Ace Combat side story of ZERO - Skies of seamless -   作:びわ之樹

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 『メビウスの輪』という図形がある。
 一見すると輪が捻じれたような、8の字やリボンにも見える奇妙な図形だ。
不思議なことに、この図形には表と裏の区別が無い。ある1点から表面沿いに線を引いて行くと、それはやがて裏側へと周り、一周して元の位置まで戻って来るのだ。線を辿っても終わることのないその様から、『メビウスの輪』はやがて『無限』の意味をも持ち合わせるようになった。

 世の理、人々の策謀。そんな表も裏も無く、ただただ無限の高みを望んで戦う男たち。
 海を渡ったこの地で、俺は期せずして、そんな二人の男と出会う事となった。

 忘れもしない。その年の夏は空虚な程に乾き、暑さだけが地を灼いていた――。



番外編1(前) 自由なるエルジアの風

 灼けたアスファルトから陽炎が立ち上り、タッチダウン・ラインが滲んだように歪んでいる。

 

 速度130、120。進入角、高度ともに適正。

 先代MiG-27M『フロッガーJ』と異なり、切り欠きデルタ翼のMiG-21bis『フィッシュベッドL』では低速時の安定が取り辛いため、着陸速度は勢い速くなる。それだけにタッチダウン位置の誤りは時として致命的にもなり、最悪制動距離が足りず滑走路をはみ出る事態にもなりかねない。

 陽炎に揺らめく、着陸位置を示す線。その正確な位置を見定め操縦桿を僅かに下ろすと、どん、という接地の衝撃が主脚越しに体を跳ね上げた。

 

 甲高いブレーキ音が響く。速度計がぐんぐん数字を下げ、キャノピーの外を流れる景色が徐々に速さを落としてゆく。

 ブレーキ一時解除、方向舵調整。慣性を利用した制動で、『フィッシュベッド』の小柄な機体は滑走路脇の駐機スペースに斜めに収まり、きゅ、と音を立てて静止した。

 

 酸素マスクを外し、キャノピーを開けると同時に、乾燥した熱い空気がコクピットへ、肺へと殺到する。横目では小隊の列機が順次着陸し、減速して制動に入る所だった。本拠オーシアにおける訓練の賜物か、翼端を黒く染めたMiG-21bisの動きは悪くない。オーバーホール前の機体ゆえの不安もあったが、この様子なら杞憂に終わりそうだった。

 

「思いの外暑いな、ここは」

 

 機体から地上へと降り、男は太陽を仰ぎながら一人ごちた。太陽の直射に加え滑走路からの照り返しは思った以上に強烈で、男の褐色の肌や至る所に刻まれた古傷からも、瞬く間に汗が滲み出ている。

 こちらの着陸を見届けたのだろう、道具類を持った整備兵が、三々五々集まって来る。その中に一人、場違いな程に軍服を隙なく着付けた軍人の姿が混じっているのを見つけ、男は緩めた襟元を正した。姿から察するに、おそらく今回の『雇用主』だろう。

 

「レオナルド&ルーカス安全保障会社より派遣されました、『ニムロッド隊』指揮官のカルロス・グロバール曹長相当官です。小隊4名、世話になります」

「要請への迅速な対応、感謝する。私は自由エルジア空軍の指揮を担っている、ユリアン・フェルンバッハという。どうか宜しくお願いする」

 

 男――カルロス・グロバールの敬礼に、ユリアンと名乗った軍服の男は、ぴしりと音がするような答礼を見せた。階級章は中佐、年のころはまだ20代後半という所か。年齢の割に高い階級とその肩書からするに、元々エルジア空軍の中でもエリートだったのだろう。整った顔立ちと、乱れなく整えた金髪がいかにもといった雰囲気を醸し出している。空軍指揮官ということもあってか、周囲の兵たちが向ける視線にも畏敬がこもっているように感じられた。

 

「早速ですが、状況の確認を行いたい。我々の配置と任務はどのようになりますか?」

「はは、流石は戦闘のプロたる傭兵、頼もしいな。今日は着任直後で身辺が慌ただしくもなるだろう。今日はゆっくり休んで、明日の全体でのミーティングに出て貰えればいい。配置はその際に通達することになるだろう」

「はあ…」

「案ずるな、我々の蜂起によって旧エルジア軍も続々と集結しており、ISAFの連中は手も足も出せない状況にある。それにこちらとしても、予想以上に兵力が集まっていることもあり、戦力配置の見直しを行っている所だ。取り急ぎの状況伝達は後ほど担当士官を遣るが、本格的な従事は明日からと考えていて欲しい」

「そういうことでしたら…。了解しました」

 

 見通しが甘い――そんな気がしないでも無かったが、予想以上に戦力が集結しているという点では、指揮体制も幾分混乱しているのだろう。その点止むを得ない点もあり、カルロスはそれ以上の進言を控えた。

 予想以上の戦力集結。それは(ひとえ)に、ここユージア大陸で交わされた戦争の傷跡が色濃く、各地に火種がくすぶり続けていることを意味していた。それほどまでに、その戦争は過去にも増して大規模であり、根も深かったといえる。この点、少々説明を要するだろう。

 

 遡ること3年――すなわち2003年夏。ユージア大陸における大国の一つであったエルジア共和国は、中立国サンサルバシオンへ侵攻を開始。これを皮切りにエルジアは周辺諸国へと侵攻を続け、以降2年以上に渡りユージア大陸全土が戦火に包まれたのだ。

 隕石迎撃用地対空レールガン『ストーンヘンジ』、そして隕石破壊用ミサイルを備えた巨大要塞『メガリス』。これらの超兵器に加え質量ともに優れた軍を擁したエルジア軍だったが、戦線拡大と2年に渡る戦乱による国力の疲弊からISAF(独立国家連合軍)の攻勢を支えきれなくなり、徐々に前線は瓦解。エルジア政府は2005年夏の首都ファーバンティ陥落を以て降伏し、後に大陸戦争と呼ばれる一連の戦闘は集結を迎えることとなった。

 

 しかし、争乱は戦争終結後もなお収まりを見せなかった。

 そもそもエルジアが周辺諸国へと侵攻を開始した原因を辿れば、1999年の大型隕石落着による経済への被害と、大量に発生した難民をユージア各国がエルジアへと押し付けたことに起因する。いわば大陸戦争は、エルジアにとっては周辺諸国への抗議という側面も伴っており、そこには周辺諸国の身勝手に対する不満が燻っていたのだ。

 『不公平である』――それはエルジア側の総意と言っていい。自らの行為に過ちはないと思うからこそ、戦争終結後も各地でエルジア軍残党は頑強に抵抗を繰り返し、ISAFに手を焼かせ続けた。

 

 そして、2006年に入り、潜在していた火種は一挙に燃え広がる。

エルジア内部の青年将校が『自由エルジア』を名乗って蜂起し、各地の残党へ徹底抗戦を呼びかけたのである。集うべき核が無いゆえに散発していた反乱は一挙にそこへと集結し、ホワイトバレー湾北部の軍艦島にて一大勢力を形成。ISAF管理下にあった旧エルジア軍の兵器工廠を襲撃・奪取し、戦力の増強を成し遂げたのである。

 こうしてカルロスを始め多くの傭兵が集められたのも、素早く戦力を増強する必要があった自由エルジアの戦略の一環だと言えるだろう。残党を糾合するのには時間を要する。一方で、新たに兵を育て上げるには時間がない。そんな背景を踏まえれば、金さえ払えば即戦力になる傭兵は、自由エルジアにとってうってつけの存在だったのだ。

 

「それでは、整備と燃料補給の方はお願いします。お言葉に甘え、我々は先に腰を落ち着けることにしますので」

「ああ、すぐに案内させよう。ヨーゼフ少尉、彼らを兵舎へ…」

 

 ともあれ、現状やることがないとなれば、適当に兵舎で時間を潰すくらいしか成すことはない。自由エルジアの幹部としても、いわば外様の傭兵に基地内をうろつかれるのは気分が良くないのだろう、カルロスの言葉はあっさりと通った。

 ユリアン中佐から声をかけられ、その後ろに控えていた若い男が前に出る。おそらく秘書のような役割を担っているのだろう、その腕には多くの書類やファイルが抱えられていた。年のころはおそらく20代頭、下手をすると10代後半か。まだ横顔には幼さの名残が残っており、いささか若すぎるようにも感じられた。

 もっとも、エルジア軍は人口の割に面積が大きく、それ以上に軍の規模が大きい。それを踏まえれば、彼のような若い層からも軍人を集める必要もあったのだろう。他国の軍や傭兵ではより若い者がいる場合もあり、選り好みをする余裕もない自由エルジアの現状を考えれば、彼のような年代の兵がいても無理もないことではあった。カルロス自身、9年前のベルカ戦争に参加した当時はまだ21歳だったのだ。地上勤務ならまだしも、パイロットとしてはかなり若い部類だったに違いない。ヨーゼフと呼ばれた若い兵を見る傍ら、その脳裏にはかつての記憶が束の間蘇っていた。

 ――そういえば、『あいつ』もベルカ戦争の時は確か19歳だった。

 唐突にそんな記憶が脳裏に混じったのは、一体どのような心の働きだったのだろう。久々に当時の『彼』のような若い兵の姿を見た為だったのか、それとも何かの予感めいたものだったのだろうか。各地の紛争に転戦を続けたこの数年間、思い返すことのなかった苦い記憶だというのに――そう思うと、我ながら不思議だった。

 思惟が思わず露わとなり、僅かに上がった口角。気づけばヨーゼフは、怪訝そうな顔でこちらに目を向けていた。

 

「…どうかなさいましたか?」

「いや、なんでもない。各員、兵舎に行くぞ。準備は…」

 

 駐機を終え、機体から降りた小隊メンバーを呼ぶ声は、最後まで紡がれず喉に詰まった。長年の戦場暮らしに鍛えられ、鋭敏さを増したカルロスの耳が、不意に異常を捉えたのだ。

 遠くから響く、腹の底を揺さぶるエンジン音。まるで激しい耳鳴りのように、空を裂くような甲高いその音はジェットエンジンの――それも、MiG-21などとは比べものにならないほどの高出力のものに違いない。

 もっともエンジン出力で言ってしまえば、半世紀近く前に誕生した『フィッシュベッド』のそれを超える機体などざらにある。カルロス自身、より高出力なエンジン音は幾度となく聞いたこともあり、この基地周辺ではいまも数機が飛び交っている。その点で、カルロスが違和感を覚えた訳ではなかった。

 カルロスが捉えた異常――それは、その音が明らかに這うような低空から響いて来たことだった。着陸態勢にしては回転数が高すぎる。上空通過にしては、その位置は明らかに低い。まるで、高速での一撃離脱を目論み、基地への対地攻撃に入るような音の響きではないか。

 ヨーゼフの対応も束の間忘れ、音の主を振り返った直後。凄まじい轟音とともに、黒い影がその上空を掠め飛んでいった。

 

「ひゃあああぁぁぁぁ!?」

「うっ…!?くそ、何て無茶な奴だ。兵が使い物にならなくなるぞ」

 

 耳をつんざくとは、まさにこのような音を指すのだろう。

 地響きを覚える程の風圧に、衝撃波とエンジン音による大音量。きーん、と残響が残った耳はしばし音を拾うことを忘れ、反射的に耳朶を覆った掌の感触だけが辛うじてその存在を伝えていた。辺りを見渡せばパイロットも整備員も皆一様に耳を押さえ、上空を擦過していった音の主へ怒鳴り声を上げているらしい人々の姿も見て取れる。あれだけの低高度でジェット機が通過していったのだ、耳を傷めるどころか、下手をすればレーダーなどが異常を来してもおかしくない。どうやらこの基地の所属機らしいが、怒るのも無理もないことだろう。カルロスも腹立ちを抑えつつ、急上昇し宙返りに入ったその機体を眼で追った。

 

 機体後部に見える二つのエンジンと、二枚揃った垂直尾翼に端を切り欠いた後退翼。遠目にはF-15『イーグル』系統にも似ているが、機首から主翼へと滑らかに至る形状や細身のエアインテークは艶めかしささえ感じさせるように流麗なシルエットを醸し出しており、さながら鶴のような印象を覚えさせる。機体後部、エンジンの中間には長いテイルコーンも設けられており、『イーグル』とはまた違った様相を付加していた。大柄な機体サイズも含め、あれは間違いなくSu-27『フランカー』系統。それも、機首に設けられたカナードから判断する限り、Su-35『フランカーE1』、またはSu-37『ターミネーター』と推測された。

 

 機体の軌跡を目で追い始めて数秒、ようやく麻痺していた聴覚が感覚を取り戻し始める。

 耳の奥の残響が収まり、痺れが徐々に消えて行くような感覚。その鼓膜が最初に拾ったのは、自らの声でも整備員たちの怒号でもなく、思わず耳を疑うようなユリアンの言葉だった。

 

「あの機番は…。ヨーゼフ少尉、フィオン少尉が降りたら伝えておけ。今度不必要に基地上空へ低空侵入したら、『ターミネーター』を取り上げるとな!」

「………『フィオン』……!?まさか!?」

「…?どうしたカルロス曹長。彼と知り合いなのか?」

「あ…いえ。…………」

 

 ユリアンの言葉に、思わず見上げた上空の機体。怪訝そうな顔のユリアンとヨーゼフをよそに、カルロスの視線はその軌跡を追い続けた。

 『フィオン』。まさか――いや、機体の機動性を最大限まで活かすあの機動は。そして、まるで子供が悪戯をするかのような先の挙動は。かつての光景を呼び起こし、見定めるほどに高まる鼓動を、カルロスは抑えることができなかった。

 

 その様は、あまりにも『彼』に似すぎている。

 

「…あのパイロット、興味があります。旧エルジア軍のパイロットですか?」

「ああ、確か前任は第8師団隷下の戦闘飛行隊にいた筈だ。西部方面軍にいたが、単独行動が多く問題になっていたと聞いている。戦績は非常に優秀だったのだがな」

「なるほど…。ますます興味が湧きました。我々は今日は時間があるようですし、ここで彼を待たせて頂いても?」

「…?ああ、構わんが」

「ありがとうございます。それでは、お言葉に甘えて。他の小隊員は先に案内してやって下さい。えー、ヨーゼフ少尉、でしたか。よろしく頼みます」

「あ…はい、了解しました」

 

 今だ困惑顔のヨーゼフをよそに、カルロスは小隊員へと口早に指示を出し始める。カルロスを除く他の小隊員は、全て『ベルカ戦争』後に雇い入れたメンバーである。当然『彼』とは面識がない以上、会った所で仕様がない。何より、本当にあれが『彼』だったとしたら――できれば、カルロスは一人で会いたかった。

 多忙なのでとユリアンが座を離れ、ヨーゼフに率いられて他の小隊員が宿舎へと向かってゆく。しばし孤独の時間の中で、空を楽しげに舞う『ターミネーター』の姿を、カルロスはずっと追っていた。

 

******

 

 凄まじい爆音が鼓膜を破らんばかりに鳴り響いて、20分と少し。その張本人たるSu-37『ターミネーター』の流麗な姿を、柱に錆の浮いた格納庫の中に認めることができる。

 シャッターの一部が閉まっていることもあり、明るい外から中を伺うことはできない。中から聞こえるいくつかの声音から、複数の男が作業をしているらしいことが窺い知れるのみである。カルロスは格納庫外の壁に背を預け、男たちの会話に耳を傾けた。

 

「こう、何ていうかな。スロットル絞った時の反応をもっと早くして欲しいんだよね。ノズルの可動領域ももっと広がらないの?運動性をもっと高めたいんだ」

「馬鹿言うな。『ターミネーター』はもともと運動性は極限まで詰められてるんだ、これ以上強化できるかっての」

「ちぇー。あーあ、もっとよく動く機体はないのかな?」

「アホタレ。Su-37以上に動ける機体がこの世にあるかよ」

「そこを何とかするのが整備員でしょ?」

「そりゃ技術者の範疇だろうが。もーいい、ほら行った行った。作業の邪魔だ」

 

 運動性に重きを置いた要望、そしてかねてから望んでいた『フランカー』の系統機。その声音といい、その考え方といい、どう見ても脳裏に思い浮かぶのは一つの面影だった。

 こんな個人的な私事を、赴任の初日から仕出かすとはらしくない。それでも、カルロスはこうして確かめに来ずにはいられなかった。懐かしさと苦さの中にあるその記憶の、そして唯一かつての仲間で行方が知れなかったその相手の存在を。

 文句らしい言葉をぶつぶつと紡ぐ声が、徐々に近づいてくる。その言葉の主が小柄な体をシャッターの外へと見せた時、カルロスは思い切ってその背へと声をかけた。

 

「フィオン」

「…?誰さ、人を呼び捨て、に………?…あれ、あんた、どこかで…」

「…何だ、俺の顔を忘れたのか?元同僚だってのに。……久しぶりだな」

「……あ!カルロス!?ウソー、なんでエルジアに!?にしても老けたね」

「声がでかい、というか第一声がそれかよ。…積もる話もある、場所を変えてもいいか?」

 

 色の薄い肌にややウェーブのかかった癖っ毛の金髪。確か今年で30歳になる筈だが、年より若く見える童顔の相貌は、間違えようがない。

 フィオン・オブライエン。元レオナルド&ルーカス安全保障会社所属、准尉相当官。11年前のベルカ戦争を共に戦い抜き、そして後にクーデター軍『国境なき世界』へと奔って、カルロスと干戈を交えた男である。

 11年前の、ベルカ戦争終結から約半年後。ベルカ残党を母体に突如勃興したクーデター軍『国境なき世界』は、世界に対し戦いを挑んだ。その蜂起に先立つ2か月ほど前、サピン軍を裏切ってクーデター軍へと奔った味方への追撃中に、フィオンは突如離反。古巣たるニムロッド隊を離れ、そのままクーデター軍へと合流したのである。

 その後のクーデター軍の経緯は、歴史が語る通りである。クーデター軍はその中枢を『円卓の鬼神』らによって破壊され、統制を喪失。各地の部隊も各個撃破され、あまりにもあっけなく事態は収束したのである。その混乱の最中で、カルロスらの大部隊と交戦したフィオンは機体を損傷し空域を離脱したのを最後に、その消息を絶った。

 それが、どうして海を隔てたこのエルジアの地に。

 

 場所を変えるというカルロスの申し出に、懐かしみの籠った眼で頷くフィオン。どういう心の動きだったのか、まだ若さと熱を失っていないその瞳に、カルロスは一瞬怯みを覚えるのを禁じ得なかった。

 フィオンに先立ち、選んだ場所は滑走路に近い備品庫の裏手。ここならば人通りはそうそうなく、多少の会話の声は喧騒にかき消される。

 無造作に積み立てられた木箱の一つに腰掛けるフィオン。その正面に当たるよう、カルロスは壁面に背をもたれかけた。

 

「で、何しに来たのさ。もしかして『国境なき世界』に行った僕を捕まえに?」

「それは捜査機関の仕事だし、今更俺も遺恨なんか持ってないさ。俺は単に、ここのボスに雇われただけだ。戦力の一端を担う傭兵としてな」

「なーんだ。でもちょっと安心。…ねぇねぇ、隊長は元気?カークスとかヴィクトールのおっちゃんは?」

 

 矢継ぎ早の質問に、思わず苦笑が零れた。30にもなるくせに、今更捕まるのを恐れる辺り、まるで子供ではないか。そんな妙な憎めなさも、当時と全く変わっていない。

 脳裏に蘇る、当時の光景。それを思い描いていた為だろう、続くかつての仲間の質問に、カルロスの表情は不意に曇った。

 クーデター軍の蜂起当初で戦線を離れたフィオンは、おそらくその後のことを何一つ知らないのだろう。もう、かつてのニムロッド隊で、空を飛んでいるのは自分とフィオンしかいないことを。

 かつての同僚は3人。隊長たるアンドリュー大尉、最年長のヴィクトール曹長、そして年が近かった兄貴分のカークス軍曹である。そのうち、カークス軍曹はフィオン同様クーデター軍へと奔ったのち、戦闘の最終局面でカルロスと対峙して戦死した。ヴィクトール曹長は僚機として戦ったものの、戦闘での負傷によりそのまま退役。今は故郷のユークトバニアで家庭を設け、幸せに過ごしている。

 そして、アンドリュー隊長は――死んだ。戦闘による負傷で第一線を退き、以降会社付きの教官となっていたのだが、2年前の飛行訓練中に乗機L-39ZA『アルバトロス』がエンジントラブルを起こし墜落。最後まで同乗していた新米を脱出させようと試みるも叶わず、新米もろとも殉死したのである。その時の喪失感は、今なお言葉では言い表せない。師を――否、父親を失ったような気持ちといえば、一番近いのだろうか。アンドリュー隊長は亡く、戦争の空を知っているのは社にもはや一人。その思いが自覚を促したのだろう、小隊指揮官として部下を導かねばならないという思いは、その時を境に一段と強くなっていった。

 

 ややもすれば昂りそうな感情を抑え、カルロスは皆の顛末をかいつまんで説明する。『ふーん』と一声だけ漏らしたフィオンの眼には、気のない口調と裏腹に、どこか切なそうな色が見え隠れしていた。

 

「そっか、カークスまで死んじゃってたんだ。あの後すぐに『国境なき世界』から抜けたから、僕知らなかったよ」

「…そうだ、俺が聞きたかったのはそこだよ。お前、一体どうやってあれからエルジアまで来れたんだ?」

「んー…まあ話すと長いんだけどー、いろいろあってー」

「肝心な所で面倒くさがるな、教えろって」

 

 腕を組み脚をぶらつかせ、いかにもけだるそうに視線は右へ左へ往復中。そんなフィオンを宥めすかして語らせた内容は、カルロスの想像をはるかに超えたものだった。要約すると、以下の通りである。

 

 あの日――オーシア空軍の奇襲を受け損傷したフィオンは、何とかベルカ領内へと到達し不時着。『国境なき世界』で得た情報を元にクーデター軍に同情的だったベルカ残党と合流し、そのまま本拠地たるアヴァロンダムへと向かった。ところが、フィオンらの到着を待たずしてアヴァロンは陥落し、クーデター軍は瓦解。行く先を失ったベルカ残党とフィオンは、1年余りベルカ領内で潜伏したのち、圧政下にある東部小国解放義勇兵として隣国ファトへと渡った。ファト内部で独立を企図する勢力と結び、いずれ親ベルカ、または反オーシアの体制を作り上げることを企図したのである。

 ところが、戦力に劣る義勇軍はファト正規軍の鎮圧作戦を受け、徐々に消耗。2年に渡る抵抗虚しく、1999年を以て組織は瓦解し、フィオンは再び居場所を失うこととなった。この際、亡命を図るベルカ残党や義勇兵とともに海を渡ったのが、エルジアへと至ったきっかけであった。

 渡航したのは2000年に入ってからだが、これは隕石落着により生じた難民を押し付ける諸国にエルジアが反発し、難民受け入れビザを停止した年に当たる。すなわちエルジアと周辺諸国との摩擦が強まりつつある時期であり、それだけにエルジアは軍備増強の真っただ中であった。ベルカ残党とフィオンはそのタイミングを狙い、傭兵として自身を売り込んだのである。開戦と同時にフィオンは戦績を重ね、やがて戦時特例として正規軍へと編入。エルジア敗戦後も戦いを続けるべく、こうして残党と行動を共にしていたという訳であった。

 

 紆余曲折、波乱万丈。脳裏に思わず浮かんだそれらの印象はフィオンの華奢な外見にいかにもそぐわず、顛末を聞いたカルロスはしばし絶句していた。

 

「いや…何というか。…凄いな、お前。そこまでタフだったとは」

「見直した?」

「…ああ」

「へへー、どーも。それに、途中で捕まったり諦めちゃったら、もう二度と空は飛べなくなっちゃうもんね。僕はもっと空に生きて、強い奴と戦い続けたい。だから、絶対に捕まるもんかー、って必死になってたのさ」

 

 三つ子の魂百までと諺に言うが、フィオンの様は確かにその通りだった。戦う意志も、その見据える先も、彼は何一つ変わっていない。善悪も表裏もなく、ただ純粋に強さを求める至純の信念を、彼は今なおその心に宿している。カルロスの抱く信念とはまた異なるものの、逆境の中でも信念を保ち続けたその逞しさは、カルロスにとって賞賛すべきものだった。

 

「なるほどな。そういう経緯ではるばるエルジアまで…。念願の『ターミネーター』まで手に入れて」

「そう!そうなんだよカルロス!見た!?あの豊富な武装と運動性!まだもうちょっと足りないけど、今の所最高の機体だよ。やっぱり『フランカー』系列はいいよー、カルロスもあんな貧乏くさい機体やめて乗り換えればいいのに」

「悪かったな貧乏くさい機体で。ウチは正真正銘貧乏だから『フィッシュベッドL(アレ)』しかないんだよ」

「うーわ、可哀想。やっぱり空戦は『フランカー』系のものだって!こないだなんかさぁ…」

 

 こちらの話を聞いているのかいないのか、次から次へと溢れる話題は『フランカー』がいかに素晴らしいかを伝え続ける自慢の言葉の奔流そのもの。まるで念願の玩具を手に入れた子供のようなフィオンの自慢話に、カルロスは以降1時間、へとへとになるまで付き合い続けた。変わっていないのも場合によって困りものである。そんな感慨を脳裏の片隅に抱きながら。

 

 見上げた空は抜けるように青く、乾いた太陽がアスファルトを灼いてゆく。

 

 表裏の無い『メビウスの輪』を体現したような男と、無限を示すその図形を機体に刻んだパイロット。二人が邂逅する空は、すぐそこまで迫っていた。

 


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