「ドゥレムディラっていう存在は、天廊人によって造られたものだって、もう話したよね?」
モコモコした防寒着に身を包んだ黒髪朱眼の少女が、モスクワから四十km離れたとあるロシア領の田舎町にある喫茶店で、長い黒髪を一つにまとめた日本人の少女に語りかけている。
「あぁ。」
ぶっきらぼうに日本人の彼女は答える。名を篠ノ之 箒という彼女は、スプーンで掬った暖かいボルシチを一口食べる。
「そして私は、お母様に造られた…。彼も私も、強くあれと造られたから当然それに見会うだけの強さが与えられた。」
防寒着の少女、ラ・ロは口角を上げながら楽しそうに喋る。
「でもアレは違う。」
ラ・ロは、その視線を外に向ける。この街が、一般市民が最もモスクワに近付ける地点。ここから先の地域は軍が二十四時間監視し、吹雪の領域に市民が進入しないようにされている。それでも、吹雪の境界線まではまだかなりの距離があるため、ここからその領域が見えることはない。しかし、ラ・ロの視線の先には間違いなく吹雪の領域と、その主がいる。
「造られた訳じゃない。自然発生し、進化を重ねて、種の力としてその領域に達した正真正銘の化け物、ディスフィロア。その中でも彼は別格。元の世界では、『極み闘争う』なんていう二つ名で呼ばれる異質な存在。もう原種とは別次元なんだよ彼は。」
「良く言う。貴様も『極み嘲笑う』と呼ばれたのだろう?」
箒の言葉に、ラ・ロは満面の笑みを見せて彼女に視線を移す。浮世離れした彼女の愛らしさが助け、見るものを誘惑するだろうその笑み。だが箒は、その笑顔が底知れぬほど不気味に思う。
「そうだよ!だから私達は戦うんだ。」
笑顔だけは年相応。しかし口から出る言葉は、他者を殺すための明確な意思表示。箒は、その不釣り合いな様に、思わず吐き気を催す。だが、今は我慢するのだ。一夏の隣を勝ち取るために、何だって利用すると決めたのだから。再び外へと視線を戻したラ・ロに倣い、箒も外の青空を見詰める。いつかこの地で出会うことになる、一夏に思いを馳せながら。
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睡蓮襲撃から翌日明朝
「やれるだけの処置はしました。」
襲撃の一報を受け、急ぎ日本に戻ってきた千冬は、町の病院へと直行していた。既に手術も終わり、施術した外科医と、現の主治医の二人から経過説明を受けていた。そこには、現の父親も一緒だった。
「む、娘は?」
「ひとまずの峠は越えたと言って良いでしょう、意識も体力が回復次第戻るはずです。」
ネームプレートに、早川と書かれた外科医の言葉に父親はほっと胸を撫で下ろす。
「宝条先生がちょうど居て、直ぐに輸血の準備が出来たのが幸いしました。お陰でぐっと生存率が上がった。」
早川が、隣に座る現の主治医で、ネームプレートに宝条と書かれた若い医師を称賛する。彼は「いやそんな…」と謙遜するが、父親は宝条の右手を両手で掴み、深々と頭を下げる。
「宝条先生、いつも娘がお世話になりながら、今回も助けて頂き…本当に、……本当にありがとうございます!」
「そんな、佐山さんやめて下さい。まだ油断は出来ない状態なんですから。」
宝条の表情は暗い。父親は「え?」と表情が青くなる。
「意識は待てば回復するはずです。ですが、そこから長いリハビリも始まります。まだ若い彼女が、今まで出来た事が出来なくなってしまうストレスと戦う……我々でしっかりと支えてあげなければ、心が壊れてしまう場合も…。」
ゴクリと、父親が生唾を飲み込む。現は気丈な娘だ。この難関も乗り切れると、父親である彼は信じているが、最悪の場合も頭を過ってしまう。
「当然、私達も出来うる限りのサポートはします。佐山さんも、そしてIS学園の皆さんも、どうか協力をお願いします。」
一通りの説明、今後の方針を話終えると、四人は応接室を後にする。だが、千冬と父親の間に流れる気まずい空気は、とてもいたたまれないものだった。もしもの事を考え、見送るために着いてきている宝条も、その空気を敏感に感じ取っていた。
「娘は……家内に良く似ているんです。」
不意に、長い廊下を歩いていると父親が口を開く。千冬は、「え?」と無意識に呟くと、父親へ視線を投げ掛ける。
「海外を飛び回る母親の事が、きっと恋しかったと思います。ですが幼いながらもアレは、それを少しも見せはしなかった。……私達にとって。現は宝であり、誇りなんです。」
「……ハイ。」
恐らく来るであろう叱責に、千冬は備える。何を言われても文句は言えず、その怒りが正当であると知っているから、彼女は耐えようと覚悟していた。
「………だから、私達もあの娘に恥じない人間でなければならない……。親の意地です。」
彼は、不恰好な笑みを浮かべる。憤怒、後悔、哀愁、様々な感情が見え隠れするも、それが今彼が見せられる精一杯の笑顔なのだろう。
胸の奥から迫る痛みが、千冬を強く苛んだ。これなら、罵倒された方がマシだ。そんな表情を向けられ、彼に我慢を強いてしまう位なら、ここで殺されてしまう方が、何倍もマシに思えた。だが、それは許されない。彼女は、この罪を背負い立ち向かわねばならない。逃げるわけにいかないのだ。
「家内に、現の元気な姿を見せて挙げたい……手伝って頂けますか?」
「全身全霊をかけて。」
せめて、真摯な言葉には真摯な思いで答えようと、千冬は即答する。彼も千冬のその態度に満足したように頷いて見せる。
「……聞けば、今学園で保護しているモンスターが助けてくれたとか……。出来れば、感謝している旨を伝えて頂けますか?」
「承りました。きっと彼も喜ぶでしょう。」
「あ、織斑先生。一つ宜しいですか?」
不意に、宝条が会話に参加する。千冬も首を軽く傾げて、「何ですか?」と問う。父親も、宝条に視線を向けていた。
「佐山さんの怪我は、かなり深刻な物でした。骨折は四ヶ所、特に、大腿部からの右足の欠損。出血量が凄まじく、一秒を争う状況だったはずです。」
「だったはず?……実際はそうではなかったと?」
彼の言い回しに、不思議な部分を感じ取った千冬が問う。それは父親も同じようで、二人とも宝条をじっと見詰める。
「佐山さんは、右足の患部が氷結した状態で運ばれました。普通ならば凍傷を起こしそうなものですが、それはなく、むしろ出血を押さえて彼女の生命を守った。彼女を運んできたあのモンスターは……いや、そもそもモンスターって一体。」
「私にも分かりません。ただ……、彼は、ドゥレムは我々の仲間です。それだけは信じてあげて下さい。」
宝条の疑問はもっともだった。千冬は、それに対する明確な返答を持たない。それでも、彼女は自分の思いを口にする。信じて欲しいと、ドゥレムという彼を恐れないで欲しいと願いを込めて。
その思いが届いたのか、宝条も現の父親も互いを見合わせながらも頷いて見せた。
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『IS学園、呆れた警備体制』
『学園管理のモンスター、市内の病院に侵入⁉』
『IS学園生徒一名、意識不明の重体!』
メディアの記事は、どれも似たような見出しに彩られていた。一夏は一人、それを悔しそうな表情で見詰める。
今日は月曜日なのだが、昨日の襲撃を受けて生徒には自室待機が命じられていた。そのせいで、一夏は一人無気力に時間を過ごしている。勉強しようにも集中できず、料理のレシピも考えられない。頭の中を占めるのは、現の安否とドゥレムの今後の不安だった。
所属不明のISを、ドゥレムが無力化したという事実は、国際社会において重く受け止められている。拡大解釈をすれば、ドゥレムというモンスターが人類に牙を向いたのだと、国連は大義名分を掲げ、彼の身柄を管理しようとする可能性だってある。そうなった時、自分はどうするべきかを考えると、一夏は何も手がつけられなくなってしまうのだ。
「一夏、いるか?」
不意に、廊下から声がする。声の主は直ぐに分かった。ドゥレムだ。一夏は慌てた様子で、自室の玄関へと向かう。彼も自室で待機が命じられていたハズだがと思いながらも、その戸を開ける。
そこには、少し困ったような笑顔のドゥレムが立っていた。
「どうした?」
「いや……少し話がしたくてな。」
妙によそよそしい彼に、疑問も抱くがひとまず部屋に招き入れる。
「コーヒーとお茶と紅茶とチャイ、どれが良い?」
「相変わらず多いな……。じゃぁコーヒーで頼む。」
「あいよ。」
カチッとコンロに火を点けて、ヤカンの水を沸かす。コーヒーは一夏自身かシャルロットしか飲まなかったためストックは十分あるハズだと、一夏は戸棚を探す。瓶に入ったインスタントコーヒーが直ぐに見つかった。千冬が昔から飲んでいた銘柄なため、気付けば一夏もこればかりだ。一度豆から挽いてみたいなという願望は、彼のささやかな夢の一つである。
「おまたせ。」
コーヒーを注いだマグカップを二つ持ち、シャルロットと箒が使っていた勉強机に腰掛けるドゥレムに、その片方を差し出す。
悪いなと一言告げて、マグカップを受け取った彼は、白い湯気がふわりと発つコーヒーを一口嗜める。
「あっついな。」
「お湯で入れたからな。」
分かるだろなどと、野暮なツッコミはしない。ドゥレムの鉄板ネタだと知っているから、一夏もいつも通りに返す。二人は、クスリと笑った。
「で話って?」
一夏も、自分の席について切り出す。ドゥレムは嬉しそうな笑顔を見せて口を開く。
「さっき、麻耶に千冬から連絡があってな。現は大丈夫だそうだ。」
なんとも心が踊る報告に、思わず一夏も「本当か!」と晴れやかな表情で身を乗り出す。
「あぁ。リハビリに時間が必要だが、俺達にも協力して欲しいそうだ。」
「もちろん。俺達に出来ることなら、精一杯助けていこうな。……そうか、無事だったか…。」
肩の荷が降りたと、一夏は深く椅子に座る。心なしか、インスタントのコーヒーが美味しく思えるほどに、彼の心は晴れ渡っていた。それほどの朗報だったのだ。
「でも、話はそれだけじゃないんだろ?」
一夏は、部屋に入ってくるときに見た、ドゥレムの表情を覚えている。困ったような笑顔。あんなにも、現の身を案じていたドゥレムならば、きっとあんな表情はしない。他に何かがあったのだと、一夏は見逃しはしなかった。
「……そうだなぁ……。どこから話すべきか。」
暫く彼は押し黙る。その視線の先には、点けたままのテレビニュースが映っていた。ニュースには、どこかの大学の教授をしているコメンテーターが、IS学園を批難している様がまざまざと報じられている。テレビを消そうと、一夏が言おうと口を開く前にドゥレムがポツリと語り出す。
「俺はお前達とは違う。価値観も、死生感も誤解なく共有はできないだろう。」
そんなことはない。と口にしようとしたが、一夏は黙してそれを飲み込む。ドゥレムが、そのことに後ろめたさや、疎外感を感じている訳ではないと知っているからだ。比喩や自嘲を含めた言葉ではないと知っているから、彼は敢えて何も言わない。
「だがお前達と関われて、共にいることができて、俺は幸せだと思っている。……ありがとう。」
「いきなりどうした?まるで今生の別れみたいに……。お前、まさか…!」
一夏は嫌な想像にかられ、まるで掴みかかるような勢いで立ち上がる。ガタンと音を発てて、一夏がかけていた椅子が倒れる。ドゥレムはまた困ったような笑顔を浮かべた。
「自分から離れようと……ふざけんな!」
「ふざけてないさ。俺が行かなきゃならない。コレばっかりはお前らを巻き込む訳にはいかないからな……。」
一夏は、違うと気が付く。会話が噛み合っていない。一夏はドゥレムが、自分の存在が学園を脅かしていると考え、ここを離れると言い出したのかと考えたが、ドゥレムの物言いにはその先があると気が付く。
「なんだよ……いったい何の話をしてるんだ⁉」
「ディスフィロアが動く。」
表情が、鋭く変わった。ドゥレムのその鋭い眼差しには、モンスターの面影があった。ディスフィロアという名前に、一夏も一瞬動きが止まる。
「なんで…分かる?」
「説明のしようがない…。だがこの尋常ではない殺気は、ディスフィロアのものだと直感したんだ。」
ドゥレムの言葉に迷いはなかった。説明が付かないが、どうしようもなく理解してしまったのだろう。しかし、ハイそうですかと、納得のできる一夏ではなかった。
「なんでお前一人なんだ。俺だって戦えるハズだ!」
今までもそうだった。ドゥレムと仲間達と共に、モンスターとの戦いを乗り越えてきた。だから今回も共に戦うと、一夏は声を荒げる。
それでも、ドゥレムは首を縦には振らない。
「ディスフィロアは違う。今までとはまるで違う。」
ドゥレムの意思は固かった。ただ真摯な眼差しで、一夏を見ていた。
「バルファルクも相当だったが、比じゃない。」
嘘や偽りではない。本心から彼はそう語っている。だが、そうかと納得できるハズもない。
「なら……尚更お前を一人で行かせられないだろ!仲間じゃねぇかよ!」
「……分からないか?足手まといなんだ。」
ギラリと、ドゥレムは一夏を睨む。始めて見る眼差しと、明確な拒絶の言葉に、一夏は二の句を失う。
「ディスフィロア相手に、お前達に気を使って戦えるほどの余裕があるとは思えない。……もう一度言うぞ、お前達《人間》は来るな。」
困惑し、そして憤る。一夏はドゥレムから向けられた明確な拒絶と、戦友とまで思っていたのが、自分だけだったのだと痛感し、その心の内に憤怒の炎が広がる。握り拳に、爪が食い込む痛みも無視し、歯が割れるのではないかと噛み締める。
「……話はそれだけだ……。お前達は、ディスフィロアの領域に絶対に来るな。これからは、モンスターの事なぞ忘れて、学生らしく過ごせ。」
そう言い残して、ドゥレムは立ち上がる。
「あぁそうかよ……じゃぁ勝手にしろよ!」
一夏は叫び、机を叩く。マグカップが倒れ、溢れたコーヒーが床のカーペットまで流れてシミをつくる。
ドゥレムはそんな一夏の横を通りすぎ、黙して部屋を後にしてしまったのだった。