Ace Combat side story of ZERO - Skies of seamless -   作:びわ之樹

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第28話 Border Line(前) -受け継ぐもの‐

 昔から、楽しみが待っている前の日には寝付きが悪い人間だった。

 誕生日然り、クリスマス然り。極貧といっていい故郷レサスにあっても、それらは他国と変わらないささやかな非日常だった。そんな日の前には決まって目が冴えてしまい、翌朝を寝ぼけ眼で迎えていたことが記憶の縁に残っている。

 

 楽しみ――そう言うと語弊があるが、終戦以降の警戒任務と比べれば、今回の作戦は久方ぶりの大規模な戦闘行動である。すなわち、これもまた常とは異なる非日常と言っていい。

 それゆえだったのだろう。昨晩も夜風に当たり、床に入ってからも幾度となく寝返りを打ってようやく眠りに就けたのは。そして目を覚ましたカルロスが最初に見たのが、出撃まで1時間も無い頃合いを指す時計だったのは。

 

「…………え?」

 

 眠気の残る目が、ぼんやりと枕元のアナログ時計を読み取る。

 出撃予定時刻は、明朝4時30分。片や、今目の前の時計は短針が4の字を指す寸前。長針はといえば、9と10の間に横たわっている。

 つまり、今の時刻は――。

 

「………。…あああああああああ!!」

 

 やって、しまった。本来なら遅くとも1時間前には準備を終えていなければならない筈が、あと40分ほどしか猶予が無い。攻撃隊の出撃は最後だからいいものの、制空隊は既に離陸準備を始めている頃だろう。事実、既に外からは低く唸るエンジンらしき音が鳴り響いている。

 カルロスは布団を跳ねのけ、二段ベッドの上段から飛び降りた。案の定、下段にいるはずのヴィクトール曹長も既にいない。額に浮かぶ冷や汗、血の気が引いて行く音。唐突に背中に寒気を感じたのは、暖かなベッドから出たことだけが原因ではないだろう。

 最早、最低限の身だしなみを整える余裕すらない。引っ掴んだフライトジャケットを寝間着のシャツの上から直接羽織り、航空靴を履いて、顔を二、三擦ってから、カルロスは居室を飛び出ていった。可能ならばシャワーでも浴びて目を覚ましたい所だったが、時計はそれを許してくれそうにない。廊下を曲がり、シャワー室の前を過ぎた拍子に、不規則な方向を指す寝癖が笑うように揺れた。

 

 そして、そんな存念が、頭に残っていたためだろう。角を曲がったその瞬間に、逆走してきた人影とぶつかりそうになったのは。

 

「うわっ!?…あっ!カルロス伍長、何やってたんですか!」

「悪い、寝坊した!」

「寝坊って…。早く行かないと、隊長もうカンカンですよ!?」

「…やっべ…!急がないと!」

 

 危うくぶつかりかけた人影――ニムロッド隊付きの若い整備兵が、血相を変えて声を張る。

 まずい。大作戦の出撃準備に遅れるだけでも気まずいのに、隊長が激怒しているともなれば尚更まずい。冷や汗が筋となって流れるのを額に感じながら、カルロスは一層足を速めて格納庫への道をひた走る。ややもすれば後からついてくる整備兵が遅れそうな程、その足取りはこれまでになく早い。

 

 格納庫への道のりが、今日ほど長いと感じたことは無かった。危うく蹴っ躓きかけ、すれ違う基地スタッフとぶつかりそうになりながら、それでもやっとのことで最後の直線へとたどり着く。

 あと20m、15m、10m。その先にある格納庫と棟を隔てる分厚い鉄扉は、平穏と戦空を隔てる境界でもある。その先には愛機が、カンカンの隊長が、そして空が待っている。

筈、だった。

 

「…?何だ?」

 

 ふと、エンジン音の中に、耳障りな音を感じた。

 甲高く短いループを繰り返す、本能をささくれ立たせる耳障りな人工音。それはミサイルアラートやスクランブルの際にも聞こえる、警戒を示すアラート。

 

 それらは、ものの数秒と経たぬ間に、地を揺るがす衝撃と轟音に変わった。

 

「うわあっ!!」

「……()っ……!何だ、一体…!?おい、大丈夫か!?」

 

 地震を思わせる凄まじい衝撃に、カルロスは壁へ叩きつけられる。左肩に走る鈍い痛みと平衡が定まらない感覚が、その衝撃と轟音の凄まじさを物語っていた。振り返ると、ついてきていた整備兵は頭を押さえて床に転がっている。先の衝撃の際に頭を打ち付けたのだろう、側頭部から流血しているのが見て取れた。傷は浅い様子だが、脳震盪を起こしたらしく、その足元は定まっていない。

 

 事故。攻撃。想像は浮かんでは消えるものの、少なくともこの衝撃は只事ではない。

 一体、何が起こったのか。探るように巡らせた頭は、正面を捉えて、そのまま固まった。

 見てしまったのである。正面にあったはずの分厚い鉄扉が吹き飛んで廊下に転がり、その先が赤と黒に包まれていたのを。

 まさか。ヴィクトール曹長、アンドリュー隊長。思わず、カルロスは整備兵を置いて駆けだしていた。

 

「…うっ…!」

 

 立ち込める濛々とした黒煙、そして油と血の匂い。カルロスは、むせ返るその匂いに、反射的に口元を押さえた。

 そこに広がっていた光景は、まさに惨劇だった。

 真っ先に目に入ったのは、天井から突き出た巨大なコンクリート片と鉄骨と、それがMiG-23MLDを中ほどからへし折っている様。整備中だったのだろう、その下からは二人分の下半身が覗き、赤黒い血の海に沈んでいる。扉の傍らを見れば、工具を肩に突き刺した整備兵が、呻き声を上げて壁に寄り掛かっていた。

 戦場と変わりない、凄惨な光景。その中で、カルロスの眼に一際大きな巨体が映った。

 

「ヴィクトール曹長!大丈夫ですか!?」

「おお!カルロス無事じゃったか!…フン、この程度掠り傷じゃて。それより、アンドリューは無事か?」

 

 潰れた『フロッガーK』の左隣に駐機していた、無傷の機体。その足元に、ヴィクトール曹長の姿があった。左の太腿と額に流血が認められるものの、幸いにして軽症で済んだように見受けられる。至る所からうめき声が上がり血の海となっている中で、これだけの怪我で済んだのは奇跡に近いだろう。

 だが、隊長は?

 ヴィクトール曹長の声に、カルロスは黒煙を避けて身をかがめながら、周囲へと目を走らせた。

 乗機であるMiG-27Mの下には姿は見えない。潰れた『フロッガーK』の周囲はもちろんのこと、壁面の方にも隊長は見当たらない。その間にも、基地内放送は恐慌と混乱を煽るように、くぐもった声でしきりに叫んでいる。

 

《…繰り返す、巡航ミサイル着弾!巡航ミサイル着弾!格納庫ならびに兵舎、滑走路に命中弾あり!消火班はただちに復旧に当たれ!》

《管制塔より連絡!第2滑走路にて、離陸中のバリスタ3が着弾に巻き込まれ大破!救命作業急げ!》

《第1滑走路にも中程に着弾!離陸作業中止せよ!》

 

 どうやら、他の施設にも被害が出ているらしい。管制官の声に引きずられるように、カルロスはふと、吹き飛んだシャッターの向うへと目を遣った。確かに滑走路は700mもない辺りから炎が上がり、他の建物からも黒煙が上がっているのが見える。

 だが、今はそれどころではない。再び隊長を探すべく、ふと視線を下へ――すなわち、地に転がるシャッターの辺りへと向けた、その刹那。シャッターの支柱の辺りに、人の脚が見えた。

 

 背筋が凍る、初めての感覚。言いようのない不安を抱きながら、カルロスは煙の中を這うように、その元へと探り寄る。

 痛みに歪む、苦悶の表情。頬にこびりついた鮮血。首から下げた、『アンドリュー・ブーバー』の名を刻んだ識別タグ。そして、膝から先がなくなった右足と、今もコンクリートを染め続ける赤色。

 その人は、創痍になりながらも今だ意志の籠った力強い瞳で、カルロスと目を合わせた。

 

「た…!…隊長!隊長っ!!………そんな……。」

「アンドリュー!!お…お前さん、脚が…!」

「…カルロス、ヴィクトール、…無事、だったか。…あまり、喚くな…この通り、脚に、…響く」

「そんなこと言ってる場合じゃ…!とにかく、早く医務室に!!」

 

 そんな。こんな、事が。

 右脚を失い、支柱に背を預ける隊長の姿を見て、カルロスは茫然となった。空戦ではない、戦いが始まってすらいないこの地上で、この人が重傷を負い、飛べなくなるなんて。彼方から放たれたミサイル一発で、生死の縁を彷徨うことになるなんて。こんな不条理があっていいものか。

 

 悲しみ、遣り場のない怒り。感情が渦巻くカルロスの脚を隊長の血が濡らし始め、カルロスは漸く我に返った。とにかく、この流血量では命が危ない。最優先は止血と輸血、そして危険なこの場所からの退避。そう判断し、カルロスは膝を折って隊長の腕を取り、肩を貸すべく脇の下へと腕を通す。

 だがその腕は、まるで犬を追うように、隊長自身によって払われた。

 

「俺はいい。この程度、は、応急処置で何とか…なる。……それより、出撃任務は、どう、なった」

「何とかって…!出撃はもう無理ですよ!エスクード1と2は上空で待機していますが、滑走路にも被弾して…!もう700mも使えませんよ!」

「いや、『フロッガー』は可変翼機だ。500m程度あれば、離陸は、できる。………カルロス、…俺の『フロッガーJ』を使え。操縦特性、は…『フロッガーK』と、大差ない」

「え…!?……しかし!今は隊長の体の方が…!」

 

 時折咳を交えながら、隊長が『フロッガーJ』を指し示す。着弾場所から離れていたためだろう、翼端を黒く染めたその機体には、半壊した格納庫にそぐわず、傷一つついていない。

 隊長の言う通り、元々MiG-23『フロッガー』の系統は短距離離着陸能力の付加を主眼に開発された機体である。可変翼を最大まで広げて揚力を確保すれば、着弾位置の手前までに離陸することは可能であろう。カルロスの『フロッガーK』は大破し、予備の機体も整備のためエンジンを外している以上、ニムロッド隊で…否、この基地で離陸できる機体は隊長の『フロッガーJ』を置いて他にない。

 

 だが、今は。目の前の出撃任務より、隊長や皆の安全確保が先である。いずれにせよニムロッド隊とエスクード隊の4機ぽっちでは、任務達成も覚束ない。何より、傷ついた大事な人を、このまま置いて行く訳にはいかない。

 感情を露わに、なおも食い下がるカルロス。

その抗弁は、隊長が不意に振るった拳と、それが頬に響かせた衝撃で途切れた。

 

「うっ…!?」

「馬鹿野郎、が…。それでも傭兵か。お前も、傭兵なら、務めを…果たせ。」

「………。」

 

 務めを、果たせ。

 弱弱しい拳、それとは裏腹に弱さを見せぬ意志。それは頬に受けた衝撃以上に、カルロスの心に響いた。務めを果たすこと。そして生き残ること。隊長の信念は、今になっても衰えず、ここにある。知らず、カルロスはその言葉に頷いていた。

 

「…ヴィクトール、このバカを、引っ張って行け。指揮、は、エスクード…1、に。」

「…分かった。あとは任せて、お前さんはもう休め」

「ああ。……カルロス。」

「…はい。」

「預けるぞ」

「……はい!」

 

 預ける。

 それは、額面通りに受け取れば、愛機である『フロッガーJ』を預けるという意味合いに過ぎない。

 だが、あの日――エスパーダ隊により撃墜され、そして救援を待つ間共に語らったカルロスには、その裏にあるもう一つの意味が分かった。

 部下を、死なせないこと。その隊長の信念を、今カルロスは預けられたのだ。死ぬな。機体を、それ以上に命を持ち帰れ。お前が帰還しなければ、自分の信念は全うできない、と。それは取りも直さず、カルロスの腕と信念に、信を得たからこそに他ならない。

 必ず、帰ります。その言葉を言外に込めて、カルロスは大きく頷いた。

 

 もう、振り返らない。必ず帰って来るのだから。

 カルロスは、ヴィクトールとともにその『乗機』へと脚を進めていった。

 

******

 

《たった4機の攻撃隊か…》

《そう言うなニコラス。オーシアやベルカの援軍が先に仕掛けている筈だ。戦力ではむしろ優勢になる》

 

 サピン北部の田園地帯を抜け、オーシア領内の針葉樹林を眼下に認める五大湖南方。

 雪が舞う曇天の下を、サピン国旗を身に着けた4つの機影が飛んでゆく。時にして12月31日、夜明け直後の午前6時。空は依然薄暗く、宙舞う鳥の姿すらない。外はおそらく零下なのだろう、雪に覆われた眼下の光景は寒々しく、パイロットスーツ越しにも底冷えしそうな錯覚を覚える。

 思えばサピンに来て最初に駐留していたのは、寒さではここと変わらない、山間のヴェスパーテ基地だった。出撃の度に、今日のように凍えそうに思いながら空に上がっていた事は、鮮明に覚えている。

 技量、そして信念。自分は、あの頃と比べて成長したのだろうか。それとも、一歩踏み出したに過ぎないのだろうか。その答えは、自分でもよく分からない。

 

 だが、少なくとも乗機はあの時と変わった。多くの機体を乗っては潰し、入れ替えて来た。MiG-21bis、MiG-23MLD、Su-22M3、MiG-19S、そしてJ-7Ⅲ。その最後に位置する機体が、開戦以来アンドリュー隊長が乗り続けてきたMiG-27M『フロッガーJ』というのは、カルロスにとってくすぐったいような緊張するような、妙な気持ちだった。

 

 そもそも『フロッガーJ』は、MiG-23シリーズを戦闘攻撃機として派生させたB型の発展型に当たる。隊長が言った通り基本的な構成や操縦特性は他のシリーズと大差ないものの、戦闘攻撃機としての運用を図るために変更された点もまた少なくない。

 その最たる点は、対空を担うレーダーを持たないことである。当然ながら搭載できる対空火器は短距離の自衛武装である赤外線誘導AAM(空対空ミサイル)程度しかなく、MiG-21bisやMiG-23MLDで搭載できたようなSAAM(セミアクティブ空対空ミサイル)等の中距離攻撃手段は持ち合わせていないため、空戦能力はけして高くはない。その一方で、対地攻撃のための地形追従レーダーや火器管制装置が追加されており、多彩な対地攻撃兵装が運用可能となっている。

 

 もっとも、高性能ゆえに高価なASM(空対地ミサイル)を、貧乏な我が社がおいそれと使える道理はない。今回の兵装選択も、実際には弱小PMCらしい懐事情が大きく反映されたものとなっていた。

 『フロッガーJ』のハードポイントは、『フロッガーK』より2か所多い7か所。このうち胴体中心線上の1つには増槽が、その両側2か所にはAAMが1発ずつ搭載されている。対地攻撃兵装としては、主翼4か所のうち外側の2か所にはRCL(無誘導ロケットランチャー)を、内側の2か所にはGSh-23L/23㎜連装機関砲ポッドを搭載する恰好だった。機関砲ポッドのうち片方にはチャフ弾が装填してあり、生残性を高める防御火器として運用できるよう調整されている。この他に、胴体中心線には固定武装として6砲身30㎜ガトリング砲が搭載されており、まさに対地攻撃機に相応しい重武装となっていた。

 

《目標を確認。もうオーシアやベルカの連中はおっぱじめてるな》

《こりゃかなりの数じゃな。最後の一稼ぎにはうってつけというところか》

「しかし…空の方は識別がごちゃごちゃに入り乱れて、訳が分かりませんね」

 

 彼方の空に閃光がぱっと上がり、生じた黒煙が地面目がけて落ちてゆく。目を凝らせば、地上からは既に幾つもの黒煙が立ち上り、空には無数の黒い点が幾何学模様を描いているのも捉えることができた。向かって左手側、西の部分には湖に突き出た港湾施設も認められる。間違いない、目標のフィルルテーゲン基地である。その数から判断するに、既に戦闘が開始されてかなり経つらしい。

 当然と言えば当然である。本来は、自分たちサピン軍はオーシアおよびベルカ両軍と同時に攻撃を開始する予定だったが、明朝の巡航ミサイルによる攻撃で出撃自体が遅延したため、こうして遅ればせの参戦となった訳である。今頃は後方の基地から戦力をかき集めている段階だろうが、他のサピン軍基地からの距離を考えれば、到着までまだかなりかかると思わなければならない。

 

《こちらオーシア国防空軍空中管制機サンダーヘッド。空域に接近中のサピン軍機に告ぐ。所属とコールサインを明らかにせよ》

《了解。こちらはサピン王国空軍第7航空師団第19戦闘飛行隊、ならびに第31戦闘飛行隊の混成部隊だ。コールサインはエスクード1。久しぶりだな、オーシアの管制機さん》

 

 無線の雑音を割って、オーシアの言葉が耳朶を打つ。エスクード1が言う通り、そのコールサインと声にはカルロスも覚えがあった。

 約3か月前に行われた、シュヴィル・ロン島に籠ったベルカ残党軍への掃討作戦。その際に指揮を行っていたオーシアの空中管制機こそ、このサンダーヘッドであった。作戦中の邂逅であり所属も異なったため、以降顔を合わせる機会はなかったが、作戦中の的確な指揮と柔軟性に助けられたことは記憶に新しい。

 

《ああ、君たちか。息災なようで何よりだよ。早速だが、支援を頼む。現在基地北部の空港制圧のため、オーシア第6機甲連隊が東方から攻撃中だが、急造のトーチカと防衛陣地に阻まれて容易に進んでいない。対地攻撃ヘリ部隊も分厚い対空砲火と敵の制空戦闘機による被害を受け、現在後方で補給中だ》

《何だ、つまり蜂の巣つついた後に突っ込めって?》

《まあそう言わず。敵防空網を消耗させるのに合わせ、こちらもヘリ部隊で再攻撃させる。上空はベルカ空軍機が制空戦を行っているので、諸君は地上攻撃に集中してくれ。頼んだよ》

《了解した。ニムロッド2、3、対地攻撃を頼む。上空はこちらがカバーする》

《応よ!カルロス、きっちり叩き潰すぞ!》

「ニムロッド3了解!攻撃体勢に入ります」

 

 管制官の声を受けながら、眼下に至りつつある戦場を探るべく双眸が奔る。

 現在高度、概ね1700フィート。その上空4000フィート付近では、幾つもの機影が弧を描き入り乱れ、時折爆炎が灰色の空に刻まれている。

 一方地上を見やれば、激しい砲火が飛び交っているのが、敷地のうち東部と北部の2か所。いずれも基地北部の空港を目標とする部隊だろうが、依然空港の方には損害が見られず、今も敵機が離着陸を繰り返している。特に東部には鉛色の車両がいくつも認められ、砲煙と土煙の間にその姿を見え隠れさせているが、基地側の陣地に遮られて攻めるに任せないように見受けられる。地上に二つ三つ見える鉄の残骸は、先程管制官が言ったように、先行して攻撃を仕掛けたヘリのなれの果てだろう。

 方や、湖に突き出た基地西部の港湾施設は、黒煙が2筋ほど上がっている他には目立った損害は認められない。上空の制空が終わっていない以上、オーシアも爆撃隊を進入させるには至っていないのだろう。その頑強さは、予想をはるかに超えて凄まじい。

 

 ともかく、まずは東部方面の支援である。すぐ前を飛ぶヴィクトール曹長の『フロッガーK』が増槽を捨て、機体を右へと傾けて徐々に高度を下げてゆく。それに合わせるようにカルロスも自らの機体を傾けながら、火器管制の安全装置を解除した。ヨーの感触は普段のMiG-23MLDよりやや重いものの、気になる程ではない。目の前のモニターは絶えず走査した地形を映し出し、最適な進入コースを指し示してくれている。

 進入コース、敵陣地南方。戦車隊と対峙する敵陣地へと、横合いから襲い掛かるルートである。

 

 目標の敵陣地は大きく分けて3つ、こちらから見て南北方向へ連なっている。いずれも強固なトーチカを中心に、周囲には数台の戦車と対空砲。それらの後方には移動式SAM(地対空ミサイル)も認められ、陸空に対する万全の布陣となっていた。速度の遅い攻撃ヘリでは、確かにひとたまりもなかっただろう。――つまり。リスクを抑えつつ攻撃を仕掛けるには、可変翼の強みを活かした一撃離脱が最も有効という事である。

 

 ヴィクトール曹長も、その点は先刻承知だったのだろう。高度1000を切った所から、尾部の閃きを強めて、徐々に速度を上げてゆく。可変翼操作、最小角。疑似的にデルタ翼となったMiG-27Mの加速は、武装を抱えていても流石に速い。目標までの距離、約1200。眼下を流れる景色が相対的に速くなり、こちらに気づいた敵が対空砲を旋回させるのが辛うじて捉えられた。

 

 ヴィクトール機、投弾。速度と重力の虜となったUGBが、弧を描いてゆっくりと落下してゆく。その機影が上空を通過した一拍後、それらは地に刺さり爆発。眼前で黒煙と土煙が上がり、視界を黒く塗りつぶしてゆく。

 それに紛れるように、カルロスは最南端の敵陣地を通過。右へと離脱した曹長の横を抜け、中央の陣地へと狙いを定めた。

 

 武装選択、RCL。距離1100。

 ミサイルアラート、横合い。針路そのまま。

 砲身を向けた対空砲が閃き、曳光弾が眼前を迫ってくる。

 死に近づく感覚。腹が冷たくなる特有の寒気。

 だが、見える。よく見える。対空砲の位置も、位置を変える戦車も、やがて赤と黒に変わるであろう敵の兵士も。

 衝撃。

 一発喰らった。

 だが、浅い。距離600、有効範囲。

 

「っ!」

 

 トリガーを引くと同時に、両翼の下から放たれる無数のロケット弾。それらは、カルロスの眼下で地を穿ついくつもの爆炎になり、破裂。通過したその後方で千切れ飛んだ対空砲が舞い上がり、誘爆の炎が地を揺らした。

 

「ニムロッド3、対空砲2撃破!戦車1台も小破しています」

《よし、初撃にはまずまずじゃな。カルロス、ワシは敵のSAMを潰す。お前さんは残った陣地を潰してくれ》

「了解しました。敵は物陰を巧みに使っています、気を付けて下さい」

《はは、言うわ。ワシが若いのに遅れを取るかよ!》

 

 曹長と示し合わせ、カルロスは機体を傾けて残った敵陣地を俯瞰する。こちらにはトーチカの他、対空車輛が2台に砲座が複数。少なくとも対空砲さえ潰しておけば、あとはオーシアの攻撃ヘリが掃討してくれる。

 兵装選択は、連装23㎜ガンポッドと比べて威力に優れるであろう6砲身30㎜。進入コース検索、方位080、トーチカ正面側。右に傾いた機体の翼が空を切り、その軌跡を追うように曳光弾が追い縋ってくる。

 

《シュベルト4より下のサピン軍機!3機抜けた、気を付けろ!》

《エスクード1了解。こちらで対処する》

「エスクード隊、上は頼む!こっちは上見てる暇はないからな!」

 

 味方のベルカ軍機から飛び込んで来た通信に、上空を見上げる余裕はもはや無く、カルロスは喚きながら照準器を覗き込んだ。慣れない機体と見慣れぬ計器盤を前に、見る見る集中力が削れてゆくこの状態では、上空警戒にまで意識を向けるゆとりなどありはしない。余分なものを意識の外へ飛ばしながら、カルロスの眼は前方の目標を捉えた。

 真正面、目標はトーチカ。コンクリートを箱型に固め上げ、前方二隅を切り欠いたような武骨な形状をしたその先からは砲身が突き出ており、戦車隊へと絶え間なく砲弾を浴びせかけている。その砲身を照準の中心に見据え、俗にアヒルの嘴(ウトカノス)と呼ばれる傾斜機首の延長上にコンクリートの塊を捉えた瞬間、カルロスは引き金を引いた。

 同時に、衝撃が走った。

 

「う、わ、わわわわわ!?なん、だ、これっ…!」

 

 否、それは衝撃と言うのも生温い、振動と轟音の暴力とでも表すべきものだった。

 機体直下の30㎜6砲身ガトリング砲が唸りを上げると同時に、カルロスを激しい縦揺れが襲う。その反動は『フロッガーK』の23㎜の比ではなく、照準は著しくぶれ、精密な射撃など望むべくもない。回転音と発射音の二重奏はヘルメット越しに鼓膜をかき乱し、頭痛すら催しそうなほどにカルロスの頭を揺らし続けた。無線に混じる雑音、痺れる手。その激しさは、不時着の方がまだマシと思えるほどに凄まじい。

 

 MiG-27Mに初めて搭乗するカルロスは知る由も無かったが、このあらゆる意味での扱い難さこそが、MiG-27シリーズの代名詞たるGSh-6-30/6砲身30㎜機関砲最大の欠点だった。高威力と射撃速度の両立を求めるあまり、その振動や騒音が戦闘に支障を来すほどに大きくなってしまったのである。過去の事例では内部装置の疲労切断に無線などの故障、著しいものではキャノピーや計器盤の破損も報告されており、その反動の大きさを物語っている。結果的に本兵装を搭載した機体がMiG-27シリーズに限られたという事実からも、その扱い難さを推し量ることができるであろう。

 ――その反面、見返りもまた大きかった。

 

「………凄い…」

 

 激しい振動に耐えに耐え、目標の上空を通過した後。その背を、曳光弾が追いかけて来ることはもはや無かった。

 後方を省みたカルロスの眼に映ったのは、まさしく廃墟だった。強固なコンクリートで覆われたトーチカは中心からへし折れるように崩れ、砲台がある筈の内部は瓦礫の山と化している。その後方に位置していたはずの対空車輛も爆炎を上げており、地面や瓦礫には人間だったと思われる肉片が赤黒くこびりついていた。ややはなれた位置にあったいくつかの砲座は無事であるものの、その周辺も人影が慌ただしく走り回っている。おそらく人員が負傷したのか、すぐには攻撃が行えない状態なのだろう。すなわちほんの一航過で、目標のほとんどを無力化できた計算になる。

 

 6砲身30㎜の扱い難さの見返り――それは、かのA-10『サンダーボルトⅡ』の代名詞たる6砲身30㎜機関砲『アベンジャー』と並び称される、比類ない攻撃力だった。30㎜弾そのものの威力もさることながら、飛散した破片によるその有効範囲は、実に着弾地点から半径200m。遮蔽物のない地上施設や兵器では、この威力に耐えることは不可能といっていい。

 振動によって疲労したカルロスの手に、再び細かな震えが起きる。それは、先の機関砲の反動だけが原因では無かっただろう。

 

「こちらニムロッド3、最北端の敵陣地沈黙。残りも戦力が低下している。攻撃ヘリを…」

《カルロス、後ろだ!!》

「…!?くっ!」

 

 唐突に耳朶を打った声に、カルロスは反射的に操縦桿を左へ倒し、機体を左へ傾ける。そのすぐ脇を機銃弾が、次いでクーデター軍の機体が通り過ぎ、その背をエスクード2の『タイガーⅡ』が追尾していった。

 敵機。そうだ、さっき上空から降りて来たという3機。脳裏に過った通信の声に空を見上げると、カルロスは思わず驚愕した。

 気づけば、低空域を飛ぶクーデター軍機の数は3機などではない。その数、認められる限り5、6…いや、もっと多い。上空の連合軍機に追いやられたのか、それとも空港から発進した新手か。いずれにせよ、エスクード隊の2機だけで対応できる数ではない。

 

 ミサイルアラート。

 左旋回したこちらの尻を追うように、機械音が耳に迫る。

 疲労を覚えた体を労わる余裕もなく、カルロスは武装を切り替え、23㎜機関砲ポッドからチャフ弾を散布。同時に可変翼を広げ、旋回半径を抑えながら左旋回を続けた。中途に見上げた視線の先では、白煙を曳いたAAMが金属片に誘引され、こちらの尾部を掠めて逸れてゆく。直進し通り過ぎていった敵機の種類を判別する間すら与えられず、今度は別の敵機がこちらの後上方を押さえ、後方警戒アラームの音とともに接近して来た。

 

 完全に包囲された。敵機の数は概算でサピン側のざっと倍。とても敵う数ではない。

 だが、カルロスは知っていた。先ほど上空を見上げた際に、連合軍の制空機は依然健在だったことを。そして、その中の数機。低空域へ進入すべく高度を下げていた機体の中に、見覚えのある白い機体が混じっていたことを。

 

 後方、現在迫っている敵機はMiG-29『ファルクラム』。格闘戦に持ち込まれたら、運動性では到底敵う相手ではない。それを承知で、カルロスは可変翼を最大角へ広げたまま右へと旋回方向を変え、敵機を格闘戦へと誘いこんだ。敵にしてみれば、鈍重な攻撃機の最期のあがきにも見えたことだろう。所々に銃創を浴びているこちらを確実に仕留めるように、徐々に距離を詰めてゆく。

 

 右旋回。振り切れない。

 左、へ行くと見せかけて再び右、やや下降。同じく。むしろ距離を詰めてくる。

 距離900。急上昇、速度低下。――『好機』。

 

 後方の『ファルクラム』が、勝利を刻むべくAAMを放ちかけた、その瞬間。灰色のその機体は、さらに後方から飛来したミサイルに穿たれ、炎に包まれ墜ちていった。

 

 囮戦術は経験がありこそすれ、やはり心臓に悪い。額の冷や汗を拭ったその傍を、白い機体が追い抜いて、しばしこちらと平行した。

 典型的な三角翼に、丸みを帯びたエアインテーク。細身の機首に、キャノピーの先に取り付けられた給油口。そして純白の機体カラーと濃藍色の縁取り翼に、機体に記された『黒の15』。幾度となく空で(まみ)えたその姿は間違えるはずもない。

 

《こちらベルカ空軍第5航空師団第24戦闘飛行隊、ヴァイス1。大丈夫でしたか?》

「こちらサピン王国空軍ニムロッド3。サンキュー、助かったよ。今度はあんたたちが味方なんて心強いな」

 

 かつての激戦の空で干戈を交えた、ベルカが誇るエース部隊の一つ『ヴァイス隊』。その隊長たるフィリーネ大尉こそが、今眼前を飛ぶ『ミラージュ2000-5』のパイロットであった。171号線上空やスーデントール攻防戦では敗北にも等しい損害を受けた経過もあるが、それほどの相手が今回味方とは、心強い限りである。

 平行する、機体の中。ヘルメットとバイザー越しでその顔は伺い知れなかったが、彼女は微かに微笑んだ気がした。

 その面影一つを残し、白い『ミラージュ』は加速して周辺の敵機の掃討にかかってゆく。高速で追撃し、動きを読み、時に僚機と挟撃する。その鮮やかな手並みで、低空域に展開したクーデター軍機もまた、徐々にその数を減らしていった。眼下を見やれば、オーシアの攻撃ヘリ部隊が防衛陣地を攻撃し、戦車隊が徐々に基地や空港施設へ肉薄している様も見て取れる。

 

 今だ灰色の雲に覆われた、冬空の戦場。その中に、勝利の色が徐々に濃くなり始めていた。

 

******

 

 そんな、灰色の空の北方。4つの機影が、砲煙入り混じる湖畔の戦場へ向け飛んでいた。

 

《戦闘空域確認。連合軍機多数、ベルカ軍機も多数参加している模様》

《売国奴どもめ…。ベルカの誇りを忘れ薄汚い連合に尾を振る連中も、もはや同罪だ。上空に展開する敵戦力、その全てを目標とする》

《了解、『グラオガイスト1』》

 

 2枚の垂直尾翼に、やや後退した切り欠き三角(クリップドデルタ)翼。コクピット横から伸びるエアインテークと、その外側に取り付けられた流線形の追加兵器倉。そして黒一色に染められ、主翼の中ほどを灰色の帯で染め抜いた闇夜のような機体カラー。闇に融け込むその色は、今は曇天を背に、禍々しいほど際立って浮かんでいる。

 

 F-15SE『サイレントイーグル』。電波の眼すら欺く漆黒の衣に身を包み、怨念と妄執を纏った『灰色の亡霊(グラオガイスト)』は、誰知るともなくその空へと忍び寄った。

 


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