Ace Combat side story of ZERO - Skies of seamless -   作:びわ之樹

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第17話 スーデントール制空戦(後) -七つの大罪-

 街が、燃えている。

 かつて、ベルカを代表する一大工業都市として知られた、南北ベルカの中心に位置するスーデントール。往時にはいくつもの工場が立ち並び殷賑を極めたその地は、今や無数の爆撃痕が刻まれ、見るも無残な姿と化していた。南ベルカ国営兵器産業廠の向上やそこから直接繋がる滑走路も今や殆どが紅蓮の炎に舐められ始め、滑走路の上で燃える灰色の機体が陰影の中に浮かんでいる。

 

 方や空を仰げば、空を舞っていたベルカの機体は、今や数えるほどしか認めることができない。今もまた目の前で、隊長のMiG-27M『フロッガーJ』に追われたSu-15が1機、6連装30㎜機関砲の斉射を浴びて粉々になっていく。

 灰色が焼け落ちる、終末の姿。空から見下ろすその様は、スーデントールの…否、ベルカの終焉をも象徴しているようだった。

 

 だが、この空に舞う者は、誰一人として知らなかった。本当の終焉は、より激しく、より無慈悲に、より凄惨な形で、直に訪れる事を。

 

《デル・ヘミニスより展開中の各機。方位030より敵機8、高速で接近中。当該部隊の予測進路は爆撃隊の撤退ルートと重なっている。急ぎ迎撃せよ》

《…しまった、こちらエスクード3!『フラゴン』4機、包囲を突破!進路170、デル・ヘミニスへ向かっている!》

《…!クソ、エスクード隊、抜けたフラゴンを追え!ニムロッド隊とアルマドゥラ隊は新顔を迎撃する。各機集合!》

 

 事態が、一気に動いた。傍らのニコラスと目を合わせるも一瞬、カルロスとニコラスは笑みを打ち消して、互いの隊長の下へと翼を翻してゆく。

 増槽と爆弾を捨て、ミサイルのみを懸架したMiG-23MLDの機体は軽い。

 上空、3000フィート。カークス軍曹の左斜め後ろに就き、最後尾を守る位置からカルロスは集結する味方の様子を手早く目に収めた。ニムロッド隊、アルマドゥラ隊のF/A-18Cとも多少の被弾こそあれ、全機健在のようである。

 互いの様子を確かめ終えたのだろう、アルマドゥラ隊は楔形の右辺を、ニムロッド隊は左辺を縁取る形となり、鋼鉄の鏃が北を指してひた走った。

 

《アルマドゥラ1、敵機確認(タリホー)。ミラージュ2000が8機、高度2500。敵針路9時方向、こちらと直角だ》

《了解した、こちらが敵の鼻先を押さえる。アルマドゥラ隊は後方に回り込んで、散った所を仕留めてくれ》

 

 レーダー性能に勝る『ホーネット』を狩るアルマドゥラ隊が、いち早く敵の種類と方位を捕捉する。矢継ぎ早に指示を下す隊長に導かれるように、アルマドゥラ隊の4機は右に機体を傾けて敵の後方へと指向。ニムロッド隊の4機も左へ旋回し、敵編隊の前方へ回り込むべく迂回してゆく。

 キャノピーの外で傾く景色に、畳んだ主翼が空を切る音。連なる4機の最後尾で、カルロスは何かひっかかるものを感じていた。

 

 現在迎撃に向かっているベルカの増援部隊は、スーデントールから見て方位030――すなわち北北西に現れ、そこからまっすぐ西へ向けて飛んでいる。つまり、スーデントール上空には至らないルートを飛んでいるのだ。爆撃隊の進路を塞ぐためとも考えられるが、いくら加速に優れるミラージュ2000とはいえ爆撃そのものの阻止には到底間に合うまい。ならば、彼らの目的は一体何だというのか。

 

《あれだな。各機、正面上方から一撃離脱で編隊を散らす。どうせこの位置じゃ当たらん、ミサイルを無駄に撃つな》

《りょーか……ん?》

「………っ!隊長、あの機体は…!」

 

 翼を翻した先、遥か前方のやや下方に見える、8つの機影。そして、相対距離を見定めるべくそれらへと注いでいた瞳の中に、距離が近づくにつれ明瞭になっていく敵機の姿。見覚えのあるその姿がはっきりと捉えられた時、カルロスは思わず驚愕を口に出していた。

 ミラージュシリーズ特有の三角翼。濃紺の縁取りの他は白一色の塗装パターン。そして胴に刻まれた、黒の『15』。他の7機のうち、3機は同様の色彩で身を染めている。あの姿、あの隊形は、忘れる筈もない。

 

《ヴァイス隊…!》

《チッ、例のエース部隊か!よりによってこんな時によ…!》

 

 隊長とカークス軍曹も認めたらしく、それぞれの呻きにも似た声が通信を揺らす。

 『ヴァイス隊』。戦争の初頭、サピン西部における171号線奪還作戦の際に交戦した、4機のミラージュ2000-5で構成されたエース部隊。圧倒的な技量と徹底した一撃離脱戦術でこちらを翻弄し、小隊を壊滅寸前まで追い込んだその戦闘は、今なお脅威とともにカルロスの記憶に刻まれている。

 いくら努力を積もうと、足元すら見えない『エース』の力。それをまざまざと見せつけた敵と、それもよりによってこんな時に、再びまみえることになるなんて。

 だがその驚愕すら、直後の出来事に対する前段に過ぎなかった。

 

《こちらベルカ空軍第5航空師団第24戦闘飛行隊所属、ヴァイス1。接近中の連合軍機へ、こちらに交戦の意図はありません。道を開けて下さい!》

《…なんだ!?》

「これは混線…じゃない。オープン回線!?一体…!?」

《繰り返します。こちらに交戦の意図無し。道を…》

 

 唐突に通信に割り込む、聞き覚えの無い女の声。あまりにも予想外の事態に、カルロスの頭は一気に混乱の渦に叩き込まれた。

 確かに戦う意図がないのならスーデントールに向かっていない理由にもなるが、それならば目的は一体何なのか。いやそもそも、この女の言葉を信じてよいのか。その声も、言葉遣いも真摯そのものという印象だが、たとえ友軍同士であれ詐略や密約が交わされるのが戦場である。その光景をつい数日前に戦場で見たカルロスにとって容易に信じることはできなかった。

 

 どう、します。混乱と迷いの中で、カルロスは思わずMiG-27Mの背へと目を向けていた。

 隊長の進路は、変わらない。

 相対距離があっという間に縮まってゆく。

 照準の真ん中に白い機影が捉えられる。

 隊長は、まだ動かない。

 これは、まるで攻撃体勢――。

 

《撃て》

「…っ!!」

 

 選択を突きつけられ、判断を委ね――あるいは放棄し硬直していた指。隊長の声に跳ね上がった心は、反射的にその指を動かしていた。

 曳光弾が走る。三角翼の編隊がばらりと崩れて散る。馳せ違ったのち、後方から追いかけて来た声には、焦燥と絶望が滲んでいるように聞こえた。

 

《ま、待って下さい!こちらに攻撃の意図はありません、信じて下さい!攻撃中止を!》

《…こちらサピン空軍第7航空師団第31戦闘飛行隊、ニムロッド1。交戦の意図が無いならば、ただちに引き返せ。その他の行動を取った場合、安全は保障できない》

《………!こんな事をしている場合ではないのに…!》

 

 敵編隊の後方から迂回したアルマドゥラ隊と入れ違いながら、4機は縦方向に旋回し、インメルマンターンで反転する。高度を得て見下ろした遥か先では、白いミラージュ2000-5が反転し、後方から襲い掛かるアルマドゥラ隊へ迎撃の体勢を敷く様が目に入った。残る4機のミラージュは、一気に加速をかけて西へと遁走してゆく。先のヴァイス1の言葉を裏付けるように、交戦はもちろんのこと、喫緊の筈のスーデントールに向かう様子すら全く見られない。

 反転するミラージュから聞こえた、絶望の声。この戦場で『信』を訴えるその声は、なぜかカルロスの耳に強く残っていた。

 

《何の目的か知らんが、今度はやらせん。ニムロッド隊、ツーマンセルで対応する。絶対に頭上を取らせるな》

「……了解!」

 

 いや、余計なことは考えるな。今はただ、やるべきことを。

 隊長の声に背を押され、カルロスは迷いを振り切るように強く操縦桿を握り直した。

 先のヴァイス隊との戦闘が念頭にあるのだろう、隊長が下した命令に従い、隊長とフィオン、カークス軍曹と自分のペアがそれぞれに戦場へと翼を進めてゆく。先は機数で劣った上に頭上を抑えられ成す術がなかったが、今は高度3000フィート以上の高空、おまけに数もこちらが勝っている。機体性能と技量の差を踏まえても、まず五分と言って良かった。

 幸いなことに、インメルマンターン直後のため高度はこちらが勝っている。可変翼を最大まで畳んだ上に重力加速度の助けも借りて、白い機体との距離は見る間に詰まっていった。

 

《アルマドゥラ2被弾!ダメだ、速い!誰か助けてくれ!》

《カルロス、まずはあいつを助ける。『フロッガー』の力、見せつけてやろうぜ!》

「了解!絶対に、仕留めてやります!」

 

 1機のF/A-18Cが追い抜かれざまの機銃掃射に見舞われ、胴体から煙を上げる。カークス軍曹が鼻先を向けた先には、その『ホーネット』を仕留めるべく旋回する、別の『ミラージュ』の姿があった。

 強みの加速性能を活かして一撃離脱に徹する『ミラージュ』に対し、先代のMiG-21bisでは追いつくのも一苦労だった。だが、今の乗機MiG-23MLDならば、MiG-21bisに初速で勝る上、ある程度ならば可変翼を活かして高速戦闘にも対応できる。

 『この前とは違う』。言外にそう語ったカークス軍曹の言葉に、カルロスの決意も重なる。

 その決意を実践するかのように、攻撃体勢に入り僅かに減速した『ミラージュ』の白い背を目がけ、主翼を最大まで畳んだ『フロッガー』はひたすらに加速をかけた。

 

 安定性を欠いた巡航体型で、いつも以上の振動が体を苛む。汗が、血液が後方に引っ張られる、高速戦特有の嫌な感覚。歯を食いしばって懸命に耐えながら、カルロスは加速するカークス機の後方に追いすがった。

 こちらに気づいた『ミラージュ』が、『ホーネット』への追撃を止めて機首を僅かに上げる。回避のために加速を始めたのが、明るみを帯びたエンジンノズルから伺い知れた。

 だが、まだ追いつける。AAMの射程までもう少し、こちらが速度で勝る今なら落とせるかもしれない。カークス軍曹も同じ判断を下したのだろう、依然機体の速度は緩めぬまま、背を向ける白い翼へと肉薄してゆく。

 その時だった。前を行く『フロッガーK』の翼の下にミサイルの点火炎が爆ぜたのとほぼ同時に、遥か先の正面に別の機影が現れた。

 

「…!ニムロッド3、正面!散開(ブレイク)!!」

《…っ!?くそっ!!》

 

 敵。先ほどアルマドゥラ2へ一撃離脱を仕掛けた、別の『ミラージュ』。

 いち早くそう判断したカルロスの声に弾かれるように、前を飛ぶカークス軍曹の『フロッガーK』はフレアをまき散らしながら大きく左へ旋回。その右方をすり抜けて直進するカルロスの真正面には、『ミラージュ』の白い翼がすぐそこまで迫っていた。

 咄嗟に飲み込んだ息。フレアに欺瞞されすぐそばを抜けていくミサイル。稲妻のような轟音と、視界を過る曳光弾。

 ごっ、と耳を殴られたような衝撃音とともに、正面の『ミラージュ』がすぐ左側をすれ違ってゆく。その一瞬、敵機の胴体には黒く『15』と記されているのを、カルロスは確かに見た。

 わずか数秒の間の、鎬を削る反航戦。その一瞬の間にカルロスの『フロッガーK』に刻まれた被弾痕は、その敵機――ヴァイス1の技量を物語っていた。

 

「喰らった!?なんて正確な射撃だ…!」

《カルロス、後ろだ!》

「いっ…!?くそ!」

 

 軍曹の怒鳴り声に、反射的にスロットルを倒したのは利き腕の力を最大限に活かせる左方。左に傾いた視界の下方を、後方斜め下から飛来した機銃弾が奔り抜けてゆく。その光弾が撃ち抜いたのは、先程まで自分がいた機位と寸分違わぬ位置。後方を振りむけば、白い翼の『ミラージュ』が1機、背中にぴったり張り付いていた。

 カークス軍曹が最初に狙った『ミラージュ』。他の敵機の位置を省みるに、思い当るのはそれだった。おそらく、軍曹の放ったミサイルを右旋回で回避した直後に、すぐさま左旋回に入ってこちらの後方に就いたのだろう。

 

 息をつく間もない。

 その表現そのままに一呼吸を入れる暇もなく、カルロスは主翼を一杯まで広げながら、操縦桿を倒して機体を右方向へロール。上下逆さまとなった視界の中で機首を上げ、ロックオン警報を振り切るように右下方への急旋回(スライスバック)機動で回避を目論んだ。

 遠心力で頭から血液が下がってゆく。下腹部を押す圧力と頭痛に、ぎり、と奥歯が鳴る。

 旋回の最中で、ミサイルアラートへと転じる警報音。

 迫る。

 すぐ後方に、殺意を帯びた鉄の鏃が、白い機影が迫る。

 ぼやける意識、廻る視界。

 くそ、諦めて、たまるか。

 フレア、射出。同時に脚を踏ん張り、渾身の力で操縦桿を引き寄せる。

 

 悲鳴のような軋みを上げながら、水平まで機首をもたげる『フロッガーK』。そして火球に吸い寄せられ、間一髪の位置を通り抜けるAAM。その後を追うように、僅かに旋回半径でこちらに劣った『ミラージュ』もまた後方を擦過し、遥か下方へと抜けていく。

振り、切った。

 やっとのことで息を吐き出し、カルロスは空戦域へと戻るべく機首を上げながら、上空を仰ぎ見た。

 

 直後、絶句した。

 先程被弾し離脱したアルマドゥラ2は別として、空域に『ホーネット』は1機しか残っていない。残るニムロッド隊も、2機の『ミラージュ』の前に連携が乱されたのか相対位置が離れてしまっている。

 やはり、この敵は。まざまざとその力量を思い知ったカルロスの眼は、最後に向いた自機の上空で釘付けとなった。

 白い『ミラージュ』に背を取られ、至近距離から機関砲を浴びせられるMiG-23MLD。彼我の位置とこれまでの経過を考えるに、それらが誰なのか、考えるまでも無かった。

 

「…!カークス軍曹!!」

《来るな!!…くそ、やっぱりこいつは…!うおおおおっ!!》

「軍曹ッ!!」

 

 蛇行、加速、急減速。あらゆる機動を以てしても『15番』は軍曹の後ろから離れず、曳光弾がその機体を削ってゆく。

 軍曹の『フロッガーK』の主脚カバーが吹き飛び、機体から白煙が上がり始めた時、カルロスは軍曹の命令をも忘れ、機体を急上昇させていた。

 カークス軍曹は、『ニムロッド』の仲間は、絶対に落とさせない。根無し草の自分にとっての得難い、仲間と呼べる数少ない存在は、絶対に――!

 

 だが、奇妙な事が起こったのはその時だった。

 被弾に耐え兼ね、下方へ旋回して逃れるカークス軍曹を『15番』は追撃せず、その背から離れたのだ。まるで、戦闘能力を失った機体は撃たない、と言うかのように。

 

《…もう、いいでしょう!?この戦闘は無意味です!……早く行かないと間に合わなくなる。ベルカも連合軍も、多くの人が死んでしまうんです!!だから…!!》

「……無意味…!?……くっ、何を今更!!」

 

 なんだ、一体何を言っている。

 頭上から落ちるヴァイス1の声に、思わずカルロスは返していた。

 何が無意味だというのか。アルマドゥラ隊を、アルコ隊を、あのサピンの爆撃隊長を落として来たお前たちが、戦争を引き起こしたベルカが、今更何を言うのか。

 

 それは焦燥か、憤慨か、それとも捌け口を求めた混乱の末だったのか。

 口内に吐き出した思いを湛え、冷静さを欠いたカルロスの瞳は、カークス機を追い越してゆく白い機影をひたと見据えていた。

 白い機体――ヴァイス1の『ミラージュ2000-5』は、そのまま急上昇と急減速を交えて素早く反転。こちらの斜め上方に位置取り、急上昇するこちらに対し真正面から迫り来る。高機動を可能とする優れた機体性能、それを余さず発揮させうる高い技量、そして高Gにも耐えうる恵まれた身体能力。全てを兼ね備えたその戦闘機動には、今さらながら舌を巻く思いだった。…だが。

 ヘッドオン。マッハ2を超える相対速度で、2つの機影が相対し、凄まじい速度で距離を狭めてゆく。

 互いに回避が難しいこの位置取りならば、機体性能の差も技量の差も大きな意味を成さず、単純に攻撃のタイミングだけがその勝敗を分ける。それならば、自分の腕でも可能性はある。刺し違えてでもここで落とせば、ここでの戦闘は終わるのだ。

 

《…止むを得ません、覚悟は決めて来ました。信念の為なら、私はもう躊躇いません。貴方がたを薙ぎ払ってでも、例え同胞を墜としてでも…私は、護るべきものを護る。》

「………!」

 

 信念。

 熱を孕んだカルロスの頭に、文字通り真正面から冷や水を浴びせるような言葉が、まっすぐ耳に届く。

 この人も、信念のために戦う人なのか。それぞれの言葉が意図する意味こそ分からないものの、『護るべきものを護る』という頑なな意思が、その信念ということなのだろうか。

 

 不意に、幾つもの声が、耳朶の奥に蘇る。

 

『俺たちゃ純粋に空を思ってりゃそれで飛べるのさ』

 

 エスパーダ1――アルベルト大尉。

 

『護るものがある男ってのは、やる時はやるもんだ』

 

 ディレクタス奪還作戦支援で命を落とした、サピンの爆撃隊隊長。

 

『空で生き残ってゆくためには、そのような信念といったものが不可欠ということだ』

 

 ウィザード1――ジョシュア大尉。

 それはカルロスの心に刻まれた、信念に生きる人たちの声だった。それと同じ信念を、この眼前の人は確かに持っている。

 ヘッドオン、それは機体性能も技量も関係ない、勝敗を分けるのは攻撃のタイミングのみとなる位置取り。――本当に、そうだろうか?未だ戦う意義も覚悟も備わらない自分が、この人に勝てるのだろうか?

 

『『迷い』は隙を生み、ひいては死に直結する』

《カルロス止めろ!正面から撃ちあうな!!》

 

 頭の中のジョシュア大尉の声と、現実の中の隊長の声が重なる。

 依るべきものを持つ者と持たざる者。その戦いの帰趨を予言する宣告のように、それらの声は耳に響いた。

 

 ほんの一瞬の内省から引き戻される現実。その目の前に、恐ろしい程ゆっくりと――そして鮮やかに、白い機体が映っていた。相対距離1100、AAMの射程まであと一歩。

 敵わない。痛感した思いを抱きながら、それでも機体は上昇してゆく。蒼穹を背にして、斜めに差す陽光を反射する『ミラージュ』の翼は、なぜか惚れ惚れする程に美しい。

 それでも、カルロスは待った。絶望的なその一瞬に放つ、乾坤一擲の瞬間を。

 

 ――だが。その機会は、永遠に訪れることはなかった。

 

「………なっ……!!?」

 

 光。

 空の蒼も、眼前の白も、何もかもを塗り潰すまばゆい光。

 唐突に全ての輪郭が掻き消えたその一瞬、まるで時間の経過さえも消え失せたかのように、カルロスには全てが止まって見えた。

 

 一拍。

 僅かに遅れて、轟音と衝撃が機体を激しく揺さぶる。バランスを失う機体、鳴りやまない警報。視界を遮る閃光に幻惑され、こちらを見失ったらしい『ミラージュ2000-5』がすぐそばをすれ違ってゆく。なんだ、一体何が起こった。突然の出来事に、『フロッガーK』の機体とカルロスの頭が渦を巻くように回転する。

 荒れ狂う空気の奔流と混乱の中、引き上げた操縦桿はいやに重い。安定翼(エルロン)制御、可変翼角の展張位置への固定、フットレバーの操作。風に揺られる木の葉のようにあらゆる方向へと振動する機体を、カルロスはできる限りの手で必死に水平へと立て直してゆく。

どうにか姿勢を保ち、周囲を確かめんと頭を巡らせた矢先。その眼に映ったのは、信じられない光景だった。

 

 西方に生じた、太陽のようなまばゆい光。その遥か先には、まるで傘を広げたキノコのような、禍々しい姿の雲が上がっていた。その数、7つ。黒と赤、死と炎を象徴する忌まわしい色に染まったそれらは、あらゆるものを飲み込むかのように、青空へと上っている。

 

「………っ!?…………あれは…何だ…!?」

《二………ド…機、無事……!?》

《わ………!計器……狂っ……!?》

《………んだ、ありゃ……!?》

《ヴァ……3より………!あれ………か、V1………!》

 

 まるで電子妨害でも受けたように、耳に入る通信は雑音ばかりで明瞭に聞き取れない。そればかりでなく、機体の電子機器も狂ったように出鱈目な数値を指し、レーダーすらもノイズばかりで使い物にならなかった。

 爆炎が上がっているのは、現在ベルカ軍が撤退ルートとしているバルトライヒ山脈の方角に違いない。となると、連合軍による爆撃なのだろうか。それとも、ベルカ側による何らかの作戦なのか。いずれにせよ、立ち上る爆炎の規模は、通常の爆撃の比ではない。この機体と無線の状況といい、明らかに異常な事態だった。

 

《……間…、……な…った……。…………ス隊…機、集…。…退……す。》

 

 明瞭に聞き取れない雑音の奔流の中に、女の声が微かに混じる。それだけで全てを察したのか、4機の『ミラージュ』は迷う事なく斜め下方の一点に集結。未だ編隊を構成できないこちらを気にする素振りすらなく、彼女らが来た東の方へと鼻先を転じ、飛び去っていった。

 絶望し、忌まわしい光に背を向けて、力なく巣へと戻る4羽のカモメ。何故か、カルロスの脳裏に浮かんだのはそんな様だった。

 

《…ル・ヘミ…スより……中の…機に告ぐ!スー……トールのベ…カ軍が総…撃を……し…!目下友…を攻撃、……を突破……ある!急ぎ集結……!!繰り……》

 

 強力な通信設備の恩恵だろうか、唐突に入った比較的ノイズの少ない通信は、空中管制機のものだった。

 単語の羅列から判断し頭を巡らせると、ここから南方――スーデントールの方向に新たな黒煙と炎がいくつも上がっているのが見えた。考えるまでもなく、この混乱に乗じてスーデントールに籠城中のベルカ軍が突破を図っているのは明らかだろう。通信障害で連携が図れない状態では、いくら数で勝る連合軍といえどその帰趨は分からない。包囲され消耗するベルカ軍はこの一瞬を狙い、降伏より乾坤一擲の突破を意図したに違いない。

 最早通信を諦めたのだろう、隊長の『フロッガーJ』が機体を左右に振り、次いで機首を南へと向けてゆく。その意図を察し、ニムロッドの3機と生き残ったアルマドゥラ隊の1機が、その背を追うように翼を翻していった。

 

 遥か西には雲を割いて立ち上る7つのきのこ雲、そして眼前にはいくつもの光と、新たに生じる黒煙の筋。その下で、助かるはずだった命が炎に包まれ消えてゆく。

 心臓を絞られるような、胸に毒が広がっていくような、言葉にできない苦い感覚。目の前で現実に広がるその光景は、割り切るには到底許容できない、大きすぎる『余り』だった。

 

《……狂ってやがるぜ…》

 

 固く奥歯を噛みしめるカルロスの耳朶に、誰かの声が、ぞっとするほど明瞭に響いた。

 




《諸君、ご苦労だった。現在詳細は調査中だが、バルトライヒ方面で生じた爆発はベルカ軍の核兵器によるものと思われる。未確認情報だが、同刻に当該空域で爆撃機を含むベルカ空軍機同士の空戦も確認されており、諸君が交戦したベルカのエース部隊もこの支援、ないし阻止に向けて出撃したものと考えられる。
爆発、ならびにその後の総力戦により、友軍の被害は甚大である。オーシアのウィザード隊を含む多数の部隊の消息も不明となっており、我々の戦力は大きく低下した。今後、情勢がどう動くか分からない。諸君は引き続き即応の体勢で待機していて貰いたい。以上だ》

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