Ace Combat side story of ZERO - Skies of seamless -   作:びわ之樹

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第1話 北方の蝙蝠

 雪と岩の色に染まった山肌が、エンジンの振動で微かに揺れるキャノピーの外を流れていく。

 

 雪の白と、大地の茶と、山肌の灰が織りなす淡色の漣。蒼穹を背景とした雄峰の連なりは、春の入りにも関わらず未だに冬の名残を思わせて、今更ながらこの地の緯度と標高の高さを感じずにはいられなかった。一応コクピット内に暖房は効かせているはずだが、寒々しいその光景と、身を切り裂かんばかりの冷たい外気は否応なく心身を凍えさせることこの上ない。

 

 比較的緯度の低い故郷レサスだったら、こんな光景はよほどの高山地帯でもなければお目にかかれないことだろう。南半球のレサスは今頃秋の入りだろうが、たとえ真冬であってもこれほどの光景は見たことがない。

 

《ニムロッド1より各機、あれが当面の宿だ。爆撃跡を避けてうまく降りろ。脚を折るなよ。…カルロス、分かっているな》

《ニムロッド5、分かってます!俺だって伊達に傭兵として飯食ってませんよ!》

 

 不意に無線から雑音が漏れるや、編隊の先頭を飛ぶMiG-27M『フロッガーJ』からアンドリュー隊長の低い声が耳に響く。わざわざ名指しで指名したのは経歴が浅い自分に対する老婆心のつもりだったのだろうが、これでも一応傭兵に身を置いて2年になる身、忸怩たる複雑な思いも抱かぬでもない。口中に融かした塊一つを飲み下し、青年――カルロス・グロバールは、返した声とともに、山の懐に収まったようなその『宿』を見やった。

 

 東西方向に伸びる深紺色の滑走路が2本、敷地の端にはいくつか連なる格納庫、そして山に至る寸前の辺りにぽつんと建つ、司令部施設とおぼしき白い建物。それだけ見れば、ごくごく一般的な辺境の空軍基地という風情である。

だが。静かな山間に異色を添える周囲の鉄色が、その風情を険しいものにさせていた。

 

《………こりゃぁ…。…アンドリュー、ワシら付く側を間違えたんじゃないかね?》

《かー、まったくヴィクトール曹長の言うとおり。負け戦でむざむざトマトペーストになるのはゴメンだぜ、俺は》

《つべこべ言うな、上の判断だ。劣勢側に就いた方が需要もあれば儲かりもする》

 

 自身と同じくその光景に釘付けになっていたのか、前を飛ぶMiG-21bis『フィッシュベッド』から今更ながらの陳情の声が上がる。ニムロッド3――ヴィクトール・ベレゾフスキー曹長は、持ち前の大声もいくらかトーンが低い。ニムロッド4――カークス・ビレッジ軍曹は常通り冗談交じりの飄々とした声音だが、その内容には『気が乗らない』と言わんばかりの感慨がありありと滲み出ている。

 二人と比べれば渡り歩いた戦場は少ないとはいえ、カルロスもまた、さもありなんと思わざるを得ない。基地の周囲を彩っていたのは、そんな異彩だった。

 

 穴だらけになり、所々に同心円状の土色を晒す滑走路は、数日前にあったという爆撃の跡だろう。その横に転がる黒鉄色の塊は対空砲の名残だろうが、本来天を睨んでいたであろう砲身は飴のように曲がりうなだれて、最早その面影は微塵も認められない。2本の滑走路の間には、無残に横たわる航空機の残骸が、最期の意地のように片翼を天に向けて横たわっている。グレーと緑の迷彩を施された塗装からするにこの国の空軍機だったのだろうが、よくよく目を凝らせば基地の周囲にも似た塗装の残骸がいくつも転がっており、追い詰められた国家の様を暗に象徴しているようにすら感じられた。

 

 『つまりは、周辺国と比べ軍の練度が高くなかったこと、そしてもう一つには『敵国』の戦力が余程に強大で侵攻も急激だったことがその理由だ。』出発前、現地の状況を簡単に説明した隊長の言葉を、カルロスは納得を以て噛みしめていた。敗退を重ね、国土を侵され、今こうして懸命の力を振り絞るこの基地の様は、まさに今の世情とこの国を表す縮図なのだ。

 命を収めた、小さなコクピットの中。不意に寒気を覚えたのは、果たして機外の寒さだけが理由だっただろうか。

 

 時に1995年、3月30日。オーシア大陸東部に位置するオーシア東方諸国の雄、サピン王国北部山間のヴェスパーテ空軍基地。

 後の世に言う、『ベルカ戦争』初頭のことであった。

 

******

 

「あれ、隊長はどちらに?」

「…んぁ?あー、基地司令にご挨拶だそうだ。ついでに現状説明とな。」

 

 着陸と機体の搬入という慌ただしい時間を終え、幾分落ち着きを取り戻した格納庫の中に、整備作業の音を縫って声が響く。声の向かう相手であるカークス軍曹はといえば、パイロットスーツの襟をくつろげたラフな姿で、乗機の尾翼になにがしかを描き加えている所だった。すでに作業を始めて長いせいか、淡い水色を帯びたグレーの布地に、所々黒いペンキがこびりついている。

 30代半ばと自分と年はやや離れてはいるものの、30後半の隊長や40代頭のヴィクトール曹長と比べれば、一人を除けば年齢が最も近い相手である。加えて細かいことを気にせず冗談を飛ばす明るい人間性から、カルロスにとって話しやすい相手でもあり、ここに身を落ち着けた頃からその印象は変わっていなかった。有体に言えば、カルロスにとっては頼れる兄貴分、とでも言うべき立ち位置だろうか。

 

「んなことより、機体は今のうちにきっちり整備しとけよ。この基地の様子見たろ、明日からきっと大忙しだぜ。」

「それは、分かってますけど…。機体って言ったって、予備機の俺はどうせ留守番でしょう?確かにこの様子だと、出る幕も多少は増えそうですけど。」

 

 隊長のMiG-27Mと4機のMiG-21bis、そして整備員など人員輸送用の小型輸送機の都合6機が並ぶ格納庫は、しかし本来の広さからすれば、がらんとした印象を受ける。いくつかの格納庫も覗いてはみたが、目に入った航空機はといえば、『トーネードIDS』が2機にF-5E『タイガーⅡ』が4機だけと、基地の規模からすると明らかに戦力が少ないように感じられた。

 

 それもその筈である。同月25日の敵国――ベルカ軍侵攻以来、基地北西部の山脈以西はベルカ軍の勢力圏となり、実質この基地が最前線としてこの数日を耐えてきたのだ。練度・数ともに劣るサピン王国空軍が、自然の要害を生かしここまで耐え切れたのは、彼らの奮闘と奇跡あっての結果だっただろう。――そしてその代償が、基地周囲に散乱する戦闘機のなれの果てだったという訳である。

 すなわち、この基地はすでに力を出し尽くしているに等しい。既存の部隊がこの有様である以上、その分のしわ寄せは必ずや自分たち傭兵部隊にかかってくるというのは、状況を見れば容易に推察できることだった。それを受けてのことだろう、カークス軍曹の言葉にも少し苦笑の気配がある。

 

「何言ってんだ、予備機ってのは重要なんだぜ?それにこの有様だ、留守番中も上空警戒くらい仕事はあるだろうさ。…ま、しっかり小遣い稼ぐんだな」

「ちぇ。…あれ、ヴィクトール曹長。どうしました?」

「おぅカークス!カルロス!フィオンを見んかったか!?あいつめ、ワシに整備押しつけて『その辺見学してきまーす』とか抜かして逃げおった!」

 

 未熟ゆえになかなか実戦に連れて行って貰えない自分を、慰めるように声をかけてくれるカークス軍曹。憎まれ口を叩きつつも心温まりかけたその空間を、横合いから飛ぶ濁声が見事にかき乱す。不満も露わにどか、どかと重い足音を響かせるその相手――3番機たるヴィクトール・ベレゾフスキー曹長は、体も声も足音もたいそう大きい。この厳つい体で、よくまあ『フィッシュベッド』の小さなコクピットに収まるものだと、初対面の時は一人感心したものだった。

 

「フィオン?いいえ、見てませんけど…」

「あんにゃろー…。たく、猫みたいに気ままな奴だな。」

 

 見た目は歩いてきた様子だったが、ヴィクトール曹長本人としては全力疾走の積もりだったのだろう。ぜーぜーと乱れた荒い息を落ち着ける傍ら、若手二人は存ぜぬ顔。言われてみれば、機体を格納してから彼――フィオンの姿は見ていないような気がする。

 

 コールサイン『ニムロッド2』、フィオン・オブライエン。階級――といっても傭兵稼業では戦歴に応じた職位のようなものだが――は准尉。この部隊の最年少でありながら、自分より2年も早く入隊した19歳の青年である。

 以下はカークス軍曹らに聞いた伝聞だが、ユージア大陸極東のノースポイントに仕事で立ち寄った折、家出同然で志願してきたのだという。ノースポイントといえば割合裕福な国で、政情も安定しており暮らしには事欠かない地である。彼の家そのものも中流家庭だったらしいのだが、『ノースポイントにいても平凡でつまらないから』というのが、その志願理由だったのだそうである。当然戦闘の経験は皆無だったのだが、訓練を受けてその才能はみるみる開花し、あっという間にニムロッド隊2番機に落ち着いたのだという。その経歴は、早熟のエースと評するに相応しいものだと言えるだろう。

 

 ――不平等だ。恵まれた場所に生まれ、しかも退屈と言う理由でそれを放り出した先でさえ、才能を開花させた彼は言うなれば天才なのだろう。幾分の嫉妬も入っているのは否めないとはいえ、経歴を聞いたときに抱いた複雑な思いは、今もさっぱり消えたとは言いがたい。

 ただし、些か気分屋なところがあり、時として命令に従わなかったり、こうして不意に姿を消すことがしばしばある。この性状に加え、年齢相応の生意気さと若干の愛嬌、色の薄い肌や癖っ毛の金髪を思えば、カークス軍曹の『猫』という表現はきわめて的を射たものだった。

 

「んがぁぁぁ!あんの跳ねっ返りがぁぁぁ!!」

「まー諦めなオッサン。どうせメシの時には戻ってくんだろ。…っと!そんな事よりオッサン、カルロス、見ろよこれ!こんなモンでどうだ?」

「?…あ、もしかして、隊の新しいエンブレムですか?…凄い、軍曹上手いですね!」

「んが?…ふんふん…悪くないんじゃないかね?しっかしお前さん、上手いもんじゃな」

「あたぼーよ!実は前々から案は作ってて、隊長に相談しててよ。今回結構大事になりそうだし、隊の門出にな?後で全員の機体にも描いてやるよ。」

 

 ヴィクトール曹長の憤怒を右から左へ受け流しながら、カークス軍曹が自信満々に指さした先を二人の目が追う。指の先にあったのは、後退角のついたMiG-21bisの垂直尾翼。そしてその中ほどに描かれた、塗料の跡が真新しいエンブレムだった。

 五角形の盾の中に、淡い黄金色の満月。そしてその月を背景に夜空を飛ぶ、1羽の蝙蝠の姿。それは小隊の名であるNimrod(狩人)の名に相応しい、夜空を狩場とする黒い獣をモチーフとしたものだった。エンブレムの下には、『Sapin Air Force 7th Air Division 31st Tactical Fighter Squadron』――すなわち『サピン空軍第7航空師団第31戦闘飛行隊』と、彼らの新たな肩書きが銀の下地に黒い文字で刻まれている。

 

 これが、俺たちの新しいエンブレム、新しい姿。新たな戦場へと舞い上がる象徴――。当面は留守番という先の話題も忘れ、カルロスは食い入るように、尾翼に舞う蝙蝠の姿を見つめた。

 年不相応に心が昂るのを禁じ得ない。彼はその感情を抑えるでもなく、ただただ胸に抱いていた。

 

 あたかも、見果てぬ空に思いを馳せる仔蝙のように。

 

――――――――――――

Nimrod(名)

…①狩人、猟師。

②愚か者。

 


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