Ace Combat side story of ZERO - Skies of seamless -   作:びわ之樹

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第29話 Border Line(中) -White, Gray and Black‐

 三角翼のカモメ(メーヴェ)が四羽、自在に空を舞っている。

 二手に分かれて挟み撃つ。行く手を塞いで進路を乱し、散った敵をそれぞれが啄む。陣形も高度も変幻自在に姿を変えるその戦術の前に、クーデター軍の戦闘機は1機、また1機とその数を減らしていた。

 低空域の敵を概ね喰い尽くしたそれら――ヴァイス隊の『ミラージュ2000-5』は、次なる獲物を求めて上空域へとその鼻先を向けてゆく。デルタ翼の高速性能と上昇性能をいかんなく発揮したそれらの前に、上空のMiG-21bisが早速1機、炎に包まれ墜ちていった。

 

 凄まじい。

 低空域を舐めるように飛ぶMiG-27M『フロッガーJ』の中で、地を眺めるカルロスが抱いたのはその一言だった。

 攻略目標たるフィルルテーゲン基地へは、防衛陣地を突破したオーシア機甲部隊が進入し、制圧戦闘を繰り広げている。基地北部の空港に至ってはそもそもの防衛能力が低かったのだろう、既に戦闘の砲煙はほとんど見えず、滑走路付近をオーシアの戦車が闊歩している様が見て取れた。

 一方、まだ戦闘の余波が及んでいない基地中心部でも、既に至る所からは黒煙と炎が上がり、連絡路が各部で遮断されている。その数は5、6、…いや、さらに多い。その全てが、低空域での戦闘で『ヴァイス隊』に撃墜されたクーデター軍機の残骸だった。

 まるで水が浸みこむように、瞬く間に基地内へと殺到するオーシア軍。その最前線で血みどろの戦いを繰り広げる、両軍の歩兵。それらも確かに『凄まじい』様ではあったが、カルロスの抱いたその思いは、地上に咲いたいくつもの炎に象徴される、ヴァイス隊の比類ない戦闘能力に対してだった。

 

 数の上で倍する敵を前に、その殲滅に要した時間はわずかに数分。たったそれだけの時間で、それも1機たりとも損失を蒙ることなく、彼女らはこの空の天秤をこちら側へと大きく傾けさせたのだ。敵の制圧が少しでも遅れれば敵防衛陣地の攻撃もままならず、徒に陸軍の損害が増えていたに違いない。

 撃墜王(エース)。わずかな機体、わずかな時間で戦局をも変える彼女らを評する言葉を、カルロスは他に知らなかった。

 

《こちら空中管制機『サンダーヘッド』。空域のクーデター軍機は既に戦力の7割を喪失した。後続の爆撃隊は空域に進入し、制圧攻撃を実施せよ》

《第71爆撃中隊、了解した。これより空域に進入する。護衛は頼んだぞ》

《爆撃隊のお出ましか。エスクード1よりエスクードおよびニムロッド各機、高度を上げるぞ。この高度では巻き添えを食らう》

《ニムロッド2了解。…さて、対地攻撃の稼ぎとしてはまぁまぁかの。》

 

 先頭を飛ぶエスクード1のF-5E『タイガーⅡ』が機首を上げ、徐々に高度を上げてゆく。対地攻撃兵装を概ね使い尽くしたためだろう、それに倣って引き上げた操縦桿の手応えは、出撃時より幾分軽い。

 急上昇や急加速の際に特有な、血液が後方へ引っ張られる感覚。上昇角度を取ったためその正面から地表は消え、やや明るみを増した曇天がいっぱいに広がっている。この空の遥か北東――アヴァロンでは、今まさに戦闘が繰り広げられているのだろうか。

 不意に兆したその思いに、自ずと北へと向く視線。その先――正確には方位0、真北の遥か先に浮かぶ6つの巨大な影は、こちらへ接近しつつある爆撃機と知れた。先の通信から考えるに、おそらくオーシア空軍のB-52だろう。大型爆撃機6機という機数、そしてB-52が搭載するAGM(空対地ミサイル)の威力と数を考えれば、この攻撃を以てフィルルテーゲンの抵抗力はほぼ奪い尽くせるはずである。

 

 それはまさに予断、あるいは油断だった。

 僅かな数、僅かな時間で、戦局を覆しうる存在はいる。そしてそれは取りも直さず、味方だけとは限らない。味方の強勢に安堵するあまり、そんな当たり前の事を忘れていたのだから。

 

《あれだけB-52がいれば、ここでの戦闘も終わりだろ。朝一に攻撃された時はどうなるかと思ったが、やっと一息つけるぜ》

「だな。…隊長、大丈夫だったかな…」

《…?各機、待て。――おい、爆撃機が!!》

 

 余裕に満ちたニコラスとの会話を、エスクード1の声が切り裂いた。

 爆撃機――北。常にないその焦燥した声にカルロスは思わずその方向を見やり、驚愕した。

 

 先頭のB-52が、炎と黒煙に包まれている。いや、先頭の1機だけではない。その後方と両側、合わせて4機が同様に黒煙を上げ、高度を下げていた。

 攻撃。ばかな、上空の戦闘機はもちろん、空中管制機すら捕捉したという情報は無かったのだ。遠距離からのミサイル攻撃の可能性も否定はできないが、クーデター軍にとっては全て敵地というべき状況で捕捉されない筈がない。

 混乱した空の下で、焔に包まれた1機に光が奔り、爆発の中に微塵と消える。空を揺るがすその轟音は、傾いた天秤を再び水平へと押し戻すに十分すぎる響きだった。

 

《く、クラブ5よりサンダーヘッド!中隊長機がやられた!2、4、6も被弾!!》

《くそ、敵の戦闘機だ!なんで気づかなかったんだ!?》

《サンダーヘッドよりクラブ3、それは確かか?こちらでは周囲に機影は捕捉できない》

《バカ言うな、その目かっぴらいてよく見ろ!俺たちの真後ろ、黒地に灰色帯のヤツだ!…くそっ、来るぞ!来る、来る!!直掩、何して――》

 

 轟音、爆発。遥か眼前でB-52の主翼がへし折れ、巨大な胴体が幾つもの破片に分かれて流星のように落ちてゆく。AGMを満載した大型爆撃機6機分の爆炎は、さながらどす黒い雲が一つ、灰色の空の中に湧き出たようにも見えた。

 そして――その一瞬後。命を焚いたように湧き上る黒雲を割いて、『それら』は現れた。

 垂直に設けられた2枚の尾翼。翼端を欠いた切り欠き三角翼。MiG-29『ファルクラム』に似た流麗な、それでいてどこか武骨なフォルム。そして忘れる筈も無い、黒一色の翼を灰色の帯で貫いた塗装パターン。機体こそ当時と異なるが、その闇夜のような色使いは、かつてホフヌング避難民キャンプの上空で(まみ)えたF-117『ナイトホーク』と瓜二つである。

 つまり、あの機体は。

 

《爆撃機の全機撃墜を確認》

《グラオガイスト1より各機、目標更新。空域の連合軍機全てを対象とする。定刻まで上空の脅威を排除せよ》

「…あいつら…!間違いない、あの時の!!」

 

 グラオガイスト1――ベルカの言葉で、確か灰色の亡霊を指す単語。そのコールサインは、あの時のホフヌングでも確かに聞いた覚えがある。戦闘能力に劣る機体ながら、地の利とステルス性能を活かし、攻撃隊を壊滅に追い込んだベルカのエース部隊に間違いない。

 上空指して上昇するその4機に、カルロスは思わず舌打ちした。隊長もいない、友軍も消耗中で数の利は期待できない。最悪のタイミングで乱入して来たのが、まさか元ベルカのエース部隊だとは。

 

《F-15…!?くそ、ホントに敵だ!こっちは長期戦で消耗している、長くは持たないぞ!》

《こちらでも確認したが、反応が小さい。おそらくステルス仕様のF-15だ。…く、こちらサンダーヘッド。第一次制空隊のオーシア機とベルカ機は退避せよ。第二次制空隊、迎撃に当たれ》

《ヴァイス1了解、迎撃に向かいます》

《エスクード1了解。制空戦闘に入る》

 

 苛立つ『サンダーヘッド』の声に導かれるように、上空に展開していた戦闘機隊の一部が南へと離脱してゆく。入れ違うように空域へと侵入する黒い4機に対し、エスクード1に率いられたサピン部隊は一斉に高度を上げて迎撃体制へと移行した。

 小隊の最後尾で、カルロスは左に傾いたキャノピーから戦場を仰ぎ見る。

 友軍はこの4機に加え、ヴァイス隊率いるベルカ機が8、オーシア機が12。戦線に突入して来た『灰帯』4機に対してオーシア機は左右から包み込むように隊形を開き、ベルカ機は高度を稼ぐべく垂直方向へと上ってゆく。一方のクーデター軍機は『灰帯』4機に加え、戦域に残存していた4機の計8機。数の上では、連合軍が圧倒的に上回っている。

 だが――。

 

《アスター4がやられた!》

《アスター2、間隔を空けろ。デイジー隊は左翼に展開を!このままでは包囲が破られる!》

 

 『灰帯』の正面から攻撃を仕掛けたF/A-18Cが、蜂の巣になり落ちてゆく。撃墜された『ホーネット』の僚機だったのだろう、傍に控えていたもう1機が『灰帯』の背を取りAAMを放つも、それは『灰帯』の尾を捉えることなく彼方へと飛び去っていった。元来運動性に優れるF-15の特性に加え、サンダーヘッドの言う通りステルス機能も持ち合わせているのか、周囲から放たれる幾つものミサイルでさえその軌跡を捉えるに至っていない。

 数の不利をものともせず、空を制する『エース』。彼らにとって、三倍する敵など物の数ではないということなのだろうか、『灰帯』の4機は平衡を保つ天秤の上を縦横に舞っている。

 それを無言に物語るように、また1機が炎に呑まれて四散した。

 

《ヴァイス1より各機、上空から攻撃を仕掛けます。散開後を狙い再包囲を》

《了解した。サピン各機、行くぞ!》

 

 先頭のF-5E『タイガーⅡ』が左へ機体を傾け、戦域の斜め上方から旋回しつつ降下してゆく。ニコラス、ヴィクトール曹長、そして自分。順々に旋回し、速度を得て降下してゆくその眼前を、ヴァイス隊の4機がまっすぐに降下していった。加速に優れる『ミラージュ』の特性と純白の塗装が相まって、その様はさながら曇天を裂く白い光。ひと塊となったそれらが『灰帯』の中央目がけてAAMを放つや、『灰帯』の4機はたまりかねたように1機ずつへと散開した。

 ――好機である。いくらエースとはいえ、単機に分かれれば乗ずる隙は必ずある。

 

「バラけた!」

《行くぞ、目標最左翼の『灰帯』!かかれ!》

 

 エスクード1が、号令とともに鼻先を目標へ向けて加速してゆく。

 目標、最も左側に位置する『灰帯』。回避のため左側へ急旋回した所から右へと反転旋回しつつある、速度が鈍る絶好のタイミング。カルロスはMiG-27Mの可変翼を最小角度に畳み、加速をかけながら先行する3機を追った。武装選択、短距離AAM、23㎜機関砲。敵機のステルス性能の前ではAAMの誘導機能も心許ないが、機動を制限する分にはおそらく役に立ってくれる。

 

 エスクード1、AAM発射。案の定と言うべきか、AAMは目標の背をほとんど指向せずまっすぐに飛び去ってゆく。

 エスクード2、AAM1発、次いで機銃を発砲。肉薄する20㎜弾を避けるためだろう、『灰帯』の機体が右へ大きく傾き、数発がその黒い翼を擦過する。速度が落ち、投影面積が大きくなった最大の機。カルロスの眼がその軌跡を読み、すぐ前方のヴィクトール曹長を追う。

 ヴィクトール曹長、主翼を最大角へ展張。減速と同時に右へと旋回し、『灰帯』の鼻先を確実に抑えて追い詰める。

 

《今のうちに十字架でも切るんじゃな、『灰帯』…!》

 

 射程距離。

 中心線上、機首直下の連装23㎜が、その黒い背を食いちぎるべく火を噴いて――。

 

「…っ!?曹長、3時!!」

《何!?……がっ…!!》

 

 瞬間、視界の右端に黒い影が映った。

 反射的に叫んだ言葉は、しかし断片的にして時すでに遅く。その黒い影が曹長の真横から機銃弾を叩きつけるのと、通信に何かが飛び散ったような音が混じるのはほぼ同時だった。

 

 黒い影――先程散開した、別の『灰帯』。上空からの奇襲を受け散らばったにも関わらず、瞬時に戦況を見定めて反転奇襲をかけてきたというのか。それも曹長が攻撃に入る寸前の、絶妙のタイミングを狙って。

 不覚だった。隙の生じた目標に集中するあまり、周辺への警戒を怠ってしまっていたのだ。遅きに失した通信に、カルロスは思わず唇を噛んだ。

 

 コクピットの真横に被弾し、機動が著しく鈍ったMiG-23MLD。その横に並んだカルロスの眼に映ったのは、紅いものがこびりついたキャノピーと、その中でうずくまるヴィクトール曹長の姿だった。

 

「曹長!ニムロッド2!大丈夫ですか!?」

《…ぐ…!大腿と、…指、か…!!……これしき……!》

「…!曹長、これ以上は危険です。後退して下さい!」

《バカを言うな!これしき、で…帰れるか!!こちとら傭兵一筋…》

「いいから!!…俺は、隊長から預かって来てるんです。この機体も、隊の誰も死なせないっていう隊長の信念も。――だから、どうか。」

 

 出血を強いるほどの負傷にも、今だ継戦の意志を崩さないヴィクトール曹長。その凄まじいまでのタフネスは驚嘆せざるを得ないが、この状況下ではいくら何でも無謀である。

 このまま戦闘をさせてしまったら、曹長が死んでしまう。そうなれば、隊長の思いは。自分に預けてくれた、隊長の信念はどうなる。

 

 思いはそのまま感情へ、カルロスは声を荒げ、ついで切々と紡ぐように通信へ声を乗せた。護り通さねばならないその思いを、曹長へ――仲間へと伝えるために。

 

 沈黙、数秒。

 やがて帰って来た答えには、苦痛と苦笑の息が混じっているように聞こえた。

 

《………。お前さん、アンドリューのような事を言うようになったな。…いいだろう。じゃが、一つ貸しじゃぞ。ニムロッド2よりエスクード1、サンダーヘッド。悪いがワシは先に降りる。下の空港はまだ使えんのか?》

《サンダーヘッドよりニムロッド2へ、基地北部の空港は制圧が完了している。第2滑走路は交戦の影響で使用不能なため、第1滑走路より進入されたし》

《了解した。…あとは任せたぞ、カルロス。ワシの分もしっかり稼げよ》

「…はい、必ず。ありがとうございます、曹長」

 

 任された――傭兵としての矜持を、任務の達成を、そして何より生還を。

 翼を翻して空港へ向かう、ヴィクトール曹長のMiG-23MLD。その背を見送る間も惜しく、カルロスは戦況を把握すべく空へと目を奔らせた。任務の達成と戦果の獲得には、1秒たりとも時間は惜しい。

 

 上空では、網を放つように包囲する連合軍機を、黒塗りの4機が錐で突くように突破している。

 4機がひと塊となって攻撃する『灰帯』。その背を、側面を、ヴァイス隊は自在に連携して挟撃を繰り返している。

 飛び交うミサイル、機体を掠める網のような曳光弾。旋回して攻撃を回避した『灰帯』の1機へ、黒の15を記した『ミラージュ』が肉薄し弾痕を刻んでゆく。

 

《く…!連合に魂を売った、売国奴ごときに!》

《グラオガイスト3、掩護に回る。――ヴァイス1、フィリーネ・ハーゲンドルフ。南方前線の雄としてその名は聞いていたが…残念だ》

《グラオガイスト隊…!あなたたちのしていることは、今のベルカを滅ぼす行為と変わりません!ベルカを…ベルカ国民を想うなら、どうか退いてください…!》

 

 隊長機と思しきF-15がヴァイス1の背を取り、展開した兵装庫からミサイルが放たれる。その数2発、次いで機銃。

 通常ならば避けられないであろう――しかも運動性に劣る『ミラージュ2000』では、なおさらに困難であろう状況。だが、ヴァイス1は機体をロールさせるや、加速性を活かして垂直旋回し下降反転。空中戦闘機動に言うスプリットSを駆使し、その追撃を捌いたのだ。旋回の下端でバレルロールを織り交ぜ、なおも追跡するミサイルを回避したのは驚嘆すべきという他ない。

 わずか数秒の、攻防入り乱れる戦闘機動。ぶつかりあう空の中で、その2機は明らかに異彩だった。

 

《誇りを失ったベルカなど、連合もろとも滅べばいい。虚飾と阿諛に満ちた今のベルカを、私は認めない》

《――それでも!ベルカ国民はそこに生きている!国民を守ることが、軍人の使命ではないですか!》

 

 言葉を、思想を、信念をぶつけあう戦場。乗り手の意志に応えるように、黒と白の機体は撃ち合い、馳せ合い、鎬を削り合う。かつて円卓の空で見た、エスパーダ1――アルベルト大尉とズィルバー1の戦いに、それは勝るとも劣らない。

 まるで騎士の決闘のような戦場。その片隅では、包囲から逃れ損ねたクーデター軍のMiG-21が1機、爆炎に四散し空へと還っていった。

 

《敵機残存数5。もう一息だ、奮闘せよ》

《奮闘せよってな…!…だめだ、やはりミサイルが当たらない!》

《…いや、待て。――なんだと…!?サンダーヘッドより各機、基地制圧部隊から緊急連絡!クーデター軍が巡航ミサイルの発射準備に入った!艦艇搭載型、目標は不明!》

《何!?……く、奴ら…悪あがきを!》

 

 常にない管制官の焦燥した声に、操縦桿を引きかけたカルロスの手が強張る。

 巡航ミサイル、艦艇搭載型。そして、このタイミング。つい昨日にミーティングを受けたカルロスの脳裏には、思い当るものがあった。

 

 クーデター軍が手中に収めているという、大量破壊兵器『アロンダイト』。事前の情報では艦艇、ないし航空機搭載型のミサイル弾頭とのことだったが、不利な現状を打開するために――または一矢報いるためにこのタイミングで発射することは十分に考えられる。

 だが艦艇搭載型ともなれば、巡航ミサイルを搭載できる艦は自ずと限られる。情報によるとクーデター軍に属した戦艦はおらず、潜水艦も大型のものは存在しない。ならば、考えられるのは。

 

 素早く地上へ走ったカルロスの眼が、今だ戦火の及んでいない西方港湾施設を捉えた。港湾施設の最西端、複数の艦艇が停泊している岸壁。そして、そこから離岸しつつある、1隻の駆逐艦――。

 

「ミサイル搭載艦……あれか!ニムロッド3、港湾部に搭載艦と思しき目標を確認。駆逐艦1隻が離岸しつつあり!」

《サンダーヘッド了解。オーシア軍ヘリ部隊に攻撃を要請する。エスクード、ニムロッド各機は対艦攻撃を支援せよ》

「了解…!エスクード隊へ、こちらは先行します!」

 

 最早、上空のエスクード隊を待つ時間も惜しい。カルロスは手早く可変翼を操作し、再び最小角まで畳んだ高速形態を取って、操縦桿を押し倒した。

 加速のGが全身に襲い掛かる。眼下の施設と黒煙が見る見る足下を過ぎ去ってゆく。基地の北東方向からは、指令を受けたらしいオーシアの戦闘ヘリが数機、港湾施設へ向けて飛んで来るのが見える。目まぐるしく動く戦況に疲労を訴える心身を、カルロスは懸命に堪えた。

 

《グラオガイスト1より2。低空域の敵機を掃討せよ。『シュトラント・ヴェレ』を沈めさせるな》

《エスクード2よりニムロッド3!カルロス、気を付けろ!『灰帯』が1機抜けた!》

「分かった!ヘリはこっちで守る!」

 

 敵味方共にベルカの通信周波数を用いているためか、ぞっとするほど明瞭に聞こえる『灰帯』の声。続くニコラスの声に頭を上げると、上空の空戦域から黒い機影が一つ抜け出て、その後方をさらに数機の機影が追っている様が目に入った。おそらく、指示を受けた『灰帯』の1機と、それを追撃するエスクード隊らに違いない。高出力エンジンを積んだF-15の前に、心なしかその距離は徐々に開きつつあるようにも見える。つまり、このままではヘリが後方からの危険に晒される。

 

 最低限の状況を見極め、カルロスは可変翼を通常位置へ戻すとともに、操縦桿を右へと倒して旋回した。

 機首が北を経て東へと向き、その先に後続していたヘリ部隊の姿を捉える。その上を入れ違い、2°ほど機首を上げたその先。距離1300ほどを隔て、ヘリの斜め後方から襲い掛からんとする、1機の(イーグル)の姿が捉えられた。敵機位置、真正面。ヘッドオン――。

 

「……っ!」

 

 カルロスが引いた引き金に合わせ、『フロッガーJ』の胴体下から放たれる2発のAAM。相対速度を考えれば外しようもなかった筈の2本の矢は、しかし――やはりと言うべきか、左へ旋回した敵の姿を追うことなく通過し、彼方へと消えていった。やはりF-117同様に高度なステルス機能を施されているのだろう、赤外線誘導式ミサイルではその尻尾を捉えた様子さえない。

 

 ちっ。舌打ち一つ、カルロスは操縦桿を引いて宙を回り、旋回の頂点で機体をロール。いわゆるインメルマンターンで高度を稼いだのち、機首を下げて『灰帯』を追撃に入った。正面からの攻撃と回避強制でわずかばかりの時間稼ぎはできたものの、当の『灰帯』は旋回から再び加速し、ヘリ部隊を射程に収めつつある。その背をエスクード隊の『タイガーⅡ』2機が追っているが、目算ではまだAAMや機銃の射程に到達していない。搭載しているSAAM(セミアクティブ空対空ミサイル)ならば既に射程に収めているだろうが、F-5Eのレーダーで『灰帯』を捕捉できていなければ、肝心の誘導も覚束ないだろう。

 

 ヘリが、喰われる。可変翼を再び最小位置へと畳み、稼いだ高度を利用して降下加速をかけるが、優速の『灰帯』へは到底追いつかない。『灰帯』とヘリの目算距離、1000。950。900。短射程AAMの眼に捉えられる、致命の距離。

 だが。

 

(…あいつ、何故ミサイルを撃たない…?)

 

 920、900、870。十分に射程に収めておきながら、『灰帯』は一向にAAMを使わず、さらに距離を詰め続けていた。衝突や追い越し(オーバーシュート)を警戒してのことだろう、その速度も落ちてきている。

 

 以降、カルロスは知る由も無いが、これこそが『灰帯』――F-15SE『サイレントイーグル』の欠点であった。すなわちステルス機はレーダー波の反射を防ぐため、(こと)ステルス機能を発揮したい場合には外部に兵装を搭載することができず、内部の兵装庫や一体型兵装庫に収めざるを得ない。それゆえに主翼や胴体下部のスペースを使うことができず、搭載兵器量が大きく制限される――それに伴う継戦能力の低さが、その『欠点』という訳である。元々ステルス機として開発が進められたF-22『ラプター』やF-35『ライトニングⅡ』シリーズ等ではこの点も改善が見られるが、F-15へ後天的にステルス機能を付加したSE型では依然として大きな課題だったと言って良いだろう。この時の彼らもまた、爆撃機撃墜とその後の空戦でミサイルを撃ち尽くし、機銃での戦闘を強いられていたのである。

 

《速度が落ちた!》

《エスクード2、一撃離脱を仕掛ける。奴をヘリの背から切り離せ!》

 

 速度を落とし、それでも着実にヘリの背を捉えつつある『灰帯』。その背目がけ、漸く距離を詰めたエスクード隊の2機が、必中の距離まで肉薄してゆく。

 兵装選択、23㎜ガンポッド。目まぐるしい可変翼操作で悲鳴を上げる機体を省みる余裕もなく、カルロスは必死に速度を上げた。

 

 破砕、黒煙。『灰帯』が発砲し、20㎜弾がヘリの脆弱な装甲をズタズタに切り裂いて朱に染めてゆく。

 その背を狙い、AAMで先制したのはエスクード1。距離にして800、しかもなお加速中でもあり、回避は困難であろう距離。

 それにも関わらず、いち早く察知した『灰帯』は左急旋回でAAMを回避。その鼻先目がけて放たれたエスクード2の機銃掃射をも、左旋回から下降に入るバレルロールで回避し、追い抜かれたばかりのエスクード1を眼前に収めたのだった。機体性能だけでない、咄嗟のその判断力と戦闘機動はやはり只者ではない。

 

 エスクード1の『タイガーⅡ』を、(イーグル)の眼が捉える。

距離、――250。

 その大柄な機体が『タイガーⅡ』を追い越していった後、残ったのは穴だらけになり炎を上げる、『タイガーⅡ』の姿だった。

 

《エスクード1!》

《くっ…化け物め…!ニコラス、指揮を引き継げ!エスクード1脱出する!》

「…くそっ!なんて奴だ…!」

 

 『タイガーⅡ』のキャノピーが爆ぜ、パラシュートが宙を舞う。――これで、こちらは残り2機。機数の上ではまだ勝っているが、F-15に対し一世代前の軽戦闘機と戦闘爆撃機では分が悪いと言わざるを得ない。しかも上空の戦線は『灰帯』の部隊とヴァイス隊の間で膠着しており、こちらへ増援を回す余裕はないように見受けられた。つまり、この2機だけで『灰帯』をどうにかしなければならない。

 

《くそったれ!こんな機体で『イーグル』に敵うかよ!…オーシアのヘリ部隊、とにかくバラけろ!俺たちが何とか時間を稼ぐ!》

 

 ニコラスの苛立たしげな声を尻目に、攻撃を逃れた『灰帯』が横合いから再びヘリに襲い掛かる。エスクード2の追撃、カルロスの発砲。それすらも容易に回避して、『灰帯』はヘリ編隊を擦過し、瞬く間に1機を炎の玉に変えた。その様は、肉食獣が群れを襲い、掠めるように獲物を持ち去るのと何ら変わりない。

 

 どうする。かつて『灰帯』と戦った時のごとく、エースと対峙した時のごとく、カルロスは考える。

 運動性、加速力と、性能ではまず勝ち目がない。肝心の火器も、残っているのは対空攻撃には向かない30㎜6銃身ガトリング砲の他は連装23㎜ガンポッドとチャフ弾装填ガンポッド、フレアディスペンサーのみ。頼みの綱は23㎜ガンポッドだが、こうも運動性が懸絶していては容易に捕捉できないことは目に見えている。片やニコラスの『タイガーⅡ』は、ミーティングの内容そのままの装備だとしたら短距離AAMとSAAMが2発ずつ、他は20㎜機関砲が2門の筈だ。

 あらゆる不利な条件、そして巡航ミサイル阻止という時間制限。――どうする。どうすればいい。

 

「まずいな…。ニコラス、残弾は?」

《もうAAMは使っちまった。SAAMもあと1発、残りは20㎜が100ちょっとだ畜生!ミサイルも当たらない、機銃も掠りもしない…どうしろってんだ!》

 

 圧倒的な力の差に喚き散らすニコラスの言葉に、カルロスも思わず唇を噛む。

 ニコラスの言を引くならばミサイルはわずかに1発、ステルスの影響を受けない機銃すら残り少ない。機体側のレーダー誘導を用いるSAAMでさえ、レーダー反応の小ささを考えると通じるかどうかは疑問である。

 二人の絶望を嘲笑うかのように、旋回した『灰帯』が再びヘリの方向を指向する。カルロスは主翼を畳んだまま、その背を、その姿を、懸命に追った。

 ステルス――常時フレアやチャフをまき散らすように、一方的にこちらの攻撃を封じて来る脅威。だが、諦める訳にはいかない。傭兵の任を果たし、生きて帰るためにも。あの日のスーデントールのような、凄惨な光景を繰り返さないためにも。考えろ、カルロス。考えろ。ステルス。SAAM。30㎜。レーダー誘導。チャフ弾。フレア。立ち上る黒煙。施設の配置…。

 

「…そうだ!」

 

 瞬間、脳裏に閃いた。荒唐無稽で無謀で、おそらく成功の率も低いであろう手。それでも、今あるものを総動員した、渾身の一手。計器盤を操作し、地表の様子を見定め、カルロスは逡巡も置き去ってひたすら思考と塔さに没頭した。兵装選択完了、可変翼通常位置。狙いは、ただ一つ。

 

「ニコラス、1個思いついた!SAAM用意、合図したら撃ってくれ!」

《んな…!思い付きって大丈夫かよ!?》

「他にないだろ、いいからよく聞け!」

 

 残弾を考えれば、チャンスは一度きり。それも、互いの連携無しでは到底成し得ないであろう作戦である。カルロルは口早に作戦を述べ、互いの役割をニコラスへと伝えた。

 

 機位、『灰帯』の後方斜め上空。3機目の餌食にせんとヘリを狙い迫るF-15の鼻先へ、カルロスは6銃身30㎜を選択し引き金を引いた。先ほど通りの凄まじい振動と轟音が耳を苛み、照準がややもすればあさっての方向へとずれてゆく。

 当然ながら、その射撃は正確さを欠き、『灰帯』の進行方向へとばらまかれる形となった。通常の機銃ならばなんら被害を与えない攻撃――だが、殊『フロッガーJ』の30㎜に関しては、弾丸の破片による有効範囲が半径100mを越える。当然の帰結として、弾幕のすぐ後方を飛ぶ形となった『灰帯』へも降り注ぐ結果となった。

 

《…!?ちっ、旧式風情が味な真似を!》

 

 通信に、苛立ちを帯びた『灰帯』の声が混ざる。このままヘリへの攻撃を続ければ破片の網に苛まれ続けると判断したのだろう、『灰帯』は旋回とともに射線から逃れて左旋回。こちらの背を取るべく、横方向の格闘戦へと移行した。

 隙を突いてヘリ部隊が港湾へ向かう。迎撃すべく周囲の対空砲が唸りを上げ始める。駆逐艦への攻撃阻止を受けていたにも関わらず、それでもなおこちらへと目標を切り替えたのは、MiG-27の攻撃範囲の脅威に加え、旧式を落とすのに時間はかからないと踏んだために違いない。その油断こそ、カルロスが買いたかったものだった。

 

 第4世代に属するF-15シリーズは、汎用性に加え運動性能も考慮し設計されたため、格闘戦能力でも旧世代機とは比べものにならない。まして戦闘攻撃機たるMiG-27Mではなおの事である。主翼を通常位置に固定したままであることも相まって、『灰帯』は徐々にこちらの尾部をその照準に捉え始めていた。

 

 『灰帯』の20㎜弾が尾部を掠め始める。後方警戒ミラーの中で距離を狭め、静かに迫る黒い機体が映る。

 被弾、衝撃。

 主翼に数発を受け、カルロスは耐えかねたように旋回を放棄し、極低空へと機体を降下させた。高度、わずかに200。高い構造物には接触しかねない高さであり、炎や黒煙が立ち上る基地上空は視界も悪い。黒煙と施設に紛れ、追撃を撒く算段――少なくとも、『灰帯』にはそんな窮地の一手に見えたことだろう。

 

 迫る。

 迫る。

 『灰帯』がこちらへと迫る。

 通信塔を避け、黒煙をくぐり、それでもその距離は離れない。

 もはや目の前に姿を紛れさせる黒煙はなく、背の高い施設も尽く過ぎた。旋回で身をよじり、目の前に残るは格納庫、車両庫、見張り塔、そして燃料庫。

 速度が落ち、後背の鷹が迫る。距離、400。機銃弾が胴体に集中し始め、一つがキャノピーを掠め去る。

 もはや、『避けようがない』。

 

《万策尽きたようだな。――墜ちろ。その死を以てホフヌングの民の、我らの同志の命を――》

「……!そ、こ、――」

《償え》

「だあぁぁぁぁ!!」

 

 カルロスは、『目標』へ向けて23㎜ガンポッド『4門』の引き金を引いた。

弾丸が、脆い壁を次々と貫通してゆく。元より機関砲への防御など想定していない施設である、一般的な口径弾といえども、23㎜弾の直撃を受ければひとたまりもない。殺到した弾丸はその目標たる燃料庫を破壊し、眼前に凄まじい爆炎が立ち上った。

 直近、距離にしてわずか数百mで生じた炎。当然それは避けられる筈も無く、巻き上がる炎と爆風、そして鉄屑と『銀色の薄片』の奔流にMiG-27Mが、次いでF-15が呑まれてゆく。

 

「ニコラスッ!」

《カルロスッ!!》

 

 飛び交った、名を呼び合うだけのこの上なく短い言葉。

 互いの言葉に応えたかのように、炎を抜けたカルロスの眼には、1機の機影が映った。

『タイガーⅡ』。エスクード2――ニコラスの機体が、出せる限りの速度で真正面から迫る。

 左ロール。正面のニコラスも同様にロールし、進路を変えぬまま腹を掠めて交差。衝撃音すら後方に残したニコラスの正面に映るであろう光景は、立ち上る炎、そこから抜け出る『灰帯』、そしてレーダーに映える光点1つ。

 

《な…――》

 

 『タイガーⅡ』から放たれたSAAMが、過たず『灰帯』の真正面を捉える。炎に幻惑され、同時に舞い上がった銀色の薄片に気づかなかった『灰帯』には、それは大きすぎる一瞬の隙だった。

 正面から撃ち込まれた一筋の矢は、黒い機体に正面から突き刺さり、爆散。砕け残った灰帯の黒翼を地面に突き立て、地に転がって四散した。

 

 ステルスを破る、乾坤の戦術。それこそが、カルロスの装備とニコラスのSAAMを利用したこの戦術だった。

 すなわちこちらの隙を見せて敵を燃料庫の傍まで誘導し、爆風と炎で幻惑。この際に23㎜ガンポッドのチャフ弾を発射し、燃料庫爆破に先駆けて『灰帯』のエアインテークや機体各部にチャフを付着させたのだった。通常チャフは、レーダー誘導ミサイルに対する欺瞞に用いられる――すなわち、レーダー波を反射する。これを利用し、付着させたチャフを『タイガーⅡ』のレーダー波の目印とした訳である。おそらく、『灰帯』が油断して最接近していなければ、この手は通用しなかっただろう。

 

《あ…!た、隊長!グラオガイスト2、撃墜!『シュトラント・ヴェレ』も攻撃を受けています!》

《…!グラオガイスト1より『シュトラント・ヴェレ』、1発でも構わん、撃て。ベルカに仇なす者に、一矢でも報いろ》

 

 空に、はっきりと伝わった動揺。エースの一角を失い、(かなめ)の駆逐艦もヘリ部隊の攻撃を受け、平衡の戦況は再び連合軍へと大きく傾いていた。

 被弾した乗機を労わるように、カルロスは1000付近まで高度を上げ、機体を傾けて港湾部へと目を向ける。遠方までは見通せないその高度からでも、周囲の対空砲は既に沈黙し、駆逐艦も炎に包まれ傾いている様が見て取れた。あれほどの被害ならば、駆逐艦もおそらく長くは持たない。

 その時だった。

 

 ヘリに嬲られ煙に沈む艦の中ほどから、一筋の白煙が唐突に生じ、垂直に上ってゆく。直後に炎に包まれ爆散した駆逐艦をも顧みず、それは途中で弧を描き、北東の方向へと進路を取り始めた。速度と状況を考えるに、おそらくは巡航ミサイル。――まさか。

 

《…!こちらサンダーヘッド、敵艦巡航ミサイル1発発射!方位040、目標…ベルカ国内と推定。まずいぞ…!ベルカ東部の防衛網はまだ復旧していない!》

《おい、まさか『アロンダイト』か…!?》

 

 まさか。

 勝った、そう確信した心が、再び絶望に浸される。巡航ミサイルの速度ならば戦闘機での追撃は不可能ではないが、上空を見る限り手負いでなく、かつ加速に優れる機体はほぼ残っていない。ベルカ内の防衛能力も整っていない以上、こちらからの追撃は無謀と考えざるを得ないだろう。

 

 だが。空に満ちた絶望を切り裂くように、上空の空戦域から、1機の機影が飛び出していくのが見えた。

 遠目で判別し辛いが、デルタ翼に白い機体カラーの機影が、放たれた鏃のようにミサイルを追う様が辛うじて捉えられる。あの機種は、そしてあの色は。

 

《サンダーヘッドよりヴァイス1、待て!追撃命令は出していない!戻れ!》

《ネガティブ。この距離ならば、『ミラージュ2000』なら追いつけます》

《し、しかし…!隊長の機体はもうミサイルが!》

《ベルカ国民を守る。その信念の為ならば本望です》

「……!ヴァイス1、…あんたは…!!」

 

 おそらく、カルロスの声は届かなかっただろう。

 それほどまでに速く、まっすぐに、白い鏃は灰色の空を駆けてゆく。

 高出力のエンジンに軽量な機体、そして高速性能に優れるデルタ翼を組み合わせた傑作戦闘機、『ミラージュ2000-5』。その姿はまばゆい光を放つ流星のように、哀しい程に白く速い。

 音速を遥かに超える中では、機動はおろか機銃を撃つことも叶わない。唯一の攻撃手段たるミサイルも、もはや空戦で撃ち尽くして持ち合わせていない。それでもなお、その白い機体は自身を鏃と見立てて、飛んだ。

 

《ベルカに、永久(とわ)に加護を》

 

 最後に零れた声一つ。

 それは飛んで、飛んで、白い飛行機雲を曳いて巡航ミサイルへと追いつき――遥か隔てた彼方の空に小さな炎を爆ぜさせ、消えた。

 

《………隊長…》

《…愚かな…。グラオガイスト1より各機、撤退する。戦いは、報復は終わらない。命を無駄にするな》

 

 上空に残る黒い機影が3つ、怨嗟の声を残し、北を指して飛んでゆく。最早追撃する弾薬も余力もなく、連合軍機は成す術ないまま、遠ざかるその背を追っていた。

 

 死なないし、死なせない。そして信念に呑まれない。そう心に固めたカルロスにとって、信念に殉じて散ったヴァイス1の死に方は自らと相入れないものだっただろう。

 だが、それでも。スーデントールで邂逅し、そして今また知ったその名の通り白い信念を、否定することは到底できなかった。自分の信念は、今なお正しいと思っている。だが、ヴァイス1の信念もまた同様に――あるいは自分より――正しいとも感じずにはいられなかった。

 

《………。周辺に敵性反応なし。地上部掃討の7割を完了、作戦は成功した。……各員、『ヴァイス1』フィリーネ大尉へ。敬礼》

 

 まばゆいばかりに(たか)く、速く、白いその最期。そしてその信念への想い。

 白い鏃が飛んだ空へ、カルロスは目を向ける。左手を額に翳した敬礼は、心なしか震えていた。

 

 灰色の雲、黒い爆煙。その空の中に、白の色はどこにも見いだせなかった。

 


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