単刀直入に言って、信綱は人里で得られる情報をあまり信用していなかった。
地底の話、そして阿弥と付き添って行った縁起の作成。そして彼自身が妖怪を見て抱いた感想。
それらをまとめて、彼は人里の情報には信ぴょう性に疑問が残るという結論を出した。
もっと早く気づくべきだった。人里において対妖怪の情報を担っているのは御阿礼の子であり、慧音である。言い方が悪いことを承知で言ってしまうなら――この二人の情報だけが人里で知りうる妖怪の情報なのだ。
仮に二人が談合し、伝えるべきでないと判断した真実があって隠した場合、それを知る術は人里の人間には存在しない。
それは信綱も例外ではなかった。地底の話を知らなかったように、彼は多くの妖怪と知り合いではあるが、会ったことのない妖怪に対する情報は人里の人間と大差はない。
「……風見幽香、か」
書物で得た情報を額面通りに受け取るのなら、近づくこと自体が間違っている存在。自然の暴虐のように、人間に歯向かうという選択肢そのものが浮かばない相手。
阿七も阿弥も話に出さなかった。それはつまり、風見幽香とやらに話を聞きに行くこと自体が危険だと判断したのかもしれない。
今になって阿求が行くと言い出したのは――スペルカードルールが施工される直前である今こそ、彼女から改めて話を聞き、またこちらもスペルカードルールの存在を教えようという思惑があるのだろう。
これからの幻想郷の変化は幻想郷全体に及ぶ。危険だからと伝えずに放置して、後々問題になったら後悔してもしきれない。
「風見幽香、ですか?」
「ああ、お前ならなにか知っていると思ってな」
というわけで、信綱は安全にことを済ませるために椛の協力を仰いでいるのであった。
彼女との鍛錬を終えた後、信綱は手元にある紙に風見幽香の情報をまとめたものを椛に渡す。
「人里で知ることができる情報の全てだ。お前の方は何かあるか?」
「ううん……私も聞いたことがありません。多分、私が生まれるより前から活動している妖怪です」
「お前が名を聞いていないということはお前が生まれた後、ないしそれ以前から殆ど表立った活動はしていないということか」
そうなりますね、と椛がうなずくのを見て信綱は考察を深めていく。
長く生きた妖怪は自分の領域と定めた場所からあまり動かなくなる、と聞いたことがある。
それを体現している妖怪を見た覚えがないため信じられる情報かは怪しいが、あまり間違ってはいないのだろう。
妖怪というのは生きた年数に比例して力を増す。その増した力で暴虐の限りを尽くすような妖怪がいたら、人里が壊滅しているかその妖怪が死んでいるかの二択である。
「おそらく人間や妖怪を害することに積極的な妖怪ではないのだろう」
「はぁ。だとするとどうしてこんな危なそうに書かれているんです?」
「レミリアと同じだ。自分の領域に入られることを厭っている。俺たちはお前の領域に行かないから、お前もこちらに来るな、そんなところだろう」
例え人間を虫けら扱いできるほどの力量がある妖怪であっても、その虫けらがひっきりなしに押し寄せる状況は嫌がるはずだ。なにせ虫である。小さくても鬱陶しいことに変わりはない。
そして人間も虫のように死にたい人はいない。要するにお互い争ってもロクなことにならないので、見なかったことにしましょうということである。
「でも行くんですか?」
「少なくとも話し合いはできる、ということだ。新しいルールのことを教えずに、不用意に踏み込んだ人間が殺されたら戦いは避けられない」
「君が戦うと?」
「状況次第だが、無視はできんだろうな」
そうなったら信綱は歴史書に危険と記されるような妖怪を相手に戦わなければならなくなる。
それは面倒だし疲れるので、そんな未来にならないためにもできる手は打っておくのである。
「というわけで、太陽の畑を見て欲しい。お前なら気づかれずに見られるだろう」
「君は気づいたじゃないですか。正直自信はありませんよ?」
「天魔を相手にごまかせるなら大丈夫だ。仮に気づかれてもけしかけた責任は取ってやる」
「よし、じゃあ遠慮なく」
いざとなったら俺に任せる気だこいつ、という信綱の呆れた視線に負けず、椛はその千里を見渡す眼を持って太陽の畑を見る。
夏になりつつある今の季節、向日葵の咲き乱れる場所を探せば良いのだから楽といえば楽である。
「……あ、いた。花の世話をしていますね」
「ふむ、確か本にも四季の花が咲いている場所をうろついているとあったな」
花が好きなのだろう。どの程度の好きであるかはまた別として。
「…………ずっと花の世話だけをしています」
「太陽の畑は広いのか?」
「ちょっと一人でお世話するには無理がありそうです。一日かかりますよ」
「妖怪なら不可能ではないのだろうな」
「ないですけど……普通飽きますよ。花は育てても何も話してくれませんし、妖怪は飽きで心が死んだら終わりです」
「ふむ……」
何かタネがあると考えるべきか、はたまた花の世話だけをしていれば全てが満たされる性格なのか。
信綱も御阿礼の子の世話さえできれば他は何もいらないが、風見幽香も同じ性質を持っているのかもしれなかった。
「わかった、それだけわかれば十分だ。助かった」
「これぐらいなら良いですよ、見るだけですし。……で、今日はどんなお礼があるんですか?」
「簡単なら礼はいらないだろう」
「あー疲れた! 疲れました! あんな大妖怪を見るなんて神経すり減らします!」
「…………」
なんて図々しいやつだ、と信綱は渋面を作る。しかし椛は長年の付き合いからか全くひるまない。
「……お前は何が望みだ」
「最近人里で美味しい大福があるみたいです。奢ってください」
「臆面もなく言い切ったな……まあ、それぐらいなら構わん」
「それで大福を食べながら大将棋をしましょう。やっと君が強くなってきて嬉しいですよ」
「時間ばかりが増えていくのでな」
手がけている作業は多いが、阿弥の生きていた頃ほどではない。信綱も御阿礼の子が絡まない仕事を四六時中やっていられるほど殊勝な性格ではないので、休憩ぐらいはする。
その時、暇だったからと大将棋の手をいくつか考えていたのである。
元々時間潰し以上の意味を見出していなかった頃から、椛相手の勝率は二割あったのだ。策や打ち方を考えるようになった今では五割から六割ほどに上昇していた。
つまり、椛にとっても勝つか負けるかわからない楽しい時間が送れるということになる。
「……わかった。時間がある時にな」
「はい、楽しみにしてます。君はこれからどうします?」
「居場所の確認はした。ならば次にすべきは直接会いに行くことだ」
「阿求ちゃんと一緒に行くんじゃないですか?」
「阿求様が向かわれる場所だからこそ、俺が先に言って伝えておくべきだろう」
いきなり人の領域に足を踏み入れるのでは向こうも良い顔はしないはずだ。
取材でもあるので、予め詳細な内容を伝えておくのは人とのやり取りの鉄則である。
それを椛に教えると、椛はなんとも微妙な顔になる。
「……私にはいつも前振りなしに無茶苦茶なこと言うじゃないですか」
「それはそれ、これはこれ。お前なら良いだろう」
「いや無茶振りは良くないですからね!? もう……」
椛に盛大なため息をつかれてしまい、信綱は変なことを言っただろうかとむしろ首を傾げる。
この男は付き合いの長い相手への遠慮は本当にない。無邪気な信頼と受け取るべきか、ただ単に能力を把握しているから限界ギリギリを見極めているのか。
抗議の言葉が椛の頭に浮かぶものの、どれも口には出なかった。代わりに一つの言葉が出る。
「……これは大福だけでは足りませんね、君には色々と付き合ってもらいますよ」
「面倒な」
「そこで言い切る辺り、本当に君らしいと思ってしまう自分が居ます……」
何が悲しいのか、と信綱は肩を落としてうなだれる椛に首を傾げるのであった。
太陽の畑。名は体を表すように夏になると向日葵が咲き誇るその場所は、しかし人間たちの領域からは外れていた。
霧の湖のように年中霧がかかっているわけではない。道中が飛び抜けて危険というわけでもない。ある妖怪さえいなければ、そこは絶好の行楽地として人里に愛されたことだろう。
曰く、迷い込んだ人間を殺して肥料にしている。曰く、戯れで妖精を虐殺する嗜虐趣味。曰く、人間の決して立ち入ってはならない存在。
「……今さらだな」
慧音の記した歴史書から得られた情報を頭の中でまとめ、信綱は軽いため息でそれらを横に置く。
人間の立ち入ってはならない存在? そんなもの、自分がどれだけ相手にしてきたと思っているのだ。
日光のない夜においてほぼ無敵とも言える再生力の吸血鬼。政治の傑物である天魔。かつて地上を席巻した覇者である鬼の首魁。そして幻想郷の全てを掌握するスキマ妖怪。
およそ幻想郷で強者と呼べる妖怪はほぼ全員が顔見知りとなっているのだ。今さら妖怪の前評判ぐらいで恐れる理由はない。
迷うことなく歩を進め、信綱は太陽の畑に到着する。
「……っ」
目に痛い、と思ってしまうほどに向日葵が咲き乱れ、太陽の煌めきを受けて黄金色に輝いている。
ここに来た目的は花を見ることではないというのに、信綱の口から感嘆の息が零れる。
彼も稗田邸の庭を整える関係から花の知識は持っている。その彼をして見事の一言しか出ないものだった。
「花が好きな人間に悪い人はいない、とは花屋の娘の言葉だったか」
花が好きでもロクでもない存在はいるらしい。信綱は特に気負うこともなく太陽の畑の中に踏み込む。
なるべく花は傷つけないように歩く。わざわざこの場所で花の世話をして生活する妖怪だ。花を傷つけて良い関係が築けると思うのは傲慢だろう。
信綱にとってはすでに風見幽香がどのような妖怪なのか、ある程度推測がついていた。そのため――向こうから出向いてくることも予想ができていた。
向日葵で埋め尽くされた視界の端に赤い花弁が映る。否、それは向日葵の中から新たに現れた一輪の花だった。
草木色の髪を夏の風になびかせ、赤を基調とした幻想郷では比較的珍しい洋服をまとった少女だ。
禍々しさを覚えるべき真紅の瞳も彼女の雰囲気からだろう、薔薇の花びらのように感じてしまう。
淑やかな仕草で日傘を差し、楚々とした佇まいは花に囲まれた空間であることも働き、一枚の絵画のようにすら見える。
少女はそのまま静かな足取りで信綱の前に歩み寄ると――無造作に日傘を突き出す。
「――」
「あら」
身体を横にずらし、その傘を回避するとそこで初めて少女は信綱という人間を見つめる。
「人間はこの場所に来るなと伝えたはずなのに。彼女らは自分たちで突きつけた要求すらこなせないのかしら」
「彼女らが誰かは知らんが、それは正しく働いている。今も人里ではこの場所は危険地帯扱いだ」
「ならあなたはどうして……ああ、いえ、わかったわ」
話の途中で少女はあらぬ方向を見たと思うと、合点がいったように何度もうなずく。
率直に言ってしまうなら、彼女にしか見えない存在がいるのだろう。そしてそれができる理由にも信綱は候補が浮かんでいた。
「……花と会話ができるのか」
ずっと一人で生きられるほど、妖怪は頑健ではない。これは肉体面の問題ではなく、精神面の問題だ。
精神が摩滅しないと仮定するなら妖怪はいくらでも生きられるだろう。だが、妖怪は常に外部からの刺激がなければ生きられない。
こればかりは精神に重きを置いた妖怪の弱点とも言える箇所だ。人の畏れが必要で、その上で娯楽も必要不可欠。妖怪にとって、娯楽は食事や睡眠以上に生きるための糧なのだ。
そして目の前の少女はそれを持っていないように思えた。花と一緒にいるだけで幸せな存在であることは間違いないだろうが、相手もなしに百年単位で行えるものではない。
となれば答えは限られてくる。――その花が彼女にとっての話し相手なのだ。
「へえ、人間にしては賢しいじゃない。花も語る有名人は違うわね」
ニィ、と少女は立ち居振る舞いの淑やかさからかけ離れた嘲笑を浮かべ、信綱から背を向ける。
「有名人?」
「ええ、花が言っているわよ? 幻想郷を変えた人間、って」
「…………」
「有象無象なら惨たらしく殺して見せしめにするつもりだったけれど――興味が湧いたわ。来なさい」
有無を言わせない足取りで彼女が進んでいく。
信綱は阿求がいつ訪ねるかの手紙を渡しに来ただけなのでこの場で話をしても構わない、というか虎穴に入る必要性を感じていないのだが、この様子では言い出せない。
仕方なしに彼女の背中をついていく。その際、ふと気になったことがあったので信綱は彼女に問いかけてみる。
「殺した人間は肥料にしないのか」
「私が穢らわしいと思うものを、なんで花にあげなければならないのよ。その辺に置いておけば鳥や獣が食ってくれるわ」
「…………」
振り返らずに返ってきた言葉に尤もな話だとうなずきかけてしまう信綱だった。
「……火継信綱だ。昔の人里を知っているなら、阿礼狂いの名で呼ばれている」
「覚えてないわ。人間の顔も名前も、興味ないもの」
「そうか、でお前の名前はなんだ?」
「風見幽香。あなたの言葉次第では最後に覚える名前でしょうね」
「その言葉は返してやる。有象無象と見下す者に殺されるのも、妖怪の末路としてはありふれたものだろう」
そう言うと少女――風見幽香はくつくつと日傘越しに肩を揺らす。
そして上機嫌な足取りで再び歩き始める。信綱の言葉は彼女にとってへりくだる以上に心地良く聞こえたようだ。
(……変におもねる真似をしなくて正解だったな)
彼女に必要なのは傅く態度ではなく、対等であろうとする姿だ。
滑稽に見えているのか、はたまた喜ばれているのか、答えはわからないが、彼女が上機嫌なら言うことはない。それに――
(――鬼と同等。どんな妖怪かはわからないが、相当な年数を生きている。正面から事を構えたい相手ではない)
星熊勇儀や伊吹萃香らに勝るとも劣らない強さの持ち主。理不尽に踏み潰されるのではなく、理不尽を踏み潰す側の存在。
仮に戦った場合、結果は勇儀と戦った時と同じように無傷で勝利するか即死するかの二択になるだろう。
負けるとは思わないが、戦いたくはない。そんな評価が信綱から幽香への評価となった。
「どうぞ、お口に合えば良いけど」
紅魔館にあるようなティーカップに注がれた茶を飲むと、信綱は僅かに顔をしかめる。
「……慣れない味だ」
「ハーブティーは口に合わない?」
「飲み続ければ慣れるだろう。お構いなく」
「構うわ、あなたの嫌がる顔が見たかったんですもの」
「…………」
嗜虐趣味は本当のようだ。信綱がハーブティーを飲む様子を実に楽しそうに眺めている幽香を見て、内心でため息をつく。
「お代わりはどう?」
「一杯で結構。お前の茶を飲むために来たわけではない」
「そう、残念。で、話の前に少し良いかしら?」
「内容次第だ」
「――人間の中ではあなたが最強?」
「さて、人と比べたことがないからわからんな」
妖怪とは散々戦ってきたのでわかるが、答える義理は感じなかった。
まともに取り合われていないと感じたのか、幽香が不機嫌そうな顔になる。
「久しぶりに来た人間だから愉しみたいのに、つまらないわ」
「童女の悪戯に付き合ってやるほど暇ではないんだ」
「私が、童女?」
きょとん、と呆気に取られた顔になる幽香に、信綱は自分で感じていることを口にする。
「わざわざ俺の嫌がる顔を見ようとする。相手の出方を図るような言い回しをする。大方、考えていることはどうすれば俺の困った顔が見られるか、といったところだろう。
――嗜虐趣味ですらない。ただ、人の困った顔が見たいだけの子どもと何ら変わらん」
嗜虐的と言えば聞こえは良いかもしれないが、実態はそれに尽きる。
結局、誰か相手がいなければ成立しない嗜好であるのだ。構って欲しい子ども以上の意味が信綱には見出だせなかった。
そのことを指摘すると幽香は呆けたように口を開いていたが、やがてくつくつと笑い始める。
「ふふふ……初めてよ、私を相手にそこまで言い切ったのは。よほどの命知らずか、あるいは私を相手に勝てると勘違いしちゃったお馬鹿さんか」
「何を言っている。――お前は俺に勝てると思っているのか?」
顔に浮かんだ笑みは変わらないものの、真紅の瞳が剣呑な色を宿す。
それを受けても信綱は変わらず、ハーブティーを不味そうにすすっていた。
並の妖怪なら竦んで動けなくなるような殺意が幽香から発せられるが、それにも信綱は動じない。
「……やれやれ、人間はこれだから鬱陶しいのよ。大半は虫も同然なのに、時折無視できない輩が湧いて出る」
やがて、殺気を霧散させた幽香が砕けた雰囲気になって話し始めた。どうやら信綱は彼女にとって対等足りうる相手であると認められたようだ。
信綱は彼女の人間を知っている口ぶりを意外に思い尋ねてみる。
「人間という種族に理解があるように見えるが」
「何も知らずに人間は愚かだ、と言い張るのはそれこそ愚かでしょう。私は誰かを虐めるのは大好きだけど、陰口を叩くのは嫌いなの」
やるなら正面から堂々と、圧倒的な力で叩き潰す。
実に大妖怪らしい意見を述べられ、信綱は盛大なため息をつく。どいつもこいつも妖怪はロクデナシばっかりだ。
「だからある程度は人間との暮らしも体験してみたわ。その結果として、私はここにいる」
「花に囲まれて暮らすことを、か」
「ええ、人間より花の方が好きなんですもの」
「……やはり縁起に乗せてある内容は脅しか」
阿弥と共にレミリアを取材した時にも同じ結果になったため、幽香の情報についてもそうだろうとは思っていた。
大体、近づくこと自体が間違っているような人間に対して危険な妖怪が野放しにされていることなど、八雲紫が許容するはずない。
幻想郷で暮らしている以上、人間に対する感情が悪いものであっても妥協はしてもらう必要があるのだ。
……もう一つの可能性として紫でさえも言うことを聞かせられないほど、彼女が強いというものが存在するが――そうなったら自分が戦えば良い。
信綱の言葉に幽香は驚く様子もなく首肯する。
「ええ、ご名答。私は四季の花々が咲き乱れる場所で過ごしていたいの。その時間に人間は不要。だから来るなと言った。私もそちらに迷惑はかけない、という条件もつけてね」
「そしてそれは実現していた、と」
「あなたが来るまではね。こう見えて結構苛立っているの。穏やかに続いていた時間が外部の、しかも人間の手によって崩されたんですもの」
「そうか。では俺が対話を選ぶだけの理性があったことを幸運に思うべきだ」
「本当に口の減らない男。騒がしい男は嫌いよ」
「口の回る女だ。存外、一人に飽いていたのではないかと思ってしまうな」
「――」
薄い笑みを浮かべていた幽香の顔が無表情なそれに切り替わり、無造作に日傘が信綱の顔面めがけて振るわれる。
椅子を傾けて避けた信綱は日傘を突き付けられたまま、やや意外そうな顔で幽香を見る。
「なんだ、図星か」
「騒がしい男は嫌いだと言ったのが聞こえなかったかしら」
「箸にも棒にもかからない戯れ言なら雑音以下だろう。お前が騒がしいと言うからには、何かしら琴線に触れるものがあったとしか思えないな」
「私が、一人を寂しいと思っているですって?」
「墓穴を掘るとはこのことか。俺は飽きたのか、と聞いただけで寂しいのか、とは聞いていない」
ぐ、と幽香が微かに息を呑み、頬を赤らめる。
ある意味予想通りとも言える姿に信綱はやりやすい、と感じてほくそ笑む。
花に囲まれて暮らしていたためか、人間を相手にする悪辣さが足りていない。
だから単純な駆け引きに面白いように引っかかる。嗜虐趣味を自称するのも、彼女なりの鎧だと思えばいっそ微笑ましい。
人間のことを見てきたとは言っていたが、人間の生活に混じったわけではないのだろう。人間を観察し、それだけで結論を出してしまった。こうして言葉を交わして行う勝負もあることを理解できなかった。
存外、この妖怪は素直なのかもしれない。いや、純粋なのだろう。でなければ
「……殺すわよ」
そしてタチの悪いことに、彼女には自分にとって都合の悪い存在を排除できるだけの力が備わっていた。
これまでの人生において信綱と似たような言葉を言った者達は皆、彼女の暴力で消し飛ばしてきたのだろう。
「やめておけ。図星を突いた相手を殺して溜飲を下げるなど、名の知れた大妖怪のすることではない」
「…………」
幽香は無表情で信綱を睨みつける。だが、その視線の意味は困惑であることを信綱は見抜いていた。
対人経験が少ないならば、大妖怪らしい振る舞いも知らないはずだ。
つまり――どうしたらいいかわからないからとりあえず睨んでいるのである。
意外と弄ると楽しい相手かもしれない。見目や所作からは想像できないほど、この妖怪は何も知らない。
とはいえ、彼女も自分の調子が出ている時は良いのだ。そして力も大妖怪の一角に恥じないだけのものを持っているのだから、相手の調子に乗せられた時の対処法を求めるのは酷とも言える。
相手の調子を崩す、ということは言い換えれば自分の調子に持ち込めていない――要するに不利な状況を覆すための技術だ。大妖怪として、確かな強者として生きてきた彼女が知らないのも無理はない。
さて、と信綱は幽香への評価を内心で切り上げて話を戻すことにする。
彼女が意外なほど素直な人格だったのは収穫としておいて、今は本題に入らねば。それにこれ以上突くと暴れそうで面倒でもある。
「俺の言葉ぐらいで一々揺れるな。――さて、俺がここに尋ねてきた用件を伝えよう」
殺意にも、暴威にも全く怯えた様子を見せない信綱に幽香はため息をついて椅子に座り直す。
「……調子の掴めない男ね。で、なに?」
むしろお前に調子を掴める相手がいるのか、と思うが口には出さない。余計な茶々入れは物事をこじらせるだけである。
「近いうちに幻想郷に新しいルールが作られる。知っているか?」
「噂程度にはね。スキマのババアが教えてくれるんじゃないかしら」
「かもしれんな。人里としてはそれで問題が起きる前に、お前の人間への対処を改めて確認しておきたい」
「変わらないわよ。不用意に来るなら殺す、来ないなら私からも仕掛けない。……まあ、花に害がないようなら、来る相手を追い返す程度には済ませてあげるわ」
「それで十分だ。……あとはそれを近いうちに来る御阿礼の子に伝えてくれ。俺はその前振りみたいなものだ」
幽香の顔が露骨に嫌そうになる。今ので終わりじゃないの? と顔が語っているようだった。
残念なことに阿求は妖怪との取材にかなり積極的だ。信綱が幽香から直接聞いた情報を伝えたとしても自分の目で見ない限り、納得はしないだろう。
であれば是非もない。幽香がどんなに嫌がっても、信綱は阿求の意思が最優先である。
「まあ、うむ――また今度顔を合わせるが、その時には大妖怪としての格を見せてくれると助かる」
「……これだから人間は嫌いなのよ」
「そう言って好きなものとだけ触れ合っていた結果だ。受け入れろ」
「…………」
これ以降、幽香が人里にちょくちょく出没しては花屋に寄るようになるのだが、今回の一件とは何の関係もない話である。
……きっと。
色々悩んだ結果、ゆうかりんは花とばかり触れてきたから嘘や駆け引き上等な人間相手のやり取りに慣れていないことになりました。
自分のペース握っているときは強い(ドS)けど、受けに回ると弱いタイプです。でもクッソ強いからタチが悪いとも。
ちなみに大妖怪と書いた存在の力量差は大体団子になるように意識しております。
おぜうは夜の間ならどの相手にも互角以上だけど、日中はどの相手にもキツイ。
天狗は足が滅法速くて天魔が率いた時の集団性や統率力がハンパないけど、鬼と相性が極悪。
鬼は力こそパワー! でシンプルイズベストな強さ。天狗と相性が良い。但し基本的に横道とか策謀という言葉がないため、罠にハメるなり何なりは簡単。
ゆかりんはこれ一個あれば何でもできる! 一家に一つは欲しいスキマの能力があるため、万能性は群を抜いている。でも直接戦闘になった場合はあくまでトリッキーな技にしかならない上、彼女の意思で仕掛けられる技である以上、彼女の攻撃傾向を見抜ければ対策は不可能ではない。
ゆうかりんは魔力もぶっ飛んでいる以外は概ね鬼と同じ。他の勢力が喧嘩を売らないのも、勝ったところで得られるのが花畑だけで、代わりに受けるであろう被害がメッチャ大きくなることが目に見えているため。ぶっちゃけ襲う旨味がない。
ノッブはノッブだから。以上、終わり、解散。