Ace Combat side story of ZERO - Skies of seamless -   作:びわ之樹

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第22話 帰還

《コバルト3、着陸行程完了。輸送機各機は第3格納庫へ向かい、補給を開始せよ。コバルト4、着陸よし》

《コバルト4了解。こっちははるばるベルカから飛んで腹ペコだ。たっぷり頼むぜ》

 

 秋晴れの空の下を、灰色の大きな機体が1機、また1機と地上へ舞い降りてゆく。

 主翼にサピンの国籍マークを描いたその巨体は、地に3つ、空に2つ。元来が大型機の上よほどに荷物を抱えているのだろう、地を這うその機体――C-130『ハーキュリーズ』の歩みは、戦闘機のそれと比べてのろのろと亀のように遅い。通信の端に聞こえたパイロットの声は、その動きに従うようになんとも呑気なものである。

 この穏やかな光景も、ひとえに戦争が終わった安心感によるものなのだろう。ただでさえ、涼しい秋の空気は人の心を緩ませる。長期間の緊張を強いられた前線基地では、反動が生じても無理も無いことだった。

 

《空中警戒機より管制室、周辺に敵影なし》

《了解した。ニムロッド隊、第2滑走路より着陸せよ。サピンへの帰還、歓迎する》

《誘導と歓迎に感謝する。ニムロッド1より各機、編制順に着陸する。脚を折るな》

 

 ――いや、反動といえば、自分も例外ではないだろう。ベルカ残党掃討のため、契約地であるサピンを離れて3か月。一足先に戦争状態から脱したサピン国内に帰ってみれば、やはり気が緩むのを抑えられない。

 戦争が終わってしまえば、傭兵には稼ぐ手立てが無いというのに。そう思うと、我ながら妙な心境だった。

 

《ニムロッド3着陸行程完了。ニムロッド4、着陸を許可する》

「了解。ニムロッド4、着陸行程に入る」

 

 カークス軍曹のJ-7Ⅲが滑走路に舞い降り、ゆっくりと旋回して格納庫へと向かってゆく。空からその様を見届けた後、カルロスは操縦桿とフットペダルを調整し、まっすぐに滑走路の端へと機体の鼻先を向けた。

 降下、減速、滑走路手前での機首上げ。幾度となく反復したその工程は、流れるように身に着いている。

 速度もよし、進路適正。着陸中止の声も無い。高度が低くなるにつれ、風を孕んだ主翼に砂埃が舞い上がる。出迎えの第一声は、キャノピーに当たる砂粒とタイヤの軋み、そして上空を舞う警戒機の轟音。無機質な3連奏の横で、滑走路の端に生えた芝生がさわさわと風にそよいでいるのが目に鮮やかだった。

 

 サピン国内における、ニムロッド隊第二の拠点『オステア空軍基地』。ベルカ国内に展開していたサピン空軍の撤収とともに、本来の戦力を取り戻したその地は、俄かに喧騒を帯びつつあった。

 時に、1995年9月27日。ベルカと連合軍との戦争が公式に終結してから、既に3か月余りが経過していた。

 

******

 しばし、後。ニムロッド隊4人の姿を、格納庫に認めることができる。

 戦争終結のお蔭もあり、戦闘部隊たるニムロッド隊の任務と言えば今や定時の哨戒とスクランブル待機のみ。おまけにベルカ北岸から一気にサピン国境へと飛行してきた点を基地側が考慮してくれたのか、今日一日は全員が非番となっていた。

 これまでの任務を省みれば、サピン-ベルカ間の飛行など疲労の内にも入らないが、それでも非番は非番である。万一に備えて格納庫に待機しつつも、『ニムロッド』の各自は手持無沙汰な時間を潰していた。アンドリュー隊長は帰還報告を行った後、ミーティングや本社との連絡を取るため司令部に留まったまま。カークス軍曹は座椅子に座り、新聞を広げてタバコをくゆらせている。フィオンはシャッターの柱に寄り掛かり、外をぼんやりと眺めている様子だ。

 

 一方のカルロスはといえば、フライトジャケットの上を脱いだ軽装でうつ伏せに両手とつま先を付け、小さく息を吐き出しながら肘屈伸を――すなわち腕立て伏せを繰り返していた。手持無沙汰な時は筋トレ、という習慣付けは最早彼にとって習性とでもいうものになりつつあり、おまけにベルカ駐屯時の多忙とリハビリでしばらくできなかった期間を取り返す意味合いもあったのだろう。床に汗を垂らしながら、若い筋肉は隆起と伸長を繰り返し、黙々とその身体にエネルギーを溜めこんでゆく。

 もっとも、他の2人が静かにしている中、1人だけが一心に腕立て伏せをする様は妙と言えば妙ではあるが。

 

「あれ、あの人たちもう上がるんだ」

「え?…あ、本当だ。凄いな、まだ1時間も経ってないぞ」

 

 不意に、外を眺めていたフィオンがぽつりと声を上げる。ふと耳を済ませれば、確かに外からは低く重い響き。戦闘機とは明らかに異なるその音に違和感を覚え、カルロスは腕立て伏せを止めて、釣られるようにフィオンの後ろから外へと眼をやった。

目の前に当たる滑走路を奔るは、灰色の巨体。地滑りのような重いエンジン音を響かせて空へと舞い上がってゆくのは、間違いなく先程着陸したばかりのC-130である。

 ちらりと腕時計を見やれば、針が指すのは午後2時15分。乗機を格納庫に収めて司令部へと帰還報告を行ってから、まだ50分程度しか経過していない。所要時間を考えるに、おそらく補給を終えてすぐさま離陸したのだろう。慌ただしいその様は、常ならば考えられない、戦時そのものの性急さと言わねばならない。

 

「ま、わざわざベルカから大事(だぃぃじ)な荷物抱えて来てるんだ。すぐに目的地まで運びたい、ってのが人情なんだろうさ」

 

 カークス軍曹は新聞から僅かに眼を上げ、へへっ、と皮肉っぽい笑い声を上げながらそう言った。

 カークス軍曹の言葉には、明らかに棘がある。カルロスも同意の言葉こそ示さないものの、同じく積荷の内容を知る者として、軍曹の意図する所は理解できた。

 

 そもそも、今回のベルカからサピン領内への撤収において、あの5機が参加することになったのは出発のわずか半日前だった。要はこちらの撤収にかこつけて護衛を任された訳だが、それほどまでに急に、しかも撤収の喧騒に紛れるようにこそこそと参加したというのも、考えてみれば妙である。

 後で漏れ聞いた所によると、輸送機に搭載されていたのは全て今度の戦争で接収したものなのだという。それも地下資源や金銀財宝といった即物的で陳腐なものではなく、今後の国家関係をも左右するもの――試作兵器の設計図や部品なのだそうだ。いやに勿体ぶった輸送機の機長が言う所によると、ベルカの超高層化学レーザー兵器『エクスキャリバー』の護衛に就いていたレーザー列車砲のものなのだという。ベルカの技術者も一緒に乗っている等の噂もあったが、実際そんなものが実在したのかということ自体がカルロスの知識の外であり、実際の所は話半分程度にしか聞いていなかった。

 いずれにせよ、彼らの目的とする所は、戦争で分捕った物を後生大事に抱え込んで本国に運ぶことだったと言って良い。貪欲なその様が、カークス軍曹には気に障ったに違いない。

 

「へっ、結局この戦争で得したのは、タダで技術を得られた技術屋と商人だけかもな?」

「そして傭兵の我々も、だ。カークス、我々は戦争の意味の是非を問う必要はない。それと格納庫の中で煙草はやめろ」

「げっ。隊長いつの間に」

「今しがたな。フィオン、カルロス、集合しろ。ミーティングの内容を伝えておく」

 

 苦笑とともに皮肉で結んだカークス軍曹の言葉に、不意にアンドリュー隊長の声が被せられる。司令部でのミーティングが終わったのだろう、格納庫裏手の通路から姿を現した隊長は、襟元を広げくつろいだ様子だった。  

 カークス軍曹が渋々煙草を灰皿に押し付ける傍らで、他の3人はパイプ椅子を引っ張り出し、適当に位置を占めて座り始める。

 全員が座を占めるのを見届けて、隊長は携えていた書類の束へと眼を落とした。ミーティングの資料らしく、綴じられた数枚の紙にはそこここに赤くメモ書きが付け加えられている。

 

「まず、一連のベルカ残党の動きだが…シュヴィル・ロン島の湾内を調査した結果、どうも終戦と同時に脱走した数と沈没が確認された数が合わないらしい。航空機についても同様だ」

「…残党のいくつかが行方不明ってことですかい?」

「そうなるな。数にして輸送船3隻と駆逐艦1隻、航空機はざっと20機前後。肝心の輸送船の積荷は明らかになっていないが、連合軍は泡を喰って探し回っているらしい」

「結構な数ですね。…ってことは…」

「ああ。まだ今後も残党討伐の任務がある可能性がある。状況にもよるが、契約更新もありうるな」

 

 ベルカ残党討伐の顛末と、敵戦力の失踪。時折顔を上げつつ話すアンドリュー隊長の言葉に、カルロスも終戦――6月以降の動きを記憶の中から辿ってゆく。

 国境の都市ルーメンで終戦協定が結ばれたのは去る6月20日。その翌日には、終戦に反発するベルカ艦隊が脱走し、残党軍の本拠地シュヴィル・ロン島へと離脱している。その際の追撃戦、ワイルドウィーゼルの敢行と失敗、そして止めとなる爆撃作戦の護衛。3か月近くに及ぶ討伐作戦の中でカルロスも幾度となく戦場に赴き、窮地に陥りつつもこれまで生き抜いて来たのだった。

 その中でも、6月21日に行われた追撃戦の記憶は今なお新しい。荒れ狂う北海、決死の覚悟で反転するベルカ艦隊、そして波間に沈んでゆくそれらと、こちらを翻弄しつつも自裁して果てたYaK-141。それは今にして思えば、果てない新たな戦闘の幕開けと、ベルカの意地と妄執を象徴する戦いでもあった。

 

 そして――そうだ。

 確かその際の事前情報では、ベルカ艦隊の編制には輸送艦がいた記憶がある。ところが、以降の戦闘では海上でもシュヴィル・ロン島の湾内でも輸送艦を見た記憶が無い。全ての戦闘に出た訳ではないので確証はないが、輸送船が姿を(くら)ましたというのもありえそうな事である。

 理由は判然としない。だが、他に散在するベルカ残党に身を寄せたというのがおそらく順当な予測であり、それゆえに捜索は困難を極めるだろう。これまではシュヴィル・ロン島という拠点に勢力が集中していたが、それが潰れた以上、残る他の拠点はあまりにも小さく、位置を掴むのも容易ではない。着果したホウセンカの実を取るのは容易だが、それが弾けて地に落ちれば探すのは至難になるのと同義である。

 

 以上を踏まえれば、ベルカ残党討伐にはかなり時間を要することも考えられる。本来は来年3月までの1年契約だったが、討伐作戦を実施すべきサピン正規軍が立て直しの途上である今、サピンと結んだ契約更新も場合によってはやむなしと言えた。

 とはいえ、雇用主はサピン正規軍であり、サピンそのものも補給の体制は十分、おまけに飯も旨い。いささか不謹慎なきらいもあるが、そうなればなったで傭兵としては望む状況と言えるだろう。

 

「その積荷ってのが臭いっすね…。またベルカお得意のレーザー兵器ですかね?」

「さあな…。機密レベルが高いとかで、情報は開示されなかった。いずれにせよ留意しておいてくれ。…それと、別件だが本社とも話が繋がった。朗報が二つある」

「朗報?…Su-27(フランカー)配備とか!?」

「…ウチみたいな貧乏会社にそんな余裕があるか。まず一つだが、修理に出していた俺のMiG-27と全員のMiG-23が返って来る。部品調達に手間取ったが、何とか直ったらしい」

「おっ、本当ですかい!?待ちわびたぜ!」

「…え゛ー。結局『フロッガー』-?」

「良かった、やっと俺もMiG-19から解放ですね…。今の機体はどうするんですか?」

「まだ確定ではないが、俺とカークスのJ-7Ⅲ、お前のMiG-19は売却の予定だ。元々数合わせだったし、今は機体があっても社にパイロットがいないからな。フィオンのMiG-21bisは予備機に回す」

 

 話題を引き継ぎ、続いて隊長の口から語られたのは朗報の一つ――MiG-23の再配備。3か月越しの愛機の帰還に、カルロスは思わず身を乗り出して安堵の言葉を口にした。カークス軍曹も同意らしく、先程の皮肉など微塵も無い笑顔を見せている。

 

 発端は6月上旬のスーデントール攻防戦において、ベルカ軍が使用した核兵器の余波を受けたことである。

 機体外装には直接の損傷こそ無かったものの、同時に生じた電磁波障害の影響が大きく、『フロッガー』の電子機器が受けたダメージは甚大だった。現代の航空機は制御システムが複雑化の一途を辿っており、そのサポートのために電子機器を多用している。言い換えれば、それ全体が一つの精密機械と言っていい。その中核たる電子機器が破損した以上、戦闘機としての運用は不可能だった。

 かくして4機の『フロッガー』は社の工廠にて修理を受ける羽目になった訳であるが、修理の対象が複雑かつ高価な電子機器でもあり、修理は難航したらしい。現代の最新鋭機と比べれば機構が簡易で市場に部品流通も多い『フロッガー』だから良かったようなものの、他の機体ならば1年仕事になってもおかしくは無い筈だった。その点、MiG-23シリーズを運用していたのは幸運だったとも言えるだろう。

 

 もっとも、旧式のMiG-19などより優れるとはいえ、MiG-23シリーズも就役から日が長く旧式の域を出るものではない。以前から高性能な最新鋭機であるSu-27『フランカー』シリーズを要望していたフィオンには不満だったらしく、口を尖らせて失望の声を上げていた。

 

「そして、もう一つの朗報だ。ヴィクトールが、帰って来る。」

「ヴィクトール曹長が…本当ですか!?」

「へー、あのオッサンもしぶといねぇ。いつ帰って来るんです?」

「来月10日前後の予定だ。怪我自体は8月ごろに治っていたらしいが、リハビリに時間を要したようでな。『フロッガー』も同時に届く」

 

 続いての、そして最大の朗報が、隊長の口からもたらされる。戦線を離脱していた、ヴィクトール曹長の帰還――カルロスも、そしてカークス軍曹も同様に、驚きとともに歓喜を紡いだ。フィオンばかりは『フランカー』の件を引きずっているのか『ふーん』と応じるに留めているが、不承という訳では無く単に不機嫌なだけだろう。

 

 元々ニムロッド隊の3番機として参戦していたヴィクトール曹長は、この戦争の初期に重傷を負い、戦線を離脱していたのである。当時カルロスは予備パイロットだったが、それを契機に本格的に戦線に出るようになっていたのだ。傭兵としてのキャリアはアンドリュー隊長よりも長く、単純な頭数の増以上にその心強さは計り知れない。

 ただ、曹長が復帰となると、自分はまた予備パイロット戻りになるのだろうか。それを思うと複雑な気分が無いでも無かったが今はただただ、曹長の帰還の喜びを噛みしめるカルロスだった。

 

「人が増えるのはいーですけどー、残党討伐っていったってもう小規模しか残ってないんでしょ?エース級だって残ってるか怪しいもんだし。…はー、また戦争起こらないかなー」

「お前、そうあからさまになぁ…。終結して3か月ぽっちでそうそう起こるかよ」

「そうでもないぜ?」

「…へっ?」

 

 つまらない。そう体中で語るように、椅子の背もたれに思い切り体を伸ばすフィオン。元より金の為ではなく戦いたいがゆえに空にいる彼である、戦いの無い今の空は退屈で仕方が無いのだろう。本心を隠しもしない直截な言葉の是非はともかく、その思考と言葉はある意味傭兵らしい。

 そして今までもその様は幾度となく見ており、カルロスを含めた他の三者は慣れて久しい。いつも通り呆れた様子で応じるカークス軍曹の声は、一同にとっても見慣れた光景だった。

 ただ一つ、最後に被さった男の声を除いて。

 

「…アルベルト大尉?」

「おう、ちょっと通りかかったんでな。…にしても、折角の休みにまた格納庫で待機とは律儀だねぇ諸君。近くに街もあるんだ、女遊びでもしてくればいいのによ。何なら今からでも一緒に…」

「アルベルト?」

「…いや嘘、冗談、冗談だってハハハ。ハハ…」

 

 冗談交じりに会話に入って来たのは、カルロス達も良く知るサピンのエースパイロット、エスパーダ1ことアルベルト大尉だった。後ろにはエスパーダ2ことマルセラ中尉の姿もあり、大尉の戯れとも本気ともつかない言葉に応じている。…ただ、口元は微笑んでいるものの、目が笑っていない。

 

「あ、エスパーダのオジサン。…どーいう意味です?『そうでもない』って」

「いい加減オジサン呼びはやめろってボウズ。…まー、要は、だ。ここじゃなくても戦争なんてどこでもある。国境があって、国同士が意地張ればそこで目出度くドンパチだ。早い話、連合国同士で今に始まってもおかしくないぜ?」

「連合国同士で…?何故です?」

「平たく言えば、分けたパイの大きさが不公平だ、っていう揉め事さ。オーシアは南ベルカを獲った。ウスティオは『円卓』を勢力圏に収めて、資源採掘にも手を出せる。じゃあ同じ連合国のサピンは?協力したユークトバニアは、参戦が遅れたファトは、ゲベートは、レクタは。どの国にもエースと呼ばれる連中は残ってる。もし始まれば、今までと同じじゃ済まないかもな」

「…!」

「例によってパイの取り合いかよ…アホらしい。死ぬのはその国の連中で、ヘド出る思いで街を焼くのは俺達なんだぜ?」

 

 アルベルト大尉の説明に、フィオンとカルロスは思わず息を呑んだ。

 戦後の、第二の戦争。そんなバカなことを、と思う反面、大尉の言葉には納得せざるを得ない所も確かにあった。

 

 大尉の言の通り、連合国の中でもサピン王国は戦争中から焦っていた。隣国ウスティオほどではないもののベルカ軍に領土深く侵攻を許し、おまけにウスティオが誇るような強力な部隊を持たないがゆえに、サピンは反攻作戦が遅れた。ベルカ領内侵攻後もその影響は続き、サピンはオーシア、ウスティオ両国と比べて資源や領土獲得で後れを取って来たのだ。

 その焦りが、ホフヌング空爆支援の際にカルロス達に民間人を空爆させ、それを隠れ蓑にベルカの技術者を隠密裏に迎え入れるという強硬手段を採らせた。それを省みれば、今回輸送部隊が強行軍で本国まで帰って来たのも、技術の取得を連合軍に察知されない為だったのかもしれない。

 

 戦争を終えたベルカの上で、エゴを剥きだす各国の様。カークス軍曹は、吐き捨てるように呟いた。

 

「まー、良くも悪くも戦争はそうそうなくならんから安心しな、ボウズ。それこそ…そうだな、国境を無くさん限り戦争はなくならんだろうさ」

「…国境を、無くす…!?」

「ああ。いつぞやジョシュアが言ってたんだがな。『人々は国境という境目に籠り、小さなエゴで戦いを繰り返している。醜い争いの連鎖を断ち切り世界を変えるには、物理的に国境という柵を破壊するしかない。国という名の檻は、悲劇の源だ』…だとさ。」

 

 国境を、無くす。

 その突拍子もない言葉に、一同は声を失った。ジョシュア大尉――『ウィザード1』の口調を真似て言葉を伝えるアルベルト大尉の様にも、微笑どころかしわぶき一つ起こらない。

 空気が止まったような、一瞬の時。それを破ったのは、呆れたような隊長の言葉だった。

 

「妄言だ。できる筈もない」

「だろうな。実際問題としてそれが可能なのか、どう国境をなくすのか…それは俺にも正直分からん。最初に聞いた時は、俺も笑い飛ばしちまったさ。…ただ、今思い返せば、あいつの言葉にも一応真理があったようにも思うんだ」

「真理…?」

「ああ。正直俺にも国境うんぬんのことはさっぱり分からん。だが、実際に世界中の国がエゴむき出しで角突き合ってるのは、いろんな所で見て来た。あんたたちも、この戦争で見てきただろうけどな。」

「……。」

「別にそれはいい。俺が我慢ならないのは、そんなエゴを第一にして空にまで持ち込む連中だ。そんな連中と飛んでも詰まらないし、広い空だって狭くなっちまう。空は繋がってるんだ、広く自由であるべき、ってな」

 

 エゴも境目もない、繋がった広い空。

 ジョシュア大尉の思想を否定しつつも、その中から独自の信念を語ったアルベルト大尉はそこで言葉を区切り、一人一人と眼を合わせていった。アンドリュー隊長、カークス軍曹、フィオン、そして自分。予想以上に澄んだその目が合った瞬間、カルロスは反射的に視線を下げてしまっていた。それがどういう心の働きによるものだったのか、カルロスにもそれは分からない。

 

 隊長は、軍曹は、そしてフィオンは、どんな顔で大尉に向き合ったのだろう。

 

「分からんな。なんだかんだ言って、あんたもかなりジョシュア大尉に染まったんじゃないか?」

「はは…かもな。ま、もし叶うなら、あいつともう一度話してみてもいいかと思うのは確かさ」

「…アルベルト、そろそろ」

「と、分かった。はは、妙な事言って邪魔したな。今日の事は忘れてくれ。――じゃあな」

 

 常にないアルベルト大尉の長広舌に、アンドリュー隊長が怪訝な様子で言葉を返す。大尉自身もそれを自覚していたのだろう、続く言葉の中には、どこか自嘲的な苦笑いが混じっていた。

 ジョシュア大尉――ウィザード1は、スーデントール攻防戦の最中、核爆発の中で消息を絶った。それでも、その言葉と意志は、アルベルト大尉の中に確かに根を下ろしているように感じる。

 ジョシュア大尉の想いとは、信念とは、一体何だったのか。そして如何にして、国境を無くすという飛躍した結論に至ったのか。今となっては確かめるべくもないが、興味は尽きなかった。

 

「…ふーん。」

「…………。」

「…まぁ、話は逸れたが、伝達事項は以上だ。あとは各自自由に過ごせ。明日以降の動きは追って伝える」

 

 濃密な空気が一挙に薄れたような、空虚な感覚。

 解散の言葉を受けながら、男達はそれぞれの思いで、その空虚を満たそうとしているようだった。

 理解できん。そういうように頭を振り、書類を片すべく席を立つ隊長。

 先の注意にも関わらず、煙草に火を付けて天井の一点を見上げるカークス軍曹。

 椅子に深く座り、眼を瞑るフィオン。

 

 カルロスは独り、アルベルト大尉が去った先を、しばらく見つめていた。

 


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