「初めまして、シャルル・デュノアだよ。」
退院したドゥレムは、金髪碧眼の青年を前に目を丸くさせていた。
自己紹介から、彼が一夏の言っていた、もう一人の男性IS適合者なのだとは直ぐに分かった。しかし、ドゥレムはそれに驚愕している。
彼が中性的だから?いや違う元がモンスターである彼は、嗅覚が一般的な人類より多少鋭い。妙な話ではあるが、彼女から男の匂いがしなかったのだ。いや、むしろ匂いを隠しているようにさえ、ドゥレムは感じた。
「……ドゥレムディラだ。」
求められた握手に応え、ドゥレムも手を差し出す。柔らかい手の感触は、まるで女性のようでよりドゥレムは困惑する。
いやしかし人はそれぞれ特長が顕著だと、ドゥレムは今まで出会った人物を思い出しながら、改めて彼に目線を向ける。女性のような男性。男性のような女性。きっと世の中には沢山いるのだろう。
ドゥレムは一人納得し、シャルルを迎え入れる。
「えと、ドゥレムディラってモンスター……なんだよね?」
「ドゥレムで良いぞ。あぁ、俺は人類ではなくモンスターの一匹だ。まぁ、今は人の格好をしているが、少し気合いを入れれば本来の姿に戻れる。」
「あれって気合いでなってたのか。」
驚いたように、一夏が口を挟む。
「まぁな。正確には違うような気がするが、まぁ適当な説明は多分気合いだ。」
とりとめのない会話を交わしながら、昼の食堂へ向かう三人。セシリアは今日も昼の時間も射撃訓練に当て、鈴は職員室に入り用で、それが済み次第セシリアと合流し、訓練に付き合うつもりでいるようだ。
「にしても、ドゥレムの退院早かったな。前会った時なんかは、立ち上がって歩くのさえ難しそうだったのに。俺はまだギブス外れないんだぜ?」
「それはあれだ、モンスターと人間の差だよ。」
ニヤリと笑いながらドゥレムは、少し自慢げに言う。「羨ましい」とため息混じりに口にする一夏は、右腕が固定されたギブスを、左手で優しく撫でる。彼のギブスが外れるまで、まだ二週間ほど掛かるらしい。
「あぁ、思いっきり風呂入りてぇなぁ……。」
一夏は呟く。ギブスは、一度装着すれば簡単には着脱出来ない。外すときには、専用の刃物を用いるのだから当然だ。そうなると、シャワーやお風呂にギブスを着けたまま入れば、ギブス内が湿気りよけいに痒くなる。
確かに、ギブスをしている間も車のワイパーの芯の部分に似た金属の薄い棒をギブスの隙間に挿し、中を掻くことは可能だが、やはりというか、掻きづらい場所は多いし、時々引っ掻き棒が突き刺さり痛いしで、よけいな痒みの地獄を味わいたくはないと、ギブスをした多くの人間が、患部を濡らさないように細心の注意を払いながら、風呂やシャワーを楽しむことになる。
しかし一夏の場合は、彼以外には男子が居ない影響で、学生寮にある大浴場は使用できずにいたため、ここ数ヵ月間風呂には入れず、自室に備え付けられているシャワー室で済ませていた。当然、ギブス装備のシャワーとなると、風呂でそれをするよりも何倍も難しい。それ故に、彼の貯まるフラストレーションは並々ならぬものとなっていた。
「風呂か……話には聞いてるけど、俺も入ってみたいな。」
ドゥレムがそれとなく呟くのを聞き、一夏はとある疑問を抱く。
「そういえば、ドゥレムは体洗ってるのか?」
「あぁ、職員用更衣室に備え付けられてるシャワーを夜中に貸してもらってる。シャンプーだとかリンスだとかも、確り教えてもらったぞ。」
一夏の質問に直ぐに答えるドゥレム。
それなりに長い時間を共に過ごしてきたが、ドゥレムのそういった部分は知らなかったなと、一夏は心の内で振り返る。
「聞けば、温泉っていうものもあるんだろ?興味はあるのだがなぁ。」
「温泉かぁ、僕も日本の温泉は行ってみたいなぁ。」
シャルルもドゥレムも、まだ見ぬ『日本の温泉』に思いを馳せている。
「温泉かぁ、今度皆で行きたいけど…。実際どうなの?」
一夏の言葉にシャルルは首を傾げる。意味が分からないからだ。何がどうなのか、文脈を読めず質問の真意が理解出来ない。対してドゥレムは、その短い言葉で彼が何を問うているのか察する。付き合いが長いからとかではなく、ただ、一夏がそれを直接口にするのを憚り、あのような不恰好な質問をなってしまっていた。
変に気を使わせてしまったなと、ドゥレムは自嘲気味に笑いながら、ゆっくりと答える。
「難しいな。やっぱりモンスターの襲撃や討伐命令が降りた時でないと、俺は学園の敷地から出られないみたいだ。まぁ、しょうがないことだがな。」
シャルルも、ドゥレムの返答で一夏が何を質問したのか察した。考えてみれば当然だ。人の姿はしているが、彼はモンスターである。一般人からすれば、それは恐怖の対象であり、現在の世界共通認識での人類種の天敵として扱われている。
彼が町に出て、その正体がバレてしまえば最悪パニック状態となってしまう。
だが、シャルルは納得できなかった。彼が学園に来る前、映像記録でモンスターとの戦闘を拝見していた。フルフル、ティガレックス戦ではモンスターへの決定的な対抗手段のない人類に代わり、先陣を駆けて戦った。鏖魔戦でもドゥレムは身を粉にし、決死の覚悟で戦っていたのは十二分に理解できた。だからこそ、彼はドゥレムの扱いに憤りを感じてしまった。思わず、口に漏らしてしまうほど。
「可笑しいよ!だってドゥレムはモンスターと戦って、人類を守ってくれていたじゃないか!それなのに……!」
そこまで言って、急にハッとした顔になり、頬を紅潮させて二人から目線をずらした。
一夏もドゥレムも急なことで驚きはしたが、一夏は直ぐに表情を綻ばせ、シャルルに目線を投げ掛けた。
「シャルルは……優しいんだな。」
一夏の、どこか大人びた優しい声音。単純に嬉しかったのだ。友人が正当に評価されている、それだけのことがまるで自分の事のように、彼には嬉しくて堪らなかった。
が、当の本人であるドゥレムは、シャルルの憤りを理解できずに黙って事の顛末を見守っていた。
「違う…、わ…僕は……ドゥレムがどんなに頑張ってたのか見せてもらっから。……一夏達と一緒にモンスターを倒していた様を。」
「うん。ドゥレムは頼りになる仲間だ。対モンスター戦において、学園内での最大戦力。そして無二の戦友。俺もドゥレムが、今みたいに自由を奪われているのは許せない。だけど、もしもの事を考えたら、仕方ない部分もあるって納得出来てしまう部分もあるんだ。」
悲しげな眼だった。シャルルも、一夏の語る仕方ない部分が何なのか、理解できている。
ドゥレムが仮に町に出て、その際に正体が看破された時のパニック。先程も言ったが、それは絶対に避けなければならない。理由は簡単だ。『モンスターは人間に変身出来る』その情報が一人歩きを始めるからだ。
実際には、人間に変身できる個体はドゥレム以外には確認されていない。しかし、この噂が世界中に拡散してしまえば、多くの人物が互いを疑うようになり、最悪の場合、かつての魔女狩りのように、無実の人々が謂われの無い疑いをかけられ、処刑されるような世の中になってしまう可能性もある。
だからこそ、ドゥレムのことを知る日本国会も国連も、その情報を決して公表しない方針で固まっている。だが完全な情報統制は不可能で、既にSNSなどでは、真しやかにモンスターが人間に変身できると、都市伝説のように囁かれている。
情報の出所は、おそらくIS学園生徒だろう。フルフル討伐後、多くの生徒がドゥレムが人の姿に成る様を目撃した。それをSNSに投稿した生徒が、一人二人いたとしてもなんら不思議ではない。
現在はまだ都市伝説の域を出ていないこの話も、もし国が正式に発表したり、ドゥレムが大衆にその正体を看破されたりすれば、民衆の抱いていた不信感が紛れもない現実のものになってしまう。そっなったとき、人類がどうなってしまうのか。最悪な想像ばかりが頭を過るのも、致し方の無い話だった。
「まぁ、自由っていう点で言うなら、俺は現状でも相当満足してるぞ。」
不意に、ドゥレムが口を開く。
一夏とシャルルが彼に視線を向けると、少しはにかんだ表情でドゥレムがぎこちない笑顔を見せていた。
「俺も結構長いこと生きてたけど、来る日も来る日も戦って、それがなければ寝て。何も食べずに何も飲まずに、無機質な部屋にずっといた。でも今は空の色は青色だと知って、海を知って、砂漠を知って、食べる喜びを知って、水の潤いを知った。それになりより、一夏達のような友人を知った。正直な話、もう充分に俺は自由なんだよ。」
あぁ、なんと謙虚なんだろうか。無知故に高望みせず、現状でも十分なのだとドゥレムは言った。一夏は、そんな彼の無欲の姿勢に一種の尊敬すら抱いた。
だが、繰り返しになってしまうが、彼の謙虚さは無知から来るものなのだ。世の中にある沢山の娯楽を知らず、美味を知らず、感動を知らないからこそ彼はそれを求めないのだ。
「ドゥレムは、それで良いのか?」
「今は良い。それに…」
「それに?」
小首を傾げ、言葉を投げ返すシャルル。
その仕草が妙に女性的で、再びドゥレムは混乱しそうになるが、続きの言葉を紡ぐ。
「お前達みたいに、受け入れてくれる人もいるんだ……いつか、あの亀裂が全部閉じて、世界中の人類が俺を受け入れてくれた時。その時は一緒に俺も温泉ってのに連れてってくれよ。」
鋭い八重歯が覗く、満面の笑みだった。疑いを持たず、人の善性を心の底から信頼している表情。まるで純粋無垢な子供が見せるような、そんな笑顔だった。
一夏もシャルルも、その笑顔の儚さに気が付いた。
いや、知っていたと言うべきか。人の善性に裏付けされた笑顔ならば、その信頼を裏切られ、人の善性が虚構だと気が付いた時彼はどうなるのか。
そうだ、彼はこの世界にやって来て、人間とコミュニケーションを取るようになって、ほとんど善人と呼べる人間としか関わっていない。一夏も、鈴も、セシリアも、千冬も、麻耶も、楯無も、そして現も。皆ドゥレムと確かな信頼関係を築き、友とも戦友とも呼べる間柄だ。
優しく、素晴らしいIS学園の仲間達と関わり、だからこそ彼は、人の汚い部分を、邪悪な部分を知らない。純粋に他人を信じてしまう。
「分かった。……今度、一緒に行こう。皆でな」
一夏は、笑顔で答える。その内心に、どうしようもない罪悪感を抱きながら。
罪悪感。何故だ。
何故一夏がそれを抱いた?
答えは彼が人間、人類だからだ。善人だけではない。他人全てを信用するのは危険だ。喉元まで出掛けた言葉を、彼は飲み込んだ。思い返す、自身のこれまでの生涯を。悪人と呼ばれるような、そんな悪事を働いた覚えはない。人道に逸れるような事をしたことなど、一度だってない。それでも、自分は善人だろうか?その疑問が、彼の口からその言葉を吐かせることに待ったを掛けたのだ。そもそも、真の善人と呼べるような人間は、はたして本当にいるのか。
生真面目な一夏は、思考の
「とりあえず、昼休みが終わってしまうぞ。速く行こう。」
そんな一夏もシャルルも、知らぬ存ぜぬとドゥレムは二人を急かし食堂へと足を進めた。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
あれが……目標か……。
IS学園校舎屋上の一角。食堂へと繋がる道を見下ろす銀髪の小柄な少女がいた。右目が眼帯で隠されているその風貌は、珍しい髪色かつ、同年代の少女達で比べても平均よりも小さな体。それに似合わず鋭い眼差しは獲物を狙う猛獣のようで、かなり目立つ要素を持っていた。
にも関わらず、屋上にいる数グループの女子達は、まるで彼女の存在に気付いてない。完全に気配を断ち、双眼鏡で食堂へ向かうドゥレム、一夏、シャルルの三人組にその眼光を向けていた。
「……ただの人の様だが……あれが本当に?」
訝しげにしながらも観察を続ける。
彼女に与えられた任務は単純明快。IS学園に入学し、自身の技術の向上。各国の代表及び候補生の実力調査。そしてドゥレム、モンスターの情報収集である。
職業軍人の彼女からしたら、学園に入らずともIS操作の技術には絶対の自信があった。命令が降りなければ、学園になど転入しなかっただろう。が、世界各地で発生しているモンスターの脅威に対抗する手段を見いだすため、ドゥレムディラという現在最も人類に近いモンスターから、その存在を見極めようと送り込まれたのだ。
彼女の名はラウラ・ボーデヴィッヒ。ドイツ代表候補生であり、ドイツ空軍軍人。
彼女は、その冷酷な眼差しをドゥレムに送り付けていた。