムロッド隊、迎撃せよ》
《ニムロッド1了解。おいでなすったな、行くぞ》
翼を広げたMiG-27Mが左方向へ旋回し、続くMiG-21bisが追従する。危うく遅れかけた機体を加速させながら、カルロスは頭を叩いて自らの油断を戒めた。そうだ、ここは戦場。のどかな麦畑に目を奪われている暇などない。気を抜けば、麦さながらに自らの命も刈り取られてしまう。
機銃、安全装置解除。赤外線誘導式の
《ニムロッド3、敵機視認!F-16タイプが4機、A-10が2機だ。畜生、いい機体使ってやがるぜ》
《ヘッドオンを避けて回り込む。各機、敵編隊の左を抜けて反転しろ。フィオン、カークスは俺とF-16の相手、カルロスはA-10を落とせ。道路や橋に到達させるな。》
「了解!」
異口同音に三者が通信を返すや、4機一団となって敵編隊の斜め上方を抜け、右旋回をかけて後方を狙う。こちらの意図を読み取ったF-16も呼応するように二手に分かれ、それぞれ左右方向斜め上に機体を旋回させるシャンデル機動でこちらへ鼻先を向けた。向かって右手側、相対角度が浅い方へはアンドリュー隊長機とカークス軍曹機が、左手側へはいち早く攻撃位置を確保したフィオン機がそれぞれ向かい、最後方のカルロス機は高度を下げて攻撃に備える。
低く鳴り響くミサイルアラート。頭上に満ちる噴射音と発砲音。敵機とすれ違う轟音と、一拍遅れた爆発音。コクピットの中をかき回す雑多な音を割くように、飛来したミサイルが頭上を掠めて飛び去ってゆく。
凌いだ。ふぅぅ、と荒い息を吐き出す最中、後方警戒ミラーには煙を吐いて落ち行く機影が映っていた。
《ニムロッド2、1キル》
《よし。各機、性能は敵の方が上だ。無理に格闘戦はするな》
うなりを上げるエンジン音を残し、戦闘空域が上空へと移ってゆく。時折鳴るロックオン警報にひやりとしつつも、カルロスは機体を滑らせ、蛇行機動を行うA-10『サンダーボルトⅡ』を射程に捉えた。二股に分かれた尾翼に、胴体後部両側面にエンジンを設けた極めて特異的なその機影は、しかし純粋な攻撃機として設計された関係上極めて機動が悪い。この距離なら、外すことは無い。敵機の旋回が緩んだその瞬間にぴたりと合ったタイミングでミサイルを放てたのは、ひとえに敵機の鈍い機動に救われた為だっただろう。
白い尾を曳くAAMがA-10へ直進し、炸裂炎とともに左翼を半ば近くから引きちぎる。脱落する破片をすんでのところで避けながら、カルロスは残る1機の姿を目で追い始めた。
だが。
「…っ!?こいつ、落ちない…!?くそっ!」
ミサイルは確かに当たり、主翼を破壊したはず。だが、眼前のA-10は煙を吐きながら、依然橋の方向向いて飛んでいた。低空を低速で飛行する攻撃機は堅牢な構造を持つのが常ではあるが、このA-10はその中でも並外れた強固さを誇る。話には聞いていたものの、それを実際に目の当たりにすれば、改めて舌を巻かずにはいられなかった。――『イボイノシシ』。その不細工なシルエットとしぶとさを表した愛称が、一瞬脳裏に去来した。
「…くそっ、当たれ、当たれぇぇ!!」
呆気にとられている暇は無い。依然空にあるA-10の機動は鈍く、カルロスはそれをガンレティクルに収めるや、間髪入れず機銃を撃ち込んだ。
曳光弾が尾を引いて吸い込まれる。当たっている。確かに23mm弾が当たっているが、それでも落ちない。
《ヴー》
こうしている間にも、橋との距離は縮まっている。
《ヴー》
早く落ちろ。
《ヴーーーー》
早く、早く。
《カルロス何してる、左に回れ!!》
「えっ?…うわっ!?」
不意に耳朶を叩く、カークス軍曹の声。反射的に操縦桿を倒したのと、直後に先ほどの位置をミサイルが抜けていったのは一瞬の間だった。耳の奥には、先ほどまで鳴り響いていた低い音がこびりついている。ロックオン警報。敵機を追うのに夢中で気づかなかったのか。
もし、カークス軍曹の警告が無かったら。一気に冷や汗を吹き出したカルロスの右上方を、F-16とカークス軍曹のMiG-21bisがすり抜けていく。今更に早鐘を打つ心臓が、どこか情けなかった。
「あ…ありがとうございます!」
《それより早くもう1機をやれ!もう橋まで距離が無い!!…チッ、こいつ!》
急旋回で逃れるF-16を、辛うじてカークス軍曹の機体が追う。その様を追う目の端には、先ほどのA-10が尾翼を失い降下していく姿も捉えられた。あと、1機。どこだ。
――いた。左下方、距離1600。その先には、既にアーレ川にかかる橋が見えている。最早猶予は無い。
焦る心を必死に抑えながら、カルロスは機体を加速させる。加速させすぎては敵機を追い越し、攻撃の機会を逸してしまう。慎重に、しかし急いで。
《方位255に新たに機影4、低空で接近中。アルコ隊、迎撃せよ》
《了解した。アルコ隊、続け》
無線が新たな敵の到来を告げるが、眼前を悠然と飛ぶ『イボイノシシ』はそれを意識する余裕を与えてはくれない。
後方に機影なし。しかし目の前に余裕なし。先ほどのように機銃で止めを刺す時間もおそらくは無い。
それなら。
ロックオン。電子音が鳴るとともに、カルロスの機体から二筋の鏃が放たれた。AAM、QAAMの名を持つそれらは、A-10を左右後方から挟むように直進し、突き刺さる。刻まれた爆発はその方向舵とエンジンを奪い、投弾姿勢を傾けながら橋手前の道路へと突っ込み、横転。余勢のままに機体は麦畑の中へ転がり落ち、緑の中に焔の花をぱっと咲かせた。
「こちらニムロッド4、A-10を撃墜しました!」
《よし、よくやった。各機参集。深追いはするな。》
《ちぇ。了解でーす。》
《ニムロッド3了解。ふー、なんとか凌げたか。》
機体を旋回させ、やや上方に位置する隊長機へ自機を寄せる。攻撃失敗を確認したのだろう、残ったF-16は戦闘を避け、元の方向へと撤退する所だった。あっという間にMiG-21bisのレーダー範囲外へと逃れた辺り、さすがに早い。いずれにせよ、これで輸送に不可欠な道路や橋を守り切ることができた。予定通りならば、友軍機甲部隊もじきに到着する頃だろう。
一仕事終えた安堵に、気を張り詰めさせていた空気が緩む。カルロスは浮いた冷や汗を拭い、炎の輪に沈む『イボイノシシ』の躯を、まるで大物を仕留めた狩人のような心地で見つめていた。
その空に、未だ死神の鎌が舞っているとも知らぬまま。