第一話:鱒廃
「……ん?」
目を覚ましたドゥレムは、何故自分が医務室にいるのか理解できなかった。
「っ⁉」
同時に、体中に走る痛みに顔をしかめる。
何が起きたのか。
記憶を手繰り寄せる。一夏と束が会話していたと思ったら、突然束が写っていた機械が爆発した。セシリアが、ドゥレムの前に飛び出し守ろうとしていたが、爆風で吹き飛ばされて何かに叩き付けられた。
「そうだ、その時に……気を失っていたのか。」
痛む体に鞭打ち、無理矢理体を起こすドゥレム。
窓の外に目をやると、鼠色の空からしとしとと、雨空模様であった。日が見えないために今が何時なのか分からなかったが、少なくとも日は跨いでいるのであろう。
彼は、ベッドから降り立ち上がろうとする。猛烈な痛みが体中に襲い来るが、歯を喰い縛り堪える。
一夏達はどうしたのだろう。
一抹の不安が、激痛を押し退けていた。共に爆発に巻き込まれた一夏達が無事なのかどうか。
摺り足気味に、重たい体を引き摺るように一歩づつ足を前へ前へと送り出す。病室から出るので一苦労だったが、覆い被さるような不安が彼を駆り立て、その歩みを止めさせはしなかった。
薄暗い廊下。普段ならばさして苦にならない長さが、妙に長く感じる。
「………………」
嫌に静かだった。まるで誰もいないかのような、空虚とした静寂がドゥレムの目の前に広がっていた。
「ドゥレム!」
飲み込まれそうな静けさに気圧されていた彼は、急に名前を呼ばれ、慌てて振り返る。
「……一夏……。」
そこには、いつもと同じ制服に身を包んだ一夏がいた。違うところと言えば、布で片腕を支えている。
「目が覚めたのか!…良かった……。」
ほっとした様子で、彼は息を吐く。その表情は柔らかく、一つ肩の荷が降りたように晴れやかだった。
「お前も無事で……鈴とセシリアは、大丈夫だったか?」
「あぁ、二人も無事だ。怪我したのは俺とお前だけだ。
」
それを聞き、覆い被さっていた重苦しい不安が、風に吹かれた綿のように、フワッと晴れていった。
良かったと安心したら、息を潜めていた激痛が再び彼に牙を向ける。
「っ⁉」
「ドゥレム!とりあえず病室に戻ろう、肩貸すから。」
倒れそうになるドゥレムを支え、一夏は彼を病室に運ぶ。当然だが、一夏も全治1ヶ月の骨折をしている。そんな状態で彼を支えれば、それなりの激痛が襲うが、我慢し表情にも出さず、一夏はドゥレムを病室まで運ぶ。
「……すまん……。」
「謝んなよ…、お互い様だから。」
やっとの思いで、ドゥレムを病室のベッドまで運ぶと、改めて彼をベッドに横にさせてナースコールのボタンを押し、自分も席に付く。
「これで、先生が来てくれる。」
「助かる。……俺は、どれくらい寝ていたんだ。」
一夏の表情に、一瞬陰りが入った。
「五日間だ。その間に、色んな事があった。」
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『IS学園敷地内で爆破テロ⁉生徒一名が重症』
新聞の一面は、どの紙面でも同じだった。犯人が篠ノ之束であることを言及する新聞社は少なく、むしろIS学園の安全管理体制への苦言が圧倒的であった。
週刊情報紙は、面白がってかあることないことを書き連ね、IS学園への風当たりは強まる一方だった。
「また、記者が詰め寄って来てますね。」
麻耶の言うように、束の爆発事件から二日目の朝も、本土とIS学園を繋ぐ道路には、TV局、新聞社のジャーナリストや、週刊紙のマスコミの集団が大量に押し寄せていた。昨日の昼に、学園長による謝罪会見を行ったのだが、彼等は揚げ足探しに躍起になっているのだ。
「反IS支持者が、IS不要論を言い回っている。襲い来るモンスターを神の御使いと崇め、人類の業を裁くのだと叫ぶ宗教家も台頭している。溜まり始めた不安が、形となって暴走しているのだろう。」
千冬は、昨日までに出た退学願いや転校手続きを処理しながら、麻耶の言葉に答える。
「でも、これじゃぁ最前線で戦ってくれた一夏君達が可哀想です。」
「………そうだな。」
走らせていたペンを止め、千冬が呟く。
無力感が彼女を苛んだ。あのマスコミ達を押さえ付ける力も、退学届けに転校届けを提出してきた、この32人の少女達を引き止めることも、彼女には出来ないのだから。
「織斑先生!」
バンッ!
と職員室の扉が開かれる。ソコには、以前モンスター対策会議に参加していた三年生の女生徒が、息を切らせてソコにいた。
「どうした?」
余りの剣幕に、何事かと彼女を見やる。
走ってきたとしても、あぁはならないだろう。彼女の表情は青白く、何かに恐怖しているようであった。
「TV!TV点けてみて下さい!」
促されるままに、職員室に備え付けられているTVを点ける。他の職員達も、どうしたのかとTVの画面に目を向ける。
「ニュースです。多分、今緊急でやってるはずなので。」
チャンネルを数回変えると、女性のニュースキャスターが画面に写った。この時間帯なら、まだこのチャンネルはニュース半分、バラエティー半分のような番組がやっているハズだが、写し出された画面は、そんな明るい様子は少しも無く、簡素なスタジオで速報を読み上げるキャスターがいるのみだった。
『繰り返します。ロシアのモスクワ市を中心に、半径約2kmが爆発。その後巨大生物の出現が確認されたとの事です。死傷者は約二万人に上ると見られ、邦人の被害者がいるかは、現在確認中との事です。』
首都直撃。
しかも世界有数の大国がだ。職員室内部もざわめく。
国連からの要請がなければ、学園にロシアへの救援が要請されることはないだろうが、それでも覚悟は必要だろうと腹を括る千冬。
『え?……嘘。……あ、新たに三件速報です。』
が、TVはソコで終わりではなかった。職員室内の全員の視線が、再びTVに集中する。
『エジプトに、既存の空間の亀裂から新たに巨大生物が出現しました。更に、中国タクラマカン砂漠に新たな爆発が発生、今までの個体を遥かに凌ぐ巨大な生物も確認されました。また、アメリカ領内太平洋沖海中で、巨大生物の存在が確認されたとのことです。』
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「同時に……四体。」
一夏の話を聞いていたドゥレムは、絶句していた。
「映像資料から、エジプトに出てきたのはテオ・テスカトル。中国はラオシャンロン。アメリカはラギアクルス。ロシアのはまるで分からない、ドゥレムと同じで初めて見るやつだった。」
「テオ・テスカトル…ラオシャンロン…あぁ、あの古龍か……。」
以前、一夏達との知識の共有の際、呼称を統一化した。そのため、よりスムーズに情報を共有出来るようになっていた。
「今まで飛竜しか出てこなかったから、てっきりそれしか出てこれないと思っていたのに。古龍に海竜種も出て来た。」
「……出てくるモンスターに制限はないのか……。分からないと言っていたモンスター。画はあるのか?俺なら分かるかもしれない。」
ドゥレムの言葉に、「少し待って」と携帯を取り出す一夏。そうこうしているうちに、保険医と千冬が病室を訪れた。
「ドゥレム、目が覚めたか。」
「ああ。一夏から、少し話を聞いた。俺が寝ている間に四体も出て来たみたいだな。すまない、大事な時期にこんな体たらくで。」
千冬は首を振り、優しげな声で話す。
「何を言う、お前が謝ることじゃない。とにかく、今は体を治すことに集中するんだ。」
「あった、これだ。」
携帯を操作していた一夏は、それをドゥレムに手渡す。画面には、ロシアのモスクワに現れたモンスターの写真が写し出されていた。恐らく、相当な望遠で撮影されたであろう画像は、乱れに乱れ一見何が写っているのか分からない。しかし、ドゥレムはその中に収められた、龍の姿を見据えた。
「白い………。骨格は俺に近いな。」
「言われてみれば確かに。アルバトリオンの系統に近い骨格だな。……じゃぁこいつも古龍の可能性が高いのか。」
「情報が何一つ無い、全く新しいタイプのモンスターだそうだ。モンスターハンター経験者も知り得ない。私達はこの個体をディスフィロアと呼称している。」
ドゥレムの言葉に一夏が答え、千冬が白い龍、ディスフィロアの名前を教える。
「ラオシャンロンは、現状では人の生活空間から遠く離れた砂漠をゆっくりとしたペースで歩き続けているだけで、驚異度は比較的低い。ラギアクルスは海底に潜ってしまい、現在消息不明。テオ・テスカトルは駐留していた国連軍を壊滅させた後、ラオシャンロンと同じようにゆったりとしたペースで半径約四kmの空間を闊歩している。ディスフィロアはモスクワに出現してから、モスクワの周囲は連日吹雪が吹き荒れ、生存者の確認もディスフィロアの動向も観測できていない状態だ。」
千冬の言葉を受けながら、ドゥレムは保険医の診察を受ける。
「国連やその国の軍隊はモンスターに攻撃を行ったのか?」
「出現後すぐに行方を眩ましたラギアクルス以外には、それぞれの軍が討伐に乗り出したが、結果から言えば効果は薄い。ラオシャンロンとテオ・テスカトルには、そもそも歯牙にも掛けられず、無視されているようだな。ディスフィロアに関しては、吹雪地帯に突入した全軍と通信が途絶えている状況だ。」
古龍が相手なのだ、仕方がない。
モンスターハンターを知る生徒達の多くは、口々にそう言っていた。今まで姿を表していたモンスターは全て飛竜種であり、それらにこれほどまでの苦戦を強いられてきたのだ。正に格が違うと言えるだろう。
保険医が、診察を終えると千冬になにやら耳打ちした後に病室を後にする。
「さて結論で言えば、現状四体のモンスターには、ロシア以外が不干渉で一致している。まぁ、ロシアは国の首都が襲われているわけだからな。黙って引き下がるなど納得はするわけないだろう。」
ドゥレムは、「妥当な判断だろうな」と呟きベッドに再び身を埋める。
「とにかく、今はよく食ってよく休め。私はまだ執務があるから、一旦離れる。三時頃に精密検査を行うそうだ。今が二時だから一時間後だな。それまでゆっくりしていると良い。」
「了解した。」
千冬も病室を後にすると「ふぅ」と、ドゥレムは力を抜く。痛みはするが、安静にしていれば、我慢できない痛みではない。しかし、一時間もぼうとするのは流石に苦であるので、一夏に声を掛ける
「あれから五日ってことは、今日は休日か……。」
「あぁ。その間に、他にも色々あったんだぜ?」
「ほう?」
そう、この五日間はIS学園にとっても、一夏個人にとっても平穏とは言い難い時間だった。
まず、総生徒数の激減。三年生は比較的に残っているが、二年生一年生の生徒は、その四分の一が自主退学、転校を選択し学園を去ることになった。空間の亀裂から古龍種が出現することが確認されたことにより、IS学園上空の亀裂からも、飛竜以外が出現する可能性が出てきたことによって、その驚異が伝播することで、多くの生徒が学園を離れる結果になったのだ。
しかし、転校生も二名やって来た。が、それがまた一癖も二癖もある二人だと言う。
一人はラウラ・ボーデヴィヒ。ドイツの現役軍人が転校生として、専用機のシュヴァルツェア・レーゲンを引き連れやって来た。が、出会い頭に一夏にビンタをかまし、「私はお前を決して許さない!」と怒鳴られたらしい。
そして、もう一人の転校生シャルル・デュノア。フランスで発見された、二人目の男性IS適合者とのことだ。
「いきなりのビンタの洗礼…お前なんかしたのか?」
「うぅん……正直完全な初対面なんだが、まぁ千冬姉に対する接し方とかから予測は出来るけどなぁ……。」
腕組みをしながら、一夏は口にする。
それは自分の過去であり、そして彼自身の黒歴史でもあった。