「大宴会をやる?」
「そうそう。あれ、盟友聞いてない?」
「初耳だ」
暖かな陽気の下、川に薬草の採集に来ていた信綱はにとりの話す情報に眉をひそめる。
「妖怪の山でやるのなら俺が知らないのも無理はないと思うが」
「いやあ、博麗神社でやるって話だよ。盟友なら真っ先に聞いてもおかしくないと思うけど」
「ふむ……」
採集の手を止め、きしむ腰を叩きながら信綱は思案を巡らせる。
「……まあ、そんなこともあるだろうさ。あまり自発的に情報を集めるわけじゃない」
元々人から聞かされない限り、能動的な情報の収集はしていない方である。
放置したら明らかに不味い問題があるのなら話は別だが、今はそうではない。
何かあったら椛が教えてくれるだろう。自分はのんびりと阿求の側に侍っていれば良い。
そう思って信綱は手元の薬草――元気に走り回るから生傷が多い阿求のために集めている――を大切そうに撫でる。
「そんなもんか。でも楽しみだよ、博麗神社と来たら桜の名所じゃないか! 私も春には山の上まで登って見ていたものさ!」
「確かにあそこの桜は絶景だな」
まだ博麗の巫女が霊夢ではなかった頃。よくあの場所で先代と一緒に、ままならない現状への愚痴をこぼし合ったものだ。
大抵の場合で酒を持ち出す先代を止めるのが信綱の役目だったが、今にして思えばあれは先代なりの甘え方だったのかもしれない。
自分の暴挙を止めてくれる誰かがいることを喜んでいたのだろう。信綱が酒を取り上げると妙に嬉しそうだったのを覚えている。
「……先代の奴は掃除が大変だと愚痴っていた」
「先代って言うと、盟友の嫁さんか。なになに、惚気?」
「違う」
ニヤニヤと嫌な笑いを浮かべるにとりに、信綱は憮然となってそれを否定する。
彼女は自分を愛したが、自分は彼女を愛さなかった。その己が彼女を語るなど無礼に違いない。
そんな霊夢と先代が聞いたら噴飯物どころか殴られても文句は言えない考えを持ったまま、信綱は強引に話題を変えた。
「で、お前も宴会とやらに出るのか?」
「まあね。大っぴらに博麗神社に行けるなんて初めてだし、私も楽しみだよ!」
「言われてみれば、あそこは不可侵の場所だったか」
妖怪も人もあの場所で争うことは許されていない。
かつての百鬼夜行の折に鬼が向かっていたため、有名無実というかその気になれば破れる掟ではあるが、破って問題ないのはそれで八雲紫の不興を買っても問題がない大妖怪ぐらいである。
「博麗の巫女は妖怪退治もするし、あんまり行きやすい場所じゃなかったね。でも今代の博麗の巫女は懐っこいって聞くし、妖怪ならだれかれ構わず退治するとも聞かないし、結構話しやすいんじゃないかと思うよ」
「異変の時に容赦はしないだろうがな」
自分の教えを守っているのか、それとも霊夢自身の気質かは知らないが良いことである。
誰かに好かれるというのは大切なことだ。
好かれるということは、いざという時力になってもらえるということでもある。
そういったものは目に見えることはなくとも、確実に霊夢の利益になる。
「まあそれはわかった。せいぜい楽しんでこい」
「ん? 盟友は来ないの?」
「誘われていないだろう」
「じゃあ一緒に行こうよ。はい、今私が誘った」
「……阿求様に話をしてからな」
おそらく参加することになるだろう。妖怪が集まるような宴会など、阿求が無視するはずがない。
普段は話の聞けない妖怪から話を聞く好機であり、なおかつ楽しそうなことである。御阿礼の子としても、稗田阿求個人としても面白いものだ。
「ん、わかった。そんで盟友は何してたの? 釣りってわけじゃなさそうだけど」
「薬草摘みだ。もう終わった」
「そんじゃ少し話さない? 盟友に見せたいものがあるんだ」
「いつぞやのミミズ君は結構だぞ」
この前人里で見せようとされた時、造形としておぞましい物体になりすぎていて信綱でさえ嫌悪感を覚えたのは記憶に新しい。
あれと同じものを見せられたら思わず彼女を川に叩き込んでしまうだろう。河童だから大したことはないだろうが。
「今回は自信作だって!!」
「あと何回お前のそれを聞くことになるんだろうな……」
いい加減手段と目的が逆転していることに気づいて欲しいものだ。
「まあ良い。次に見せるものがしょうもないものだったら叩き壊すからな」
「ひどい!? 結構材料だってやりくりしてるんだよ!!」
「なおさら手段と目的が逆転する理由がわからん……」
河童は普段何を考えて生きているのか、聞いてみたいものである。
信綱は呆れきった表情になるが、帰る素振りは見せない。なんだかんだにとりに付き合う心積もりのようだ。
にとりはそれがわかり、嬉しそうに背負っている鞄を探っていく。
「ふっふっふ、今度のは本当に自信作だよ! なにせ盟友のアドバイスを逐一取り入れたんだ!」
「それができるならもっと前からやれ」
「正直、独創性とか意外性に欠けるから私としては面白くないけどね!」
「お前のは独創性と書いて爆発と読み、意外性と書いて故障と読むだろうが」
市場で彼女が何回小規模な爆発を起こしたか、数えるのも馬鹿らしい。
最初は怖がって皆が彼女のござから離れたというのに、もはや慣れてしまって誰も気にしなくなってしまった。
「さあ刮目せよ! これこそミミズ君……号だ!」
「おい待てお前今明らかに番号を忘れて――」
信綱のツッコミは無視された。
にとりの手にはうねうねとうごめくミミズ状のナニカがある。
このミミズの造形すら久しぶりに見た気がする信綱。以前は人の腕の形になっていたものもあった。
「……うむ、ミミズのように見えるな」
「でしょう! しかも半永久機関で動き続けるよ!」
「で、数は?」
「百ぐらいなら一日あれば作れるね!」
「それはすさまじいな」
素直に驚愕する。この河童がまともなものを作ってきたという点と、そのまともなものの性能の良さの二つに。
にとりは得意そうに胸を張り、これまでの苦難を語っていく。
「ここまで長い道のりだった……。盟友ったら何を作っても喜ばないんだもの」
「俺の忠告を最初から聞いていればもっと早くできたと思うが……」
「私にも技術者としての矜持があるのさ」
その矜持で道を見失っていたのだから世話はない。
信綱もよもや自分が生きている時に完成したものが拝めるとは思っていなかった。
手の上でうねうねと動く物体を睨んだまま、信綱はなんとも言えない気持ちでにとりを見る。
「……で、これをどうするんだ?」
「釣りに使ってよ。爆釣間違いなしだよ!!」
「気が向いたら考えよう。これはもらって良いのか?」
「いいよいいよ。元々盟友にあげるために頑張ったんだし」
「……なら、好意はありがたく受け取ろう」
自分が生きている間にあと何回釣りをするかという疑問もあるが、好意に変わりはない。
信綱はありがたくそれを受け取ると、今度は自身が懐を探って何かを取り出す。
「代わりと言うわけではないが、これをやろう」
「ん、なにこれ?」
「お前の見よう見まねで作った釣具だ。あの釣り竿の側にでも置いておけ」
手慰みに作った、とは見えないくらいその釣具は丁寧に作られており、にとりはそれを見て息を呑むと同時に信綱を見上げる。
常と変わらぬ無表情で、しかし信綱の目はここではない遠くを見ているように感じられた。
「盟友、これって……」
「お前にはもう思い出す人がいる。それと一緒に思い出せば良い」
つまり、これはいつか話していたにとりが忘れないための道具だ。
信綱に残された時間は少ない。もしかしたら妖怪の山でにとりと顔を合わせるのはこれが最期になるかもしれない。
そのため今日この場所に来たのは、薬草を採る以外にもこれを渡す目的があったのだ。
「…………そっか、盟友もそんな歳か」
「十分生きた方だ。できることなら山も谷も少ない方が良かったがな」
「あはは、そりゃ無理だ。盟友は色々なものに愛されてるよ」
その愛は決してまともな方向ではないだろう。
信綱は災難ばかりに見舞われた自分の半生を振り返り、肩をすくめる。
普通の人生を生きたとは言えないが、退屈しない人生ではあった。
何より御阿礼の子に三代も仕えることができた。
転生の期間が短くなる時期に生まれ落ちたことと言い、自分は過去の火継では誰も成し得なかったことを成し遂げられたのだ。
阿礼狂いにとって最大の誉れであり、幸福である。これ以上の人生など望むべくもない。
「……さて。用事がないなら俺はもう戻るが良いか?」
「あ、時間あるなら家に寄っていってよ。お茶ぐらいは出すからさ」
「……ふむ、まあ良いだろう」
にとりに会うことが目的の一つでもあったのだ。
彼女の家を訪ねてお茶を飲むくらいの時間はある。
信綱がうなずくとにとりは嬉しそうに川に入り、遡っていく。
「ほらほら、早く来ないと置いていくよー!」
「少しは案内をしろ。全く……」
さすがに川の流れに逆らって泳いでいく自信はないので、信綱は川岸の岩から岩へ飛び移ることで移動していく。
そうして人間と河童の組み合わせは、山の頂上付近にある河童の里へと向かっていくのであった。
河童の里は川沿いに作られており、常に騒がしく何かを組み立てる音が響き渡っている。
川沿いに集落があるのは彼女らが水辺に住む種族であるということも一因だが、もう一つの理由には騒音がひどいため川辺に押し込んでしまおうという天狗の事情も絡んでいた。
しかし河童はそのような天狗の思惑はつゆ知らず、今日も今日とて大好きな機械いじりに励むのであった。
「最近は人里からも機械が流れてきたり、色々といじれる素材が増えてるんだ! これも盟友さまさまだよ」
「以前はこの近辺だけだったのか?」
「天魔様もあんまり積極的じゃなかったしねえ」
なんでだろうね、と湯呑みを傾けながら不思議そうな顔をするにとりだった。
しかし信綱には天魔の考えが非常によくわかってしまい、曖昧な表情になるしかなかった。
そりゃすぐ手段と目的が逆転するような連中の好き勝手にはさせたくないだろう。それをする刺激か利益のどちらかがない限り、彼らの行末を左右させる身で無茶はしない。
というか現状、河童に好きにさせているだけでも信綱は天魔を尊敬しているくらいだ。
自分だったら間違いなく手綱を握り続けて自由など与えない。
「……なんだろ。なんか寒気が」
「泳いできたからだろう。最近の機械いじりとやらはどうなんだ?」
「お、聞いちゃう? それ聞いちゃう? って言っても、最近は天狗がみんな新聞に夢中だから、それに関わるものを作っていることがほとんどかな」
「道理で最近、新聞が多く出ているわけだ」
昔は週に一回どころか、月に一回でも出れば多い方だったというのに。
最近は異変が続いていることもあって、多くの天狗が新聞を作ることに熱中している様子だった。
信綱の元にも何人か天狗が来ており、新聞を配る姿を見た覚えがある。燃料が向こうから来るので楽ができているとは女中の言。
「まあ向こうは趣味で作ってるからねえ。最近だと情報だけじゃないのもあるんじゃない?」
「そうだな。飯の情報を載せてくる新聞もあるし、中には自作の小説だけを載せてあるものもあるくらいだ」
しかも意外と人気がある。
幻想郷の新聞として真っ先に思いつくのは一番最初に始めた文々。新聞であり、知名度も群を抜いている。
それに対抗するためには同じ方法ではダメだと考えたのだろう。
にとりはそれを聞くと顎に指を当て、不思議そうに首を傾げる。
「それって新聞っていうの?」
「知らん。あいつらは新聞と言っているから良いのだろう」
誰かが困っているわけでもないのだ。信綱が介入する必要性は感じなかった。
と、そんな風ににとりと最近の妖怪の山の情勢について話していると、玄関の扉が勢い良く開く。
「こんにちはー! 清く正しい射命丸ですけど、以前頼んでいたカメラの修理ィィィィィ!? な、なんであなたがこちらに!?」
勢い良くやってきたのは文だった。入ってきて早々、信綱が部屋にいることに仰天してしまう。
そういえば自分がにとりと知り合いなのを知っているのは僅かしかいないな、と思いながら信綱は肩をすくめる。
「俺が誰と知り合いでも良いだろう。にとり、客だぞ」
「あ、うん。カメラの修理だったよね。レンズの調整が終われば完成だから、上がって待っててよ。すぐ終わらせちゃうからさ!」
「え、この人と二人で!?」
「そうだけど……何か問題ある?」
この世の終わりみたいな顔をされてしまうと、信綱もほんの少しだけ自分を省みてしまう。そこまで嫌われるようなことをしただろうか。
「俺は構わんぞ」
「わ、私も大丈夫ですよ、ええ! いつまでも人間に苦手意識を持ったままじゃいられませんから!」
苦手意識なんて持たれていたのか、と信綱は驚いた顔で文を見てしまう。
文は気まずそうに信綱の対面に座って、にとりからお茶を受け取る。
「んじゃ、後は適当にしててよ。私の部屋で何か音が聞こえても気にしないでいいから」
「わかった。俺も適当なところで帰る」
「はいよ、人間。楽しかったよ」
ひらひらと手を振って、軽い言葉とともににとりが部屋に入っていく。
その言葉がこの場での別れだけでなく、永遠の別れに対する言葉であることも気づきながら、信綱は何かを言うことを選ばなかった。
彼女はそれを望んでいないだろう。ならば彼女の意思を尊重したいと思ったのだ。
さて、と思考を切り替えて信綱は対面にいる文を見据える。
「で、お前は俺が苦手らしいな」
「……まあ、その……はい」
「昔は俺をからかって遊んでいたではないか」
「今やったら首が落ちるどころじゃないですよねそれ!?」
別に苛立つ程度で首を刈りに行くほど狭量ではないつもりだった。
からかいの度が過ぎれば信綱もそれなりの手段に出るが、度が過ぎなければ許容する方でもあると自負している。
「俺が明確に報復を考えるのは不利益が出る場合だけだ。ちょっと苛立つ程度でそこまでの報復はしない」
「本当ですか……?」
「レミリアとかどうなるんだ」
あれは基本的に信綱に迷惑しかかけていない。
有事の時には信頼できるが、今の幻想郷で信綱が動かざるをえないような有事はない。
つまり今の彼女は信綱にとって百害あって一利なしの存在である。
と、当人が聞いたら恥も外聞もなく泣き出しそうなことを考えながら話すと、文は納得したようにうなずいた。
「そう言われればそうですね」
「だろう。お前は新聞を作るからあんまり面倒なことは話せないが、それ以外だったら来れば普通に相手をする」
「あやや、そう言えば最初に新聞を作る時にも同じようなことを言われましたね」
「まあ、苦手意識を持つことにも理解は示すが」
仏頂面か無表情であり、身につけているものも公人として、あるいはかつての英雄としてみすぼらしくないよう威厳を出すものを意識している。
堅苦しい言い回しも多く、誰とでも仲良くなれるような勘助や弥助とは正反対の態度であったと思っている。
意識して嫌われるつもりはないが、とっつきづらい印象は受けるだろうなと考えていたのだ。
「俺に近寄ってくる連中の方がおかしいのだろう。お前のそれが反応としては正しいはずだ」
「ふむ、しかし意外とあなたは小さい子に好かれますよね。最近ですと博麗の巫女とか魔法使いとか紅魔館のメイドとか」
「さすが、文屋だけあって情報は早いな」
「あなたの付き合いの広さにも驚かされてばかりですよ。で、実際のところはどうなんです?」
付き合いが広いというか、自分が関わっている狭い範囲の連中が揃いも揃って幻想郷で有名になっているというか、とにかく複雑な心境の信綱だった。
第一、霊夢と魔理沙はともかくとしても咲夜は向こうから寄ってきたに等しい。あれを付き合いに含めて良いのか疑問が残る。
「来るなら相手をする。こちらに用事があれば訪ねる。その程度だ」
「自発的に訪ねたりはしないんですか?」
「用事があれば、と言っているだろう。霊夢と魔理沙は俺が半ば後見人のようなものだから、面倒を見る事情がある」
「おや、魔理沙さんは確かご両親ともに健在だったはずですが」
「人間で魔法の森に入れるのは俺くらいだ」
だからちょくちょく足を運んでいるのだ。
その度に魔理沙は嫌そうな顔をするが、せめて信綱を安心させるような生活をして欲しいと切に願っている。父親に娘は自堕落な生活を送っていますと報告する身にもなって欲しい。
その辺りのことも話そうかと思ったものの、文に話すと赤裸々な新聞になってしまいかねない。そこまでするのはさすがにはばかられる。
「……まあ、あれの生活態度については本人に聞いてくれ。俺からは何も言えん」
「その態度だけである程度は推測できますけど……。年頃の女の子の生活を暴くほど無遠慮じゃありませんよ」
「ははは、人の生活を根掘り葉掘り聞こうとした天狗が言うと説得力が違うな」
「あれだって一応当たり障りのないようにしたじゃないですか!?」
「当たり障りのない内容しか話さなかったんだ」
あの頃の自分の影響力はだいぶバカにできないものになっていた。
そんな中で幼少の頃からの付き合いである妖怪の名前を挙げてしまうと、彼女らに悪影響が及ぶ可能性があった。
これでも常日頃から言動には気を配っているのだ。彼女らの生活を好き好んで壊したいわけではない。
そのようなことを話すと、文は不意に表情を和らげて信綱を見る。
いつぞやの椛にも同じ目をされた覚えがある、と信綱はいつになってもあまり好きになれないその目――歴史を知る者が歴史を作る者に対して向ける瞳を真っ向から見つめ返す。
「……本当、強くなったものよ。私が初めて見た時はちょっと面白そうな人間が出てきたってぐらいだったのに、あなたはいつの間にか私すら追い越して強くなっていた」
「強くなければ死んでいた。それにあの頃は色々と考えることが多くて面倒だった」
妖怪の事情に翻弄されるだけの人里。そんな状況に怒りを覚えていた慧音。そして共に育ってきた妖怪と人間が殺し合うなどおかしいと叫んだ椛。
妖怪の事情も見てきた。人間の事情も見てきた。全てどうでも良いと謳う阿礼狂いとしての心もあった。
その上で共存の道を選んだ。道程は面倒なものばかりだった、とそこで信綱は文を見る。
「お前を相手にするのも大変だった。後ろにいるであろう天魔は何を考えているかわからんし、お前もお前で真面目なのか不真面目なのか読めなかった」
「あはははは……その節はご迷惑をおかけしました?」
「…………」
「あや?」
何とも言えない微妙な表情で黙ってしまった信綱に文は目を丸くする。
言うべきか言うまいか、非常に悩んでいる様子が見て取れる信綱の様子に文は何事かと顔に焦燥が浮かぶ。
「ど、どうかしました?」
「……いや、これはお前に言って良いのかわからなくてな……」
「そこで黙らないでくださいよ!? むしろ気になりますから!!」
「……多分、傷つくぞ?」
「そこまで言われて気にならない方がおかしいですって! というかその不自然な優しさはなんですか!?」
この男に気遣いなんて感情があったのかと思ってしまったくらいだ。いや、日々の話を聞く限り結構面倒見が良いという話は聞いているのだが。
信綱も文の言葉を聞いて腹が決まったようで、文に真っ直ぐな視線を向けてくる。
「――お前ぐらいだ」
「はい?」
「お前ぐらいしか、過去の出来事を突いて殊勝に謝るようなやつはいない」
「は、はぁ……?」
何が言いたいのだろう、と文は怪訝そうに眉をひそめる。
そんな彼女に信綱はなるべく婉曲に済ませようとしていたものを話すことになるのであった。
「……根が真面目過ぎる。お前は根本的に適当に生きることが向いていない」
「え、っと……?」
「目下の相手ならともかく、自分より上の相手にはへりくだってしまうのがその証拠だ」
天狗らしいといえばその通りなのだが、天魔は相手が誰であってもあの態度を崩そうとはしないだろう。
常に飄々と、誰に対しても大胆不敵に。話がどんな方向に流れても必ず天狗の利益は持っていく。
あれはそういう男であり、その際に過去にやったことは全て忘れる便利な頭を持っている。
今は見ているものが同じだから味方と呼べるものの、敵に回したいとは絶対に思えない存在の一人である。
「お前は多分、天魔を真似しているんだろう」
「ふぁっ!? な、なな何を根拠に……」
その態度でバレバレである、と言うのは簡単だが黙っておくことにする。
千年の間、天狗を導き続けた天魔に憧れる天狗がいても何らおかしいことではないのだ。
しかしそれでも適材適所というものがある。その点から見て、文が天魔と同じようになるのは難しいと言わざるを得なかった。
「それ自体が悪いことだとは言わん。だが、その様を天魔に笑われるのを見るのは忍びない」
率直に言ってオモチャになってるぞ、と告げると文は自分でも薄々自覚があったのか、恐る恐る信綱を見た。
「…………似合ってませんでした?」
「普段は気にならないが、お前が焦っていると気になる」
どうにも素の言動は真面目なんだろうな、と感じてしまうのだ。
その実直さがあるからこそ、天魔も文を色々な意味で重用しているのだと考えられた。
根が真面目であるから仕事を任せられる。だけど悪ぶった振る舞いをしたがるから、天魔は面白い思いができる。まさに良いことずくめだ。
「……言いたいことはわかりました。いえ、実のところ私にも無理があるんじゃないかな、とは思っていたんですよ」
「ああ、うむ。余計なことだったら謝罪するが」
「いえいえ、このまま天魔様に笑いものにされるよりはマシですよ」
「あれも適当なところで教えていたとは思うがな……」
天狗のことを考え続けてきたというのは伊達ではない。その中には文の幸せも含まれているはずだ。
文は神妙な顔で信綱の忠告を受け止めると、しかしその顔に新たな決意を燃やして立ち上がっていた。
「――ですが! 私は諦めませんよ! 焦った時に素が出るんなら焦らない余裕を持てば良いんです! 私も天狗の端くれ、それぐらいやってみせますよ!!」
「……まあ、お前が選んだことに文句は言うまい」
「ええ! こうしちゃいられません! ちょっと博麗の巫女をからかって遊び――もとい、彼女で練習してきます!」
そこで練習とか言うから真面目なんだな、と思ってしまうと告げる前に文は出て行ってしまった。
本当に速度だけは凄まじいものがあると思いながら茶を飲み干す。そろそろ自分も行かねば。
にとりの入っていった部屋の方を一瞬だけ見て、出て来る気配がないことを確かめると信綱も立ち上がる。
おそらく何かを言っても聞こえないだろう。そう思い、信綱は何も言わずににとりの家を後にするのであった。
妖怪の山は幻想郷の地上では最も高い場所になる。
最近では風のうわさで幽冥結界なるものが緩み、冥界と顕界の境界があいまいになって行き来が可能になっているなどの話を聞くが、それでもここが地上を一望できる場所であることに変わりはない。
そしてそんな山の山頂とも来れば、もはや見えないものの方が少ないくらいになってしまう。
「――と、まあこの場所はオレのお気に入りの隠れ家なんだ」
天魔を訪ねた信綱が案内されたのはそんな場所だった。
山頂付近、天魔の邸宅が存在する場所よりさらに上。これより上には何もない、そういった場所に唯一存在する開けた場所。
適度な風と適度な日当たり。そして眼下に広がる風景は幻想郷を切り取った写真のようにすら見えた。
「良い風と良い景色だ」
「だろ? 仕事が面倒――もとい、サボりたくなった時はここに来るんだよ」
どう言い換えたのだろうか、と思うものの口には出さない。天魔が面倒な仕事を嫌っているのは周知の事実である。
「にしても珍しい風の吹き回しだな。旦那がわざわざこっちに来るなんて」
「たまたま近くに寄る用事があっただけだ」
「はぁん、椛の家にでも寄ったのか?」
「違うとだけ言っておこう」
「んじゃあの河童か。また変な機械でも作ったから見せびらかしてたんだろ」
「今回はまともなものだった」
「明日は槍が降るな」
「そうかもしれん」
真顔で言い切る天魔に信綱も同意する。驚いたのは自分も同じなのだ。
「そちらは最近どうなんだ? 異変の度に静観を決め込んでいるようだが」
「そろそろ息抜きが欲しいってくらいだよ。紅霧異変の時は新聞配達で大忙し。今回の春を奪う異変はオレらにしてみりゃ大して問題でもない。むしろ異変ばっかりでオレたちがてんやわんやさ」
「情報の更新が多くて疲れるということか?」
「それもあるし、幽冥結界が綻んで冥界に行けるようになってるからな。いずれ冥界見学ツアーとかできるんじゃないか?」
「冥界についての情報もあるのか?」
「……ま、スキマのババアとつるんでいると必然的にな」
どうやら天魔は春を奪った異変の黒幕についても多少の知識はあるようだ。
話したい内容とも思えないので、信綱は特に追及はしなかった。
どうせ幻想郷縁起で調査に行くのは変わらない。
「宴会の話は?」
「萃香が直接オレに持ってきた。騒ぎたい天狗を見繕って参加するつもりだけど、絶対に一筋縄ではいかないだろうな」
「そうか」
信綱は言葉少なにうなずいただけだった。
天魔がわざわざ直接持ってきた、と言っているのだ。それはつまり、萃香の意図も大半読み切っていると推測できる。
直接という言葉が出る意味は誰が主催なのか理解しているということであり、萃香が主催となればその能力を使って悪事を働くことなど容易に想像がつく。
「旦那こそ良いのか? また異変を起こされるんだぜ?」
「一度目は大目に見る。博麗神社で宴会をやることに否やはない」
普段からあそこで祭りも行っているのだ。妖怪と人間が集まって宴会をすることにも文句はない。
ただ、異変とするからには何かしらの変化もあるだろう。それが人里に害をもたらすようなら忠告して、人里に被害が行かないようにしてもらえれば良かった。
妖怪と異変を解決する者が異変に巻き込まれるのは別に構わないのだ。
弾幕ごっこという力で幻想郷を生きようとしている者たちがそれに気づけないのは彼女らの未熟であり、それを助ける義理はない。
「そうかい。……にしても変わるもんだね。まさかたった数十年で、博麗神社に妖怪が大っぴらに入れるようになる日が来るとは」
起こった異変とそれによって生まれた周囲の状況を話していると、天魔が不意に眼下に広がる幻想郷を見下ろしてつぶやく。
「不服か?」
「まさか。人妖の共存を願った者として願ったり叶ったりだ。これまで歴史ってのは人間が作るものだとばっかり思ってたのに、いつの間にか妖怪も主役ときた。その変化に少し驚いているだけさ」
「同じ場所に住んでいるんだ。より良くしていこうと思うのは当然の話だろう」
「ご尤も。んで、今回は確か紅魔館のメイドも異変解決に参加したんだったか」
「そうだな。向こうにも向こうの事情はあったらしい」
「こりゃ妖怪の山から異変解決に出る奴らが出ても不思議じゃないな。楽しみだ」
そう言って笑う天魔の様子は本当に楽しそうで、これからの未来を待ち望んでいることが伺えた。
「明日が楽しみなんて久しぶりだ。幻想郷はもっと楽しく、騒がしくなっていくぞ!」
「お前は見届けていろ。俺は程々で良い」
「旦那は休んでくれていいぜ。ここから先は気の長い妖怪の本分だ。どこまで賑やかになるか見届けてやるよ」
きっとこの男の思考に信綱との別れは入っていないのだろう。
なにせ自分たちで作り上げた幻想郷があるのだ。
人妖の共存に再び亀裂が入らない限り、自分たちの意思は生き続ける。
それを見続けている間、彼の目には一緒にやってきた天狗も人間も全てが等しく映っているに違いない。
「……そうだな。土産話に期待するとしよう」
「ああ、任せとけ」
長い付き合いになり、今でも油断はできないが――それでも同じものを見てきた同士として、信綱は天魔と同じ光景を共有するのであった。
後日、天魔が信綱の墓前にちょくちょくやってきては、新しく来た神様とその巫女のトラブルメーカーっぷりに愚痴をこぼすようになるのはここだけの話である。
もうぼちぼち出てこなくなるキャラクターもちらほらいます。
多分最後に萃夢想で顔を合わせたら終わりのキャラも出ることでしょう。
残りは(多分)十話以内だと思います。どうか最後まで拙作にお付き合いいただければ幸いです。