阿礼狂いに生まれた少年のお話   作:右に倣え

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ちょっとエクステラをプレイしていて遅くなりました。アルテラは良いぞ……次のアルテラピックアップが来たら全力を出さざるを得ない。


咲夜の一日修行

 なんか庭にメイドが立ってる。

 それが早朝の鍛錬に出ようとした信綱の最初の感想だった。

 朝っぱらから面倒くさい予感がひしひしとして頭痛を覚えながらも、信綱は口を開く。

 

「……一応聞くぞ。そこで何してる」

「旦那様をお待ちしておりました」

「無断で人の家に入ったことで自警団に通報していいか」

「捕まえられるものなら――あっ」

 

 咲夜は流れるようにそう言って――直後、動けなくなっている自分の足に驚いて口元に手を当てる。

 見れば足元には白色の光を放つ結界が張られており、下手に動けば足首が切断されるエゲツない状況になっていた。

 思わず、といった風に咲夜が信綱に視線を向けると、彼は実に煩わしいと言わんばかりの渋面を作りながら、長刀を携えていない方の手で印を組んでいた。

 

「能力に自信を持つのは結構だが、そう何度も見れば対策の一つぐらい立つ。転移する、といった類ではないだろうしな」

「なぜそうお思いになったのでしょうか?」

「足元の筋肉の動きで一発だ」

 

 他にも服のシワなどで彼女が歩いて移動をしていたことが読み取れていたが、その辺りは伝えない。種明かしをする際には対策を取られても問題ない部分を伝えるものだ。

 それを聞いた咲夜は心底から感服した様子で吐息を漏らし、足が動かせない状態で見事な所作でお辞儀をする。

 

「――さすがでございます。いきなり現れた不躾をどうかお許し下さい」

「世辞はいらん。なぜこんな時間に訪ねてきた。まだ日も昇っていないぞ」

「お嬢様は夜行性ですから、私も問題はありません。そして本日旦那様をお訪ねになったのは、お嬢様の命令ではありません」

「……?」

 

 意図が読めない、と眉をひそめる信綱。

 そんな彼に咲夜は深々と――ともすれば主人にする所作よりも深い敬意を込めて、改めて頭を下げる。

 

「お願いします――この十六夜咲夜を弟子にしてください」

「……なに?」

 

 ちょっと何を言っているかわからなかった。

 信綱と咲夜は誰かに仕える従者という点では同じだ。

 しかし仕事の内容は全く違うはず。

 

 信綱は阿求の身の回りの世話のみならず、彼女の家の維持や彼女がやらなければならないこと以外の全てを受け持っている。阿礼狂いである彼にとって、御阿礼の子に関わる作業を誰かに任せるというのは耐え難い苦痛だった。

 咲夜の仕事内容は知らないが、少なくとも信綱と同じくらいの忠誠と能力が求められるものではないだろう。というより、そんなものをレミリアが求めてきたら咲夜は怒って良い。

 

「意図が読めんな。お前にはその能力があるだろう」

「はい。ですが私の先達とも言える旦那様の手際を見ることは勉強になるかと思い、参じた次第です」

「ちなみにレミリアは?」

「手紙を置いて来ました」

 

 それは家出と言うのではないだろうか、と思ったが口には出さないでおく。言っても言わなくても変わらないという意味で。

 追い返すのは簡単だ。だが、それでこの少女が諦めるかと言われたら首を傾げる。

 おまけに霊夢から聞いた話を総合すると、彼女は時間に関係する能力を持っている。単純に追っ払って、もう来ないと安心するのは難しい。

 

 であればここは適当に付き合って彼女の好奇心を満たしてやった方が良い。遠ざけられたものを手に入れようとするのは人の性だが、懐に入れてしまえば興味を失うことが多いのだ。

 

「……阿求様に伺いを立てて了承が得られたら。それと一日だけだ」

「十分です。それでは短い付き合いになるかもしれませんが、よろしくお願いします」

「……はぁ」

 

 好奇心旺盛で紅魔館の話も聞きたがっている阿求が断るとも思えないし、今日は一日面倒なことになりそうだとため息をつく信綱であった。

 

 

 

「まずは何をするのでしょうか」

「早朝は鍛錬だ。従者たるもの、主の危機を事前に払うのは基本となる」

 

 御阿礼の子は幻想郷縁起の編纂のため、どうしても危険な場所に行くことがあるが、そうであっても可能な限り危険を排除しておくのが役目である。

 時に文書で。時に武力で。彼女に向かう危険を少しでも減らすため、信綱含む阿礼狂いは日々文武の修練を怠らない。

 

 咲夜の主であるレミリアと違い、御阿礼の子に戦う力は皆無なのだ。だからこそ側仕えである信綱に求められる力は大きくなる。

 

「だから幻想郷のどんな妖怪が相手でも勝てる力を得れば問題ないわけだ」

「それはおかしいと思いますわ」

 

 信綱が鍛錬するに当たっての基本的な指針を話したら、何を言っているんだこいつは、という目で見られてしまった。

 そんなにおかしいことを言っているだろうか、と疑問に思いつつ信綱は長刀を構えた。

 その様子を見た咲夜はニコリと笑ってナイフを取り出す。

 

「相手がいた方が鍛錬になるのでは?」

「お前程度では稽古にならん」

「……む」

 

 にべもない信綱の言葉を受けて、咲夜の表情がムッとしたものに変わる。

 喜怒哀楽で言えば楽の表情が多く、にこやかにしていることが多い咲夜ではあるが、ここまで言われては黙っていられないようだ。

 少し驚かせよう。そんな気持ちで自らの能力――時を操る程度の能力を発動させ、微動だにしない信綱の後ろに回り込んでナイフを突きつけて――

 

「そら、読みやすい」

「嘘……!?」

 

 突きつけたナイフが握られていた。振り返りもせずに振るわれた長刀が咲夜の首筋にピタリと当てられ、その動きを縛る。

 時間を止めている間、確かに信綱は動いていなかった。だというのに、時間の停止を解除した瞬間にこれだ。訳がわからない。

 

「種も仕掛けも不要な一芸だ。第一、お前が能力を使って俺が対処ではお前の稽古にしかならん」

「……それもそうですわね。では私は見学をさせていただきます」

「そうしておけ。役に立つかは保証しないが」

 

 最初に会った時もそうだが、この男は底が知れない。

 主であるレミリアは驚くほど彼に執心で、同時に彼をこの上なく尊重しているように見えた。

 欲しいものは絶対に手に入れようとする子供っぽい――もとい、強欲な主人なのに、なぜかこの人間に対してはそうしない。

 

 それがなぜなのか、咲夜にはまだ理解が及んでいなかった。

 

 そうして信綱の朝の鍛錬――手元を見る限りそう速くもないはずなのに、なぜか受け切れる気が一切しない斬撃を見届けた後、移動を始めた信綱の後ろをついていく。

 

「……身体を清めるだけだ。来なくていいぞ」

「ですがあなたのそばにいないと私は捕まってしまいます。一応、無断で入った身ですし」

「……後でレミリアに犬の躾はしっかりやっておけと言っておこう」

「ところで朝餉の支度は手伝った方が良いですか?」

 

 いきなり話題が変わった。都合が悪かったのか、それともただ単に天然か。

 信綱は疑わしげな半眼になるものの、特に何かを言うことなく上半身の着物を肌蹴て井戸水を組み上げ、頭からかぶる。

 

「あら、眼福ですわね」

「何がだ」

「そのお身体です。失礼ながら、お歳を聞いても?」

「七十八だ。我ながら長く生きたと思っている」

 

 勘助らのように人里で過ごしたわけでもなく、あまり長生きできる生き方をしたつもりもなかったが、気づいたらこんな歳まで生きていた。

 三代もの御阿礼の子に仕えることができたのだから文句などあるはずもない。頑健な肉体に産んでくれたことは顔も知らぬ母親には感謝している。

 

「まあ」

 

 咲夜は信綱の歳を聞いて目を見開く。三十代、とまではいかずとも五十代ぐらいだと思っていたが、予想以上に歳を取っていた。

 そして肉体もそうである。鬼の顔が伺えるほどの背中からわかる、巌の如き肉体。

 女性では難しいであろう、鍛錬に鍛錬を重ねた極地とも言える肉体を見て咲夜は感嘆の吐息を漏らす。

 

「その肉体を作るための努力に敬意を表します。私には想像もつかないような鍛錬を重ねたのでしょう」

「さてな。朝餉の仕込みをするから行くぞ」

「はい」

 

 そうして信綱は咲夜を伴って稗田の屋敷に足を向ける。昨日はたまたま所用で火継の家に戻る用事があったのだ。

 まだ女中も起き出さない朝方、二人は厨房に入って朝餉の支度を行っていく。

 

「お前は見るだけだ。阿求様にお出しする食事に万一があってはいけない」

「わかりました。さすがにあなたの仕える人にちょっかいは出しません」

 

 出したら命が危ないどころの話ではないだろう、と咲夜は自らの直感が告げる危険信号に従うことにした。

 事実それは間違っておらず、もし彼女が信綱を試そうと時間を止めて悪戯でもしようものなら――その不埒な腕は容易く斬り飛ばされるだろう。そして首が宙を舞う。

 信綱との付き合いは浅いどころか、まだ二度目であるというのにその光景が克明に脳裏に浮かんでしまい、咲夜は背中に走る悪寒をこらえて見学に徹する。

 

 見るだけでもわかるが、信綱の調理の技術は驚嘆に値するものだった。

 手際、速度、丁寧さ。どれを取っても咲夜より上だ。

 年季、経験、それらが絶対的に違う。咲夜はまだレミリアに仕え始めて五年程度しか経っていないが、彼は誰かに仕えて半世紀以上――単純に考えても十倍以上の差がある。

 

 信綱は何を思って御阿礼の子に仕え続けたのか。彼女らに尽くすためにどんなことを考えたのか。今、それらの一端を知ることができるのは間違いなく咲夜にとってのプラスになる。

 彼を訪ねた時に見せていた穏やかな態度は消え去り、真摯に何かを学ぼうとする視線になって信綱の一挙手一投足に見入っていく咲夜。

 

 そんな彼女の視線を受けながら、信綱は朝餉の仕込みを終え、作り上げてしまう。

 

「あら、もう完成させてしまうのですか? まだ主は起きていないはずですが……」

 

 それともここの主人はレミリアのように何度も起こさないで良い人物なのだろうか。だとしたら羨ましい話である。

 レミリアはなかなか起きない割に、それで食事が冷めたりすると嫌な顔をするのだ。

 

「阿求様は熱いものが苦手でな。出来たてをすぐにお出しすると火傷してしまう。それに昨日は床に入るのが少し遅かったようだから、多少起きるのが遅くなっても良いものにしてある」

「そこまで考えてらっしゃることは素直に尊敬しますけど、どこでそこまで知ったんですか?」

 

 この人間の仕え方は真似して良いものと、真似したら人間の道を踏み外しそうなのが混在していて怖い。

 それを告げると信綱は何かおかしなことを言っているだろうか。いや、言ってないと反語でそれを否定した。

 

「俺は阿求様の側仕えだ。あの方が一人になりたがらない限り、俺はあの方の側に侍る。これぐらいできて当たり前のことだ」

「……一応、覚えておきます」

 

 いつか自分も彼のような芸当ができるようになるのだろうか。従者の先達の形が見えて嬉しいような、恐ろしいような。

 そんなことを考えている間に信綱は出来上がった膳を持って歩き出す。ちょっと考えたくない自分の未来予想図に思いを馳せていた咲夜もそれに続き、阿求の部屋の前まで来る。

 

「お前は部屋に入るな。客人に寝顔を見られるのは阿求様も望まれないだろう」

「わかりました。寝起きの会話も聞かれるのは恥ずかしいでしょうから、私は離れております」

「…………そうしてくれ」

 

 咲夜は来た道を戻り、話し声が聞こえないと思われる距離まで離れていく。

 信綱はそれを見送って、どうして自分にその気遣いが成されないのか、と嘆きつつ阿求を起こしに部屋に入る。

 

 ちなみに部屋に入るなと言った理由は信綱が口に出した理由も正しいが、一番は御阿礼の子の寝顔を見るのは自分以外に許さないというものであった。

 なにせ御阿礼の子の側仕えになるのは阿礼狂い――火継の人間全てが望む場所。火継でもない有象無象が見て良いものではない。

 

 信綱は音も立てずにふすまを開き、すやすやと眠っている阿求の枕元までそっと歩み寄る。

 そして常日頃から騒がしい妖怪に拳骨を落としたり、タカリにやってくる妖猫の耳を引っ張っている手が、彼女らが見れば目を剥く優しい動きで阿求を起こす。

 

「阿求様、朝でございます。阿求様」

「ん……朝……?」

 

 阿求が眠そうに眼を半分ほど開き、祖父と呼び慕う男性の顔が映っているのを見て、安心した笑みを浮かべる。

 

 ――今日もまだお祖父ちゃんは元気だ。

 

 いつか信綱が暇乞いをすることは確定しており、それはもう目の前まで迫っている。

 あと何ヶ月、何年、時間が残っているのか阿求にはわからないが、五年はない。それは理解できた。

 

 信綱がいなくなり、自分は生きて毎日を過ごしていく。想像しようと思っただけで目眩がしてしまう。

 だが、それは否応なしに訪れる瞬間なのだ。恐れても、受け入れても、死は平等に訪れる。

 だから喜ぼうと阿求は考えた。信綱と過ごせる一日一日に感謝し、彼がどれだけ自分に尽くしてくれているのか噛み締めて、日々を過ごそうとしていた。

 

「……ん、おはよう。お祖父ちゃん」

 

 今日も元気な信綱の顔が見られた。それだけで十二分に幸運なことなのだ。

 阿求は寝起きで上手く思考がまとまらない――それ故に日頃から心がけていることが表に出て、幸せそうに微笑む。

 

「ええ、おはようございます。本日は気持ちのよい晴天です。そろそろ春の芽吹きが聞こえる頃ですよ」

 

 そんな阿求に信綱もまた微笑み、一日が始まっていくのである。

 

 

 

 着替えまで信綱にやらせるのは恥ずかしいと思っているため、着替えは阿求一人で行う。

 生まれて間もない時は私がしていたのですが、と残念そうな顔で信綱に言われてもそこは譲れない。というか赤ん坊が誰かに着替えさせてもらうのは当たり前のことだ。

 

 そして着替えも終わった頃、ようやく阿求の口に丁度良い温度となった朝餉が出され、朝食が始まるのだ。

 信綱も阿求のお願いで一緒に食事を取るように言われているので、そこで信綱も朝食となる。

 

「いただきます」

「いただきます」

 

 朝はあまり食べる方ではない阿求であっても、色々な味が楽しめるよう粋を凝らした食事である。

 野菜、魚、肉。それぞれが少しずつ、なおかつ阿求の好みの味付けで、さらに苦手なものがあっても気づかれないようにする。

 そこまでやっていながら、信綱は側仕えとして当然の役目であると何も言わない。料理とは誰かに食べてもらうものであって、誰が作ったかを誇るものではないのだ。

 

 ……ちなみに歴代の側仕えでそこまでやっているのは信綱くらいのものだったりする。他の側仕えはそこまで手が回らない。

 なにせ月に一度の総会で負けたら側仕えは交代なのだ。六歳の頃から今に至るまで七十年以上勝ち続けている信綱がおかしいのである。閑話休題。

 

 食事を終え、お茶を飲んで朝の一服をしたところで信綱が口を開く。

 

「本日の予定の前に少しお耳に入れたいことがあります」

「ん? 今日は集めた資料を元に幻想郷縁起の執筆と、あと小鈴のところに借りた本を返しに行くくらいだったはずだけど」

「はい、その通りです。……非常に心苦しいのですが、私の方の事情です」

 

 心底苦々しいという表情になる信綱。朝は何の気まぐれか咲夜の頼みを聞いてしまったが、よく考えなくてもそれはこの愛しい主との時間が削られるに等しいのだ。

 後々咲夜に目をつけられかねないということを差し引いても、断っておけば良かった。

 しかし残念ながら阿求に伺いを立てると言ってしまった。信綱は渋々という表情がありありと伺える様子で阿求の顔を見る。

 

「え、なになに? お祖父ちゃんの方の事情? なにそれすっごい気になる!」

 

 とても顔を輝かせて信綱を見ていた。

 なにせこの祖父、本当に何事にも如才がないのだ。無理難題を言ってみたつもりでも軽くこなしてしまうし、急にお茶が飲みたくなった、とか言ってみたらすでにお茶が用意してあったとか、当たり前のようにやってくる。

 そんな信綱が嫌そうな顔をする何か。ものすごく気になるのは孫娘として当然ではないだろうか。これは確かめないと気になって幻想郷縁起の作業に手がつかない。

 

 ということを言うと信綱はグッと言葉に詰まり、心から困っているのがわかった。もうその姿が見られただけでも阿求は今日一日楽しく過ごせそうだった。

 

「……実は紅魔館のメイドから私の仕事が見てみたいと言われまして」

 

 そして信綱の口から出てきた言葉によって、阿求は今日という一日がさらに良いものになることを確信するのであった。

 

「メイドさん? 紅魔館のメイドって、妖精メイドじゃないの?」

「最近になって人間のメイドを雇ったようです。人里の人間ではなく、外来人の」

「え、なにそれ聞いてない。ここ数年の話?」

「はい。紅霧異変の取材もまだ行ってませんし、阿求様がご存じないのも無理はないかと」

「ん、あれ? お祖父ちゃんは知ってたの?」

「私も紅霧異変の時に向こうから接触された時に知りました。能力持ちですから、阿求様がお会いになる価値はあると愚考します。……それはそれとしてお嫌でしたら私が追い返しますが」

「ううん、お客様をもてなさないのは稗田の当主として大問題です! だからお祖父ちゃん、その人こっちに呼んできて?」

「……かしこまりました」

 

 ニッコリ笑ってそう言ってくる阿求に逆らうすべなど、何一つ持っていない信綱だった。

 でも阿求様が喜んでいるみたいだしまあ良いか、と思いながら信綱は咲夜が来たことを前向きに受け止める。

 阿求もどこかでレミリアたちに話を聞く必要はあったのだ。その時の手間が一つ減ると思えば自分が面倒なことぐらい大したことではなかった。

 

 そうして呼び寄せた咲夜が文字通り一瞬で出てきたため、阿求が驚いたりそれを見た信綱が咲夜に剣を抜きそうになったりとあったが、それでもどうにか互いの自己紹介を終えることに成功する。

 

「信綱さんの仕事ぶりを参考にしたい、ですか……」

 

 阿求は咲夜の事情を聞いて、興味深そうに腕を組む。

 これは信綱が考え事をする時の癖のようなもので、阿求も御阿礼の子としての威厳を出そうと思って真似をしているのだ。効果の程はさておいて。

 咲夜は微笑ましいものを見る目で自分の願いを話していく。

 

「ええ。誰かに仕える者という点で見れば、私と旦那様は同じです。それにこの方のお話はお嬢様から常々聞かされておりましたから、個人的にも興味がありました」

「それで信綱さんの仕事はどうなんですか? 何か咲夜さんに迷惑とかかけてませんか?」

「私が一方的に迷惑をかけ倒してますわ」

 

 朝からいきなり押しかけられたことを考えれば咲夜の言う通りなのだが、阿求はそれを謙遜と受け取ったらしく、咲夜への敬意を深めていた。

 いきなり話題の切り替わるマイペースな部分や、時間を止めて悪戯をしたがる部分を除けば、彼女の立ち居振る舞いは信綱も認める瀟洒なものなのだ。

 まともなことを言ってまともな振る舞いをしていれば、咲夜より子どもである阿求の歓心を買うことは考えられることだった。

 

 ……実際のところを知っている信綱は呆れたような半目で咲夜を見ていたが。

 

「それで阿求様が望めば、になりますが本日はこの少女が私の後ろをついて回ることになります」

「私はもちろん大歓迎です! 紅魔館のお話とか色々聞けそうですし! 咲夜さん個人のお話にも興味ありますから!」

 

 阿求はどこにでもいる年頃の少女としての顔ではなく、幻想郷縁起の編纂者たる御阿礼の子としての表情でそう言ってくる。

 それはつまり自分の従者について回ることを許可するから、自分の知りたいことには全て答えろ、という要求であった。

 

 無論、咲夜に断る道はない。断ったら屋敷裏、という視線で信綱が睨んでいることが第一。第二に自分のことを話すだけで信綱の作業が見られるのなら、そのぐらい安いというのが挙げられる。

 

「……私のお話で良ければ喜んでお話しますわ」

「じゃあ今後人里にどんな形で関わっていくのか、とかもお願いしますね! あ、もちろん紅魔館全体じゃなくて咲夜さん自身のお考えで結構ですから!」

 

 自分のことを話すのは問題ないが、この興味津々な少女の質問に洗いざらい答えるのは、非常に大変なことではないかと思ってしまう咲夜であった。

 

 午前中はそうやってほとんどが取材に費やされることになってしまった、と咲夜はずっしりと肩に疲労感を覚える。

 稗田阿求という少女を甘く見ていた。よもや私生活では何をしているか、とか人里とどのように関わっていきたいか、などという辺りまで聞かれるとは思っていなかった。

 

 信綱は阿求の後ろについて咲夜の話をまとめ、阿求は自らの好奇心が存分に満たされてツヤツヤとした顔になっていた。

 なんだか信綱の見学というより、それにかこつけて良いように話をさせられているような気がしてならないが、最初にお願いをしたのは自分である。

 今から逃げようものなら、絶対に信綱がレミリアに嫌味を言って咲夜にも返ってくる。

 

「……はぁ」

「あ、咲夜さん、疲れました? すみません、私ったら自分のことばっかり……」

「ああ、いえ、申し訳ありません。こうして話をするというのは慣れておらず……」

 

 幸いというべきか、話を聞きたがる阿求が面倒な子でないことは救いだった。好奇心旺盛なキラキラとした瞳で次は次は、と年下の子に話をねだられるのは悪い気がしない。妹がいたらこんな感じだろうか。

 と、咲夜と阿求が互いに恐縮してしまい話が途切れてしまったところを見計らって、信綱が口を開く。

 

「……そろそろ良い時間です。阿求様、休憩も兼ねて昼食にいたしましょう」

「あ、もうそんな時間? だったら午後からはお祖父ちゃ――信綱さんの好きにしていいよ。咲夜さんは信綱さんの仕事が見たいって言ってるんだし、私も午後は小鈴に本を返さないと」

「かしこまりました。お気をつけてお出かけください」

 

 おや、と咲夜は意外そうな目で信綱を見る。

 阿礼狂いと呼ばれるほど御阿礼の子に入れ込む人間が、あっさりと阿求が一人になることを許容するとは思っていなかったのだ。是が非でもついていくのだとばかり思っていた。

 

 そんな咲夜の疑問に答えたのは三人で食べた昼食が終わり――信綱が咲夜にも気づかない間に作っていた――稗田邸の掃除を始めてからとなる。

 

 紅魔館ほどではないが、稗田邸も十二分に広い屋敷だ。そのため掃除には信綱一人だけでなく、女中の手も借りることがある。

 しかしそれもあくまでごく僅かな人数であり、大半は信綱が掃除をする。

 阿求がよく使う書庫や阿求自身の部屋は言うまでもなくチリひとつ残さず、それ以外の部屋についても丹念に磨いていく。

 

 一日だけとは言え咲夜も見習いなので掃除の場所を任された。ここは自分の従者としての技量を発揮する場面だと思い、力を入れて掃除をして信綱が確認している時だった。

 

「そういえば、あの子は一人で大丈夫なのですか?」

「阿求様か。俺も本心を言えばあの方の側にいたい」

「そう言うと思ってました。ですからあそこで阿求……様の言うことを受け入れたのが不思議で」

 

 午前中のお話で咲夜は阿求とかなり親しくなったと思っており、意図せず呼び捨てにしそうだった。

 それを耳ざとく気づいた信綱に凄まじい目で睨まれてしまい、慌てて敬称を付ける。

 そんな彼女を一瞥し、信綱は再び咲夜の仕事ぶりの確認に戻りながら口を開く。

 

「……人間、一人になる時間も必要ということだ。俺はそうでなくとも、阿求様ぐらいの年頃の子が俺のような老爺と四六時中一緒では息が詰まる時もある」

 

 無論、阿求に問えば違うと否定するだろう。赤ん坊の頃から――否、阿求が生まれる前から阿求に仕えてきた人間(・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・)を遠ざけるなどあり得ない。

 とはいえ、それでもずっと一緒にいれば思うところも出てくるはず。人間、誰かと一緒に居続けるというのは意外なほどに体力も気力も使うものなのだ。

 

「それに俺がいては阿求様のご友人も遠慮してしまうだろうからな。遠慮せずに付き合える友人は貴重だ」

「……あなたの口からそのような言葉が出るとは思いませんでしたわ」

 

 言葉も行動も、全てが御阿礼の子を至上としているとはばからないくせ、当たり前のことを軽視しない。

 紅魔館が全てであり、今後も紅魔館に全てを捧げるであろう咲夜には新鮮な言葉であり、同時にそういった友人がいるのだろうか、という自問自答にもつながる言葉であった。

 

「俺とて友人ぐらいいた。人間の友人はもう死んだが、妖怪ならそれなりにいる」

「……交友関係が広いのですね」

「自分ひとりでできることなどたかが知れている上、考え方も偏る。それを避けるためにも知り合いは多いに越したことはない」

 

 但し、自分の本分である側仕えに支障が出ない範囲に限る。

 そう言うと咲夜は感心したように何度もうなずき、自分も考えてみますと言って話が途切れる。

 そして少しの間、信綱が咲夜の掃除ぶりを確かめて、こちらもまた感心した声を出す。

 

「……ほう、意外と丁寧だな。細かい箇所も綺麗に掃除されている。レミリアは良い従者を拾ったものだ」

「あ、あら?」

 

 これまた驚いてしまう咲夜。確かに力を入れて掃除はしたが、ここまで素直に褒められるとは考えていなかった。咲夜は信綱を従者として完全な先達だと思っていたのだ。

 わたわたと落ち着かない様子で髪や頬に手を当てる咲夜を見て、信綱は不思議そうに見てくる。

 

「どうした、何を慌てている」

「い、いえ。そんな真っ直ぐに褒められるとは思ってなくて」

「良い仕事をしたのなら賞賛するのが当然だろう。その年頃で見事なものだ」

「う、うぅ……」

 

 すっかり顔を赤くしてしまい、もじもじと地面を見る咲夜だった。どうやら褒められ慣れていないらしい。

 

「ほ、他の部屋も掃除してきます! それと旦那様! 今日はあなたの仕事を見せてもらうのですから指摘をもらわないと困ります!」

「後で紙にまとめておく。その方がお前も手間が省けるだろう。あと掃除はもう終わったぞ」

「えっ」

 

 かなり気合を入れて掃除したため通常より時間がかかったとはいえ、咲夜は時間も止めてズルをしたというのに何を言っているのだろうかこの男は。

 信じられないものを見る目で信綱を見るが、嘘や冗談という雰囲気ではなかった。どうやら本気で終わらせたようだ。

 

「……つかぬことを伺いますが、この部屋の掃除って旦那様はどのくらいで終わらせます?」

 

 ちなみに咲夜は細かいところの掃除も丹念に行って三十分ほどかけた。

 

「手際よくやれば五分もかからん」

「……本日一日、旦那様のお仕事を勉強させてもらいます」

 

 やはりこの人間は底が知れない。人間的に見たら間違っても参考にしちゃいけない部類ではあるが、従者として見たらある種完成された存在だ。

 仕える姿勢や信念はさておき、その技巧には見るべきものがある。咲夜は改めて信綱に頭を下げるのであった。

 

 

 

「阿求様がお戻りになられるまでは俺も手が空く。部屋の掃除も済ませたら、後は庭の手入れ、風呂の用意などを終えていく」

「庭の手入れまで旦那様が?」

「側仕えと言うからには、阿求様を目でも楽しませられなければな」

「……私も今度美鈴に聞いてみます」

「そうしておけ。一人で全てができずとも、できることが多いに越したことはない」

 

 などという話の後、信綱は稗田邸で自分にあてがわれた部屋に入る。

 

「ここは?」

「側仕えである俺の部屋だ。私室のようなものだな」

 

 阿求もここに来るのか、私室であってもピカピカに磨かれていた。

 巻物がうず高く積まれており、数多くの書籍が綺麗に整頓されている几帳面な部屋だ。

 

「……墨の香りがしますね」

「書き物をすることが多いのでな。阿求様が戻られるまではここで時間を潰す」

 

 そう言いながら信綱は素早く紙と筆を用意して何かを書き始める。

 

「私は何をすれば?」

「今は自由だ。汚さなければ屋敷の中を見て回って良いし、俺に聞きたいことを聞いてくれても良い。一日限りの弟子とはいえ、引き受けた以上適当にはやらんから安心しろ」

 

 この面倒見の良さがお嬢様に好かれる秘訣かしら、と思いながら咲夜は敷かれた座布団に腰を下ろす。スカートのため、中は見えないよう気を使いながら。

 聞きたいことはもう思いつかないが、屋敷を見回る気にもなれなかった。午前中に阿求を起こす前、信綱から一通りの案内は受けていたのだ。

 

 こうして部屋で書き物をしていることと言い、色々な面で信綱は咲夜のために時間を割いているのだろう、ということが伺えた。

 

「……本日はいきなり押しかけてしまい申し訳ありません」

「別に構わん。妖怪連中が俺の都合など考えないのはいつものことだ」

 

 不本意ながら慣れてしまった。そのため信綱にとってはこの程度、迷惑をかけられたことにも入っていない。普段より厄介な面倒事がやってきた程度である。

 

「それに理由自体は真っ当だった。お前の主人みたいに暇だから遊んで、と来られるよりよほどマシだ」

「……私は喜ぶべきなのでしょうか。それともお嬢様の奔放さを謝るべきなのでしょうか」

「言っても聞かないだろうから喜んでおけ」

 

 それきり、会話が途切れる。

 信綱は自分が言うべきだと考えたことがない限り口を開く方ではなく、咲夜もまた話したいことがほとんどなくなってしまっていた。

 技術上の疑問は道すがらで聞いてしまい、彼自身のことについても聞けば聞くほど訳がわからなくなるので、途中で諦めた。

 なんかもうそういう存在なのだと割り切った方が咲夜の精神安定上、望ましい。

 

 気まずい、というほど切迫した沈黙ではないが、それでも僅かに居心地の悪さを覚える時間。

 咲夜は色々と信綱から聞いた言葉を思い出していき、自然とそれが口をついて出た。

 

「……私も友人を作ってみようと思います。紅魔館の方たちは仕えるべき人、という目で見てしまいますから」

「その方が良い。あの門番辺りから始めていけば良いだろう」

 

 最初に声をかけるべき人まで考えていたのか、と思うと頭が下がった。

 本人にしてみれば手間のかからない範囲で、後々の面倒事を減らそうとしているだけだと言うだろうが、咲夜にとってはありがたい教えだった。

 

「――ありがとうございます。やはり本日、あなたの元を訪ねて正解でした。私には技術以前に学ぶべきものが多くある」

「俺も似たようなものだ。いつになっても学ぶことがなくなることはない。だから、まあ……俺が暇な時であれば、俺が学んだことを教えてやる」

「よろしいのですか?」

 

 二度と来るなと言われそうだと思っていた咲夜にとって、その言葉は驚愕に値するものだった。

 なんだか今日は驚いてばかりだな、と咲夜は他人事のように思いながら信綱の言葉を待つ。

 

「知られて困るものではないだろう」

「教える手間とかはどうなります?」

「そんなことを考えられるのなら、お前は俺に何かしらの利益を提供してくれるだろうよ」

 

 というかレミリアに爪の垢でも煎じて飲ませてやりたいくらいだ。

 散々人の家に悩み相談に来るくせ、彼女は全くと言っていいほど信綱に利益を与えていない。

 それでも彼女を拒絶しないで来たら付き合っているのだから、彼の面倒見の良さはある意味筋金入りである。

 

「さて、そろそろ阿求様もお戻りになられる。この後は阿求様のおやつを作って、お前から聞いた資料の編集をして、夕餉を作るぐらいだがお前はまだ来るか?」

「――ええ、今日一日は旦那様の弟子ですもの。しっかり学ばせて頂きます」

「そうか。だったら付いてこい。そして悪戯はするなよ」

「はい、もちろん」

 

 阿礼狂いとしての在り方は真似できないだろうし、おぞましいものだとも思うが、同時に彼自身の人間性には尊敬すべきものがあると確信できた。

 先達として付き合うのであれば、能力を使うべきではない。ただの十六夜咲夜として勉強するのが正しい姿だろう。

 

 そう考え、咲夜は普段通りの瀟洒な――しかしいつもより柔らかな雰囲気をまとった笑みを浮かべるのであった。

 

 

 

 

 

「ねえねえおじさま。なんかおじさまのところに行ってから、咲夜が綺麗になったっていうか振る舞いが柔らかくなったっていうか、諸々成長した感じなんだけど心当たりない?」

「ない」

「またまたご冗談を。美鈴とも仲良くなったって聞くし、最近じゃ異変の解決に来た霊夢とか魔理沙とも話すようになったって言ってるのよ? おじさまが何かしたとしか考えられないわ」

「それは彼女の努力だろう。俺が指示したわけではない」

「ふぅん。でもいきなり押しかけてきたメイドさんを一日相手にするとか、おじさまも老いてますますお盛ん――ごめんなさい! 謝るから日光は許してぇぇぇ!?」

「全く……」

 

 後日、やってきたレミリアと話して、信綱は改めて咲夜の爪の垢を煎じてこいつに飲ませた方が良い、と真剣に思ってしまうのであった。




阿求の側仕えをしている最中のノッブの弟子入りをするという、地雷原でタップダンスどころじゃない暴挙をしている咲夜さん。
もうちょっと悪戯心が顔を出していたら、首が飛んでいた(物理)かもしれません。

でもノッブの一日をこういう形で書いてみたかった。あっきゅんが一人になりたそうだな、と思ったら一人になるようにしています。だいたいその時間がノッブの自由時間みたいな感じです。

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