ドゥレムは、どうするでもなくただIS学園の敷地内を散歩していた。疲れたから眠いし、動いたから腹も減っているのだが、寝るのにはまだ早いし、飯を食おうにも、一人では少し味気ない。ここに来てからいつも、一夏達とテーブルを並べて食べていたから当然だ。しかももともとが、あまり飲み食いしないものだから一人では余計に足が向かない。つまり、やることがないから暇潰しに、散歩しているというわけである。
「…しかし、変に胸がモヤモヤする……。」
小声ではあるが、内心で思っていたことが、声に出てしまっていた。ハッとして、口を再び閉じ、日が暮れてきた散歩道を、黙して彼は歩む。
セシリアは軽傷。一夏は重傷だが命に別状はない。鈴は無傷だが、目が覚めない一夏の傍らを離れられずにいる。勝ったのに、胸の奥の蟠りが引っ掛かり、ドゥレムは困惑している。一人で戦ってきたのだ。無理もない。一夏達とも交友を深めていた。初めての友人や、仲間。それが傷付き、うちひしがれる様を見るのも当然初めてだ。だからこそ、この仲間意識が起因のストレス性の胸焼けに、ドゥレムは混乱し、困惑しているのだ。
「あっ、ドゥレム君。」
「ん?」
俯き歩いていたドゥレムに声かけたのは、対面から走ってきたのか、汗を浮かべた運動服姿の佐山 現(ウツツ)であった。IS学園二年生で、剣道部所属。箒がドゥレムと剣道場でひと悶着起こした時に、ドゥレムの防具を外してくれた少女だった。
「確か……現だったか?どうしたんだ?」
「今日、昼間の騒ぎで部活休みになっちゃったから、自主トレというか、走り込みをね。」
首にかけるタオルで額の汗を拭き取り、現はドゥレムの問に短く答える。だが不意に、彼女は彼の瞳に以前のような覇気が感じられない事に気が付く。
「どうしたの?元気ないね。」
「そう…なのか?いや、そうなんだろうな。」
呟く言葉は、両人にとって意外なものだった。現にとって、以前の大胆不遜な態度だった彼が、弱気な言葉を吐くのが予想外で仕方ない。ドゥレム自身も、自身に活力が普段よりも無いことを意外に感じながらも、否応なく自覚してしまっていたのだ。自分に普段ほどの元気が無いことを。
「もし、時間があるならで良い。少し話し相手になってくれないだろうか。」
とても短いが、ドゥレムは彼女に頼む。教えて欲しかったのだ、自分を苛む、この胸焼けの正体を
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海の見えるベンチは、学園内にそれなりの数がある。だから人が多い場所もあれば、滅多に人の来ない場所もある。ドゥレムと現がやって来たのは後者の方。学舎の裏手の雑木林を抜けた、隠れ家的な位置にある一つのベンチ。実際、この場所にベンチがあるというのは、学園内でも余り知られていない。日頃から走り込みを日課としていた現も、この場所を知ったのは偶然だった。
二人は並んでベンチに腰を下ろす。IS学園のある人工島において、東側にあるこの場所は、すでに暗くなってきていたがまだお互いの顔は見えている。
「俺は、一人で戦ってきた。」
「……。」
不意に口を開くドゥレム。現は黙して、彼の話に耳を傾ける。
「だから、まだ他の者と協力しながらの戦いの勝手は分からないんだ。俺は、勝った。敵は倒したし、皆生きている。だが、だがここがムカムカするんだ。」
自分の胸に手を添える。変わらない脈動。変わらない暖かさ。だがどうしようもない違和感を、ドゥレムは感じている。
「深手を負った一夏。それを悲しんでいる鈴。俺が気を失ったばかりに、負傷してしまったセシリア。奴らのことを考えると、ここが変になる。なんなのだこれは、俺は戦いに勝った。全員生きている。だのに、何故こんなにも納得がいかないんだ。」
小さい、消え入りそうな声だが、さざ波の音しか流れていないこの場所では、低い彼の声はむしろ良く通る。
現は答えを探す。彼の悩みに答えたいから。しかし、答えを表す言葉がすぐに出てこない。不意に空に目を向ける。橙色の空が、暗い夜の帳に飲み込まれていく。すでに一番星は輝いていた。幻想的で、美しい空模様。彼女は、以前もこんな空をどこかで見た気がする。そうだ、その時も……。
彼女は視線をドゥレムに向け直す。
「仲間意識を持ったってことだよ。」
「仲間?それならもう俺は理解して…」
「違うよ。」
ドゥレムの言葉を遮り、現は続ける。
「言葉の意味の話じゃないの。……君の心が、皆を仲間として、友達として認めてるんだ。だから、彼らが傷付いているのが苦しい。ドゥレム君の心が苦しがっているんだよ。」
「俺の……心。……こんなにも嫌なんだな。仲間が、友達という者が、傷付くという事は。」
ドゥレムは、現に向けていた視線を反らし、自身の胸に向ける。一拍置いて、ゆっくりと海の方へ視線を移した。なにかを見ているという訳ではなく、現から教えて貰った事を、ゆっくりと彼なりに消化しているのだ。
「度し難い。こんなにも苦しいのなら、なぜ人は群れを作り暮らす?」
呟くような声音。半ば独り言のつもりで喋ったのだから、小さくなるのは当然だ。が静かな場所で、隣に腰掛けている現には、十分聞き取れる声量であった。
再び、彼女は自分の中で言葉をゆっくり、丁寧に組み立てる。
「きっと、孤独のほうが辛いから……。一人でいることに耐えられなかったから、私達は仲間、友人、家族を持つんだよ。」
口にした言葉は、自分の理論だとかそういう事ではない。もっと単純に、彼女が思った事を、その心に従い口に出した。言葉はなるべく簡単になるように選び、噛み砕くように彼女は喋る。
「俺は、気の遠くなるほどの時間を一人で過ごしてきた。一人の暇より、この苦しみの方が辛いぞ。」
「じゃぁもし、また凄まじく長い時間を、一人で過ごす事になった時。ドゥレム君は耐えられる?一夏君達には二度と会えない。一人、暗い世界に置き去りにされて、長い長い時間を過ごして、次に出会える者達は敵のみ。その状況を、耐えられる?」
現の言葉の通りのことを、ドゥレムは想像する。またあの広い空もなく、誰もいない無機質な天廊の一角。時々現れる侵入者を伐ち倒すだけの日々。変化はない。永遠の孤独。笑顔の一夏、無邪気な鈴、おしとやかなセシリア、仏頂面な箒、眉間にシワを寄せる千冬、柔和な笑顔の麻揶。そして、今まさに正面から話をしてくれる現。その全てを失い、また一人長い長い眠りを繰り返す日々。
「……多分無理だ。」
絞り出す言葉は、間違いなく本音。今の自分を省みて、他人の温もりを覚えてしまったために、彼は、一人でいることに耐えられなくなってしまった。
「そう。じゃぁそういうことだよ。一夏君達を失いたくない、怪我をさせたくない、共にいたい。君はそう思っちゃったんだ。だから、傷付いた皆を見て、苦しんでる。」
「…難しいな。お前達は生まれた時から、こんな苦しさを背負って生きているのか。」
「そうだね。だから皆、自分の友達を作るんだよ。きっと人間のDNAに刻まれたものだからこそ、私達は仲間や友達と共にいる。いようとする。それに、一人っきりで生きる人がいるなら、その人は、他人の温もりを知らないんだよ。知らないから平気。ドゥレム君は、逆に知ってしまったから今が苦しいんでしょ。」
彼女の言葉に、頷き答えた。
「じゃぁ、ドゥレム君も、人の心が理解できているのかもね。」
「人の…心か。」
パッと、街灯に明かりが点く。気が付けば、当たりは既にかなり暗い。おそらく夕日もすでに、完全に沈んでしまったのだろう。
「ありがとう。話を聞いてくれて。」
「ううん、こちらこそ。ありがとう、IS学園を、私達を守ってくれて。」
立ち上がったドゥレムに、現は笑顔を向けながら礼を伝える。それが彼には、妙にこ恥ずかしくて、顔を背ける。
「俺が本当に、人の心っていうものが分かってきているのかは分からない。だが、現に話せて良かった。今、俺がやるべき、いや居るべき場所が見えた。ありがとう。」
答えも聞かず、ドゥレムは歩き始める。IS学園の病練に向けて。
そんな彼の後ろ姿を見送る現もまた、少し恥ずかしい胸の内であった。どうして、あんな恥ずかしい台詞をペラペラと喋ってしまったのか。冷静を装っているが、内心の彼女は、あまりの恥ずかしさに右往左往、七転八倒の大暴れであったが、勿論ドゥレムはそんな彼女の内心を勘づくことはできはしない。一人、スタスタと進んでいくのであった。