Ace Combat side story of ZERO - Skies of seamless -   作:びわ之樹

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番外編1(後) ‘Mobius’

 夏半ば、空は(たか)く抜け、太陽の熱が天地と人を狂ったように灼いている。

 

 昨日までの時化(しけ)が嘘のように晴れ渡った空は、高高度にぽつぽつと雲が浮かぶ他は視界を遮るもの一つなく、まさに夏の空を象徴するかのように青い。ホワイトバレー湾も黒く深い青色に染まり、さながら卸したての絨毯のように白波一つ立たない水面が、平穏な風の様を物語っていた。

 潮流の影響か、それとも沿岸に近づき風が出て来たのか。眼下にぽつりと浮かんだ小島の岸辺では、水面に白波が混じり、その岩肌を濡らしているのが見える。島の東側中ほどに口を開けている湾付近では特に潮の流れが強いのだろう、そこでは白波の爪が一際鋭く、所々渦を巻いていた。

 

 鏃のような鋭い紡錘形の島と、その脇に生じた丸い湾。見る人間が見れば、その湾がどこか不自然であることに気づくだろう。長年の風化と浸食で複雑に削られた島の輪郭とは対照的に、その湾の沿岸はまるでヤスリで研磨でもしたかのように、あるいは人為的に抉り取ったかのように、凹凸の少ない円そのものなのだ。

 自然に非ざる姿にも見える新円の湾だが、その実、これは人為的なものではない。

 由来は古いものではなく、遡ることわずか7年。小惑星1994XF04――世に言う『ユリシーズ』落下によって分散した破片が地球へと穿った傷の一つというのがその真相で、一躍有名となったノースポイント南方のアンダーソンクレーターと根を同一にするものである。もっとも、その規模はあちらが段違いに大きく、今眼下に認めるそれ――島の名を取りトールエッジクレーターと呼ばれるが――は、島の小ささも相まって、どうにも小ぶりな印象は否めなかった。

 

 空から突然に降り注ぎ、国境も街も引き裂いて、長きに渡る戦乱の源を作った一つの災害。神様の気紛れと言うには、それはあまりにも残酷な結末と言えるだろう。主翼の下を過ぎゆく、大地に刻まれたその大穴が、カルロスにはどこか禍々しいものに見えて仕方なかった。

 

《編隊長より展開中の各機へ。偵察情報によると、間もなくISAFの戦闘機部隊が戦域に入る。警戒隊形を解除し、戦闘隊形に移行せよ。技量が高いとはいえ、敵は極少数機だ。我らエルジアの正義を見せつけてやれ》

《紫1、了解》

《赤1、同じく。黒小隊、左翼へ移行する》

 

 先頭を行く編隊長の指示に従い、左右両翼のMiG-21bis『フィッシュベッドL』が左右両翼へと広がってゆく。残党の集まりとはいえ流石に元正規軍と言うべきか、各個や小隊間の統制は他国の空軍に勝るとも劣っていない。下手をすると、戦闘に慣れている筈の傭兵連の方が見劣りする始末である。

 4機編制のMiG-21bisで構成された『ニムロッド隊』の先頭で、カルロスは機体を右へと傾け、割り当てられた右翼中間へと編隊を移行させた。後方警戒ミラーの中では、列機の3機が次々と翼を翻すのが見て取れる。幾分時間を要したものの、隊形の変化に合わせて機位を調整する手並みを見れば、かつてのベルカ戦争の頃ほどとはいかないまでも、技量は十分な高さにあると言って良いだろう。猛訓練と実戦形式の指導を旨とする、アンドリュー隊長の流儀は今もニムロッド隊で生きている。

 

《…少佐。敵があの『リボン付き』という噂は本当でしょうか?》

《だとしても、恐れる必要は無い。いくらエースとはいえ、たった1機で何ができる。この大編隊の前には、最新鋭機でも意味を成すことはあるまい》

《編隊長の言う通りだ。調子に乗って油断した単機だ、自由エルジアの名を上げるのに丁度いい首じゃないか。何が『死神』、何が『リボン付き』だ。大袈裟な伝説も、今日で終わりだ》

 

 編隊長の言葉に頷くように、カルロスは左右へと展開した編隊を見渡す。

 編隊中央は、中核となるSu-37『ターミネーター』が4機と、そのすぐ傍らを飛ぶSu-37と『タイフーン』2機ずつの混成部隊。右翼側にはニムロッド隊を含む8機のMiG-21bisが、左翼側にも同様の編制となる8機が配置されており、総数は実に24機に達する計算になる。真正面から、それもわずかな機数で迫っているという敵部隊に対するなら、あまりにも過剰な態勢と言って良い。

 

 だが、この過剰さの裏に、カルロスは旧エルジア連中の怯えのようなものを嗅ぎ取っていた。

 振り返れば、順調だった蜂起までとは裏腹に、近日の戦況はけして良くはない。軍艦島へ合流すべく飛行していたエルジア残党が全滅させられたことに始まり、防衛ラインとして砂丘地帯に設けられた対空陣地の失陥、そして物資を運んでいた輸送艦隊の壊滅。立て続けにもたらされる損害報告は、戦力増強を図る自由エルジアにとって看過できないほど甚大なものであり、彼らの顔色を失わせるのに十分なものだったと言えるだろう。これらの被害の主因となったISAFの討伐部隊が、たった1機の戦闘機で構成されているというのもその衝撃に拍車をかけていた。

 

 しかし、どうも旧エルジア残党連の話を漏れ聞く限りでは、『怯え』の要因はそれだけではないらしい。

 事前の偵察情報、諜報、そして先の戦闘で壊滅した部隊の生き残りの話を総合すると、件の1機はかつての大陸戦争でエルジアが敗戦へと追い込まれる引き金となったとさえ言われる、ISAFを代表するエースなのだという。たった一人のパイロットが戦況どころか大局を左右するとはおおよそ信じられない話だが、少なくとも旧エルジアの連中はそう信じている者も少なくない。

 エルジアが誇る機動部隊『エイギル艦隊』の壊滅、ベルカの『エキスキャリバー』を彷彿とさせる超兵器『ストーンヘンジ』の破壊、エルジアが誇るエース部隊『黄色中隊』との死闘、そして戦争の終結を決定づけた首都ファーバンティの制圧戦。その全てに関わり中核的役割を果たしたという噂が本当だとしたら、これほどまでにエルジア軍人から恐れられるというのも道理だった。おそらく、自分がかつて『円卓の鬼神』に感じた感覚を、エルジア軍人は『リボン付き』とやらに抱いているのだろう。地べたに這いつくばるように日々を生きるのに懸命となる只の兵たちにとって、人智を越えた技量を持つエースの存在は、まさに畏怖の対象たりうる。

 

《『リボン付き』か…楽しみだなぁ》

 

 興奮と恐怖の狭間にある一同の中に混じった、空気を読まない独白は間違いなくフィオンのものだった。塗装では判別できないが、位置は確か中央の8機のうち、『タイフーン』と混成になっているSu-37の片割れの筈だ。

 

 変わらないな。

 Su-37に目を向けたカルロスの口元に、思わず苦笑が零れる。

 かつてのベルカ戦争の頃から、フィオンはより強い敵と戦うことを生き甲斐にしていた男である。『ゲルプ隊』、『ズィルバー隊』というベルカ屈指のエース部隊との戦いに率先して向かっていったのもそう、そして後に『国境無き世界』へと流れ、連合国の数多のパイロットと戦う道を選んだのもそう。一見取り留めも無い身の振りと、その根底に揺蕩う戦いの精神は、10年以上を経た今となっても何一つ変わっていない。三つ子の魂百までとは、本当によく言ったものである。

 

 カルロスの脳裏に過った、かつての記憶。それは、静寂を引き裂く通信の声に断ち切られた。

 

《正面に機影1、ISAFの識別信号。機種、F-22と推定》

《どうも武装を満載して、ステルスがまともに効いてないな。舐めやがって…!》

 

 敵機発見の報に、さっと緊張が走る。

 安全装置解除、レーダーサイト確認。『フィッシュベッドL』の貧弱なレーダー装備ではまた敵の姿を確かめることはできないが、最新鋭機たる編隊長らのSu-37では目標を捉えたらしい。F-22『ラプター』は比類ないステルス能力を持っているため、本来視界外での捕捉は困難な筈である。それがあっさり捉えられた所を考えるに、先述の通り翼下にも武装を積み、ステルス性能を犠牲に攻撃力を増強しているのだろう。たとえステルス機とはいえ、本来武装を搭載するウェポンベイの外部にミサイル等を積めば、当然電波を反射する分探知されやすくなる道理である。

 

《視界外の優位を活かし、先制攻撃を仕掛ける。第1、第2小隊、高機能長距離空対空ミサイル(XLAA)用意》

《えー、『リボン付き』にはどうせ当たらないのに。僕無駄弾撃ちたくないなー》

《無駄口を叩くな、フィオン少尉。――各機、FOX3》

 

 中央を飛ぶ8機の翼下に点火の火が灯り、機体から投げ出されたミサイルが見る見る加速して彼方へと向かっていく。各機1発ずつ、間を置いてもう1発。時間差を挟んで、実に16発ものミサイルが単一目標へと殺到する計算になる。並のパイロットでは回避すら叶わず、瞬く間に空の塵と消えることは必定だろう。殊に、ミサイル自身が目標を探知し誘導するXLAAならばなおの事、回避は至難と言わざるを得ない。

 

 だが。やはりと言うべきか、彼方の空には爆炎一つ見て取ることはできない。ミサイルが到達したであろう時刻となっても、抜けるような空は変わらず青いまま。ようやく反応を示した『フィッシュベッド』のレーダーサイトには、目標の生存を告げる光点が一つ、なおも接近する様を映し出していた。

 

《…一筋縄ではいかんか》

《ほらー、16発も無駄にした》

《黙れ、少尉》

 

 敵もこちらを捉えたのだろう、レーダー波照射警報がコクピットに満ちる。彼方の空に黒い点が見え、それが徐々に大きくなり、主翼と尾翼を僅かに認められる距離となっても、その響きはロックオン警報に変わらない。

 まさか、積載量を稼ぐため、中距離以遠用の空対空ミサイルを積んでいない?

 カルロスと同様の想像を、編隊長も抱いたらしい。続く下命は、機数と兵装の利を生かした常道とも言うべき攻撃だった。

 

《いいだろう、あくまで正面から来るなら、蜂の巣にしてくれる。各機、合図とともに空対空ミサイル(AAM)一斉発射。回避の隙間を無くし、リボン付きを仕留めるぞ。勝手に撃つな、必中の距離まで引き付ける》

 

 編隊長の声がどこか早口に聞こえたのは、伝説と評されるエースを前にした逸りと焦りによるものなのだろう。無理もない。エースを前にした時に抱く恐怖や緊張、焦燥感は、いくつもの戦場に立ってきた自分もよく理解している。

 だが、もし読み通り敵が短距離用AAMしか積んでいないというのなら、真正面からかかるこの戦術が最も効果的に違いないのもまた事実である。射程距離が五分ならば、あとは単純な火力差が物を言うことになる。下手に側面や後方に戦力を分散して正面火力を低下させるよりは、正面に火力を一点集中させた方が確実性も高まるという判断だ。いくら運動性に優れる『ラプター』とはいえ、真正面から放たれる24機分のミサイルから逃れるのは殆ど不可能と言って良い。

 

 真正面の黒い影が大きくなる。

 外側に傾斜した2枚の尾翼、菱形に近いエイのような主翼形状は、確かにF-22『ラプター』。

 機銃、AAM、安全装置解除。火器管制を戦闘モードに切り替える。

 距離、目測2000。まだ遠い。

 敵針、依然変わらず。

 文字通り真正面。

 距離1600。

 引き金に指をかける。

 目が一挙手を追う。

 周囲が唾と息を呑む気配が伝わる。

 距離、1200――。

 

「――っ!?」

 

 瞬間、引き金にかけた指がびくんと引きつった。

 正面の『ラプター』が僅かに機首を向けた――ただそれだけの挙動に体が反応したのか、それとも兵士としての勘が名状しがたい何かを感じ取ったのか。まるで猛禽の眼光に見据えられたかのように、カルロスは不意に『見られた』ような感覚を、そして言い表せない寒気を覚えたのだ。

 この感覚は、覚えがある。

 かつてのベルカ戦争で幾度となくあった生死の境目の時。迫る敵機に捉えられ、眼光が命に刺さる際となった、その末期の時。そう、この感覚は、いわば――。

 

《各機、射撃開…》

「…駄目だ、相対回避(ブレイク)!!」

《曹長!?》

 

 殺気。

 脳裏でその言葉が像を結ぶ前に、カルロスは操縦桿を引いて機体を急上昇させた。

 冷静な判断の伴わない、咄嗟の反射行動。それが、一瞬の生死を分けた。

 

 眼下で、エルジア編隊が射程内に達するより一歩早く、『ラプター』が4発のミサイルを放ったのだ。

 先頭の4機、すなわち編隊長を含むSu-37に命中したそれらは、一瞬後に爆発。その黒煙を隠れ蓑に。『ラプター』は距離500に満たない至近距離からさらにミサイル2発と機銃を発射。黒い機影がエルジア編隊を突き抜ける頃には、新たにSu-37と『タイフーン』、MiG-21bis各1機がスクラップとなり墜ちていく所だった。

 

 おそらく、敵機は高機能中距離空対空ミサイル(XMAA)を搭載していたのだろう。序盤でXLAAを使い果たしたこちらの状況を読み、射程外攻撃の利を敢えて捨てて接近。同時に4目標を攻撃可能なXMAAをこちらの射程外ギリギリの位置で放ち、生じた隙を短距離AAMと機銃で突いたのだ。機体性能と積載量の優位があったとはいえ、一航過で7機を撃墜して見せたその手腕は、これまで見てきたどのエースよりも凄まじい。

 

 死神の大鎌を紙一重で躱した、一瞬の差。

 大鎌を振り下ろされた眼下を目にして、カルロスは思わず戦慄を覚えた。

 見てしまったのだ。編隊構成のまま墜ちてゆくSu-37を。1対24という絶対的不利を、傷一つ無く抜けた敵の姿を。そして何より、その尾翼に刻まれた『リボンのエンブレム』を。

 

《そ…曹長!何で今のが…!?》

「……勘だ。あのままの編成で飛んでたら、間違いなく2機は落とされてた。…小隊、ダイヤモンド隊形!奴を追うぞ!」

 

 戦慄は、一瞬後に恐怖となって現実感を帯びる。

 どこか震えが混じった僚機の声に歯を食いしばるように応えながら、カルロスは操縦桿を倒し、同時にフットペダルを踏んで、背を向ける『リボン付き』を追撃にかかった。

 なるほど『ラプター』の能力は確かに凄まじい。殊に、アフターバーナーを用いない巡航状態で音速を越えられるほどの出力は他の機体には見られないものである。しかし、加速性能に優れた『フィッシュベッド』ならば、アフターバーナーを活かせばその背を追うことは不可能ではない。運動性では確かに及ばないが、奴が攻撃にかかるその隙を複数機で埋めれば、フォローはどうとでもなる勘定である。アフターバーナーを使われれば到底その背を追うことはままならないが、空戦と帰路で消費する燃料を考えると、『リボン付き』もおいそれとアフターバーナーを使うことはできないに違いない。

 

 しかし初撃で隊長機を落とされた以上、エルジア編隊が統制を保って攻撃に移れるかどうかは不安も残る。案の定と言うべきか、生き残ったエルジア編隊の中では早くも通信が錯綜していた。

 

《しょ、少佐が落とされた!残存機、誰が残っている!?指示を!》

《紫1もやられた…!畜生、リボン付きめ!》

《落ち着け!こちら赤1、指揮を引き継ぐ!とにかく奴を追え、逃げ道を塞いで仕留めろ!紫4、お前の『タイフーン』が頼りだ。奴の鼻先を押さえろ!》

《やれやれ…。最初から僕に任せておけばいいのに》

 

 依然まとまりを欠いた編隊から抜け出たSu-37は、声を聴くまでもなくフィオンのものと伺い知れた。瞬く間にこちらを追い抜いたフィオンは、機首を上げて高度を稼ぐ『リボン付き』を目がけて徐々に距離を詰めていく。カルロスの後方では、どうにか統制を取り戻したらしいエルジア編隊が続々と続き、逃げる『ラプター』の背を追い始めていた。『タイフーン』1機は『リボン付き』の進路に回り込むべく編隊を離れて大きく弧を描き、MiG-21bisのうち3機は敵機の予測針路を目がけて直進している。つまりは元の24機から撃墜分7機、別行動4機を抜いて差し引き13機が『リボン付き』の背を追っている勘定になる訳である。

 

 高度計の数値が見る見る上昇し、翼が薄雲を割いて昇ってゆく。到底逃げおおせられないと判断したのか、カルロスらの目の前で、『リボン付き』は機首を翻し、宙返りの前兆を示した。先頭を行くフィオンとの距離、おおよそ1400。宙返りに入れば当然速度は鈍り、機動も読みやすくなる。運動性に勝るSu-37ならば、その背を突くことは訳はない。

 

 宙返りの進路を突くべく、操縦桿を引いて予測針路へと機首を向ける。

 『リボン付き』、減速。機首を返し、そのマンタのような機影を眼前に晒す。

 だが。

 

《…!?何だ!?》

 

 機体が、静止している。

 宙返りに入るでもなく、『ラプター』はまるでエイが回遊するかのように、ふわりと宙を舞ったまま止まったのだ。その尾――エンジン尾部に設けられた推力偏向ノズルが蠢き、そこに火が灯るも一瞬。その機首がくるりと下を向き、迫るエルジア編隊へと相対したのは一瞬だった。

 

「っ!?上昇中の『クルビット』…!?」

《やーるぅ…!》

「……!くそ、ニムロッド各機、正面から逃げろ!!」

 

 クルビット機動――すなわち、失速状態で機首を上げると同時にエンジン出力を高め、ほとんど高度や機位を変えずにその場で宙返りする戦闘機動。失速機動性に優れるSu-27『フランカー』タイプや、『ラプター』のような推力偏向機構を持った機体でのみ可能な曲技的な空戦機動だが、お目にかかったのはこれが初めてだった。まして、上昇中で揚力も推力も低下し不安定な状態からクルビット機動に入るなど、聞いたことも無い。かつてベルカ戦争で『ゲルプ』やアルベルト大尉のコブラ機動は見たことがあったが、二人をしてこれほどの機動ができたか、どうか。

 

 もはや汗を拭う間もなく、カルロスは機首を先の進路へと戻した。まだ後続の僚機は回避進路に入っておらず、幾らかでも敵の針路を逸らさなければ火線上に入ってしまう。機銃を馳せたフィオンが『リボン付き』とすれ違い、眼前を通過するタイミングを見計らって、カルロスは機銃の引き金を引いた。

 空を削る曳光弾は、しかしわずかに機首を下げた『リボン付き』の動きに易々と躱される。こちらの機首の方向から射線を読んだ――そうとしか思えない機動でこちらの攻撃を回避した『リボン付き』は、追い縋っていたエルジア編隊を再び真正面から突破。すれ違いざまに放たれたミサイルと機銃で、新たに爆炎が3つ、虚空に爆ぜた。

 

《ぐあぁぁぁっ!!こ、こちらニムロッド4!機体大破!》

「ニムロッド4、機体はいい、脱出しろ!」

《また3機…!なんて奴だ》

 

 嘲笑う、ともまた違う。まるでこちらを歯牙にもかけない戦いぶりに、カルロスは思わず舌を巻いた。ニムロッド4の脱出を確認し機体を反転させる最中にも、『リボン付き』は編隊を抜けた後、横旋回に入った『タイフーン』の方へと急旋回。巴戦に入り、その尻を掴まんと挑みかけていた。カナード翼を持ち運動性に優れる『タイフーン』とはいえ、『ラプター』相手では分が悪いと言わざるを得ない。

 

《こ、こちら紫4!助けてくれ、後ろにつかれた!》

《こちら赤1、待っていろ、今行く!ニムロッド隊続け!》

「了解!」

《バッカじゃない、また尻追いかけて同じ目に遭う積り?》

「…フィオン!?」

《そんなんだから『リボン付き』にいいように遊ばれるんだよ。ま、僕は好きにやるんでー》

「あいつめ…」

《いつものことだ、放っておけ》

 

 代理指揮官となった赤1の命令に、フィオンらしい空気を気にしない物言いが被せられる。口にした当のフィオン機はといえば、まるで気を変えた猫のようにぷい、と踵を返し、1機編隊から離れて下方への緩降下に移りつつある所だった。

 ああなっては、もはや何を言っても聞いてはくれまい。溜息一つ、カルロスは先行した赤1ら6機の『フィッシュベッド』に続き、編隊を連れて後方へと陣取った。別方位から回り込んでいた3機も合流し、こちらの後方に続いている。一方の『リボン付き』は、こちらから見てやや下方。背中に回ったこちらが猛追するのを気にする素振りもなく、横の巴戦から『タイフーン』の後ろを取り、刻み付けるような曳光弾でその胴体を引き裂く所だった。

 

《よくも…!逃がすな、頭を押さえろ!海面に追い込むんだ!》

 

 友軍を失った怒りか、最大速度を出した6機の『フィッシュベッド』が『リボン付き』の背に迫ってゆく。加速性能を活かして『ラプター』を射界に捉えた6機は、あるいは機銃、あるいはAAMを以て、その進路を封じにかかった。わずかでも機首を上げる素振りを見せれば偏差射撃を撃ち込み、徐々にその高度を落としてゆく。言動に違わないその手腕は、流石は元エルジア正規軍と思わせるものがあった。たまらず『ラプター』は、右へ左へと機動に旋回を織り交ぜ始めている。

 

 『勝てるかもしれない』。

 一抹でもそう思ったことを自分の、そして赤1の油断と見なすならば、それは確かに油断だったといえよう。

 

《いいぞ!機動が鈍って来た、もう一息…》

 

 赤1の声が紡がれたその時が、死神の大鎌が振られた瞬間だった。

 鈍った機動から一転、右へと急旋回した『ラプター』は、その背を追うべく急旋回に入った6機の前で左旋回に入ると同時に急減速。旋回半径がF-22より大きいMiG-21bisではその動きに追随できず、一瞬で後方を取られる結果となったのだ。

 至近とも言うべき距離で放たれるは、胴体下から2発、翼下から2発のミサイル、そして主翼付け根の20㎜機関砲。呆気なく背を取られたMiG-21bisに成す術は無く、6機は瞬く間に炎に包まれ、舞い落ちながら爆散して果てた。

 まるで8の字――否、メビウスの輪を描くような近距離極小半径旋回機動。機体性能、パイロットの技量、いずれも欠ければ成し得ないであろう機動の数々は、もはや人間技とは思えない。話に聞く『ガルム』の手腕に、勝るとも劣らないその技量。あんなパイロットが、この世に存在するというのか。

 操縦桿を握る力が、意図せずして強まる。恐怖か、絶望か、それとも言い表せぬ屈辱感か。全てが混然となった感情の中、眼前の『リボン付き』は再び機首を上げ、同時に速度を落とし始めていた。

 先ほどと同じ、あの挙動は。

 

「…クルビットか!性懲りもなく…!!」

《赤1が!…6機が一瞬で……!》

「落ち着け!後方のエルジア機、またクルビットが来る。機動が鈍った隙を6機で突くぞ!」

 

 指揮官を失い混乱するエルジア編隊を尻目に、カルロスは意を決して命令を下す。クルビットに入るべく減速するF-22を()、その性能を反芻し、そしてこれまでの戦況を思い返して、ふと思い当ることがあったのだ。

 最初の会敵の時点で、『リボン付き』はステルス機にも関わらずレーダーに探知されていた。すなわち、翼下ハードポイントも使用した最大搭載量で出撃してきたことになる。カルロスが把握している最新の公開データによると、F-22が搭載できる最大搭載量は、胴体下部ウェポンベイにXMAAが6基、左右側面ウェポンベイにAAMが2基、そして左右の主翼それぞれに増槽とAAM2基。すなわち、合計12発のミサイルを搭載している計算になる。

 一方で、今まで奴が使ったのは、最初の接敵で6発、次の『クルビット』の際に2発、そして先程赤1を落とした際に4発。合計12発となり、搭載している最大数のミサイルを全て使い果たしていることになる。つまり、これからクルビット機動で相対しても、その正面からミサイルを受けることは無い。

 

 確かに奴の機動は脅威である。だが、クルビットの際はその特性上上下方向の方向転換が主となるため、左右への咄嗟の回避は極めて困難な筈だ。では、こちらを向いた瞬間の銃撃を自分が引き受け、その隙を残り5機が一斉に突けばどうなるか。

 他に、無い。千載一遇の好機に、カルロスは敵を凝視し、歯を食いしばった。

 

 『リボン付き』が垂直に機首をもたげる。

 距離が迫る。

 照準器の中央に広がった主翼が捉えられる。

 胴体色は灰。今更ながら、やや青色を帯びているのが見て取れる。

 鏃を連ねたISAFの紋章が、青いリボンが目に入る。

 機体は依然垂直。左右に揺らぐ素振りすらない。

 距離が1000を割る。

 再び瞳を照準に戻す。

 

 刹那。

 

《……消え、た…!?》

 

 大きなその姿が、不意に視界から掻き消えた。

 あれだけの巨体を瞬時に上昇させるには、当然推力が足りる筈も無い。あまつさえ、『リボン付き』はクルビットにまだ入らず、垂直を向いたままだったのだ。そう、クルビットに至らぬその前段。機体をもたげたままのその姿勢は、まるで――。

 

「……!しまった…!下だ、散開(ブレイク)!」

 

 コブラ機動。

 敵が敢えてその姿勢を崩さなかった理由、そして脳裏に浮かんだその名と記憶に思い当り、カルロスは反射的に叫んでいた。

 

 だが、全ては遅きに失していた。

 『リボン付き』は垂直を向くコブラ機動のまま推力を落とし、わざと失速。上を向いたままこちらの下方へ位置を落とし、その真上を通過するエルジア編隊目がけて機銃掃射を浴びせたのだ。

 かつてベルカ戦争で(まみ)えたYaK-141やアルベルト大尉が用いていた空戦機動。クルビットを恐れるあまりそれに思い至らなかったツケは、黒煙に包まれる『フィッシュベッド』2機という形で現れる結果となった。

 

《馬鹿な…!?ニムロッド3被弾、脱出する!》

《嘘だ…こんな…。まだ3分も経っていないんだぞ。…24機もいたんだぞ!それが、こんな…!!》

「…く…!散開、散開だ!…こうなっては…!」

 

 残存機、5機。油断と、僅かな読み違いと、そして圧倒的な戦力差が招いた結果が今の姿だった。もはや統制も、戦意さえも失ったエルジア編隊になす術は無く、推力を取り戻し下方から迫った『リボン付き』によって、エルジアの2機がさらに炎の中に消えてゆく。その機首が鋭角を取ってこちらへと向いた時、カルロスは最早肚を決めた。こいつはこちらを逃がす気は無い。あの『円卓の鬼神』のように、全てを落とし尽くす積りだ。

 ――ならば。

 

「ニムロッド2、一か八かだ。サッチ・ウィーブで仕掛ける」

《このままじゃ逃げきれないでしょうしね…了解!》

 

 サッチ・ウィーブ――すなわち2機一組となる囮戦術。些か古典的な戦術ではあるが、ミサイルを使い果たした敵相手ならば可能性は無い訳では無い。こちらへ迫る『リボン付き』に敢えて背を向け、カルロスは僚機と距離を離しながら逃げの一手を打った。

 『リボン付き』の目標は――こちら。後方警戒ミラーの中でその機影が徐々に大きくなり、迫りくるその速度を物語る。カルロスは適当な所で機体を右旋回させ、同時にやや速度を速めた。背を追うF-22の後方で、ニムロッド2が入れ違うように左へと旋回していく。

 機銃弾が殺到し始める。恐ろしい程正確な射撃で、20㎜弾は『フィッシュベッド』の機体に幾つも弾痕を刻んでゆく。

 だが、まだ。次の旋回までは。

 速度が落ちる。

 機体が煙を噴き始める。

 被弾、警報。機体が悲鳴を上げ始める。

 『リボン付き』の死角に、ニムロッド2の機影が奔る。

 

《そこだぁぁぁ!!》

 

 回り込んだ側方から『リボン付き』へと放たれた23㎜弾は、しかし咄嗟に急減速した『ラプター』に躱される。その眼前を通過することになったニムロッド2へ放たれた機銃弾は、正確に黒い翼端を吹き飛ばし、一瞬でその戦闘能力を奪い去っていった。

 

《…駄目、か…!ニムロッド2脱出(イジェクト)!》

「…もはや、万策尽きた、か…。」

 

 満身創痍となった機体に背を預け、カルロスは茫然とした目で空を見やった。

 もはや死に体のこの機体では、今更抵抗一つできる筈も無い。雇われただけの仕事を成し得なかったのは残念だが、自由エルジアには縁も義理も無いというのに、ここで死ぬのは馬鹿げている。敗北の痛みは、今は甘受して後に生かせばいい。

 最後の土産にミラーの中の『ラプター』を確かめ、カルロスは脱出レバーに手をかけた。

 

 その瞬間だった。カルロスの正面に、ぽつりと小さな機影が見えたのは。

 2枚の垂直尾翼と、翼端を切った三角翼。すらりと伸びた機首と、その左右に張ったカナード翼。

 あの、機影は。

 

《そぉぉぉこぉぉぉ……》

「フィオン!?」

《だぁぁぁぁ!!》

「――あ、のバカ…ッ!」

 

 真正面から迫るその機影は、明らかに最高速度と分かる速さでこちらを指している。

 かつて自分とニコラスが、『グラオガイスト』に対し使った囮戦術。脳裏に浮かんだ記憶と重ね合わせ、カルロスは機体に鞭打って左へと『フィッシュベッド』を急旋回させた。

 こちらを掠めるように、ミサイルと機銃弾が殺到する。

 視界を黒煙で妨げられた『リボン付き』が、咄嗟のロールでミサイルを回避する。

 馳せ違う、2機。

 翼が重なるその瞬間に、『リボン付き』の主翼に被弾の火花が爆ぜるのを、カルロスは確かに目に焼き付けた。

 

《ちぇっ、おっしーい》

「バカ、俺まで殺す気か!…いや、それより。俺の機体はまだミサイルが使える。この高度域で、何とか隙を作り出せるか?」

《え?》

 

 バランスを失い、辛うじて平衡を保つ機体の中で、カルロスはフィオンへと通信を投げかけた。

 黒煙に包まれたこの状態では、『リボン付き』はもはやこちらを脅威とは見なしていないだろう。必ずや、残る獲物はフィオンただ一人と判断している筈。その思考の隙を突き、何とかミサイルの有効射程内に収めることができれば、撃墜の可能性はありえる。もし攻撃を外しても、フィオンならば回避に生じた隙を突くことはできるに違いない。

 

「奴はもう俺を敵とは見なしていない。不意打ちで隙を作れば、確実に落とすことが…」

《あー、もう!黙ってよカルロス!》

「何…!?」

《ベルカ戦争からこのかた、一度も満足できる空戦なんて無かった。敵はザコばっかり、強いのと戦えると思ったら邪魔な味方が山ほど…。そんな戦いはもうたくさんだ。僕は、自分の力だけで強い奴と戦いたい!金を稼ぐとか、誇りや信念の為とか…そんなんじゃない。僕は求めるのは満足できる戦い、ただそれだけなんだよ!!》

「…!この…!!」

 

 手を振り払うかのように、これまでにない激しい言葉がカルロスの耳を打つ。興奮、怒り、そして充足感。これほどに感情の詰まったフィオンの言葉を、カルロスは聞いたことが無かった。

 まるでその意志を体現するかのように、空戦域を上空に移した2機が、螺旋を描くように飛行機雲を絡め始める。8の字を描く旋回、クルビット、シザー、バレルロール。互いの技術の粋を使い、2機はその機体と命を削り合ってゆく。黒煙を吐くカルロスの『フィッシュベッド』は徐々に高度を落とし、もはや2機の傍らに近づくことすら不可能になっていた。

 

 空を見上げるカルロスの上で、馳せ違う2機が舞う空は、徐々に手の届かない所まで離れてゆく。

 

《ここだ…!強敵と、僕しかいない空。果てしなく戦い続けられる、無限の空!僕はずっと、この空が飛びたかった!!》

「――この…馬鹿野郎!!」

 

 確実な勝利や生存よりも、命一個の戦いを。

 最後に迸った歓喜の咆哮を鼓膜に残し、カルロスは脱出レバーを引いて空へと舞った。

 

 穏やかな風。凪ぎ鎮まった海。螺旋を描いて堕ち行く黒い翼端の機体。いくつもの死を刻んだ空とは思えないほど、落下傘が揺れる空は穏やかである。

 空の上で馳せた飛行機雲が、カルロスの頭上でまた一つ、メビウスの輪を描いていた。

 

******

 

 ――夜。

 火もとっぷり暮れた闇に、焚き火の炎が揺らめく島端。

 ホワイトバレー湾に点在する小島の一つに、カルロスの姿はあった。

 夜ともなれば、遠方の明かりは見渡すに易い。遠い島のそこここに焚き火が見えるのは、おそらく生き残った自由エルジアの面々なのだろう。ニムロッドの生き残りも、それらの下にいるに違いない。

 

 カルロスは一人、燃え立つ炎の中に薪をくべた。

 一際強くなる照り返しに映えるは、浅黒いカルロスの顔。そして傍らに漂着した、航空機のものと思しき残骸。一般人には判然としないだろうが、カルロスには迷彩の塗装跡と鋭角の造形からSu-37『ターミネーター』のカナード翼だと判別がついた。辛うじて形状は保っているものの、高熱で焼け焦げた表面は黒く煤けてしまっている。

 

「……お前の生き方はエースの、戦士のものだ。悪いが、俺には多分、一生理解できないだろうと思う」

 

 太陽に灼かれ、炎に焼かれ、戦士の魂に灼かれて黒く焦げた翼。潮に曝され砂へと打ち上げられたそれへと、カルロスは呟くように語りかけた。

 

「…だけど。俺は忘れない。お前と、お前が求めた空のことは」

 

 誰言うともない男の声は、波にさらわれ消えてゆく。

 穏やかな炎の照り返しの中、命の色を焼きつけた翼は、黙して何も語らなかった。

 


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