そして寒さで風邪を引いてしまう今日このごろ。もう引きましたが、熱が38度越えた時はインフル疑いました。検査の結果否定されましたけど。
信綱が紅魔館の入り口で待っていると、案内で一緒に来た美鈴が朗らかに笑って話しかけてくる。
「お嬢様にお呼ばれして来るとは珍しいですね。何か用事でも?」
「主から聞いてないのか? 奴の妹が外に出ると言うから、その見張りだ」
「はぁ……はいっ!? お嬢様、あなたに頼んだんですか!? そんな毒をもって毒を制すみたいな発想で!?」
「この場合の失礼は俺なのか、その妹なのかどっちなんだろうな」
阿礼狂いと同じ扱いをされている妹とやらを憐れむべきか、それとも同族である吸血鬼をして狂っていると言わしめた少女と同格の狂気を持っていると言われている自分が怒るべきか。
どちらにしても失礼なことに変わりはない。どうしてくれようかと考え始めたところ、美鈴がそっと距離を取った。読まれたらしい。
「し、失礼しました。ですが、妹様のことは……」
「大体のところは聞いている。あいつもあれで意外と厄介なものを背負っているようだな」
「まあ、そこは長く生きていれば相応に色々ありますよ」
「お前は力にならないのか?」
「なれ、とお嬢様が仰れば身命を尽くします。ですが、今までのお二人の関係はとても危ういものでした」
小さなお節介がどんな劇薬になるかわからない状態だった。
美鈴は危険を犯してでも二人の仲を改善させる賭けに出るより、時間が彼女らの関係を改善させる何かを連れてきてくれると信じることにした。
結果から言えばレミリアはフランと向き合う決意を固めたが、同時に過ぎた時間が彼女らの溝をより深くしていた。
「関係自体がなかったと聞いていたが」
「爆発寸前のまま、関係が止まってしまったんですよ。今は規模こそ大きいですけど、ちゃんと姉妹喧嘩するようになってくれて嬉しいです」
ちょっと修繕が大変ですけど、と言って笑う美鈴の顔は、彼女らを見守る者としての暖かさがあった。
美鈴にも相応のものがあるのだろう。いつからレミリアに仕えているかは知らないが、彼女にもそれ以前の人生があって、彼女なりに考えていることもあるのだ。
「そうか。咲夜も同じ見解なのか?」
「咲夜さんが来た頃にはすでにお嬢様と妹様の交流がありましたから、私とは似て非なる考えですね。
私は時間があの二人の歩み寄る決意を育ててくれると考えました。咲夜さんは自分が何かするまでもなく、いずれあの二人は仲の良い姉妹になると考えているようです」
「ふむ」
美鈴と咲夜のスカーレット姉妹に関する見解は割りとどうでも良かった。こちらに火の粉が来なければどうなってくれても構わないという心境である。
そのようなことを美鈴と話していると、不意に彼女が辺りの気配を気にするように顔を動かす。
「どうした」
不思議に思った信綱が声をかけると、彼女は声をひそめて信綱に耳打ちをする。
「……咲夜さんが来た理由なんですけど、一種の情操教育なんです」
「情操教育?」
「はい。いつか妹様が外に出たいと願われる時のために、儚く脆いけど、大きな輝きを見せる人間が欲しいとお嬢様が仰ってました」
「……それは」
阿弥との死別が理由なのだろう、と信綱は半ば直感でレミリアの考えを見抜く。
彼女は阿弥が死んだことによって、どんな存在であっても終わりが訪れることを実感し、妹と話すことを決意した。
人間は妖怪と違い長く生きられない。いつか不意に、何の前触れもなく消える時が来る。
レミリアはその姿から時間の有限を学んだ。妹は何を学ぶのだろうか。
いずれにしても、それは決して妹にとって悪い方にはならない。その確信を持ってレミリアは咲夜を迎え入れたのだ。
「咲夜が死ぬ人間であることを、教えるためか」
「壊さずともいつか消えて、それでも色褪せない何かを残す、と言ってました」
「…………」
咲夜の命を弄んでいると考えるべきか。それとも人間の命に妖怪なりの敬意を払っていると見るべきか。
信綱には判断がつかなかった。真意を知っているのはこの場で話している美鈴ではなく、当事者であるレミリアと咲夜の二人だけだ。
故に何も言わないことにする。この行いの是非を決めることができるのは咲夜だけであり、自分ではない。
「そうか、好きにしてくれ。人里と阿求様に迷惑がかからないのならどうでも良い」
「あれ、結構重たい話をしたのに!?」
わかってて言ったのかこいつ、と信綱は美鈴を軽く睨む。
そういった他人の深いところが関わるような問題は本人の口から聞くか、頼まれでもしない限り深入りはしない主義である。
信綱は御阿礼の子が一番大事で、彼女が所属する集団である人里を守る義務があるが、それ以外はどうでも良いものだ。
「お前たちの事情だろう。お前たちがどうにかするのが筋だ」
「そ、それはその通りですけど――痛い!?」
困ったような美鈴の額に何かが刺さる。それが咲夜の使うナイフであると理解したと同時、信綱の前に咲夜が現れる。
「躾のなっていない門番で申し訳ありません。美鈴、お客様と長話をしろとは言ってないわよ」
「す、すみません……」
起き上がった美鈴の額にはもう傷がなかった。彼女自身の再生力の高さもそうだが、ナイフ自体も浅く刺さっただけなのだろう。
余人は驚くが、当人同士はただの戯れ。その程度のものである。
「門番の仕事に戻りなさい。終わったら差し入れするから」
「……! はいっ!」
美鈴の顔が目に見えて明るくなり、喜んで門番の仕事に戻っていく。
「人使いが上手いな」
「仕事仲間で、友人ですから。休憩時間には話したりもするんですよ」
「そうか。で、お前が来たということは――」
「はい。妹様の準備ができましたので、ご案内いたします」
「わかった」
咲夜の後ろをついて歩いて行く。
日光を嫌う吸血鬼の館だけあっていつ来ても薄暗いが、春が訪れている今の期間は適度に過ごしやすい室温が保たれていた。
ろうそくの灯された渡り廊下を歩いていると、不意に咲夜が口を開く。
「私は、後悔しておりません」
それが何を意味しているか、信綱は先ほどまでの話ですぐに理解できた。
「聞いていたのか」
「どんな思惑があっても、お嬢様たちに私が救われた事実は変わりません。誰がなんと言おうと、私にとってはそれだけが真実です」
「……では人間として死ぬ姿も見せるつもりか?」
「好きに生きるだけです。私の人生にどんな価値が見出されるのか、それは私の死んだ後のお話ですから」
「……そうか、そうだな」
経緯には少なからず打算があったのだろう。だが咲夜はこうして微笑み、自身の人生を謳歌している。
そのことを批判する権利など、誰も持ち合わせてはいない。
「お前たちの事情だ。そちらで話し合って好きにしてくれ。俺からは何も言わない」
「ありがとうございます」
「なぜ礼を言う」
「あなたは物事がこじれそうになると口を出してきますから」
信綱が静観する選択をした場合、それは大体の場合において当人同士でなんとかなると彼が判断していると言い換えることができる。
基本的に物事が円満に動いている方が自分も楽ができると思っているため、こじれそうな物事には口を挟むことが多い。
「当たり前だ。人里に害が及ぶかもしれない状況を放置できるか」
「妹様の件も?」
「それは別の理由だ」
レミリアの妹の話にも信綱はさして積極的なわけではない。
ただ、今後も妹――フランが継続的に人里に来る場合、それは幻想郷縁起に載せた方が良い存在となる。
阿求のそばにいられる時間はあと僅か。自分の体が動くうちに、幻想郷のパワーバランスの一角を担っている吸血鬼の妹を見定めておきたいのは当然の理屈だ。
能力の詳細も概ね聞いている。レミリアには悪いが、フランの様子が人里へ訪れるのを認められないほど危険であったら、こちらも方法を考える必要がある。
「こちらでお待ち下さい。お嬢様が妹様を連れてまいります」
「なんだ、部屋に直接行くのではないのか」
「その……お嬢様と妹様が一緒になると……よく、その……」
しどろもどろな咲夜の様子で、ものすごく言葉に困っているのが見て取れた。
四百年近く断絶していた関係なのだから、喧嘩の体裁になるだけマシなのではないかと思う信綱だが、いかんせん四百年の断絶は人間には想像がつかない。
咲夜がそう言うのならそうなのだろう、と自分を納得させて信綱は再び待つ姿勢になる。
「ところで、どのように妹様を案内する予定なのでしょうか」
「相手次第だ。日暮れ前には戻すようにする」
「かしこまりました」
仮にも吸血鬼が朝から出かけて、日暮れの前に家に戻るというのはどうなのだろうか、と思う信綱だったが、言葉には出さなかった。
なんでもレミリアは朝型になっていると聞くので、きっと吸血鬼の夜行性は矯正可能なのだろう。
そんなことを考えて待っていると、視界に動くものが見えてくる。
薄暗い紅魔館の中でもよく見える金色の髪を一房、頭の横で結ばれている。
顔立ちはなるほど確かに。双子と言っても納得してしまうほど姉にそっくり。強いて言えばこちらの方が
閉じた日傘を片手に、宝石のような羽を動かしながら少女は澄ました様子で咲夜に話しかけた。
「待たせたわね、咲夜」
「――お待ちしておりました、妹様。お嬢様はどちらに?」
「一緒に歩きたくないって言ったら無言で部屋の隅に座っちゃった」
「後で回収しておきます」
「ん、お願い」
レミリアの日頃の扱いが透けて見えるやり取りだが、信綱はさしたる関心を示さず金髪の少女を見る。
少女も信綱の視線に気づいたようで、その顔をまじまじと見つめて不思議そうな顔をする。
「あなた、男の人?」
「そうだな」
「男の人を見るのはすごい久しぶり。あなたがアイツ――お姉様の親友?」
「親友ではないが、知り合いだ。お前の案内を頼まれている」
「ふぅん……男の人ってなんだか恐ろしい見た目ね」
「…………」
そんなに恐ろしい表情を作った覚えはなかった。友好的な表情も作ってないため、無機質だと言われたら事実であるが。
ちょっと自分の顔立ちについて考えている信綱を横目にフランは咲夜に確認を取る。
「咲夜、本当にこの人が?」
「左様でございます。それと妹様、くれぐれも外にいる間は彼の指示に従うようお願いします」
「わかってる。それすら嫌がるんだったら一人で出ているわ」
ふい、と咲夜から顔をそらし、信綱の方に歩み寄る少女。
少女は信綱を見上げ、その小さな手を差し出してきた。
「お姉様から話は聞いていると思うけど、フランドール・スカーレットよ。姉に狂っていると言われた私の手、掴める?」
「子供の手を払いのけるような大人になった覚えはない」
信綱は差し出された手を迷うことなく掴み返す。
吸血鬼であるからか、その手は人間のそれとは一線を画する冷たさだった。
「……私はあなたより何倍も長く生きているわ」
「そうだな。だが子供だ」
「むぅ」
フランは気分を害したようにむくれた顔になるが、子供であると言われてムキになる時点で信綱からすれば子供である。
くぐもった笑いをこぼし、信綱はフランの手を握ったまま紅魔館の外に向かっていく。
「では一日彼女を借りるぞ」
「行ってらっしゃいませ」
「ん、行ってくるね」
咲夜に見送られて外に出ると、フランは日傘を差して信綱から少し離れる。
「じゃあ行きましょうか。この辺りは私もよく歩くから目新しくないわ」
「一日は長い。今から驚いているようでは疲れてしまうぞ」
「……ん、わかった。ここはあなたの言葉を聞き入れてあげる」
美鈴が門前で大きく手を振って見送っているのを尻目に、二人は霧の湖に到着する。
「パチュリーが言ってた。霧の湖ね」
「年中霧が覆っていて、おまけに妖精がたむろしている。妖精と遊びたいなら話は別だが、通常はさっさと通り抜ける場所だ」
「ふぅん、妖精と何して遊ぶの?」
「最近は弾幕ごっこになる」
「妖精も弾幕を使うんだ。家の妖精メイドは咲夜が教えたのだとばかり思っていたわ」
フランの澄ました様子を微笑ましく思いながら、信綱は霧の湖を通って魔法の森に入る。
自然の風景が生み出す感動は、しかし残念なことに霧の湖、魔法の森、どちらも薄暗くて危険な場所であるためか、フランの琴線に触れるようなものではなかった。
「魔法の森だ。瘴気と呼ばれる毒素があって、その影響からか妖怪が多い。魔理沙はここに住んでいる」
「へぇ、あれはなに?」
フランは木の根元にある突起――要するにキノコに興味を示したようで、とてとてと駆け寄っていく。
「キノコだ。魔法の触媒になるとも聞くし、食用のものもある」
「これは食用?」
「多分違うからやめておけ。それと生で食っても不味いだけだ」
「不味いならいいや。毒ぐらいなら食べてみるのも一興だと思ったのに」
「…………」
フランの疑問にだいたい答えていた信綱が急に無言になったため、フランは信綱を見上げる。
信綱は紅魔館を出た時と変わらない様子だったが、どこか楽しげな空気を身にまとっており、フランはそれに首を傾げた。
「どうしたのさ?」
「なに、楽しんでいるようで何よりだと思っただけだ」
「……楽し、い?」
信綱の言葉にきょとんと首を傾げるフラン。
言葉の意味がわからなかったのか、フランはブツブツと自問自答するようにつぶやく。
「楽しいってどういうもの? 本で読んだ時に見たのは気分が弾んで笑顔が溢れるようなもの。今の私はそう見えていたの?」
「…………」
信綱はその様子を見ていたが、何かを言うことはなかった。
感情の答えというものは誰かに与えてもらうものではなく、自分で見つけるものである。
通常なら余人との関わりと比較の中で見つけていくそれを、見つける機会すら得られなかった少女に微かな同情すら覚えてしまう。
「……ねえ、おじさん」
「なんだ」
「私の何を見て、あなたは私を楽しそうって思ったの?」
「何かに夢中になっているのは、楽しいということだろう」
「夢中になる?」
「知識を経験に結びつけたい。キノコのこともそうだし、地理のことも。俺にはお前が貪欲に知的好奇心を満たしているようにしか見えなかった」
「……うん。それは正しい、と思う」
フランは自分の感情に自信がないように胸に手を当てる。
「義務や義理でやっていたわけではないだろう。やりたいことをやっているんだ。もしお前が心の底から嫌々やっていたとしたら誤解を詫びるが」
「……ううん、おじさんのそれが当たっていると思う。そっか、私は楽しんでいたんだ……これが楽しいって感情なんだ」
「さて、お前がどう感じるかは自由で、お前がそれにどんな名をつけるかも自由だ。好きにすれば良いさ」
「わかった。でも良いの? 私がこれから向かう先は人里で、私は妖怪。しかも身内の吸血鬼が狂っていると評価を下して幽閉した。人里に来たら暴走するかもしれないよ?」
実際、フランにもわからないのだ。
これまで見てきた人間は咲夜に魔理沙、そして目の前の男性のみ。
どれも一人ずつ会ってきた。同時に顔を見たことはほとんどない。
そんな自分の乏しい人間関係で、人間の大勢いる人里に行ったらどんな反応をするのか、自分でも予想ができなかった。
そのことを告げると、信綱は別にどうということはないとばかりに首を横に振られた。
「その時は俺が止めて屋敷に戻す。少し早く今日の外出が終わる程度だ」
暴走の内容次第では二度と屋敷に戻れなくなる可能性もあるが、些細な違いである。どちらにせよ信綱と二度と会わないのは変わらない。
フランは信綱の言葉に驚いたように表情を動かす。
「吸血鬼って人間よりすごく強いって聞くけど、あなたにとってそれは大したことじゃないの?」
「人間よりすごく強い妖怪の相手に慣れてしまってな。今日の目付役をお前の姉から頼まれたのもその理由からだ」
もう一つの理由はもしもフランの気が本当に触れていて狂気を発したとしても、信綱なら意に介さず戦えるだろうというものもあった。
しかしそれをフランに言っても機嫌を損ねるだけでしかないので、黙っておくことにする。
「ふぅん、まあ良いわ。おとぎ話とかで出て来る吸血鬼殺しになれると良いわね?」
「これ以上老人を働かせるな。そろそろ行くぞ。この調子だと里に着くまでで日が暮れる」
思わせぶりなことを言ってみたがるのは姉妹共通である。
信綱は肩をすくめてそれに答え、魔法の森から出るべく再び歩き始めるのであった。
フランはそんな信綱の背中を追いかけながら、一つの楽しみを見出す。
かつては絵本や自分の空想の中でしか思い浮かばなかった、吸血鬼を打ち倒す人間のお話。
それを実現させた人間がいるのかもしれない。しかも自分のすぐそばに。
そんなことを考えながら、フランは芯の通った美しい歩き方をする信綱の背を追いかけていくのであった。
「こっから先は人里だから、妖怪なら妖怪って言って欲しい……って信綱様か。お疲れ様です」
「ご苦労。この子を連れて入るがいいな?」
「信綱様のお連れでしたら誰でも構いません。レミリアちゃんによく似てますけど、もしかして?」
「妹だ」
「……どうも」
慣れた様子で話す信綱と門番を眺めていたフランだったが、自分に視線が向くと居心地が悪そうに身じろぎする。
そんな人に慣れていない少女に門番の男性は安心させるように笑い、その懐から飴を取り出す。
「ははは、そんな縮まらなくても良いよ。ほら、飴ちゃんをあげよう」
「……あ、ありがと」
「あれ、反応が悪いな。レミリアちゃんはもっと喜ぶのに」
両手に乗せられた飴を見ながら、自分の姉は人里でどのような扱いを受けているのか気になるフランだった。
お椀のように形作った両手で受け取った飴を眺めたまま、フランと信綱の二人は人里に入っていく。
「……もらっちゃった」
「お前の姉はよく飴をもらっているぞ。あそこの門番は半分レミリアの相手をするための門番みたいなものだ」
「お姉様って人里の何なの?」
「基本、暇そうな子供だな」
「吸血鬼ってそれで良いのかしら……」
フランも吸血鬼のなんたるかを語れるほど知っているわけではないが、少なくともレミリアの在り方が吸血鬼の在り方に真っ向から喧嘩を売っていることだけはわかった。
自分がふっかけた約束を守っているだけなので、信綱はそこには何も言わないでおく。彼女も外の世界にいた頃は今のような振る舞いはしていなかったかもしれないのだ。
信綱からの返事がなかったため、フランは答えを得ることを諦めてもらった飴玉を口に運ぶ。
砂糖の優しい甘みを最初に受け取り、柑橘系の果汁も入っているのか甘酸っぱい匂いが口内に広がっていく。
普段から食べている咲夜の作る料理とは違うが、これはこれで悪くない味だった。
「ん、美味しい」
「それは良かった。さて――見たいものはあるか?」
「…………」
飴玉を包んでいた紙をしまうと、フランは改めて眼前に見えている光景に圧倒される。
人も妖も区別はない。同じ場所で暮らし、同じものを見て、同じように笑っている。
まるで絵本の世界だ、とフランは目眩すら覚えてしまう。いつの間に外の世界はこんなことになっていたのか。
「……お姉様はこれをもっと前から知ってたんだ」
「あれも……まあ、この光景の一因にはなっている」
「ふぅん、アイツが自発的に協力するとは思えないんだけど」
「それは彼女に直接聞くべきことだろう。俺はあいつに頼み事をしたことはあるが、あいつが何を思って引き受けたのかまでは知らん」
「人間と妖怪は相容れないっていう通説は正しいの?」
「概ねは。今でも妖怪は人間を襲い、人間は妖怪を退治するという構図そのものは変わっていない」
ただ殺し合う以外の道が生まれただけである。
これから先のことは誰にもわからない。奮闘虚しく以前までの幻想郷に逆戻りするかもしれないし、あるいは従来の人妖関係を覆すような未来が訪れるかもしれない。
「弾幕ごっこね。あれはよくできた遊びだと思うわ」
「あれの根幹を思いついたのはレミリアだ」
「……あんな子供だましの遊び、流行った理由がわからないわね」
見事な掌の返し方に信綱は吹き出しそうになってしまう。
フランも自分で苦しいことを言っていると思ったのか、その顔がどんどん羞恥に染まっていき、やがてズンズンと歩き出す。
「い、良いから行くよ! もっと色々なところが見たい!」
「だったら適当に歩くか。興味を惹くものがあったら言えば良い」
そうして二人の人里での時間は始まっていくのであった。
フランは背筋を伸ばして歩く信綱の後ろをついて歩きながら、自分のことをぼんやりと考える。
自分は狂っていると姉に言われた。その姉は自分と仲直りをしようと四苦八苦しているが、今もってなお狂気の否定はしていなかった。
それはつまり、レミリアから見て自分という存在は狂っていると見られているのだ。
では、狂気とはそもそもなんだろう。
簡単だ。人と違うことである。
人には人の。妖怪には妖怪の。ある程度共通する規範とも言うべきものが存在する。
フランにはそれがわからない。彼女にとって人も妖怪も等しく壊せるものでしかない。
彼女にとっては人も妖怪も木々も地面も何もかも、その気になれば壊せる儚い硝子細工だ。
あまねく全てを硝子細工としてみていることを狂気と呼ぶのであれば、それはその通りなのだ。
「ねえ、おじさん」
「なんだ」
「何もかもを壊せる力を持って生まれたとしたら、おじさんはどうする?」
「なぜそんなことを聞く」
「比較。私は一度これで盛大に失敗して、今まで幽閉される羽目になった。おじさんなら好きに使うの?」
なまじ家族のためになんか使うから話がこじれてしまったのだ。
富のために使えば簡単に大富豪になれるだろう。私利私欲に使う道ならいくらでも思いつく。
「別に。必要なら使うし、必要ないなら使わない」
「その必要の判断はどこで付けるの?」
「俺の主人が望むか望まないか」
「その主人の判断が間違っていたら?」
「
一片の迷いもない回答に、しかしフランは違和感を覚える。
咲夜も似たようなことを言うだろう。だがそこにあるべき主人への信頼というものが感じられない。
そもそもそれ以外の答えが存在しない、と心から信じている声だった。
なんてことのない、ただの言葉遊びで投げかけたものであるにも関わらず、フランは寒気を覚えてしまい立ち止まる。
そんなフランに横から衝撃が加えられ、バランスを崩してしまう。
「きゃっ」
「おっと」
「む、すまない。足元が見えていなかった」
幸い、倒れる前に信綱が気づいてその身体と日傘を止めたため、日光にさらされることはなかった。
フランが視線を上げた先には、僅かに青みがかった銀色の髪をなびかせた少女がフランを見下ろしている。
その顔は驚愕と申し訳無さが併存しており、フランの身体を支えている信綱に説明を求めるように瞳が揺れていた。
「レミリアの妹です。ずっと紅魔館にいたそうですが、今日は外に出ているため私が案内しています」
「ああ、そうだったのか。レミリアの面影が見えたからつい驚いてしまった。怪我はないか?」
その少女――慧音は膝を折るとフランの前に手を差し伸べ、柔らかな慈愛に満ちた笑みを浮かべる。
ふわりとした暖かい笑顔を見せられ、フランは思わずその手に自分の手を重ねてしまう。
「あ、うん……」
「それは良かった。人里には何をしに?」
「えと、ただ見て回りたかっただけ……」
フランが慣れない人を相手に四苦八苦していると慧音の視線が上に、つまり信綱の方に向く。
「信綱。この子は見た目通りの子供のようだ。行くアテがないのなら寺子屋はどうだ?」
「彼女は本当に人に慣れておらず、情緒に不安な部分があるとレミリアから聞いています――む」
信綱の言葉は途中で慧音に額を小突かれて遮られる。
彼女は柳眉を逆立て、腰に手を当てて信綱に怒りを見せた。
「仮にも大人が子供の前でそんなことを言うんじゃない。子供を信用していないと言っているようなものじゃないか」
「私は姉から聞いた事実を――なんでもないです」
信綱も子供を無闇に疑うような真似はしない。ただそれはそれとして、フランを最もよく知っているレミリアの言葉も軽視しないだけである。
しかしそれを言おうとしても慧音には通じないだろうと思い、言葉を取り下げる。情も理も肯定する自分の言葉は、時に酷薄に聞こえてしまうと学んでいた。
「わかればよろしい。さて、君さえ良ければ寺子屋――要するに子供たちの学び舎を見ていかないか?」
「…………」
本当に良いのだろうか、という視線でフランは信綱に答えを求めるように見る。
好きにすればいい、というように信綱は肩をすくめた。
問題を起こしたら自分が止めれば良いだけである。そして問題を起こしさえしなければ何をしても構わなかった。
「良いの? 私、自分で自分がよくわからない吸血鬼なのに?」
「子供は皆そんなものだ。信綱もいるから、安全についても問題はない」
また子供呼ばわりである。
信綱といい目の前の人といい、自分を子供扱いする人間ばかりである。
少なくとも姉よりは知性的に振る舞っているはずなのに、とフランはいささかの不満を覚えながらもうなずく。
「でも一つだけ聞かせて。どうしておじさんもあなたも、私のことを子供って言うの? お姉様にはそんなことは言わないよね」
「ふむ……やや難しい質問だが、こう答えようか。――君は自分のことがまだよくわからないのだろう? それが子供の証だと私は考えている」
「自分が……わからない」
オウム返しのようにフランがつぶやくと、慧音は普通の子供たちはそんなこと気にしないがね、と笑う。
「君は今、考えることによって成長しようとしているんだ。私はその手助けをしたい」
「……おじさんは私をなんで子供だと思ったの?」
「
外の世界に触れてきた影響か、それとも紅魔館という一つの勢力の頭目として立ち続けた結果か。
おそらく本人にも自覚はないだろうが、それでもレミリアは信綱や慧音が対等に見るべき相手として確立していた。
信綱の答えはやや難しかったのだろう。首を傾げるフランに信綱はそれ以上の言葉は続けなかった。
「何かの折に思い出せば良い。今はあの人についていこう」
「……ん、わかった」
外に出れば多くの答えが得られると思っていた。
だがそんなことはなく、フランの持つ疑問は深まるばかり。
自分は子供なのか。ならば大人とは何か。
自分は狂っているのか。正気と狂気の境界はどこにあるのか。
自分の前を歩く二人はどちらも答えを知っている様子で、しかしフランにそれを伝えるつもりはないらしい。
知っているのなら教えて欲しいものだ。先人の知恵とはそのためにあるのだろう。
フランはそのことに不満を覚えながらも、二人の後を追いかけていくのであった。
「あらフラン。お帰りなさい。外はどうだった?」
「眠かった。というか寝た」
「寝た!? おじさま、どういう場所に連れて行ったの!?」
「色々と考えることは増えたけど、有意義な時間だった」
そう言って自室に戻っていくフランを見て、レミリアは今日の外出で何があったのか、信綱を問い詰めようと決意するのであるが――些細なことだろう。
もっと色々書きたかったけど、長くなりすぎるので断念。
基本的にフランちゃんは大人と子供が焦点になってます。狂気と正気の境界についてはまた別問題。
ノッブはフランは子供扱いしますが、レミリアは子供扱いせず、対等な人間として扱います。それで対応が雑なのは仕様です(真顔)
レミリアはあれで大事な場面では外さないので、フランとはその点でも対照的になっています。