堂島金一の華麗なる食卓   作:神田瑞樹

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堂島金一の物語は加速する

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 初めて出会った時、彼女は酷く冷たい目をしていた。まるで世界を見下しているような、全てを無価値だと思っているかのような昏い瞳。

 それまで何度か顔を見たことのある老人から孫だと紹介された金髪の少女は、父さん――堂島銀――の名前を聞くと少しだけ頭を下げた。まだ礼法に疎かった当時のオレでもわかるぐらいその所作は気品に溢れ、未だ幼いながらも整った容姿は約束された将来を思わせた。日本人離れした真っ白な肌に輝かんばかりの黄金の髪。

 童話に聞く西洋の姫を体現したかのようなその少女は間違いなく当時のオレが見てきた同年代の少女の中で一番綺麗だったが、不思議と恋慕の情が沸くことはなかった。

 代わりに覚えたのは不満。

 確かに少女はこの上なく綺麗で可愛らしく、そして美しかった。しかしだからこそ余計にそんな濁った目でいることが許せなかった。父さんが話しかけても少女は殆ど笑みを見せず、多少なりとも見せた微笑も本心でないことは傍から見て明らかだった。

 可愛いんだからもっと明るく笑えばいいのに。

 そんなことを当時のオレは想ったものだった。

 

 

          Ⅰ

 暦上では一月以上もある学生の特権、夏休み。

 始まる前は長いと思うそれも終わってしまえばあっという間だったと感じるのは、きっと全国中の学生の共通することだと思う。

 壁にかかったカレンダーの日付は既に9月の二週目。

 二学期が始まってからおよそ1週間、改めて夏休みのことを振り返ってみるとそれなりに忙しい毎日だったように感じる。お嬢に言われたこともあり海外にこそ行かなかったがその分遠月リゾートで腕を磨き、時間が空けば薙切の屋敷に通ってお嬢の相手をし、久方ぶりに海に行きもした。こうして客観的に見てみると我がことながら充実した夏休みのように思えるが、その一方で空虚感を感じているのもまた確かだった。

 結局今年の夏も答えは―――“熱”は見つからなかった。

 何のためにオレは料理を作っているのか。

 その答えは未だ見つからないまま。

 つまるところだ。イベントやら何やらと色々あったものの、特にこれと言ったモノを得ることなく夏休みを終えてしまった。ここ数年は長期休暇を終えるたびにこんな感じなので今更肩を落とす程のことでもないが、こうも進歩がないとなるともう呆れしかない。

 そう。本当に何も変わらない。

 このもどかしい想いも、焦燥感も、熱を持つ料理人への羨望も以前のまま。

 堂島金一は停滞し、夏休みの前と後で何も変わってなどいない。

 しかしオレ自身は変わらずとも、オレの周りでは色々と変化が起きていた。

 そしてその最たるものが、

 

「ほら。早く起きて準備なさい」

 

 現在進行形でオレの顔を覗き込んでいる金髪のお嬢様だったりする。中々布団から起き上がらないオレに業を煮やしたのか、お嬢は毛布からはみ出ていた右手を取るとそのまま力を籠めて引っ張っていく。一見すればとても力がありそうには見えない華奢な細腕とは言え、そこは重い調理器具を自由自在に取り扱う料理人。

 右手が薄らと痛みを感じ始めたあたりでオレが上半身を起こすと、お嬢は呆れた目を向けた。

 

「まったく。もう学校が始まって1週間になるんだからいい加減シャキッとしなさい!」

「ん……」 

「はぁ。玄関の前で待っていますから身支度を済ませて早く出てくるように」

 

 そう言ってお嬢は部屋の襖を開いて外へと出ていく。

 さて何なんだろう。

 この妙なモヤモヤとした気持ちは。

 もう2週間以上も経つというのに未だにお嬢が起こしに来ることに慣れてないのか?

 少し考えてみたもののスッキリとした答えは出て来なかった。

 仕方なく一度思考を打ち切り、寝間着を脱ぎ捨てて壁フックにかかっているハンガーを手に取る。プロの手によって仕上げられただけあってキッチリと糊の利いたカッターは清潔で余分な皺一つなかったが、袖を通した時に感じる固さは相変わらずだった。

 思わず、決して広くはない今の自室を見渡す。

 毎日薙切の使用人が清掃してくれているだけあって室内はホテルの一室のごとく綺麗に整頓され、よく出しっぱなしにしているレシピ本なんかもタイトル毎に並べ変えられて本棚の中で整列している。確かに見ている分には綺麗なのだが、そこにちょっとした違和感と使い辛さを覚えてしまう。

 つい先日までオレの身の回りの世話を一手に引き受けてくれていた彼女の有能さとありがたさ。それを改めて実感しながらハンガーを戻した。

 

             ◇ 

 

 朝も早い時間から緋沙子がオレを起こしに来るようになったのは今年の春。一学期が始まるか始まらないかという頃のことだったと思う。

 授業をサボりやすいオレを真面目に学校に行かせるためにと、お嬢の命で始まったそれは、最初こそ違和感を覚えたもののすぐに慣れ、一カ月もたたない内に習慣となった。

 柔らかな緋沙子の声で目覚め、お嬢が待つ屋敷までの短い道のりを一緒に歩く。

 それがオレにとっての日常だった。

 そんな日常に変化が生じるようになったのは8月の下旬―――海から帰ってきてすぐのことだった。それまで屋敷で俺と緋沙子がやって来るのを悠然と待っていたお嬢が、緋沙子に代わって離れを訪れるようになったのだ。

 あのプライドの塊みたいな女王様がどうして急にそんなことをするようになったかはわからない。だから実際に一度聞いてみた。

 

 ―――どうして緋沙子の代わりにお嬢が来るようになったのか?

 ―――どうしてそれまで緋沙子に任せていた離れの清掃や洗濯を業者や屋敷の人間に任せるようになったのか?

 

 この問いかけに対して返ってきたのは『緋沙子の負担の削減』だった。

 元々緋沙子は普段からお嬢のスケジュール管理やら何やらでかなりの多忙。その上最近は『秋の選抜』が始まり余計に忙しくなっている。このまま俺の世話を続けていては緋沙子の負担が大きく、選抜の準備に十分な時間を割けない可能性があるから、主である自分がその役目を代わってあげたのだと。

 なるほど筋は通っている。

 実際お嬢はここしばらくの間緋沙子の秘書業務をいつもよりも減らし、より集中した環境で料理が出来るように自分の所有する調理棟の一つを提供している。

 自分の従者に選抜でいい結果を残せるよう配慮した主としての行動としては何一つ間違っていない、間違っていないように思えるのだが、そこに奇妙な引っ掛かりを覚えるのはなぜなのか。

 ここ最近緋沙子とあまり話していないからそんなことを思うのだろうか。 

 起きた時と同様に明確な答えを得られないまま、離れから屋敷までの慣れ親しんだ道をお嬢と並んで歩く。暦の上では秋に入ったとはいえ、未だ猛暑の続く東京はこの日もまた朝早くから暑かった。パタパタとシャツを仰ぎ、もうすぐに迫った秋の風物詩を思い浮かべる。

 

「そういや明日から本選だけど準備は終わってるのかよ、お嬢?」

「えぇもちろん。私達がそんな前日になって慌てないといけないような杜撰な計画を組むと思っているのかしら?」

 

 自信に満ちた顔でお嬢は小さく微笑を浮かべる。

 まぁ余り心配はしてなかったが、この分だと特に何の問題もないらしい。

 遠月1年生の代表的イベントである『秋の選抜』は既に予選が終了し、明日から予選を勝ち抜いた8名による本選が始まる。

 本選出場者の名前の中には極星の後輩である幸平や田所の名前の他、アリス嬢や黒木場、そして緋沙子の名前も当然存在する。

 

「幸平とアリス嬢の戦いも興味はあるけど、やっぱ緋沙子だよなぁ」

 

 初戦、緋沙子の相手はあの葉山アキラ。

 中等部の頃から成績優秀者としてそれなりに有名だったため以前から名前ぐらいは知っていたが、この前の予選で遂にその才能を目の当たりにすることになった。

 神の舌ならぬ神の鼻。

 料理において「香り」というのは「味」「見栄え」と並ぶ重大要素の一つ。幾多ものスパイスを駆使して香りを自在に操る葉山は間違いなく、『選ばれた』側の料理人だろう。

 

「お嬢は緋沙子に出す『お題』を知ってるんだよな?」

「……えぇ」

「まぁ何にしろ初戦から緋沙子もキツイな。やっぱアドバイスはしなくても試合前に声をかけるぐらいは―――」

「必要ないわ」

 

 思わず、そう言い切ったお嬢の顔を見る。

 一見しただけではいつもの澄ました表情。

 ただその中に薄らと不機嫌の色が見えた気がした。

 

「いやお嬢。必要ないって……」

「仮にも私の従者なのだからこの程度、緋沙子一人で何とかするわ。むしろ金一と接して緋沙子の中に緩みが生まれてしまうことの方がよくないわ」

 

 それだけ言うとお嬢はその話を打ち切った。

 やはりどこか奇妙な引っ掛かりがオレの胸に強く残った。

 

 

 

             Ⅱ

 遠月では一般の普通科高校と比べて休み時間がやや長く設定されている。

 その理由は授業一コマあたりが1時間半と長いこともあるが、それ以上に生徒達の移動時間を考えてのことだったりする。

 遠月は日本の高校としては珍しくアメリカのハイスクール式―――日本で言うところの大学の講義形式を採用しており、授業の度に生徒達が教室を移動するようになっている。

 だから授業の組み合わせによっては西館の一階から正反対の東館の三階まで向かわなければならない―――通称デッドパターンも生じる。

 自分である程度の授業を選択できる二年になるとそんな無駄に労力を使う組み合わせも減るのだが、それでも必須授業との兼ね合いで二学期からはこうして週に一度無駄に長い廊下を歩く必要があった。

 

「あー。めんどくせぇ」

「はは。すぐに慣れるよ」

 

 オレのぼやきに一色は爽やかに笑い流した。

 既に五〇人を下回った二年生同士。こうして前の授業が重なり、その後も途中までとは言え肩を並べて校舎を移動できるというのは中々に珍しいことだった。

 開始ベルに遅れぬ程度には急ぎながら、通る人数に対して圧倒的に広い渡り廊下を二人で歩いていく。互いの口から零れるのは終わった夏休みのこと、そして間近に迫った選抜についてだった。本選出場の決まった極星の後輩達はどうかと尋ねてみれば、頑張っているよと当たり障りのない返事が返ってくる。まぁそりゃそうだとオレが頷くと、一色は「まるで去年の自分を見ているようだよ」と目尻を緩めた。

 

「僕達の選抜からもうすぐ一年。時間が流れるのは本当に早いね」

「まったくだ」

 

 去年のほぼ同時期に行われた第四十二回秋の選抜―――オレ達の選抜。

 

「あの月天の間で闘い、金一君は今でも覚えているかい?」

「あぁ」

「あの時の勝者は君で、敗者は僕だった。判定が下った時の悔しさは今でもハッキリと思い出せるよ」

「そうか」

 

 そんなつまらない言葉しかオレの口からは出てこなかった。

 いや、少し考えればきっと他にかける言葉はいくらでもあるのだろう。もうあれから一年も経っているのだし、今更当時のことを掘り返した所で傷つくほど一色は軟じゃない。

 けどあの決勝のことを語るのは―――それも一色に語ることだけは許されない気がしていた。何も当時のことを覚えているのは一色だけじゃない。オレだってあの時のことは鮮明に覚えている。

 いつも飄々としている男が初めて見せた涙を、優勝おめでとうと差し出してきたその腕が小刻みに震えていたことを、一色慧が選抜にかけた“熱”を今でもハッキリと覚えている。だからこそ、そんな一色に確固たる“熱”を持たずに優勝してしまったオレがあの決勝について語るのは間違っている気がした。

 どちらともなく会話は途切れたが幸いその時には長かった廊下を渡り切っていた。

 ここから先は別方向。少しだけほっとした気持ちで一色に別れの挨拶を告げようとした正にその時だった。

 

「あっれ~? そこに突っ立ってんのは最近サボり魔からヒモにクラスチェンジした堂島と、爽やか腹黒の一色じゃ~ん」

 

 男にしては高く、それでいて無駄にキャピキャピとした声。

 それでいてこの口の悪さとなれば―――

 

「なに? また二人で授業受けんの? いい年して男二人でいつも一緒に行動してるとかホモなの?」

「やっぱ準決勝でオレに負けた四位か」

「うっせぇええ! つーか誰が四位だごるぁぁああ! 俺があの女より下のわけねぇだろうがっ!?」

 

 おっと。ついさっきまで選抜のことについて考えていたせいでつい、名前よりも先に去年の選抜での順位が口から出てしまった。四位―――もとい、遠月学園二年にして十傑第八席、久我照紀は怖い顔でオレを睨みつけると平均よりも随分と小さな身体を震わせた。

 おぉ。こわい、こわい。

 

「あのさぁ堂島。いくら司先輩に気に入られてるからって勘違いしないでよ?」

「勘違い?」

「そっ。どんだけ名前が売れていようが、十傑とそれ以外の生徒とじゃ大きな隔たりがあるの。わかる? 一般生徒の堂島君? わかったらもう少しそれらしい態度を―――」

「はっ。耳障りな声が聴こえてくると思ったらやっぱテメェか。自分が食祭のパートナーに選ばれなかったからって吠えてんじゃねぇよ」

 

 唐突に背後から聞こえてきた嘲りに久我は「はぁ?」と語気を荒げて振り返る。

 いや、さっきから久我の頭越しに見えていたとはいえまた珍しいヤツが現れたもんだ。

 オレらが揃って顔を会わせるなんていつ振りかと過去の記憶を振り返っている間にも、久我は新たに登場した十傑に噛みついていた。

 

「何でここに叡山がいるわけ? 人の話に割り込んでんじゃねぇよ。どっか別の場所に行けよ、てか遠月から出ていけよばーか!」

「俺がどこにいようと勝手だろうが。チビの分際で指図してんじゃねぇよ」

「身長は関係ねぇだろうがぁぁぁぁああ!!」

「ははは。こうして四人で集まるのも随分と久しぶりだね。でも二人とも、ここは廊下だからもう少しボリュームを下げようね」

「「なぁんでテメェに指図されなきゃならねーんだ一色ぃいいいいいい!!」」

 

 十傑『第七席』一色慧、『第八席』久我照紀、『第九席』叡山枝津也。そして今ここにはいない第六席も含めて、二年の十傑というのはぶっちゃけ物凄く仲が悪い。

 一年の頃から顔を合わせる度に何かしらの揉め事が起きていたが、十傑に入ってその仲は深まる所かより一層険悪になったらしかった。

 まぁオレのいない所で好き勝手やってくれ。

 巻き込まれてはかなわないので一人教室へ向かうことにすると、

 

「金一君」

 

 いつの間にかあの二人から抜け出していた一色に呼び止められた。

 

「ねぇ金一君。いつだかに寮で聞いた問いに対する答えはもう出たかい?」

「いや、まだだけど」

「なら急いだ方が良い。あまり時間は残されていないみたいだからね」

「ん? それはどういう―――」

「「おらぁ一色! テメェはなに関係ねぇふりしてんだゴラァァ!」」

 

 尋ね返す前に再び、一色は久我と叡山の諍いに巻き込まれていった。

 はぁ。ったく、今日は朝から納得のいかないことだらけだな。

 また一つ心に疑問を募らせてオレはその場を離れた。

 

             ◇

 

 お嬢は言った。

 緋沙子にオレの応援は必要ないと。自分の実力のみで闘うからこそ意味があるのだと。

 だから試合前の緋沙子に声をかけるなと、短く、そして冷たい言葉で言い放った。

 いったいお嬢が何を思ってそんなことを言ったのかは知らない。しかしオレに言わせれば緋沙子は決してお嬢が危惧するほど弱くない。

 とは言えそんなことをバカ正直に言った所で反論されるのが関の山。それどころか最近の予測不可能なお嬢の行動を思えば最悪、緋沙子の下に行かぬよう監視を付けられる恐れもあった。だからこそあえて何も言わず、こうして夜も更けた時間になってからこっそりと離れを抜け出し緋沙子が籠っているという第四調理棟に来たのだが、

 

「さすがにこれは予想してなかったな」

 

 パターンとしては二つ想定していた。

 一つは仮眠室で睡眠をとっているために既に厨房にいないか、あるいは寝ずに未だ厨房で調理を行っているか。現在の時刻と制限時間から考えれば後者の方が可能性は高いと踏んでいたが、もしも既に寝てしまっているようなら朝になってから出直そうと考えていた。

 ところがだ。

 確かに緋沙子は厨房の中にいた。

 けれどここ最近碌に顔を合わせることも少なかったその可愛い妹分は、部屋の隅に置かれた試食のための小さなテーブルに突っ伏し、静かな寝息を立てているではないか。

 正直いって礼儀やマナーを大事にする緋沙子がこんな場所で眠っている姿を見るのはすこぶる意外だったが、それもテーブルに置かれていたノートを広げれば納得へと変わる。

 いったい朝からどれだけの時間を費やしたのか。

 ノートには緋沙子がこれまで辿った足跡がレシピとなって記され、ほぼ終わりのページまでずらりと文字と絵で埋め尽くされていた。

 また改めて厨房を見渡せば、そこには未だ乾ききっていない調理器具の数々。

 

「頑張ってたんだな」

 

 やっぱり緋沙子は決して弱くない。これだけ“熱”を持って料理に取り組める料理人がオレの一言で甘えを見せてしまう程弱いわけがない。

 だから予定とは違う形になるが、オレはオレなりの方法で緋沙子に応援の言葉を送ることにした。袖を捲り置いてあった予備のコックコートに身を包む。

 幸いお嬢の所有する調理棟だけあって材料は良いものが揃っている。

 さて、と。

 

「頑張れよ、緋沙子」

 




遅くなりました。
ここから物語は一気に佳境に入っていきます(の予定)。

恐らく完結までそう遠くないと思いますが、それまでよろしくお願いします。

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