阿礼狂いに生まれた少年のお話   作:右に倣え

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ヤバいヤバい詐欺だと思われそうになってきた今日このごろ。テスト前に部屋の掃除が捗る現象だと思ってください(白目)


揺籃の時代 ‐あるいは、嵐の前の静けさ‐
阿七のいない世界


 朝、信綱は自室で机に向かっていた。

 書き物をしているというわけではなく、手に持った布で何かを磨いている。

 丁寧に、丁寧に。細心の注意を払う彼の手に収められているのは、阿七より贈られた硝子細工。

 

 もらったその日より朝夕必ず磨いて飾っていた。今は――遠くへ行ってしまった彼女を偲ぶ意味も込めている。

 

「……よし」

 

 チリ一つ残さず磨かれたそれに満足し、机の上に飾って立ち上がる。

 今日は総会だ。阿七がいなくなってからも、火継の家での行事はなくならない。

 阿七の次、阿弥に仕えるために。いなくなった人を忘れるわけではないけれど、時間は前にしか進まない。

 阿七と最も長い時間を共にした信綱もまた、最愛の主の言葉通りに前へと進むべく一層の鍛錬に力を入れる日々だった。

 

 道場へ入る戸を開くと、すでに中で鍛錬に励んでいた者たちが一斉に振り返り、そして誰もが顔を強張らせる。

 

 齢十六。六の頃より火継最強の証明である阿七の側仕えを務め上げ、今なお彼の最強は微塵も揺らいでいなかった。

 四方八方から数で攻めれば力の方向を変えての同士討ち。不意をついたと思っても、すでに読まれている。飛び道具を使えば、残らず空中で掴み取られて返される。

 無論、正面から挑むなど愚の骨頂。六歳の頃、父を打ち倒した時以上に磨き抜かれた技量で触れることすら許されない。

 

 火継の人間はその殆どが常人を遥かに凌ぐ能力を持つ。そんな一族においてなお、信綱という青年の才能は異質な部類だった。

 

 信綱は皆の視線を受けても揺らぐことなく道場の中央へ足を進める。

 

「愚息よ」

「……父上、この場では皆対等。あなたも例外ではありません」

「阿七様の支えになれたと、思っているか」

「――」

 

 足が止まる。父の投げかけた言葉に信綱は明確な動揺を見せた。

 彼の言葉に対して信綱は返す言葉を持たない。人間、過去を振り返って自分の行動が完璧だったと思うことなど滅多になく、ましてやそれが愛する主のことであればなおさらだ。

 つまるところ、これは信義の策だ。答えの出ない、出してはいけないが無視もできない。そんな問いかけをして信綱が動揺したところを――突く。

 

「ケエェェェェェェェ!!」

 

 裂帛の気合と共に放たれる流星にも見紛う突き。木刀とはいえ、直撃すれば死は免れない。

 対し信綱は動かない。茫洋とした、どこか遠くを見る目をしており、自身に迫る木刀をまるで捉えていなかった。

 

 斯くして策は成る。信義はもはや信綱には対応のしようがないほど近づいた木刀に確かな手応えを感じ、これより後に待ち受ける御阿礼の子の隣に立てる自身を夢想して――

 

 

 

「……つまらないことを聞きますね、父上」

 

 

 

 そんな夢想を、息子は容易く打ち砕いた。

 現実に帰った信義の目に飛び込んできたのは、手を完全に伸ばしきった先にあるはずの木刀が消え失せ、信綱の手に移っていた光景だった。

 

「な……馬鹿な!! 見えていたはずがない! いや、どうやって防いだ!!」

 

 防げるはずがない。直撃は不可避で、例え受けたとしてもその部分が弾け飛ぶ。それだけの破壊力を秘めていた。

 だというのに、なぜ目の前の男は無傷で佇んでいる。なぜ自分が持っていた木刀は愚息の手に渡っているのだ。

 

 信義の悲痛とも言える追及に、信綱は不思議そうに眉をひそめる。

 

「どうやっても何も……。普通に対応できるでしょう?」

「な……」

 

 むしろなぜできないんだ、と言わんばかりの顔だった。

 自身の渾身の突きを相手が動揺した状況に叩き込んだ。なのに――顔色一つ変えられない。

 

 隔絶している。

 信義は前々からわかっていながら目を背けていたことを、改めて理解してしまう。

 自分の息子は、すでにこの家の人間全てを集めたとしてもなお届かない高みにいるのだ。

 

「それと質問の答えですが……、疵瑕はあります。ああしておけばと思ったこともあります。ですが――私はあの人の隣に立ち続けた。それだけが確かで、それだけわかっていれば十分だ」

 

 信綱は父から奪った木刀をぞんざいに放る。

 それを受け取るものの、信義の顔は苦み走ったものだった。渾身の一撃が苦もなく防がれたのだ、ある意味当然と言えよう。

 

 が、心が折れている様子はなかった。また隙を見せたら容赦なく襲ってくるのだろう。

 次元が違う相手であろうと、自分の目的がその先にあるのなら躊躇わない。御阿礼の子を護る戦いで、自分より格下の相手ばかりと戦えるわけではないのだから。

 

「さて、始めるか。あの方の隣に立ちたければ、俺を超えてみせろ」

 

 そして――彼らの頂点に君臨する者として、信綱は彼らを叩きのめすのだ。

 怒号と気合。武器を片手に近づくものもいれば、懐から吹き矢を取り出すものもいる。

 どれも一廉の使い手であり、人里の妖怪退治屋としてなら十二分だろう。

 

 ――結果は決まっていた。

 

 

 

 傷一つ負うことなく総会を終えると、信綱はその足で稗田邸に向かう。

 主のいなくなった屋敷はガランと静まり返っていた。普段は聞こえる女中の足音も、料理番の包丁の音も聞こえない。

 微かな物悲しさを覚える。栄枯盛衰、というには少々短すぎる期間だ。まだ阿七の葬儀が終わってから一年も経っていないというのに。

 

 今の信綱の役目は御阿礼の子が帰ってくる場所を守ることと、その日が来るまで火継の家を絶やさぬようにすること。

 さしあたって、家の掃除は欠かせなかった。時折女中だった人がやってくれることもあるが、基本は信綱がやっている。

 一人で掃除をするには少々広い邸宅を掃除して回っていると、ふと玄関の戸が開く音がした。

 

「泥棒……ではないか」

 

 ガラガラと静かに開けようとは考えていない開き方だった。無論、万一もあるので最低限の警戒は怠らず信綱は玄関に向かう。

 

「あれ、慧音先生?」

「おや、信綱か。葬儀以来だな」

 

 玄関にいたのは慧音だった。手には掃除道具があり、信綱と同じ役目で来たことがわかる。

 

「どうしてこちらに?」

「阿七がいない家の掃除をしようと思ってな。昔からの付き合いなんだ。帰ってくる場所を守るぐらいはするさ」

「……阿七様も喜ぶでしょう。私がある程度掃除をしましたので、残りをお願いします」

「ああ、任された。……お前は大丈夫そうだな」

「追ってくるなと言われましたから」

 

 ならば前を向くしかない。阿礼狂いが御阿礼の子を喪った穴は一生消えないだろうけど、それでも。

 

「次の御阿礼――阿弥様が生まれるまで待ちます。そしてもう一度仕えます。今度もまた、私が側仕えで良かったと言ってもらえるように」

「そうか。私個人としても嬉しいよ。これまでの火継は仕えている主がいなくなると、殆どが抜け殻のようになるか後を追うかのどちらかだった」

 

 慧音は軽く信綱の肩を叩く。同僚を労うように、子供の成長を喜ぶように。

 

「頑張れ。お前が願った通りの生き方ができることを私からも祈るよ」

「ありがとうございます」

「さて! 今日はお前もいるし徹底的に掃除するか! 埃臭い家に稗田は住まわせられないからな!」

 

 意気揚々と歩く慧音の背中を追いながら、この人も色々なものを見てきているのだと思う信綱だった。

 いつも公明正大なこの人の頭には、一体何が渦巻いているのだろうか。

 

 長く生きていれば良いことがあるわけではない。その分だけ悪いことを見る可能性も上がる。

 その点では阿七は短命で良かった? ――否。

 選ぶ権利があるならば選べば良い。だが、彼女らに選択肢はなかった。一つしか選べないものの価値を語るなど不可能だ。

 

「……先生は、長く生きて良かったと思いますか」

「藪から棒にどうした。……まあ、この身体を嘆いたこともある。小さな頃から一緒だった人間が死んで、自分だけが残されるというのは辛い」

「わかります――とても」

 

 向こうが年上だったことを差し引いても、信綱がこの世に生を受けてから大半の時を過ごした人だった。喪われた悲しみは今なお――いや、阿弥が生まれてきたとしても癒えるものではない。

 

「だが、彼らが何も残さなかったわけではない。彼らの言葉は私の胸にある。彼らの子孫は私の前に、立派に成長して現れる。お前のようにな」

 

 とん、と軽く額を小突かれる。

 阿七にもよくされていた行為に、自分の額はひょっとして叩きやすいんじゃなかろうか、と思ってしまう信綱だった。

 

「辛くないと言えば嘘になるさ。けど、楽しくなかったかと聞かれたら違うと答える。……まあ、寺子屋の教師をするのと同じようなものだ。楽しくもあり、苦しくもある」

「楽しいこと……」

「お前は阿弥が来るまで待つのだろう? だったら、土産話の一つでも用意しておけば阿弥を楽しませられるぞ。今を俯いて過ごすのではなく、楽しく過ごせ。置いていかれることに関しては先達の私からの教えだ」

「……覚えておきます」

「うむ、わかってもらえたところで掃除を始めるか。お前は男なのだから、力仕事を頼むぞ」

「いや、力なら先生の方が圧倒的に上じゃ――」

「た、の、む、ぞ?」

「あ、はい」

 

 半妖である慧音に勝てるほどの膂力は持っていないのだが、断っちゃいけない空気だった。

 自分の周りには妙に女性であることを強調するような人が多い、と思いながら信綱は言われた通り力仕事に従事していくのであった。

 

 

 

 

 

「――と、いうことがあってな。あの人、俺より力が強いのだから適材適所という言葉を学んで欲しい」

「それは君が悪い。女というのはいつになっても少女でいたい気持ちがあるんですよ。男が自分のために力を発揮する、なんてうってつけだと思いません?」

「面倒な話だ」

 

 誰もいない山奥での渓流釣りの最中、信綱は千里眼で自分を見つけた椛にいつぞやの慧音のことを話していた。

 秋も深まり冬に近づきつつある今、上流から紅葉が流れて川を色鮮やかな紅に染め上げている。

 その中に釣り竿を垂らして時の流れを感じるというのは、信綱の密かな趣味になっていた。

 

 阿七の側仕えもなくなった現状、信綱は危険性の高い仕事や妖怪退治の名目で里の外に出歩く頻度が増えていた。

 この魚釣りもそれの一環である。ここである程度釣りをして、同時に兎なども狩っておくと感謝と日銭がもらえるという流れだ。

 

 実際のところを言えば妖怪が存在する幻想郷の人里において、武力が不要になる時代などいつ来るかわかったものではないため、人里から養ってもらっているという面もある。

 あるが、それにかまけて胡座をかくのはよろしくない。働かずにメシを食べるのは、誰かの負担を増やしているとも言い換えられるのだ。そのツケがどこで来るかなど誰にもわからない。

 なのでできる範囲で人里に貢献はする。御阿礼の子がいる時は雑事程度しかしない火継の人間の処世術と言えた。

 

「で、女の扱いというのを君はどう思っているんですか?」

「どうもこうもない。……ま、次からは心がける」

「……こうして話していると、阿礼狂いという所以は今ひとつわかりませんね。もっと阿七様以外に向ける好意などない! とかじゃないんですか?」

 

 酷い勘違いをされているようだ。信綱は憮然とした面持ちで釣り竿から目を離さず、口を開いた。

 

「どんな狂犬だ俺は。そんなことをして里との関係を悪くして何の得がある。阿七様も、歴代の稗田も人里に住むのだから、側仕えの俺たちが人里と関係悪化なんてしたら御阿礼の子にも悪影響が及ぶだろうが」

「……ああ、うん、なるほど。特定の人間にはどこまでも感情的になるけど、それ以外に関しては合理的で利害を重んじるのですか」

「そうでもない。確かに損得で相手を選ぶこともあるが、来るものを拒むつもりはない。普通に友人を作っている……のは俺くらいだな」

 

 他の面々は自分を倒そうと修行に躍起になっているだろう。信綱ほど妖怪の山に近づかなくても、山の中で跳ね回っている火継もいそうである。

 

「あ、じゃあ私はどうなんです? 君にとって友人ですか?」

「…………お、釣れた」

「無視しないでください!」

 

 むすっと頬をふくらませる椛。こんなのでも自分の何倍も生きているというのだから恐ろしい話である。

 実際のところ友人と呼ぶのもやぶさかではないが、言葉にするには躊躇いがあった。照れくさいと言い換えることもできる。

 

「で、今日はお前一人なのか? いつもなら椿もどこからともなく来るというのに」

「露骨に話を変えますね……。なんでも上の方で今後の進退を会議しているみたいで、その警備に駆り出されてますね。かくいう私も見回りですよ」

「サボってていいのか」

「見て回るだけなら、どこからでもできるんですよ」

「さいで。まあ妖怪の山がどうなろうと知ったこっちゃないが、人里に迷惑をかけるのはやめてくれよ」

「多分難しいです」

「……なに?」

 

 釣りをする手を止め、椛の方へ視線を向ける。相変わらずの柔和な笑顔だが、どこか疲れているように見えた。

 

「今すぐどうこうって話じゃないんですけど、私たちに限界が近いんです。もう何十年も妖怪と人間が交わっていないから、人間が妖怪の脅威を忘れつつある」

「……聞いたことはあるな」

「おや物知り。まあ、一年二年で変わりはしませんが、このままさらに二十年三十年もするとさすがに不味いって感じですね」

「なるほど。で、お前はどう思っているんだ?」

「別にどうとも。このまま滅びるんでしたらそれはそれで妖怪らしい末路だと思ってますよ。好き勝手やった鬼が騙し討ちでやられたように。妖怪と人間が正面から戦うなんて時代は終わったんだと思います」

「……そうか」

 

 この白狼天狗は意外と達観しているようだ。

 あるいはかつて狼だった頃の感性が、繁栄も滅びも自然の流れと割り切っているのか。

 

「ただ、まあ……私の考えは珍しい部類みたいで。他の天狗たちは死にたくないようですし、とにかく脅威を思い出してもらえれば良いわけですから、博麗の巫女に討伐されること覚悟で人里を襲うくらいはあり得ますよ」

「妖怪の決死隊とはなんともタチの悪い」

 

 博麗神社は人里から離れた場所にある以上、事が起こってから駆けつけるまでに惨事を引き起こすことなら可能というわけだ。人の集まる時間や場所などを狙えば数十人と死者が出てもおかしくない。

 

「……もし人里を襲う段になったらお前はどうするつもりだ。場合によってはここで後の脅威を断つ必要がある」

 

 片手を後ろに置いてある刀に向かわせる。椛との付き合いも長くなっているが、それはそれ。里への脅威は排除するのが人里の人間としての義務だ。

 距離はだいぶ離れているが、今の自分なら椛が空へ逃げる前に首を落とせる。無力化したら後は煮るなり焼くなりして殺せば良い。

 

「やりませんよ。かつてあった栄光にすがって身を滅ぼすなんて、いかにも惨めじゃないですか。もう私たちの黄金時代は終わった。ならばそれに合わせた生き方をすべきなんですよ。

 春や夏は生きられるのに、冬は生きられない獣なんて淘汰されて当然です」

「……それならいいが」

 

 実に動物的な考え方だ。信綱としては死にたくないという天狗たちの方がまだ理解できた。

 

「まあ実際どう動くかまではわかりませんけど。会議に上がるだけあって、博麗の巫女と事を構えるのが得策じゃないと考える派閥と、とにかく動かなければどうにもならないと考える派閥が分かれていますから」

「ふぅん」

 

 警戒を弱め、再び釣りに戻る。と、そこで思い出したように信綱は茂みの向こうを指差す。

 

「興味深い情報の礼だ。そこに仕留めたイノシシがあるから持って行っていいぞ」

「へぇ、イノシシですか。ありがたいですけど、良いんですか?」

「常人は素手でイノシシは狩れない。あまりに常識離れした結果も人里との隔意を招きかねないということだ」

 

 信綱的には山でばったり出くわせば、今日はぼたん鍋だなと思いながら気軽に狩れるものでしかないが、一般の人であったら死を覚悟するものなのだ。そんなものを素手で平然と狩る姿を見せては不要な恐怖を買ってしまう。

 

「シカは高所から首に一撃。イノシシだって目から脳天を破壊すればすぐだというのになあ」

「あはは、確かに妖怪は獣を狩るのに苦労はしませんよね。私も狼時代は色々と大変でしたけど、天狗になってからは楽なもんですよ」

「……今、俺を妖怪扱いしなかったか?」

「気づいたんですよ。あなたは人間じゃなくて妖怪として扱った方が、私の精神安定的に良いんだと」

「俺は人間だ」

「はいはい人間ですねー」

 

 なぜ自分が駄々をこねている子供を見るような目で見られなければならないのか。甚だ不本意な信綱だった。

 

「まああれはもらっておきます。椿さんに見せたら喜びますよ」

「一人で食え。あいつを喜ばせるためのものじゃない」

「イノシシを一人で食べ尽くせとか無茶言わないでください!?」

「妖怪なんだからできるだろう」

「人間にできることとできないことがあるように、妖怪にもできることとできないことはあるんですよ」

「さいで」

 

 良い頃合いになってきたため、釣り竿を片付け始める。そろそろ戻らねば暗くなってしまう。そうなっても一夜を明かすぐらい問題なく行えるが、人里に余計な心配をかけることになる。

 

「俺は戻る。……あれだ、気をつけてな」

「…………」

「なぜそんな顔で俺を見る」

 

 鳩が豆鉄砲を食ったような顔で見られてしまう。普段から自分はどれだけ冷たい人間だと思われているのだろうか、とちょっと自分を振り返りそうになる信綱。

 その様子を見た椛は小さく微笑んだ。

 

「……そういう態度は椿さんに見せた方が喜びますよ。それこそ嬉し泣きするくらいに」

「お前だから見せるんだ。奴には見せん」

 

 椿の印象は今でも隙あらば自分をさらおうとする、はた迷惑な烏天狗以外の何ものでもない。

 ……まあ、武芸を教えてもらえることには感謝していなくもないが、それを伝える気は今のところ欠片もなかった。

 

「む……今のは女心を意識したからですか?」

「どの辺がだ?」

 

 椛の言葉の意味がわからず、首を傾げる。はて、今の言葉に女心を刺激するようなものがあっただろうか。

 

「なるほど、鈍感だ。天才は人の心がわからないというやつですかね。お前だから見せる、なんて言われては私もちょっと舞い上がっちゃいますよ」

「……ああ、そういうことか。安心しろ。俺が心を捧げるのはいついかなる時も御阿礼の子だけだ」

 

 鈍感と言われて信綱も理解が及ぶ。が、彼が御阿礼の子以外に心惹かれる時など来るはずがない。故に椛に友情を感じることはあっても、愛情を感じることは絶対にないと伝える。

 

「あ、うん。なんだろう、ちょっとドキッとさせられた子にフラれた形になるのに、全く悲しくない」

「そうかい。じゃ、また今度な」

「おっと、また今度。次来る時はもうちょっと天狗の情勢も調べてみますよ。君との時間はなんだかんだ楽しいですし」

 

 そう言って椛は上空へ飛び去っていく。少々長過ぎる自主休憩だったのか、だいぶ速度を出していた。

 あっという間に見えなくなる椛の背中を見送り、信綱もまた帰路につくのであった。

 

(天狗の山がきな臭い、ねえ……)

 

 今日明日にどうこうなるわけではないが、いずれ何かが起こる可能性は高い。

 人里に伝えて備える……いつ来るかもわからないものを備えさせては、疲弊してしまうのがオチであるし、武術の鍛錬などしていない男たちが武装したところで焼け石に水である。

 

 

 

 ――自分が強くなる。それが最も確実だ。

 

 

 

 天狗が襲ってくるのなら来れば良い。全て蹴散らせば良いだけの話だ。

 里に被害は出るかもしれないが、御阿礼の子が帰ってくる場所として機能していれば問題はない。

 

「……また頑張ろう」

 

 より一層修行に力を入れよう。椿程度に手こずっていてはダメなのだ。この世界は広く、強い妖怪などいくらでもいるのだから。

 

 決意を新たにし、信綱はいつか阿弥の来る場所を守るべく歩き始めるのであった。




椛との恋愛描写!(五秒で終わる)
意外と妖怪に好かれる信綱青年。なんだかんだ向けられる好意を無下にはできない辺り、割と私人としては優しい方です。有事になったら? 間が悪かったねで切り捨てます。

そしてじわじわ不穏な空気が漂い始める幻想郷。人間は嵐に怯えるしかないのか、はたまた嵐がなんぼのもんじゃと奮い立つのか。どうなるのかは誰にもわかりません。

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