Ace Combat side story of ZERO - Skies of seamless - 作:びわ之樹
「………で、やっぱり俺は置いてけぼりかよ…。」
快調なエンジン音を響かせる機体の息吹に、うなだれた若人のため息が入り交じり、青空の彼方に消えていく。
基地上空の哨戒任務ということもあり、本日は
こいつ、人の気も知らないで。今日ばかりは灰色の愛機に愚痴一つ、カルロスは地を探る目を虚空に向けて、しばし先のやりとりを反芻していた。
基地に着任して翌日の、早速の出撃命令が下されたのは本日朝。勇躍し出撃の時を待つカルロスに、『お前は、今日は基地で留守番だ』と冷や水を浴びせたのはアンドリュー隊長だった。
『お前の担当は予備機だ。もし全機で出撃して万一2機以上に損害が出れば、今後の参加は覚束なくなる。それに、俺たちはまだベルカの手並みも知らん。保険の意味も含めて、今回はここに残って機体をこの空に慣らしておけ』
『そんな!俺だってこの二年、ずっと
『駄目だ、万一の為だと言っただろう。役に立ちたいというなら、基地の哨戒任務もある。…心配するな、今日無事に帰ってきたら、次のローテーションに入れてやる。』
残念ではあったが、隊長の言うことは道理でもある。護衛にトーネード2機が就く以上、絶対的な戦力不足という訳でもない。不承不承ながら命令を受けるしかなかったカルロスに、他のメンバーは三様に声をかけてくれた。不満は無いではなかったものの、その暖かな思いやりは、素直に嬉しかった。
曰く、『がはは!まー今回は大人しく待っとれ!お前の分の戦果も稼いできてやるからな!』。
曰く、『まぁ、機体をしっかり慣らしておくのも大事な仕事だ。俺らの宿もしっかり守っておいてくれよ?』。
曰く、『ざまぁです』。
…嗚呼、最後のだけは今思い出しても腹が立つ。
かくして、小隊の出撃から数時間。基地に残る4機の戦闘機小隊と交代で、カルロスは基地上空の哨戒に至った次第である。
しばしの内省から我に返り、ふと自機の左前方へ目をやれば、1機のF-5E『タイガーⅡ』が変わらずその小柄な翼を風に舞わせている。
小型で取り扱い易く低コスト、おまけに制空戦闘機としてはそれなりの性能も有する軽戦闘機ということもあり、F-5シリーズは各国の空軍や傭兵の間でもポピュラーな機体の一つである。さすがに運用されてから長いため、性能面では最新鋭機に及ぶとは言いがたいものの、隊長も皆もいない今はその存在が頼もしい。
そんな感慨を抱いていた当の相手から、ざ、ざ、と回線を揺らす通信が入ったのは丁度その時だった。
《エスクード2よりニムロッド5。退屈な仕事とは思うが、しっかり気を張ってくれよ。こちらは異常なしだ。そっちはどうだ?》
「っとと。了解、エスクード2。こっちも異常なし。引き続き哨戒を続ける。」
よそ見をしているこちらを察したのかと勘ぐりたくなるタイミングでかかった言葉に、慌てて応答するカルロス。正規のサピン空軍戦闘機小隊の2番機ということもあり、その勘はなかなかのものである。
ぱしん、と自らの頬を叩いて気を引き締め、機体を傾けて眼下の様子を探る。見えるものと言えば傷ついた基地に茶褐色と灰色の大地、所々を彩る雪、そして遙かに続く山、山、山。
この山脈の向こうでは、今頃戦闘が行われているのだろうか。思わず戦場へ続くその空を見上げ、ため息一つ、視線を山間の谷へと落とした、その刹那。カルロスの眼に、きらりと光る何かが映った。
「…?何だ?」
頭に差し込んだ違和感を反芻しながら、カルロスは谷間へと目を凝らした。谷間は切り立った山肌に雪を纏い、その多くは日陰となっているが、所々には日の当たる一角もあり、雪の白を陽光に映えさせている。雪や氷が太陽の光を反射し、光って見えたのだろうか。この切り立った地形では車輛が入って来れるはずもなく、戦闘の全戦も山脈の遥か先である。この情景を考えれば、その可能性が最も高い。
なおも光を捉えた辺りをまじまじと眺めながら、カルロスは脳裏にそう分析を下した。
……いや。
違う。
何かが動いている。
谷間に降り積もった白い雪の上を、黒い機影が泳いでいる。
数は6…いや、8。うち2機は、各国空軍でもよく見たことのある大型戦闘機、F-4E『ファントムⅡ』とすぐさま判別がついた。だが、残り6機の見慣れぬ姿に、カルロスは目を凝らしつつ必死に記憶を辿る。
翼前部に傾斜がかかった、やや細身の上翼配置。無骨な形状の主翼付け根から、機首へ向かって鋭角的に推移するシルエット。尾部にうっすら見える、連なった二筋の噴射炎。そして速度に応じて角度を変える、特徴的な可変翼。実物を見たことは無いが、記録写真で何度か目にした記憶はある。
あれは――。
「……!エスクード2、訂正する!方位300に機影8、F-4タイプが2、F-111が6機と推定!針路…基地へ直行!!」
《何!?………。なんてこった、確かにベルカの戦闘爆撃機だ!…チッ、基地は気づいてないのか!こちらエスクード2、聞こえるか!方位300に敵機8!すぐに迎撃機を上げてくれ!》
その機体――F-111『アードヴァーク』の名を記憶から掴み出し、反射的に大声をあげるカルロス。自らも機体を傾けて確認したのか、エスクード2の狼狽する声が無線を揺らした。
冗談ではない。やや旧式の戦闘爆撃機ではあるが、F-111の外部兵装搭載量は近代的な主要戦闘機を軽く上回る。もし対地兵装を満載していたら、戦力を消耗したあの基地などひとたまりもない。
悪いことは重なるもので、基地の方でも接近に気づいた様子はなく、こちらの2機以外に防備は皆無に等しい。おそらく、敵編隊は電波が届きにくい山間を低空で飛行し、視覚的・電子的に目を欺きながら侵攻して来たのだろう。
いずれにせよ、数は2対8と圧倒的に不利、おまけに基地の迎撃能力は極めて脆い。友軍が上がるまで敵を凌がねば基地の壊滅が避けられないであろうことは、未熟なカルロスでも容易に想像できた。
《クソッ、とにかく時間を稼ぐぞ。続け!》
「こんな時に…!ニムロッド5、了解!」
通信を切るや、増槽を捨てた『タイガーⅡ』が機体を傾けつつ高度を下げる。カルロスもそれに倣うように増槽を捨て、高度を下げながら敵編隊へと頭を向けた。高度差は概ね2000フィート、まだ射程距離には遠い。しかも斜め下方へ降下するこちらに対し敵は低空を直進するため、この機位からミサイルを撃っても当たらない公算が強い。かといって、後方へ回り込めばその分敵の接近を許してしまう。…どうする。どうすればいい。
《くそ、こっちは2機しかいないってのに…!》
やや前方を先行するエスクード2の苛立った声が耳に入る。確かに、ニムロッド隊の各員か、せめて基地のトーネードがいれば。カルロスもそう思わずにはいられない。
――いや。
その時、カルロスの脳裏に閃くものがあった。
こちらには2機『いる』のだ。単機ならできない戦術でも、複数いればその分幅も広がる。思いつきを頭で整理する暇も無く、カルロスはそれを口に出していた。
「エスクード2へ意見具申!俺はこのまま敵の頭を押さえ、その間に敵の後ろに回るってのはどうだ!?」
《何!?ただでさえ数が少ないのに分散は…………いや、…この状況だ、案外いけるかもしれん。…乗った!きっちり散らせよ!》
歯切れの良い応答とともに、エスクード2が機首をやや上げ、敵編隊の後方上空に位置どるべく機体を加速させて遠ざかる。自らの提案とその役割に今更ながら心臓の鼓動を早めつつ、カルロスは進路をそのままに、乗機MiG-21bisの小柄な機体をひたすらに下降させた。
要は、敵が基地へ到達するのを少しでも遅らせられればいいのである。現状の不利は1機2機落とした所で揺るがず、犠牲を覚悟で敵が基地へ侵入して友軍機を撃破してしまえば、それこそ最悪の展開になる。
ならば、1機が敵の頭を抑えて散開させ、その間に後方に回り込んだもう1機が後方から攻撃し、回避行動を強いる。時間にしてわずかな差にはなろうが、そのわずかな差こそが戦場では大きな差となることを、カルロスは予備機の立場ながら嫌と言うほど見て来た。その経験が、咄嗟に思い付きを脳裏へと浮かばせたのだろう。
…だが。果たして俺が、未だ1機すら落としたことのない俺が、首尾よく役割を果たせるのか。
相対距離1400。こちらの挙動を察した『ファントムⅡ』2機がいち早く機首を上げる。
相対距離800。だが、相対速度の速さと対処が遅れた為であろう。こちらを狙う有効な機位に占位できないことを察した2機が、こちらの下方を抜けるべく加速する。
相対距離500。6機の『アードヴァーク』が視界いっぱいに広がる。
相対距離350。そのパイロットと目が合う。
ぶつかる。その、刹那。
「当たれぇぇぇぇぇ!!!」
23㎜機関砲が轟音と共に火を噴き、雪を背景にした曳光弾が光の軌跡を敵編隊中央へと刻む。一拍遅れて馳せ違う『アードヴァーク』の機影が、瞬く間にすぐ下方を抜けていく。
命中を確認する間もなく、カルロスは必死に操縦桿を引き、機首を引き上げにかかる。
重い。速度を付けすぎたのか、機体が安定しない。谷が迫る。山壁が両側を塞ぐ。間に合え。踏ん張れ、『フィッシュベッド』――!!
「………っぶはぁっ!!はぁっ、…い、生きてる…。」
地面スレスレの所で急上昇に転じた機体の中で、カルロスはため込んだ緊張と恐怖を吐き出した。――敵機。そうだ、敵は。慌てたように回転する視界の中でその位置を探る。
いた。すぐ前下方に『アードヴァーク』6機、遥か前方で高度を取り反転する『ファントムⅡ』が2機。トップアタックが功を奏したのか、確かに敵編隊は乱れ、各個に回避運動を取りつつある。後方から追いついたエスクード2は早くもその内の1機を射程に収め、AAMを発射。地形故に急ターンも困難な状況で回避の術はなく、ミサイルはF-111の尾翼付近に命中し、炸裂。爆炎の掌は機体後部を引き千切り、毟り投げるように残った前部を雪原に転がした。
《エスクード2、1キル!…チッ、上か!》
「任せろ!ニムロッド5、FOX2!」
反転し、エスクード2に機首を向ける『ファントムⅡ』2機へ向け、カルロスはAAMを1発発射する。ろくにロックオンせず放ったこともあり、白煙を曳いたミサイルは2機の間を抜けていってしまったが、それでも敵機は回避のため、反射的に機体を攻撃位置から外した。ミサイルを中心に左右に開いた2機が機首を向けるのは、エスクード2ではなく、明らかにこちら。――目を引くまでは成功した。が、問題はここからである。この位置、この機体で、果たして何秒もつか。絶えない不安が固唾となって喉に落ちると同時に、敵機から光の雨と白煙を曳く矢が同時に放たれた。
「まずッ…うあぁぁぁっ!!」
主翼のすぐ向う側を白煙が抜け、間髪入れず装甲を幾重にも叩く耳障りな音が心臓を苛む。すれ違いざまに響く『ファントムⅡ』のエンジン音は、今の彼にはさながら獲物を狙う虎の唸りにすら思えた。
幸い、致命的な箇所への被弾はない。だが、今の状況は不利この上ないと断じていいだろう。反転した敵機はこちらの後方上空に位置取りつつあり、こちらが再加速して上昇する前に確実に攻撃位置に就く。左右へ回避しようにも迫り立つ山肌が機動を制限し、殺到するミサイルを回避することも覚束ない。何より機体そのものの特性として、MiG-21系統は小柄な主翼が災いし、低空で安定性が悪化する。状況、機体、あらゆる点をとっても、こちらの有利は何一つ無い。
「………まずい、逃げ場がッ…!!」
《エスクード2、2キル!…くそっ、エスクード隊発進まだか!!手が足りない!》
命知らずのカモを嬲るように、後背に20mm弾の軌跡が迫る。谷間に沿い逃げるしかないこちらを察して、予測回避先へバルカンを放つ偏差射撃をしているのだろう、その度に銀色の機体に黒い被弾痕が確実に増えていく。エスクード2の声が無線に聞こえた気がしたが、その内容を解する余裕すら無い。
横合いにかかるGが、先ほどからの精神への重圧が、何より恐怖が、胃袋を締め付け続ける。真実味を増した死が手を強ばらせ、機体の機動を無意識に鈍らせる。
ヴ――――。
コクピットに重低音が満ちる。ロックオン警報。
捕まった。
やられる。
瞬間、カルロスの脳裏には、故郷の思い出が去来した。幼い頃戦死した父の面影。母の憂い顔。弟妹たちの顔。
走馬燈のような、一瞬の幻。
それは直後に起こった爆発で、霧のようにかき消えた。
「…………!?」
《カルロス、生きてるか》
《このバカ、無茶しやがって…!》
「……!隊長!みんな!!」
聞き覚えのある声が耳朶に触れ、幻に浸された脳を現実に引き戻す。
背後を振り返れば、爆炎に包まれ左翼を失った『ファントムⅡ』が平衡を失い、山壁に衝突する姿。残る1機はこちらを追い越し逃走の気配を見せるが、後方から追いついた『フィッシュベッド』の機銃を受けて墜落していく。弾丸は正確にコクピットを砕いたのだろう、落ちていく大型の機影から炎が出る様子は無かった。
《ニムロッド2、1キル。前しか見てないイノシシはチョロいです。》
《ニムロッド2、上出来だ。…爆撃機の方も諦めたらしい。帰還するぞ。……カルロス!付いてこれるな。》
「…隊長!……すみません、俺…」
《………言いたいことは山ほどあるが、1個だけ言っておく。『僚機に死なれるのは困る』。……それだけだ。》
頭上を越えていく、翼を目一杯に広げたMiG-27M『フロッガーJ』の影。その姿を間近に見た時、不意にカルロスの頬を涙が濡らした。
安堵、恐怖、不甲斐なさ、悔しさ、感謝。様々な感情が入り交じった涙は止まる所を知らず、吐露する場所を見つけたように溢れ出す。
尖った翼端に軌跡を曳き、ダイヤモンド隊形の小隊に追随するよう銀色の機体が高度を上げる。カルロスの滲んだ目には、連なる山々、地から湧く五筋の黒煙、そして朝と変わらぬ姿を見せるヴェスパーテ基地の滑走路が、空の青に混じって揺れていた。