Ace Combat side story of ZERO - Skies of seamless - 作:びわ之樹
――だが、この結果を未だ受け入れない者たちがいるのもまた事実だ。本日未明、ベルカ北端のオークシュミット海軍基地から、終戦に反対するベルカ艦隊が離脱。ベルカ軍穏健派および連合軍の追撃を振り切り、北へと進路を向けている。同時にベルカ各地からも、これに呼応したと思われる多数の航空部隊の北上が確認された。
消えつつある戦争の火を、再び燃え上がらせる訳にはいかない。諸君は直ちに出撃し、離脱するベルカ艦隊への攻撃を敢行せよ。なお、当該艦隊は軽空母2、護衛艦艇8、輸送艦3からなる大規模な機動艦隊である。敵艦載機による攻撃隊への迎撃には十分に注意せよ。以上だ、健闘を祈る。》
激しい雨がキャノピーを打ち、白い飛沫となって飛んでゆく。
低く立ち込めた黒雲、嵐のような暴風、そして時折雲間に走る稲妻。小さな機体は絶えず風に翻弄され、雷鳴の度に旧式のレーダーにはノイズが走る。眼下を流れる、人の息遣いすら感じられない灰色の大地と相まって、それはこの世の終わりもかくやと思わせる光景だった。
傭兵稼業とは因果なものである。戦争が終わったというのに、よりにもよってこの大荒れの空の下を、慣れない機体で飛ぶ破目になるとは。
絶え間ない雨滴の飛散が、前方を注視する目から集中力を奪ってゆく。天候と世界に翻弄される機体の中で、青年――カルロスは疲労の溜まった目を擦りながら、2週間前の『あの日』以来の目まぐるしい動きを思い返していた。
『あの日』――そう、忘れもしない、1995年6月6日。
南北ベルカの間に横たわるバルトライヒ山脈に、突如として上がった7つの巨大な爆炎。誰もが予想しなかった、ベルカ軍による『自国領土における核攻撃』により、バルトライヒ山脈に対する包囲体勢を敷いていた連合軍は大混乱に陥った。爆発による損害に加え、荒れ狂う電磁波によって一切の通信網が遮断された混乱の中で、バルトライヒ山脈および工業都市スーデントールに籠るベルカ軍は一斉に攻勢を展開。凄惨な総力戦となった一連の戦闘は、結果的に兵力に勝る連合軍が辛うじて勝利を収め、南ベルカ全域を勢力下に置くことになった。
だが、その陰で、互いが払った代償はあまりにも大きすぎた。
連合軍は、核攻撃およびその後の総力戦で多くの戦力を喪失。
一方のベルカも、一連の戦争による損害と国民の疲労や不満は極限に達していた。さらに皮肉なことに、友軍の撤退を支援すべく行われた核攻撃はベルカ軍内部における強硬派と穏健派の対立を決定的なものとし、あらゆる面から見ても戦争の継続は困難な状況となりつつあった。
疲弊した各国は、偃武の道を探り始める。
この間に紆余曲折を経たものの、各国の間で交わされた交渉は、実に2週間を経た6月20日――つまり昨日に実を結び、オーシアとベルカ南郡の国境に位置する都市ルーメンにおいて終戦協定が締結。3か月近くに渡り続いた戦争は、ここに終わりを迎えたのだった。
――以上が、新聞などにも載ったであろう公式な経緯である。
では、この2週間、カルロスらニムロッド隊は何をしていたか。
答えは、『何もしなかった』…否、『何もできなかった』。
その一番の要因は、機体の調達であった。核兵器による電磁波の影響をもろに受け、彼らの乗機の電子機器はみな一様に異常を来し、継続運用は到底困難な状況にあったのだ。
商売道具たる機体のない傭兵に、できることなどありはしない。電子機器整備のため『フロッガー』を社の工廠に送り、その代替となる機体を調達するのに要した時間。2週間というその空白期間は、彼らにしてみればやむにやまれぬ休業期間だったと言える。
が、この2週間という期間は、ある意味でカルロスにとっては幸運でもあった。
友軍を逃がすという名目の下、数千とも数万ともいわれる自国の民間人を犠牲にして行われた核攻撃。そして制圧下のスーデントールに着陸した際に見た、逃げ遅れた市民の死体の山。それは故郷レサスにおける内戦で、幼い頃から見てきたいくつもの死に重なる、凄惨な光景だった。
なぜ、戦闘に関わりの無いこの多くの人たちが死なねばならなかったのか。なぜ、味方によって頭上に核兵器を落とされなければならなかったのか。彼らに死を強いたのは、一体なんだ。暴走したベルカの狂気か、欲をかいた連合国の仕様か、それとも人の業そのものなのか。
荒廃の都市の中で抱いた、割り切れないその思い。それに追い打ちをかけたのは、遅ればせに知ったあの日の『ヴァイス隊』の目的だった。
スーデントール制空戦において、明らかに遅いタイミングで戦場に現れたヴァイス隊。戦場を横切る形で侵入した8機の『ミラージュ』はひたすら西を目指していたが、その方向の先にはバルトライヒ山脈があった。そして、後に知った所によると、その目指す空域をベルカ軍の爆撃機編隊が飛行していたというのだ。折しもこれと同時刻に、ウスティオ空軍機が別のベルカ爆撃機編隊と、それと交戦するベルカ戦闘機部隊を確認している。以上の状況、そして前後の推移と『ヴァイス1』が言っていた言葉。それらを合わせて考えれば、導き出される答えは一つだった。
『ベルカ強硬派による核攻撃の阻止』――。そう、連合軍との交戦の意図はないことを再三告げていたヴァイス1だったが、その目的は本当に交戦には無かったのだ。
終わってしまった事柄に
それでも、『もし』あの時ヴァイス1の言葉を信じて道を開けていたなら、核の悲劇が防げた可能性があったのかもしれない。では敵味方とはいえ、それを結果的に妨げてしまった自分たちは、あの時の戦いは、一体何だったのか。全てを知った時のその愕然とした感情は、今もカルロスの心の底に暗く沈んでいる。
未だ心に渦巻く、答えの見つからないそれらの問い。それでも、この2週間という時間は、幾分でも心を落ち着かせ、事態を整理するのに貴重な時間になった。もしあの日の直後に出撃していれば、きっと今ほど冷静ではなかったに違いない。まだ結果を飲み下したとは言い難いものの、期せずして与えられたこの時間は確かに幸運ではあったのだろう。
《空中管制機デル・タウロより作戦参加各機へ。間もなく海上に差し掛かる、警戒を厳にせよ。また、当該空域には低気圧が発生している。飛行には十分に注意せよ》
聞き知った男の声と頭上に光った稲妻が、回想に沈んだ頭を現実へと引き上げてゆく。
先程より一段と強くなった風雨に、眼下を荒れ狂う暗い白波。時折見える島影はいずれも切り立った断崖で縁取られ、武骨な岩肌を海へと晒している。激しく峻厳なその光景は、まさに北国の海だった。
海――。
そう、今回は自身が初めて体験する海上での任務である。
目標は、昨日結ばれた終戦協定に反発し、軍港を離脱したベルカ艦隊。しかも悪いことに、軽空母を擁した大規模な機動部隊なのだという。先の戦争では、空母『ニヨルド』を含むベルカ主力艦隊こそフトゥーロ運河攻防戦で失ったものの、主戦場が陸上だったこともあり、北海艦隊は温存されていたのだろう。それが、作戦を説明したサピンの仕官の分析だった。
ベルカの国土は、概して見れば上辺がやや凹んだ逆三角形型で、当該艦隊はその凹みの部分から北上している。そのため、地理的に考えれば、本来はベルカの左辺と国境を接するオーシアがこの追撃戦の主力となる筈であった。
ところが、当のオーシア軍はバルトライヒ山脈を巡る戦闘の消耗で依然編成が混乱している上、虎の子の空母『ケストレル』を含む機動部隊も五大湖に駐留していたり、あるいは艤装中だったりと、即応の状態にない。そのため本作戦では、比較的航空戦力の損耗が少なかったウスティオとサピンの連合軍で実施されることになった、ということが背景にある。
攻撃部隊は、しめて18機。
ここから見て眼下を飛ぶ8つの灰色の機影は、それぞれサピンの『エスクード隊』とウスティオの『ジャベリン隊』が駆るF/A-18C『ホーネット』で、いずれも
対艦攻撃機に加え曲がりなりに電子戦機までそろえた辺り、急場でかき集めたにしては、まずまず十分な戦力といえるだろう。この、今の自分たちの乗機も含め。
《この機体の初任務が悪天候たぁついてないぜ…。大丈夫ですかね?》
《まぁ、知らん機体でもない。制空戦に専念する限り問題無いだろう》
カークス軍曹の愚痴に応じたアンドリュー隊長へ、カルロスも無言のまま頷く。見知った機種、慣れない機体。それが、隊長と同様にカルロスが感じた率直な感想だった。
葉巻型の胴体に切り欠き三角翼、キャノピー後方から尾翼に至るまでの膨らみ、そして胴体後方に噴出口を覗かせる1基のエンジン。その形状は、かつての乗機MiG-21bis『フィッシュベッド』に瓜二つ…否、そのものと評していい程に酷似している。
それもその筈である。この機体の出自は、皮肉なことに陥落したスーデントールで生産された、ベルカ製MiG-21の簡易量産型であった。ベルカお得意の生産工程短縮技術をフル活用して大量生産されたものの、戦況逼迫により乗り手がいないまま倉庫に放置された機体を、ニムロッド隊の派遣主であるレオナルド&ルーカス安全保障会社が安価で購入したというのがその実態である。
形式番号J-7Ⅲ。MiG-21と区別するためか、機体にはそう記されていた。どうやらMiG-21bisより1世代旧式のMF型に準拠した型らしく、エンジン出力やレーダー性能が若干低いものの、本社の技術担当曰く運用する分には問題ないとのことだった。
幸いなことに、旧式とはいえ新品の機体を格安で、それも予備パーツ込みで入手できたのだ。おまけに構造が複雑なMiG-23と比べ整備に要する時間は大幅に短く、整備班長じきじきに『もうこの機体制式採用してくれよ』とのたまう程に運用しやすい利点もある。戦況が未だ不安定なこの状況下で用いるにはうってつけの機体といえるだろう。
結果的に、現ニムロッド隊は隊長とカークス軍曹、自分の3人がJ-7Ⅲを使い、フィオンはオーバーホールに出していた元々の乗機MiG-21bisに乗るという、やや変則的な体制を取ることになっていた。
《デル・タウロより各機へ、敵艦隊を捕捉した。…妙だ、艦隊から4隻が反転、こちらへ進んでいる》
「4隻だけ反転?」
《自らを盾にして、ってヤツか。かー、泣けるねェ》
《敵艦隊上空にも機影確認。…レーダー反応低下、電子戦機が付随している模様。長距離攻撃は困難だ。戦闘機各隊ならびに電子戦機は先行し、上空の脅威を排除せよ》
《了解した、ピッカー隊先行する。しっかり稼がせて貰おうか》
《ニムロッド隊、同じく先行する。各機無理はするな》
管制官の号令の下、一足早く先行したピッカー隊の4機に続き、カルロス達も脚を早めて敵艦隊へと歩を進めてゆく。旧式モデルとはいえ、変則デルタ翼を持つMiG-21シリーズの出足は流石に早い。
体を圧するGに全身を押されながら、カルロスはまだ電子の眼にすら映らない彼方の敵へと眼と思考を向けた。
彼我の状況を考えると、反転したという敵艦隊の一部はカークス軍曹の言う通り足止め役ということだろう。上空に展開しているという電子戦機を含めた敵機は艦隊の艦載機か、はたまた支援に飛来した陸上機か。少なくとも電子戦機を早く落とさなければ攻撃隊による対艦戦は覚束ないばかりか、この悪天候では目指す敵本隊をも見失ってしまう。
この旧式機での、可能な限り迅速な敵機排除。この機体での初陣にしては、難儀な戦いになりそうだった。
《敵艦、
「…っ!この距離で!」
《こちら電子戦機『パラガス』。全機構うな、そのまま行け!》
《流石に射程は長いな…。こちらは目が利かないんだ、頼むぞ》
捕捉された。びくり、と反射的に操縦桿を傾けかけた腕を、続けて入った電子戦機の通信が辛うじて押し留める。
そうだ、航空機より遥かに強力なレーダーを持つ艦艇の方が先制してくるのは、元より承知のこと。だからこそ、この対艦攻撃戦では強力な電子妨害が可能な電子戦機が付随してきたのだ。下手に動いては返って危ない。――信じろ。
すぅ、と大きく息を吸い、下腹に力を入れて一気に吐き出す。肚を落ち着けまっすぐ見据える先には、揺らがぬ僚機の後姿と爆ぜる雨粒、稲光、そしてきらりと光るいくつもの噴射炎が映えた。
来た。
音速を遥かに超える相対速度で、幾つもの鏃がこちらを指して飛んで来る。
動くな。恐れるな。信じて、ただまっすぐに――!
時間にして僅か数秒の、あっという間の
死が傍らを通り過ぎた時、カルロスは意識せず溜めていた吐息を一気に吐き出した。
《………心臓に悪ィ!》
《SAMの回避を確認。…戦闘機各機、第二射来るぞ!》
《これさえ抜ければ敵が視界に入る。各機散開、ドジるなよ!》
冷や汗が乾く間もなく、第二射の報がカルロスの耳朶を打つ。流石は艦艇と言うべきか、発射弾数の割に装填速度は息をつかせぬ程に早い。
とはいえ、要領は先ほどと同様である。やや機体の間隔を開けつつ降下する最中、遥か前方に発射炎と思しき光を捉えることができたのも、先程より幾分落ち着いていた為だったのだろう。光の位置を見る限り、相対距離は確かに縮まってきていた。
空に上がった光は7、いや8つ。しかしそれらは先ほどより密集している上、進路はやや高く弧を描いており、高度を下げたこちらを明らかに指向していない。これなら、突破は可能な筈だ。
頭上を越えていくミサイルの群れを仰ぐも一瞬、安堵とともに敵艦隊へと眼を向けるカルロス。だが、その時脳裏に、ふと何か引っかかるものを感じた。
ミサイルのあの高度、あの進路は先ほどまで自分たちが飛んでいた位置である。こちらに電子戦機がいることは先刻承知の筈だが、それならば命中率を上げるべくもっと拡散させて第二射を放つのが普通だろう。それを、何故敢えて同じ位置に、しかも密集させて放ったのか。まるで、目標を見定め、逃がさぬかのように。
あの位置にいる、目標。――まさか。
思い当ったカルロスは、愕然とした思いとともに再び視線を持ち上げた。
ミサイルが頭上を飛び去り、その先を真っ向から飛ぶ『パラガス』へと向かってゆく。当然、ジャミング下では直撃などそうそうするものではない。
灰色のその翼が、8本の矢と間近ですれ違った、その時。幾つかのミサイルが唐突に炸裂し、『トーネードECR』の角ばった機影を紅い爆炎に呑んでいった。
「…っ!『パラガス』が!」
《ヤツら、近接信管を…!ニムロッド1よりパラガス、無事か!?》
《く…!体は無事だが…すまない、ECMシステムがイカれた!こちらに構うな、そのまま行け!》
キャノピーを砕かれボロボロになったトーネードECRから、背を押すような声が上がる。ここまで来て電子防御の喪失は痛い所だが、位置は既に敵艦隊目前、ここまで来ればあとは戦闘機だけでもなんとかなる。
『すまん』。煙を吐き編隊から落伍していく『パラガス』に呟いて、カルロスは増槽を捨ててからフットレバーを思い切り踏み込んだ。
向かう先で、海へと落ちた稲光。光の反射で一瞬光った海面に、4つの船影といくつかの機影が影絵のように浮かび上がった。
《ピッカー1、
《まさか虎の子の軽空母を殿に残すとはな…。ニムロッド各機、妙な色気は出すなよ。》
《りょうかーい。……?何アレ、変わった機体。》
J-7Ⅲより格段に優れたレーダーを積んだピッカー隊のF-16Cが真っ先に敵部隊を捕捉する。暗い海上に浮かぶのは、確かに艦船が4。うち1隻は大型で、巡洋艦らしい船体の左舷から後方にかけて空母のような航空甲板が設けられている。強風、高波という悪天候の中ながら、その甲板上からいくつもの機影が飛び立ちつつあるのは、流石は練度を誇るベルカ海軍だった。一方、既に空に上がっているのは6機。うち2機は軽空母から上がったものと同じ機体のようだが、残る4機は機種が異なるらしい。おそらく、あの4機の中に敵の電子戦機がいるのだろう。
ピッカー隊が敵艦隊向けて直進する後方で、ニムロッド隊の4機は右方へと迂回して二次攻撃を狙うべく空域を俯瞰する。ただでさえ敵のジャミングの影響でロックオン能力が低下している上、雷雨という悪天候である。2隊同時に仕掛けるより、ピッカー隊の先制で敵がばらけた所を近距離から狙うのが効率的。そう、隊長は考えたに違いない。
敵編隊は左方やや下、その最中を4機のF-16Cが真っ向から侵入し、数多の砲火とともに敵の群れを切り裂いてゆく。それらは上空の6機を散らし、軽空母から発進した直後の1機を焔に包みながら、全速力で敵編隊を抜けていった。
《ニムロッド各機、かかれ!》
「了解!」
敵が乱れた一瞬後。ピッカー隊によって生じた隙を突くように、ニムロッドの4機は左へ急旋回し、敵編隊の斜め上から一斉に襲い掛かる。
暗い空と海面は高度の感覚を著しく麻痺させる。海面に突っ込まないよう降下角を緩めながら、カルロスは敵編隊の機種を懸命に探った。何だ、機種は。どこだ、電子戦機は。
先頭を切るアンドリュー隊長は、上空掩護と思しきMiG-23目がけて機銃を放っている。2番機のフィオンもそれに続き、早くも直撃弾を浴びせていた。3番機のカークス軍曹はやや下方を飛ぶ別の敵機へ狙いを定めたらしく、そちらへと高速で降下している。――その、先。突進するカークス機を避けようと翼を翻した、その空に不釣合いな大きな機影を、カルロスの眼は見逃さなかった。
最新の機種とは一線を画する大きな機体と可変翼。角ばった胴体と後方に積んだ2基のエンジン。この戦争で初めて相対したベルカ軍機と重なるその姿は、忘れる筈もない。F-111『アードヴァーク』。…いや――。
「…『レイヴン』!あいつが電子戦機か!」
EF-111A『レイヴン』。海軍向け電子戦機のEA-6B『プラウラー』と対となる、搭載力の優れたF-111をベースに改造を施した空軍仕様の電子戦機。あの機体さえ落とせば、この艦隊は攻撃隊の対艦ミサイルで排除できる。
敵の速度は速くはない。敵機の予想進路へ鼻先を向けながら、カルロスはラダーとエルロンを細かに操作して機位を微調整。徐々に距離を詰めながら、『レイヴン』の大柄な機体を射程内へと追い詰めてゆく。
距離900、800。ジャミングの影響で誘導性能が低下している以上、もう少し距離を詰めなければ当たらない。760、740、…700。今。
指に力を入れかけたその刹那、唐突な電子音が耳をつんざいた。
「警報!?…くそっ!」
ミサイルアラート。咄嗟にかけた急旋回で傾いた視界の中を、一瞬後に後方から飛来したミサイルが抜け去ってゆく。
攻撃に専念していた最中の、一瞬の隙。普段の乗機であるMiG-23MLD『フロッガーK』なら、おそらく今の攻撃は回避しきれなかっただろう。速度域を問わない旋回性能は可変翼機たるMiG-23の強みだが、コーナー速度を出した時の小回りと旋回の初動はMiG-21シリーズに分がある。機体の特性と運不運が、生死を分けた瞬間だった。
さて、肝心の攻撃を邪魔してくれた敵の護衛機である。
横方向への旋回を続けつつ視線を先の位置へと向けると、『レイヴン』を庇うようにその尻を抜けながらこちらに対し巴戦を仕掛ける敵機の姿が、丁度弧円の反対側に見て取れた。上空護衛のMiG-23ともEF-111とも異なるその小さな機体は、おそらく軽空母から上がった
YaK-38『フォージャー』。記憶の糸からその名を呼び起こしたカルロスだったが、実物を見たのはこれが初めてだった。
(…?妙だな。なんであの機体で格闘戦を…?)
横方向への巴戦で徐々に距離を詰めながら、カルロスの脳裏に疑問が過る。
そもそも、YaK-38は軽襲撃機として開発された機体のはずである。いくら艦隊防衛が今の任務とはいえ、格闘戦能力に優れたJ-7Ⅲにまともに格闘戦を挑んで勝ち目がある訳がない。それを裏付けるかのように、速度、旋回性能ともに劣るYaK-38の背中を、カルロスのJ-7Ⅲは確実に捉えつつあった。それを認めたのか、敵機は観念したように旋回を止め、目の前で機体を水平に戻してゆく。
妙だ。
その疑問を抱きながらなお機動を続けてしまったことは、偏にカルロスの経験不足によるものだったのだろう。
「な……!?」
射程に捉えた。
その瞬間を狙いすましたかのように、眼前の『フォージャー』は水平を保ったまま急減速し上昇。垂直方向への噴射で、一瞬でこちらの射線を外す荒業をやってのけた。
しまった。
鈍重な敵機に油断した後悔を、カルロスは口中に飲み込む。相対距離500、この歴然とした速度差では、確実に
最早思考を紡ぐ暇もない、コンマ1秒の一瞬。時が止まったようなその一瞬の中で、カルロスの体を突き動かしたのはパイロットとしての直感だった。
「こ・な・く・そぉぉぉぉ!!」
やけくその声をコクピットに響かせながら、カルロスは無我夢中に操縦桿を斜め後方へ引き、同時に補助翼を操作。咄嗟の状況に応じて取ったその行動は、幾度となく叩き込まれて体に染みついた、バレルロールの操作だった。
遠心力で右ロールができず射線に就けないなら、回転角が大きくとも左ロールで回ればいい。一瞬でそこまで判断してこの機動を行ったかと言えば、それは嘘になるだろう。それは偏に、慣れ親しんだ機動が咄嗟に出ただけに過ぎない。
それでも、機を得たその機動で、カルロスのJ-7Ⅲはやや上げた機首を軸に左方向へ回転しながら、水平に対し270°を指した辺りで揚力を得て急上昇。振動の収まらない照準器の中に目一杯に広がったYaK-38の胴体目がけ、カルロスは歯を食いしばりながら引き金を引いた。
曳光弾、『フォージャー』の噴射炎、瞬く間に眼下に消え後方に流れていくその機影。
後方からの追撃は…ない。機体を傾けて後方を振り返ると、片側の水平尾翼を失った『フォージャー』が、尾部から炎を上げて海面へと墜ちてゆく姿が目に入った。
「な、なんとかなった、か…。ニムロッド4、1キル!」
《こちらピッカー2、こっちも『フォージャー』を殺った!もう一息だ!》
《デル・タウロより各機、急ぎ電子戦機を撃墜せよ。敵本隊が作戦海域から離脱しつつある》
ここにきてMiG-21の血を継ぐJ-7Ⅲの性能に助けられるとは、いよいよもって腐れ縁である。主の無茶な機動に抗議するかのように機体を軋ませたJ-7Ⅲを旋回させながら、カルロスは戦闘空域を仰ぎ見た。
一度通過したピッカー隊が反転し、再突撃とともに2機の『フォージャー』が炎を上げて墜ちていく。後から上がった敵機を加えても、空域に残る敵機はあと4機を数えるばかりだった。だが、管制官の通信の通り、こちらももう余裕はない。
早くケリをつけるために、こちらも上空に参加しよう。そう判断したカルロスは、出撃直後の艦載機を狙って下降するピッカー4と入れ違いながら機首を上げる。
その彼の眼下で、異変は起こった。
《メイデイメイデイ!ピッカー4、落ちる!》
《なんだ、SAMにやられたか?》
「…!違う、敵の艦載機だ!……うわっ!?」
高度を下げていたピッカー4のF-16Cが、突然炎に包まれて墜ちていく。その周囲を舞っていた、軽空母から最後に飛び立ったらしい2機の機影は、今度は急上昇しながらこちらを指して突進してきた。
機銃、ミサイル1発。被弾音で軋む機体を右下方へと旋回させ、カルロスは辛うじて敵機からの射撃を凌ぐ。その凄まじい上昇速度は通常の戦闘機と大差無く、先程のYaK-38とは似ても似つかない。
目標は電子戦機の護衛らしく、こちらを無視して急上昇してゆく2機。雷雲を背景に浮かび上がるその機影を、カルロスはしばし目で追った。
機首の形状はYaK-38に似ているが、全体的なシルエットはより鋭く空力的に洗練されている。機首横のエアインテーク部はどこかF-15を思わせるが、何より特徴的な二股に分かれた機体後部の形状が、あらゆる機体と異なるシルエットを形作っていた。
《なんだ、新手!?…くそ、喰らった!脱出する!》
《…!YaK-141か!厄介な機体がいるな。中身も手練れらしい》
《へー、いるじゃん、活きの良いのが!》
明らかに嬉しそうな声を上げるフィオンは別として、2機の乱入により動揺したのだろう、上空に展開していた連合軍機が一挙に統制を乱されてゆく。敵の姿を認めたらしいアンドリュー隊長から、その敵の形式番号と思しき名がカルロスの耳にも届いた。
YaK-141、コードネーム『フリースタイル』。YaK-38の後継機として開発されたV/STOL機であり、強力なエンジンとレーダーを備えた試作超音速戦闘機である。機体性能や搭載能力が大きく制限される垂直離着陸機でありながらその性能はMiG-29『ファルクラム』に比肩するとも言われており、量産されればベルカ海軍の主力を担う筈であった。
もっとも、海軍の空母運用方針が変わったため、結局この機体は日の目を見ることなく、試作機の完成を以て闇に消える運命だった。本来配備される筈のなかったこの機体を2機も有していることも、このベルカ艦隊の離反が軍中枢にも根を張っていることの証左にもなると言えるだろう。それほどまでに、一部のベルカ軍人の怨嗟は根深い。
――もっとも、以上のことは、戦場にいるカルロスは知る由もない事である。
ともあれ、早く電子戦機を落とさなければ本命を逃がしてしまう。
エンジン出力上昇、被弾はあったものの致命的ではない。ミサイルも機銃もまだ十分、継戦能力は十分にある。頼むぞ、
操縦桿を引き、機首を上げてゆく。翼端を黒く染めた灰色の機体が、『フリースタイル』2機にかき回される戦場の最中へと突入していった。
《こちらデル・タウロ、電子戦機はまだか!?敵はもうこちらの索敵範囲の限界だ!》
《やっかましい!こちとら必死にやってんだ!》
《……っ!コイツ、ノロマなV/STOLの癖して…ッ!》
高度2300。空戦域からやや高い位置で機体を立て直し、カルロスは上方から空域を見下ろした。
敵機のうち、1機のYaK-141の背中を捉えようとその背に張り付いているMiG-21bisはフィオンだろう。YaK-141は独特の機構を活かし、加減速はおろか急転換や滞空までも自在にこなして、迫るフィオンを翻弄している。戦闘技量では小隊でも随一のフィオンが、あそこまでいらつく様子を見るのは初めてだった。
肝心のEF-111の方はといえば、その背を狙う友軍機をYaK-38やYaK-141が牽制しては引き剥がし、容易に射線に辿り着かせない。少ない機体でなお、護衛対象を護るあの布陣。それを布いたのがあのYaK-141だと考えればいよいよもって手ごわい相手である。
《もう時間が無い。フィオン、なんとかあと1分そいつを押さえてろ。残り全員で電子戦機を狙う!》
《りょうかーい。むしろ邪魔しないで下さいね》
《上等だ。ニムロッド隊、先行して敵の護衛を引き剥がす。ピッカー隊は全機で隙を突いてくれ》
《それしかないな…了解だ、獲物は貰うぜ》
《よし、全機行くぞ。ニムロッド3、4、いいな!》
「大丈夫です、行きます!」
《おうよ、これで決めてやりましょうぜ!》
機数で勝るものの、時間が足りない。ならば、取るべき手は戦力を集中させての一斉攻撃しかない。
隊長の指揮の下、J-7Ⅲはそれぞれの目標へ向けて、一直線に加速を開始した。
度重なる交戦で敵の数は減り、もはやEF-111に就く護衛はYaK-38とYaK-141が1機ずつのみ。本命は後続のピッカー隊に任せ、カルロスはアンドリュー隊長の背に就いて、YaK-141へと狙いを定めた。
逃げ惑う『レイヴン』。その背を護るようにYaK-38が素早く反転して進路を塞ぎ、YaK-141は左上へ旋回しながらこちらへと鼻先を向ける。垂直方向への噴射も併用したのか、その反転速度は通常機では不可能なほどに早い。
アンドリュー隊長機、
敵機、垂直上昇、機首転換。空を切るミサイルを巧みに回避し、機銃で隊長に応戦している。
擦過、被弾。目の前で、隊長のJ-7Ⅲから破片が零れる。
だが、敵の眼はこれで逸れた。距離600、隊長の機体の影をすり抜けて、J-7Ⅲを肉薄させる。
ガンレティクルからはみ出るYaK-141、国籍マークすらはっきり見える距離。これなら外しようがない。
もらっ――。
「…っ!?消えたっ!?」
だが、敵の技量はこちらの腕前と予測を遥かに上回った。AAMを放とうとした直前、敵機は失速覚悟で機首を垂直に引き上げたのだ。
直後に機体の下から放たれたミサイルは、失速し落ちてゆく敵機の鼻先を擦過。それだけに留まらず、鼻先を空に向けたまま落ちていくYaK-141から30㎜弾が放たれ、目の前を通過してゆくカルロス機の主翼に風穴を開けしめたのだ。攻防一体の凄まじいその機動は、咄嗟に行った挙動とはとても思えない。
「なんて奴だ…!…そうだ、敵は!?」
《っしゃあ、命中!ピッカー隊、道はがら空きだ!》
《ナイスファイトだ、こちらピッカー1、後は任せろ!》
なんとか射線から逃れ、旋回して仰ぎ見た後方、そこには、カークス軍曹の攻撃で煙を噴いたYaK-38と、その隙を突いてEF-111へと向かうF-16C3機の姿があった。軍曹の言う通り、EF-111への道を塞ぐものは何もない…筈、だった。
「…えっ…!?」
そこから先は、一瞬だった。
YaK-38の傍をすり抜け、一斉にAAMを放ったピッカー隊。まっすぐにEF-111へと飛来してゆくミサイル。
そして、煙に包まれながらも機体を垂直に上昇させ、1機のF-16Cの前に文字通り立ち塞がったYaK-38。それは死力を尽くしたと表現するのもおろかな、命に代えて仲間を守らんとする文字通り必死の抵抗に見えた。
衝突、命中、そして爆発。
一瞬にして空に爆ぜた3つの爆炎は、雷雲を束の間照らし、あっという間に消えていった。
《ピッカー1が敵と衝突した!》
《なんて奴らだ…イカれてやがる。……デル・タウロ、聞こえるか!電子戦機を排除した、早く叩き込め!》
《了解した。攻撃隊各機、銛を放て!》
電子戦機による電子的防御の喪失。この時点で、戦術的に勝敗は決したと言っていい。いかに優れた迎撃能力とレーダー設備を持つ駆逐艦がいるとはいえ、8機もの攻撃機から殺到する対艦ミサイルを防ぐ術など、もはやベルカ艦隊にあろうはずはなかった。
敵艦隊から上がる、機銃やミサイルの雨。水面近くで爆ぜる爆発。それらを割くように殺到する大型のミサイルが、駆逐艦を、巡洋艦を、そして基幹たる軽空母をも貫き、炎の海に飲み込んでゆく。激しい雨風ですら掻き消せない誘爆の業火の中で、4隻の艦は黒と赤に染まっていった。
その時だった。
《――『ネルトゥス』よりベルカ全艦艇へ。我々は、ここまでのようだ。…だが、輝かしい真のベルカ再興という理想ある限り、我らの魂は生き続ける。同志よ、そして時に利無く雌伏するベルカ将兵よ。我らの屍を越えて、真のベルカの為戦ってくれ。………我ら、栄光のベルカと共に――》
雷鳴が雲間に轟いた瞬間、電磁波の影響か、雑音とともに耳に届いた混線。壮年らしい男の声は、怨嗟と絶望を滲ませながら、それでも切々と、語るように紡がれていた。
一瞬後、艦橋の辺りを包む爆発が上がり、理想を語る声が紅蓮の炎に呑まれて絶える。
波間に揺れる、墓標のような4つの炎。生き残った2機のYaK-141は、その上空をまるで弔うように旋回し、それは3周を数えた。
それは、ベルカにおける弔いの習いだったのか。3周を終えたその時、2機は同時に急降下。彼らの命の標たるレーダー反応は、あっという間に波に呑まれ、消えていった。
誰も予期することも、まして制止することも叶わない。それはあまりにも潔く、あまりにも激し過ぎる自裁だった。
「なっ…!?」
真のベルカの再興。そんな夢物語のようなことのために、彼らは戦い死んだのか。戦いに破れた絶望の中で生まれた恨みと妄執が、その夢想じみた理想だというのか。…いや、理想や信念とは、そもそも何なのだろう。
《本隊の行方を眩ますため、自決しやがったか…。………イカれてやがるぜ…。》
《………。役目は終わった。各機、帰投するぞ。》
命色の炎の塔が、暗い波へと消えてゆく。
この戦争が残したのは何だったのか。理想とは。希望とは。力を与え、同時に命を奪う『信念』とは、一体何なのか。また一つ、心の中に問いが重なってゆくのを、カルロスは禁じ得なかった。
全てを飲み込んだ黒い海は何も答えず、相変わらず峻厳な面持ちで、空飛ぶ生者を見上げていた――。
《全機、ご苦労だった。捜索隊の情報によると、本作戦で撃沈したのは軽空母『ネルトゥス』、巡洋艦『ヴィントデーゲン』、駆逐艦『シュネー・トライベン』ならびに『ハーゲル』と確認された。ベルカ離反艦隊の戦力を削る大戦果だが、一方で悪天候とジャミングの影響で敵本隊は見失ってしまい、早急な事態解決には至っていない。目下敵艦隊の行方は捜索中である。諸君には、引き続き討伐作戦の主力を担って貰う。今後、一層奮闘されたい。以上だ、解散。》