Ace Combat side story of ZERO - Skies of seamless -   作:びわ之樹

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《先日取り逃がした、ベルカ離反艦隊の行方が判明した。ベルカ北端のオークシュミットから、北北西178㎞の海上に位置するシュヴィル・ロン島に、ベルカ軍残党が拠る基地が存在する。連中はその基地に籠り徹底抗戦をする構えらしい。
 だが、オーシア領海と接するシュヴィル・ロン基地は複雑な地形や山肌を利用して高度に要塞化されており、先だって派遣した爆撃部隊は対空兵器と迎撃機によって壊滅的な打撃を蒙った。現在はオーシア艦隊による巡航ミサイル攻撃を実施しているものの、レーダー連動迎撃システムや地形に阻まれ、有効な打撃を与えられないでいる。
 以上の状況を危惧した連合軍上層部は、シュヴィル・ロン基地攻略を主目的とする『フィッシング・ポンド』作戦を発動。その前段として、諸君にはSEAD(敵防空網制圧)任務に就いて貰う。敵のレーダーに反応しない超低空から侵入し、シュヴィル・ロン要塞内の地形、各施設ならびに対空兵器の配置を記録。同時に、可能な限りレーダーおよび対空兵器を破壊せよ。
 海上からの低空侵入、ならびに敵基地上空での戦闘と困難な状況が予想されることから、本作戦出撃部隊は精鋭の傭兵部隊で編制される。諸君には、精鋭の名に恥じぬ戦いを期待する。以上だ、出撃せよ》



第19話 Operation Ground-Bait

 眼下を流れる黒い水面が、灰色の翼を抱きとめるように白波の腕を広げている。

 

 『冷たい海流と豊富な植物プランクトンが営む、北海有数の漁場』。この戦争に派遣される前、オーシアで読んだ旅行ガイドブックには、眼下の海はそう紹介してあった。なんでも、オーシア大陸の大陸棚上に位置するベルカ沖はサーモンやニシン、カキなどの魚介類で名を馳せる有数の産地であり、シーズンともなれば無数の漁船が昼夜漁に勤しむ光景が見られるのだという。

 オーシアの艦艇を警戒するため戦争中は漁業が制限されていたようだが、終戦から1か月半を経た今は規制も緩和されつつあるらしい。今日海上に出てからだけでも、既に3回漁船団の上を飛び、泡を喰った船員たちの顔を眼下に見た所だった。

 

 1か月半前にこの辺りを飛んだ時は激しい雷雨の中だったが、今日の空は雲こそ低いものの、打って変わって穏やかに凪いでいる。その空の下はといえば、風にたゆたい静かに揺れる、夜明け直後の曙光に染まった静かな水面。4隻の艦が沈み、多くの命と鉄屑を飲み込んだことすら忘れたかのように、海は常と変わらぬ表情を浮かべていた。

 

《いい海だぜまったく。仕事が無い時だったらレジャーに来たいくらいだねぇ》

《カークス、自分がレジャーされる側になりたくなければ静かにしろ。戦跡観光は人気なんだからな》

 

 眼下の光景を見て思わず口にしてしまったのか、カークス軍曹の呟きが無線に混じる。その上から被せられた隊長の声に、『ヤベッ』と声が重なったきり無線は沈黙してしまったが、声には出さねどカルロスも同感だった。穏やかな空、深い海色、そしてキャノピーの中にまでしみ込んできそうな潮の香り。斜めに差す朝日と相まって、その光景は戦場に似つかわしくないほど清々しい。

 故郷レサスにも海は確かにあるが、内陸出身のカルロスにとって海に対する馴染みは少ない。あまつさえ内乱の続くレサスでは、レジャーなどの娯楽のゆとりなどあろうはずもなく、それだけに海に対する憧憬は少なからざるものがあった。

 

 もっとも隊長の言う通り、今がそんな場合でないことは十分に分かっている。今こうして目指す先は、魚群でもなければ戦跡でもなく、平穏を脅かす生きた脅威――終戦後もなお抵抗を続ける、ベルカ残党なのだから。

 

 この現状には、少々説明を要する。事の起こりは終戦の翌日、6月21日に反旗を翻したベルカ艦隊の追撃戦においてである。

 緊急の報に際し、連合軍はカルロスらニムロッド隊を含む攻撃部隊を派遣し、逃走する敵艦隊の戦力を減らすことに成功した。しかし、ベルカ艦隊の必死の抵抗と悪天候に見舞われ、結果的に艦隊の2/3を見失うことにもなったのだ。戦術的には勝利を収めたものの、早期に決着を図るという戦略的目標に関しては、連合軍は敗北したといっていい。

 

 3週間にも及ぶ徹底的な索敵と情報収集を行った結果、逃げ延びたベルカ艦隊は、ベルカ北方で依然抵抗を続けるシュヴィル・ロン島の要塞に逃げ込んでいることが判明した。規模はさして大きくない基地であるものの、本土の目と鼻の先に機動艦隊が存在することの脅威は計り知れない。終戦から間もないこの時期にはベルカ国内で燻る反連合意識も強く、連合軍は速戦即決の方針の下、オーシア軍を中心とした爆撃部隊を派遣した。

 だが、それは拙速に過ぎた作戦だった。ベルカ側に侵攻ルートを読まれた連合軍は、進撃途上で強力な迎撃に遭い、戦力の多くを損失。迎撃を突破し爆撃を敢行した部隊もSAM(地対空ミサイル)による迎撃で少なからぬ被害を受け、ほうほうの体で攻撃を中断する他無かったのだ。

 

 ベルカ軍、未だ強し。

 戦果を誇示し、そう声高らかに発信するシュヴィル・ロン基地に、ベルカ内外で燻っていた残党がどれだけ奮い立ったかは想像に難くない。当然の帰結として、機を得た反乱の火は、春の芽のように各地に立ち広がっていった。爆撃作戦から今に至るまでの3週間という空白は、連合軍がその火消しに要した期間だったという訳である。

 が、東洋の諺に、禍福は糾える縄のごとしともいう。終戦後間もなかったこともあり、各地のベルカ残党勢力は糾合が進んでおらず、小規模に群がり立った各軍は各個に撃破される憂き目に遭った。結果、鎮圧に時間を要したものの、戦火はほとんど拡大しないままに終息。シュヴィル・ロンは戦力的にも地理的にも、まさに絶海と化した。皮肉なことに、大戦果を喧伝しすぎたことが、彼らの孤立を早めたのである。

 

 これを機に連合軍はシュヴィル・ロン攻略の方針を転換し、搦手を用いた持久戦の策を立てた。すなわちシュヴィル・ロン島近海にオーシア艦隊を配し水上輸送路を封鎖することを第一、次いで海上からの巡航ミサイル攻撃で敵戦力を漸減することを第二とし、脅威が低下した所で総攻撃を実施するというもので、この一連の作戦をOperation Fishing-Pond(釣り堀)とした。

 

 だが、この作戦は第二段階で躓いた。

 シュヴィル・ロン島は概観すれば、やや各辺が短いずんぐりとしたFの字のような形状をしている。Fの左上に当たる部分には司令部施設を擁すると見られる山が、長辺に当たる部分には滑走路が存在しているのだが、ミサイル攻撃の一部が山に阻まれる上、島内に設置されたレーダーと迎撃兵器により有効な打撃を与え切れずにいたのだ。滑走路にこそダメージを与えたものの、勝負を決する有効打を与えられない以上、時間だけが徒に過ぎていくのは目に見えている。

 そこで、連合軍首脳部は補助作戦としてOperation Ground-Bait(撒き餌)を立案。航空機を低空から侵入させて島内の偵察を行うとともに要所のレーダーや迎撃兵器を叩き、しかる後にミサイル攻撃を再開することとした。もっとも、先の戦闘でベルカ残党がV/STOL機を擁していることは判明しており、滑走路が概ね破壊されているとはいっても相当の迎撃が予想される。そのため、本作戦ではこちらの攻撃開始に先んじてオーシア海軍が西方で陽動を行い、ベルカ迎撃機を引き付ける手筈となっていた。

 カルロス達は、今まさにこの作戦の最中という訳である。

 

 高度500フィート、今日の波は穏やかとはいえ、すぐ下を流れる水面は文字通り吸い込まれそうなほどに深い。片時も高度計と互いの距離から眼を離せない、神経をすり減らす時間を過ごしながら、カルロスは僚機へと向けた目を左右へと転じた。

 

 低空侵入攻撃と言うこともあり、今回の作戦参加機の主体は攻撃機で編制されている。編隊の先頭を行くのは、低空侵入を得意とする攻撃機『バッカニアS.2』が2機。その左右両翼に2機ずつ布陣する細身の機体は、軽攻撃機の『ジャギュアS』と知れた。それらを先頭集団として続くのが、爆装したJ-7ⅢとMiG-21bisの混成となっているニムロッド隊の4機。配置の関係でよくは見えないが、後方には爆撃の主力を担うF-105D『サンダーチーフ』4機も位置しているはずだ。

 特筆すべきは、その全てが傭兵で構成されている点だろう。全機が全機、調達しやすく些か時代遅れの機体で揃えられているのもその証左と言えなくもない。

 作戦士官は『諸君の技量でなければ達成しえないため』などと歯の浮くような賛辞を言っていたが、何のことは無い、危険極まりない作戦で戦力を失うのを厭ったのに過ぎないのだろう。先のホフヌング空爆作戦を想起するまでもなく、傭兵が率先して駆り出される作戦なんて、危険なものかヤバいものに相場は決まっている。

 

《先導機スパイラル1より野郎共、朗報だ。ベルカのV/STOL機部隊が、西に向けて飛び立ったらしい。…つまり今、敵基地はもぬけの空だ》

《はっは、奴らこの間の勝ちに油断しやがったな》

《こちとら戦争が終わっちまって稼ぎのネタが無いんだ。今日はがっぽり稼がせて貰うぜ》

 

 偵察機の通信を受けたらしい先頭の『バッカニア』から、陽動成功を伝える声が響く。シュヴィル・ロン島から西を目指して飛び立ったということは、島の南方から接近するこちらへの対応とは考えにくい。滑走路が破壊され固定翼機の発進が困難な以上、常識的に考えれば基地は彼らの言う通りもぬけの空になったといっていいだろう。策の成功に早くも勝利を確信した男達の勇躍の声が、しばし通信回線に満ちた。

 彼らは戦争の末期になって参加した、ベルカ周辺諸国の一つであるレクタの傭兵である。オーシア、ウスティオおよびサピンの連合軍との戦争でベルカの絶対不利が露わになり始めた頃に、国境を接する周辺諸国は一斉にベルカへと侵攻。戦争初期に侵攻を受けてはいたものの、火事場泥棒的とも評されたその攻撃の一端を担ったのが、彼ら遅参の傭兵たちであった。当然参戦期間が短かったこともあり、報酬額は多いとは言えない彼らにとって、今回の作戦は降って湧いた幸運だったのだろう。いくら危険とはいっても、傭兵にとって多額の報酬に代わるものなどない。

 

《はしゃいでんな、レクタの奴ら。大丈夫ですかね?》

《さあな。こっちはこっちで、いつものペースでやればいい。既に十分稼いでるんだ、奴らに付き合って損傷を増やす方が痛い》

「了解です。…にしても、何もないといいんですけど。」

《左斜め後ろに同じー。なんかちょろく騙され過ぎじゃないです?ベルカの奴ら。》

 

 些か冷めた声を交わし合う隊長たちに、カルロスもつられるように声を返す。依然沸き立つレクタ傭兵たちの後ろで状況を俯瞰するその様は彼らと比べて対照的な姿だった。

 一つには、戦争初頭から参加してきたニムロッド隊は既に十分に報酬を獲得しており、精神的にも余裕があることが挙げられるだろう。命を対価に進んで戦いに赴く傭兵にとって、金は価値観として第一に挙げられるべきものである。

 だがそれ以上に、彼らを慎重にしてやまないのは、これまで幾度となく味わったベルカの戦い方だった。囮、援軍、新兵器――単純に見える作戦の裏には、常に予想を上回る策が潜んでいた。今回はこちらが陽動作戦を仕掛ける側だが、ベルカ軍が果たして、そう易々と引っかかるだろうか?

 カルロスが、そしてフィオンが抱いた言い知れない危惧は、その経験に裏打ちされたものだった。

 

《こちらスパイラル1、目標確認だ。上空にも機影2。――野郎共、安全装置解除!護衛隊、上は任せるぞ!》

《ニムロッド1了解した。…敵の出方が妙だ、気を付けろ》

 

 スパイラル1の通信とほぼ同時に、水平線から現れた島影がカルロスの眼にも捉えられる。青い水面と雲を背景に褐色の岩肌を屹立させるその姿は、目指すシュヴィル・ロン島に違いなかった。島の上にはちらちらと動く黒い影が確かに二つ見えるが、まだ距離が遠く機種までは判別できない。

 

 身が凍えるような、血が逆流するようなぴりぴりした感覚。空域に入るとともにカルロスの体を浸してゆくその感覚は、数か月の戦争を経て慣れ親しんだ、戦場特有のものだ。 ――さて、戦闘開始である。

 火器管制システムの安全装置を解除し、次いでレバーを操作して機体下部に提げた増槽を捨てる。同様に戦闘準備を終えた隊長の機体が機首を上げるのに合わせ、カルロスもまたスロットルを引いて、乗機J-7Ⅲの鼻先を空へ向けて持ち上げた。足元を押さえつける重力、徐々に下がってゆく速度計の針。上空の敵目がけて高度を上げる4機の下を、速度を上げた『サンダーチーフ』が追い越してゆく。

 

《ニムロッド全機、UGB(無誘導爆弾)投棄。制空戦闘に入る》

「了解!」

《敵機種確認。この間と同じ奴だ》

 

 隊長の指示を受け、手元で兵装を選択し、主翼下に懸架していたUGB2基を海へと捨てる。本作戦は対地攻撃が主ということで、例によって護衛部隊であるニムロッド隊も爆装していたものの、そもそもMiG-21の搭載量では対地攻撃力などたかが知れている。機会があれば爆撃を行うよう命令を受けていたが、既に上空に敵機がいる以上、いつまでも爆弾を下げていた所でデッドウェイトになるだけだった。

 重量物を捨てたことで、機体の速度が一気に上がる。先々代のMiG-21bis同様、J-7Ⅲ(コイツ)も重たいものを運ぶ力仕事は苦手らしい。機体の後部で調子よく唸るエンジンの声が、重荷から解き放たれた解放感を口にしているようだった。

 

 上昇力と速度を取り戻し、高度を上げる4機の前には、上空警戒と思われる敵機が2機。カークス軍曹の言う通り、細長い中翼配置のその機影は、先日交戦したものと同じYaK-38『フォージャー』だと見て取れた。奇妙なことに、それらはいずれもこちらに背を向け、島の東目指して一目散に逃げだしてゆく。

 

「…?あいつら、逃げる…!?」

《勝ち目がないと悟ったにしては、諦めが早すぎるな。何の積りだ…?》

 

 おかしい。

 一同の脳裏に、ふとした不安が兆す。あまりにも見事にはまった陽動、そして敵機の謎の行動。さらに、眼下では攻撃隊が滑走路付近へと侵入しつつあるが、対空砲火一つ上がる気配が無い。そのいずれもが、まるでこちらを島の奥深くへと誘いこんでいるようではないか。

 

《…!これは、しくじったかもしれんぞ…!》

 

 不意に通信回線に入った、呻くような隊長の声。

 え?そう応えるより早く、異変は眼下に起こった。

 

《目標確認、滑走路と周辺の対空兵器!各機投下!》

 

 巡航ミサイルの攻撃で穴だらけになった滑走路の上を、10機の攻撃機がそれぞれの目標へ向けてひた走る。周囲を低木で囲まれた滑走路には空を指す対空砲などが見られるが、いずれも奇襲に対応しきれていないのか、人の姿すら見えない。

 投下。

 機体の下を離れた爆弾が、重力の虜になりながら大地目がけて落ちてゆく。

 地に、林に、対空火器に突き刺さったそれらは炸裂の炎を上げ、爆風が及ぶ限りのあらゆるものをなぎ倒し燃やしていった。そう、風に千切れる木の葉も、半ばからへし折れた樹も…そしてその傍らに横たわる、薄褐色のささくれだった断面を覗かせる対空砲の残骸も。

 

《………っ!?こちらスネーク3!おい、あの対空砲…木製のダミーだぞ!?》

《こっちのレーダーもだ。どういう事だ…!?》

 

 攻撃を欺瞞した木製ダミーの存在に、攻撃隊がにわかに混乱する。無論木製ダミーそのものが脅威ではないのだが、レーダー探知外からの奇襲に対しての備えであることには違いない。すなわち、敵には迎撃の用意がある――。全員が思い至ったその結論は、攻撃隊の心胆を寒からしめるのに十分だった。

 

《くそ、マズいぞ…!全機、今すぐ残弾を捨てて…うわっ!?》

《スパイラル1が落ちた!くそ、本物の対空砲火だ!!》

《…!やはり罠、か…!》

《みんなボサッとしてないで!上、機影6!》

 

 統制が乱れた一瞬の隙を突いたのは、林のあちこちから上がる対空砲火だった。交差した曳光弾に切り刻まれた『バッカニア』が四散五裂し、急旋回する『サンダーチーフ』1機も対空砲に捉われて煙を上げている。

 やられた。

 そう悔やむ間すらなく、不幸は連鎖する。フィオンの声に釣られて上空を見上げると、雲の幕を裂いて現れた機影が、しめて6つ。今更敵味方識別装置(IFF)を確認するまでもなく、敵であることに疑いようは無かった。

 

《被られたか…。ニムロッド全機、上昇!迎撃するぞ!》

《た、隊長ちょっと待った!下…山からも上がって来てる!》

《…!構うな!まずは上の奴らだ!》

 

 敵編隊は11時方向、概ね1500フィート上空。咄嗟にそこまで読み取り、下腹に力を入れて思い切りスロットルを引いて機首を上げた直後。カークス軍曹の慌てた声に釣られて下を見やると、今度こそカルロスは驚愕した。

 左手側に位置する、司令部施設を収めていると言われた山。そのふもとに空いた大きな横穴から、戦闘機が離陸しているではないか。一つ、二つ。見る間に地を離れていくその機体は、前後に詰まった小さな体に大型のカナード翼、二重の角度を設けた無尾翼デルタを翻して速度を徐々に上げている。その姿は、かつて一度遭遇したJA37『ビゲン』と見て違いなかった。

 

 つまり、対空火器だけでなく、滑走路すらもダミー。司令部施設があるとされたあの山は、それと同時に格納庫と滑走路をも備えた、まさに基地そのものだったのだ。当然滑走路の長さは限られるが、短距離離着陸能力を持つ『ビゲン』や『フォージャー』なら十分に運用できる。

 

 これは、Ground-Bait(撒き餌)どころの話ではない。むしろ、大口を開けた懐まで誘い込まれたのはこちらの方だった。無防備な姿を敢えて晒し、間抜けな獲物がのこのことやってくるその眼前まで――。

 凍える背筋、張り詰めた空気、最初のヴァイス隊との邂逅以来久しく感じることのなかった死の感覚。気づけば、カルロスの額や掌、下半身までもが冷や汗で濡れていた。

 

《速度を緩めるな、射程に入り次第各自撃て!》

 

 目前の6機があっという間に距離を詰めてゆく。重力と加速で血液が背中の方へと引かれ、代わりに死が覆いかぶさって来る感覚に、カルロスは歯を食いしばって懸命に耐えた。

 射程内、今。

 エンジンの重低音と甲高いロックオン警報、AAMの外れる音、機銃が吐き出す重い共鳴。あらゆる音に満たされた視界の前で、炎を上げた『ビゲン』の機首がこちらの正面を捉える。

 殴りつけるような擦過の音とともに、コクピットを跳ね回った金属が裂ける音。音の奔流の最後に加わったそれは、まるで刺すようにカルロスを貫いた。

 

()っ……!!」

《よっしゃ、まず2機!……おい、カルロス!?》

《全機、ループ後に降下する。カルロス、大丈夫か》

「っく…!こちらニムロッド4、自動消火装置作動。…くそっ、破片が脚に…!」

 

 宙返りの瞬間、左足に食い込む痛みに思わず呻き声が漏れる。至近で浴びた機銃弾の破片がコクピット内を跳ね回ったらしく、カルロスの左太腿には金属の破片が刺さり、パイロットスーツを赤く濡らしていた。左右を省みると、機体にも左主翼と胴体に穴が開き、煙を吹いているのが伺い知れた。

 

《ニムロッド1より各機、俺が指揮を引き継ぐ!スパイラル2とスネーク隊はただちに引き返せ。ニムロッド隊とジェイル隊は対空戦で時間を稼ぐ!》

《了解!へへっ…これで生きて帰れたらレクタ傭兵の分も上乗せかね?》

《生きて帰れたら、な。カルロス、お前はスパイラル2達と一緒に退け》

「えっ…!?ちょ、ちょっと待って下さい!俺もまだいけます!体は全然大丈夫ですし、残弾も十分…!」

《退け、隊長命令だ。俺の信念を妨げるな》

「えっ…?」

《まーほら、足手まといなーんでー》

《それにな、あいつら丸腰だ。護ってやってくれ》

「………。」

 

 抗弁の言葉は、ぴしゃりと遮る隊長の声に留められる。有無を言わさぬ強いその口調は、舌に乗せた言葉の続きを飲み込ませるに十分な威を持っていた。

 でも、無茶だ。諦めきれない心がそう叫ぶ。上空から被って来た『ビゲン』はまだ4機健在、一旦逃げた『フォージャー』2機も反転し戻ってきている。さらに、山裾からは新たに出撃する『ビゲン』が4機。性能と残弾を考えれば、到底敵う相手ではない。たとえ手負いでも、1機でも多くいればそれだけ危険は減る――曲がりなりにもこの戦争を戦い抜いてきた自負で、そう思わないでもない。

 だがその一方で、隊長の言う『信念』という言葉がそれを押しとどめる。『覚悟』と言い換えてもいい、人の根幹を成すその言葉。そして隊長の強い意志――それを前に、これ以上抗弁することは、カルロスにはもはやできなかった。

 

「分かり、ました。……どうか、無事に帰って来て下さいね!…御武運を!!」

《ああ、お前もな。連中は頼むぞ》

「はい!」

 

 後ろ髪を引かれる思いとは、まさにこのことだろうか。後ろ髪どころか心さえも引かれそうな思いで、反転する隊長達を背にしたカルロスは、乗機J-7Ⅲを一気に加速させていった。

 眼下を見れば、海面近くを飛ぶ『バッカニア』が1機と『サンダーチーフ』が3機。逃げるように飛ぶその悄然とした姿からは、もはや数分前の威勢の良さなど微塵も感じられない。敗走する軍とは、まさにこのようなものなのだろう。

 

 いや、それを言ってしまえば、自分だってそうだろう。一人損傷し、あまつさえ負傷までして、戦線離脱を命じられた負け犬。もっと自分に技量があれば――。そう祈り、自ら戦いに赴いて、一体どれだけ経っただろう。結局、自分は未だに半人前のままだ。幾度と空戦を経験してきたとはいえ、あのエースが舞う空を飛ぶには、自分はまだ早すぎたのだろうか。

 後方を仰ぎ見ると、遠ざかるシュヴィル・ロン島の上空に一つ、煙が上がって落ちてゆくのが見えた。一体どちらの陣営なのか。まさか、隊長たちなのか。ここからは、エースの空から程遠いここからは、何も見定めることはできない。

 

 『足手まとい』。

 唇を噛みしめるカルロスの脳裏に、フィオンの声が蘇っていた。

 

 その時だった。

 

「…ん?前方に機影…?」

 

 やや雲が切れ、青空がのぞき始めた南西の空。ちらりと眼を走らせた先に映ったのは、青空を背に飛ぶ黒い機影だった。その数は6、飛来する方向を考えると、連合軍の援軍か哨戒機だろうか。

 

《おい、何だありゃ、味方か?》

 

 眼下のスネーク隊もその姿を確認したらしく、惑いの混じった声が耳に入る。援軍の事前情報は無かったが、位置から考えて哨戒機の可能性は十分にある。何より、現状纏まった戦力を持つベルカ残党など、シュヴィル・ロン島の部隊の他にいない筈だ。

 

《だろうよ。オーシア軍に引っ掛かった方と基地上空の奴ら、それでベルカ残党の機体は打ち止めの筈だ》

 

 ――いや、違う。

 

《なんにせよ、こっちは丸腰だ。ひたすらケツまくって逃げるしか無いわな》

 

 あの接敵法は、高度の優位を保ちながらこちらをまっすぐ指す進路は哨戒機のそれではない。何より、哨戒部隊にしては機数が多すぎる。

 

《違いねぇ。ま、今回は残念だったが、次回こそガッポリ狙おうぜ》

 

 中翼、コンパクトな正面のシルエット。機種、YaK-38『フォージャー』。IFF反応、()――。

 

「……ッ!違う、敵だ!ベルカ残党の連中だ!!」

《…!?馬鹿、な…そんな馬鹿な!どこから来たっていうんだ!?》

 

 思わず吐き出した声に、スパイラル2の動揺した声が返される。

 待ち構えるように目の前に現れた敵機、そしてその機種。まさか――いや、しかし他に考えられない。

 おそらく、あの6機は最初に陽動のオーシア軍へ向けて飛び立った機体だ。こちらが陽動に引っ掛かって攻撃を開始する頃には、オーシア軍との接敵前に反転して、こちらの退路を待ち伏せするために西から南西へ迂回してきたに違いない。

 死地を逃れた先で、再び体を浸す冷たい感覚。どうする。もう隊長も軍曹もフィオンも、誰もいない。

 …いや、もはや『どうする』と考える余地すらない。今の自分にできることは、ただ一つ。受けた命令を、意地でも全うすることだけ――。

 

「とにかく!あんたたちは全速力で逃げろ!『フォージャー』相手なら、『バッカニア』と『サンダーチーフ』なら逃げきれる!」

《お前は?》

「あんたたちを守れって言われてる。加速がつくまでの間くらい稼ぐさ」

 

 では、その先は?

 分かり過ぎたその答えを振り切るように、カルロスは操縦桿を右前方に倒し、高度を下げながら敵編隊を正面に捉えた。真正面からの攻撃を避け、かつ敵編隊を散らすには、斜め下から上方へ向けて仕掛ける他ない。

 空気を斜めに裂き、J-7Ⅲのエンジンが軽やかに唸る。まるで、一人と1機の戦場を楽しむかのように。

 

《…悪いな。生きて帰ったら、一杯奢るよ》

《俺もだ》

《異議なし》

「へへっ…期待しとくよ、とびきり上等なヤツをね」

 

 その言葉を最後に、『バッカニア』と『サンダーチーフ』が脚を早め、こちらの左下を抜けて遠ざかってゆく。彼らに呼応したのだろう、眼前の『フォージャー』6機は旋回し、ストライプ2達の背を追うべく身を翻した。このままの進路ならば、相対進路はこちらと直角。彼らが躊躇いなくこちらに横腹を向けたのも、この位置取りではミサイルは命中しないと踏んでのことだろう。

 目の前をこちらに構わず横切ってゆく、6機の『フォージャー』。その瞬間を見計らい、カルロスは操縦桿を思い切り引いて急上昇。死角となる斜め下方から機銃掃射を見舞い、そのまま敵編隊の上方へと抜けて宙返りを行った。

 身を圧する遠心力、そして圧で食い込む破片。左足を苛む痛みを、カルロスは歯を食いしばって懸命に堪えた。

 

 予想外の位置からの掃射を避ける余裕が無かったのだろう、編隊の中心にいた『フォージャー』がエンジンから煙を吐き出して落伍してゆく。逆さまになった天地を背景に、敵編隊はばらりと散開。編隊両翼の3機は左右にばらけて各個に迂回し、先頭の2機はそのまま直進してゆくらしい。

 

 逃がさない。高速性能に定評がある『サンダーチーフ』はともかく、『バッカニア』の最高速度は『フォージャー』と大差ない。まだ加速が乗りきっていない今、彼らを追わせる訳にはいかないのだ。

 機体をロールさせ上下を元に戻し、フットペダルを踏んで一気に加速をかける。MiG-21譲りの加速性能を持つJ-7Ⅲと遷音速機に過ぎない『フォージャー』では、もとより加速は比較にならない。宙返りに要した時間を瞬く間に埋め、カルロスのJ-7Ⅲは背を向ける2機を射程に捉えた。

 

 ロックオン。電子の眼が熱源となる『フォージャー』の噴射口を捉え、甲高い音を響かせる。

 『撃て』。機体の声を待つまでもなく、押下した直後にAAMは機体から落下。一瞬後には点火の炎を灯して直進し、右側の1機をエンジンから吹き飛ばした。

 

 あとは、この1機さえ退ければ。

 急減速と急速上昇でこちらを避ける敵機に、カルロスは必死にガンレティクルを覗き込み、減速しつつ肉薄する。撃墜できなくとも、せめて時間を費やさせればそれで十分だ。

 そう、この1機さえ足止めすれば、攻撃隊を逃がすことができる。至上命題としたその目的に集中するあまり、カルロスはあることを見落としていた。敵が狙うのは、何もスパイラル2たち攻撃隊だけではないことを。

 

「く、そっ…!もう、少しで…!――…ッ!?」

 

 丸い照準が敵機の左翼を捉えた瞬間、耳を打つ耳障りな高音。これまでも幾度となく聞いた、命を打つ電子音。

 ミサイルアラート――。

 レーダーを確認する暇も、まして後方を見る間もない。咄嗟に操縦桿を左へ倒し、機体が急旋回したすぐ傍を、後方から飛来したミサイルがすり抜けてゆく。

 しまった、後方。

 舌打ちとともに、斜めに傾いた機体から見上げて、カルロスは敵の位置を探るべく目を走らせる。その瞬間、カルロスは自らの犯したミスに、遅ればせながら気が付いた。

 

 水平方向を『見上げた』そのすぐ先に映ったのは、こちらを指す『フォージャー』の姿。おそらく、先程ミサイルを放ったのとは別の機体。咄嗟に急旋回をした結果、2機の連携でこちらの後ろを狙っていた片割れの目の前に、カルロスは無防備な自身の姿――機体の上面を晒してしまったのだ。

 時間が止まったような、一瞬の、そして致命的な隙。カルロスは、『フォージャー』の翼の下が光り、無数の弾丸がこちらを捉えるのを成す術なく見ていた。

 

「がああぁぁぁぁ!!……く、そ、…糞ッ!!」

 

 振動、轟音、そして痛み。先ほどとは比べものにならない衝撃がコクピットを揺さぶり、弾けた破片が体のあちこちを苛む。相当に至近弾があったらしく、右頬、肩、左足、もはやどこをやられたのか知覚しきれない。計器類に至っては、流量計と高度計に破片が突き刺さり、あらぬ数値を示している。機体も同様に、端を黒く染めた灰色の主翼には至る所に穴、穴、穴。煙を吹き始めた胴体やエンジンは、戦闘機としての生命が既に尽きかけていることを無言に物語っていた。

 

 だが、まだ。このルートは、隊長達が帰還するルートでもある。激戦を終えた隊長たちの安全を確保するためにも、少しでも多くの敵を退けなければ。だからJ-7、まだもう少しだけ、俺に付き合ってくれ。

 主のその意志も虚しく、機能を失いつつあるエンジンが徐々に出力を落とし、速度を見る間に失ってゆく。

戦力を失いつつあるこちらを見定めたのか、カルロスの眼には先程機銃掃射を見舞った『フォージャー』が、こちらの頭上を抜けて追い越していく様が映えた。

 

 ――今。

 

「…っく!踏ん張れ、J-7(灰色)―――ッ!!」

 

 渾身の声とともに、フットペダルを踏みこみ、同時に操縦桿を引き上げる。命が消える間際の死力を振り絞って唸った機体は、推力を得て僅かに上昇。斜め上を向いた鼻先に敵機の尻を捉えるや、機首の30㎜機関砲が最期の唸りを上げた。

 

 そこからは、何が起こったのか分からない。

 『フォージャー』のエンジン付近に開いた穴と、体が中空に投げ出された瞬間に香った焦げた匂いと、水面に吸い込まれてゆく灰色の機影。それらが途切れ途切れに浮かぶ中で、視界の中にスパイラル2たちの機影が無いことだけは、カルロスの脳裏に鮮明に刻まれていた。

 

******

 

 5機の機影が飛び去ってしばし後、目に映えたのは夏色の空の下を飛ぶ3つの機影。

 翼を傾けてこちらを見下ろす先頭のJ-7Ⅲへ、カルロスは痛みの無い右腕で大きく手を振った。大きな口を開けて何かを話しているカークス軍曹の姿も、へー、と言わんばかりにこちらを見下ろすフィオンの様子も、そして隊長の表情も、3人の姿は不思議な程に鮮明に見える。

 

 ちゃぷりちゃぷりと波間に揺れる、痛みと疲労に満ちた体は、しかし何故か心地よい。

 白波に抱きとめられた灰色の機体の傍らで、カルロスは微かに微笑んだような隊長の横顔を思い出していた。

 




《諸君、よく帰還してくれた。敵の迎撃態勢、作戦立案能力ともに相当に高いことが分かったが、作戦と同時に出撃していた高高度偵察機の情報と諸君の交戦記録から、島内施設の詳細がかなり判明した。今回の結果を踏まえ、Operation Fishing-Pondは修正を加えた上で実施されることになるだろう。諸君は、それまでしっかり体を休めて欲しい。
 なお、海上で脱出したカルロス・グロバール伍長には、既にオーシア海兵隊が救援ヘリを派遣している。救援に要した費用は、レオナルド&ルーカスを通してオーシア側へ支払うように。以上だ》

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