阿礼狂いに生まれた少年のお話   作:右に倣え

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残されたものは前を向き、幻想は始まる

 霊夢は泣かなかった。

 先代の死を信綱より告げられた時も。その身体が荼毘に付され、儚い骨と化していく時も。

 葬儀主となった信綱が先代のために集まった人間に感謝を告げて、葬儀が終わった後も。

 彼女はずっと唇を引き結んで、先代との別れに耐えていた。

 

「……爺さん」

 

 そんな霊夢がようやく口を開いたのは、葬儀が終わって信綱と二人きりになった時だ。

 

「……なんだ」

「母さんとはもう会えないのね」

「ああ」

「……私が博麗の巫女になる時が来た、のよね」

「……ああ」

 

 もう歳も十を過ぎており、あと少しすれば成人も間もなくというところまで来ている。

 先代の巫女も同じ年頃で博麗の巫女になったはずなので、博麗の巫女という役目を果たすには丁度良い年頃なのだろう。

 

「じゃあ、泣いてなんていられない。博麗の巫女になったんだから、私はしっかりしないと」

 

 だが、今の彼女は見ていられなかった。

 肩に力が入り、使命感に押し潰されそうになっているちっぽけな少女にしか見えなかった。

 

「…………」

 

 信綱の冷静に合理を考える部分は、このままの方が良いとささやく。霊夢は元々怠け癖があり、それが今は影を潜めているのだからこのままやってもらった方が人里の利益は大きいはずだ。

 

 だが、それを非効率的だと言う自分もいた。人間、向き不向きがあるのは当然のことであり、不向きなことをやらせたところで長続きはしないのだ。

 

 その点から見て、今の霊夢は彼女に向いている心構えだとは思えなかった。

 唇を固く引き結んで――涙が溢れまいと必死に我慢しているように――人形のように無表情になって、博麗の巫女たらんとしている。

 

「もう私は博麗の巫女。全てに平等でないといけない立場なの。……だから爺さんも私と関わらないで、人里で暮らしなさい」

「……お願いというのはこういうことか」

 

 霊夢は普通の少女だ。普通に笑って、普通に泣いて、普通に人の死を悲しむ。

 だから泣けば良いのだ。母親の死に涙を流すことは恥ずかしいことではなく、それは博麗の巫女であっても変わらない。

 先代は自分が死んだら霊夢が気負うこともわかっていたのだろう。その様子を信綱が気づくこともわかっていたのだろう。

 

 信綱は小さく息を吐き、膝をついて霊夢と目を合わせる。

 霊夢の真っ直ぐな、それでいて今にも泣きそうに揺れる瞳を正面から見据え、彼は言葉を紡ぐ。

 

「確かにお前は博麗の巫女だ。一人でやっていく時が来たと言うのならその通りだろう。先代はお前ぐらいの歳から博麗の巫女を始めたと聞く」

「……うん。その頃から母さんは神社で暮らしていたんでしょ」

「そうだな。お前も明日からは神社で一人暮らしだ。俺もあまりそちらには行ってやれん」

「……うん、わかってる」

 

 すがるような霊夢の瞳に罪悪感は刺激されるものの、それで阿求との時間を削るつもりもなかった。

 しかし、悲しみの感情のはけ口にぐらいはなれると思っている。

 

「――霊夢」

「え?」

「この場にいるのは博麗の巫女ではなく、博麗霊夢という母親を亡くして途方に暮れている少女一人だ」

「爺さん……」

 

 呆けたように見上げてくる霊夢の顔を見て、後ひと押しだと感じた信綱は言葉を重ねていく。本心であり、同時に自身の異質さを浮き彫りにしてしまうその言葉を。

 

「……俺は、あいつの死を悲しめない」

「爺さん?」

「俺の分も涙を流してくれないか、霊夢。でないとあいつは家族の誰にも泣いてもらえない女になってしまう」

 

 それは先代の死に相応しいものではない。自分のような気狂いと一緒にいて、それでも幸せを謳った女なのだ。彼女の良人として彼女を尊重したかった。

 だが、どうあがいても自分が阿礼狂いであることは変わらない。御阿礼の子以外の死で涙は流れず、心も揺れない。

 その事実に痛ましいものを覚える程度には思い入れもあるが、涙を流せない事実は変わらない。

 

 それらを霊夢に包み隠さず伝えると、これまで堪えていた瞳がみるみるうちに涙で溢れていく。

 

「……爺さんは、ずるい」

「なんて言ってくれても構わない。お前が俺に怒るのは当然のことで――」

「違うわよ! 私が怒ってるのはそこじゃない!!」

 

 霊夢が怒鳴って自分の胸に飛び込んできたので、少し動揺してしまう信綱。

 正直、先代の死が悲しめないことに対して罵られると思っていたのだ。霊夢が先代と共にいた時間より長く一緒にいて、その死に悲しめないなど異常ここに極まれりである。

 だというのに霊夢は違うと言った。もっと別のところに怒っていると言った。皆目見当もつかない。

 

「悲しくないって言ってるのに! そんな顔しないでよ爺さん! もっとヘラヘラしてよ!! 悲しめないことが悲しい(・・・・・・・・・・・)って顔しないでよ!! 怒れないわよ!!」

 

 霊夢は信綱の胸に顔を埋め、嗚咽混じりの怒声をあげる。

 

「爺さんは普通と違うことくらいわかってる! だったらそれらしく振る舞ってよ! 優しくしないでよ!! そんなことするから爺さんも悲しいんじゃない!!」

「……すまない」

「直すつもりもない、なら……っ! 謝るなぁ……っ!!」

 

 霊夢の小さな腕が信綱の服を掴み、涙が溢れていく。

 信綱は何も言わず、その身体を抱きしめて涙が服を濡らすままにする。

 

「母さん、母さん……っ!!」

「……お前はそれで良い。それで良いんだ。泣かないことは強さの証明にはならない」

 

 そうしてしばらく、信綱は霊夢に胸を貸し続けて先代を思うのであった。

 

 

 

「……爺さん」

「どうした」

「なんで、爺さんのことお父さんって言っちゃ駄目なの」

「……母親から聞いていないか?」

「爺さんの口から聞きたい」

 

 そう言って泣き腫らした顔を信綱に向ける霊夢。

 だが、すがるそれは感じられず、あるのは真実を信綱の口から聞きたい、という意思だった。

 信綱はほんの僅か瞑目し、言うべき内容を頭の中でまとめてゆっくりと口を開く。

 

「……お前はどこまで俺のことを知っている?」

「メチャクチャ強くて、母さんの旦那さんで、人里でも色々な人に慕われてて――恐れられてる。妖怪からも、人間からも」

「……他には?」

「母さんも、慧音先生も、爺さんと一緒に歩いていた時も、こんな単語が聞こえた」

 

 そこで霊夢は一度言葉を切り、ずっと抱きついていた信綱から距離を取る。

 そして信綱の目を正面から見て、しかし恐る恐るといった風体でその言葉をつぶやいた。

 

 

 

 ――阿礼狂い。

 

 

 

「……これ、どういう意味なの? 母さんも慧音先生も、皆爺さんのことを普通とは違う人って言う。ただ強いことを言っているんじゃない。もっと何か、根っこの部分がズレているって」

「お前はその答えを知っているはずだ。万に一つの事故を防ぐために先代から聞いているだろう」

「爺さんの口から聞きたいって言った。……諦めさせてよ。でないと爺さんに頼っちゃうから」

 

 別に頼ることは悪いことではない、と言いたかったが霊夢の顔を見ていると何も言えなかった。

 これは彼女なりの独り立ちの儀式なのだ。自分は一人であると言い聞かせ、誰かに依存することなく自立し――全てに平等である博麗の巫女たらんとしているのだ。

 

「……わかった、教えよう」

 

 その意思を克明に読み取った信綱は、ある部分を除いて彼女の意思を尊重することにした。

 先ほどの話で霊夢が自分についてどの程度知っているかは大体わかった。後は言葉を選ぶだけである。

 

「……阿礼狂いというのは俺だけを指す名称ではない。俺含めた一族全体を表す言葉になる」

「爺さんの一族……火継って名字の?」

「ああ。火継の家に生まれた子供は、誰もが例外なくその狂気に堕ちる」

「阿礼狂いってやつに?」

 

 うなずく。御阿礼の子についての知識は、慧音の寺子屋で勉強していれば問題なく知っているはずだ。そちらの説明は省いて話を続けていく。

 

「御阿礼の子そのものに対し、自分の全てであの方の力になりたい、という狂気だ。あの方の力になれるのなら親であろうと殺し、つい先刻まで笑い合っていた友ですら惨殺できる――そんな感情」

 

 特に親を殺すというのは自分も通った道である。友人だった烏天狗を殺すために、血の繋がった父親を肉壁にしたのだ。

 そしてあの時の行動に今なお、一欠片の後悔も抱いていない。異常と言わずしてなんと言うのか。

 

「……じゃあ、爺さんがお父さんって呼ばれたくないのは――」

「今の御阿礼の子である阿求様の先代、阿弥様が俺のことを父と呼んでいた」

 

 故にこの呼び名は阿弥だけのものである。御阿礼の子である阿求は望めば構わないが、霊夢がいくら望んだところでその願いは叶えられない。

 霊夢はそれを聞いて信じられない、信じたくないといった様子で唇をわななかせる。

 

「……爺さんも、そうなの? 御阿礼の子っていうのが望んだら、誰だって殺すの?」

「……ああ。あの方が望むなら、人里の住民であろうと皆殺しにする。守ろうとしていたことなど忘れて、御阿礼の子の力になれるという喜びだけを抱いて」

 

 お前も例外ではないと続けるのは酷であると判断し、言わなかった。

 しかし爺さん――霊夢の中ではとうに父親となっていた存在の狂気に満ちた言葉を受けて、霊夢は目を大きく見開く。

 自分が望んで聞いていることではある。あるが――覚悟が足りていなかったと霊夢は痛感していた。

 

 霊夢のその顔を見て信綱は微かに顔を歪ませる。自分の話した言葉に嘘はないが、そうなって欲しいわけでもないのだ。

 時が来れば迷わず実行するが、来ない限り信綱は良き隣人を演じ続けるだろうし、霊夢の教育係を放棄するつもりもなかった。

 

「俺にとって、御阿礼の子以外はどうでも良い。友人も、妻も、誰であろうと御阿礼の子が望めば簡単に捨てられるものでしかない。……だが、どうでも良いから大事にしないというわけでは決してない」

 

 霊夢に頭に手を置いて、意識して相貌を緩ませる。

 彼女のことも嫌っているわけではないのだ。時が来たら捨てるものであっても、その時が来るまで信綱は霊夢のことを見捨てるつもりはなかった。

 

「だから俺なりに先代を大事にした。お前を強くするという役目も、お前が拒絶しない限り続けていく。……家族にはなってやれんが」

「……爺さんのそういうところ、ずるいと思う」

「そうだな。阿礼狂いが人間の真似事をしているんだ。どこかしらで歪みが出るのも当然の帰結だ。お前が嫌なら近寄らないようにするが」

「そうやって相手に選ばせようとするのがずるいと思う!」

 

 ビシっと自分を指差して鼻息を荒くする霊夢に苦笑してしまう。

 自分の異常性を伝えてなお、歯に衣着せぬ態度が取れるのは一種の才能である。先代だって一時期は迷っていたのだ。

 

「俺の要望は伝えただろう。後はお前次第だ。いつかお前を殺すかもしれない男に鍛えられるのが嫌なら拒絶すればいい。俺はもうお前には近づかない」

「私が来てもいいって言ったら?」

「今まで通り、阿求様の側仕えを続けてできた時間でお前の面倒を見る。そこで手は抜かない。お前を全力で鍛え上げて、先代に負けない博麗の巫女にする」

 

 霊夢の顔が複雑なものになる。当然だ。自分の価値観を委ねる相手がいて、その人物が望んだら躊躇わず殺すと宣言しながら、これまで通り面倒も見ると言っているのだ。

 通常、何かに入れ込めば入れ込むほど、それを切り捨てるには苦痛が伴う。それは先代の死に思うところのある信綱とて例外ではないはず。

 それでも彼は自分から何かを拒絶したりはしない。疲れたりしないのだろうか、と霊夢は思ってしまう。

 

 そんな自分の思考に気づいて、霊夢は小さな自分の手で額に手を当てる。先代も似たような悩みを持ったのだろうか、と思うと少しだけ嬉しいような腹立たしいような。

 そもそもなんで子供の自分がこんな枯れかけの爺さんの対処に苦慮しなければならないのだ。

 後で爺さんに甘いものでもおごってもらおう、と心に決めて霊夢は口を開く。

 

「……こんなことを思う時点で私の負けか」

「どうした?」

「なんでもない。……私は爺さんが優しい人だって信じることにした。そりゃ、普通の人とは違うのかもしれないけど、悪い人ってわけでもないはずだから」

「……そうか。それがお前の答えか」

 

 奇しくも先代の出した答えと同じそれに、霊夢は到達していた。

 信綱はそれに気づいて、しかしそれを言うことなく霊夢の答えを受け入れる。

 

「……わかった。では俺は今後もお前を鍛えていって良いのだな?」

「手心を加えていただけると私がさらに爺さんを好きになるかも!」

「好かれたくて師匠役ができるか。先代の組手の分も俺がやるぞ」

「前言撤回! 爺さんは優しくない!!」

「俺もそう思う」

 

 なぜ友人となった人物が自分を優しいと評するのか、今でもよくわからない。面倒見が良いと言われるのはなんとなくわかるが。

 

「子供には優しくって母さんが言ってた!」

「では少し優しくしてやろう。頭を出せ」

「ん? なになに?」

 

 無防備に頭を出してくる辺り、本当に信頼はしているのだろう。稽古の時は鬼だが、それ以外では決して無駄なことをしないのが信綱という人間であるのだと。

 信綱はこちらに向けられた頭から髪を一房取り、先代から預かっていたリボンを器用に結んでやる。

 やがて頭を上げた霊夢は後頭部に結ばれたリボンの感触を不思議そうに確かめる。

 

「これはなに? 爺さんのプレゼント?」

「先代だ。お前にと用意したものになる。……俺に胸を張る必要はないが、母親には胸を張れる生き方をしろ。そうすればあいつも喜ぶだろう」

「……ん、わかった!」

 

 子供らしい満面の笑みを浮かべる霊夢に、信綱はもう大丈夫だろうと思って肩の力を抜くのであった。

 

 

 

 ――博麗霊夢という新たな博麗の巫女が、スペルカードルールにおける最強の存在として名を上げることになるのは、もうさほど遠くない未来のことである。

 

 

 

 

 

 その日は阿求の側仕えをしていた時のことだった。

 

「ふぅ……」

 

 黙々と紙面に情報を書き連ねていた阿求が顔を上げ、その小さな肩を揉むように動かす。

 後ろで控えていた信綱はその様子を見て、休憩を入れることを提言する。

 

「阿求様、一息つかれてはいかがでしょう。今はさほど忙しい時期でもありませんし、根を詰める理由はないかと」

「あ、うん。それじゃお祖父ちゃんの言う通り休憩にしようかな。お茶を淹れてくれる?」

「こちらに」

「もう淹れてあったんだ……」

「阿求様をお待たせさせるわけにはいきませんから」

 

 阿求がどう返事をするかも予測できていたのだろう。優しい緑茶の色合いと、添えられている鮮やかな色合いの練切が阿求の目を楽しませる。

 

「わ、綺麗なお菓子。どこで買ったの?」

「作りました」

「うん、お祖父ちゃんならなんとなくそう言うだろうなって思ってた」

 

 だんだんこの男の出鱈目ぶりにも慣れてきた。阿七の頃は彼が未熟で、阿弥の頃の記憶は持っているが、彼のことに対する記憶が不自然に薄れている。

 ……それでも末期の折、彼を家族であると呼び慕った記憶だけは感情すらも思い出せそうなくらい、克明に残っているのが阿求には不思議だった。転生すれば記憶の大半が失われるとはいえ、ある種の意図を感じてしまう。

 

 それはさておき、阿求は用意された白い花細工の練切を眺めて、何を題材にしているのか尋ねてみることにした。

 

「お祖父ちゃん、この花は……椿? 花びらの形に似ているけど」

「ご慧眼の通り、椿が題材です。時期としては些か外れていますが、先日雪のように白いそれを見つけたので」

「へえ、椿の花が好きなの?」

「……さあ、どうでしょう」

 

 自分でもわからないとばかりに曖昧な微笑みを見せる信綱に、阿求は可愛らしく首を傾げる。

 どんな質問をしても明確な答えが返ってくる信綱にしては歯切れが悪い。不思議に思い――阿求の中で電撃が走る。

 

「ハッ――まさか、お祖父ちゃんが昔に愛し合った妖怪とか!?」

「全く違います」

「ハッキリ否定された!」

 

 御阿礼の子の言うことは全肯定な阿礼狂いである信綱でも承服しかねる内容だったようで、珍しさすら覚える口調で断言された。

 

「そもそも私にそのような妖怪はいませんよ。浮いた話などありません」

「でもお祖父ちゃん、女の人の知り合い多いよね。女の子がキャーキャー言うような恋物語とかないの?」

「ご期待には添えられないかと」

 

 今もこれからも家内となった者は先代ただ一人であり、それだけで十分である。

 妖怪の知り合いには少女が多いが、彼女らをそういった目で見たことはない。妻ですらそういった目で見たことはないのだ。他の妖怪にそんな目が向けられるはずもない。

 

「そっか。私もお祖父ちゃんがそういうことしてる姿って思いつかないんだけどね」

「阿求様こそ懸想する相手などはおられないのですか?」

「わ、私? まだ十歳なのに早いよぉ」

「恋をしている、とまでは行かずとも良いな、と思う相手ぐらいはいるのでは?」

 

 信綱に言われて阿求も顎に手を当てて考えてみるが、どうにもピンと来ない。

 幼馴染である小鈴ともたまに恋愛ものの本を見て話すことはあるが、男の人をそういう目で見れないというか、無意識にある人と比べてしまうというか。

 

「…………」

「阿求様?」

 

 自分に恋とかそういうのが縁遠いと感じてしまう第一要因が目の前の人物にある、と直感した阿求は信綱のことをじっとりとした目で見る。

 信綱はそんな阿求の視線の意味に全く気づかず、微笑んで阿求を見るばかり。

 

「……私に恋人とかができなかったらそれはお祖父ちゃんのせいだと思う」

「ふむ? なぜでしょうか?」

 

 真顔で聞かれてしまい、阿求の方が言葉に窮してしまう。

 だが仕方ないと思うのだ。考えても見て欲しい。自分が生まれるより前から側にいて、全てを自分に捧げてくれる人がいる。

 しかもその人物は人里で英雄と呼ばれるほどの活躍をし、人里で妖怪との共存を可能にした立役者だと言う。おまけに阿求の身の回りの世話は全て彼が行ってしまうほど、文字通り何でもできる。

 無意識に比べている部分があるかもしれない、と阿求は一人納得して、練切を口に運ぶ。

 

「お祖父ちゃんは今のままが素敵ってこと! ん、練切美味しい!」

「それは良かった。ところで、先ほどは一体何をまとめていたのですか?」

 

 阿求が休憩に入ったのを見て、信綱は話題を変えることにする。いつまでも同じ話題を引っ張っても疲れてしまうだけだし、なんとなく自分に塁が及びそうな気がした。

 

「ああ、英雄伝の項目に誰を追加しようか考えていたの。お祖父ちゃんは当然として、霊夢さんとか霖之助さんとかも入れようかと思って」

 

 幻想郷縁起において知るべきは妖怪の脅威だけではない。その脅威に抗することのできる存在もまた貴重なため知るべき内容となる。

 信綱は言うまでもないとして、以前はここに先代も名を連ねていたが、今は今の時代の人里を守る英雄の名が必要だった。

 

「ふむ……香霖堂の店主は怪しいところがありますけどね」

「あはは、私もそう思う。でも魔法の森に居を構えている辺り、全く心得がないってわけでもないはずよ」

「確かに。力が皆無ということはないでしょう」

 

 天狗や鬼とは比べられないだろうが、それでも妖怪と戦える可能性がある存在は貴重である。

 火継の面々も妖怪とは戦えるが、人間対妖怪の基本は人間の集団で一体の妖怪を叩くことだ。火継の衆もその例に漏れないため、英雄の項目には入れられない。

 

「あとは霊夢さん。寺子屋でたまに一緒になったけど、博麗の巫女としてはどんな感じなんだろう?」

「――強くなりますよ、あれは。間違いなく先代を上回る博麗の巫女として大成するでしょう」

 

 断言する信綱に阿求は目をパチクリさせるものの、すぐにその情報を紙に書き込んでいく。

 信綱が霊夢の稽古相手をしていることは彼の口から聞いており、その彼がここまで褒めるのだから間違いはないという信頼に基づいたものである。

 

 他に誰がいるだろう、と考えたところで信綱がふと思い出したように手を叩く。

 

「ああ、あともう一人心当たりがあります」

「え? 人間で妖怪と戦えそうな人ってまだいた?」

「ええ。最近頭角を現しつつある者がいます」

 

 予想以上に早かった、というのが信綱の感想だった。進むべき道を定めた後の成長の早さは誰の血筋なのか。

 

「誰々? 私の知り合い?」

「寺子屋で会っていたはずですよ。――霧雨家の長女です」

 

 

 

「よっ、爺ちゃん! 今日も見回り?」

「お前は人里に買い出しか? 元気そうで何よりだ」

 

 信綱の前に現れたのは黒と白のエプロンドレスを着て、おとぎ話の魔法使いが被るようなとんがり帽子をつけた金髪の少女。

 手にはこれまたおとぎ話の魔法使いが使うような箒が握られており、見目だけで言えば魔法使いに憧れる少女そのものだ。

 いや、事実その通りなのだ。今や彼女は魔法を扱うことができる人間であり、魔法使いを目指す少女となっていた。

 

 少女――魔理沙は霧雨商店の一人娘であった頃に見せたそれより快活な笑みを浮かべ、信綱の周りを歩く。

 どうにもあの日の相談に乗って以来すっかり懐かれてしまったらしく、魔法の森に居を構えるようになった今でも人里に買い出しに来た時などは信綱の元に顔を出すことが多い。

 あるいは信綱の口から弥助に報告が行くのを期待しているのだろう。互いに合意の上とはいえ、勘当された娘が父親にちょくちょく顔を出すのは問題がある。

 

「へへっ、魔法使いの修行も結構順調なんだぜ? 香霖は色々と作ってくれるし、勉強も割りとなんとかなってる」

 

 帽子の裏側で手を組んで、箒を横に持ちながら魔理沙が近況を報告する。

 信綱はそれをうなずいて聞いて、親友の孫娘が人生を謳歌していることに満足げな笑みを浮かべた。

 

「そうか、それは良かった」

「ああ! まだまだ普通の魔法使いだけど、絶対に霊夢の隣に並ぶんだ!」

 

 最初の意気込みが失われていないようで何よりである。

 と、そこまで信綱は孫娘を託された人間としての顔で受け止め――そこからは人里の守護者である顔に変わる。

 

「時に――妖怪退治などはできるか?」

「……っ」

 

 魔理沙の顔が強張る。当然だ。彼女が急速に腕を上げていると言ってもそれは魔法使いとしての技術であり、決して妖怪退治の技術ではない。

 まして彼女はこの前まで人里の住民だったもの。妖怪を退治する者たちに庇護される側の存在だった。

 

「今後も人里と関わりを持ち続けるなら、何か人里に利益をもたらす必要がある。霖之助ならば商品を卸すといった、な。お前がもっと腕を上げたのならマジックアイテムを売るといった手もあるが……まだ難しいだろう」

「……霊夢はもう、妖怪退治とかしているのか?」

「霊夢と比べるな。他のことで競争するのは止めないが、妖怪退治でそれは命に関わる」

 

 ちなみに霊夢は信綱が見守る中で何度か妖怪退治も経験している。

 当人いわく、爺さんの方が百倍怖いとのことだった。閑話休題。

 

「わ、わかったって。そんなおっかない目で見ないでくれよ爺ちゃん。爺ちゃんに睨まれるとなんか知らないけど、身体が竦んじまうんだ」

「……そうか」

 

 彼女が子供の頃、魔法の森で妖怪に襲われかけた事件のことだろう。本人は覚えていないようだが、あの時はかなり強めに叱った覚えがある。

 とはいえ親友の孫娘に怖いと言われるのも思うところがあり、信綱は言葉少なに視線を切る。

 

「ともあれ、近いうちにお前に妖怪退治を頼むかもしれん。それを受けることで報酬を渡し、人里での取引も許可が降りる」

「できなかったら?」

「死に物狂いで腕を上げろ。お前一人を贔屓するわけにはいかない」

 

 と言っても最初からそれができる人は少なく、まして魔理沙の力量も判断がついていないため、最初は簡単なものにするつもりであった。

 それを伝えたら油断するかもしれないので言葉では脅しておく。甘やかすのは魔理沙のためにならない。

 

「……おう! 大船に乗ったつもりで任せてくれよ爺ちゃん! ミニ八卦炉もあるし何だって来い、だ!」

「ミニ八卦炉?」

「香霖が作ってくれたんだ。魔法使いになるなら持っておいた方が良いって言われて」

 

 魔理沙が懐から取り出した台座の付いた八角形のそれを眺めて、信綱は軽く顔をしかめる。

 そこに使われている金属が非常に貴重なものであることが理解できてしまったのだ。どこでこんな逸品を見つけたのか問い質しておかねば。

 

「…………」

「爺ちゃん?」

「……いや、なんでもない。なくしたりするなよ、大変珍しいものだ」

「わかってるよ。もうこれがなきゃ生活できないね! 魔法の媒介にもいいし、最高の相棒だぜ」

 

 白い歯を見せて元気よく微笑む魔理沙に、この様子ならそれなりに難しいものでも大丈夫かもしれない、などとさり気なくひどいことを考える信綱であった。

 

 ――これもまた、普通の魔法使いであるこの少女が後の紅霧異変で名を轟かせる前の一場面であった。

 

 

 

「――ということがありました。その後私が割り振った妖怪退治をこなしておりましたので、英雄伝に載せる価値はあるかと」

「お祖父ちゃんの顔の広さには驚かされるわ……。でも、それは確かに考えた方が良いわね」

 

 信綱はこの話を思い出し、阿求に魔理沙の名を英雄伝に載せることを進言した。

 阿求は腕を組んで魔理沙のことについてどう取材したものかと軽く考え込むが、すぐにやめる。

 

「……こう言ってはあれだけど昨日の今日でいきなり異変解決、なんてことはないでしょう。人里に来た時にでもお祖父ちゃんから軽く近況とか聞いておいてくれないかしら?」

「かしこまりました。ただ、これは一切の根拠がない私の勘になりますが――あれはおそらくこれからの幻想郷で伸びる人材だと思います」

「その心は?」

「彼女は優しい子です。血なまぐさい戦いには向きませんが、スペルカードルールでの戦いは向いていると思いました。……ただの勘ですけど」

 

 少なくとも自分よりは向いているはずです、と言うと阿求が一も二もなくうなずいたのが悲しい。そこまで向いていないだろうか。

 

「お祖父ちゃんがそう言うなら間違いないと思う。それなら……魔理沙さんがもう少し有名になったら改めてお話を聞きましょうか」

「それがよろしいかと。……幻想郷縁起も本格的に変わっていきますね」

 

 阿七、阿弥の内容とはガラッと違うものになりそうだ。妖怪の対処方法だけでなく、彼女らの使うスペルカードも記していくものになるのだろうか。

 完成したものを信綱が見ることはないだろう。だが、自分がいる間は精一杯彼女の力になろう。

 

「うん。これからもっと楽しくなる幻想郷を私が記すの! それはきっととても素敵なこと!」

「ええ、私も微力を尽くします」

 

 柔らかく微笑むと、阿求もまた微笑み返してくれる。

 二人は互いに微笑みながらこれからの幻想郷縁起について話し合い、時間が緩やかに流れていくのであった。

 

 

 

 

 

 それから少しして――人里は紅い霧に覆われる。

 

 

 

 

 

 後に語られる紅霧異変。解決に導くは新たな博麗の巫女。

 新しい時代の幕開けはすぐそこまで迫っていた――




次回より紅霧異変開始です。なお基本的にノッブの目線で書いてますから、異変の内容自体はあんまり触れません(身も蓋もない)

主に異変解決に向かった霊夢と魔理沙――ではなく、人里で異変についてくっちゃべるような感じになります。異変が解決したらおぜうとかも登場してくる予定です。

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