Ace Combat side story of ZERO - Skies of seamless - 作:びわ之樹
焔が、また一つ上がった。
すれ違いざまに放たれたミサイルを正面から受け、黒一色に彩られた大型の機体が爆炎に包まれてゆく。鋭角的なシルエットのそれが右主翼を空に散らし、その身の黒を赤に染めながら地へと墜ちてゆく様は、さながら燃え尽きてゆく流星のようにも見えた。
禿鷹がごとく後背を付け狙う黒い2機が、『黒』を仕留めた主――両翼端を青く塗装したF-15C『イーグル』を狙い、幾筋ものミサイルを浴びせかける。
加速、フレア射出、そしてシザース機動。小刻みな蛇行と赤外線探知を欺瞞する小火球で飛来するミサイルを煙に巻きながら、青翼のイーグルは速度を速め、迫る2機を引き離してゆく。
背を追う2機は、しかし速い。『加速』で勝負を仕掛けた獲物をあざ笑うかのように、引き離された距離を瞬く間に追い詰め、禿鷹の眼はあっという間に逃げるその機体を捉えた。
左旋回、速度の減衰、狙うべき好機。黒の2機が、ミサイルの照準を示すダイヤモンドマーカーにその翼を捉えた、まさにその刹那。2機の正面に突如現れた別の機体が、眼前を逃げる機体とすれ違って相対し、猛禽の翼のような主翼を背景の青に映えさせる。
いや、突如現れたというより、その機体のいる空域に黒の2機が誘い込まれた、と言うべきだろうか。僚機を落とされた上、逃げ惑う敵を目の前にしたためだったのだろう。追撃に専心するあまり、思わずして真正面に現れた1機――片翼を紅く染めたF-15Cの姿に、彼らは驚愕したかのように一瞬機動が鈍った。
そして、その驚愕が、ほんの一瞬のタイムラグを生じさせた。『片翼』によって正面から放たれたミサイルは、先頭の1機に吸い込まれるように命中し、機首を破砕。間近に爆炎を浴びた残る1機が抜け出る頃には、逃げていた『青翼』は爆炎に紛れて急減速し、オーバーシュートを誘発して『黒』の後方に占位していた。
躯を捩って逃げる禿鷹へ注がれる、レーダー波という名の鷲の凝視。それが、その眼のように鋭いミサイルへと変じた一瞬後、最後の1機は四散して、黒い翼を空に散らした。
時間にして5分にも満たない、ごくごく短い戦闘。たったそれだけの間、しかも長時間の戦闘を終えた後だというのに、彼らは『ゲルプ隊』に匹敵する連携を以て、数に勝るベルカのエース部隊を無傷で退けて見せた。
『ガルム隊』――ウスティオが誇る、今や文字通り飛ぶ鳥も叩き落とす傭兵部隊。かつて何度か戦場ですれ違ったことこそあれ、その実力の程をこの眼で見たのは今回が初めてである。ベルカのエース部隊『ロト隊』『ゲルプ隊』の撃破にフトゥーロ運河におけるベルカ主力艦隊旗艦の撃沈、そして先日のジャッジメント作戦におけるエクスキャリバーの破壊。噂でしか耳にしていなかったその赫々たる戦果も、こうしてその手並みを直に見れば、納得できる――せざるを得ないというものだろう。
それほどまでに、彼らの力は圧倒的だった。
《………。》
《化け物かよ、あいつら……。》
「……鬼神、か…。」
隊随一の技量を誇るニムロッド2――フィオンも、最早声が無い。カークス軍曹が呆然とした声を上げる中、カルロスは先ほどちらりと通信に紛れ込んだ単語を、知らず口にしていた。
立ちはだかるもの全てを破壊し焼き尽くす、人知の及ばない化け物――否、鬼神。その言葉ほど、この光景に相応しい表現は見つからない。
5月28日15時30分、ベルカ公国とウスティオ共和国の国境に位置する山岳地帯、通称『円卓』上空。
傾きかけた太陽を背に、地に墜ちた数多の黒煙たなびく空を、円卓の鬼神が舞っていた。
《こちらウスティオ空軍空中管制機『イーグルアイ』。円卓における制空任務を完了した。サピン空軍機へ、以降の制空権維持を頼む》
《こちらサピン空軍空中管制機『デル・タウロ』、了解した。貴軍の奮起に感謝する。後で上等のワインをお送りする。英雄達にもよろしく伝えておいてくれ》
聞き覚えのある『イーグルアイ』管制官の声とともに、戦域を舞っていたウスティオ軍機が南へと針路を取り帰路に就く。先頭を飛ぶ例の『鬼神』に導かれ、眼下を飛び去っていくいくつもの翼。あれだけの戦闘を終えた後だというのに、その飛び方には些かの乱れも見られなかった。
《『デル・タウロ』より各機へ、戦域にベルカ軍機侵入。方位300、機数15。空中給油機と思しき大型機も随伴している。各機、迎撃せよ》
《『エスパーダ1』了解。ホズ隊、ニムロッド隊、続け》
《『ホズ1』了解、お手柔らかに頼みます》
《『ニムロッド1』了解した。全機、行くぞ》
遙か北西の空に姿を見せる敵の存在を、空中管制機の優れた眼が瞬時に捉える。空中給油機も随伴している辺り、おそらくは先の戦闘の最中に遠方の基地から援軍として長駆してきたのだろう。多くの戦力を失ってなお、空中給油機を随伴させてまでこちらを上回る機数を派遣してきたことからも、『円卓』を渡すまいとするベルカの意地が垣間見えた。
そして裏を返せば、それはベルカにおける『円卓』の重要性を示す証左とも言える。豊富な埋蔵資源、各国国境を扼する立地という実利。そしてそれ以上に、ここから先はベルカ領だ、と無言の内に物語る峻厳な山肌を始めとした、強大なベルカの象徴を示す精神的なシンボルとしての意味。その空に『敵国』の翼があることは、彼らにとって耐えがたいものだったのだろう。
管制官の指示に従って、サピンの国旗を刻んだ翼が円卓の空を駆けてゆく。
先頭を行くは、鮮血のような赤と稲妻のような黄の帯で彩られた『エスパーダ1』ことアルベルト大尉が駆るJ35J『ドラケン』。そのすぐ左後方には、翼を紅く染めた『エスパーダ2』マルセラ中尉の『ラファールM』が
2機編成のエスパーダ隊に続くのは、4機のF/A-18C『ホーネット』で構成されたサピンの正規軍である『ホズ隊』。カルロスの属するニムロッド隊はその後方に位置し、アンドリュー隊長のMiG-27M『フロッガーJ』と3機のMiG-23MLD『フロッガーK』で編成された4機が編隊の最後方を護るという布陣だった。
ごん、という音とともに増槽が投棄され、機体の速度が上がってゆく。カルロスは投棄完了を認めた後、装備の安全装置を解除して、迫りつつある敵に備えた。
今回の戦闘は長丁場が予想されるため、武装はMiG-23の搭載量を活かした重武装仕様となっている。5つあるフロッガーKのハードポイントのうち機体下部のものには増槽が、残り4カ所にはそれぞれ二連装発射レールに懸架した
《こちらエスパーダ2、敵編隊を確認。編成はMiG-31が1機、MiG-29Aが8機、MiG-21bisが4機…空中給油機と護衛1機は後方に退避したようね》
《エスパーダ1より2、こちらも確認した。MiG-31はおそらく前線航空管制だろう。ニムロッド隊、MiG-31を頼む。ホズ隊はこのまま我が隊に追従し、敵の取り巻きを相手する。》
《こちらニムロッド1、了解した。背中は頼む》
いち早く敵を捕捉したのは、最新鋭機ラファールMを駆るマルセラ中尉だった。やや遅れてアルベルト大尉も確認したのだろう、瞬時に敵情を分析し、各隊へと判断を下してゆく。
正面、距離3200ほどに機影12。高度は概ねこちらと同程度だが、別に1機だけ、高高度に浮かぶ機影が確認できる。アルベルト大尉の言を考えれば、あれがおそらく前線指揮を担っているMiG-31『フォックスハウンド』であろう。
純粋な迎撃機として開発されたMiG-31は、侵入してくる敵機を確実に捕捉・排除できるよう、高度な情報リンクシステムと高性能なレーダーを備えている。そして、本来は地上のレーダー誘導や早期警戒機との連携のために装備されたそれらは、緊急時には航空管制をも可能にせしめる。最重要空域を奪取され、空中管制機を出撃させる間もなかったベルカ軍にとっては、この場合にうってつけの機体だったと言えるだろう。
そして裏を返せば、あのMiG-31こそが敵の要に他ならない。早期に排除できれば、戦闘を有利に進められる筈だ。
燃料を送られたエンジンが唸りを上げ、徐々にその速度と高度を高めてゆく。一際高まる轟音と振動、後ろへと体を押し付ける強烈なG。遥か斜め上へと鼻先を向けた4機の『フロッガー』の足元を、『エスパーダ1』に率いられた編隊が放たれた矢のように向かっていくのが眼下に見えた。
距離、およそ3000。高度差があるためか、MiG-31との距離は容易に縮まらない。SAAMならば捉えられなくもない距離だが、MiG-31の速度ならば発射と同時に加速して振り切ってしまうだろう。話にしか聞いたことは無いが、俗に直線番長と渾名されるその加速性能は本物なのだという。敵機もそれは十分に把握しているのだろう、敢えて加速して距離を取らず、つかず離れずの位置で空域を周回している。こちらが青息吐息で高度を稼げば、敵はその分ゆったり離れ、けして射程内に近づかない。したたかな手並みに舌を巻く反面、苛立ちは徐々に募っていく。
それを割いたのは、唐突に鳴った警報だった。
《すまんニムロッド隊、2機抜けた!警戒を!》
《ちっ、いい誘導してやがる。各機ブレイク!》
上空のMiG-31が指示を下しているのだろう、眼下の空域では機数に勝るベルカ軍機がエスパーダ隊を付かず離れず抑えながら、残った機数をこちらへと振り向けつつある。
《どうします、これじゃ上の奴に手が出せませんぜ》
《止むを得んな。俺とニムロッド2で敵を足止めする。ニムロッド3、4、上空のMiG-31は頼む。慎重にな》
《了解!任せて下さいよ》
《はーい。さっきの『ガルム』に比べたらこのくらい楽勝です》
「了解しました、ニムロッド3に従います!」
蒼天を悠々と飛ぶMiG-31を睨みつけるも一瞬、隊長が下した決断は部隊の二分だった。
とどのつまりは、あのMiG-31さえ撃墜してしまえば空域のミリタリーバランスは一気にこちらに傾くのである。ならば、攻撃隊そのものの数を減らしてでも、攻撃を確実なものとするべし。目的に置いた軸足をけして離さない隊長の指示に、カルロスもまた一つ学んだ思いだった。
散会、反転。隊長とフィオンがそれぞれ盾となるべく、旋回して迫る敵機へ照準を定めてゆく。上昇するこちらの後方には、エスパーダ隊の攻撃を切り抜けて迫りつつあるMiG-29Aが2機、さらに先程のMiG-21bisも再反転しつつある。
ミサイルの矢が飛び交い、短い機銃の光軸とエンジン音が交錯する。数秒にも満たない短いコンタクトの中で、MiG-21bisが1機、煙を噴いて爆発、四散。円卓の空に、また一つ魂を散らしていった。
《ナハトファルターよりホルニッセ5、連合軍機が2機抜けた。追撃せよ。リベレ4はホルニッセ6と連携し迎撃に当たれ》
《…!?何だ、敵の通信か!?》
「…!軍曹、『ファルクラム』が1機追ってきます!…くそっ、速い…!」
ざ、ざ、と不意に無線が揺れるや、聞き覚えの無い声がカルロスらの耳に届く。思わずカークス軍曹が困惑の声を上げるのを耳にしながら、カルロスは先ほどの隊長らの攻撃を躱したベルカ軍機が1機、こちらを指向しつつあるのを後方警戒ミラーに認めた。
椀のように高い山脈が周囲を覆う地形ゆえか、はたまた地下資源が持つ強力な磁気の影響か、『円卓』はベルカ周辺空域の中でも特に無線の混線が生じやすい場所とされている。先の通信もおそらくベルカ機のものの混線であり、後方の敵機が無線誘導を受けたものであることを如実に物語っていた。
こちらは第3世代機、対してMiG-29A『ファルクラム』は格闘戦に秀でた第4世代機。機体そのものの性能差に加えて、エンジンを1基しか搭載しないフロッガーKに対し、双発のファルクラムでは上昇力にも当然差がある。現在の戦況や位置関係を省みれば、フロッガーKでは成す術もない。
ヴー。敵機との距離が見る見る縮まり、ロックオン警報がコクピットを満たし始める。加速性能は先代のMiG-21bisを上回っていても、やはりMiG-29相手では振り払うことは難しい。かといって追撃を断念し旋回しようにも、その隙に落ちる速度を突かれて瞬時に捕捉、撃破されかねない。
どうする。
《くそ、やっぱり敵の管制機は厄介だな…!カルロス、一旦バラけて…》
《ニムロッド3、そのまま行け!足止めは任せろと言ったろ!》
割って入る、力強い意志の籠った言葉。翼を翻すべく握っていたスロットルを、カルロスはその言葉とともに、すんでの所で握り直した。
隊長。
湧き上がる安堵を噛みしめるように口中で呟く。背後をアンドリュー隊長に脅かされた為だろう、後方警戒ミラーの中ではこちらを追っていたファルクラムが翼を翻し、追いすがるミサイルを振り切る所だった。
《こちらホルニッセ5、敵の追撃が厳しい。護衛は困難だ》
《…アンドリュー隊長!助かった、マジ愛してますぜ!》
《バカ言ってないで早く仕留めろ。こっちも下も限界だ》
間に入ったベルカの通信の中に、同じく安堵の混じったカークス軍曹の声と、ぴしゃりと空気を締める隊長の声が飛び交う。
眼下の空域では両軍の戦闘機が飛び交う混戦模様を呈し、絶えず飛び交うミサイルや機銃の火線、爆ぜる黒煙がその激しさを物語る。殊に主導権を握られ機数でも劣勢を強いられるサピン側は、あたかも投げ網の中で輪を描いて泳ぐ小魚のように絶えず包囲の危険を孕んでいる。エスパーダ隊が持ち前の突破力で包囲を破り、追従するホズ隊の退路を確保することでなんとか凌いではいるものの、ホズ隊は既に2機を失っていた。
長くは放置できない。ぎり、と奥歯を噛みしめて、カルロスは機体をシャンデル機動の要領で反転させる。
一際高まる轟音の中で一瞬目に映える、抜けるような蒼空。同時に、背を引っ張るようなGに苛まれる体が、旋回の頂点で一瞬解き放たれる。ほんの数瞬の解放感は、天地が元に戻ると同時に、懐かしい下向きの物へと変わっていった。
時間にして戦闘開始からほんの数分、それでいて神経が磨り減るように感じた長い時間。やっと、捕まえた。
水平となった2機のフロッガーKの前方、距離およそ1500。目指す敵の翼が、ついに同高度に捉えられた。
「やっと尻尾を捕まえた…!もう逃がすもんか!」
《追いかけっこじゃ敵わねぇ。カルロス、SAAMを使うぞ!》
「了解です!」
兵装選択と同時にキャノピーに表示されるサークルへ、カルロスは意識を集中させる。レーダー誘導範囲を示すそのサークルと絶えず動く敵のマーカーが、わずかな機動や気流の揺らぎで掠り、離れ、逃げおおせんとする敵の意志そのままに射線を外し続ける。
逃がさない。逃がして、たまるか。今は隊長やアルベルト大尉にこの場を任されたのだ。絶対に、応えて見せる。歯を食いしばりながら、カルロスはヨーを駆使し、懸命に機体を追従させ…サークルとマーカーが交錯する、一瞬の刻を捉えた。
ロックオン。びいぃ、と電子音がコクピットを揺らした、刹那。
《…てえぇ!!》
「……!!」
カークス軍曹の発破とともに、ごん、と翼下からSAAMが放たれる。重力の虜になったそれは、一拍後には炎の尾を曳き、母機から放たれるレーダー波に乗りながら背を向けるMiG-31を追尾し始めた。
だが。
「……速い…!?」
ミサイルの発射を認めた直後、MiG-31はエンジンをフル回転させたのだろう、一気に加速した。元来高速性能を追求して設計された機体であるだけにその加速は速く、追尾するSAAMすらも瞬く間に引き離してゆく。このままでは、命中する前にSAAMが飛行能力を失うのは明白だった。
「くっ…!逃がすか!」
《カルロス待て!追うな!》
「えっ…!?で、ですけどこのままじゃ…!」
このままでは、みすみす逃がしてしまう。焦りのままにスロットルレバーを倒しかけたカルロスの手は、咄嗟にかけられたカークス軍曹の言葉でぴくりと止まった。だが、何故。納得できない思いは抗弁の言葉となり、矢継ぎ早に軍曹へと向かう。早くしないと、このままではSAAMの射程外にまで逃げ切られてしまうというのに。
《落ち着け。あいつは下の連中を指揮する管制機なんだろ?なら、奴らからそう離れる筈はない。すぐにここいらに戻ってくる筈だ。》
「…!そうか、なるほど…!」
《で、指揮には当然俺らは邪魔な訳だが、下の連中はエスパーダ隊達の相手で手一杯。かといって
「…『ヘッドオン』!」
《ご名答だ。脚が魅力のああいう手合いは、追いかけるよりこっちに引きつけろってな。これナンパの基本だぜ?…さて、ヤツの鼻先を押さえるぞ!カルロス、俺の真後ろに就け!》
帰ってくる軍曹の落ち着いた判断に、思わず漏れる感嘆の声。すなわち、不発を承知でSAAMを放ったのも、全てはこの作戦の為だったのだ。
回避行動を強い、こちらを攻撃せざるを得ない状況を作り出して、引きつけた所を至近距離から撃つ。速度で勝る一方で旋回性能や機動性に劣る敵の特性と管制機という役割を加味したその戦術は、場数の少ないカルロスには到底思いつかないものだっただろう。また、一つ勉強になった。
軍曹の言葉を受けたかのように、射程外まで退避したMiG-31は旋回して、再びこの空域へと機首を向けつつある。カルロスはロールとヨーを駆使し、指示通りにカークス軍曹機の真後ろへと乗機を位置づけた。眼前のカークス機の気流をもろに受け、機体に生じる振動がスロットルを介して自分へも伝わってくる。
その振動の中に、カルロスは自らの内奥から生じる武者震いを感じていた。
音速をとうに超えている敵機との相対速度は流石に速く、HUDに示される相対距離はみるみる詰まってゆく。距離2000、1600、1200、1000。見る間に減ってゆく数字はあっという間に3桁を指し、その命の距離の狭まりを無言に物語っている。
距離900、ロックオン警報。眼前のカークス軍曹機からAAMが放たれると同時に、警報がミサイルアラートとなって耳朶を打つ。
目の前に無数の火球が生じる。
被弾。違う、軍曹のフレアディスペンサー。
軍曹の『フロッガーK』がロールで鼻先を転じ、そのすぐ脇を真正面からのミサイルが抜けてゆく。
眼前。距離500、敵。
鉄の塊が瞬く間に視界を覆う。
速い。狙いが定まらない。
ぶつかる。
大柄の機体とすれ違う刹那を、カルロスはまるでスローモーションのように瞳に捉えていた。
「くっ………!………!?」
轟音が遠のく、一瞬の虚。無意識にスロットルを引いていたのだろう、は、と我に返り頭を振ったその先には、左斜めに傾いた『円卓』の空が広がっていた。
《よーし上出来だカルロス!なかなか上手いじゃないか。共同撃墜1だな。》
「へ…あ、当たった…!…ありがとうございます、軍曹のお蔭です!」
そうだ、あのMiG-31は。軍曹の通信に我に返り、カルロスは後方を振り返る。そこには、黒煙を噴いて円卓の地へと墜ちゆくMiG-31の姿があった。すれ違う瞬間に放った機銃がコクピットに命中したのだろう、機体の周囲を舞うパラシュートが1つしかないことが、その事実を物語っていた。
《ナハトファルターが墜ちた!》
《くそ、頼みの綱が…!…っ!ちっ、ホルニッセ4被弾、脱出する!》
《いいぞ、敵の足並みが乱れてきた。ホズ、ニムロッド各機、反撃だ!》
狼狽した敵の混線が無線から漏れ聞こえ、その動揺を物語る。眼下の空域では明らかにベルカ軍が浮き足立ち、統制を欠いた隙を突くようにサピン軍機が包囲を突破。先頭を飛ぶエスパーダ隊の2機が、瞬く間に各1機を炎に染め上げた。
これでこちらは8機に対しベルカ軍機は9機と機数はほぼ互角、加えて敵にはもう指揮官はいない。彼我の士気の差を踏まえれば、残る掃討戦も支障は無いだろう。
その予断は、西方よりの烈風に、脆くも煽られた。
《ホズ1、1機撃墜》
《こちらデル・タウロ、敵脅威は順調に低下。あと一息だ。……いや、待て。方位280より新たに機影5。速いぞ…!各機、警戒せよ》
《今頃援軍だと?どこのどいつだ》
さらに1機が黒煙に包まれ、円卓へと墜ちていく。カルロスが目を走らせたその先の空、西方の彼方に、『それ』は現れた。
雁行隊形で戦域へと侵入する、5機の戦闘機。うち両翼の4機は、角張った主翼に小柄なボディが特徴的な軽戦闘機、F-16C『ファイティング・ファルコン』だと伺い知れる。そして先頭を飛ぶ1機は、大柄のボディに先の跳ねた後退翼を持つ、カルロス本人も何度か目にしたことのある大型戦闘機、F-4E『ファントムⅡ』と見えた。機種だけで判断すれば、ベルカ軍においてはごくごく一般的な部隊といっていい。
しかしそれでいて、その編隊はたった5機とは思えぬ『圧』を纏っていた。他の部隊とは一線を画するその速度か、銀色地に黒の縞という揃いのゼブラカラーに染め抜いた塗装ゆえか、それともエースが持つ特有のプレッシャーゆえか。その『圧』は、サピン側へと傾いた戦局の秤を、再び水平に戻すに十分な程に強い。
あれは――。
《前線が後退しています》
《奴らは速い。ついていけ。私の最後の授業だ》
《了解、ボス》
無線に一瞬混じった、壮年特有の低い響きを持つ男の声。あのファントムⅡを駆る指揮官の声だったのだろうか、無線が途切れると同時に、敵編隊は放射状に散会。4機のF-16Cがそれぞれに襲いかかるとともに、F-4Eは上空を指して一気に加速し、カルロスとカークスへと肉薄した。
《クソ、こっちが狙いか!カルロス、さっきと同じ手で行くぞ!旧式のファントムならMiG-31相手よりチョロい!》
「了解、後ろに就きます!」
F-4Eと比べれば、加速性能や機動性の点でMiG-23MLD『フロッガーK』に分がある。性能で勝るこちらに対しヘッドオンで迫るファントムⅡへ、先ほどと同様に正面からの同時攻撃で応じるべく、2機のフロッガーKは鼻先を向けた。
フレアの装備、残弾数、そして性能。いずれで見ても封殺は疑いない状況。二人は撃墜の確信とともに敵を正面へと捉え…そして次の瞬間、驚愕し、実感した。
この世には、機体の性能をもカバーしうる類い希な人間――エースパイロットが存在するということを。
《――馬鹿なっ…!?》
「速い…!?うわあっ!」
フレアと同時に放たれた二筋のAAMを、そのファントムは最小限のロールで回避。フレアに惑わされることなくそれは直進し、慌てて回避するカークス機へと肉薄しつつ、すれ違いざまに機銃を放った。
この間、僅かに数秒。その間に、カークス機はエンジン付近に被弾し、カルロス機は機首にいくつも弾痕を刻まれていた。もう数cmずれていれば、今度はカルロス本人が先のMiG-31と同じ目に遭っていただろう。
只のファントム、只のパイロットではない。今更ながらに吹き出した冷や汗を拭う間もなく、カルロスは急いで先の機影を目で追う。こちらの戦力を奪ったと判断したのだろう、そのファントムⅡは急降下し、下方の戦域へと乱入する所だった。重力加速度を考慮しても、その速度は旧式とは思えないほどに速い。
「あのファントム、中身は別物か!何だ、あのスピード…!」
《カルロス悪い、エンジンに喰らったらしい。こっちはいい、下の奴らに加わってやれ》
「了解しました!…くそ、このままやらせるか…!」
黒煙を吹くカークス機を残し、カルロスは翼を翻して下方の空域へと機体を降下させる。高度差1300、雲は無く敵も地面もよく見渡せる。
ファントムが向かった先で、戦闘機が1機炎に包まれ、褐色の地面へと墜ちていった。
******
《くっ!ホズ1イジェクト!》
《いいぞ!流石銀色の狗鷲、戦況を立て直した!》
サピン空軍のF/A-18Cが炎を噴いて墜ちてゆく。
思わぬエース部隊の乱入に気を押されたのだろう、統制を欠いていたベルカ軍機に再び精彩が戻り、戦況は再び五分へと押し戻されつつあった。
《あれが噂の『銀色の狗鷲』ディトリッヒ・ケラーマン…。手強そうね》
《機体のこだわりといい親近感を覚えるねぇ。エスパーダ2、手を貸してくれ。まずは場を押し戻さないとな》
《エスパーダ2了解。背中は任せて》
燃え立つような赤に染めたJ35J『ドラケン』を駆る『エスパーダ1』――アルベルトの目はしばし探るように、戦場を疾駆する5機の『銀』が追った。
各自散会して戦っているように見えて、互いの位置をよく把握し、自ずと互いを支援する飛び方をしている。これが、噂に聞いていたベルカの元トップエース、『銀色の狗鷲』ことケラーマンの戦い方か。
これだから、空はいい。遠く異国のパイロットと、互いに競い飛ぶことができる。
僚機エスパーダ2を後方に侍らせながら、アルベルトはスロットルを引き戦場を俯瞰した。――いた。狙いは、まずはゼブラカラーのF-16C。押され気味の戦況を立て直すには、エース部隊の一角を崩すのが手っ取り早い。
《エスパーダ2、フォーメーションD》
《了解》
スロットルを引き、背面飛行から下降しつつフットレバーを踏み込んで加速をかける。狙いは、ニムロッド隊のフロッガーJを追う1機。敵機の斜め後方から急速に接近する傍ら、エスパーダ2が駆るラファールMは左旋回に入り、縦方向に機動するアルベルトとは対照的に横方向の機動で戦場を俯瞰に入った。
接近するこちらを察知したのだろう、F-16Cは追尾を止め、その機動性を活かした小回りの回避行動へと移行する。無論、性能では劣るものの、こちらも低速域の機動性なら負けてはいない。速度を絞り、ドラケンの機動性をフルに活かしながら、機銃でその鼻先を牽制し、徐々に低空へと追い込んでゆく。ターンの回数が増え、同一方向へ旋回する時間が徐々に短くなって来た所に、そのパイロットの苛立ちが感じられた。
そろそろ、か。上空へ目を走らせるアルベルトの目に、こちらの左後方から接近する機影がちらりと映った。
やはり来た、別のゼブラカラーのF-16C。先ほどからの戦い方を見る限り、彼らは互いを支援しあうチームプレイを徹底している。当然窮地の僚機を見逃す筈はなく、同時にこちらが僚機のエスパーダ2を使って罠を張っていることも読んだに違いない。それを証明するかのように、後方から接近するF-16Cは速度を緩めず、こちらへとまっすぐに向かってきている。おそらく、エスパーダ2の追尾を振り切る速度で一撃離脱をかけ、撃墜よりも攻撃の断念を念頭とした戦術だろう。――読み通り、だ。
互いに呼応しているのだろう、眼前を飛ぶF-16Cが、左旋回しながら誘うように機動を緩める。後方のF-16Cは速度を緩めぬまま、こちらを追尾する。その後方を追うエスパーダ2のラファールMは速度を上げ、必死に追いすがるような気配を見せた。
左旋回。同時に鳴るロックオン警報。回避か、やぶれかぶれの攻撃か、――否。
《…何っ!?》
通信を揺らしたのは、後方のパイロットの動揺だった。
その瞬間、アルベルトは旋回と同時に失速寸前まで急減速。低速域でも揚力を得やすいダブルデルタ翼の強みを活かして、後方のF-16Cのオーバーシュートを誘った。同時に、後方から猛追していたエスパーダ2のラファールMは二人を追い越し、加速した速度そのままにアルベルトが捕捉していた前のF-16Cをロックオン。互いの目標を瞬時に入れ替え、しかも同時に攻撃範囲に捉えていた。
急減速によるエンジンの転調が振動をもたらす中で、ドラケンは正確にF-16Cを捉える。
AAMが煙の尾を曳いて放たれた一瞬後、2機のF-16Cはそれぞれ紅の機体に引き裂かれ、黒煙とともに焔に包まれた。
《ズィルバー4、ズィルバー5!!》
《ボス、2人がやられました!次の指示を!》
《ルーベルト、ステファン、いつも通りでいい。迷ったら体に聞け。飛び方は叩き込んである》
目に見えて、ベルカ軍機に再び動揺が走った。虎の子と頼みにしていたエースパイロット部隊が、一瞬にして2機を失ったのだ。その意味合いは、単純な機数の損失以上に大きいに違いない。
揺らぐベルカ軍機の中で、落ち着いた声を漏らすケラーマンの小隊だけが、鮮やかに精彩を保っていた。
戦況を押し返した一瞬の虚の中で、ベルカ軍のMiG-21bisがミサイルを受け炎に包まれる。墜落してゆくその機体を追い抜きざまに夕日に映えたのは、黒い翼端のMiG-23MLD――あの生意気な小僧が駆る、ニムロッド隊の2番機だった。流石に腕はいいらしく、その勢いに押されたようにニムロッド1もホズ2も体勢を整えつつある。
さて、残るは。赤く染まり始めた空を見渡す中で、ゼブラカラーのF-16Cに追われるMiG-23MLDの姿が映った。消去法で考えれば、ニムロッドの4番機か。
「くそ、離れない…!」
《ニムロッド4、フレアを出しながらロー・ヨー・ヨーで敵の目を引きつけろ。すぐ行く。エスパーダ2、フォロー頼む》
《了解、エスパーダ1》
「アルベルト大尉…!?はいっ、了解しました!」
歯切れの良い声とともに、ニムロッド4は斜め下方へと高度を下げてゆく。本来優速の敵を追尾するためのロー・ヨー・ヨー――下降加速後の急上昇は、本来このような場で、しかも速度で勝る相手に使うものではない。それゆえに、僚機を落とされ平常心を失った『ゼブラカラー』にとっては、逃げ惑う狙い目の獲物に映ることだろう。
敵の死角になるよう、F-16Cの斜め下方からアルベルトは接近。ニムロッド4がフレア放出とともに急上昇する所を狙い、僅かに速度を落とした瞬間を狙って、短い間隔でAAMを放った。
《…くっ!?しまった…!ズィルバー2被弾!脱出します!》
《くそっ、ホズ2やられました!》
通信と混線が、同時に無線を揺らす。
機体を翻した先を見やれば、ゼブラカラーのファントムⅡに追い込まれたF/A-18Cが、不時着するように地面へと吸い込まれる所だった。
やはり、あの機体をどうにかしなければ戦況は打開しない。口角に笑みを刻んだまま、アルベルトは愛機ドラケンを傾けて、挑むように『銀色の狗鷲』へと機体を寄せた。
高速のままに旋回するファントムⅡが、ドラケンの背を捉える。迫る機銃を悠々と交わしながら、アルベルトは垂直方向への巴戦を展開、徐々に速度を落とし機動性での勝負を仕掛ける。
天地がガラスの外で回り、赤い太陽が絶えず方向を変える。――捉えた。旋回の頂点で速度を落とした刹那、ファントムは一気に加速して巴の輪から離脱。ドラケンの捕捉範囲を斬り抜けるや、すぐさま反転しすれ違いざまの射撃を見舞った。
機動性重視のチューニングを施したアルベルトのドラケンと、加速性能をフルチューンしたらしい『狗鷲』のファントム。最新鋭機すら及ばぬ二人の戦いを、空は祝福するように赤い夕日で染め上げる。
《サピンの傭兵、どこでその飛行を学んだ》
《あいにく無手勝流でね。…強いて言えば、『空』かね》
《そうか――素晴らしい、技量だ》
互いに背を追い一歩も退かぬ、いつまでも続くかに思えた二人きりの激戦。己を信じる二人の翼が、馳せ違い、邂逅を祝福するように銃声を響かせ合う。
その均衡は、残る『銀色』によって破られた。
《ボス!!》
《――っ!最後のF-16か!》
横方向への巴戦の、旋回の頂点に、唐突にミサイルアラートが鳴り響く。タイミングを見計らっていたらしいF-16Cからの射撃に、アルベルトは咄嗟に巴戦から離脱、急降下からのスライスバック機動――すなわち斜め下方へと反転降下。迫る地面の寸前でスロットルを上げ、重い機首を振り上げる。
一気に体を襲う強烈なG、偏る血流、圧迫される肺。危うい所で空気を孕み、揚力を得て立て直した翼のすぐ後方を、AAMが掠めて地面へと吸い込まれていく。おそらくあと数秒遅ければ、自分が地面に激突していただろう。
空を仰ぐ。やや明るみが落ちた夕空の下、ゼブラカラーのF-16Cは煙を吐いて、もがれた翼を朱に染めていた。
《エスパーダ2、1キル。エスパーダ1、大丈夫!?》
《ああ、この通りだ。…さて、残るは…》
《………。一人も、守れなかったか…。》
不安の入り交じったエスパーダ2の声を、常と変わらぬ声で和らげるアルベルト。混線した壮年の声――ケラーマンの静かな声は、先達として、何より墜ちていった彼らの師としての無念が滲んでいるように聞こえた。
声の主は、直上。夜色が滲みつつある空からこちらを指して、一直線に降下している。
アルベルトはそれに応えるかのように機首をもたげて、愛機ドラケンの鼻先をそちらへと向けた。
重力加速度を活かせるケラーマンと、速度を抑え機動性を活かせるアルベルト。奇しくも互いの強みを活かす位置取りとなった、ヘッドオンの応酬。
迫る『銀色』が視界いっぱいに広がり、命の距離がゼロに近づくその刹那。アルベルトはその空の一角が、命を削り凌ぎ合う、
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「…凄い……。」
地を指して、焔に包まれた『ファントム』が墜ちてゆく。
廻り、馳せ違い、競っては離れる、まるで中世の騎士のような戦い。それは、『円卓』の名を冠するこの空の戦いの締めくくりに、この上なく相応しいものだった。
これが、エース同士の戦い。――凄い。感嘆に呑まれたように、カルロスに紡げたのは最早その一言だけだった。
《デル・タウロより各機、敵性戦力の全機撤退を確認。円卓の制空権は、完全に連合のものとなった。各員、よくやってくれた。帰還せよ》
管制官の声が、円卓の闘争に静かにフィナーレを告げる。
宵闇濃くなる暮空に、先頭を飛ぶエスパーダの『紅』が、鮮やかに映えていた。