Ace Combat side story of ZERO - Skies of seamless -   作:びわ之樹

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第15話 迷いと信念と

 濁ったような雲の切れ間を割いて、朧にしか見えなかった幾つもの翼がその姿を露わにしてゆく。

 機数は8、9…10。高度を下げ、徐々に大きくなってゆくその翼は、さながら帰巣する鳥のように速度を緩めて滑走路へと舞い降りてゆく。

 耳に刺さるエンジンの鼓動、主脚の軋み、そしてアスファルトとタイヤの擦過音。遠巻きに眺める出迎えの人々の声をかき消しながら、それらは1機、また1機と地に降り立って、足取りを緩めながらそれぞれの住処へと鼻先を向けていった。

 

 勇壮、興奮。少し前の自分ならきっと無邪気にそう感じていたであろう、(くろがね)の鳥が一羽たりとも欠けずに舞い降りる、勝利を意味するその光景。その様が、今はまるで夢から現実へと一気に引き戻されたような、どこか空々しい虚ろな感情を伴って目に映っている。

 わずか数日の間に生じた、朧にして熱に欠けた心の変化。カルロスは困惑した瞳を、目に映る光景のその先――自らの心の奥へと向けていた。

 時に、1995年6月3日。季節外れの冷たい風が、迷いを帯びた青年の頬を撫でていった。

 

「これで、本日4組目の団体様のお帰りか。かー、軍人さんは勤勉で偉いねぇ。見習っちゃうねまったく。」

「…と言うか、いいんでしょうか。こんな時に休んでて、俺たち…。」

「折角の雇い主様(サピン軍)からのお達しだ、お言葉に甘えて損は無いだろう。…尤も、スーデントールに籠城した敵は相当頑強らしい。近々休暇も切り上げかもしれんがな。」

「はー、飛べない休暇なんてつまらない。このままじゃ戦争終わっちゃうよー。」

 

 ニムロッド隊に割り当てられた格納庫の、陰になった庇の下。空きコンテナや錆の浮いたパイプ椅子などに腰を下ろし、思い思いの位置を占めて滑走路を眺める男たちの声は、雲に隠れがちな初夏の空同様にどこか熱に欠けている。隊長を始め、誰もが自らの中に生じた困惑と迷い、憤りをどう処すべきか、それぞれに答えを求めている…少なくとも、カルロスにはそう思えた。

 かくいうカルロス本人も、自分の中でわだかまるモノを整理できた訳では無い。だからこそ、『あの日』の翌朝から常にも増した自主トレーニングを己に課し、雑念を振り払うようにひたすらに走り込んでいたのだが、結局逃避でしかないその行動の先に答えは得られなかった。

 今日も今日とて走り込みは続けていたらしく、4人の中でカルロス一人はフライトジャケットを腰に巻き、汗の浮いた首筋にタオルを巻いている出で立ちがそれを物語っている。ジャケットの前をはだけさせた隊長、腕をまくり煙草をくゆらせるカークス軍曹、脚を投げ出して髀肉の嘆をぶちまけるフィオン。先の出撃の休養という名目で降って湧いた特別休暇に、4人は落ち着かぬ空気の中で、慣れぬ日々を過ごしていた。

 

「よう、『ニムロッド』。景気はどうだ?」

「…?あ、アルベルト大尉、マルセラ中尉!お疲れ様です!」

 

 遠くに鳴り響くエンジン音に紛れて気づかなかったのだろう、不意にかけられた声に振り向いた先には、『エスパーダ隊』の2人と、オーシア軍の制服を身につけた見慣れぬ男の姿があった。エスパーダ隊の2人はフライトジャケットを身に纏っており、肩越しにヘルメットを提げたその姿が、先の帰還直後であることを物語っている。

 座ったまま挨拶を返し、残る見知らぬ男に怪訝な視線を向ける他の3人。それをよそにカルロスは反射的に腰を上げ、顔知ったるエスパーダ隊の2人へと敬礼を行った。迷い無く、卓越した技量で敵を屠るエースパイロット――先日の『円卓』における空戦で助けて貰った縁もあり、そこに抱く羨望と敬意が、自ずとさせた敬礼だった。

 ぴしり、と音まで聞こえそうな、なかなか形になった礼。傭兵らしからぬその姿勢に、敬礼を受けた2人は思わず吹き出す。

 

「ふふっ、そんなに律儀に挨拶しなくてもいいのに。」

「っははは、まったくだ。同じ傭兵同士、階級は気にするなって。…にしても何だ、いやに陰気臭いな。折角の休暇なんだろ?」

「…そりゃあ陰気臭くもなりますよ。いくら俺らが傭兵だからって、できる仕事にゃ限度が…!」

「カークス。……いや、なんでもない、気にしないでくれアルベルト大尉。慣れないサピンの気候で皆疲れているのでな。」

 

 常とは異なる空気を察したらしいアルベルト大尉に、溜め込んだ鬱憤を抑えかねたカークス軍曹が吐き出すように感情を吐露する。

 ぴくり、と眉を動かし、探るような表情でカークス軍曹の横顔を伺うアルベルト大尉。しばし軍曹へ注がれた瞳が隊長へ、自分へ、フィオンへと移り、最後の一瞬に隣のマルセラ中尉、そしてオーシア軍の男と触れたのを、カルロスは見逃さなかった。

 

「ところでアンドリュー大尉、少しよろしいかしら。以前ニムロッド隊が遭遇した、白いミラージュの部隊についてお伺いしたいのですけれど。」

「…例の部隊か。俺でよければ構わんが…。」

「ありがとうございます。少し気になる情報もあるので、情報共有ということで。…ごめんなさい、あなたたちの隊長、ちょっと借りて行くわね。」

 

 白い『ミラージュ』。

 それが遡ること1ヶ月と少し前、サピンの空で交戦したベルカのエース部隊であることは、その特徴だけでも伺い知れた。結局あれ以来空で見えることは無く、ベルカ側の報道に登場することも少なかったが、ここへ来て再び前線へと出てきたのだろうか?

 機体性能の差も確かにあったが、それ以上に圧倒的なまでの技量の差を見せつけ、部隊を半壊に追い込んだその力は今も記憶に新しい。

 眼前を覆う小弾頭、穴だらけになり落ちていく軍曹の機体、背を刺すような殺気、そしてまばゆいばかりの白い機影。つかの間カルロスの記憶が想起するは、狩られる恐怖とエースの脅威を体現した、(やじり)のような4機の姿だった。

 

「ヴァイス隊、か。一度手合わせしてみたいもんだ。」

 

 吟じるように紡がれた、アルベルト大尉の声。記憶を追っていた視界が現実へと戻った時には、既に隊長は席を立ち、マルセラ中尉とともに場を離れるところだった。

 ちょっとこの席借りるぜ、とアルベルト大尉が座椅子に腰を下ろし、間に挟まった一呼吸。一瞬、空気が止まったような感覚を、カルロスは不意に感じた。

 

「…で。何があったんだ?」

「………。」

 

 カークス軍曹の目が、オーシア軍服の男にちらりと向かう。いくら同じ連合軍とはいえ、話してよいものか。不審を帯びた瞳は、無言のうちにそう語っていた。

 アルベルト大尉もそれに気づいたのだろう。ふ、と微かに息を漏らし、格納庫の壁に背を預けるその男を肩越しに指して、言葉を継ぐ。

 

「ああ、コイツは…まぁ、なんだ。俺のダチという所かな。なに、口も頭も堅い男だから安心してくれ。」

「…一言多いな、大尉。申し遅れた、私はオーシア国防空軍所属『ウィザード隊』指揮官のジョシュア・ブリストーだ。『ジャッジメント作戦』の折は世話になった。」

「ジャッジメント作戦の……?……あ。」

「あー、あの時合流してきたF/A-18C(ホーネット)のオジサン。ねーオジサン強いんでしょ、後で僕と模擬戦しましょーよ。」

 

 男の端正な顔に、ふ、と苦笑いが浮かぶ。無遠慮なフィオンに向けたその表情は思いの外に柔らかく、神経質そうな第一印象とは対照的なものだった。

 『ウィザード隊』、ジャッジメント作戦。そうだ、思い出した。ベルカが擁する超高層化学レーザー兵器『エクスキャリバー』破壊を目的としたジャッジメント作戦において、陽動作戦を演じた際のオーシア軍の共同部隊が、確かウィザード隊と名乗っていた。エクスキャリバーの遠距離攻撃を全て回避し、かつ連係攻撃を加えるベルカ戦闘機をエスパーダ隊とともに返り討ちにしたその技量は今も記憶に残っている。

 あの日以来、アルベルト大尉が時折軍服姿の男と話している姿を度々目にしていたが、それがこの人物――ジョシュア大尉だったのだろう。同階級とはいえ所属の垣根を感じさせない2人のやりとりは、その親交の篤さを伺わせた。

 

「…ま、そんな訳だ。これまで腐れ縁のよしみだ、相談くらいなら乗るぜ?どうしても言いたくないなら構わ…」

「民間人への空爆だ。」

「………!?」

「…ッ、カークス軍曹、駄目ですよ!作戦参加者以外に口外は禁止で…!」

「構うかよ、規約違反ってんなら、作戦目標について嘘をついたあちらさんが先だ。これで五分だろ?」

 

 アルベルト大尉の言葉を遮るように、カークス軍曹の口から零れた言葉。それは短くもぞっとするような冷たさを孕み、さながら短剣のような鋭さに感じられた。

 アルベルト大尉とジョシュア大尉の、息を呑む気配が伝わる。慌てて軍曹を制しかけた所に言葉を被せられ、カルロスは言い返せぬまま、口を噤まざるを得なかった。

 

 脚を揺らし、興味なさげに横目で眺めるフィオン。思わぬ展開に瞳を凍らせ、静かにカークス軍曹を見つめる両大尉。そのいずれも見ることなく、軍曹はコンクリートの床に目を落としながら、あの日のことを語り始めた。

 友軍にすら秘匿のうちに進められた作戦。傭兵と懲罰兵のみの編成に、出所不明の真っ黒な機体。軍事施設と知らされた爆撃目標が、実際は避難民テントだった事実。言葉が紡がれるごとに、周囲と心の冷たさが増してゆく。

 まるで確とした足下が徐々に揺らぎ、ついには波濤に砕ける岩のように崩れていく感覚。カルロスの心に兆した不安と不穏は、否応なく大きくなっていった。

 

******

 以下は、後年のことになる。

 

 この時より10年後の西暦2005年、ベルカ公国と周辺諸国の間に起こった一連の戦争――通称『ベルカ戦争』に関する資料が公表され、1995年6月1日に発生した『ホフヌング避難民テント空爆事件』の真相も同時に明らかとなった。

 

 全てはサピン上層部と、ベルカ国内の亡命を望む者たちによって起こされた策略だった。

 オーシア、ウスティオとともに連合国の一翼を担うサピン王国ではあったが、戦争初頭に受けた被害はウスティオに次いで大きく、従って反攻作戦後の軍再編にも手間取ることとなった。結果サピン軍は、有り余る物量を持つオーシア軍やエース部隊を擁し強力な突破力を発揮したウスティオ軍の支援に甘んじることとなり、ベルカ侵攻後の資源・技術・領地確保の面において両国に大きく遅れを取っていた。

 折しも連合国がホフヌングへの攻撃を計画していた頃、ホフヌングにもベルカに見切りを付け、連合国への亡命を望む技術者が存在していた。彼らの希望は亡命後の安全確保と相応の地位の保証であり、そのためには亡命する競争相手の少ない国が最もいい。当然の帰結として、その目は依然亡命者が少なく、かつ手頃な距離にあるサピンへと向き、ここに両者の思惑が一致した。

 

 無論、貴重な技術者の流出を、ベルカが易々と許すわけはない。ホフヌング市内はもとより、市街を離れた疎開先でも、護衛の名の下にベルカ軍の眼が光っていることは明白である。すなわち彼らの亡命を可能とするためには、それを欺く程の『一騒動』が必要という結論に至り…結果立案された作戦こそが、サピン単独による避難民テントへの空爆だった。

 当時、ホフヌング空爆の情報を受けたベルカ軍は、希望したホフヌング市民および技術者をホフヌング市郊外へと避難させ、少数ながら護衛部隊も随伴させていた。この際、サピンと取引を行った技術者も何食わぬ顔でその避難テントに潜り込み、攻撃開始と前後して接近していたサピン陸軍陣地へと駆け込む…というのがその筋書きである。

 そして実際に、それは過たず実行された。カルロス達が攻撃直前に目撃した『南方へ向けて離脱する車輌群』こそがその亡命者達であり、とある手土産を乗せたトレーラーに分乗してひたすらにサピン軍陣地を目指していたのである。

 当然、民間人の空爆を意図的に行い、それを隠れ蓑に亡命者を受け入れるなど、国際社会の理解を得られる訳は無い。それゆえにサピンの機密保持は徹底しており、カルロス達はこの当時、真相を知るよしも無かった。

 

 当時彼らが搭乗した出所不明のSu-22『フィッター』が元ベルカ所属の鹵獲機であり、作戦終了後には人知れず処分されていたこと。そしてこの時サピンが入手した『手土産』が、ADFX-01と呼ばれるベルカの試作機の一部だったことなどは、後年になって明らかになったことである。

 

******

「…俺らが知ってるのは、ここまでだ。」

 

 悄然とした結びの言葉で、カークス軍曹の一人語りが途切れる。息の詰まるような長い時間を経て最後に漏れたため息は、胸に溜め込んだ悪夢の残滓を吐き出す様にも見えた。

 立ち尽くす両大尉、しわぶき一つ上がらない静寂。各々が事態を嚥下する時間を埋めるかのように、5人の間を冷たい風が流れてゆく。

『醜い…。』静寂を破ったのは、ジョシュア大尉の吐き出すような言葉だった。

 

「オーシアもサピンも、どこも変わらない。結局は、醜いパイの奪い合い。…やはりこれが、世界の現実か。」

「あー…無理に聞いて悪かったな。……こっちから聞いておいて何だが、この件はあまり口外しない方がいい。まだこの戦争の帰趨も上の思惑も、どうなるか分からないからな。」

 

 『醜いパイの奪い合い』。戦後を見据えて、利権を得られるだけ得ようとする国々の動向をそう評したジョシュア大尉の横顔は、ぞっとする程に暗かった。誰へ向かうでもなく、地に落とされた瞳に宿っているのは、失望か、諦念か、それとも怨恨だったのか。冷たく静かな水面のようなジョシュア大尉の、その水面の下に宿るものを、その横顔から伺い知ることは出来なかった。

 

「へっ、分かってますって。なんだかんだで、あんたらに話したらちょっとは落ち着きましたしね。…ただまぁ、俺らは確かに金のためならなんでもする傭兵風情ですけど、それ以前に人だ。迷いもするし、やっちゃいけねぇことだって俺らなりにゃある。…筈、だったんすけどね。……あぁー、何、やって、ん、だ、か…っ」

「くっっっだらない。」

「…んだと?」

 

 冗談めかし、座椅子の背もたれに体を預けて思い切り背筋を伸ばすカークス軍曹。言葉の端に滲む諦念に幾ばくかの違和感を覚えつつも、傍目にはもういつも通りの様に戻っていた。

 ひとまずも場が落ち着いた。そう思った矢先に被せられた予想外の言葉に、カークス軍曹が思わず気色ばむ。声の主――フィオンがここまで感情を露わにするのは、少なくともカルロスには初めての光景だった。

 

「傭兵って自覚があるくせに、人としてどうとかうじうじ言って、迷って愚痴ってみっともない。なんか女々しいっていうか、このところおかしいですよ軍曹-。」

「……。…黙れ、…うるせぇ!お前に、何が分かるってんだ!!………俺は、俺はなっ…!!」

「やめろ、フィオン!軍曹も落ち着いて下さい!とにかく落ち着いて、座って!」

 

 年若ゆえの直線的な表現に、悩みを知らないフィオンらしい辛辣な言葉。心を突き刺すような鋭い声に、カークス軍曹が今までに見たことのない、睨むような眼を向ける。

 怒声、椅子を蹴る音、ぐ、と詰まったフィオンの声。激高しフィオンの胸ぐらを掴み上げたカークス軍曹を、カルロスは慌てて間に入り押しとどめた。顎に指をやり深沈と思いを巡らせるジョシュア大尉をよそに、アルベルト大尉もカークス軍曹の肩を押さえて、二人を引きはがそうと努めている。

 動悸を抑えかねたカークス軍曹の息が、煙草の匂いとともにカルロスの顔を突いた。

 

「ボウズの言う通りだ、二人とも落ち着け。特にお前はもう少し表現を考えろ。」

「けほ、けほ。だってぇ…。」

「……迷い、か…。」

「……?どうした、ジョシュア?」

 

 フィオンから引き離したカークス軍曹を、座椅子に投げるように座らせるアルベルト大尉。急に感情を昂ぶらせたためか、椅子に深く腰を下ろし荒く息をつく軍曹の隣で、指導を受けたフィオンは不承不承に口をすぼめて抗弁を登らせている。

 そんな時に、ぽつり、と浮かんだ一つの呟き。カルロスも、アルベルト大尉さえも怪訝な表情を向ける中、その声の主――ジョシュア大尉はその頬に微笑さえ履きながら、その言葉の先を紡ぎ出した。まるで謳うように、場の空気からぽっかりと浮いた真空のようなその呟きの『次』を。

 

「アルベルト大尉、君は空で咄嗟に迷うことはあるか?」

「俺か?……そうだな、若いときはあったと思うが…このところは無いな。…って、なんだよ、俺が単純ってか?」

「いや、そうではない。『迷い』とは、すなわち自分の中に確たるもの…行動規範や信念といったものが存在しない、あるいは不確立であるゆえに生じるものだ。特に空において、『迷い』は隙を生み、ひいては死に直結する。裏を返せば、空で生き残ってゆくためには、そのような信念といったものが不可欠ということだ。アルベルト大尉が迷わなくなったというのも、それが自ずと確立されたためだろう。」

「……。何言ってんだ、アンタ。要は、いついかなる場合でも自己正当化しろってか?お言葉だがな、今回の件についちゃ、俺はどう逆立ちしたって正当化できないね。」

「いや、自己正当化とはまた異なるものだ。事が起こってから理論を並べ立て、自己を肯定するためだけの行為など、もとより信念と呼ぶにはほど遠い。…そうだな、目的や理想と言い換えてもいいが、『何のために戦うのか』、『どのように生きるのか』という命題に対し、自らの中であらかじめ確立した明快な答え、とでも言うべきだろうか。」

「………信念、目的、理想ねぇ…。…あー、ダメだ、頭の良い人間の話し方は難しすぎて入って来ねぇ。」

 

 ぎしり。ジョシュア大尉の複雑な言い回しに音を上げたカークス軍曹が、お手上げとばかりに両手を挙げて、座椅子に深く背を投げ出す。錆の浮いたネジから響いた金属の軋みは、まるで『もう勘弁してくれ』という代弁のようにも聞こえた。

 

 理想、信念、戦いの目的、『何のために戦い』『どのように生きるか』。二人の問答の中に浮かんだ、改めて問われた命題に、カルロスは臓腑を掴まれた思いだった。その問いは、先日の戦闘で軍曹同様に迷いを抱き、そして今なおカルロスの中でも答えが得られていない問いだったためである。

 

 こう表現してはいささか子供っぽいが、自分は心のどこかで、この戦争を『悪のベルカ帝国に虐げられる近隣諸国を助ける、正義の戦い』とでも思っていた気がする。肝心の虐げられる国の人間でこそないものの、その『正義』を信じたからこそ、これまで迷うことなく戦ってこられたのではなかったか。

 ところが、この『カニバル作戦』において民間人への空爆を行ったことで、戦争の現実を知るとともにその思いは根底から崩れ、迷いが生じることになった。結局はベルカも連合諸国も変わらず、そこに正義だ悪だと感情的な価値観をくっつけた所でナンセンスでしかない。

 

『護るものがある男ってのは、やる時はやるもんだ。』

 

 脳裏に、声が蘇る。

 ウスティオ首都ディレクタス奪還作戦の支援として出撃した折、護衛対象だった爆撃隊隊長の最期の言葉。ベルカのエース部隊『ゲルプ隊』から攻撃を受けた彼は、傷ついた体で機体を最後まで操縦し続け、その命と引き替えに任務を達成したのだった。そこには躊躇いも、一瞬の迷いすらもない。

 純然たるサピンの軍人だった彼のように、その国で生まれ育った軍人ならば『愛国心』や『郷土愛』が、その戦う意義の一つになるのだろう。だが、その地に根を持たず、浮き草のように漂う傭兵ではもとより抱きようも無い。

 

 戦う意味。自分の信念。自らの生き様。戦いの場に出るようになってまだ2年程度、しかも実戦に臨んでからはまだ3ヶ月ほどしか経っていないカルロスにとって、それは手を伸ばしても掴むことも、まして全体を見ることすら叶わない茫漠としたものとしてしか捉えられない。人知れず、思いは深く沈んでいった。

 俺は、何のために、何を芯に戦えばいい?

 

「…ふむ、そうだ。信念、価値観という意味では参考になるかもしれないが、以前私の友人が話していたことがある。曰く、エースパイロットというのは、3種類に分けられるのだそうだ。」

「エース?」

「なんだよ、平パイロットの俺らにゃ関係ないじゃねえか。」

「まあ、そう言わないでくれ。あくまで彼はエースの分類と表現したが、私の所感では全てのパイロットに…いや、全ての人間にも通ずるように思う。傭兵として多くの空を舞った彼の経験にも裏打ちされているためだろうな。」

 

 エースの、信念。脳裏に深く沈んでいたカルロスの意識が、その言葉に応えるように現実へと引き戻る。

 無関心を隠そうとしない様子から一変して、エースという単語に興味を示すフィオン、うろんそうな眼を向けるカークス軍曹。そして真摯に、あるいはすがるように瞳を向けるカルロス。三者それぞれの視線を受けて、ジョシュア大尉は『友人』の受け売りというその中身を続けていった。

 

「一つは、『強さを求める者』だという。一般化するなら、強さを『力』や『金』、『権力』と言い換えてもいいだろう。一つの価値基準のみを追い求め、それを得てなお先へと進む。その強靱で頑なな信念には、時に一心な純粋さすら感じさせる。私がこれまで見た限り、君たちのような傭兵にこのタイプが多いように思う。」

「傭兵ねぇ…。ま、確かに俺も金は欲しいけどよ。死ぬほど強いっていうウスティオの傭兵とやらもそうなのかねぇ。」

「さて、そこまでは私も分からないが…ただ、この信条を持つ傭兵からエースとなりうるのは、ほんの一握りだったように思う。たいていの人物は、得た力や強さ、金を『欲を満たす』ために用い、それゆえに曲がり、やがて自滅してゆく。この信条をエースたるに相応しい確固たるものにまで昇華するには、得られたモノ自体には拘泥しない、一心な純粋さが必要なのだろう。」

 

 一つ目は、いわば『傭兵』たる価値観…という表現でいいのだろうか。

 確かに、金を稼ぐことは自分にとって重きをおく価値観の一つであり、その先には故郷に住まう家族を思ってのことがある。得られた金そのもので自分がどうこうする、という点からは免れており、その点では大尉の言う『純粋さ』もあると言っていいのかもしれない。

 …が、それを自分にとっての戦う意味にまで昇華できるかと言われれば、少なくとも現時点ではそうとは言いがたい。例えば、多額の報酬と引き替えに、今回のような卑劣な作戦を命ぜられた場合、自分は本当にそれを肯定できるのか。自信は、ない。

 加えて、強さを求めるという点でも、果たして自分に当てはまるかどうか。確かに空における強さは求めており、それゆえに隊長による演習や自主トレーニングにも身を入れてはいるのだが、それはあくまで『生き残るために必要な最低限のライン』を目指しているといった方が正しい。

 例えば、隊のエースであるフィオンや両大尉、ベルカのエース級を目指すとなると、現実味に乏しかった。

 

「二つ目は、プライドを抱く者…いや、『プライドに生きる者』、だったかな。これについては読んでそのままに、自ら定めたルールや理想に従い、それを価値観の最上に置く者、と言っていいだろう。その信念に違うものならば、たとえ命令であろうと撥ね付ける剛毅さと硬骨さが求められる。…このタイプは、言うなれば『騎士』という所か。時代遅れな、場合によっては滑稽とすら言えるその『誇り』を頑なに護ることで、古の騎士の姿は今なお純然な輝かしさと魅力を保っている。けして曲げない信念という点で、通じるものはあるだろう。」

 

 二つ目は、プライドに生きる『騎士』。

 カルロスにとっては意外な見方だったが、顧みると自分にはどう見ても当てはまらない。そもそも自らのルールを確立する余裕すらなかったので、当然と言えば当然なのかもしれないが…どうあがいてでも、無様な飛行をしてでも生き残ってきた自分には、どうにもそぐわなかった。

 

「最後は、『戦況を読める者』。これも、先を読める、臨機応変に対応できると言い換えれば一般化できるだろう。思うに、このタイプは『軍人』に多いように思う。他の2つと異なり、軍人は作戦という基準から逸れずに行動することが求められる。基準から軸足を離さず自らの職掌範囲で戦うには、状況を読み調整する力が不可欠だ。おそらく、そのような背景から軍人に多いのだろう。」

「ふーん、ニムロッド隊(こいつら)の隊長が近いかもな。」

 

 最後は、大尉曰く『軍人』。

 言われてみれば、確かにアンドリュー隊長はこのタイプに当てはまる気がする。任務の達成を第一とし、次々と起こる不測の事態にも臨機応変に対応するその姿は、カルロスにとって目標とすべき理想の姿でもあった。

 ただ、これについては信念というより『戦い方』という側面が強いようにも思える。おそらく、隊長もこれを以て『信念』としている訳では無いのだろう。

 …隊長の、信念。不意に、それが気になった。隊長は、何を思って戦っているのだろう。

 

「友人の受け売りは以上だが…何も、今すぐに確立しろとも、無理矢理に3つのいずれかに分類しろとも言わない。思いは人それぞれ、これらの中間の者もいれば、全く異なる価値観に信念を見いだす者もいる。…空は広く、時は多い。焦らず、自らの『理想』を見つけることだ。」

 

 神経質そうな印象にそぐわない、堂々とした長口舌。どこか眩しそうに遠くを見るような眼で、ジョシュア大尉は言葉を締めくくった。

 迷いに沈む男達の心に、一石を投じた大尉の言葉。それぞれなりにその言葉を咀嚼しているのだろう、3人はいずれも、身じろぎ一つなく押し黙っていた。

 

「まぁジョシュアも言った通り、今焦って見つける必要もないさ。どうせまだ先は長いんだ、気楽に……お?」

 

 沈黙に耐えかねたのか、アルベルト大尉が言葉を次いだ矢先、その頭にぽつり、と水滴が落ちた。

 空を見上げれば、薄曇りだった空は黒みを帯び、遠くからは地の底から響くような唸りも聞こえてくる。不規則な音が断続的に落ちる様は、それがジェットエンジンの轟音でなく、発達する雨雲の中に生じた雷鳴だと告げていた。

 

「こりゃマズいな。ジョシュア、そろそろ行こう。」

「ああ…そうだな。少々激しそうだ。」

「あ…ジョシュア大尉、アルベルト大尉、ありがとうございました。…その、なんて言えばいいかまだ頭が纏まっていませんけど、……俺も、俺なりに考えてみます。もう、迷わないように。」

「だな、なんにせよいい機会になったぜ。特にジョシュア大尉(あんた)とはまた話したいもんだ。」

「おっつでーす。」

「………ボウズ、お前な。」

 

 来る雨から逃れんと踵を返しかけた二人へ、思わず腰を上げたカルロスは、我知らず自らの思いを紡いでいた。

 戦いに向かう意義、自らを支える信念。いずれも今の自分にはまだ見つけられないものだが、今日の会話を経て、その命題に対する意識が確かに芽生えたのを感じる。

 迷い無く戦い抜くために。そして自分自身を、余さず肯定するために。新たな意識の息吹を胸に、カルロスは敬礼を以て二人を見送った。

 

 新たな思いに囚われていたためであろう、カークス軍曹の言葉に対して一瞬ジョシュア大尉の瞳に宿った光は、カルロスの意識には入らなかった。まして、黒みを帯びて宵闇のようになった影で、この直後に二人が何事かを話していることなどは、ついぞ気づくこともなかった。

 

 ぽつり、ぽつり。アスファルトを打つ雨滴が徐々に多くなり、空を割く轟音がだんだんと近づいてきている。

 雷雨が、訪れようとしていた。

 


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