阿礼狂いに生まれた少年のお話   作:右に倣え

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異変を解決する者たち 里に残る者たち

 信綱は紅霧のせいでわかりにくいが、夕暮れ時に博麗神社への道を歩いていた。

 怪しい紅い霧の影響か、博麗神社までの道中に感じる妖怪の気配も今は静かなまま。

 元よりこの辺りの妖怪は大人しいのが多く、そうでないのは大体信綱が霊夢に積ませる実戦経験の相手として叩いている。

 

 それでも妖怪の脅威が完全になくなったとは言い難いが、その辺りは天狗に頼んで護衛を付けるなり人を増やすなりでどうにかなる。閑話休題。

 

 信綱はその道を一人で歩き、境内に続く長い階段を登って行く。紅い霧は当然のように博麗神社にも蔓延していた。

 

「おい、霊夢。起きてるか」

「あ、爺さん」

 

 境内に到着した信綱が霊夢を呼ぶと、彼女はすぐに出てきた。

 母親の形見となったリボンを後頭部で結び、先代の着ていた巫女服を少女らしい可愛らしさでアレンジを加えたものを着ていた。

 

「異変が起きていることには気づいているだろうな」

「そりゃまあ。こんな紅い霧が出るなんておかしいでしょう」

「うむ。で、異変の解決は博麗の巫女の役目になるわけだが、お前は準備していたのか?」

「うん。もうすぐ出るつもり」

「なぜ今まで待っていたんだ?」

 

 霧が出てからそう時間は経ってないので、まだ霊夢が異変解決に動いていないことを責めるつもりはなかった。

 ただ純粋に疑問だったのだ。常在戦場、というわけではないが可能な限り準備は怠らないように教えたはずだ。

 

「ん? そうした方が良いってなんとなく思ったのよ」

「……なるほど、ならば俺からとやかく言う筋合いはないな」

 

 もう異変解決は霊夢に一任しているのだ。その彼女がまだ行くべき時ではないと判断したのなら、信綱が何かを言うことはできない。

 

「まあ爺さんが言いたいことは何となくわかるわ。人里は私の勘なんて知らないでしょうし、私がさっさと動いて異変解決した方が爺さんも嬉しいんでしょう?」

「ありがたくはあるが、そのために無理をしろとまで言うつもりはない。スペルカードルールで比較的安全だが、絶対の安全なんてものは存在しない」

 

 それを言うと霊夢は紅い霧の中でもわかる程度に頬を赤らめ、爺さんと呼び慕う男性を見上げる。

 

「……爺さんは私が心配ってこと?」

「そうだな。この異変が終わってもどこかの誰かが異変を起こすかもしれない。後先考えずに怪我をするのは俺としても困る」

 

 そう言うと霊夢はがっくりと肩を落とす。聞きたかったのはそんな合理的な理由ではないのだ。

 しかしそれを言ったところで信綱にはわからないだろう。霊夢は仕方がないと気を取り直して、力強い笑みを浮かべた。

 

「ま、爺さんは安心して待ってなさいって。私がこの異変を華麗に終わらせてみせるからさ」

「……そこまで言うなら信じよう。助力というわけではないが、一つアドバイスをしよう」

「え? 爺さんの編み出した必勝法とか?」

「そんなもの相手より早く動いて早く斬れば十分だ。異変を解決するにあたっての心構えだ」

 

 信綱は霊夢と視線を合わせ、自分が異変を解決する際に心がけていたことを伝えていく。

 

「まず――異変を起こしたやつは悪だ」

「悪?」

「そうだ。異変というのは幻想郷全体に影響を及ぼす騒動を指す。引き起こすのは大体妖怪で、あいつらは自分の楽しみのために傍迷惑な騒ぎを起こす」

「なにそれ超迷惑」

「だろう。だからお前は異変を解決するのなら、お前が正義だ。異変を解決していることを話して、自分の邪魔をする相手は全部敵だと思え」

 

 信綱はそうしてきた。邪魔をしないなら放置。邪魔するなら潰す。味方になるなら受け入れる。

 無論、口八丁手八丁で味方に引き入れられるのならその方が良い。だが、いかなる事情があっても異変を解決している者たちを邪魔するのなら、それは幻想郷に不利益をもたらしているに等しいのだ。

 

「て、敵? 爺さんにしては……いや、爺さんらしいけど、過激なこと言うわね」

「邪魔してこない相手を倒す必要はない。余計な手間を増やすだけだ。だが邪魔をしてくる相手がいたら容赦するな。敵味方の区別はハッキリつけろ」

 

 少なくとも吸血鬼異変において信綱はそういう対応を取った。邪魔してきた椿を殺し、邪魔をしなかった文を受け入れ、そして美鈴を使って最短で異変解決の道を辿った。

 

「ある程度結果論にもなるから一概に言えない部分もあるが、基本はこれで間違いない。異変があって、異変を解決しようとする限り、お前は絶対に正しい存在だ」

「……後で恨まれたりしない?」

「する時もあるだろうし、そうでないこともあるだろう。だが、これが博麗の巫女の役目だ」

「……だから爺さんは私に無闇に敵を作るなって言ったのね」

 

 霊夢はようやく合点がいったというようにうなずき、額に片手を当ててため息をつく。

 なるほど確かに。異変解決でどのみち恨みを買うのだから、そうでない部分で余計な恨みを買う余裕はないのだ。それではいずれ積もり積もったものでがんじがらめになってしまう。

 

「わかった。邪魔する相手に容赦はしない。スペルカードで叩き落としてあげる」

「その意気だ。これで伝えることは伝えた。そろそろ俺は戻るぞ」

「あ、ちょっと待って!」

 

 霊夢に呼び止められ、信綱はどうしたのだという顔で振り返る。

 すると霊夢はもじもじと手を動かし、ためらった様子で信綱の方を見た。

 

「……私、これが異変解決の初陣なわけでしょ?」

「そうだな」

「爺さんは心配してくれてるんだよね?」

「まあ、そうだな」

 

 理由を言えと言われたらいくらでも合理的な理由が浮かぶが、霊夢に怪我をしてほしくないというのも本心だ。

 それを聞いた霊夢は一瞬だけ顔を輝かせ、そしておずおずと伺いを立てるように口を開いた。

 

「じゃあ……その……上手く解決したら、褒めてくれる?」

「……そんなことを言ってくるとは思わなかったな」

 

 少々予想外の台詞が来たため、信綱は目を丸くして霊夢を見る。

 これでも彼女の才能を伸ばすため、彼女が求めるものはちゃんと与えてきたつもりだったのだ。先代にも任された手前、鍛錬にも情操教育にも手は抜かなかった。

 それに霊夢が言ってくるのはもっと大きなワガママだと思っていた。信綱が驚いていたのは、彼女が望んだことが予想以上に小さなことだったからである。

 

 しかし霊夢にはそう聞こえなかったようで、言い訳をするように言葉を重ねる。

 

「だ、だって爺さん、口では色々言ってくるけど頭とか撫でてくれないじゃない」

「撫でてほしかったのか」

「……うん」

 

 そういう霊夢の顔は紅霧の中でもわかるほどに赤くなっていた。

 先代の分まで、と努力はしていたものの、ここまで懐かれるとは思っていなかった。あれだけ自分の狂気を伝えたと言うのに、危機感が足りてないんじゃないだろうか。

 

 そこはかとなく霊夢の将来に不安を覚えながらも、信綱は呆れたように霊夢の頭に手を伸ばす。

 リボンで留められている髪は崩さないようゆっくりと頭を撫でてやり、信綱は口を開く。

 

「……異変を解決したら感謝されるのは当たり前のことだ。俺からはお前が上手く異変を解決したらある程度願いを聞いてやる」

「なんでも聞いてくれるの!?」

「そうは言ってない。叶えられる範囲で、だ」

 

 具体的には阿求との時間が削れない範囲である。

 霊夢はそれでも十分だったようで、顔を輝かせて何度もうなずく。

 そして勢いのままに飛び上がり、巫女の勘がささやく方角に身体を向ける。

 

「わかった! よーっし、異変なんてぶっ飛ばしてくるわ!」

「気をつけろ。命懸けの戦いじゃないんだ。気楽にな」

「わかってるー!」

 

 そう言って霊夢の姿が紅霧に消えていく。

 信綱はそれを見送り、静かにため息を吐いた。

 異変を解決すれば感謝されるなど、そんな当たり前のことですら先代の時には自分しかやらなかったのだ、と思ってしまった。

 

 やはりどう考えても異常だった。いくら力があるからと言って、危険なことをやらせている事実に変わりはないのだ。せめて労いぐらい心を尽くすのが当然だろう。

 百鬼夜行の終わりから人里も変わった。先代の巫女も混ざって宴会ができるようになった。その変化はきっと霊夢の代にも続いていく。

 

 あの年頃の少女が誰からも感謝されずに戦い続け、それを当然と受け止めるなど大人として惨めに過ぎる。

 信綱は一息で意識を切り替え、霊夢の暮らしている家の方へと足を向けた。

 差し当たって――異変を解決してきた彼女が食べるものぐらいは用意してもバチは当たらないはずだ。

 

 

 

 

 

「おおおおお……!」

 

 少女は人里の外を覆っている紅霧に触れ、感激に打ち震える。

 自分の代にはまだ起こっていなかった異変が、このような誰の目にもわかる形で起こったことに感動しているのだ。これで今代の幻想郷縁起にも厚みが出る。

 

「すごいすごい! わ、手が赤くなってない! やっぱりこれって普通の霧じゃないのね!」

「阿求様の仰る通りです。微量ながら魔力を含んでいるようで」

「やっぱり人間の身体には毒とか!?」

「このぐらいなら霧で濡れる不快感の方が強いかと」

 

 言い換えると人が出しているため、その人物の気分次第では危険な代物に早変わりするとも言えるが、その辺りは考えても仕方がない。

 信綱は異変の情報が欲しいと言い出した阿求のために、安全な人里で紅霧異変の概要を説明しているところだった。

 

「――とまあ、私が知り得る情報はこの程度です。博麗の巫女は先ほど動きましたし、早ければ今日中に解決するでしょう」

「へえ、お祖父ちゃんがそこまで言うって、霊夢さんはそんなに腕利きなの?」

 

 人里の寺子屋で勉強している時は、冷めた雰囲気を装っているくせに誰かが遊ぼうと誘うと嬉しそうな顔をして。

 そして誰かが困っていたらいつの間にか近くにいて、力になってくれる面倒見の良い少女という認識だった。

 

「スペルカードルールの範疇でなら相当です。まだ不慣れな面々が大半の幻想郷では頂点を取れるかと」

「そんなに! じゃあお祖父ちゃんより強いの!?」

「今は私の方が強いです。ですがこれから先はわかりません」

 

 自分には先がなく、彼女には存在する。可能性の有無というのは大きい。

 しかし阿求は信綱が弱気とも見れる言い方をしたことに対し、逆に頬を膨らませる。

 

「わからないなんて言わないで! 私のお祖父ちゃんは誰よりも強くて優しくて、私の大好きな家族なんだから!」

「……阿求様がそのように仰るのであれば、私は誰にも負けませんよ」

 

 微笑み、阿求と視線を合わせてその頬を撫でる。

 阿求は心地良さそうに信綱の手に自分の手を添えて、目をつむる。

 祖父と慕うこの男性と一緒にいると、楽しいと感じること以上に心が不思議と落ち着くのだ。

 それはきっと、転生して記憶の大半が失われようと消えない彼との絆なのだろう。

 

「……ん、お祖父ちゃんの手、暖かい」

「しわがれた手で良ければいくらでもお貸しします」

「お祖父ちゃんの手、私は大好き。固くてゴツゴツしてるけど、すごく優しいの」

 

 御阿礼の子にそのように評してもらえるとは光栄の極みだった。

 信綱は阿求に向ける微笑みの下に望外の喜びを隠し、今の時間を噛み締めていると――ふと茂みから音がする。

 

「――阿求様、お下がりください」

 

 意識を一瞬で切り替えた信綱が阿求を人里の側に隠し、矢面に立って音のする方に立つ。

 

「な、なに? 妖怪?」

「恐らくは。この霧で必要以上に近づいたのでしょう」

 

 出てくるなら退治する。出てこなければ放置。そう心の中で対応を決めていると、ガサガサと茂みをかき分ける音が徐々に遠のいていくのがわかった。

 

「ふむ……どうやら逃げたようです」

「妖怪が人間から逃げることってあるの?」

「元が動物から化性した場合、ままあることです。肉食獣なら別ですが、基本的に彼らは争いを好まない」

 

 だから山の中で妖怪にあったとしても、落ち着いていれば意外と襲われないものだ。慌てて逃げて背中を見せてしまうと殺される可能性がむしろ上がってしまう。

 信綱は肉食獣の妖怪だろうと素手で叩きのめせるため、あまり気にしていない情報である。

 

「ここまで来たのも偶然でしょう。とはいえ一応、自警団の見張りは増やしておいた方が良い」

「自警団の指揮はまだお祖父ちゃんがやってるの?」

「まさか。私が近辺で妖怪の気配を感じたと言って、異変の間だけ見回りを強めてもらうだけです。か弱い老人の頼みを断る自警団ではありません」

「あはは、お祖父ちゃんったら冗談が上手くなったね!」

 

 か弱い老人だと言った下りで阿求にも笑われてしまう。これでも齢七十八の老人も老人なのだが、あまり年齢に応じた扱いを受けないのが不思議でならない。

 ともあれ阿求が笑ってくれるのなら何よりである。信綱は思考を切り上げて阿求に手を差し出す。

 

「そろそろ戻りましょう。また霧に紛れて妖怪が出ないとも限りません」

「はぁい。あんまり霧に触れていても濡れちゃうものね。でも、この光景は幻想郷縁起に残さないと!」

 

 熱心に周囲の風景を模写していく阿求。彼女は妖怪の脅威を文字として残すだけでなく、絵に記すことにも積極的だった。

 本人曰く筆が走った時の内容は少しばかり現実の光景と違うこともあるが――よりわかりやすい脅威として知ってもらえるのなら良いのだろう。多分。

 

「……阿求様、この辺りに霧の魔力で苦しみ悶える人はいませんよ」

「い、いいの! これぐらい辛い異変だったって方が妖怪の畏れも得られるでしょ?」

「……八雲紫が検閲することも忘れないようお願いします。何かあった時に困ってしまうのは阿求様ですから」

「う、はぁい。少しでも多くの人に見てもらいたいのに、難しいものね」

「阿求様が頑張っておられるのは伝わっておりますよ。評価する人はするものです」

 

 人里から出ない人間にとっては無用の長物だった過去の幻想郷縁起と違い、阿求の作っているそれは現代の妖怪との付き合い方も書かれているのだ。

 あとは広める方法さえ考えれば、阿求の幻想郷縁起は過去の御阿礼の子に負けない素晴らしいものとなるだろう。

 

 余談だが、阿礼狂いである彼らにとって幻想郷縁起の優劣は一切ついていない。全てが唯一無二として認識されている。

 

「では戻りましょう。霧で冷えたでしょうから、戻ったら熱い茶を入れます」

「ありがと、お祖父ちゃん。それじゃあ戻りましょうか」

 

 そう言った時だった。信綱の表情が阿求に向ける穏やかなものから、険しいものになって人里の外に向けられたのは。

 

「お祖父ちゃん?」

「……覗き見は感心しないな、魔法使い」

 

 ほぼ警戒の必要はないと判断していたが、それでも万一を考えて阿求を庇える立ち位置に移動して、信綱は茂みに隠れている気配に声をかける。

 声をかけられた存在はじっと動かない様子だったが、信綱の視線が動かないことを知ると観念したように歩み出てくる。

 

「外で暮らすようになってから初めて知ったけどさ。爺ちゃんの勘はどうなってんだよ……霊夢よりおっかないぜ」

「勘ではない」

 

 ただ自身の五感を外界に広げるだけである。修練と慣れさえ積めばある程度は誰にでもできる。信綱が最も自信を持つ力の一つだった。

 なにせか弱い人間の肉体。妖怪の攻撃など一撃受けたらひき肉になってしまう。そうならないためにも、相手の攻撃を確実に察知する方法は必須である。

 

「あ、魔理沙さん、こんにちは」

「おう、こんにちは。阿求と爺ちゃんは何してんだ?」

「幻想郷縁起の取材です。類似の異変は前にもありましたけど、これはこれで珍しい異変ですからしっかり残さないと」

「やっぱ異変か。早いとこ霊夢をせっついて解決しに行かなきゃな」

「うん? お前も行くのか?」

 

 意外と言えば意外であり、納得できると言えば納得できる。そんな心境だった。

 元々は村娘である魔理沙は、異変について自身が解決するものではなく、誰かが解決するものとして教わってきているはずだ。

 しかし同時に霊夢と対等でありたい魔理沙にとって、異変解決は格好の手段でもある。これで彼女に先んじて異変を解決して見せれば、知名度もうなぎ登り間違いない。

 

 魔理沙は信綱の言葉に照れるように帽子の後ろに手を回し、ニッと笑う。

 

「おう! スペルカードルールでの異変解決なら私にも目はあるだろうしな。これがガチンコの勝負だったらさすがに無理だろうけど……挑むだけならタダだ。行かない理由はないね」

 

 そう言い切る魔理沙の目にはギラギラとした力への渇望が見えており、自身の力になる可能性を一縷であろうと逃しはしないと輝いていた。

 確かにスペルカードルールの施工された今、異変解決に参加しても昔ほどの危険はない。弾幕ごっこで負けてもまた挑み続ければ良いのだ。

 命がある限り、心が折れない限り、彼女らはいくらでも異変解決に挑む権利がある。

 

「では早く動くことだ。もう博麗の巫女は動いているぞ」

「うげ、マジかよ!? 霊夢のことだから腰が重いものだとばっかり思ってた!」

 

 なんであいつが素早く動いてんだ!? と慄いた様子の魔理沙から信綱はさり気なく目をそらす。

 自分が尻を叩いたとは言いづらい空気だったため、黙っておくことにする信綱だった。

 そして白々しい顔のまま、信綱は魔法の森を指差す。

 

「霊夢はこっちの方角に向かっていった。今ならまだ追いつけるかもしれん」

「よっしゃ、教えてくれてサンキューな爺ちゃん! この異変で霧雨魔理沙の名前を知らしめてやるぜ!」

「頑張ったら幻想郷縁起にも乗せますよ! 私がしっかり書いてあげますから!」

 

 日頃の行いも、と阿求が小さくつぶやいたのは魔理沙には聞こえなかったようで、彼女は上機嫌に箒にまたがってあっという間に見えなくなってしまった。

 紅霧に紛れて飛んでいく黒い影を見送り、信綱は阿求の方を見る。

 

「以前にもお伝えしましたが、あれが最近頭角を現している霧雨商店の一人娘です」

「寺子屋で何度か一緒になったことがあるから知ってるわ。でも、あんな蓮っ葉な性格だったかしら?」

 

 外に飛び出す前の魔理沙は大きな商家の娘らしく、お淑やかで礼儀正しい少女だった。

 それは信綱も知っている。そして今も本質は変わっていないこともわかっている。

 

「彼女なりの見栄です。ああやって気の強い振る舞いをすることで自身を鼓舞しているのでしょう」

「ふぅん……そんなに頑張ってまで霊夢さんの隣に並びたいのね。霊夢さんがすごいのか、魔理沙さんがすごいのか」

「どちらも、でしょう。互いにとって良い刺激だと良いのですが」

「お祖父ちゃんが言うなら大丈夫よ。……それより私としては魔理沙さんが私の家の資料を持っていくのをなんとかしてほしいんだけどね」

「ああ、あれなら私が模写したものですよ。本物は別に保管してあります」

「えっ」

 

 阿求が驚いたように信綱を見るが、信綱はなんてことのないような顔で説明を続ける。

 

「香霖堂の店主から聞いてましたからね。あれは甘えられる相手を見極めるのは得意のようなので、一応念を入れて作成しておきました」

「え、えっ? じゃあ持ってかれたのって……」

「私の手間が増えるぐらいでさほど問題はありません。……次やってきたら罠も仕掛けてありますし」

 

 魔理沙が実際にやってくるかどうかは半信半疑だったため、一度は見逃した。

 二度行うようであれば信綱も対策を取る。さすがに親友の孫娘と言えど悪事は見逃せない。

 捕まったらとりあえず河童にやったのと同じ説教をしよう、と決めてある信綱だった。

 

「ともあれ彼女と博麗の巫女が動いているのです。私たちはのんびりと待ちましょう。幸い、人里に霧は入ってこないようですし、すぐに終われば人々に不安を与えることもありません」

「ん、そうだね。じゃあ戻っておやつにでも――あ、小鈴」

 

 改めて人里に足を向けようとした時だった。一件の長屋から大きな飾り鈴で髪を結ぶ少女――阿求の友人である本居小鈴が出てきたのだ。

 

「ありがとうございました! 今後とも鈴奈庵をご贔屓にー!」

 

 爛漫な笑顔でそう言って長屋から出てきた少女を見て、信綱と阿求は合点がいったようにうなずく。

 紅い霧が出ているため、仕事にならない人々も多い。彼らが暇つぶしに本を求めて、貸本屋は嬉しい悲鳴を上げているのだろう。

 

「こんな時でも精が出るわね、小鈴」

「ふぇ? あ、阿求! とお爺様!」

「……別に自分のことは好きに呼んでくれて構わないぞ?」

 

 阿求と同年代の少女にお爺様、などとかしこまって呼ばれるのはむず痒いというか、居た堪れない気持ちが湧いてくる。

 しかし小鈴はそんな信綱の言葉を笑って拒否する。

 

「いえいえ、お父さんとお母さんが阿求のところのお爺様はすごい人だって言ってましたから! ね、阿求?」

「ちょ、ちょっと小鈴! お祖父ちゃんのことは良いでしょう!?」

 

 自分のいないところでどんな話が繰り広げられているのか気になる信綱だったが、口には出さない。阿求が隠したがっているようだし、側仕えとして踏み込まないのが吉と判断したのだ。

 信綱は阿求の後ろに下がり、彼女と小鈴のやり取りを傍観するだけになる。子供同士の会話に大人が混ざるのはおかしいし、何より自分は阿求の従者である。従者が主人より出過ぎるなどあってはならない。

 

「小鈴はどうして家にいないの? 今は異変の最中で何があるのかわからないのよ?」

「そうは言っても本を借りに来る人とか、返しに来ない人とかいるんだから仕方ないじゃない。特に今日とかはみんな家の中にいるからか、本が読みたい人が多くて大変!」

「意外なところが忙しくなるものね……。てっきり、退治屋とかその辺りだけが忙しくなると思ってたわ」

「私も今日は家の中で一日本が読めると思っていたわ……」

 

 儚い夢だった、と肩を落とす小鈴。それでも両親の手伝いをちゃんとする辺り、彼女も優しい子なのだろう。

 そんな小鈴は自分の事情を話したのだから、次はそっちも話せと言わんばかりの目で見つめてくる。優しい子だとは思うが、好奇心旺盛なのは良し悪しである。

 

「阿求たちは何してたの?」

「幻想郷縁起の取材ね。ほら、こんな異変が起きたってことはちゃんと残しておかないと」

「お爺様も一緒に?」

「そうだな。霧の影響からか普段より近くまで妖怪が来ている。君も気をつけた方が良い。自警団も最善を尽くしはするが、危ない場所には近づかないのが一番だ」

 

 特にこの小鈴という少女は好奇心旺盛な性質を持っている。今はまだしも、将来的に何かやらかすような気がしてならない。

 願わくば人里に迷惑をかけるようなことはしないで欲しいものだ。妖怪も混ざっている今の自警団は、それなり以上に目端の利く集団なのだから。

 

「はぁい。今日はお店も閉まってるし、これで私のお手伝いも終わり。戻ったら読みかけの本を読まないと」

「相変わらず本好きね」

「阿求みたいにいつか書く側にも回ってみたいけどね。ああ、でも最近は少し面白そうな本も見つけたの! 今度阿求にも見せてあげる!」

「期待はしないでおくわ」

 

 異変の最中であっても変わらない小鈴の様子に阿求は笑ってうなずく。

 信綱も阿求に同年代の友人ができることは好ましいと思っているため、口には出さなかった。

 じゃあねー! と手を振って鈴奈庵への道を走っていく小鈴を見送って、信綱は改めて阿求に手を伸ばす。

 

「良いご友人に恵まれて何よりです」

「トラブルメーカーっぽいけどね。でも製本が楽しくなるのは良いことよ」

 

 阿求は信綱の手を握って微笑み、家への道を歩いていく。

 そうして――翌日には紅い霧も消え、太陽が昇るのであった。

 

 世は全てこともなし。異変が起ころうともそれは全て解決するものであり、いつかは終わるものである。

 信綱がいなくなった後もこうして幻想郷は続いていくのだろう。

 

 

 

 

 

 ……それはそれとして、後々小鈴は信綱の懸念した通りに騒動を起こすようになるが、それはまた別の話である。

 

「爺さんは言ってたわ。悪気があろうとなかろうと、起こしてしまったことの責任は取らないといけないって」

「れ、霊夢さん……?」

「そして子供に与える罰は幻想郷生まれである以上、一つしかない、とも」

「あの、隣にいる良い笑顔の慧音先生は一体」

「先生、半日コースでお願いします」

「あいわかった。さ――たっぷり話し合おうか、小鈴」

「嫌あああぁぁぁ!?」

 

 などという風景があったとかなかったとか。




異変が起きたよ! 霊夢たちの尻を叩いたよ! 解 決 
ということで次話からは霊夢たちの武勇伝を聞きながら、おぜうがやってきてなんやかんや話し、宴会やら後日談が入ってきます。
それがしばらく続いた後、妖々夢が始まっていく感じです。

90話で終わるだろうか……100話行くかもしれんな……(震え声)

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