Ace Combat side story of ZERO - Skies of seamless - 作:びわ之樹
本日未明の偵察情報によると、退路を断たれた同基地のベルカ軍は全ての航空機を動員し、ベルカ勢力圏内へ向けて強行突破を図るべく既に出撃準備を始めているという。戦闘飛行隊の諸君はただちに出撃し、撤退するベルカ軍の予測進路上に展開。これを殲滅せよ。
待ちに待った、サピンの空を取り戻す時だ。ベルカ軍機を、1機残らず叩き落とせ。以上だ》
遠い山の稜線に沿って、東から太陽の光が差し込み始める。
頭上を覆っていた黒々とした深い蒼色は急速に褪せ、夜が西へと下がってゆく。白を帯びていく朝空には、雲はほとんど見られず、今日の晴天を予感させた。
広がっていく光の裾野の中に、ここオステアの地も白く染まってゆく。夜露に濡れた滑走路も、露天に駐機した戦闘機も、周囲にぽつぽつと並ぶ町並みも、そしてTシャツに作業着ズボンという出で立ちで、格納庫の辺りを早足に駆ける青年の姿も。春の朝日は、すべてのものを平等に柔らかく包んでいった。
1995年5月2日。この日もまた、戦禍に巻かれ命燃えるこの大陸に朝が来た。
「…晴れそうだな」
青年――カルロスは脚を止めて、眩しそうに目の上に手をかざしながら、顔をもたげる太陽の姿をしばし見つめた。雲量1、風は微風。昨日聞いたラジオの予報に間違いは無いらしい。
拍動を整えて大きく息を吐くと、朝の冷気に白く曇った呼気が、光の中に消えてゆく。上気してやや赤みを帯びた頬には一筋汗が流れ、その運動が余程早い時間から始められたことを無言の内に物語っていた。冷たい朝の風と清浄な夜明けの光景は、体を動かした爽快感と相まって、心身を洗うように爽やかにしてくれるようにも感じた。
早朝ジョギングなる殊勝なことをカルロスが始めたのは、ごく最近のことである。
動機はといえば、一週間ほど前に行われた、サピン西部を流れるフトゥーロ運河の奪還作戦でのことである。作戦の一端を担う地上・港湾制圧作戦『ゲルニコス』の折、彼は自らの技量不足が元で、眼前で友軍地上部隊を犠牲にする結果となった。
当時の彼我の装備や展開位置、機体性能を鑑みればある意味やむを得ない結果とも言え、実際先輩たるカークスやアンドリューからはそのような慰めを受けた。だが、この戦争に参加してからこのかた、ベルカ軍相手に一度ならず窮地に立たされ、幾度か死にそうな目にすら遭っているカルロスにとって、どうしても自らが第一の原因だと思わざるを得ない。何より、先の件で同時に行動していたフィオンは、こちらと同様の位置と武装で、見事敵の攻撃を阻止しているのだ。これまでの経緯と、僚機の結果。いずれで見ても、原因はカルロス自身の技量に求める他なかった。
フィオンは、天才だ。年齢こそ自分より2つも下であり、生意気な性格は正直思うところ無くもないが、その点は悔しいながらも認めざるを得ない。一線級の機体と比べ性能が劣るMiG-21bisに乗りながら、すれ違いざまの機銃掃射で過たずコクピットを潰し、背後から攻撃機2機を同時に撃墜し、名高いベルカのエース部隊と互角に渡り合う。前歴は単なる一市民に過ぎず、それまではこれといった訓練も経ていなかったというのだから、才能と言う他ない。
たぶん、エースというのはああいう人間を言うのだろう。エースと一括りに言っても、才能一つで成り上がる人間や努力を重ねて大成する人間など多様ではあるだろうが、少なくともその領域にフィオンが入ることは間違いない。『インディゴ隊』『シュネー隊』といったベルカのエースは勿論のこと、同じサピンで活躍する『エスパーダ隊』や、最近名を上げているウスティオの
俺はエースになろうとは思わないし、なれるとも思えない。
だがそれでも、自らの理想へ向けて一歩ずつ進んでいくこと、努力して自らを高めることには、きっと意義がある。
エースには及ばないまでも、自分ができる最大限のことをしよう。今より少しでもマシに、今より少しでも良くなるために。そうでもしないと、『やむを得なかった』と思うことは許されない。アンドリュー隊長の指導に熱が入るとともに、こうして自主的な鍛錬が始まったのは、カルロスがその境地に至ってからだった。戦闘機の操縦にジョギングがどれだけ寄与するかは正直分からないが、これもまた、努力という方向に向かう熱が溢れた結果と言えるだろう。今はとにかく体を動かしておきたい。
体が、少し冷えて来た。もう少し走って、一息ついてから朝メシにしよう。
たん、たん、と軽くジャンプして、脚を温めるべく体を慣らす。
さて、もう一走り。脚を踏み出しかけた刹那、後ろからかかった聞き知った声がなければ、彼はそのまま走って行ってしまっただろう。
「よう、精が出るな4番機。いいところで悪いが、招集だってよ」
急にかけられた声に、とっとっと、と危うくたたらを踏むカルロス。振り返った先にいたのは、ややこちらより高い長身に褐色混じりの金髪を微風に揺らす、サピンの軍服に身を包んだ一人の青年――『エスクード2』こと、ニコラス・コンテスティ少尉であった。
「招集?こんな朝早くに?…一体何だろうな」
「さぁな。どっちにせよ、さっさと行かないと雷喰らうぜ。…ったく、これからのんびり哨戒飛行のはずだったのによ」
軍という組織の外にいる傭兵にとって、軍の階級はそれほど意味を成さず、専ら年齢と戦績が相手への対応を左右する。その点で、彼は少尉という階級ながら、赴任して日が浅いこともあり戦績はカルロスと大きく変わらない。年齢も22歳と一つ違いであり、ヴェスパーテ防空戦で偶然僚機となった縁もあることから、カルロスとニコラスは自然と隔てない口調で接する間柄であった。ニコラス本人もカルロスの対応を咎めることなく自然に受け入れている辺り、気のいいざっくばらんな性格なのだろう。
愚痴一つ残し、一足先にその場を後にする『友人』を見送って、カルロスは着替えを済ますべく急ぎ足に兵舎へと向かう。流石に、この姿でブリーフィングに参加する訳にはいかない。
どこかで、エンジンを回す音が響き始めていた。
******
慌ただしいブリーフィングを経て、時間にして数十分後。オステア空軍基地から西方110km地点の空に、カルロスらニムロッド隊の姿を認めることができる。
サピン国内に残るベルカ軍の拠点、ドス・パウレス基地。急に舞い降りたその地からのベルカ軍撤退の報は、唐突ながらもある程度予期されたものでもあった。
先日フトゥーロ運河を失い、それに伴ってサピン国土北方から北西部にかけての地が奪還された今、内陸に入り込んだ形のドス・パウレス基地は孤立したに等しい。前線のベルカ軍も撤退を繰り返しているこの状況では支援など望むべくもなく、ベルカの司令官としては逼塞してじわじわ衰弱するよりも、危険を冒してでもサピン勢力圏を強行突破せざるを得なかったのだろう。
それゆえだろう、足下から鳥が立ったにも関わらず、サピンの反応は迅速だった。
付近の基地に駐屯していた陸軍の制圧部隊は進発の準備をしているというし、ドス・パウレスに近い空軍基地からは追撃部隊が出撃して攻撃を仕掛けているという。加えて、カルロスらが駐屯するオステア基地からは戦闘機12機、空中管制機1機が出撃して、彼らの予想針路上で網を広げるという万全の体制である。この布陣を瞬く間に敷いた辺り、この追撃戦と、何より領土回復に燃えるサピンの意思が伺い知れた。
運が尽きる時とはどうしようもないものである。陽が昇った空は朝の読み通りに快晴であり、雲もなく遙か遠くまで見通せる。空中管制を担当するE-3『セントリー』には、追撃部隊や近傍のレーダーサイトからの情報が逐一入り、戦力配置でも電子の目でも逃げおおせる隙間は一つも無い。今や、ドス・パウレスのベルカ軍にとって、あらゆる状況が不利に働いていた。
《空中管制機『デル・タウロ』より各機。あと5分で敵編隊が交戦域に侵入する。離陸時に32機だった機数は、現在21機にまで減少している。各員、敵機確認時には注意されたし》
了解、と各小隊長の声が響く中で、カルロスの右隣へF/A-18C『ホーネット』が機体を寄せる。灰色の尾翼には盾とサピン国旗の星をモチーフにしたエンブレムが記されており、機体番号からそれが『エスクード2』だと判別できる。よくよく見ると、彼はコクピットからこちらを見やって、何やら手振りでジェスチャーをしているように見えた。
「……あいつ…」
今回は、競争だな。そう伝えているらしいニコラスの顔は酸素マスクとヘルメットで伺い知れないが、おそらく笑っているのだろう。それは取りも直さず、彼もまたこの戦闘の勝利と、サピンの空の回復を確信していることに他ならなかった。
苦笑しながら、カルロスもまた手振りで回答を返す。『ホーネットとじゃ勝負にならないだろ、ハンデくれ』。ニコラスの返答は、人差し指と中指で丸を作り、次いで親指を立ててこちらに見せるジェスチャー。おそらく、『了解、グッドラック』、という所だろう。
何となく、伝わっていなかったらしい気配がした。
《そろそろだ、各機交戦用意。今回は自由戦闘とする。今日だけは、チームプレイは忘れて存分にやれ》
《へへっ、今日は稼ぎ時だな。了解!》
先頭のMiG-19Sから隊長の通信が入り、楽しそうなカークス軍曹の声が続く。
以前軍曹から聞いたことだが、たとえ高性能な機体でも、部隊そのものが敗勢だったり逃げに徹している時は、信じられないほど弱く感じるものなのだという。パイロットの心に怖じ気があれば、攻撃に転じることも少なく、早く逃げようという思いから機動も却って単純になるのだそうだ。先の軍曹の反応は、今の状況を思えば当然だっただろう。
――来た。
前方にぽつぽつと見えた黒点が、徐々に大きくなっていく。大型の機体は低空を這うように、戦闘機と思われる小型の機影はこちらよりやや低い上空を飛んでいるが、配置はばらばらで統制がとれているようには到底見えない。なりふり構わぬ脱出だったのだろう、雑多な機種で構成されていることも、ここから容易に見て取れた。その機数、18。
…18?
頭に引っかかる違和感が、カルロスに目を凝らさせる。
…18、確かに18機だ。事前情報より3機少ない。この空域まで逃げる途中に力尽きたのだろうか。
《上空から一斉射して後方に抜ける。後は各自散会しろ。ただし無理はするな。……ニムロッド1、
《歯ごたえのあるヤツがいるといいけどなー。ニムロッド2、交戦》
《よりどりみどりってヤツだな。ニムロッド3、交戦!》
「ニムロッド4、交戦!」
エスクード隊ら8機のホーネットが右から回り込むのを視界の端に留めながら、旧式機で構成されたニムロッド隊は増槽を投棄、敵編隊上空から機銃掃射とともに突入する。相対速度は速いが、敵機とて回避に必死でもあり、そうそう衝突するものではない。
機銃の唸りが機体を揺らし、翼を翻して分散する敵機がすぐ側を抜けていく。
エンジンの唸り、飛び散る金属片、高速の擦過に渦を巻く空気。応射一つ無い群れの中を抜けて反転すると、早くも1機が煙を噴いて高度を下げつつあった。日の光に浮かぶそのシルエットは、オレンジ色の目立つ塗装に武装を積めるとは思えない非常に小柄な機体の姿。機種は定かではないが、練習機に相違なかった。
敵機は混乱の極みに達しているらしく、後方から顧みた限りでは統制行動を取っている戦闘機は皆無で、各機めいめいに回避行動を繰り返している。それを見越したように突入したエスクード隊は、上空へ退避しようとしていたF-16C『ファイティング・ファルコン』を瞬く間に火の玉に変えて、編隊の左へと抜けた。
さて、どこを狙うべきか。
後方から敵編隊を俯瞰し、まずはその編成を把握する。低空には、中型以上の輸送機と爆撃機が、合わせて7機。当然爆弾は積んでおらず、中は機材と人員で一杯だろう。上空では各自に行動している小型機が合わせて11機。内訳はMiG-21bisとSu-24『フェンサー』が各3機、F-16CとMiG-29A『ファルクラム』が1機ずつと、種類に纏まりのない雑多な構成だ。残り3機は練習機と思われる。
方やこちらの装備は、緊急出撃ということもあり、一般的な
――あれだ。サピン機の攻撃で乱れた敵機から目ぼしい目標を絞り、『フィッシュベッド』の鼻先をそちらへと向ける。高度を上げつつ機体を傾け、カルロスは逃げ惑うその機体を下方に凝視した。
Su-24『フェンサー』。角ばった胴体に上翼位置に配された可変翼というシルエットは、一見するとアンドリュー隊長の前の乗機、MiG-27『フロッガーD』やMiG-23『フロッガー』にも似ている。違う点はといえば、機体が一回り大きくコクピットもやや幅広な所と、エンジンが並列に2つ配されている点だろう。大型ゆえに搭載能力に優れるが、格闘戦における小回りでは純粋な戦闘機に劣る。乗機MiG-21bisでも対抗しやすい相手として、カルロスが真っ先に目を付けたのも無理は無かった。
「…よし、そこだ!」
エスクード4の攻撃を避け、翼を畳んだSu-24が左旋回した隙を狙い、敵の後上方から機体を降下させる。案の定、敵の機動は鈍い。
敵もこちらに気づいたらしく、エンジン後部の噴射炎が一際明るみを帯びる。
ダイブで逃げる。咄嗟に判断したカルロスは、負けじと機体を加速させた。敵は双発、しかしこちらは機体も軽く、降下で加速も加わっている。鈍重な攻撃機がスピードを上げるまでに、電子の目は確実にミサイル圏内に収める筈だ。あまつさえ敵機は、左右に機体を蛇行させる回避機動も併用している。敵の尻を追うのに時間は要するが、距離は着実に詰まってゆく。
レーダーが、機械のソプラノで歌う。
距離850、ロックオン。
攻撃圏内ぎりぎりの距離へ差し掛かると同時に、カルロスはボタンを押下する。がごん、と音を立てて外れたAAMが、内蔵された燃料に火を灯し、尾を曳いて逃げる敵機を指向していった。
ロックオン警報に反応したのだろう、咄嗟に右旋回に入るフェンサーの動きは、やはり遅い。
もらった。
確信し、生じるであろう破片を避けるべく機体を翻すカルロス。その視線の先、敵機の下方に幾つもの火球が発生したのは、その時だった。
「な…!?…くそっ、フレアか!」
二本の矢が火球に引き寄せられ、本来の目標を逸れて彼方へと飛び去ってゆく。熱誘導ミサイルを欺瞞する近接防御装備、フレアディスペンサー。入隊当初に叩き込まれたその知識が漸く頭に浮かんだのは、既に敵機が加速を加えて、こちらから離れてゆく頃だった。実戦で目にしたのは初めてだが、鈍重な攻撃機への搭載を疑わなかったのは不覚だったと言わざるを得ない。
追いつけるか。いや、追いついてやる。
くそ、と口中に苛立ちの呟き一つ、再び機首をフェンサーへ向けて加速する。しかし、一度速度を緩めてしまった以上、後は加速力の勝負だ。余分な対地兵装を外し、双発エンジンの出力を活かしたフェンサーの加速は流石に早い。エンジンの回転数を上げるカルロスを嘲笑うかのように、その距離は徐々に離れつつあった。
「くそ、何がなんでも…っ!?おわっ!?」
フェンサーへ集中し、束の間他の光景が見えなくなっていたカルロスの眼前を、2機の機影が唐突に横切る。なんだ、敵、それとも味方。一瞬乱された意識に集中力が拡散し、束の間フェンサーの姿が視界から消える。
しまった。くそ、どこへ。焦りに凝り固まったカルロスの眼が前方のフェンサーを再び捉えるのと、そのフェンサーのコクピットへ向けて直上から機銃が降り注ぎ、過たずコクピットを打ち砕いたのは同時だった。
《カルロス!1機に気を取られ過ぎだ、もっと広く見ろ!》
「…た、隊長!?今のは…」
墜落してゆくSu-24の上空からまっすぐ降下した機体がこちらへ鼻先を向け、同時にそのパイロット――アンドリュー隊長の怒声がノイズ混じりに無線を揺らす。鼓膜に痛く響く大声に耳を押さえながら、カルロスは冷や汗を禁じ得なかった。
確かに、さっき自分は1機のSu-24しか見えていなかった。近くに他の敵機がいた気もしたが、せっかくのAAMを費やした機体を逃がしてなるものかと意地にもなっていたのだろう。それゆえに、目の前を横切るまで接近していた2機にも気付かなかったのだ。
情けない。戦場に立って何度目かになるその思いを知ってか知らずか、隊長のMiG-19Sは眼前の空域で旋回し、機体を傾けて全体を俯瞰している。一瞬、その様は飛行に慣れぬ雛鳥を待つ親鳥のようにも見えた。
《ニムロッド隊、集合しろ。目ぼしい獲物はあらかた喰い終わった。後はサピン空軍に任せ、逃げた大型機編隊をやるぞ》
《了解!へへっ、残りは大物ばかりか…喰いきれるかねぇ?》
《輸送機つまんないので僕こっちにいたいでーす》
《却下だ。よし、各機追撃を…》
隊長の命令に、MiG-19Sを起点としたロッテ編制を組む。ミサイルは消費したものの、他の3人とも無傷のようだ。戦場を振り返れば、最早ベルカの航空機は残り少なく、その全滅は明らかだと言って良い。今や空域を舞う8機のホーネットの隙間を、わずかに2機のMiG-21bisと1機の練習機が細々と飛ぶだけだった。
残りは、逃げた輸送機と爆撃機。進路を見定め機首を向けかけたその矢先、ざ、ざ、と無線が不意に鳴った。
《デル・タウロより追撃部隊各機、戦闘空域の東方に、北上する中型機1機と小型機2機を確認。急ぎ追撃せよ。》
《何!?……まさか、こいつら…!》
《エスクード1、東の連中は任せろ。逃げた輸送機の方を頼む。…ニムロッド各機、聞いたな。急ぐぞ》
矢継ぎ早に交わされる通信から、いち早く方針を決めた隊長が機体を翻す。くそ、最近こんなのばっかりだ。急加速で胃の中身が撹拌される不快感に耐えながら、カルロスは行き所の無い愚痴を口内に漏らしていた。
それにしても、このタイミングで3機である。事前報告と先に会敵したベルカ編隊の数の差と、それは一致する。すなわち友軍の追撃を受けた直後に、敵部隊は分散したのだろう。おそらく、その中型機を確実に逃がすために。――と、いうことは。
《奴ら、山ほどの味方を捨て駒にして、お偉いさんだけ生き残ろうってか?》
「………」
やはり、そうなのか。
この不自然なタイミングでごく少数機での離脱、しかも輸送機1機に護衛2機という厳重さ。目を惹く大部隊を隠れ蓑に、まるで物陰を這うように逃げおおせる魂胆なのだろう。その、兵たちの大量の命と引き換えに。
不潔だ。脈絡もなく浮かぶのは、その言葉だった。
戦争である。戦場で敵味方が殺し合うことも理解しているし、指揮する側には指揮する側の理論があるのも分かっている積りだ。
だが、それでも、指揮官たる者が兵を『捨て』、こそこそと逃げ去るのは許せない。兵の命を預かっておきながら、最後には自らのためにそれを放棄するなど、どんな理由であれ指揮官が…否、人間がすべきことではない筈だ。…そう、父だって、そうして――。
《ニムロッド隊、敵編隊がベルカ勢力圏に接近しつつある。傍受した通信によると、サピン方面軍の高級将校が登場している可能性がある。絶対に逃がすな》
《了解した、デル・タウロ。…チッ、間に合わんかもしれん。飛ばすぞ》
敵機も相当な高速で飛行しているらしく、容易にその尻尾を掴むこともままならない。エンジンの回転数を上げて加速を強め、中古の旧式に鞭打って、4機は矢のように北を目指す。
遠い。まだか。気が競る数分間を過ごす中、正面できらりと何かが光った。キャノピーか、主翼の反射。目を凝らす間もなく、遥か彼方に見えたその点は、瞬く間に大きくなってゆく。
編隊中央に位置する、胴体に近い主翼部上面に取りつけられた双発のジェットエンジンと、比較的小さな機体。そしてやや下膨れの印象を抱かせるシルエットに、T字型の尾翼。間違いない、目標の輸送機だ。その両側には、護衛のMiG-21タイプ2機も見える。
《An-72…あれだな。各機、時間が無い。輸送機を第一に狙え。》
「了解!」
3人分の復唱と同時に、敵機を攻撃圏内へ収めるべく徐々に肉薄していく。敵編隊も気付いたのだろう、護衛の2機は左右上方に旋回し、機動性を活かした最小半径のシャンデル機動でこちらに相対した。即ち、ヘッドオンの位置。
急速に距離が狭まり、レーダーが警戒のアラームを鳴らす。まるで、カウボーイの早撃ち勝負のようだ。呟き一つ噛み殺し、カルロスは高速で迫る『バラライカ』の姿を捉える。1000、900、…800。距離が800を割った瞬間を狙い、カルロスはミサイルの発射ボタンに指をかけた。
だが、敵の判断はそれを上回った。この場は確実に仕留めるより、少しでも味方から遠ざけるべき。そう判断したのであろう、敵のMiG-21は、こちらより一拍早くミサイルを放った。
視界の端に、敵のミサイルが翼下から外れる様がスローモーションのように映る。まずい、当たる。この進路では、避けられない。
咄嗟に右下方へと舵を切り、カルロスの機体は敵機に腹を向けて馳せ違う。その数瞬後、敵の放ったミサイルが、先程までの位置を通り過ぎていった。
《外した!?》
《構うな、そのまま輸送機を狙え!カルロス、カークスの援護に就け!》
「了解しました!」
アンドリュー隊長もこちら同様に回避したらしく、左上空から指示を下している。攻撃を抜けたカークス機はそのまま輸送機目指して前進、フィオン機はMiG-21を狙って反転したらしい。
命令を受けたカルロスは、輸送機へまっすぐ向かっていくカークス機を追って、左旋回で機体を立て直しながら徐々に高度を上げる。高度を失ったままでは、追撃も覚束ない。
後方では絶え間なくエンジン音が唸り、激しいドッグファイトを無言の内に物語っている。だが、あの二人ならば大丈夫の筈。後方で爆炎が閃いても、カルロスは後方を一切振り返らなかった。
《ニムロッド2、1キル!》
《チ、爆炎に紛れて1機抜けた。注意しろ》
瞬間、機体の左下方を、ベルカの『フィッシュベッド』がごう、と駆け抜けてゆく。後方を隙だらけにしても構わないと言わんばかりの直線の追撃は、まっすぐにカークス軍曹の機体の方を向いていた。
「カークス軍曹、後方敵機!」
《分かってる!!今回避したらコイツを逃がしちまう。後ろ任せたぜ!》
「えっ…!……は、はい!…必ず!」
『任せる』。軍曹の言葉に胸の鼓動が早まり、汗が滲むと同時に胸の熱が高まる。僚機の背中を任せられる、初めての経験。――今度は、逃がす訳にはいかない。軍曹のためにも、その信のためにも。
敵のMiG-21は加速を早め、一気にカークス機への距離を詰めてゆく。おそらく軍曹の機体に、ロックオン警報が鳴るのも時間の問題だろう。片やこちらは高度が足りず、降下して加速する手は使えない。ならば、事ここに至ってできることはただ一つ…エンジンが焼け付いてでも、ひたすらに加速するのみだ。
「く、っそ…!絶、対、逃がす、か…っ!」
交戦開始から、幾度となく急旋回や急加速を繰り返した体に、再び強烈なGがのしかかる。こみ上げる嘔吐感が胃袋を苛み、体力を刻一刻と削っていく。だが、それでもカルロスは、眼前を矢のように飛ぶMiG-21から眼を離さなかった。
早い。こちらに先んじて加速していたこともあり、敵機のスピードは依然こちらを上回っている。それは、先程加速度を利用した追撃を用いたカルロスも、当然承知の上。狙う瞬間は、ただ一点――。
「………っ!そ、こ、だぁぁぁ!!」
カークス機をロックオン圏内に捉えた敵機のスピードが、一瞬緩む。
相対速度が急速に上がる、その一瞬。一気に距離が詰まったその瞬間を狙って、ロックオンもそこそこに、カルロスは残ったミサイルと機銃を射放った。
敵機とすれ違う瞬間、すぐ傍で爆発の衝撃が爆ぜる。焔と閃光と熱を纏い、飛び散る破片の雨の中で、機体の主翼が軋むような悲鳴を上げた。
「……軍曹っ!」
《…へへっ、ありがとよ。やるようになったじゃねえか》
敵機の下方を左下へ抜けて、傷を負った機体を立てなおすカルロス。攻撃は、敵機はどうなった。機動の最中にも脳裏を満たしたその不安に、声が思わず零れていた。
帰って来たカークス軍曹の声は、労わるように明るい。冷や汗塗れの顔で見上げると、敵の輸送機が胴体後部から火を噴き、先のMiG-21はアンドリュー隊長からの追撃で撃墜される所だった。どうやら放ったミサイルは致命傷にはならなかったものの、攻撃を防ぐことには成功していたらしい。
《デル・タウロより全機、よくやった。ベルカ部隊の全滅を確認した。サピンの空は、ついに我らの手に戻ったのだ。各機、帰還して祝杯を挙げよう》
無線を鳴らす管制官の声に、サピン空軍のパイロットの歓声がいくつも入り混じる。故郷奪還の悲願。それはきっと、自分達には想像できないほどの切望だったのだろう。
その空の片隅で、カルロスもまた、胸の熱を感じていた。信に応え、一歩でも目標に近づけた喜びによる熱さ。そして、今まさに食道を逆流する胃液の熱を。
《よし、全機帰還する。帰ったら、あいつらの祝杯を一杯頂くとしよう。カルロス、生きてるな。……カルロス?》
「……………ぅぷ。いえ、こちらニムロッド4、大丈夫です。合流しま…」
おぼろろろろ。言葉の最後は流動音で濁り、胸の奥から胃液と言う名の溜まった物を吐き出した。通信を揺らすは、怒鳴り声と心底愉快な笑い声。
今日ばかりは、朝飯前の出撃だったことを感謝した。