Ace Combat side story of ZERO - Skies of seamless -   作:びわ之樹

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《緊急事態発令!緊急事態発令!!エスパーダ隊の2機が本基地を脱走した!待機中の迎撃要員はただちに出撃し、エスパーダ隊の脱走を阻止せよ!
2機は上空警戒機を全滅させ、ノースオーシア州との国境へ向けて逃走している。その目的地は不明である。勧告に従わない場合は発砲、撃墜を許可する。
なお、警戒機が墜落した影響で第二滑走路は使用不能である。追撃機は第一滑走路より順次離陸せよ!
繰り返す、緊急事態…》



第23話 自由なる剣《Espada》

 緊急事態発令。

 耳をつんざく甲高い音に眠気ごと蹴り飛ばされ、カルロスは転げるようにベッドから跳ね起きた。

 紅い光をまき散らす非常灯、耳を苛む警報音、慌ただしい足音を立てて行き交う人々の気配。視覚と聴覚を満たしてゆくそれらの中で、カルロスは寝間着をはぎ取り、ベッドの端にかけたままのフライトジャケットを手早く身に着けてゆく。ベッドの軋む音からして、上段のカークス軍曹、向かいのアンドリュー隊長とフィオンも同様らしい。肌で感じられる空気は、まさに久しく離れていた戦争のそれだった。

 

 一体、何が。

 エスパーダ隊、脱走、撃墜許可。焦燥した通信の声からくみ取れる限りの情報は、到底信じられない最悪の事態。――そんな、馬鹿な。目まぐるしい情報量に頭は翻弄され、外から連なる爆発音が動揺に拍車をかけてゆく。

 信じられない。あの人が、アルベルト大尉が。心の中に広がる絶望を紛らわすように、カルロスの準備はいつにも増して入念になっていた。ベルトよし、腕時計よし。時間合わせよし…いや、3秒ほど早い。少しでも、ほんの少しでも多忙の中に身を置いていないと、否応なしに意識がその『事実』へと向かってしまう。

 ほんの一時でもいい、絶望から眼を背けたい。律儀に腕時計のネジを回すカルロスの姿は、そんな深層心理の発露だったのだろう。

 

「ふあぁぁ…なーに?エスパーダのオジサンが脱走?」

「らしいな…。ニムロッド各員、格納庫に向かう!」

「……クソッ、まさかこんなことやらかすなんてな…!」

「………くそっ!」

 

 堪えられなかった感情の奔流が、口を伝って吐き出される。

 分からない。なんで、どうして。口中に溢れる疑問と共に、脳裏に滲むのは二人とのこれまでの光景だった。豪快なアルベルト大尉の笑い声、マルセラ中尉の微笑み。空を裂く紅の雄姿。円卓での『銀色の狗鷲』との死闘。いつの空でも…いや、たとえ地上にいようとも、エスパーダ隊の二人は大きな支えだった。

 その二人が――。

 

「…急ぐぞ!」

 

 隊長の声に、4人は眼を合わせる。硬い決意の籠った瞳を向ける隊長、眼をこすりつつも光を帯びたフィオン、そして焦燥のためか、眼を泳がせるカークス軍曹。その軍曹と目が合い、カルロスが名状しがたい違和感を覚えた直後、4人は床を蹴って格納庫のある建物へと向かった。宿舎とは倉庫を隔てて2つ隣、遠い位置ではない。

 

 宿舎棟の扉を開けた先。その先にあったのは、滑走路と、それを挟んだ先の格納庫が燃えて、空を焦がしている光景だった。星一つない空は、微かに東側が明るくなりつつあるものの、まだほの暗い。

 

 1995年、10月2日。その一日は、炎と警報の赤色、空の黒、そして燃える油の匂いで幕を開けた。

 

******

 

 夜明け前の薄暗い空を、4つの機影が飛んでゆく。

 先頭にはアンドリュー隊長のJ-7Ⅲ。フィオンのMiG-21bisとカークス軍曹のJ-7Ⅲがその両翼に左右それぞれ並び、カルロスはMiG-19Sを駆って右翼側の最後尾に就いた。

 

 心細い。

 これまで感じることの無かった感覚に、カルロスは思わず手に力を籠める。

 薄暗く広い空にたった4機であること。レーダーの無いMiG-19S『ファーマーC』では飛行に難があること。要素はいくらでも思いつくが、いずれも決定的なものではない。

 喪失感。そう評するのが適切かどうか分からないが、少なくとも感覚として最も近いのはその言葉だっただろう。

 

《ニムロッド1よりオステア管制室。エスパーダ隊の位置を知らされたし》

《こちら管制室。現在、エスパーダ隊はグラティサント要塞の南方12㎞地点にて追撃部隊と交戦している。空域は状況が錯綜している。十分に警戒せよ》

《了解した。…各機、分かっているな。エスパーダ隊は交戦中だ。すなわち、勧告に応じる意思はない。――捕捉でき次第撃墜する》

 

 どくん。

 宣告に等しい隊長の言葉に、思わず心臓が跳ねる。

 先延ばしにしていた当然の帰結を、カルロスが意識しなかったと言えば嘘にはなる。だが、その意識を言葉として耳にすると、やはり動揺を抱かずにはいられない。匕首(あいくち)のようなその鋭い言葉は、避けようのないその現実を、否応なくカルロスに突きつけていた。

 

 逃げきっていて欲しい。さもなくば、せめて――他の部隊の手で撃墜していてくれ。この瞬間、カルロスの胸に浮かんでいたのは、傭兵らしからぬそんな思いだった。

その甘い願いも、わずか後に破られるとも知らぬまま。

 

《追撃隊、どこにいる?こちらニムロッド隊だ、応答せよ。………?》

 

 サピンとベルカ――否、今はオーシア領となったノースオーシア州との境となる、グラティサント要塞跡の南方地点。先の戦争では、連合軍の反攻における最初の戦場となり、激しい戦闘が展開された場所でもある。

 朝が近づきつつあるのだろう、僅かに明るみを増した空の下には、戦争の痕が色濃い大地が広がっていた。ノミで山を削り取ったような峻厳な崖。激しい砲撃で抉れた大地。そして、あちこちに散らばる戦闘機と対空兵器の残骸。一帯に広がる遺跡群は無惨に崩れており、最早原型を留めていない。まるでその荒涼とした大地に吸い込まれたかのように、隊長の通信には何も帰って来なかった。

 

 人の息遣いがまったく感じられない、死の匂い漂う大地――それゆえだったのだろう。

 やがて遥か先に上がった、死を象徴する赤い炎が、ぞっとするほどに目に焼き付いたのは。

 

「――なっ!?」

《…!こちらサピン空軍オステア基地所属、ニムロッド1!追撃隊、どうした!?応答しろ!!》

《………ああ、その声はアンドリュー大尉。それと…ニムロッド一同か。来ちまったんだな、あんたらも》

 

 炎に包まれた金属の塊が、地に落ちて焔をまき散らす。

 地面に咲いた炎の輪は、これで数にして8。エスパーダ隊を追撃していた機数と一致している。

 

 そして、8つの死の輪の上を舞うのは、損傷一つ見えない2つの赤い翼。眼下の炎よりも濃く深い、真紅と称すべき情熱と命の色。片方は、旧世代機ながら多様な新機軸を盛り込んだダブルデルタ翼機、J35J『ドラケン』。そしてもう片方は、低位デルタ翼と機首の給油ノズルが特徴的な最新鋭機『ラファールM』。4倍の敵を返り討ちにするその技量、部隊構成、そしてこの声。もはや疑おうが迷おうが、間違いない。

 

「…アルベルト大尉…!」

《………レーダー反応2機…嘘だろ、正規軍が8機から追撃に上がってたんだぜ…!?》

《悪いな。今までよろしくやってきたが、『あいつら』の元に行くと俺達も決めたんでね。…見逃してはくれないかね?あんたらを落としたくはない》

《『あいつら』?》

《おう。堂々と理想を口にして、世界を敵に回す甘ちゃん達さ。…ははっ、見てられなくなっちまってね》

《………!》

《全機、攻撃位置に就け。エスパーダ隊を撃墜する》

 

 まるで別れを惜しむように、エスパーダの2機はこちらに背を向けて速度を落としている。まったくもって無防備なその姿は、先の比類ない戦闘技能とは裏腹に、脅威を微塵も感じさせない。

 一体、大尉は何を言っているのか。『あいつら』とは誰だ。そこへ行くとは、何故。何のために。それもサピンを、仲間を裏切ってまで。

 

 迷いは、人の体を縛る。迷いと困惑に囚われて自発的に動く術を失ったカルロスにとって、隊長の宣告は唯一の標に等しい。

 隊長機の右旋回に合わせて、フィオンのMiG-21bisが追従する。その翼端灯の軌跡を追うように、カルロスも操縦桿を倒し、加速しながらアルベルト大尉の『ドラケン』に追いすがってゆく。星が流れる。影が交錯する。すぐ傍らを、光が後方へ流れてゆく。

 ――光?

 視界の端に引っ掛かった、一抹の異変。それは、取り返しのつかない異変となって、間もなく顕れた。

 

「カークス軍曹!?」

《……………。》

 

 その正体に思い当り、カルロスは思わず後方を振り返る。

 さっき追い越した光は、先を行っていたカークス機の翼端灯。加速を加え過ぎて追い越した訳ではないことは、隊長達との距離が狭まっていないことから明らかである。つまり、軍曹は意図的に減速し、隊列を離れたことに他ならない。

 

 一体。困惑するカルロスをよそに、カークス軍曹の絞り出すような声が、耳朶を揺さぶった。

 

《…なあ、アルベルト大尉。あんたの言う『あいつら』ってのが、俺の想像と同じだとして、聞きたい。…『あいつら』の言う理想ってのは、可能なのか?》

《それを可能にさせるのが、あいつであり、俺だ》

《………。………分かった》

 

 今までに聞いたことのない、カークス軍曹の暗い声。…いや。正しくはホフヌング空爆支援後に、軍曹の独白で似た声音を聞いた気がする。絶望と、迷いが入り混じった、澱むようなその声は、今のそれに酷似している。

 軍曹。不意にぞっとした予感を覚え、カルロスの喉に思わず言葉が昇る。

そしてその声は、直後に後方から襲ったジェットエンジンの暴風によって、無惨にかき消された。

 

「…うわっ!?」

《…!?おい、ニムロッド3、カークス!何をしている!?》

《………アンドリュー隊長、フィオン、カルロス。…悪い。俺は、アルベルト大尉について行く》

「え……!?…な、…何、言ってるんですか。嘘、でしょ…軍曹。カークス軍曹!!」

《待て!カークス、血迷ったか!!》

 

 こちらを振り切るように加速する、カークス軍曹のJ-7Ⅲ。その余波に巻き込まれ、カルロスは機体も頭も、荒れ狂う渦に飲み込まれた。

 なぜ…どうして。何のために。補助翼を操作し、揺れる機体を押さえてからも、動揺する頭の中は数多の『なぜ』だけが満ち、到底抑えきれない。

 だが事態は、それだけでは無かった。

 

《ふーん。…じゃ、僕も行ーこうーっと》

「フィオン…!?バカな、お前まで!」

《だってそうでしょ。戦争も終わって空戦も無くなって、おまけに機体はボロばっかり。楽しくも何も無いよ。…でも、詳しいことは知らないけど、とりあえずオジサンについて行けば『世界を敵に』回せるんでしょ?山ほどいる連合軍も、…あの『円卓の鬼神』も。》

《……!フィオン……!!》

 

 予想外の所から上がった、楽天的に過ぎるほどのフィオンの声。その主の意志に呼応するように、眼前のMiG-21bisもまた眩しい光を煌めかせ、こちらをみるみる振り切ってゆく。

 円卓の鬼神――隣国ウスティオが誇る化け物傭兵『ガルム1』。触れるもの全てを屠る、凄まじいばかりのその様は、フィオンも自分も、『円卓』における戦いで目にしている。…だが。まさかフィオンはその頃から、戦いたいという思いを蔵していたのか。そして、そのためだけに、仲間を裏切るというのか。

 腹の底から絞り出すような、隊長の苦衷。カルロスの耳に焼き付く悲しい響きが、深い絶望となって心に広がってゆく。

 

《前に『円卓』であの機体を見てからずっと、僕は思ってたんだ。あんなに強いのと戦いたい、倒したいって!こんなチャンス、逃せる訳ないでしょ?》

《……お前な。…まあいい、人手はいくらでも欲しいしな。アンドリュー大尉、あんたはテコでもこっちには来ないだろうが…お前はどうする?ボウズ…いや、カルロス。戦争をなくすために戦う…ってのも悪くないかもしれないぜ?》

「…!?」

 

 戦争を、無くす。『あいつら』。世界を敵に――。

 アルベルト大尉の言葉がこちらに向いたその時、カルロスの脳裏に閃くものがあった。

 つい先日の、ベルカ残党討伐から帰還した直後のアルベルト大尉との会話。あの時アルベルト大尉は、今は亡きウィザード1――ジョシュア大尉の言として、『国境の撤廃』という話を引いていた。国境の否定とは、すなわち国家という枠組みの否定に他ならず、言い換えれば今の世界の否定とも言える。賛同する国家は皆無である以上、『世界を敵に回す』ことと同義だろう。アルベルト大尉は、細かい部分に疑義を示しつつも、大筋では賛同している様子だったのを覚えている。

 つまり、アルベルト大尉とマルセラ中尉、カークス軍曹の抱いた『理由』とはそういうことなのか。ジョシュア大尉の意志を継いで、そんな国境の無い世界を作り出し、戦争をなくす――そんな見果てぬ理想のために、『今』を裏切ったというのか。

 

 では、自分は?

 改めて向けられたその問いに、カルロスは思わず手を止める。

 戦争を無くす――それは傭兵が抱くには不釣合いなほどに、正しく崇高な理想だろう。人は古くからそれを願い現代にまで至って来た。いわば人類の理想といっていい。そしてその理想を果たすためには、多少の強引さも、武力の行使もやむを得ないものなのかもしれない。

 だが。そこに反射的に薄ら暗さを感じるのはなぜだろう。全ての人が手を取りあう世界――理想であるはずのその姿が、どこか気味の悪いものに見えるのは、一体なぜだ。自身の理解を越えているから。傭兵という役割の自己否定だから。脳裏に浮かぶ理由はいずれもそぐわぬまま、ただただ漠然とした違和感だけが広がってゆく。

 理想は正しい。だが、どこかしっくり来ない。ならば、自分はどうするべきなのか。自分の、俺の、戦う意味は――。

 

「……俺、は…」

《アルベルト、方位180から機影4。この反応は…エスクード隊ね》

《おっと。これまた厄介なのが来たな。マルセラ、悪いがそいつら連れて先に行っててくれ》

《貴方は?》

《ちょっと野暮用済ませてから追う。心配するな、すぐ追いつくさ》

《…分かったわ。ニムロッド2、ニムロッド3、ついてきて》

《あーい。それじゃ二人とも、お達者でー》

《隊長、カルロス。…すまねえ。》

「…フィオン…!………カークス軍曹っ!!」

《待て!!フィオン、カークス!!……糞ッ…!》

 

 断裂。そう評せるほどに、曲がりなりにも繋がっていた糸は、唐突に断ち切られた。

 迫るサピンの友軍、朝が近づき明るくなる空。それらを振り切るように、3つの翼が徐々に速度を上げ、北の彼方へとその姿を融かしてゆく。待て、待って。まだ、ろくに理由も聞いていない。まだ、何も――。

 無意識に伸ばした手の先。二人は言葉一つを残したのみで、その手からも、視界からも消え失せていった。

 

《これは…。ニムロッド1、一体何が起こっている!》

《…見ての通りだ。ニムロッド2と3が脱走し、エスパーダ2ともども逃げられた。先行した8機は全滅だ》

《何だと…!?》

《まぁ、そういう訳だ。あいつら追わせる訳にはいかないんでな。別れの挨拶に、ちょっと遊んで行こうじゃないか》

 

 南方から飛来する、エスクード隊のF/A-18C『ホーネット』の機影。数で勝るその姿を認めている筈だが、アルベルト大尉は躊躇なく深紅の翼を翻し、こちらに相対する機位を取った。

 ニムロッド隊のJ-7ⅢやMiG-19Sはともかく、エスクード隊の『ホーネット』は第4世代に属する最新鋭機である。飛行性能は勿論搭載能力も比較にならず、アルベルト大尉が駆るJ35J『ドラケン』とは歴然とした性能差があると言っていいだろう。おまけに先発部隊との戦闘で、弾薬もろくに残っていない筈である。

 それでもなお、大尉の『ドラケン』はこちらとヘッドオンの位置に就き、あまつさえ不敵な台詞を吐きながら肉薄してくる。その姿には、かつて相対したズィルバー隊やゲルプ隊と同じ、エース特有の『圧』が宿っているように思えた。

 その圧も力も、かつては力強い味方だったというのに――。

 

《真正面から…。全機、躊躇するな。サピンのトップエースでも、戦闘機は戦闘機だ。当たれば落ちる》

「…大尉…!!」

《全機、撃て》

 

 声の熱が、一段落ちた。

 敵意、あるいは殺意の籠った隊長の声に打たれるように、カルロスは躊躇いの残った引き金を引いていた。隊長のJ-7Ⅲと自分のMiG-19Sから1発ずつ、エスクード隊のF/A-18Cが各2発。計10発ものAAM(空対空ミサイル)が、真正面から迫るたった1機に集中する勘定である。先行するニムロッドの2機と後発するエスクード4機の間では発射に時間差もあり、単純なバレルロールでは回避することも叶わない。並のパイロットならば、避けようのない飽和攻撃だった。

 だが。カルロスの眼に映ったのは、信じられない挙動だった。

 

 アルベルト大尉の『ドラケン』は、向かって右方向へのバレルロールでニムロッド隊のAAMを回避。そのままバレルロールを続ければ、ロールの下端でエスクード隊のAAMが殺到する筈であった。

 しかし、『ドラケン』はロールの上端で機首を『上げ』、垂直降下へと移行。縦方向への慣性が強く残る『ドラケン』の特性を活かし、急速下降へと入ったのだった。エスクード隊の放ったAAMが『ドラケン』の腹へ迫り、捉えることなく飛び去っていったのは言うまでもない。

 

《何!?バカな…!下だ、追うぞ!》

《ニムロッド4、こちらは頭を押さえる。追従しろ》

「…了解!」

 

 一様に驚愕するエスクード隊、そして隊長の指令に、感傷は一気に吹き飛んだ。やはり、あの人はエースだ。性能差も、機数の不利も、意に介してすらいない。目論見の甘い感傷を向ける余裕など、もとより無かったのだ。

 先行していたゆえに『ドラケン』と入れ違ってしまい、ここから追尾するには距離が離れすぎる。追撃はエスウード隊に任せる積りなのだろう、右旋回に入った隊長に合わせ、カルロスも右ロールから機首を上げて旋回に入った。

 擦過から今に至るまで、この間せいぜい10秒。しかしその間に動いた戦況は、下方を見下ろしたカルロスの眼にまざまざと映ることになった。

 

「なっ…!?」

 

 右下方への急旋回で猛追をかけたエスクード隊に対し、速度を落とした『ドラケン』は機首を急上昇。機体特性によって強力な縦スピンを引き起こしたそれは、下がった速度の助けも借りて、空を指して静止――いわゆるコブラ機動を取ったのだ。そのタイミングはエスクード隊の4機が機首を水平に戻すより僅かに早い、絶妙の機。4機がその機動に気づく頃には『ドラケン』を追い越し、その無防備な背中をアルベルト大尉の前に晒していた。 

 脳裏に蘇るは、かつてベルカのエース部隊『ゲルプ隊』に見舞われた同様の戦法。エースともなれば、発想も似通ってくるということなのか。

 

《コブラ機動!?バカなっ…!》

《…くそ、喰らった!エスクード4脱出(イジェクト)!》

 

 エスクード1から、驚愕の声が上がったのも無理は無かった。

 コブラ機動が可能なのは、ゲルプ隊が運用していたSu-37『ターミネーター』など強力なポストストール能力を持つ機体に限られるが、理論上は『ドラケン』でも可能とされていた。ただし最新の姿勢回復システムを有するそれらと異なり、旧式の『ドラケン』の場合は機体制御が困難となるため、到底実用には向いていないと言われていたのだ。それを可能にしたばかりか、即座に機体を立て直し追撃を加えるなど、想像の外にあると言って良い。

 『ドラケン』という機体特性、機動性に的を絞ったチューニング、そしてアルベルト大尉の技量。それが一つでも欠ければ、到底成し得ない機動だっただろう。

 

 常識を超えた10秒間。その間に、エスクード4はAAMを受けて落ちていき、エスクード3もまた主翼に機銃弾を浴びて、高度を下げていた。

 

「嘘だろ…!」

《信じられん…。行くぞ、エスクード隊が危うい!》

 

 旋回を終え、隊長のJ-7Ⅲが機首を僅かに下げて一気に加速してゆく。カルロスも同様にフットペダルを踏みこんで加速を加えるが、最高速度、加速力ともにJ-7Ⅲに劣るMiG-19Sでは速度の伸びに相当な差がある。

 見る間に距離を引き離されつつも、その先に舞う深紅の翼だけを、カルロスはひたと見据えていた。勝機は無い訳ではない。遷音速程度の格闘戦なら、比類ない運動性能を持つMiG-19に分がある。接近戦に持ち込められれば、勝ち目は見えるのだ。

 

《く…!振り切れん…!》

《隊長!…くそ、何で当たらないんだ!本当に『ドラケン』か!?》

 

 だが、勝ち目があるといっても、それはあくまで理論上の話である。先の想像を超えた回避といい、アルベルト大尉の技量では予断を許さない。現に今も背をエスクード2に抑えられ、性能が勝る相手に機銃やAAMを浴びせられながら、それをことごとく回避しているのだ。それも、前方のエスクード1に機銃を加え確実にダメージを与えながらである。

 エスクード1の翼が煙を吹く。飛び散った破片と煙、そしてエスパーダ1の機動に幻惑され、エスクード2はその背を捉えられずに振り切られてゆく。

 間に合うか。いや、間に合え。

 

《エスクード1!左に旋回しろ!!》

《…ニムロッド隊か!》

 

 エスクード1の『ホーネット』が左に傾き、それを追うように『ドラケン』が左旋回で紅の翼を大きく広げる。すなわちこちらの進路に対し垂直に直行し、『ドラケン』の投影面積が最も大きくなった、その刹那。音速を越える速度で戦域に突入した隊長のJ-7Ⅲが、真紅の翼へ向けてAAMと機銃を続けざまに放った。

 加速性能を活かした後方からの奇襲。鼻先を抑えられたアルベルト大尉は、咄嗟に機体を右方向へ捩ってAAMを避けながら、速度を補うべく緩降下してゆく。――初めて、大尉の機動が鈍った。

 

《捉えた!》

 

 すかさず、『ドラケン』の後方に就いた隊長が、その背に機銃を放つ。距離600を切る至近距離でありながら依然掠り傷も無いものの、その機動は確かに先程より精細を欠いている。距離およそ1200、なんとかアンドリュー隊長の上後方に就きながら、カルロスも速度を速めてその背を追った。

 『ドラケン』が翼を翻す。

 J-7Ⅲが追う。

 左…いや、左下方。

 先読みをした隊長の放った機銃弾が、真紅の翼に穴を一つ穿つ。

 当たった。もう、一息。

 

 たまらず旋回を止め、加速をかけた『ドラケン』。その背を、単発のエンジンを吹かしてJ-7Ⅲが追いすがってゆく。この位置、そしてこの戦術は。

 

《カルロス!》

「…はい!」

 

 名を呼ぶだけの、短い通信。だが、この位置関係とその合図で、意図する所は十分に察することができた。

 おそらく、アルベルト大尉が狙っているのは先ほどと同じオーバーシュート(追い越し)誘発だろう。すなわち急加速から隙を狙って急減速に転じ、速度差を以て互いの位置を入れ替える空戦機動である。従来のデルタ翼機より低速安定性に優れる『ドラケン』ならば、その脅威は一層高いと見ていい。

 そして、アンドリュー隊長が狙っているのは、まさにその瞬間に違いない。つまり、エスパーダ1を追い越して後方を取られた瞬間は、急減速で『ドラケン』の速度は著しく落ちている筈である。その隙を、さらに後方に占位するカルロス機が狙い撃つ。言うなれば相手の戦術を逆手に取った、後の先を狙う返し技だった。

 

《腕上げたねぇお二人さん。――でもな。》

「――なっ!?」

 

 その瞬間は存外に早く、そしてまたしても予想の範疇を越えて訪れた。

 読み通り急減速を仕掛けた『ドラケン』が、瞬く間にJ-7Ⅲと入れ違い、こちらの眼前に無防備な姿を晒す…筈、だった。

 しかし、それを読んだアルベルト大尉は機首を上げると同時に急減速し、隊長のJ-7Ⅲの下方へと滑り込む形でオーバーシュートを誘発したのだ。つまり『ドラケン』の位置は、後上方のカルロスから見て隊長のJ-7Ⅲのさらに向こう。この位置取りでは隊長が壁となり、アルベルト大尉へ攻撃を加えることができない。

 そして。急減速と急速ピッチアップ(機首上げ)により、『ドラケン』は再び天を指すコブラ機動に入る。相対位置の当然の帰結として、その目の前にはアンドリュー隊長が位置することとなり――空目がけて放たれた機銃弾が、J-7Ⅲを下方から貫いていった。

 

《馬鹿、な…!》

「隊長ッ!!」

 

 炎に包まれた機体のキャノピーが飛び、一拍遅れてパラシュートが空中へと飛び出す。隊長の無事を認める暇もないまま、カルロスは操縦桿を左へ倒して急旋回し、追い越してしまった『ドラケン』の位置を探った。

 ――いた。高度はこちらよりやや下方、コブラ機動から水平に戻った直後らしく、速度はまだ遅い。片や、と空域を見渡せば、煙を吹いたエスクード1は南を指して退避しつつある。エスクード2は破片を浴びたのか、空域を飛んでいるものの機動が悪い。つまり、もう戦えるのは自分一人しかいない。先発隊も含めて16機もいた戦闘機が、もはや1機だけ――。

 

「く、そぉぉぉぉ!!」

 

 吠えた。それが最早何のためかも分からぬまま、カルロスは機体を駆り、真紅を見据える。

 機動は斜め下方旋回(シャンデル)。遷音速機屈指の旋回性能を誇るMiG-19の旋回半径は、驚くほどに小さい。眼前に捉えるは深紅地に稲妻のような黄色を描いた、見慣れた鮮やかな塗装の機体。かつて味方だった、悲しい程に美しいその色彩――。

 

「なんで…!何故ですか!!今まで一緒に飛んできたのに!…そんな、非現実的な理想なんかで…!」

 

 それは憤怒か、悲哀か、それとも無念の発露だったのか。あらゆる感情が混然となった言葉を、カルロスは通信回線に叩きつけた。機銃弾、ミサイル。感情とともに同時に放たれたそれらを、『ドラケン』は憤ろしいほど自由に舞い、捉えたと思った傍から避けてゆく。

 

《理想のため、って訳じゃあないさ。世の中にはいろんな奴がいる。今に絶望して理想に(すが)る奴も、理想そっちのけでただただ戦いを求める奴も…そして、エゴも面倒事もない、広くて自由な空を飛びたいだけの奴も、な。それぞれの持つ信念ってヤツが、偶然同じ理想の下に向かっただけだ》

「…信念…!…そんな、事で!!」

 

 信念。戦う意味。この戦争で何度も突きつけられ、そして未だ答えを見いだせていないそれが、改めてカルロスの心を打つ。人を強くもし、殺しもするその言葉――理想と言い換えてもいいその言葉を抱いて戦うのは正しいのか、それとも間違っているのか。

 

 分からない。分からないまま、この人と戦い、別れねばならないのか。

 自分でも名状しがたい感情が、ガンレティクルを通して深紅の翼を指す。引き金に添えた指が、掌が汗ばむ。距離500…400。もう、外しはしない距離。

 だが、撃って――落として、いいのか。

 

 一瞬の迷い。それは大きな隙となり、カルロスの眼を穿った。

 

「……うっ!?…しまっ…!」

 

 『ドラケン』の翼が翻った。そう思った直後に、水平線から顔を出したまばゆい光によって、カルロスの視界が白く染まる。方位90、日昇時刻――しまった、夜明け。

 暗さに慣れた目は、突然の光に弱い。まるで夜明けに惑う蝙蝠(ニムロッド)のように、カルロスは目を奪われた。一瞬にして背を取った『ドラケン』の軌跡を、その目に捉えることも無いまま。

 

《いつでもいい。今度会った時にでも、また教えてくれ。…お前の答えを。》

「――…!」

《…あばよ》

 

 発砲音に掻き消される、最後の別れの言葉。被弾の衝撃が黒煙と化し、航空機を鉄屑へと変えていく刹那、カルロスは脱出レバーを引いて宙へと放り出された。

 

 冷たい風が頬を打つ。10月の空に、白い朝日が寒々しい光を奔らせる。それは荒涼としたグラティサント要塞の残骸も、新たに生まれた鉄屑たちも照らし、鬱々とした陰影を刻んでいた。

 最早言葉も、声も無い。絶望と喪失感の中で、目の中の光景が滲んでゆく。

 

 答え。

 ついていくのか、否か。そして自分の中に形作る信念は何か。その問いだけを残して、真紅の翼は北を指して飛んでいった。

 その信念とする、自由な空が在る所へ。

 


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