Ace Combat side story of ZERO - Skies of seamless - 作:びわ之樹
当該国籍不明機は4機前後の小隊規模。情報を統合するに、ベルカ南端から発進し、ウスティオ-オーシア国境上空を経由してサピン領空に侵入したと推定される。詳細は発進後に伝達する。各員は急ぎスクランブル準備に当たれ》
数日続いた雨天から一転した、清々しい朝。平穏な一日が約束されたかのようなその朝は、赤色を伴った甲高いアラートによって、あっさりと切り裂かれた。
戦争は終わっているとはいえ、軍事基地に走る特有の緊張は表現に難い。搭乗員詰所の壁に設置されたスピーカーからは、水を打ったようにしんとした空気を震わす雑音交じりの声が無遠慮に流れ込んでくる。
咄嗟に椅子を蹴って立ったカルロスは、手に持っていたマグカップから危うくコーヒーを零しかけた。
「かぁッ。夜討ち朝駆けお構いなしとは、無粋な奴らめ」
「ヴィクトール、カルロス、先に行け。――アンドリューだ。すぐに行く、エンジンを回しておけ。俺のフロッガーにはガンポッドを搭載…ああ、連装23㎜だ。頼むぞ」
警報を裂いて一番に上がったのは、ヴィクトール曹長の不機嫌な声だった。元来、ヴィクトール曹長は声が大きいことに定評がある。まして折角淹れたコーヒーを一口たりとも飲んでいないことも相まって、その声は一際大きい。
内線の電話口に向かう隊長を残し、カルロスはカップを置いて床を蹴った。ドスドスと重たい音を立てて大柄の体を揺するヴィクトールがそれに続き、伝達を終えた隊長がその脇をすり抜けて奔ってゆく。
『ヴィクトール、少しは痩せたらどうだ』とでも言ったのだろう、カルロスの背後では、ヴィクトール曹長が息を荒げながら、抗弁の言葉を吐いていた。
1995年11月7日、午前7時42分。詰所に残された、芳しい香りを漂わせる3つのカップだけが、穏やかだったその日の始まりを宿していた。
「邪魔だ、どけ!潰されてぇのか!!」
「2番機23㎜リロードOK!3番機に回る!」
「エンジン暖気よし!後ろ気を付けろ!」
詰所から伸びる通路を抜けた先、ニムロッド隊の乗機が鎮座する格納庫は喧騒の中にあった。
常ならば鉄と油の匂いを漂わせるだけのその空間は、整備員の怒号や運搬車が転がる音、唸りを上げるエンジン音の反響で、まさに音の奔流の中。よほどの大声をあげないと互いの会話も成り立たない空気の中で、隊長は手振りで『乗機搭乗』の命をカルロス達へと告げる。この状態では、通信のチェックがてらに疎通を図った方がまだ効率的である。
「乗員搭乗ーっ!」
「カルロス、コイツは最近エンジンの上りが悪い。急加速に追いつけんかもしれんから注意しろ。可変翼のパーツも損耗が激しいから操作は慎重にな」
「了解!コイツ壊したらもう後が無いですもんね…心配しなくてもちゃんと持って帰りますよ!…可能な限り」
「おい、最後聞こえてんぞ」
MiG-21『フィッシュベッド』と比べればやや大型の機体ではあるものの、単座の戦闘機ともなればコクピットはやはり狭い。カルロスは機付長と言葉を交わしながら、体を縮こませるようにその空間へと体をねじ込んだ。加速の伸びが制限、可変翼操作は控えめに。各機体専属で配置される機付長の判断は、さながら係り付け医の処方箋のようなものである。
喧騒の中で、心に響く経験に裏打ちされた言葉。自分以上に機体を見ているであろうその『職人』の言葉を、カルロスは脳裏にしっかりと刻み付けた。
《こちらニムロッド1。全員聞こえるな》
《ニムロッド2、無線よし!久々の出撃で腕が鳴るわ!!》
「ニムロッド4…あ、もといニムロッド3、こちらも感よし!」
《よし。これより誘導路に向かいタキシングに入る。離陸した機は上空に待機し、編隊が揃い次第空域に向かうぞ。各員、機体から離れろ》
燃料よし、弾薬よし。タイヤ圧、エンジン回転数、全てよし。風防を閉じ、機体の鼓動が反響する中に、隊長の声が耳元に届いた。久々に無線越しに聞くヴィクトール曹長の大声は、耳が痒くなるほどによく響く。カルロスが危うくコールサインを間違えたのも、一つにはそれに気を取られていつもの癖が出てしまったためだったのだろう。
――そう。カークス軍曹とフィオンの脱走により、カルロスのコールサインは従前のニムロッド4からニムロッド3へと繰り上がっていた。当然アンドリュー隊長はこれまで通りニムロッド1であり、隊から外れていたヴィクトール曹長はニムロッド2として復帰したことになる。
ニムロッド3。それは丁度、以前カークス軍曹が使っていたコールサインである。最初は隊の予備パイロットとしてニムロッド5を名乗っていた自分が、今や隊の3番機。…しかし、そこには隊の4番機たる正規要員として昇格した時の高揚は微塵も感じられず、ただただ穴が開いたような寂寥と一抹の痛みだけがある。
もう、5人が揃うことは無い。それを思うと、今の自らの立場を素直に喜ぶことは、到底できなかった。
《ニムロッド1、タキシングに入る》
格納庫の一番端から、隊長が駆るMiG-27M『フロッガーJ』が、次いでヴィクトール曹長のMiG-23MLD『フロッガーK』がゆっくりと光の中へ進んでゆく。
空間を満たす甲高い『フロッガー』の鼓動、じわりと進んでゆく機体、そして格納庫の外に広がる、所々に水たまりを作った滑走路。そして戦闘の気配が漂っている、北方のよく澄んだ空。
胸中の苦みをその空へと融かすように、カルロスはゆっくりとエンジンの回転数を上げていった。
******
《こちらニムロッド1。管制室、情報を伝えられたし》
オステア空軍基地を離陸して数分。背の青空に黒い翼端を映えさせる3機が、北西を指して向かっていた。
状況の混乱、そして何より先月のエスパーダ隊追撃に伴う大損害から、スクランブルに回せる部隊はニムロッド隊のみというのが現在の実情である。戦争が終わったとはいえ、サピンの疲弊も推して知るべしという所だった。
《こちら管制室。国籍不明機は現在アルロン地方北部、ノースオーシア州国境から約20㎞を北西へ飛行中》
《なんじゃ、
《いや。ノースオーシア州は駐留部隊の整理中であり、州軍も整備されていないため、迎撃態勢を整えるのに時間を要する。オーシア国防軍には許可を取り付けてある。オーシア軍の迎撃準備が整うまでの間、越境し追跡せよ》
《了解した。変化があり次第状況を伝達してくれ》
オステアの管制官が口早に報告した状況を、カルロスも脳裏で整理する。
現在国籍不明機が向かっているノースオーシア州は、本を正せばつい数か月前まで南ベルカと呼ばれた地域である。戦争の後半から占領下にあったとはいえ、正式にオーシア領となってからはまだ日も浅いことを踏まえれば、人員や機材の配備などが依然混乱しているのも無理は無かった。ましてレーダー網は復旧が終わっておらず、州軍も未整備など防衛上の穴はあまりにも多い。臨時的にフトゥーロ運河に航空母艦『ケストレル』を配備して防空装備を賄っているとはいえ、それでもなお覆いきれない程に、南ベルカは広大だった。
加えて、当初の情報によると国籍不明機はベルカから飛来したというが、そのベルカについても空軍は依然飛行停止処分を受けたままとなっている。ベルカ国内に駐留する連合軍も数を減らしている今、意図的に戦力の空白地帯を悠々と飛んできたのだろう。だが、その所属は、そして目的は一体何なのか。
《こちらオステア管制室。国籍不明機はオーシア国境を越境。進路を330に変え依然飛行中。ニムロッド隊、国境を通過せよ。越境後はオーシア防空司令部に指示を仰げ》
《ニムロッド1了解。これより国境上空を通過する》
「……。…国境、か…」
越境。その瞬間は、拍子抜けするほどに実感がないままに終わった。
国境とはいえ、当然明瞭な線が引いてある訳ではなく、関所のようなものも無い。見下ろした地も眼前の空も、一繋ぎとなったまま彼方へと続いている。
思わず呟いた『国境』の語。それに馳せた思いは、やがて脳裏に残る男達へと結びついた。
国境を無くす――そんな途方もない理想を口にしていた『ウィザード1』…ジョシュア大尉。そしてそれに大筋で賛意を示し、ジョシュア大尉が遺したその思想の下に離反した『エスパーダ1』アルベルト大尉。国々の在り方に対する純粋すぎるほどの理想と、それを象徴する『国境』という言葉は、カルロスの中にも鮮烈に残っていた。
アルベルト大尉は、マルセラ中尉は、そしてカークス軍曹とフィオンは、どうしているのだろう。不意に脳裏に蘇った寂寥は、飛び込んで来た通信に遮られた。
《…サピン空軍機、聞こえるか。こちらはオーシア国防空軍エルリッヒ基地。応答せよ》
《早速か。こちらサピン王国空軍オステア基地所属、ニムロッド1。目標を追撃中だ、誘導を頼む》
《了解した。目標は諸君の現在位置から方位005へ79㎞地点を飛行中。機数は2、ないし3機と推定されるが、反応が不安定で機数の確定は不可能。十分に警戒せよ。現在、我が軍も出撃準備を進めている。それまでの間、追撃を頼む》
《了解した。全機、飛ばすぞ》
「了解!…エンジン、大丈夫かな…」
方位、005。僅かに機体を右に傾けた隊長に倣い、カルロスも同様に機首を東寄りへと転じてゆく。同時に、特徴的な可変翼を畳んで最大角に固定し、エンジン出力を可能な限り引き上げた。情報の距離が本当ならば、この『フロッガーK』でもまだ追いつく余地はある。
加速による圧力で、血液や内臓がシートに押し付けられる。唸りを高めたエンジンは莫大な推力を生み出し、雲を裂き風を抜き、陸に爆音だけを残してひたすら北を指して突き進む。
だが、やはり機付長の話通り、加速が伸びない。コクピットに満ちる轟音も常より大人しく、どこか息切れをしているような印象さえ受けた。案の定、先を行く隊長やヴィクトール曹長から、見る見る距離を離されていく。
「くそ、やっぱりダメか…!ニムロッド3よりニムロッド1、こちらエンジン不調。落伍します!」
《ニムロッド1了解。引き返せるか》
「全速巡航ができない以外は異常なし。速度を落としつつこのまま追撃します。お二人は先に行って下さい」
《………》
「…………」
一瞬混ざった沈黙。それは、隊長がこちらの状況を熟考するための間だったのだろうか。落伍し単機にさせて大丈夫なのか、機体自体に問題はないのか、そして機体を護ろうとして無茶をしないだろうか。その背景にはきっと、この前――アルベルト大尉に撃墜され、救助を待つ間に聞いた『部下を死なせない』という隊長の信念が横たわっている。
振り返った隊長の眼と、カルロスの眼が一瞬交わった。当然互いにバイザー越しであり、隊長の眼など見えないのだが、少なくともその瞬間はそう感じたのだ。
――大丈夫、俺も分かっています。機体は消耗品。隊長の信念を破ることはしません。『死なないし、死なせない。』そんな、俺の産まれたての信念のためにも。
《……了解した。万一異常が生じた場合は遠慮なく不時着しろ。無理に機体を保とうと思うな》
「分かりました。…アンドリュー隊長もヴィクトール曹長も、お気を付けて。すぐ追いつきます」
時間にして、ほんの3秒にも満たない間。沈黙の時間にぽつりと言葉を残し、隊長とヴィクトール曹長の機体はみるみる速度を上げ、カルロスの視界から消えていった。
思えば、戦場で孤立したり損傷して撤退したりという偶発的な事情で単機になることはこれまでもあったが、こうして意図的に単機行動を取るのはこれが初めてかもしれない。機体の不調という多分にネガティブな事情ゆえではあるが、これも考えようによっては信頼の在り様の一つ、とも言えるだろうか。
だが、まだ不十分であることは言うまでもない。この戦争の当初――それこそ3月末にベルカのF-111『アードヴァーク』部隊を邀撃した初陣の頃を省みると、技量は確かに向上した自覚はある。しかし、それでも依然アンドリュー隊長やヴィクトール曹長、カークス軍曹の腕前には追い付かず、フィオン、ましてやアルベルト大尉の域ともなればその背中すら見えない。結局の所、自分はまだまだルーキーの域を出た訳ではないのだ。
戦いに明け暮れる限り、その道は果てなく遠大である。そこに至り巣立ちの時を迎える前に地面に落ちるパイロットは塵芥のように多い。その時を越えて今に至るまでに、アルベルト大尉やジョシュア大尉は、そして数多のエースを返り討ちにしたという『円卓の鬼神』は、どれだけの空を飛んだのだろう。
彼らのような、他者を凌ぐほどのエースにはなれなくてもいい。だが、せめて一人前の兵――傭兵に、ならば。いつかは到達できるのだろうか。
《こちらサピン王国空軍所属、ニムロッド1。国籍不明機に告ぐ。ただちに速度を落とし高度を下げろ。繰り返す。ただちに減速し降下せよ》
内省を破るように、無線から隊長の声が流れ始める。その内容から、目標の国籍不明機を捕捉したのは明らかだった。
領空侵犯の機体には退去勧告が第一ではあるが、今回の場合は国籍が定かでない上、長時間に渡り数か国の国境を侵犯している。退去すべき方向を誘導することもできない以上、隊長が言う通り、不時着を優先させるのがこの場合の常道だった。
それにしても、敵の意図は一体何なのだろう。いくらノースオーシアやベルカの警備が不完全とはいえ、こうしていずれ補足されることは自明の理の筈である。危険を冒しての偵察にしてはあまりにも堂々としており、その意図はどう考えても図れなかった。まるで、自らの存在を誇示することそのものが目的のような――。
姿見えぬ敵の尾を、眼より先に思惟が掴みかけたその刹那。異変は、視界外で起こった。
《繰り返す、直ちに減速せよ。勧告に従わない場合撃墜する》
《…ニムロッド2よりエルリッヒ基地。敵は3機、電子戦機1を含む。引き続き勧告を…おわっ!?》
「……っ!?ヴィクトール曹長…!?」
《…チッ、こちらニムロッド1、国籍不明機が反転、発砲してきた!反撃するぞ!……エルリッヒ基地、応答しろ。どうした!?》
「…くそっ!!」
瞬間、カルロスはエンジンが息つくのも構わず、出力を引き上げた。
反転、発砲。鼓膜に残った通信の声から、彼方の事態を類推する。やはり、ただの偵察ではなかったのだ。目的は依然不明だが、仕掛けて来た以上は落とす他ない。
だが、少なくとも戦闘機である『フロッガー』に仕掛けて来た以上、電子戦機以外の2機は戦闘機と見て間違いない。電子戦機の機種は定かでないが、機数の点ではこちらが劣勢である。おまけに、エルリッヒ基地からの通信が途絶する始末とあれば、こちらの不利は決定的だった。
まさか、連合国の領空内で国籍不明機相手に劣勢になるなんて。焦りが呼んだ一筋の汗を額に流し、カルロスは『フロッガーK』の尻を叩くように、その速度を速めていった。
《失礼した、こちらエルリッヒ基地だ。現在複数の状況が錯綜して…待て、今通信中だ、後に……何だと!?……くっ、ニムロッド隊、ともかく既に迎撃機は発進している。各員独自の判断で行動されたし》
《はぁあ!?なんじゃいあの管制官、適当な指示下しおってからに、ふざけおって…!》
《ヴィクトール、後方だ!ダイブしろ!》
無線が錯綜する、混迷の空。ノイズ混じりの声が飛び交うその中からも、隊長とヴィクトール曹長の不利はカルロスにも感じられた。機数の不利に加え、こちらは緊急出撃だったこともありセミアクティブ空対空ミサイル(SAAM)なども持たず、短距離用の
急げ、とにかく速く飛んでくれ、『フロッガー』。まるで抗議のようなエンジンの吐息一つ、MiG-23MLDは飛行機雲を曳いてゆく。いくつもの影が飛び交う、その戦空の上へ。
「――あれか!」
高度、8000フィート。その下に広がる戦闘の渦は、まるで作りかけの編み物のように錯綜していた。
背後を取られ、可変翼を最大に広げて旋回しつつ逃げる、ヴィクトール曹長のMiG-23MLD。その後方に2機の敵機が追い縋り、それと8の字を書いて交差するように隊長のMiG-27Mが機銃で攻撃を仕掛けている。さらにその斜め上方には残る敵機1機がおり、まるで猟犬に指示を下す猟師のように戦場を俯瞰していた。このままではヴィクトール曹長はもちろん、背に牽制を受けている隊長も危ない。
戦域となっている高度は概ね4000。『フロッガーK』の加速は先代『フィッシュベッド』に劣りこそすれ、こちらが高位である状況を考えれば到達まで十数秒と言う所だろう。裏を返せば、戦域まではそれほどまでに時間がかかるということでもある。ドッグファイトにおける十数秒はあまりにも長く、逡巡の時間すら惜しい。どうする。今、狙うべきは――。
カルロスは戦場を見、敵を
翼端を黒く染めた翼が左へ傾き、身を翻して急降下してゆく。翼を畳んで疑似デルタ翼形態をとった『フロッガーK』が向かう先は、戦場の後背に陣取る1機。長い機首と、その横まで張り出した主翼の根元。斜めに開いた尾翼、そしてライトグレーとブルーグレーの迷彩で染め抜いた翼。同じサピン空軍のエスクード隊が用いるF/A-18C『ホーネット』に酷似して、それでいて異なるあの様は。
「…喰らえっ!」
E/A-18G『グラウラー』。記憶からその名を引き出すのと、それを射程圏内に収めたAAMが『フロッガーK』から放たれたのは同時だった。まずは1発、1秒ほどタイムラグを設けてもう1発。煙の尾を曳いた2つの矢が、『グラウラー』目がけ緩やかに曲がりつつ飛来してゆく。
無論、こちらより遥かに優れたレーダーを搭載している『グラウラー』が、こちらを見逃していた筈もない。急降下からのミサイル攻撃に一切動じることなく、『グラウラー』は緩やかに右へ、次いで左へと旋回。AAMを回避するには緩慢過ぎる程のシザース機動だったにも関わらず、放たれた2発のAAMは目標を見失い、地面目がけて墜落していった。
案の定、である。おそらく、ジャミング装置によってミサイルの誘導性能が低下している。こちらの目の前で機体を引き起こし、加速するでもなく距離900程度を保ち続けているのも、こちらのミサイルを回避する自信がある為だろう。そして兆発とも取れるその挙動は、こちらを引き付けて時間を稼ぎ、その間にヴィクトール曹長と隊長を落とす積りに他ならない。――やはり、そうか。
「睨んだ通りだ…!そこっ!!」
舞う、と表現するのが相応しいように、眼前を飛ぶ『グラウラー』。その背に向けてさらに1発AAMを放つと同時に、カルロスは思い切りフットペダルを踏みこみ、乗機『フロッガーK』を一気に加速させた。
急加速の振動と接触警報の騒音がコクピットを揺らすのにも構わず、『フロッガーK』はAAM回避のために旋回した『グラウラー』の脇をすり抜け、ぐんぐん加速してゆく。それを見る間に引き離したカルロスの眼前には、蛇行する隊長の『フロッガーJ』と、そのすぐ先を飛ぶ2機の戦闘機が映っていた。流麗なシルエットと生き物のように逐次角度を変える翼、そして大柄なボディは間違いない。上空からの観察結果と寸分違わぬ、F-14『トムキャット』シリーズと窺い知れた。
「隊長っ!!」
《カルロスか…!ヴィクトール、フレア散布!急減速しろ!!》
《――応よ!!》
短い合図、そして互いの機位。即座に察したアンドリュー隊長が、ヴィクトール曹長へ指示を下す。
先に上空から俯瞰していたカルロスが、咄嗟に思いついた策はこの通りであった。すなわち、上空からの奇襲で敵の指揮・牽制役である『グラウラー』の隙を作りつつ引き離し、一時的に数の上で上回る状況を作り出してから攻撃役の『トムキャット』を仕留めるという、陽動を交えた一撃離脱戦法である。
加速の初速に関しては『ホーネット』シリーズより『フロッガー』の方が優れており、一旦距離を開ければ『グラウラー』に追いつかれる心配はない。そして『トムキャット』の特徴である無段階自動可変翼は、言い換えれば高速から低速へというような急激な速度帯変化への対応にタイムラグも生じる。総合性能で大幅に劣るこの状況下では、機体特性の弱点を突く乾坤の策以外に破る手は無かっただろう。
偶然にも、その戦術はかつてエスパーダ隊が、円卓におけるズィルバー隊との戦闘で用いたそれにも類似していた。
先頭のヴィクトール曹長が急減速し、同時にフレアを放出しながら機体を捻る。その背を追っていたF-14は急減速して深追いする愚を犯さず、左右それぞれの方向へ急旋回し離脱を図った。
――逃がさない。旋回の一瞬では、敵はこちらに背面を向けるため、一時的に投影面積が増加する。まして、大型戦闘機の代表格でもある『トムキャット』ならば当然の事、その面積は並の機体と比べてはるかに大きい。乗ずべき一瞬の隙は、まさに今だった。
右前方を先行するアンドリュー隊長のMiG-27Mが、旋回したトムキャットの背面目がけて機銃を放つ。固定武装の30㎜6連装ガトリング砲に加え、翼下ガンポッドの23㎜機関砲4門を含めた5筋もの射線に捉えられては、さしもの『トムキャット』も逃れる術はない。右主翼と心の臓たるエンジンを貫かれた『トムキャット』は、大きな尾から煙を噴いて、地を指して落ちていった。
その様を横目に捉えながら、カルロスも隊長に倣って引き金を引く。狙いは左の『トムキャット』。その胴体、中心線上。
光を帯びたガンレティクルが、迷彩色の胴体を過たず捉える。距離、500。もう少し。
フットレバー、方向舵、機首調整。距離、445。
――今。
「…ッ!?しまっ・・!」
引き金を引きかけたその時、機体後部から突如生じた振動が機首を揺らし、ガンレティクルが目標を見失う。
後方――エンジン。しまった。
汗すら引くような悪寒に振り返ると、機体後部から薄く煙を噴いているのがカルロスの眼にも認められた。おそらく、加速に加速を重ねて酷使してきたエンジンが、とうとう限界を超えたのだろう。もはやエンジンの溜息どころではない、機体全体を揺さぶるような振動が、カルロスの体を襲った。
そしてなお悪いことに、加速が乗ってしまった『フロッガーK』は、狙っていたF-14を追い抜いてしまっていた。一撃離脱を狙っていた以上は当然の帰結だったが、攻撃を外した場合のフォローに就いては一切考えていなかった思考の穴こそが招いた隙とも言って良い。幾分戦場を冷静に見てはいたものの、その詰めの甘さが露呈した瞬間だった。
「やばっ…!隊長!曹長!」
《慌てるな。ニムロッド2、反転してニムロッド3をフォローしろ。『トムキャット』は俺が抑える》
《応!カルロス、正面から行く!ぶつかるなぁ!!》
思わず発した狼狽え声に応じたのは、隊長の冷静な声だった。――そうだ、慌てるな、落ち着け。機数の利は、今はこちらにある。口中に言い聞かせながら、カルロスは主翼を展開。後方警戒ミラーに眼を運びつつ、その瞬間を待った。
来た。加速して、こちらの背を追う『グラウラー』。同時に残ったF-14も右旋回で機首をこちらに向け、斜め左後方から接近しつつある。ヴィクトール曹長の『フロッガーK』は丁度正面、遥か先でターンをした所であり、隊長も旋回中で間に合わない。背後の二方向からの攻撃を、少なくとも1回は捌かなければ、掩護は間に合わないと見ていいだろう。
だが、この息切れした『フロッガー』で、遥かに性能が勝るあの2機を捌き切れるのか。
ロックオンアラート。だが、まだ遠い。
右旋回。
――離れない。殊に『トムキャット』の格闘性能は『フロッガーK』を凌駕する。むしろその距離を詰めながら、互いに別方向から肉薄してゆく。
隊長は、4時方向やや上方。
曹長11時、距離2000、同高度。
あと、数秒。持ち堪え――。
「…くっ!!」
ミサイルアラート。耳をつんざく甲高い音に、カルロスは咄嗟に左へ舵を切る。
左30°変針、フレア射出。
火球に吸い寄せられるミサイルが眼下を抜け、後方から曳光弾が追いかけてくる。
1発、2発。コクピットに金属が爆ぜる音が響く。
だが、まだ飛んでいる。死なない。隊長の為にも、自分の為にも。
正面。距離、1000。
《カルロス!!》
《左に回れぇぇぇ!!》
「――おおおおっ!!」
視界の先に映る黒点。そこから発せられた大声に応えるように、カルロスは機体を左へロールさせた。正面の黒点――ヴィクトール曹長の『フロッガーK』は瞬く間に大きくなり、すれ違いざまにAAMを全て発射。同時に上空から強襲した隊長の『フロッガーJ』が機銃を掃射し、F-14とE/A-18Gへ2方向からの射撃を浴びせかけた。
だが。
《…なんじゃと、あれだけの攻撃を外した…!?》
《いい腕だ。泣けてくる程な》
追撃を振り切り左へと旋回しながら、状況を仰ぎ見る。
――まさか。脳裏に浮かぶ、驚愕に満ちた第一声はそれだった。正面からのAAM4発、そして後方上空からの5射線の掃射。それを受けてなお、敵の2機は左右に分かれて急上昇し、変わらずその翼を青空に翻していたのだ。ジャミングでミサイルの誘導性能を弱体化させているとはいえ、やはりその技量は尋常ではない。
この手も通じなければ、もはやこちらに打つ手は――。
驚愕の末に待つその絶望は、しかし杞憂に終わった。
「…?奴ら、逃げていく…?」
《こちらオーシア国防空軍第2254飛行隊。遅れて済まなかった、後は任せてくれ》
《…オーシアの連中か!全く、本当に遅いわ!!》
上空に翻る、F-16C『ファイティング・ファルコン』と思しき8つの機影。それをいち早く見つけていたのだろう、E/A-18GとF-14は速度を落とさぬまま、それぞれ別々の方向へと飛び去って行った。オーシアのF-16Cは二手に分かれ、それぞれの背を追いかけてゆく。
終わった、か。ただの追尾のつもりが、とんだ航空戦になったものである。カルロスはバイザーを上げ、眉間に浮かんだ冷や汗を拭い取った。
《こちらエルリッヒ基地。状況混乱につき、迷惑をかけた。以降、追撃は我が軍が引き継ぐ。燃料補給が必要な機は当基地に立ち寄られたし》
《こちらニムロッド1、了解した。カルロス、応急修理がてら立ち寄れ。ヴィクトールはどうか?》
「了解。さすがに飛ばし過ぎて、『フロッガー』も限界です」
《そうじゃの…燃料せびるついでにオーシアの飯を食うのも悪くないんじゃないかね?朝のコーヒーも途中だったしの》
《…よし。エルリッヒ基地へ、3機がそちらに向かう。エンジン不調の機体もいる。整備班も待機されたし》
《エルリッヒ基地、了解した。諸君の来訪をお待ちしている》
《よし、全機方位245へ変針、腹を満たしに行くぞ。…カルロス、策はまずまずだったが、詰めが甘かったな。迂闊に行動せず、先を読むことも意識しろ》
「…う…。りょ、了解です」
最後の叱咤に苦みを噛みしめつつ、3つの機影が飛行機雲を曳いて、西へと鼻先を向けてゆく。雲はいくつか浮かんでいるものの、その先は青空が果てまで続いていた。
先を読む。機体性能では不利な状況を強いられることの多い傭兵にとっては、それも重要な視点なのだろう。それが依然十分でない以上、一人前の傭兵となるにはまだまだ先は長く、学ぶことは多い。それでも、今日もまた生き残り、一つ学ぶことができたのは大きな収穫だった。機体を少々酷使する結果にはなったものの、自らの中に定めた『生き残る』という規律は、このような点でも生きて来る。
エンジンが咳き込み、機体がしばし振動する。
復帰早々、こき使いやがって。カルロスには、それが『相棒』の無言の陳述にも感じられた。
《諸君、ご苦労だった。オーシア国防軍からの情報によると、追撃によりF-14は撃墜したものの、E/A-18Gは取り逃がしたとのことだった。塗装パターンおよび戦術から、カニバル作戦の際に行方不明になったベルカ軍のエースと共通点が見られるが、その所属、ならびに目的などの詳細は不明である。
また、同時刻にノースオーシア州南部で大型航空機の目撃情報が相次いだ。住民からの通報では幅数百mにも及ぶという信じがたい情報だが、当該空域はレーダー網復旧が進んでおらず、真偽の程は定かでない。現在、オーシア諜報部が情報収集を行っており、続報は入り次第追って伝える。以上、解散》