阿礼狂いに生まれた少年のお話   作:右に倣え

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紅霧は晴れ、日常は続いていく

 紅い霧が幻想郷を覆う異変が起きて、解決までは僅か一日だった。

 朝に霧が出て、翌日には晴れていた。これだけ見ればたまたま自然の悪戯か何かで、偶然起こっただけのようにすら見える結果である。

 紅い霧が一週間や二週間と出続けていれば不安に思うものも出ただろうが、一日ではそれも生まれない。

 

 そんなわけで人里は今日も今日とて、日々の仕事に励む者たちの声で賑わっているのであった。

 

 信綱はそんな喧騒の聞こえてこない自室で、阿求とは別の視点で描かれた異変のまとめを行っているところだった。

 筆は止まることなく滑らかに動き続け、文字が綴られていく。一日で終わったためまとめる内容も少ないが、魔理沙や霊夢から詳しい話は聞いておく必要があった。

 

 これらをまとめたら阿求の元に持っていき、後は霊夢たちにも話を聞こうと一日の予定を頭でまとめていくと、信綱は不意に顔を上げて筆を置く。

 

「話があるなら出てきたらどうだ、八雲紫」

「……本来なら人間に知覚できないものですが、あなたにとってスキマは隠れ蓑にすらなりませんか」

 

 信綱の視線の先の空間から黒い空間――スキマが開き、その中から穏やかな表情の八雲紫が現れる。

 

「一度コツさえ掴めれば難しいものではない。それで何か用件でも?」

「ああいえ、特に重要な話ではありませんわ。ただ、あなたが関与しなかった異変についての感想を聞いてみたくって」

「スペルカードルールの手応えとかも、か?」

「その辺りは私も確認しましたわ。あなたが鍛えた博麗の巫女はずいぶんと腕利きね」

 

 大方、霊夢たちが異変を解決する様子をスキマで見ていたのだろう。彼女の考案したルールがどう運用されるのかも含めて、実際に目で見なければわからないことは多い。

 

「腕利き、とは」

「霧を出した魔女も、黒幕の吸血鬼も、どちらも鎧袖一触――というほどではなかったけど、弾幕ごっこという領分でちゃんと打ち負かしていたわ」

「そうか」

 

 口では淡々と事実を受け入れただけのようだったが、信綱は内心で安堵していた。

 一人でやっていけるよう鍛えたつもりだが、それが身になっているかは実戦にならないとわからない。本番に弱くて練習に強いタイプというのもありえるのだ。

 なので信綱は表情に出さないようにしながら、彼女の無事と努力を内心で褒めていた。これは会った時に何か奮発しても良いかもしれない。

 それを紫は目敏く気づき、スキマで信綱の隣に移動してこのこの、と肘で突いてくる。

 

「あらあら? あなたも誰かを心配するなんてことあるのね。これは明日は雪が降るんじゃ痛い!?」

「鍛えた弟子を心配するのは当然だろう」

 

 彼女を捨て駒にするために鍛えたわけではないのだ。子供の頃から面倒を見ている分、彼女に対する思い入れも相応に持ち合わせている。

 それを告げると紫は幻想郷の管理者に似つかわしくない、しかし妖怪の賢者に相応しい優しい笑みを浮かべた。

 

「ふふ……あなたがここまで真面目に親の役割を全うするとは思っていませんでした。先代が亡くなった時に手を離すものとばかり」

「霊夢が望んだらそうするつもりだった。やつは望まなかった。それだけだ」

「ええ、ええ。私も遠からずあの子と顔を合わせるけど、話をするのが楽しみな子になったわ。未来の幻想郷も安泰かしら」

「さて、それは俺の役目ではないな」

 

 そういうと紫は優しい笑みを消し、信綱の顔色を伺うように表情を静かな凪のようなそれに変える。

 

「……あなたも終わるのね。先代と同じように」

「人間だからな。当然の結末が訪れるだけだ」

「……別に今すぐというわけではないのでしょう?」

「時が来たらお前にも教えるつもりだ。頼みもある」

 

 これから死ぬ者の願いを無下にはしないだろう、と言うと紫は困ったように笑う。

 酷薄なようであり、彼女の信念を感じさせるものであり、同時に優しい、そんな微笑みだった。

 

「死にゆく個人の頼みを聞いていたら幻想郷の管理者なんてできませんわ。……でも、あなたは特別。人と妖怪の共存を叶えたあなたの願いなら、私は幻想郷の秩序を乱さない範囲で全力を尽くしましょう」

「力を尽くした甲斐があったな。八雲紫にここまで言わせるとは」

「私も変わった――いえ、あなたに変えられたということですわ」

 

 人間の中には信綱のように煌めく輝きを持つ者が現れる。そして彼らは人々を変え、世界を変える力を持っている。

 それを信綱という男は幻想郷の妖怪に知らしめ、人間と妖怪が同じ場所で暮らし、生きるということを成し遂げてみせた。紫ですら未だ途上にあった悲願に到達したのだ。

 

 紫は信綱に感謝している。それこそ、彼に見せる態度とはかけ離れているほどに。もう許されるなら抱きしめて頬ずりしてキスしても惜しくないくらいに感謝しているのだ。

 ……実際にやったら抱きつく前に拒絶されて殴られる未来しか見えないのだが。

 

 信綱はそれを知らない。椛の願いを叶えた結果として紫の願いも叶えた、というのが信綱の見解であり、あまり彼女に感謝されるようなこともしていないと思っていた。

 そのため紫の言葉に対し、怪訝そうに眉をひそめる信綱に紫は小さく笑う。

 

「ふふっ、知らないのならそれで構いませんわ。さて、話を異変に戻しましょうか」

「ああ、事の顛末はどうせ後から黒幕が家に来るだろうから気にしないが、解決はどうなった?」

「そのことなんだけどね、少し予想外のことがあったわ」

「ほう?」

「博麗の巫女が異変を解決した。これは本当。レミリアを彼女が退治するのを私はしっかり見た。でも話はそれで終わりじゃなかったの」

「白黒の服を着ている魔法使いか?」

「知ってたの?」

 

 さすがの紫も人里から出た存在まで詳しくはないようだ。

 信綱は彼女の簡単な経緯と今回の異変解決に参加した流れを話すと、紫はひどく感心したようにうなずく。

 

「なるほどなるほど。あなたの時といい、意外なところから意外な才能が発掘されるものね」

「あれはそういう血筋なのかもしれんがな……」

 

 農家から商人になり、更に人里一の大商家にまで発展させた信綱の親友の血を引いているのだ。信綱からしたら意外ではあるが、納得できることでもあった。

 

「彼女がどうかしたか?」

「詳しい話は吸血鬼の子から聞けるでしょうから省くけど、あの子は単純に異変を解決する以上に意義あることをやってのけたかもしれないわ」

「ふむ……?」

 

 紫の言っていることの意味がわからず眉をひそめる信綱。紫はそんな彼に意味深な笑みを向けるだけでこれ以上の説明は行わなかった。

 そして話すこともなくなったのか、紫は自らの後ろにスキマを開いてその中に身を沈めていく。

 

「そろそろお暇しますわ。次に異変が起こったら私も表に出ようかしらね」

「やっと人間とまともに関わる気になったのか。いつまで引きこもっていれば気が済むのかと思っていたぞ」

「その言い分はあんまり過ぎません!? 暗躍していたと言って欲しいですわね!」

 

 その暗躍には信綱も天魔も、人間と関わりながら一枚噛んでいた。人と関わったら不可能なことを言っているわけではなかった。

 彼女の気質と言うべきか、それともただ単に身一つで人間と関わることに二の足を踏んでいただけか。

 どっちでも良いと内心のため息で押し流し、信綱は去りゆく彼女に声を投げる。

 

「後の人里は頼むぞ。俺もそう長くはいられない」

「……わかっております。この場所がなくなるのは妖怪にとっても致命的ですし、何より――私も居心地の良い場所を失いたくありませんもの」

 

 紫は儚げに微笑み、そしてスキマに消えていく。

 彼女が何を思ってあの顔を見せたのかはわからない。だが彼女にとって何か悲しむべきことでもあったのだろう。

 信綱はそう考えて彼女に向けていた思索を切り上げる。これ以上は考えても詮無きことであり、考えたところで何かが変わるわけでもない。

 それより今は阿求に渡す資料の作成を急ぐべきだ。信綱は再び資料の作成に没頭していくのであった。

 

 

 

 

 

「はぁい、おじさま。結構張り切って異変を起こしたのに、あっさり解決されちゃったわ」

 

 レミリアがやってきたのは、ちょうど彼女から話を聞こうと阿求と考えていた時のことだった。

 日傘を差すのは美鈴から咲夜に変わり、異変で退治されてもケロッとした顔のレミリアが信綱に対して親しげに話しかけてくる。

 

「阿求様」

「うん、行ってきて。レミリアさんの目当てはお祖父ちゃんみたいだし、私の取材は機会を改めて、ということにするわ」

「かしこまりました。すぐ追い出して戻ります」

「あれ、そんな流れだった!? 普通にお話してきて良いから! 今の聞こえてたレミリアさんがちょっと泣きそうだから!」

 

 阿求にそこまで言われては仕方がない。信綱はレミリアと咲夜を伴って別の部屋に移動する。

 

「……はぁ」

「あの、そこでこれ見よがしにため息を吐かれると私も凹むんだけど」

「あら、お嬢様。最近は無碍に扱われるのもなんだか心地よくなってきたとか仰ってませんでした?」

「一言も言ってないわよ!? そろそろ優しさを頂戴!?」

「相変わらずうるさい奴らだ……」

 

 付き人が美鈴から咲夜に変わっても何も変化がない。信綱は呆れた顔で二人の前に座り、口を開く。

 

「で、異変はどうだったんだ?」

「幻想郷を覆う紅い霧! 立ち向かうは若き博麗の巫女となんかついてきた魔法使い! 屋敷を彩る鮮やかな弾幕! 美しさを求めた私が言うのもあれだけど、十二分に見応えあるものになったわ。絵に残したいくらいよ。霊夢がやってきたのを私が出迎えた瞬間とか」

「問答無用で弾幕撃ってきましたけどね」

「あれはおじさまを彷彿とさせたわ……」

 

 しみじみと思い出すようにうなずくレミリア。彼女にとって吸血鬼異変の終わり方は良かったのか悪かったのか、信綱にはわからないことだった。

 

「手応えはあったか?」

「そのことなんだけど。おじさまもしかして霊夢に何か吹き込んだ? 動きにどうもおじさまの影がチラついたのよ」

「もしかしても何も、あれは俺が鍛えたぞ」

「道理で。戦いの進め方とか、おじさまそっくりだったわ。私がちょっとでも隙を見せると容赦なく食い破ろうとしてくる辺りなんて、あの時の戦いみたいでゾクゾクしたもの」

「お前もあの頃と同じではないだろう」

 

 一度何もできずに負けた経験があるのだ。対策を取らずに同じ負け方をするほど、目の前の吸血鬼は白痴ではない。自らの強さを頼みとする妖怪である以上、その強さで負けた相手への敬意と対策は怠らないはずだ。

 

「まあね。一回は落としたけど、後は向こうにやられたわ。まあ見事見事。あの美しい弾幕の避け方や撃ち方含めて、霊夢は私のお気に入りね」

「だったらそっちに行ってくれ」

「おじさまと霊夢は違うの。霊夢は見てて飽きない美しさ。おじさまは見ていて惹かれる美しさね」

 

 机に頬杖をついてニコニコと楽しそうに笑うレミリアに、信綱は訳がわからないと顔をしかめる。

 

「霊夢は宝石。輝いている姿は見ていて飽きないし、これから更に輝きを増していくでしょう。対しておじさまは炎。絶対に迷わず、絶対に揺れず、一度も翳ることなくその魂を燃やし続けている」

 

 そう言ってレミリアは眩しいものを掴むように信綱の目に手を伸ばす。彼女の目には、その瞳の奥に今なお翳らず、揺るがない炎が見えているのだろう。

 

「私を羽虫と呼ぶやつがいたら殺すわ。でも、おじさまの炎に惹かれることを羽虫と呼ぶのなら、その通りなのでしょうね」

「…………」

「おじさま、私はあなたが欲しい。――うなずいたら、殺すけど」

 

 レミリアが愛する炎は御阿礼の子に狂った炎だ。自分に傅く炎に何の価値もない。

 太陽に焦がされる夜の住人だからこその視点に信綱は呆れた顔をする。彼にとってレミリアの言葉は面倒以外の何ものでもないからだ。

 

「知っている。それに俺は余計な恨みは買わない主義だ」

「余計な恨み?」

「お前にはもう忠誠を誓う者がいるだろう」

 

 視線だけで咲夜の方を見る。表面上は無表情を取り繕っているが、内面に何が渦巻いているかは誰の目にも明らかだった。

 それに気づき、レミリアは自嘲の笑みを浮かべる。

 

「……やれやれ、私もまだまだね。一つのことに執着しすぎて大事なものを見落としてしまう」

「お前には俺以外にも大切なものがあるだろう。手に入らないものに執着する暇があるならそちらを見ろ」

「……そうね。咲夜、あなたを不安にさせてしまったかしら」

「いえ、そのようなことは……」

「あるみたいね。これが終わったらお茶にしましょう。その時に私の考えも伝えるわ」

「……かしこまりました」

 

 言葉少なに頭を下げる咲夜にレミリアは労いの言葉を投げ、改めて信綱に向き直る。

 

「――さて、それじゃあ私の用件に入りましょうか。――あの黒い魔法使い、あれはなに?」

「うん? 博麗の巫女ではないのか?」

 

 予想外の言葉に信綱は怪訝そうな顔になる。

 異変を解決したのは霊夢である以上、彼女の話になるとばかり思っていたのだ。

 レミリアは真剣そのものの表情で信綱を見据え、真実を求めていた。

 

「あの子にも興味はあるわ。でもそっちは私が自分で訪ねればいいだけ。だけどあの魔法使いは別なの」

「……話の前後が読めないな。事情を説明しろ」

 

 下手に教えたら報復に出る、なんてことは考えていなかった。レミリアがそれを良しとしない矜持を持っていることくらいは知っている。

 

「妹のことは知ってるわよね」

「お前から聞いた程度なら」

「あの魔法使い、道に迷ったのか私の方に来ないでそっちに行ったのよ」

「地下、だったか。俺も詳しくは知らないが」

 

 レミリアと咲夜がうなずく。魔理沙は何を間違えたのか、レミリアのいる方ではなくその妹のいる方に向かってしまったらしい。

 適当に歩いていれば持ち前の勘で最善を選べる霊夢と違い、彼女は普通の人間だ。間違えてしまうのも無理はなかった。

 

「フランにも一応スペルカードルールは教えておいたし、私も結果しか知らないからなんとも言えないんだけどね。あの魔法使いと会ってからフランが外に興味を持ち始めたのよ」

「ほう」

 

 それが良いことなのか悪いことなのかはわからないため、曖昧にうなずいておくだけに留める。

 

「だから聞きたいの。あの魔法使いはフランに何を言ったのか。何をしたのか。私にはできなかったことを簡単にやってのけた彼女は誰なのか」

「知ってどうするつもりだ?」

「どうするもこうするもないわ。姉として妹を引っ張ってくれたことに感謝するだけよ」

 

 迷いなく言い切ったレミリアに咲夜が物言いたげな顔になる。

 彼女が頭を下げるということの意味。そして十六夜咲夜という存在がいても変わらなかった現実をあっさり変えてしまった少女への嫉妬や羨望。

 それらが無表情を装った顔の裏に隠れていることを、信綱は年齢から来る直感で見抜く。

 

「お前は周りが見えているようで見えていないな」

「ど、どうしてそれを? パチェとかにいっつも言われることを?」

「とまあ、この通り子供の主人だ。愛想を尽かしたのならさっさと出ていくのが吉だぞ」

「まさか――あなたは主人が未熟だからと離れるのですか?」

 

 愚問である、と即答されたことに信綱は唇を歪めてレミリアを見る。

 レミリアは今の言葉が誰に向けられたものなのかを理解し、僅かに頬を赤らめた。

 

「うー……おじさまったら意地悪ね」

「俺がお前に意地の良い面を見せたことがあったか」

「自覚はあったのね……。咲夜、この人みたいになっちゃダメよ。仕える人間として一つの極地かもしれないけど、これはなったら人生終わりな部類だからね」

「肝に銘じます。とはいえ、個人的には従者の先達として学ぶところは多そうですが」

「とりあえず私心をなくすところからだな」

「お嬢様、彼のようになれない無力な自分をお許しください」

 

 なんかもうスタート地点からして違う、と咲夜は期せずして正解にたどり着いていた。

 レミリアは咲夜の言葉を聞いて苦笑するものの、咎めはしなかった。自分が欲しいのは私心を持たない人形ではなく、むしろ私心を狂気に昇華させた者なのだ。

 咲夜はそれを目当てで拾ったわけではない。信綱のような従者が欲しいと思ったのは否定しないが、彼女を拾ったのは――

 

「許すわ。――その代わり、レミリア・スカーレットの従者、十六夜咲夜の名を幻想郷に轟かせなさい」

「仰せのままに」

 

 彼女に、別の可能性を見出したからなのだ。

 レミリアは信綱に顔を向けて笑いかける。

 

「ね、良い従者でしょう?」

「……さて、お前がそう思うのならそうなのだろうさ。話を戻して魔法使いのことだが……あれは魔法の森に住んでいる。名は霧雨魔理沙」

「霧雨? あそこのお店の?」

 

 レミリアは出てきた名前に目を白黒させる。彼女の知っている霧雨の家は商人の家であり、間違っても魔法使いが出てくるような家ではなかった。

 

「今の店主の実娘だ。詳しい事情は省くが、色々あって魔法使いになっている。スペルカードルールがある今だからこそ出てきた芽とも言える」

「ふぅん、なるほど。今度会いに行ってみるわ」

「そうしてくれ。殺さないようにな」

「善処するわ。私の用件はこれでおしまい。最後にこれだけ聞いたら帰るわ」

 

 そう言いながらも、レミリアは立ち上がって部屋の外に出ようとしていた。これから口にする内容に対する答えを理解しているように。

 

「――阿求は、私のこと覚えてるかしら?」

 

 寂しげな笑みと共に放たれた言葉に対し、信綱は瞑目して慎重に言葉を選ぶ。

 阿求はレミリアのことを知っていた。だがそれは覚えているというより――

 

「……本人に聞くのが筋だろう」

「その言葉で大体わかっちゃったわ。……そっか、阿弥にはもう会えないのね」

「あの方はもういない。今、稗田の家の主人は阿求様だ。それを忘れるな」

 

 自嘲するように微笑むレミリアに信綱はにべもない言葉を返す。

 レミリアが阿弥のことを忘れないのは良い。だが、それで今いる阿求を見ないのは看過できない。

 それにレミリアが感じているであろう痛みは、これからも人間と関わるのなら受け続ける痛みだ。

 彼女の後ろにいる咲夜とて人間であり続ける限り、死は必ず訪れるのだ。

 

「……会いたくないと言うのなら、多少の便宜は図る」

 

 信綱の口から出た言葉はレミリアを気遣うものであり、彼女が望むなら自分たちと会わない方が良いという提案でも会った。

 いつか訪れる人間の死に彼女が傷を負ってしまうのなら――それは会わない方が良いこともある。片方が傷つき続ける関係は健全とは言えない。

 

「それは逃げよ、おじさま。私は誇り高き吸血鬼。未来が変わらなくても、私の選ぶ道は変わらない。……気遣ってくれたのは、嬉しいけど」

 

 そんな意図で出てきた信綱の提案をレミリアは一蹴する。

 そして信綱に背中を向け、無言で恭しく頭を下げる咲夜の手を取って外に向かっていく。

 

「また会いましょう、おじさま。次は阿求も交えて、ね」

「……わかった」

「では失礼致します。……次は個人的に会いに行くかもしれません」

「む? なぜ――」

 

 意味深なことを咲夜が言い残したため理由を問うてみようとするものの、すでに二人は空に浮かび上がっていた。

 追いかけて聞くことも考えたが、阿求の元に戻るという大義の前には咲夜の台詞など砂塵にもならない。

 信綱はすぐに思考を切り替えて阿求の元へ戻っていくのであった。

 

「阿求様、ただ今戻りました」

「あ、おかえりなさい。レミリアさんはどうしたの?」

「異変を起こした後の所感等です。阿求様とはまた改めて場を整えたいと話しておりました」

「ん、じゃあレミリアさんの都合が良い時に話を聞かせてもらいましょう。どんな人なのかは……まあ、お祖父ちゃんとのお話で少しわかったけど、楽しみ」

 

 やはり覚えていない。楽しみな気持ちを隠せない阿求の無邪気な笑顔でそれが確信できてしまった信綱は、しかしそれを表情に出すことなく微笑み返す。

 彼女にそれを指摘しても傷つくだけであり、それは信綱にとって避けるべきこと。故に取るべき行動は決まっていた。

 

「……きっとご期待に添えると思いますよ。彼女は子供であり、同時に誇り高い吸血鬼です」

 

 彼女の在り方に価値は見出しているのだ。誰に依ることもなく、自らの誇りに依って立つ姿は確かに人を惹き付ける。

 天魔のように自分の強みを自覚しているかはわからないが、同時にそれが彼女の魅力になっているのだろう。

 

「お祖父ちゃんも信じてるの?」

「昔は嫌ってましたが、今はそうでもありません。彼女は自らの価値を証明した」

「……そっか。お祖父ちゃんは長生きだから、色々な妖怪と色々あるんだね」

「不本意ながら。ですが、阿求様や阿弥様の縁起の助けになっているのなら望外です」

 

 そう言うと阿求はふわりと優しく微笑む。

 阿七のような優しさを、阿弥のような喜びを、そして阿求らしい活発な感情をのぞかせるそれを見て、信綱はレミリアの話していた阿弥に会えないという言葉を思い出す。

 

 違うではないか。阿七も、阿弥も、これまでの御阿礼の子だって皆、阿求の中に息づいている。

 同一視するわけではない。それは阿求に失礼だ。

 だが、確かに引き継がれているものもあるのだと思えた。

 

 今までの信綱ならわからなかった。自分と阿弥のことで手一杯だった彼には継承の意義を見出だせなかった。

 多くのものを見てきて、一つの時代が終わる姿と始まる姿を見た。

 終わってしまうことには悲しみと痛みを伴うが――それだけでは決してない。

 

 霊夢は先代の技と彼女の教育を受けて、立派に博麗の巫女として初陣を飾った。

 魔理沙は勘助、弥助譲りの行動力で新たな道を切り拓いている。

 

 そして阿求は御阿礼の子としての使命を自分なりに果たそうと阿七、阿弥とは違う形での幻想郷縁起を作ろうとしている。

 信綱にはそれが何よりも嬉しかった。阿七、阿弥が歩んできた軌跡は無意味ではないのだと実感できた。

 

「……ええ、本当に。多くのものを見てきました」

 

 これからもそれを見続けていくのだろう。阿求の側仕えを辞する、その時まで。

 阿求もまた、信綱の表情から多くのものを感じ取ったのだろう。何かを言うことなく静かに首を振り、信綱の手を取る。

 

「じゃあ、今日はそのお話が聞きたいな。お祖父ちゃんのことだから、一杯あるんでしょう?」

「阿求様が望まれるのなら、いくらでもお話いたします」

 

 身体の弱い阿七や阿弥のためでもあったのだ。阿求に聞かせる内容は山のようにある。

 

 さて、相手は求聞持の力を持つ御阿礼の子だ。

 痛快で、愉快で、笑顔になれる。そんな話を自分の中から探すとしよう――




時代は変わっていくけど、ちゃんと変わらないものもあるというお話。
ノッブは一つの時代の中心であり、今は新たな時代の始まりを見届ける側に立っている。

……とはいえ、それを惜しむ人もいるわけです。なので異変でも稽古でもなく、純粋に戦闘となる場面がもう一つだけ追加される予定です。入らなかったら? 没になったと思ってください(真顔)

初陣を見事に勝ってきた霊夢がご褒美をねだってきたり、なんか咲夜さんが押しかけてきたり、紅い霧が出て植物に大迷惑なんだけど! とゆうかりんがキレてきたり、そんな感じの話が出て――春が訪れない異変が始まる予定です。

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