Ace Combat side story of ZERO - Skies of seamless -   作:びわ之樹

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最終話 Skies of seamless

 いくつもの翼が、陽光を照り返して空を舞っている。

 直線、8の字、ループ、小半径旋回。雲一つない晴れ渡った空に複雑な軌跡が描かれるたび、エンジンの唸りが地上にまで響いてくる。地上にいるときは頭を揺さぶられるような轟音をまき散らすそれらの響きも、容赦なく地面に降り注ぐ日の光と比べれば幾分は優しい。

 

 エンジン音を遠くに聞きながら、カルロスは庇代わりに掌を額へ翳した。申し訳程度の日よけテントの下にいるとはいえ、夏に入り自己主張を強めた太陽と、その光に熱せられた砂からの熱反射は到底防げるものではない。テントの下に各々の席を占める面々が、皆一様に額に汗を流し、絶えずタオルや紙で体を扇いでいる様こそその証左だろう。その点、状況はカルロスも同様だった。汗に濡れて煩わしく体に張り付くシャツも、留まることを知らない大粒の汗も、サピンの涼しい環境に慣れた体には大層堪える。

 見渡す限り、砂漠。敵はおろか人の気配すらも感じられない砂中の孤島に、戦闘機をひっさげた傭兵がひっそりと(たむろ)している。その様は、人の世と平和な空から取り残された、戦場の残滓のような感すらあった。

 

《3番、4番、旋回が遅い!速度帯を見極めて操縦桿を引け!次だ、全機急降下!》

「いつにも増して厳しいな、アンドリュー大尉。また新米が泣いちまうぞ」

 

 テントの真ん中に置かれた航空無線のスピーカーから爆ぜる、アンドリュー隊長の怒鳴り声。暇を持て余したのだろう、立ちながら聞いていた整備兵が茶化すように言うと、彩の無い低い笑いがいくつか響いた。

 庇から空を見上げると、4つの機影が急降下し、下端で一気に急上昇に転じる様が目に入った。隊長が後席に乗っている1番機はともかく、2番機以降は迫る地表に恐れをなしたのか、明らかに引き上げタイミングが早い。加速が乗る前に引き上げてしまった以上、空戦ならば上昇を狙い打たれて被弾していただろう。地上に降りた後の講評は、今日は長引きそうだった。

 

 1996年8月11日、フトゥーロ運河西岸に位置するオーシア領コレール砂漠。かつての戦争で急造され、終結とともに放棄された野戦飛行場に、カルロス達の姿を認めることができる。

 ベルカ戦争、そして『国境なき世界』との戦闘が終わりサピンの地を離れてから、既に4か月余りが過ぎていた。

 

******

 

「お疲れさまです、隊長」

「ああ」

 

 短く言ったアンドリュー隊長が、差し出した水を引っ掴む。空中演習を終え、一通りの講評を終えた後では喉の渇きもひとしおだったのだろう、隊長は喉を鳴らしながら水を呷り、旨そうに飲み干した。相当の叱責を受けたのか、先程まで飛んでいた訓練生たちは、一様に項垂れながら格納庫の方へと走っていく。演習を一通り見終えたため集っていた面々も散じ尽くし、隊長とカルロスの他には周囲に人影は無くなっていた。

 

「どうでしたか?」

「まだまだだな。到底戦闘には出せれん。あまつさえ今のウチにはあんな機体しかない。可能な限りまで腕を高めておいてやるしかないだろう」

 

 襟をくつろげた隊長が、親指を立てて自身の後方を指差す。汗を拭ったカルロスのも、その言う所の意味を察することはできた。

 隊長が指した指の先には、先程まで空にいた4機の機体が駐機していた。複座機であることを示す大型のキャノピー。そのすぐ後ろ、胴体両側面に設けられた半円形のエアインテーク。そしてやや下がり気味の傾斜を設けた機首と、外側へ向け幅が狭くなる角ばった直線翼。ライトブラウンとモスグリーンの迷彩に身を包んだその機体は、『ホーク』と並んでポピュラーな練習機の一つ、L-39ZA『アルバトロス』であった。

 戦果を上げねばどうにもならない傭兵である、本来ならば真っ当なジェット戦闘機を用意すべきところだが、そこにはカルロスらが属するレオナルド&ルーカス社の止むを得ない事情がある。

 

 しばらく大きな戦争が無かった中で起こった、今回のベルカ戦争。安全保障会社の商機到来とばかりに保有戦力の殆どを出した本社だったが、敵とするベルカ軍の練度はその予想を超えたものだった。結果、相応の利益こそ上げたものの、レオナルド&ルーカス社はその保有する人的資材や機体の多くを喪失。この4月に全人員が本拠のオーシアへ引き上げた時点で、即応できる戦力はカルロスとMiG-27M『フロッガーJ』を含めても1小隊にすら満たない有様だったのだ。

 人も、機体も足りない。その一方で資金には限りがある。絶望的な状況の中で、社が選択したのは人材の確保と育成を優先することだった。大々的に人員を募集するとともに、一度は第一線を離れたアンドリュー隊長等ベテランや退役軍人を教官として再雇用し、まずは人的資源の確保を目指したのである。

 そしてその代償として、調達機体は勢いコスト優先にならざるを得なかった。依然部品コストが割高なうえ少数しか保有していなかったMiG-29『ファルクラム』や整備に手間を要するMiG-23シリーズを売却し、代わりにMiG-21bis『フィッシュベッド』1機と『アルバトロス』6機を購入したのもその一環である。機銃や部品等が既存機と共用できる点、コクピット構成がMiG-21に近い点、そして何より安い点がその選定理由だった。今の経営状況では、相当に安くなければ機体数を揃えることはできない。それらを踏まえると、あらゆる点から『アルバトロス』はうってつけの機体だったと言える。

 『フロッガー』シリーズのほぼ全てを売却したことを考えると、現在カルロスが乗機とする『フロッガーJ』もいずれは売却され、資金となるのだろう。サピンの、ベルカの空を戦い抜き、アンドリュー隊長から受け継いだ機体を手放すのには辛い思いもあるが、今の社の現状を考えるとやむを得ない。心にやるせない思いを抱きこそすれ、自身をそう納得させるほかに、カルロスにもできることは無かった。

 

 いずれにせよ、頭数こそ揃ったものの『アルバトロス』は元来が練習機である。IR誘導式AAM(空対空ミサイル)やロケット弾ポッド等一応の武装は可能だが、それでも軽戦闘攻撃機の域を出るものではない。その一方で、民間軍事会社としては契約分の働きは行わねばならない。その苦衷の隙間を、隊長は新米を厳しく扱き、いち早く鍛え上げることで乗り切ろうとしているのだろう。

 もしかするとその心の中には、かつて部下を全滅させてしまったという、カルガ空軍時代の苦い経験も入り混じっているのかもしれない。

新米の教習を重点的に行うために、期限付きとはいえ閉鎖された野戦飛行場を借り受けたこの機会を存分に活かす。ここしばらくの激しい調練には、そんな様相すら滲んでいた。

 

「せめてヴィクトールもいれば、新米育成も多少は早まっただろうにな。すっかり好々爺になったもんだ」

「そうですね…。故郷に戻って穏やかに趣味を謳歌だなんて、最初に聞いた時にはびっくりしましたよ」

 

 こつん、こつんと、隊長の脚元から硬い音が響く。テーブルの下に隠れて見えないが、踵で地面を叩くように、右脚の義足を鳴らしているのだろう。失った右脚を義足で補ってから、隊長はよくそんな仕草をするようになった。

 カークス軍曹とフィオンを失った後にも、ニムロッド隊を支え続けたヴィクトール曹長だったが、『国境なき世界』との戦闘の終盤で銃撃を受け負傷し、しばらく療養を続けていた。結局、失った右手の親指は元には戻らず、大腿に受けた傷も治りが悪かったこともあり、曹長はこの3月一杯をもって傭兵業から退役したのだった。曰く故郷ユークトバニアへ戻って、存分に趣味を謳歌するのだという。退役報酬を手にし、荷物を背負って悠々と去ってゆくその表情に憤りや悔悟は微塵も感じられず、記憶に残っているのは頬に刷いたただただ穏やかな笑み。傭兵としていかに稼ぐか、を第一としていたかつての曹長のことを思えば、まるで別人のようにすら感じられた。

 

 余談ながら、後日ヴィクトール曹長から隊へ手紙が届いたことがあった。曰く、今は姪や友人の孫を可愛がり穏やかに過ごしていること。曰く、趣味のガーデニングや登山に勤しんでいるとのこと。曰く、初めて彼女ができましたとのこと。それを証明するように、添付されていた写真にはラベンダーを背にして微笑む曹長と、明らかに二回りは年下の若い女性の姿が映っていた。その写真を目にした時、隊長も自分もしばらく絶句したことは言うまでもない。

 『………………まあ、これも人生だな』。当時の隊長の呟きには、まったくもって同感だった。

 

「あれから続報がないのが惜しい所だな。結婚式ともなれば社総出でユークまで出向く所だが」

「結婚まであっさり漕ぎ着けそうな気がするのが恐ろしい所ですよね…。いずれにせよ、また近況を聞きたいものです」

「全くだ。せめてお前の『相棒』くらいマメに送ってくれればな」

「はは…あいつのは近況というか、半分自慢というか。やれ昇進しただの、やれ部隊カラーカッコイイだろだの…」

 

 話題の主の転換に、カルロスは掌で額の汗を拭い取る。汗は髪まで滴り始め、暑さはまだまだ留まらない。時間が経ち脚を浸し始めた陽だまりから逃れるように、カルロスは日陰の方へと体を向けた。

 『相棒』とは言わずもがな、ベルカ戦争で腐れ縁となった、サピン空軍のニコラスの事である。ヴィクトール曹長と比べて意外にも筆マメな性質だったらしく、今も2か月に一度は手紙をやりとりする仲となっていた。

 

 今回のベルカ戦争、そして一連のクーデター鎮圧戦において、サピンは被害の大きい部類にあったと言っていい。農林業の多くを担う北部を一時占拠されたことで昨年内の農業生産は大きく落ち込み、戦場となった国土の荒廃や戦力の消耗も著しく、早急な回復が急務な状況となっていた。おまけに、敗戦国となったベルカから賠償金を取れる目当ても無く、これといって資源地帯も押さえられなかったため、ある意味では小国のウスティオよりも復興が困難な状況にあったと言ってもいいだろう。

 幸いと言うべきか、戦争の直後であり、かつベルカはその国力を大きく損耗したこともあって、少なくとも現時点では東方諸国の動向は平穏である。これを機とし、サピンは復興資金を捻出すべく、戦力の整理と削減に乗り出した。すなわち空軍に関して言えば、保有していた旧式機を処分して質を高め、同時に戦略的価値の薄い小規模基地を閉鎖し、戦力の集中を図ったのである。これを受けて、ニコラスが元々所属していた山間のヴェスパーテ空軍基地も閉鎖されることとなった。今頃は滑走路にも夏草が萌え始め、基地施設も鳥達の住処となっていることだろう。

 

 ニコラスからの手紙によると、ヴェスパーテ閉鎖後の異動先は、サピン北東部にある空軍基地なのだという。隣国ラティオとの国境にほど近いものの、尚武の意気を失って久しいラティオとは、そうそう干戈を交えることはないだろう。その点では、ある意味最前線を離れたとも言って良い。

 それでも、ニコラスは戦争を経て、国を守る兵士としての信念を作り上げたように思われた。隊長だったエスクード1も負傷で退役し、新たに『エスクード隊』小隊長として隊を率いる立場になったのも大きかったのだろう。送られてきた写真に写る、真新しい中尉の階級章を襟に付けたニコラスの表情は、微笑みながらも自信に満ちているように感じられた。

 同時に送られてきた別の写真には、飛行中の様子と思しき、ニコラスの愛機であるF/A-18C『ホーネット』も写っていた。部隊カラーを一新したらしく、その機体は紅地に染められ、胴体と主翼中央を裂くように黄色の十字が描かれている。その色使いは、かつてサピンの空を護っていたエース部隊、『エスパーダ隊』のそれを連想させた。

 『エスパーダ()に代わってエスクード()がサピンの空を護る』。手紙の末尾に添えられたその言葉は、永くサピンを護ってきたエースへの敬意と、自身への誓いを表したものだったのだろう。

 『――追伸、彼女ができました。』……いや、その点に関してはもはや何も言うまい。

 

 『相棒』の自慢話を種に、ひとしきり上がった笑い声。2人分の低い音は、やがて砂に呑まれて静かに消えた。

 風が、熱い。『アルバトロス』のエンジンは唸りを止めて久しい。不意に生じた寂寥と静寂を、熱風だけが掻き回していく。

 

「………。」

「……」

「静かになったな」

「…そうですね。ニムロッド隊も、俺達だけになってしまいました」

 

 綴るような隊長の声に、切なさにも似た感覚が胸に滲む。

 1年前は、ヴィクトール曹長もカークス軍曹もフィオンもいた。戦争の只中で日々の緊張こそあったものの、賑やかさと活気があった。それが今は、曹長は退役し、カークス軍曹は自らの手で撃墜。フィオンに至っては、未だその行方が知れないままである。社の人員も、戦死した人間が少なくない。

 失ったものの多い戦争だった。それは確かであり、戻ってこないものは多すぎるほどある。

 だが。

 

「…久々に、俺達で空に上がるか。お前は『フロッガーJ』で上がれ。これから隊を支えるのはお前だ。早い所、指揮官として鍛えてやらないとな」

「ははっ、いいですね。隊長じきじきの教習なんて久しぶりです。…でも、『アルバトロス』で大丈夫ですか?」

「年季が違う、年季が。油断していると撃墜判定下すぞ」

 

 じゃり、と靴が砂を噛みしめる音。それを合図に立ち上がった隊長についていくように、カルロスも椅子から腰を上げて格納庫の方へと歩を進めてゆく。

 失ったものは確かに多かった。だが、その一方で手にしたものも確かにある。空で生き抜くための知恵と技量。心に生きるエース達の生き様。自らの中に抱いた、戦いへ向かうための信念。そして国境を隔てながらも、心で繋がった相棒という存在。いずれも、この戦争で得た確かなものである。だから、失ったものに対しても、もう後悔はしない。

 

 フライトジャケットを締め、ヘルメットを被り、乗機のコクピットへ収まる。砂漠の熱はエンジンを程よく暖め、急な稼働にも関わらずエンジンの上りは良好である。

 計器盤チェック、油圧良好。回転数グリーン、各部異常なし。アンドリュー隊長の『アルバトロス』がじわりと進み始め、次いでカルロスの『フロッガーJ』が格納庫を出て、光の中へと立ち入ってゆく。

 

《アンドリューだ、2機上がる。10分後から記録を頼む》

 

 本来の予定には無かった飛行に、困惑したオペレーターの声が飛び交う。問答の末、何とか認可ということになったのだろう。滑走路進入許可の声とともに、隊長の機体が滑走路を奔って空へと上がってゆく。

 

《ニムロッド1、離陸します(テイクオフ)

 

 機体が徐々に加速し、眼下の滑走路の流れが速まってゆく。雲量ゼロ、真正面の東風はやや強い。向かい風の中では、翼を広げた『フロッガー』の離陸距離は驚くほどに短く済む。

 風を孕んだ翼が機体を押し上げ、飛翔感が体を包む。高度50、100、150。高度計の針は、速度の高まりとともにその動きを速めてゆく。

 視界の先には、一面に広がった砂漠、南流するフトゥーロ運河、そして遥かに見えるサピンの大地。国境で隔てられていても、空は、そして人の想いは、こうして確かに繋がっている。

 

 主翼、通常位置。フットペダル押下、増速。カルロスは操縦桿を握り、黒翼の愛機を加速させた。

 戦争を経、成長を経て、遥か先へと繋がった青空の最中へと。

 


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