堂島金一の華麗なる食卓   作:神田瑞樹

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堂島金一の周りには美人が多い

            Ⅰ

 時の流れというのは本当に速い。

 つい先日までピンク一色に染まっていた学校前の桜並木は今や緑で溢れ、ほんのりと肌寒かった夜風はいつからか熱を帯びるようになっていた。

季節は夏、暦は7月の下旬。

 終業式という区切りを迎え正式に一学期の修了過程を終えたその日の夜、多くの生徒が帰省の準備に追われる中でオレはいつものようにお嬢の部屋にいた。

 正確に言うならばいつものように呼び出されたわけだが、その呼び出した当の本人はさっきから薄い通信簿に夢中だった。真剣な眼差しで成績を見つめるその姿はいかにも優等生らしい立派なものだが、生憎と今お嬢が手にしているのは自分の成績表じゃなかったりする。

 

「なぁお嬢。もうそろそろいいか?」

「もうちょっと待ちなさい」

 

 顔を上げずに断ると、お嬢は紙面に向かって何やら呟き始めた。時折眉がピクリと動くあたり、どうも少々納得のいかないことがあるらしい。

 いや良くもまぁ、他人の成績でそうも真剣になれるもんだ。

 今お嬢が開いているのは昼間に担任から手渡されたオレの一学期の成績表。学期末の半ば恒例行事なのでいつもの様に持ってきたが、何だか今日のお嬢は去年までよりも真剣度が上がっている気がしないでもない。

 とは言え、今回の成績には流石のお嬢もケチは付けられないだろう。

 何せ、

 

「今回はサボリがない」

「なに当たり前のことを誇らしげに言ってるのよ」

 

 どうやら目を通し終えたらしく、お嬢は通信簿を丁寧に折り畳んだ。

オレを見つめるその瞳には呆れの二文字がありありと浮かんでいる。

 

「一般教養はともかく、実習では全てA判定以上で学年総合トップ。ほらごらんなさい、ちゃんと真面目に出席していれば私と同じ成績が取れるんです。2学期もこれを続けて来年こそは十傑に―――」

「これだけ出席してれば少しぐらい休んだって問題ねぇよな」

「いいわけないでしょ!」

「いや冗談だって」

 

 まぁ授業をサボって放浪したいのは山々なんだが、どうも難しそうだし。

 だからお嬢。頼むからそんな怖い顔をしないでくれ。 

 笑ってごまかすと、お嬢は深々とため息をついた。

 

「まったく。金一は私と一緒の立場になるのが嫌なの?」

「そんなことは」

「だったら二学期も真面目に学校に通いなさい……あまり不安にさせないで」

 

 そういうお嬢の瞳はどこか憂いを秘めていて。オレには頷くしか選択肢が残っていなかった。正直、その上目遣いはかなりずるいと思う。

ちゃんと行くことを約束すると、お嬢は「そう」とそっけなく言い放ちつつも確かに表情を綻ばせた。

なんだろう、この可愛い生き物は。

 今から3か月ほど前―――そう、合宿から戻ってきたあたりからお嬢が変わった。

 別に我儘や小言が減ったとか、そういうのじゃない。むしろ前よりもこうして部屋に呼ばれる回数が多くなった分、色々と注意や文句を言われる機会も増えたぐらいだ。

 けど、

 

「あら。糸くず」

「ん?」

「とってあげるからじっとしてなさい」

「お、おう」

 

 どこか雰囲気が柔らかくなった。

 膝を立ててオレの右肩に手を伸ばすお嬢の顔はいつも通り綺麗で、そして穏やかだった。かつての慢性的な不機嫌はいったいどこに行ってしまったのかと思わないでもないものの、まぁ喜ばしいことには違いない。

 好き好んで機嫌が悪い人間と接しようと思う人間はいないのだから。

 そう。喜ばしいのだが、

 

「そういえば金一。あなたこの夏はどうするつもり?」

「どうって言われてもな。これと言った用事はないし、いつも通り父さんの所で働いてからまた海外にでも行こうかと」

「だめよ」

「へ?」

「遠月リゾートの厨房を手伝うことは構いません。でも一人で海外に行くことは認められないわ」

「認められないって。いやお嬢それは―――」

「去年もその前の年も夏休みの間だけって言いながら結局日本に戻ってきたのは学校が始まった後じゃない。同じようなことにならないためにも今年は私の目の届く範囲にいてもらいます」

 

 これだ。

 雰囲気が柔らかくなった一方で、こうした強い束縛を感じる時が時折ある。

 確かに前から傾向はあった。もともとお嬢は独占欲が強いタイプの人間で、オレが長期間遠月を離れることがわかると昔からよく不服そうな顔をしていたし。

 でも以前は顔を顰めたり多少苦言を呈すことはあっても、今の様にハッキリとオレの行動を制限することはなかった。それこそ本当に幼子の我儘程度。

 こんなにも素直に自分の感情に従うなんてことは決してなかった。

 お嬢の変化が一過性のものなのか、それとも違うのかはオレにはわからない。

 それでもわかっていることが一つだけある。

 素直になったお嬢は前よりも可愛くて、そして少しだけ――――怖い。

 

           ◇

 

 薙切の屋敷を出る頃には既に日付が変わろうとしていた。

 時間が時間だけに少しは涼しくなっていることを期待していたのだが、生憎と分厚い扉を開いて感じたのは生暖かい空気。昼間の猛暑とは比べるまでもないものの、ねっとりとした嫌な風が全身にへばりついてくる。

 顔が歪みそうになるのをグッと我慢し、送りますと言って引かなかった緋沙子へと顔を向ける。

 

「じゃあ行くか」

 

 しかし返事はない。

 薄暗い中でよくよく目を凝らしてみると、緋沙子はどこかぼぉっとした表情で佇んでいた。緋沙子ともう一度名を呼んでみると、今度はびくりとその体が動く。

 意志の光が戻った瞳がぼんやりとオレの顔を捉えた。

 

「あっ」

「大丈夫か?」

「はい……申し訳ありません、兄様」

 

 謝罪の言葉と共に俯く緋沙子。

 最近、こういうぼおっとした姿を見る機会が増えた気がする。本人は別に何ともないと言っていたが、やはりどうしても違和感は拭えない。

 まぁそんな状態でもそつなくお嬢の秘書としての役割を全うしているのはさすがだが。

 

「やっぱ夜も遅いしもう寝たらどうだ? 別にわざわざついてこなくても―――」

「いえ、私がそうしたいのです。さぁ参りましょう」 

 

 そういって、緋沙子はオレの手を取り歩き出す。

 人工の光が消えた庭は暗かったが、月明かりが射していたために庭木や小石に足を取られるという心配はなかった。だから用心のためとして手を繋ぐ必要は正直全くないのだが、緋沙子は握った手を離そうとはしなかった。

 いつもよりも2時間ほど遅い帰り道を二人並んで歩いていく。

 陽の出ている時とはまた違う夜虫の音色に耳を奪われていると、ギュッと繋がる右手に力が込められた気がした。こっそりと目線を横へとずらせば、そこには淡い光の下でほんのりと紅く頬を染める緋沙子がいる。

 あぁ本当に可愛いな、もう。

 

「あー。そういや秋の選抜が決まったんだってな?」

「は、はい。その、無事に出場権を獲得することができました」

「まぁ気楽にやれよ? 緋沙子ならきっといいとこまで行けるからさ」

「……ありがとうございます。兄様」

 

 柔らかく緋沙子が微笑む。愛らしいその表情はこれまでオレが幾度となく見てきたものと何ら変わらない。いつもと同じ。

 そう、いつもと変わらぬ愛しい妹分の笑顔。

 なのに、なぜだろう。

 その笑みに違和感を覚えるのは。

 どこか取り繕ったもののように見えてしまうのは、一体なぜなのか。

 

「緋沙子」

「はい。どうかされましたか?」

「……いや。何でもない」

 

 お嬢も緋沙子も一色も、そして司先輩も。

 オレの周りで何かが起きている気がする。オレのあずかり知らぬ所で静かに、そして着実に何かが変わってきているような気が。

 

―――今年は荒れるかもしれない。

 

 妙な確信を胸に抱いて、高二最初で最後の夏休みが始まった。

 

 

 

          Ⅱ

 夏休みというのは学生に許された特権だと昔父さんは言っていた。

 纏まった自由な時間を持てるのは学生の時分だけ、だからその特権をどう活用するかによって今後の人生が大きく変化するのだとも。

 料理の神髄を極めようとするのもよし。

 日々の疲れを癒すのもまたよし。

 全ては己次第。

 そしてそんな生徒の自主性を後押しするかのように遠月では一般の高校ではあるような夏休みの課題というものが存在しない。だから極論すれば本当に何もしないまま2学期を迎えたっていいのだが、殆どの生徒はそれぞれ何かしらの課題を己に課して遠月を離れていく。ある者は北へ、ある者は南へ、またある者は遠い異国の地へ。

県境所か国境すらも越えて生徒が集まる遠月学園だからこそ起きる、夏休みの帰省ラッシュ。終業式から3日もする頃にはほぼ全ての生徒が距離の遠近を問わず実家へと戻っている一方で、未だ遠月に残っている例外も少数ながら存在する。

 例えば家庭に何かしらの事情を抱えて実家に戻れない者、例えば研究や実験のために学園の施設を利用する者、例えばオレのようにもっと後で帰ろうと考えている者。

 例えば、

 

「やっほ~。金一くん、遊びに来たわよ~」

 

―――そもそもの実家がこの遠月にある者。

 

 夏休み開始から4日目の昼下がり。

 窓の外で太陽がこれでもかと元気に日差しを振りまく中、前もって連絡どころかインターホンすら鳴らすことなく部屋に上がってきた銀色のお姫様はにこやかな笑みを振りまいた。相も変わらず整った容姿。ピンクの薄いトップスにショートパンツというラフな組み合わせから覗かせる手足はすらりと細く、時期外れの雪を思わせるほどに白い。

 名家のお嬢様にしてはいささか大胆な服装だが、本人の快活さと相まって非常に似合っている。少し街中を歩けばそれだけで注目の的間違いなしだろう。

 さて、と。

 

「このレシピ本誰が持ってたっけな。一色、いや司先輩か?」

「もう! 露骨に目を逸らさないでよ! せっかく私が遊びに来てあげたのに!」

「いや別によんでないし。つーか勝手に鍵あけて入ってくるなよ。インターホンはどうした?」

「えっ? だってこっちの方が早いじゃない」

 

 なにを当たり前なことをとでも言いたげな薙切アリス嬢。

 あぁそうだよな。言っても無駄だよなぁ。

 なんせお嬢の従妹だもんなぁ。

 溜息と共に読んでいた古書を閉じると、アリス嬢は邪気のない顔で畳に膝を折った。

 

「今日はえりなと秘書子が仕事でいないし、久しぶりに二人きりで遊びましょう!」

「二人?」

 

 疑問に思って廊下の方を覗いてみるが、いつもアリス嬢とセットでいる筈の黒木場の姿が見えない。ある意味では緋沙子以上に過保護な従者がここにいない理由―――

 

「……黒木場と喧嘩でもしたのか?」

「へ? してないわよ」

「じゃあ何であいつがここに……」

「あぁ。リョウ君ならまだ屋敷で寝ている筈よ」

「寝てる?」

 

 アリスお嬢を一人にしてあいつが?

 この時間まで?

 思わず目を点にしていると、アリス嬢は困ったように首を横に振った。

 

「ちょっと一晩新作メニューの開発に付き合って貰っただけなのにあんなに疲れちゃうなんて。リョウ君てば鍛えてる割にひ弱なんだから! 夜中に東京湾に飛び込むくらい別に何ともないわよね?」

「いやそれは色々とおかしい」

 

 どうやら哀れにも黒木場は気紛れな妖精の我儘に夜通し付き合わされたらしい。

 色々と振り回されたであろう後輩の苦労がありありと想像できる。つーか同年代でも頭一つ以上抜けて体力があるあいつを寝込ませるとか、

 

「やっぱ薙切ってこえぇ」

「ん? 金一君。何か言った?」

「いや別に」

「おかしな金一君。あっ、それよりも今日はこれを持ってきたのよ!」

 

 じゃじゃーんと効果音を口ずさんでアリス嬢が自慢げにハンドバッグから取り出したのは1枚のDVDだった。ちゃんとパッケージに入っている辺り、レンタルしたものではな購入したものらしかった。ジャケットには制服を着た高校生らしい二人の男女がアップで描かれ、下部に丸文字のタイトルが載っている。

 

「映画だよな? 邦画の。聞いたことねぇタイトルだけど」

「この前CMでやっていたから取り寄せてみたの。ふふ、私やえりなも一応は世間の常識について知っておく必要がありますからねっ!」

「それで映画か……」

 

 正直それはどうなんだと思わないでもなかったが、本人が満足ならそれでいいのだろう。

 受け取ったディスクをデッキへと入れる。

 オレも最近は映画なんて殆ど見ていなかっただけに正直に言えば多少期待している部分があった。パッケージの感じだと恐らくは青春系か恋愛系、派手なアクションシーンは望めそうにないがその分シナリオや感情の変化を楽しむジャンルだ。

 いったいどんな展開が待っているのか。

 軽い興奮を覚えてアリス嬢と共に映画を見始めたのだが、

 

……普通だな。

 

 視聴してから既に1時間半。丁度主人公がヒロインに告白するクライマックスシーンを目に入れながらオレは大よそこの映画の評価を固めていた。

 ジャンルはあらかじめ睨んでいた通り恋愛もの。その内容は至ってオーソドックスで、とある偶然から出会ったとある高校生の男女がすれ違いながらも徐々に自分の気持ちを自覚し、初めての恋に目覚めていくハートフルストーリー。

 キャストにはそれ程名の知れた俳優や女優はいなかったが演技力はそれなりのもので、設定やストーリーもベタベタな王道ではあるもののしっかりと作り込まれている。

 見たことを後悔するような駄作じゃないが、かと言って人に勧められる程の良作でもない。

 あくまでも普通。

 特に賞賛されることも非難されることもなく埋もれていくであろう、ごくごく普通の青春系恋愛映画。

 だからこそ意外だった。

 こんな平凡な映画をあの薙切アリスが飽きることなく見続けているという事実が。

 映画は互いの本当の気持ちを理解し合った主人公とヒロインが抱き合うシーンで幕を下ろした。画面を流れていくエンドロール。

 最後の最後まで捻ることなく王道を貫き通したその意地に最早関心すら抱いていると、突然右肩が重くなったのを感じる。8割方理由を察しつつ首を捻ってみれば、案の定そこにはオレの肩を枕にすやすやと寝息をたてるお姫様が。

 まぁ。寝不足の時に映画なんか見たらそうなるよな。

 映画を見ると言った段階からわかりきっていた結果。

 わからないことがあるとすれば、

 

「恋愛映画なんか見て何がしたかったんだ、このお嬢様は?」

 

 真相は夢の中だった。

 




この作品を書いていて気付いたこと。
やっぱ普通のラブコメよりもちょっとヤンデレ要素混ぜた方が書いてて楽しいわ。

えりな様を嫁、秘書子を愛人にした未来をふと想像してみた。えりなが何の悩みもなく子育てする一方で、ひっそり子供を産んで儚げに笑う秘書子……うん。作者の頭(修羅場好き)じゃ昼ドラ展開にしかならないので却下。
つーかこれじゃあ金一君が下種すぎるし。

でも個人的には結構好きな展開なので暇があればIFとして書くかもです(どう考えてもBAD ENDだけどね)。


追記:なんか感想で榊涼子さんの名前が挙がっていましたが、作者的には榊さんは特に好きでも嫌いでもないキャラです。竜胆さんは……ごめんなさい。手元にある情報が少なすぎて好き嫌い以前の問題です。というか司先輩でさえ情報が少なくて書くのが難しいのに、他の情報が少ないキャラをメインで出すのはまず無理です。
せめて新刊が早く出てくれればな……







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