阿礼狂いに生まれた少年のお話   作:右に倣え

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少女は春を奪い、人はそれを知る

「春が奪われる?」

 

 なんだそれは、と信綱の顔が困惑に彩られる。

 春というのは季節のことであり、時節によって訪れるものである以上、目に見えるものではないはずだ。

 何かの比喩かとも思ったが、それを告げてきた椛の顔に冗句のそれはなかった。

 

 場所は稗田邸の中庭。

 もう雪解けが始まっても良い時節であるにも関わらず、未だ雪がうず高く積もっていた。

 しかしそれを信綱は不思議に思っていない。季節の訪れなど誰も明確にはわからない上、昔を辿っていけばこれぐらいの時期まで雪が残っていることなど珍しくもなかった。

 

「お前が見た、というわけではないだろう。仮にそんな術があったとしても、お前にそれを理解する知識はないはずだ」

「すごい失礼ですけど、まあその通りです。ですがこれは天魔様が仰っていたことなので、本当のことのはずです」

「天魔が?」

 

 そうなるとさすがに無視できない。妖術などの妖しい術に対する知識に関しては信綱もあまり自信がない。

 天魔や八雲紫はその手の術の専門家とも言える。彼らがそういうのであれば、一考の価値がある。

 

「……本当にそんな方法があるのか?」

「あるみたいです。春という概念そのものが奪われれば、春が来るはずもなく、冬が続いていきます」

「夏は来るのか?」

「そうかもしれませんけど、春が来ないで夏が来ても作物が育ちませんよ」

「道理だな。さすがに黙認はできんか」

 

 春に田植えを行い、夏に世話をし、秋に収穫する。それが人里で行われる農業の形だ。

 その春をすっ飛ばされては田植えができない。備蓄はあるが、一年丸々越せるようなものではない。

 そして冬が続くということは身体の弱いものにとっても辛い環境だ。

 死者が出る可能性まで考慮すると、放置はできなかった。

 

「……奪われている、ということは実行者がいるはずだ。妖怪の山はどうなんだ?」

「黙認です。私たちは人間に比べれば寒さにも暑さにも強いですし、天魔様はさほど気にしている様子もありませんでした」

「……ふむ」

 

 妖怪の山は文字通り妖怪の集まる場所だ。

 妖怪というのは通常の食物による食事をあまり必要としない。彼らにとって最も必要なのは人間の畏れであり、それ以外は娯楽となる。

 極論、人里の人間が死滅するようなことでもない限り、妖怪は困らないのだ。

 そして人里には信綱が未だ存命で十全に動くことができる。

 その事実を天魔は知っている以上、問題視するまでもないと考えている、と推測できた。

 

「結局、中心はここということだ」

「え?」

「お前の情報を聞いた俺が動くところまで天魔は予測していたということだ。確認するが、人里にはまだ来ていないんだな?」

「はい。私も天魔様に言われて千里眼で幻想郷を見ましたが、それらしきことをしている少女を一人見つけています。あと、天魔様からもこちらに来るよう指示を受けました」

「そいつが近づいてきたら俺に報告するだけで構わん。春を奪われるのは見過ごせない」

 

 春が奪われて冬が続いた場合、それは明確に人里にとっての不利益となる。

 騒動程度なら構わない。それすら許さないのであれば異変そのものを許容していない。

 だが、それは人里と御阿礼の子に害がない場合に限る。

 それが破られた場合は――スペルカードルール以外での防衛が許可されていた。

 

「博麗の巫女を動かして、その間に来るようだったら追い払う。そんなところだろう」

「殺すつもりですか?」

「相手次第だ」

 

 脅かすだけで帰ってくれるのならよし。相手が容易く御せる相手でもよし。

 別に人里に害がないのならどこで春を奪っても構わないのだ。それで理解してくれるのであれば、信綱も面倒なことをしないで済む。

 

「俺は阿求様に報告する。霊夢には……一応、これも試練だ。自分で異変に気づけないようではな」

 

 予め異変に気付ける知り合いがいることを実力に含めても良いが、あいにくと自分はもうすぐいなくなってしまう。

 いつまでも自分に頼るような形になるのは避けたかった。

 

「ああ、私も一緒に行きます。人里に留まってもやることがありませんし」

「お前が来ると阿求様の関心がそちらに行くのがな……」

「子供みたいなワガママ言わないでください。私だって阿求ちゃんと話したいんです」

 

 阿求との時間が減るのは辛いが、阿求の意向を確かめもせずに断るのは阿礼狂いとして失格だ。

 仕方がない、と信綱は特大のため息をついて、椛を伴って阿求の元へ戻るのであった。

 

 

 

 案の定というべきか、阿求はやってきた椛との会話に夢中になってしまい信綱は外で待つことになった。

 自分に話せないこともあるのだろう、と理性で納得はしているが微妙に受け入れられない心持ちで憮然とした面持ちになり、虚空に目を向ける。

 

「――スキマ、いるのだろう」

「…………」

 

 返事はない。しかし、信綱はそこに何かがあることを確信していた。

 反応がないならこっちからスキマをこじ開けてでも、と思ったところで小さくスキマが開き、ぬっと手が出てくる。

 その手には紙が握られており、信綱の前で広げられる。

 

『寒いのは嫌だから暖かいところで』

 

 腹が立ったのでその腕を掴んで無理やり引きずり出すことにした。

 紙を握っている手を掴み、強引に引っ張る。

 

「……フンッ!」

「キャッ!? さ、寒い寒い寒いー!」

 

 ズルリとスキマから出てきた紫は寒さに震えて二の腕の辺りをさすりながら信綱を睨んでくる。

 そんな彼女を信綱は心底呆れた目で見ながら、自分の部屋を指差す。

 

「――さて、寒いのは俺も嫌だから部屋に行くか。火鉢ならあるぞ」

「最初からそこで呼んでくれないかしら!? 寒いのは嫌だって言ったじゃない!」

「お前にも俺の感じている寒さを味わってほしくてな」

「いやがらせ以外の目的ないわよね!?」

 

 無視して部屋に行く。紫はいそいそとスキマに潜り、身体を外気から守っていた。

 ……あのスキマの中は暖かいのか寒いのか、しょうもない疑問が浮かぶものの追及はしなかった。あの空間に入るような用事はもう来てほしくない。

 

 自室で火鉢を焚き、仄かな暖かさが部屋に生まれたことでようやく人心地ついたのか、紫は火鉢に手をかざしたまま安堵の息を漏らす。

 

「ああ、寒い寒い……。私は寒いのは嫌いなのよ。家に戻ったら藍にくっつかないと」

「橙はどうしているんだ?」

「こたつで丸くなってるわ。藍も橙も元を辿れば動物から化性しているから、どちらも寒さにあまり強くないのよ」

 

 飼い主に似るのでは、という言葉が浮かぶが口には出さなかった。寒さ暑さについての好き嫌いまで論じるつもりはない。

 さて、そのように寒さに震える紫を呆れた顔で見つつ、信綱は口を開いた。

 

「――用件については予想ができている。今回の異変のことだろう」

「……わかるかしら」

「春を奪う、というのはさすがにわからなかったがな」

 

 発想の違いを思い知った気分である。

 どんな思考回路を持っていればそんな発想が出るのか聞いてみたいくらいだ。

 

「それにお前は次の異変で霊夢の前に姿を現そうか、とも言っていた。だったら異変の内容ぐらい把握していて当然だ。黒幕ともつながりがあると推察できる」

「ご明察。あなたといい天魔といい、話が早いのは楽ですけど面白くはありませんわね」

 

 最近は手駒に取れる存在が少なくてつまらない、と紫が平常通りの空気を作り出して妖しく笑う。

 信綱はそんな紫を前にして、彼女が聞きたいであろう質問の答えを先に言ってしまう。

 

「……俺が異変解決に出る気はない。もうその役目は博麗の巫女のものだ」

「ではあなたは人里から動かないと?」

「そのつもりだ。――そしてだからこそ、人里の防衛は行わせてもらう。寒さが続くのは阿求様のお体に悪い」

 

 それに春が来なければ秋に収穫する作物の田植えもできない。

 阿求の身体を慮って、そして人里の危機も考えて、無視はできなかった。

 

「そこに手加減は?」

「しない。阿求様については譲れん」

「そうですわよね、あなたはそう言いますよね……」

 

 がくりと紫が肩を落とす。

 とはいえ信綱が阿礼狂いなのは紫も知っているため、残念ではあるが予想外ではない、といった様子で気を取り直す。

 そして扇子で口元を隠し、意味ありげな視線で信綱を見た。

 

「一つ、取引をしない?」

「しない。話は終わりか?」

「そこは乗ってきなさいよ、話が続かないでしょう!?」

「どうせ自分の知っている情報を全部吐くから、春を奪いに来た者を見逃してやって欲しいとかそんなところだろう」

 

 うっ、と紫が言葉に詰まる。ほぼ図星だったようだ。

 黒幕とつながっているのだから、春を集めている者ともつながっていると考えるのは自然な流れだ。だがそれがどんな存在なのかまでは信綱も把握していない。

 見逃して欲しい、という部分については当てずっぽうである。

 

「……可能な限り、で構いませんから。今の幻想郷で人死はなるべく出したくないの」

「同感だな。だから俺も人里を守る必要があるわけだ」

 

 言外に止めたければお前が止めろ、と告げる。

 春を集めている何者かを紫は知っているのだから、彼女の口から人里を狙うのを止めろと指示を出してもらいさえすれば、信綱は人里の防衛を考えなくて済むのだ。

 

「……さすがに無理よ。そこまで明確に私が人里の味方はできないわ」

「だったら俺が迎撃に出る。場合によっては後顧の憂いを断つために殺すかもしれない」

「やめた方が良いわ。これはあなたを友人として思う私の警告。あの子は怒らせると怖い」

 

 真剣な色を持った紫の言葉に信綱は一瞬だけ視線を横にそらし、思考に沈む。

 どうやら異変の黒幕と紫は友人関係、ないし親子関係にあるようだ。でなければあの子、なんて言葉は出てこない。

 

(……さて、どうしたものか)

 

 ここで紫から強引に聞き出してしまえば、異変の黒幕に最短で到達できるだろう。

 今は完全に信綱の間合い。紫がスキマに逃げ込む前に捕まえることは容易だ。

 そして面倒事のタネはさっさと摘んでしまうに限る。放置していても面倒事が大きくなるだけなのだ。

 

 そこまで考えて、信綱は自分の思考に苦笑する。

 いつまで一線を張るつもりでいるのだ自分は。もう能動的な解決は霊夢たちに任せているではないか。

 能動的に動くのは自分ではない。ならば己の役目など決まっている。

 

「――俺は人里の防衛のみに注力する。それ以上はやらないし、それ以外もやらない。だが、それだけは万全に行う。実行犯に来てほしくないならお前から言え。俺は来るのなら警告した後、迎撃をする」

「警告はするのね? できれば手加減も」

「未遂のうちは俺も加減ぐらいする」

 

 あくまで未遂の間だけは、である。人里の春が奪われたのなら、それは明確に阿求を害した存在とみなすため、そこからは容赦できない。

 だからこそ天魔が先手を取って椛を送ったのだろう。すでに春が奪われていた場合、信綱は阿求を害する敵を排除するという思考で動き始めてしまう。

 その時の彼に遊びであるスペルカードルールは通用しない。遊びだからこそ本気で真摯に――などと言っても、阿礼狂いであることに一切の遊びはないのだ。

 

 しかし、そのような状況になる事自体、信綱にとっても好ましくはない。阿求が害される事態など最初からあってはならない。予防に動けるならそれが一番である。

 

「ではあなたは異変の解決に動くつもりはない、と」

「防衛ができている間はな。人里の春が奪われたら――阿求様のために動く」

 

 御阿礼の子のために動く。それはつまり、それ以外の全てを塵芥とみなして邪魔するものを灰燼に帰すということ。

 そうなったら人死が出てもおかしくないし、異変で人死が出ればスペルカードルール自体の意義が揺らぐことになる。

 

 ――そんな些細なこと、この男は気にも留めず阿求を守るだろう。

 

 であれば幻想郷を守るのは天魔と紫でやるしかないわけだ。信綱は基本的に守護者ではあるが、阿求に害が及ぶ場合は幻想郷の秩序など鼻で笑ってくる。

 なぜこんなに自分が胃の痛い思いをせねばならないのだ、と紫は内心でこんな異変を起こしやがった親友に毒づきながら安心させるように笑う。

 

「安心なさい。あなたが守る限り人里は安泰でしょうし、そのために白狼天狗もいるのでしょう?」

「……だと良いが」

 

 おおよその方針が定まったところで、紫はスキマを開いて立ち上がる。

 

「では私はこれで失礼。今回は私も博麗の巫女の顔を拝みたいから、少しばかり異変に加担させてもらうわ。――ああ、もちろん春を奪うことにはノータッチだからその刀に手は添えないでくださいお願いします」

「……あまりに長引くようなら俺から霊夢に教えるからな」

「その時は博麗の巫女を叱りなさいな。では――ごきげんよう」

 

 消えていく紫を見送り、信綱は一人大きなため息をつく。

 霧で幻想郷を覆うことといい、幻想郷の春を奪うことといい――妖怪の考えることは発想が大きすぎてついていけない。

 全くもって迷惑千万である。信綱は今なお自分が動かなければならない事態があることに、もう一度大きなため息をつくのであった。

 

 

 

 

 

 狼とは冬でも狩りを続ける動物である。

 理由としては群れで狩りをしている関係上、獲物の減る冬場は必然的に空腹の期間が多くなってしまい、そもそも狩りをしなければ生きていけないという世知辛い事情があったりするのだが、そこはさておく。

 要するに信綱が言いたいのは、冬であっても狼から化性した白狼天狗が活動的なのは当然であるということだ。

 

「だから働け」

「えー」

 

 いつも通りの無表情、しかし明らかに苛立っているのがわかる声音で信綱が話す先には、こたつでだらけきっている椛の姿があった。

 春を奪う輩が来たらすぐに伝えるよう指示してあるため、人里にいるのは構わない。

 とはいえ、だからといって人の家に入り浸り、こたつでゴロゴロとみかんを浪費するだけの生活を許可した覚えまではなかった。

 

「えー、じゃない」

「外、寒いじゃないですか。雪降ってますよ雪」

「お前な。昔は普通に冬でも哨戒していただろう」

「誰もやりたがらない役回りを押し付けられただけですよ。私だってゴロゴロできるならそうしたいんです」

 

 そう言って椛は再びみかんの皮をむく作業に戻る。

 すでにみかんの皮が机の上に散乱しており、結構な数を食べたことがわかるというのに、一向に指が止まる気配が見えなかった。

 

「…………」

「あ、見回りに行くのならどうぞ。安心してください、ちゃんと来たら教えますから」

「行くぞ。穀潰しに食わせる飯はない」

 

 だんだん椛のだらけっぷりに腹が立ってきたので、首根っこを引っ掴んで強引にこたつから脱出させる。

 

「あ、ああーっ!? 私の楽園が!?」

「人の家で楽園なんて作るんじゃない。見回りに行くぞ」

「寒いのは嫌いだって言ったじゃないですか!?」

「俺だって好きでもないわ」

 

 寒いと体調を崩しやすくなる。信綱も自分の体調にいつも以上に気を配る必要が出て来るし、阿求の健康には細心の注意を払わなければならない。

 いや、阿求の体調管理は常に完璧にしているのだから、平時と変わらないと言われればその通りであった。

 

 こたつから離れたことに涙目になっている椛を引っ張り、無理やり椛の武器である大太刀と盾を持たせる。

 それでようやくやる気になったのか、渋々椛は信綱についてくる姿勢を示した。

 

「全く……人里に来たからには堂々とサボろうと思ったのに……」

「俺の前でよくサボろうなんて発想が出るな……」

「君は成果さえ出せば何も言わなそうな印象でしたし」

 

 成果を出して、周囲との軋轢を生まないようにしていれば何も言わないだけである。

 個人でできることなどたかが知れている上、そのために全体の調和を乱そうとまでは思っていなかった。

 その点で言えば椛は信綱の極めて個人的な事情――ぶっちゃけてしまえば気分的になんか嫌だったのだ。

 

「お前が怠けるのを見ていると腹が立つ」

「すっごい適当な理由!?」

 

 椛はなんでこんな面倒な男に引っ張られているんだ、と肩を落としており、これが信綱の極めて珍しい行動であることには理解が及ばなかった。

 基本的に信綱は合理で行動する。行動の理由を問われれば、すぐに利益を並べ立てて理路整然と自分の行動の合理性を説くことができる。

 信綱が適当かつ曖昧な理由で説明を終えるというのは、言い換えれば遠慮をしていないということでもあるのだ。

 

 ともあれ、椛はそんな信綱の行動の意味に気づくことなく、信綱と並び立って見回りを開始する。

 雪がしんしんと積もり続ける静かな空間を、人々が寒さに背を丸めて歩いていく。

 先日から雪が続いており、外を出歩いている人々の顔もどこか疲れが伺える。連日の雪下ろしで疲弊しているのだろう。

 

 椛と信綱は人々の様子を見ながら、彼らを慮るように声を潜めて話す。

 

「みんな疲れた顔してますね」

「雪下ろしは重労働だからな。それに寒いと気が滅入る」

「暖かい飲み物が欲しくなります。あまり続くようなら対策も必要では?」

「続くようなら改めて考える。別に不作だったわけでもないし、食糧に困ることはないはずだ」

 

 この冬が多少長引いたとしても、乗り切れる自信はある。

 それにダメなら天狗の里から借り受けるか、紅魔館から融通してもらえば良い。借りにはなるが、それはその年の作物で返すようにする。

 

「しかし、ここ最近の雪の量はさすがに多くてな。市場の方もござを敷く場所すら確保できんから、今は閑散としている」

「さすがに冬は静かになりますね。その代わり飲み屋とか甘味処が大繁盛ですけど」

 

 椛は道の途中にある甘味処に熱い視線を向けながら、これ見よがしに信綱の前で赤くなった手に息を吹きかけている。

 まだ酒じゃないだけ優しい方だと思うことにした信綱は、同じく椛に見せつけるように大きなため息を吐いて、甘味処に入っていく。

 

「やった! 君のそういうところは嫌いじゃありませんよ」

「俺はお前のそういうところが嫌いだ」

「そうやって心にもないことを言う減らず口も嫌いではありません」

 

 割りと本心だ、と思いながら熱い茶を片手に信綱はお汁粉を頼む椛を眺めていた。

 そしてやってきたお汁粉をふぅふぅと冷ましながら食べていく姿を見て、ふとつぶやく。

 

「……俺はお前のお守りではないのだがな」

「私も君のお目付け役ではありません。ところでお団子も一緒に頼んでいいですか」

「食い過ぎるなよ。後で動けなくなっても知らんからな」

「じゃあ遠慮なく!」

 

 ここでやめておけという言外の警告でもあったのだが、椛は華麗に無視してお代わりを注文し始める。

 もう怒る気にもならない信綱は外の雪景色を見て、茶をすすっていく。

 

 雨は地面に砕ける時に音を出すが、雪にはそれがない。

 甘味処で寒さをしのぐ人々の声が聞こえなければ、本当に無音の空間が形成されるだろう。

 子供ならこの景色も楽しめる。子供は難しいことなど考えずに雪合戦に思いを馳せていれば良い。

 しかし大人はそうも行かない。雪下ろしは危険で面倒な上、また雪が降れば同じ作業の繰り返しになる可能性が極めて高いのだ。

 

 いわば終わりのわからない勝負。春がいつ来るかなど誰にもわからない以上、その時が来るまで雪との勝負は終わらない。

 もしも人里の春が奪われて、雪が続くようであれば――それは作物が育てられない以前に、人間が雪に殺される可能性も生まれてしまう。

 

 そうならないためにも防衛は万全に行う必要があるのだが、防衛はあまり効率の良いものではない。

 なにせ相手側に主導権を全て与えているも同然なのだ。いつ、どのように攻めてくるか向こうは好きに決められ、こちらはそれに合わせて動くしかない。

 いつ、の部分に関しては椛がいるから問題ないとはいえ、信綱としては好ましい手段ではなかった。面倒事の種はさっさと摘み取ってしまうのが一番なのだ。

 

「食い終わったら見回りを再開するからな」

「こんな寒い中で犯罪なんてする人もいないと思いますけどね。なにせ人が少ないってことは、獲物も少ないってことですから」

「だろうで見回りが休めるか。常に可能性を考えて動くべきだ」

「相変わらず生真面目ですね。寒いから大変でしょうに」

「だからお前に付き合わせているんだ」

「そして相変わらず人使いが荒いです……」

 

 がっくりと肩を落とす椛の脳裏には何がよぎっているのか。

 信綱が椛に頼み事をする時は無茶ぶりをする時と相場が決まっているため、思い当たるフシが多すぎて特定できなかった。

 これまでの無茶ぶりやら鬼畜な稽古内容が一気に思い出されたのだろう。信綱にありったけ集るように甘味を貪り始めた椛を呆れた目で見る。

 

「太るぞ」

「妖怪はそんな体型変わりません! 大体君は昔から私に対してなぜか知りませんが、やたらと無茶ぶりを――」

「俺はできると判断したものしか他人には任せない」

 

 椛なら泣き言をこぼしながらも、なんだかんだやってくれるだろうという信頼があるのだ。

 それらを伝えようと言葉を探していると、不意に椛の顔が真面目なものになり、食べかけの甘味を放って立ち上がる。

 

「どうした」

「――来ました。真っ直ぐ人里に向かってます」

 

 それが誰か、などと問う意味はなかった。

 信綱と椛は雪の降りしきる中を走って人里の門に向かい、迎撃の姿勢を作る。

 

「どのような流れを想定してます?」

「警告はお前がやれ。それで退くなら良し。駄目だった場合はお前が押さえろ」

「え、私がですか?」

「ああ、お前に任せるのが適任だ」

 

 信綱の言葉に違和感を覚え、椛は眉を潜めながらその疑問を解き明かそうとするものの、時間がそれを許してはくれなかった。

 

「――そこの女の子! 止まりなさい」

 

 普段の様子からは想像もできない鋭い声が椛の口から発せられる。

 呼び止められた少女は雪のような白髪と黒いリボンを付け、白いシャツに緑のベストをまとっており――肌が異様に青白く、何やら珍妙な人魂みたいな物体が付き従うように浮いている。

 死者、ないし幽霊であると言われても納得してしまうほど、少女の容姿には血の気がなかった。

 腰には長刀と短刀、二つの刀が差してある。細身な少女に扱いきれるとは思えなかったが、おそらくこの少女も見た目から人間を想定してはいけない存在なのだろう。

 

「白狼天狗と人間? 不思議な組み合わせもあったものね」

「君が春を奪っていることはわかっています。――ここから立ち去りなさい。この場所は人が生活を営む場所。妖怪と違い、春が奪われることへの被害が大きい」

「知ったことではないわ。私はただ役目を果たすだけ」

「無論、一方的な要求の押し付けはしません。ここの春を奪わないのであれば、他の場所の春はいかようにも奪ってくれて構いません」

「一部分だけを集めないくらいなら、全部集めてしまった方が手っ取り早い。そうでしょう? お前たちから春を奪い、そしてこの里からも奪い、幻想郷から春を奪う。私のやることは変わらないわ」

 

 会話になっていない、と信綱は椛と少女の話を評価する。

 少女にとって脅威とすべきなのは白狼天狗である椛のようで、自分には一瞥すらくれなかった。

 そして少女の中ではもう対話も終わったと判断したのか、長刀をスラリと抜き放って椛に向ける。

 

「下がれ、なんて言うつもりはないわ。どうせ最終的には全部の春を奪うのだから。ここであなたとそこの人間の春も奪っておしまい」

「……どうしても引く気はないのですね?」

 

 椛が最終確認をするように問いかけをして、少女はそれに答えず不敵に笑うばかり。

 話は終わった、と判断した信綱は静かに歩いて椛の前に立つ。

 

「椛、もう良い」

「……あ!」

 

 椛の横を通る時に彼女の顔が推定妖怪の少女と負けないくらいに青ざめる。どうやら信綱が彼女に任せた役割を正しく理解したようだ。

 止めてほしい、というのは春を奪う相手のことではない。それは必要な条件であるのだから、役割を分担する意味など存在しない。

 ならば椛に求めている止めてほしい相手など一人しかおらず――

 

「春を奪うことは止めないのだな」

「人間も白狼天狗も言うことは同じね。――だったら返す言葉も同じ。抵抗しなければ痛い目には遭わないわよ?」

「そうか、そうか。いや、十二分に把握した」

 

 

 

 

 

 ――お前はあの方の敵だな?

 

 

 

 

 

 御阿礼の子の障害を排除せんとする、自分を止めろと言っていたのだ。




手加減はするし、殺すつもりもない(椛が止めれば)

阿礼狂いが前後の事情説明だけで御阿礼の子を害するやつに手心を加えるわけないじゃないですかやだなあ(白々しい顔)
でも殺すと何かとマズイのも理解できているので、椛にぶん投げているわけです。無茶ぶりとも言います。

阿礼狂いになっているノッブと椛のタッグに、白兵戦で、単騎で勝負を挑む妖夢。
この場合の両者の倍率を答えよ(ヒント:ノッブに賭けると賭け金が減ります)

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