阿礼狂いに生まれた少年のお話   作:右に倣え

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魔理沙の災難で幸運な一日

 初春の仄かな暖かさを感じさせる日差しも届かない、鬱蒼と茂った森の中。

 目には見えず、しかし確かに感じる瘴気が漂うこの場所は魔法の森と呼ばれている。

 

 昔はこの場所でも人間が住む試みが行われたのか廃屋が随所に存在し、主のいない家々が森の不気味さに拍車をかけている。

 今となっては獣すら寄り付かない、ただただ朽ち果てるのを待つばかりの家が点在する森の中を、一人の男性が進んでいく。

 

 足取りに迷いはなく、瘴気に怯む様子もない。最低限の武装である刀を一振り携えて男性――信綱は歩いていた。

 理由は至極単純。この森で暮らしている駆け出し魔法使いの少女、霧雨魔理沙の様子を見てきて欲しいと、彼女の父親と兄貴分に頼まれたからである。

 

 父親に頼まれるのは構わない。彼は商人であり、魔法の森のような危険な場所に踏み入って良い人ではないのだ。危険に対処できる信綱に任せるのは何ら間違ったことではない。

 だが兄貴分――霖之助は違う。彼もまた魔法の森に居を構えている以上、ある程度は腕に覚えもあるはずだ。その彼に頼まれるのは納得が行かない。

 

「全く、後でどうしてくれようか……」

 

 とりあえず香霖堂で何か貴重な物を見つけたら値切りまくって安く買おう、と心に決めながら信綱は魔理沙の家を目指す。

 場所自体は霖之助から聞き出しているため、道に迷うことはない。

 そうしてたどり着いたのは廃屋を多少綺麗に掃除した、という程度の古めかしい建物だ。

 

 信綱は扉を叩いて返事を待つ。誰も居ないのなら部屋で待たせてもらうつもりだった。

 いくら瘴気に耐性を持っているとは言え、四六時中薄暗い場所にいて気が滅入らないかと言われれば否である。

 幸い、魔理沙は家にいたようでバタバタと騒がしい音が部屋の中から聞こえてきた。

 そして勢いのまま扉を開いて、訪ねてきた人物が信綱であることに気づいて目を見開く。

 

「はいはい、誰だよこんな時間に訪ねて来るのは――爺ちゃん!?」

「久しぶりだな。息災そうで何よりだ」

「あ、ああ……。い、いやいやいや! なんで爺ちゃんがここに!?」

「霖之助とお前の父親から様子を見てくるよう頼まれた。部屋に入るぞ」

 

 そう言って信綱は部屋に入っていく。

 魔理沙は咄嗟に扉の前で止めようとするが、信綱はヒラリとかわして中に入ってしまう。

 

「あ、ちょっと待って――」

「……ふむ」

 

 部屋の中は惨憺たる光景だった。

 そこら中に服や魔法に用いる瓶、本などが散乱しており、足の踏み場もないと言えるほどだ。

 魔法の実験をしている影響だろうか、部屋の中から漂ってくる異臭は外の陰鬱な森の匂いが芳しく思えてくるものだった。

 栽培しているのか、それとも自生したのかわからない部屋の隅のキノコが部屋の惨状を物語っていると言えよう。

 

 信綱はその光景に顔をしかめる。

 従者として常日頃から部屋を綺麗にするよう心がけていることもあるし、親友の孫娘が自堕落な生活を送っているのを正せないのでは、あの世で彼らに会わせる顔がないとも思っていた。

 

「じ、爺ちゃん、これはだな! そう、一見散らかっているように見えるけど、実は計算に計算を重ねて私の取りやすい場所に全てが配置された――」

 

 魔理沙は信綱が顔をしかめていることに気づいて、どうにか弁解しようと上手い言い分を頭の中で必死にこねていく。

 なぜかは知らないが、この祖父の親友である男性に睨まれると身体が竦んでしまうのだ。

 普段から仏頂面ではあるものの、近寄りがたい雰囲気までは持っておらず、話しかければ優しく対応してくれる人であると魔理沙は知っているのに、どうしてか怒られることを異様に恐れている。

 が、そうして出てきた言葉はいかにも片付けられない人の言うような内容であり、信綱はそれを迷わず一刀両断にする。

 

「掃除しろ。手伝うから」

「ハイ……」

 

 有無を言わさぬ語調に何も言えず、うなだれる魔理沙であった。

 そうして魔理沙は寝床付近の着替えや魔法瓶を片付け始め、信綱は床の拭き掃除などを開始していく。

 

「うへぇ……爺ちゃんが来るなんて聞いてないぜ……」

「言ってないからな。今後もたまにこうして見に来るから、整理整頓はしっかりするように」

「気ままな一人暮らしのはずなのに……」

「その一人暮らしの結果があれだろう。さっき見た部屋が綺麗だったら俺もこんな小言は言わん」

 

 常日頃から綺麗にしてあれば、信綱は魔理沙を褒めて健康に気を遣うよう言って、差し入れでもして帰るつもりだったのだ。

 拭き掃除を終えた信綱は手近にあった本を一冊手に取ると、その表紙に眉をひそめる。

 

「……ん? こんな本、香霖堂にも人里にもなかったぞ?」

「あ、それは――爺ちゃん、開いちゃダメだ!!」

 

 中身を改めようとした信綱の手から魔理沙が本をひったくろうとする。

 ここにある本は全てが魔導書の類である。魔導書とはそれ自体が一種の妖怪に近い存在であり、正しい順序で読む、ないし魔導書の誘惑に抗える精神力の持ち主でなければ、魔導書に喰われてしまう危険なものだ。

 魔理沙から見てわかることとして、信綱は魔法使いではないということだけは確か。

 そして魔法使いでないということは、魔導書に抗う手段は己の精神力のみということ。

 

 その危険性を感じ取った魔理沙が慌てて手を伸ばし――

 

「――そんな危ないものを放り出しておくんじゃない」

「うぎゅっ!?」

 

 信綱に本の角で頭を叩かれ、悶絶する羽目になった。

 

「う、うごおぉぉぉぉ……! 頭が、頭が割れる……っ!!」

「俺以外の人間が見ていたらどうするつもりだったんだ。弥助がこれを見てみろ、大惨事だぞ」

「はぁい……悪かったよ、爺ちゃん。でもそれは借り物なんだ。わかりやすいところに置いておかないと向こうも困るだろ? 私だってずっとここにいるわけじゃないんだ。向こうが必要になった時にいつでも返せるようにしておかないと」

「お前から返しに行けば良いだろう」

 

 チッチッチ、と魔理沙は何もわかってないな、というように指を振る。

 

「甘いぜ爺ちゃん。向こうは本物の魔法使いサマだ。実力も経験も寿命だって私とは段違いだ。弾幕ごっこならそりゃ負けるつもりはないけど、魔法の知識量や技術じゃ逆立ちしたって勝てない」

「ふむ」

「だけど、そんな先達がいるってのは大きなアドバンテージだ。なにせ向こうの通った道を走るだけである程度はお手軽に強くなれる」

「一理あるな。で、本を借りたこととどう結びつく」

「私なんてどうせ百年も生きられないけど、向こうは千年だって余裕な人種なんだ。だから私の寿命分ぐらいなら借りていっても良いかなって――あ、爺ちゃん、待って。無言で側頭部に拳を当てるのやめて」

 

 あの世でなんと勘助たちに詫びれば良いのだろうか。孫娘が魔法使いの道を歩み始めたのは良い。本人も家族も納得していることに口を出す権利はない。

 だが魔法使いになり始めた孫娘がこそ泥になっているなど、どう弁解すれば良いのだ。

 

「一度痛い目に遭わせた方が良さそうだな……」

「なに恐ろしいこと言ってんだよ!? 大丈夫だって! 取り返しに来てないんだから問題ないイダダダダ!?」

「そういう問題じゃない。誰のものであろうと盗んで良いという性根が問題なんだ」

 

 買わなくて良い隔意を買うのは愚者のすることである。

 信綱の持論であり、それを実行して生きてきた。

 そしてそんな信綱から見て、魔理沙の生き方は実に危なっかしいと言わざるを得なかった。

 人里の外で生きるだけでも危険な上、その上さらに他の魔法使いから本を盗んできていると来た。命がいくつあっても足りやしない。

 

「借りた本を全てまとめろ。後で返しに行くぞ」

「後でって……爺ちゃんも来るのか?」

「身内の不手際は責任を取るものが謝るべきだろう」

 

 何を当たり前のことを聞いているんだ、という顔で信綱が魔理沙を見る。

 彼にとって魔理沙は親友の孫娘であり、人里と契約を結んでいる魔法使い――有事の際の部下でもある。

 部下である以上、彼女の問題は自分の問題と同義だ。彼女の失敗が人里に迷惑として来ないとも限らない以上、共に謝罪をするのは当然の帰結である。

 その辺りを告げると、魔理沙は不服そうな顔で信綱を見た。

 

「いや、でもさ、これは私が勝手にやったことだし、爺ちゃんには何の関係も――」

「ある。お前の祖父から面倒を見るよう頼まれた。それにお前は妖怪退治という形で人里に貢献している。お前にもしものことがあった場合、それは人里にとっても、個人的な心情としても損が大きい」

 

 一人で生きると言っても、他所と完璧に関係を断てるわけではない。

 彼女は実家との関係性は薄れたが、後見人に近い役目を果たしている信綱との接点は未だに存在し、そして生活の基盤である衣食は人里で頼らざるを得ない関係上、人里との接点も持ち続けている。

 

 そして信綱は人里の守護者であり、戦力という形で人里に利益を与えてくれる者のまとめをしている立場だ。私人としても公人としても、魔理沙を無視する選択肢はなかった。

 それらの理由を魔理沙に教えると、魔理沙は難しい顔で被っているとんがり帽子をさらに目深に被る。

 

「……一人で生きるって難しいんだな」

「そうだな。好きなことに集中したくても、余計なしがらみばかりが寄ってくる」

 

 信綱にもよくわかる悩みだった。なにせ自分の人生、妖怪に振り回されてばかりだったのだ。

 御阿礼の子に仕えたいだけだと再三言っているにも関わらず、厄介事や面倒事や異変が向こうから寄ってきた。

 それらの経験則から言って、信綱が言うべきことなど一つしかない。

 

「――諦めて受け入れろ。それでいかに素早く面倒事を処理できるかを考えることが自分の時間を増やす秘訣だぞ」

「爺ちゃんはどうやってたんだ?」

「面倒なことは素早く、かつ自分の利益になるように動いていた。例えるなら、本を盗んだりしないで力のあるものの助力をいつでも受けられるようにな」

「むぐ」

 

 魔理沙が口をつぐむ。

 まだまだ素直になれず、しかし信綱の言い分にも一定の理を見出している様子だった。

 そんな彼女の頭を帽子越しに軽く叩く。

 

「わからずとも覚えていれば十分だ。――さて、掃除を再開するぞ」

「……わかった。爺ちゃんもいるんだし、今日は徹底的に掃除するか!」

「霊夢もそうだが、お前たちは本当に遠慮というものを知らんな……」

 

 とはいえそれぐらいの方がこちらも気を遣わずに済む。

 信綱は勝手のわからない魔理沙の家の中を、魔理沙の指示の元で掃除に励むのであった。

 

 

 

「よっし! 一通りは終わりだな! 爺ちゃんのおかげでピカピカだ!」

 

 そうして一刻もした頃には、魔理沙の部屋は信綱が来た時とは見違えるようになっていた。

 自生していたキノコも魔法瓶もすっかり片付けられ、魔理沙の基準ではあるが整理整頓をきっちりした棚に収納されている。

 信綱は台所周りや床などの箇所の掃除を重点的に行っていたが、不意に魔理沙が掃除していた部分を指で拭う。

 その手にまだホコリがついてくるのを見て、信綱は呆れの混ざった半目で魔理沙を見る。

 

「……まだ汚れがあるようだが」

「爺ちゃんは私の姑か!? ここまでやれば十分だろ!?」

「……仕方がないか。しかしこれっきりではいかんぞ。日々少しでも良いから掃除をするように」

「へいへい……」

 

 明らかに嫌そうな様子ではあったが、ちゃんとうなずいたので信綱は魔理沙を信じることにした。

 次の抜き打ちでダメだったら、今度は徹底的にやるだけである。

 さておき、と信綱は次に魔理沙の格好に着目した。

 

 人里で見かける時と同じく、黒と白のエプロンドレスにとんがり帽子。

 いつも通りの格好だ。何ら不思議なところなどない。

 ……他の服はどこにあるのだろう。信綱が掃除をした時に違う服を見た覚えがない。

 

「ときに魔理沙。お前、服はどうしているんだ?」

「へ? 魔法使いっていう形から入ろうと思って、似たようなのが何着かあるけど……」

「洗濯はしているか?」

「…………」

 

 無言で視線がそらされた。

 ある意味霊夢以上に難敵である、と信綱は頭痛を覚え始めてしまう。

 霊夢は修行はサボるが、生活に関しては最低限こなしており、魔理沙は自己鍛錬には余念がないが、生活がズボラ極まりない。

 こんなところまで対照的にならなくても良いだろう、と思いながら信綱は魔理沙を見る。

 

「洗濯するぞ。脱げ」

「いやいやいや何言ってんだよ爺ちゃん!?」

「服など適当にシーツにくるまっていれば良いだろう。脱げ」

「待て待て待て待て本気か爺ちゃん!? いや本気ですね服に手をかけるのやめてー!?」

 

 帽子を剥ぎ取り、逃げようとする魔理沙の首根っこを引っ掴んで逃げられないようにする。

 そうして魔理沙の服を剥いで洗濯をしてしまおうと服に手を伸ばし――家の扉が開く。

 

「魔理沙、この前渡した魔導書の解読は進んでる? 良ければお茶でもしながら話を――」

 

 親しげな言葉とともに現れたのは信綱に見覚えがない人物だった。

 白のケープを羽織り、青を基調とした服をまとい、頭には赤いリボンがカチューシャのように巻かれている。

 美しい金髪と蒼眼も相まって、人形じみている印象を与える少女だった。

 

 その少女は信綱と魔理沙の置かれている状況を見て目をパチクリとさせた後、ものすごく気まずい状況に出くわしてしまったと頬を引きつらせる。

 

「…………ゴメンナサイ、お邪魔したわね」

「いやいやいや助けてくれよ――アリス!!」

 

 

 

 魔理沙からアリスと呼ばれた少女を、信綱と魔理沙は有無を言わさず家に引きずり込む。あらぬ誤解を受けて困るのは魔理沙も信綱も同じである。

 そして今は魔理沙が必死にアリスに事情を説明しているところだった。

 

「だから違うんだって! 私と爺ちゃんはそんなんじゃないんだって!」

「いえ、何も言わなくていいわ魔理沙。世の中、色々な嗜好があるべきだし、あなたがそういう類の人間であったとしても差別するつもりも今後の付き合いを変えるつもりもないわ。だから、そう――もう少し離れてくれない?」

「思いっきり付き合い変わってるじゃねえか!? そんな余所余所しく距離取るなよ!?」

「……俺も妻がいた身だ。それにこんな小さい少女に欲情はしない」

 

 話がこじれそうになっていたので、信綱も落ち着いた様子で注釈を加える。

 そもそも彼の中では見られて困る場面でもないのだ。魔理沙とアリスが慌てている理由の方がわからない。

 

「理由を説明しておくと、俺は彼女の後見人のようなものでな。久しぶりに様子を見てみたら部屋は汚いわ洗濯はしていないわで、彼女の服を洗濯しようとしていたところだ」

「わざわざ魔理沙が着ている服を剥いでまで?」

「これがほぼ一張羅だぞ。頻繁に洗濯しているようでもないし、良いだろう」

「……まあ、確かにちょっと臭うわね、魔理沙」

 

 信綱の時は問答無用だったため抵抗したが、アリスに言われて魔理沙はようやく自覚を持ったようだ。

 自分の服を嗅いで、おずおずとアリスに視線を向ける。

 

「……乙女的にグレーゾーン?」

「レッドゾーンよ」

「人としても問題あるぞ」

 

 汚れるのは仕方がない。こんな森に住んで魔法の鍛錬もしているのだ。

 だが、それを放置するのはいただけない。衛生面の悪化が思わぬ病気や怪我を招くこともあるのだ。

 

「……ちょっと身体洗って来るわ。爺ちゃん、悪いけどアリスの相手頼むわ」

「うむ、ゆっくりしてこい」

 

 アリスと信綱、双方に言われてしまって凹んだ様子の魔理沙が風呂場に行くのを見送り、信綱は改めてアリスと相対する。

 彼女は魔理沙に向けていた親しげな顔を消し去り、感情の読めない無表情でこちらを見ている。

 

「……一応、立場の説明をしておこう。俺はあの子の後見人みたいなものをしている。今回魔法の森に来たのも、彼女の様子を見に来ただけだ」

「それを証明する手立ては?」

「お前の知性次第だ、と言っておく。疑いたければ疑えば良い」

 

 探られて痛い腹があるわけでもないのだ。好きに探れば良い、という信綱の態度にアリスは微かに眉をひそめた。

 

「……まあ、良いわ。そんなに接点が多くなるわけでもないだろうし、これだけは確認させて頂戴」

「拝聴しよう」

 

 

 

 ――あなたは魔理沙の邪魔をするの?

 

 

 

 感情が読めない――そう意識しているアリスの瞳の奥には、確かな激情が渦巻いており、それは魔理沙への友情が揺らめいて見えるものだった。

 周りに好かれやすいと言うべきか、その人柄が周囲を惹き付けると言うべきか。

 信綱はかつて自分が惹き付けられた親友の魅力と同じものを魔理沙が備えていることに、口元を笑みの形に歪ませた。

 

「さて、邪魔というのがどれを指しているのかは知らないが、魔法使いの道を歩むことを止めるつもりはない。彼女が自身に納得できるまで進めば良いさ」

「……そう。それなら良いけど」

 

 アリスの瞳にあった警戒心が薄れ、代わりに信綱に対する奇異の視線が強まる。

 人里の住人のはずなのに、魔法の森の奥地まで苦もなく来れる実力を持ち、同時に魔理沙の道にも理解を示す人物。

 ハッキリ言って謎だらけである。いや、名前も聞いていないのでわからないことの方が多いのは当然でもあるのだが。

 そんな彼女に信綱はやや意外そうな目を向けていた。

 

「にしても意外だな。君はてっきり魔理沙から魔導書を盗ま――もとい、持ち出されている存在だと思ったが」

「間違ってないわよ。――っと、いい加減自己紹介もしないのは不味いわね。アリス・マーガトロイド。魔理沙と同じく、魔法の森に居を構えているわ」

「火継信綱。人里の守護者だ」

「へえ、道理で。相当自信はあるということかしら」

「想像に任せよう」

 

 自分を完全に知らない相手というのが新鮮だったこともあり、信綱はあまり自分の情報を出さないことにした。

 相手が読めない、という警戒で見てくるアリスに信綱は話題を変えていく。ここで話すべきは自分のことではなく、魔理沙のことだ。

 

「あの子を害するような真似をしない限り、君を害するつもりはない。魔法使いになるのが反対なら、とうに連れ戻している」

「……それもそうね。ごめんなさい、少し早合点していたみたい」

「気にしていない。それより魔導書については良いのか? 問題があるようなら無理にでも返させるが」

 

 アリスの様子を見る限り問題はないようだが、一応聞いておく。

 それを聞いてアリスは肩をすくめ、困ったような笑顔で風呂場に消えた魔理沙の方向を見た。

 

「最初はどうしてくれようかと思ったけどね。目利きが確かというか、感性が動物じみているというか、絶妙に私が使わなかったり、必要ないものしか持っていかないの。それであの子の技量にも見合ったものを持っていくとなると、もうある種の特技ね」

「……では、実害はないのか?」

「それに本当に使うものは別の場所に置いておくものよ。手近なもので満足してくれるなら安いわ」

「ふむ……問題はないんだな?」

 

 アリスは迷う素振りもなくうなずく。

 魔理沙は昔から甘え上手なところがあるとは思っていたが、ここまで来ると一種の技能である。

 本人に自覚はないだろう。あったら悪女も真っ青だ。

 

「実害があったらこんな風に訪ねたりしないわ。それに魔法使いとしての視点が増えるのは良いことでもある。まだまだ未熟だけど、だからこそ私にはない観点を持っている」

「……だったらなおのこと俺から言うことはない。切磋琢磨できているのは良いことだ」

「そうね。人間の相手がいると研究にもハリが出る」

 

 そう言って微笑むアリスの顔は正しく友人のそれであり、信綱は魔理沙が良い縁に恵まれていることを確信するのであった。

 

 

 

 アリスの持参した紅茶を三人で飲むと、アリスはさっさと帰ってしまった。

 研究も真面目にやっているようだし次の課題でも用意しておくわ、とだけ言い残して戻っていく後ろ姿を眺め、魔理沙は悔しそうに顔を歪めてテーブルに突っ伏す。

 

「アリスとパチュリーってのが私の知ってる魔法使いなんだけど、二人ともすげえんだ。魔女としての格は桁違いでさ。逆立ちしたって勝てそうもない」

「……ふむ」

「最初は霊夢に勝ちたいって一心だったけど……今は違う。もっと勝ちたいものが増えたんだ」

 

 信綱は静かに決意を燃やす魔理沙の頭に手を置く。よくよく良い縁と出会いに恵まれ、また本人も努力を怠らないのがこの一族なのだろう。

 

「――さて、久方ぶりにお前の近況を聞こうか。紅い霧が出た時のお前の活躍も聞いておきたい」

「ん? 黒幕を退治したのは霊夢なんだし、霊夢に聞くんじゃないのか?」

「そっちはもう聞いた。幻想郷縁起の編纂としても異変に参加した者全員から話は聞きたい」

 

 これは信綱が個人的に魔理沙を気にしているのもあるが、同時に阿求が編纂する縁起の資料集めでもあった。

 

「……そっかそっか。じゃあ爺ちゃんに話してやるよ、私の異変解決を!」

「頼む」

 

 魔理沙の口から語られる内容は概ねレミリアから聞いた通り、彼女のいる場所ではなく地下に向かってしまったものになっていた。

 そこまでは良いのだ。パチュリーを弾幕で下し、大図書館でちょっと本を借りていった話についても別に気にしない。彼女は阿弥を害した魔女だ。信綱が同情する謂れはこれっぽっちもない。

 

「魔女を倒すとは成長したな。よくやった」

「お、おう……?」

 

 些か以上に私怨の混ざった褒め言葉が信綱の口から紡がれ、魔理沙は戸惑いながらそれを受け取る。

 あまり表情を変える方ではない信綱がなぜか清々しい顔になっていたのだ。不審に思うのも当然である。

 

 そして話は続いていく。地下に迷い込み、たまたま出くわしたメイドを倒し、探索を進めて――一人の吸血鬼と出会う。

 

「フランって言ってさ。宝石みたいな綺麗な羽と私の髪より綺麗な金髪で――目が紅かった。あの目で見られただけでマジでヤバいって思ったね」

 

 霊夢もレミリアと相対した時に感じた生物としての格の違い。それをまた魔理沙も感じ取っていたのだ。

 その感覚は妖怪との戦闘において重要になる。人間は妖怪相手ではまず存在からして格下であることを受け入れ、それをどう覆すかで勝負が始まっていく。

 

「それでどうしたんだ?」

「うん、もう死ぬかと思ったけど、フランは普通に不審者を見る目で誰? って聞いてきただけだったんだよ。それで私が外からやってきた魔法使いだって答えたら、すげえ興味持たれた」

「ふむ。そもそも地下にいる時点で何かしらの事情はあるだろうな」

 

 レミリアから聞かされているのでおおよその事情は知っているが、あえてとぼけて推測の体を取る。

 信綱が興味を持っているのは本物の大妖怪と相対した魔理沙の対応である。

 魔理沙は信綱の意図など知る由もなく、信綱の言葉に対して正解だと言うように手を叩いた。

 

「そう! そうなんだよ! フランのやつ、昔っからずっと幽閉されてるって話でさ! でもひっでえなそれ、って憤ると不機嫌そうな顔になるんだよ! 不思議だと思わないか爺ちゃん?」

「面倒な性格をしているのだな」

 

 レミリアは子供っぽくワガママだが、同時に通すべき筋と自分の心をきちんと理解している。

 フランの方は――話を聞いている限りだと、大人のように振る舞えるが、自分の心が振る舞いに追いついていない印象を受けた。

 

「そうなんだけど……まあそこは良いや。んで、どうせ今から黒幕を追いかけたって無駄だろうし、暇そうだったフランに弾幕ごっこしようぜって誘ったんだ。そしたらメッチャ驚いた顔で見られた後に罵られた」

「なぜだ?」

「幽閉されている自分に手を伸ばすなんて超がつくバカしかいないって言われた」

 

 そう言う魔理沙ではあったが、顔には罵られた怒りではなくむしろ自分は誇らしいことをしたのだという輝きが溢れていた。

 きっと魔理沙の脳裏には、その台詞を言った後のフランの姿も克明に映っているに違いない。

 

「目がキラキラしてた。私のことをバカだって言ってるのに、誘ってくれたのが嬉しくて仕方ないって顔だった。……まあ弾幕ごっこでは軽く死にかけたけど、楽しんでくれたみたい」

「……なるほど」

 

 フランという吸血鬼のことを信綱は見ていない。故に詳しいことは何もわからない。

 ――だが、その少女が魔理沙に興味を持ったことだけは確実であると理解できた。

 

「今でも紅魔館はたまにパチュリーから本を借りに行くけど、その時にはフランとも話したりしてんだ。人里での話とか、あいつ結構興味津々なんだ」

「そうか。……お前は今後もそのフランとやらと付き合いを持つのか?」

 

 多分大変なことになるだろう。力のあるものが妖怪に好かれるとは、そういうことである。

 だが、魔理沙はそんなことを知るはずもない。迷うことなく笑い、大きくうなずいた。

 

「ああ! なんか放っておけないしな。多分行ったら鬱陶しそうに見られるけど、来なきゃ寂しそうな顔になりそうだし」

「……そうだな。頑張ると良い」

 

 フランと友達であることで訪れるであろう苦難は一つや二つでは利かないはずだ。

 その未来の苦労を労う言葉を今のうちに言っておく。

 

 信綱にも、レミリアにも、霊夢にもできなかったことをこの少女はやろうとしている。

 それがどれほどの意味を持つのか、きっとまだこの少女は知らないのだろう。

 その意味を信綱が見届けることはなく、どのような結実になるかもわからない。

 

 ただ――それが魔理沙にとって良いものとなることを願うばかりであった。




魔理沙は魔理沙で主人公しているというお話。霊夢に負けず劣らず彼女も色々なものに好かれます。
ただ、妖怪に好かれた結果どうなるかは大体ノッブを見ればわかると思います。

もう一話だけ入れて――妖々夢が始まります。そして終わったらほぼ間髪入れずに萃夢想も始まりますので、いよいよ終わりが見えてきています。

ここ最近はまともっぽそうに振る舞っていたことの多いノッブですが、妖々夢が始まればそれは消えるかもしれません。なにせ異変の内容が……ね(遠回しに)

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