阿礼狂いに生まれた少年のお話   作:右に倣え

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夫婦としての生活

 役目を終えた博麗の巫女と、幻想郷の変革を成し遂げた人里の英雄の婚姻話は瞬く間に人里に広まった。

 

 元より好い仲ではないかという噂が二十年以上前にあったが、よもや今になってその話が現実になるとは誰も思っていなかったようで、まさに青天の霹靂であった。

 とはいえ英雄であった彼の仕事量は尋常のそれではなく、巫女もまた彼女が幻想郷の調停者で在り続ける間は婚姻が許されない立場だ。あの当時は互いが想い合っていたとしても結ばれること自体が不可能だ。

 

 彼らは隠しているわけではないが、あまりひけらかしているわけでもないため、情報がとにかく少なかった。そもそも接点はいつからあったの? というほどである。

 人里で並んで歩いている様子はたまに見かけたが、あれだって人里の守護を担っている彼が仕事上の話をしていたと言われれば終わりである。邪推するには情報が足りない。

 

 このように情報が少なく、同時に話題性にも富んだ彼らの話は錯綜に錯綜を重ね、尾ひれがついたどころではない話になっていくのであった。

 

「まったく、あそこまで捻れると一周回って面白くなるわ」

「同感だ。実は俺にはすでに妖怪の恋人がいたがお前が諦めきれずにその妖怪を手にかけたとか、笑いを堪えるのが大変だった」

 

 そして渦中の二人は今現在、華燭の典をめでたく挙げて火継の離れにて自分たちの噂話を酒の肴にしているところであった。

 いかに人里の英雄と博麗の巫女であったものという話題性に富んだ組み合わせの話とはいえ、華燭の典は神聖なもの。話題性だけで踏み込んで良い領域ではない。

 また、身内もいなかった巫女に合わせて火継の側も殆どの者が参列しないという、通常の華燭の典に比べてもなお簡素なものになった。

 

 ついでに言ってしまえば二人とも若くないどころか、老い先短い老人同士だ。いかに見た目が年齢に見合わないほど若く見えたとしても、彼らの精神的に華やかなものは無理がある。

 送ってきた人生を見れば華やかな部類に入るのかもしれないが、彼らの性格はそういったものとは無縁である。巫女は食うには困らなかったが娯楽とは縁遠く、信綱は阿礼狂いであった。

 

 信綱は特に要望がなく巫女も文句はなかったので、華燭の典を行った後そのまま巫女の新たな家になる火継の家へと戻ってきた次第である。

 

「はぁぁ……これでおしまいかあ」

「お前が相手の場合、巫女の役目は誰がやるのかと思ったら意外な人選だったな……」

 

 人里の方から有志を募るという形式にいつの間にかなっており――なんと変化した紫が巫女の役を務めていた。

 人里と付き合いの薄い博麗の巫女は気づかなかったものの、人里の住人は大体把握している信綱は察してしまい、普段以上に硬い表情だったのはここだけの話である。

 

 見慣れた巫女服でも、先ほどまで纏っていた白無垢でもなく、簡素な装束に着替えた巫女が大きく伸びをして巫女としての使命によって蓄積された疲労をほぐす。

 信綱はそんな巫女の様子を無表情に見つめ、やがてゆっくりと口を開いた。

 

「使命が終わるというのはどんな気持ちだ?」

「んー……実感が湧かないっていうのが一番ね。なんか明日もまた神社で掃除する毎日が待ってそう」

「それぐらいなら良いんじゃないか? 博麗神社に金輪際関わるなと言われたわけでもないだろう」

 

 亭主関白を発揮して嫁を束縛するつもりなど毛頭なかった。

 彼女の人生は彼女のものであり、信綱が家に引き取ったのは彼女が自由に生きるための(よすが)を得るためでしかない。

 が、それを言うと巫女は何やら微妙な顔になって頭をガシガシとかく。

 

「んー……いいや、しばらくはここでのんびりする」

「それも良いだろう。俺は離れで生活しているから、好きな部屋を使え」

「は? いやいや、夫婦は同じ部屋で寝るものでしょう」

「……なぜ?」

 

 もう婚姻という形は通したのだ。あとは彼女の自由に生きれば良いと言っているのに、彼女はなぜか夫婦としての在り方にこだわりたがる。

 それが信綱には理解できなかった。彼女はもう博麗の巫女でなく、一人の人間として生きれば良いのだ。自分に付き合う必要性などどこにもない。

 信綱が首を傾げていると、本気で理解していないことを悟った巫女が立ち上がって信綱の手を引く。

 

「あ、おい」

「良いから来なさい。私だって憧れとか夢とかあるのよ」

「それは今の状況と関係しているのか?」

「してるわ、すごくね」

 

 そう言われては信綱もおとなしく引きずられるしかない。彼女の願いを叶えるための行いだ。最後まで責任を持つのが筋というものだろう。

 連れて来られたのは離れの一室。信綱が普段暮らしている部屋だ。

 女中の手ですでに寝る準備が整えられており、後は布団に入って眠るだけの用途しか備えていない場所を見て、巫女はズカズカと部屋の中に入っていく。

 

「自分でも今更だ、って思うんだけどさ。一応私の旦那になったからには聞いてほしいのよ」

「……わかった」

 

 彼女の様子から色々と察することができた信綱は、微かな自嘲のため息とともに巫女の言葉を待つ姿勢になる。

 

「巫女の役目を終えたらやってみたかったことの一つが、誰かのお嫁さんになること。普通の村娘みたいに、格好良くなくても良いから自分のことを誠実に見てくれる人と結ばれたかった。……まあ、引退する年齢とかを考えたら無茶苦茶な内容だけどね」

「…………」

 

 自分と結ばれた時点でその夢は破れているのではないか、と思ったが口には出さない。茶化して良いものと悪いものは分けているつもりだ。

 

「その夢は一応叶ったわ」

「俺が相手で、か?」

「あんたは御阿礼の子を優先するけど、ちゃんと私を見てくれる。器量も良いし、まあ及第点ね」

「…………」

 

 なんで上から物を言われねばならないのだ、と信綱は感じながらもこれまた口に出さない。この巫女なりの照れ隠しだと思えば許容できなくはない。

 何より今は彼女が珍しく私心を語っているのだ。無粋な一言で終わらせるのはもったいない。後々弄れるネタを増やすのは今後の生活においても重要である。

 

「そしてこれは言ってみたかった台詞なんだけど……」

 

 布団の上に正座をして、信綱の目から見ても綺麗な所作で三つ指をついて頭を下げる。

 

「不束者ですがよろしくお願いいたします……ってね」

 

 最後まで言い切っておけば信綱も多少は心動かされたかもしれないというのに、肝心なところで羞恥に負けたのかおどけるように舌を出す巫女に対して信綱は大きなため息をついた。

 

「……本当に物好きな女だ。そこまで夫婦に夢を抱いていたのなら、俺を選ぶ理由など尚更ないだろうに」

「ちょっと違うわね。夫婦自体に理想を持っていたわけじゃないわ。だったらさすがに尻に敷ける相手を選ぶわよ」

「それはそれで幸せの形の一つだとは思うがな」

 

 誰かに意思を委ねるのは心地良いものだ。正しさも間違いも、全て相手に委ねれば良いのだから自分は一個の機能であると位置づけることができる。

 御阿礼の子に全てを捧げていられる時間はそういった意味でも幸せだった。無論、彼女らが重荷に感じるようであれば自分たちが背負うが。

 

「私が望んでいたのは当たり前のように当たり前の時間が過ごせることよ。妖怪退治を頼まれることもなく、結界の修繕を指示されることもなく、幻想郷の調停者なんて面倒なことを考えることももちろんなく――私が私のまま、あるがままに生きたかった」

「ではさっきのあれもその一つか」

「旦那を待つ貞淑な嫁、っていうのも女の夢でしょう?」

「お前の夢だろう。全体とひとまとめにするな」

 

 言いながら、信綱はこちらを見上げる巫女に手を伸ばす。

 トン、と軽く押された巫女の身体は簡単に傾いで布団の上に倒れ込む。

 

「お前が望むなら夫婦としての役割を果たすが」

「そんな情緒のない台詞は無粋よ。あんたはどうしたいの?」

「どうでも良い――わかった、冗談だ。待て」

 

 腕の中に組み敷いた彼女の熱に浮かされた目が一瞬で底冷えしたものに変わったため、慌てて言い直す。本心を言って良い場面ではないらしい。

 

「……繰り返すが、俺はお前を愛することはない。それは俺にはわからないものだ」

「ええ、知ってるわ」

「……だが、お前に何かしてやりたいと思っているのも事実だ。お前がいてくれたことには感謝している」

「……ん」

 

 巫女の顔が直視しづらくなり、信綱も視線をそらす。この手のことに慣れていないのはお互い様である。

 いい歳にもなって何をやっているんだ、と思わなくもないが仕方がない。縁のないまま歳を重ねてしまった自分たちの責任だ。

 

 

 

「――大事にする。それが俺に言える精一杯だ」

 

 

 

「十分よ。……それと――」

 

 巫女の腕が信綱の首に回され、その耳元で何かが囁かれる。

 

「今のは?」

「名前よ、名前。もう博麗の巫女じゃないんだし、いい加減そっちで呼びなさい」

「……わかったよ。――」

 

 博麗の巫女の名前を知っている人間は、恐らく自分だけだろうな。そんなことを思いながら、信綱は彼女に求められた役割に徹することにした。

 すなわち――夫婦としてあるべき姿をとるということである。

 

 

 

 

 

 実のところ、彼女と夫婦になったといって信綱の方で何かが劇的に変わるということはなかった。

 寝起きする場所に変化もなし。一日の動きにもさほど変化はなし。一番大きく変わったことといえば彼女の名前を聞いたことくらいである。

 

 その名前にしたってもう職務をやめたからか、人里の者たちからは先代様と呼ばれることとなり、結局彼女の名前を呼ぶ者は自分ぐらいしかいなかった。

 

 巫女改め先代の方は、火継の家で生活するようになって生活が一気に変わったようで、日々その事実を噛み締めているようだった。例えば――

 

「ああ……毎日人がいるってなんて素晴らしいのかしら!」

「……何が嬉しいんだ?」

「博麗神社に住んでいた頃は大体朝から晩まで一言もしゃべらない日々ばっかりだったのよ。嫌になるわ」

「誰も来なければそうもなるか」

「術の訓練とかもずっとできるものじゃないし、やることといえばお茶を片手に空を眺めるか、境内の掃除をするか、本堂の掃除をするか。そのどれかよ」

「……まあ、同情はしよう」

 

 信綱だったら一日修行でも全く苦にならないが、彼女は戦える人間とはいえ精神は常人だ。それも難しい。

 その影響か今の彼女は信綱の話し相手をするでも、未だ強い影響を持つため人里での相談相手になるでも、あるいは火継の家での雑用をこなすことでも、何でも楽しそうにやっていた。

 つまらない顔をされるよりはマシだ、と判断して信綱も彼女の様子に口を出すことはしなかった。これが本来の彼女の姿なのだろう。

 

「あまりに暇すぎて境内の砂利を数えるとかやってた時もあったわ。あとは木目を数えたり」

「…………」

「ちょっと、ここ笑うところよ」

「笑えんわ戯け」

 

 言葉に重みがありすぎて怖い。自分でも辟易する生活を子供の頃から成熟した大人である期間を全て費やしていたとなっては、さすがの信綱も彼女に対してかける言葉が見つからなかった。

 

「それにしてもここは良いわねえ。あんた以外の連中も意外と優しいし、妖怪が来るから退屈もしないし。旦那がちょっと無愛想なのが玉に瑕だけど」

「無愛想で悪かったな。……っと」

 

 ケラケラと笑う先代に憮然とした声を返すと、ふと信綱が立ち上がる。

 視線が空の方に向いた信綱につられて先代もそちらに視線を向けるが、彼女の目には何も見えない。

 

「俺の友人の白狼天狗だ。もうすぐ来る」

「……なんでわかるの?」

「なぜわからないんだ?」

 

 質問に質問を返されてしまい、言葉に詰まってしまう。ずい分前から思っていたことだが、この男と自分では見えているものが本当に違うのではないだろうか。

 そして信綱の言葉通り、少し待っていると先代にとっては見慣れない、信綱にとっては見慣れた哨戒装束に身を包んだ白狼天狗がやってくる。

 相変わらずの人懐っこい笑みを浮かべた白狼天狗――椛は信綱の方へ寄ってきて祝いの言葉を述べていく。

 

「こんにちは。まずはご結婚おめでとうございます」

「そういうのはいらん。お互い必要に迫られてやったことだ」

「ま、喜んでもらえるのは良いでしょ。私もあんたも、別にひけらかしたくてやったわけじゃないけどね」

 

 実にサバサバとした返事をする二人に椛は微妙そうな顔になる。

 確かにこの男が結婚すると聞いた時には心臓が飛び出るほど仰天したが、蓋を開けてみれば納得できるようなできないような、とにかく表現のしづらい微妙な感情が湧いてくる。

 

 確かにこの男ならやりそうというか、御阿礼の子が絡まなければ自分の伴侶であろうと無頓着になることにうなずけてしまう。

 

「……ちなみにご結婚の話はどちらから?」

「役目が終わった後、誰かの家で過ごしたいとこいつが言っていたから俺から言い出したな」

「正直、こんな歳まで生きられるとは思ってなかったわ」

「この人たち荒んだ人生歩んでるなあ……」

 

 妖怪が跳梁跋扈する狭い世界で人妖双方の天秤を担う存在と、人間の側に立って妖怪と策謀、武力双方で戦ってきた存在だ。普通に考えれば途中で死ぬ方が自然とも言える。

 とはいえあまりにも希望を捨てすぎではないだろうか、と仄かに思う椛であった。

 

「で、今日はなんの用だ?」

「え? いえ、お祝いだけですけど……」

「暇なら稽古に付き合え」

「あ、ちょっと急用を思い出したんで帰りますね!」

 

 信綱から背を向けて逃げようとして――何かに肩を掴まれる。

 彼がまた超人的な身体能力を存分に発揮して追いついたのか、と思って振り返ると、そこには彼女の想像の外の存在が佇んでいた。

 

「まあ待ちなって白狼天狗。私はお前と人間の稽古に興味があるんだけどなあ」

 

 雄々しく立つ二本角。腰に下げる伊吹瓢。手足についた鎖。そして力強く友好的な笑みを浮かべる――伊吹萃香がどこから来たのか椛の肩を掴んでいたのだ。

 

「おい、そいつは良いがお前を家に入れることを許可した覚えはないぞ」

 

 その萃香の後ろではすでに刀を抜いた信綱が彼女の首に刃を添えていた。

 彼の後ろの先代は驚いた顔をしているため、どうやら彼は実体化する前から萃香の存在に気づいていたようだ。

 

「いいじゃんいいじゃん。この様子を見る限り、多分気づいてたんでしょ?」

「当たり前だ」

「ねえ、うちの旦那ってかなりおかしくない?」

「鬼の私を一方的に斬り刻める時点で今更だっての!」

 

 萃香は陽気にケラケラ笑いながら信綱の刀から離れ、椛の方へ歩み寄る。

 その様子に信綱は微かに握った刀に力を込め、それを見守る。椛に何かしようとしたら、反応すら許さず首を落とす気概があった。

 

「別になにもしないよ。私はどっちかって言うとお前よりそこの白狼天狗の方が好きだし」

「……名前は言いませんからね」

 

 椛は露骨に警戒した様子で萃香から距離を取る。

 彼女はしがない白狼天狗でありたいのだ。鬼の首魁から目をつけられるなど厄介事以外の何ものでもない。

 

「ああん、つれないねえ。いいじゃん、名前ぐらい」

「……用事があるのはそいつと俺だろう。俺に用件を言ったらどうだ」

「ん? いや、私を打ち倒した勇者であるそこの白狼天狗を鍛えた稽古ってのはどんなものか、興味があるだけだよ。絶対に見せたくないってんなら諦めて帰るさ」

「…………」

 

 椛から助けてください、と言わんばかりの目で見つめられてしまい、言葉に困る。

 さてどうしたものか。断ることもできるのだが、その場合満足しなかった萃香が椛を付け回すかもしれない。

 とはいえそれを言い出したらキリがない。萃香の気配を読めるのは信綱だけであり、彼も四六時中椛と一緒にいるわけにはいかないのだ。

 

「……まあ良いだろう。山でやっているような激しい内容にはしない。ここでやるぞ」

「お、そうこなくっちゃ!」

「あいつの稽古かあ……骨は拾ってあげるわ」

「誰か助けてください!?」

 

 逃げたら萃香が怖い。ここに残ったら信綱が怖い。そして先代は助けてくれそうもない。

 詰んだ、と椛は涙目になりながら渋々信綱の前に立つ。さあ、今日はどんな手管で自分の手足を切り飛ばしてくるのか――

 

「今、お前には俺がどう見える?」

「え? そりゃ普通に立っているように見えますけど……」

 

 相変わらずの袴に装束と、手足の動きが見えにくい服装のおかげで普通に佇んでいるようにしか見えなかった。

 椛の答えに信綱は鷹揚にうなずき、稽古の内容を話し始める。

 

「今回、俺はすでにお前に攻撃する方法を定めている。簡単な例を挙げるなら左足で踏み込んで右の斬撃をお前の胴に奔らせる、といったものをな。それを見抜け」

「はぁ……どうやって?」

「よく見ろ。今のお前ならできると考えている」

 

 無茶苦茶な、と悲鳴を上げそうになる椛だったが、信綱の表情に揺らぎはない。つまり彼女ならできると一片の迷いも持たずに信じているのだ。

 ……諦め癖が顔を出したが、何事もやってみなければわからない。やらなければ変わらない。痛い思いも苦しい思いもゴメンだが、彼の付けてくれた稽古が自分を鍛えてくれたのは確か。

 

「間違っていても怒らないでくださいよ……!」

「内容次第だ」

 

 にべもない信綱の言葉に唸りつつ、椛は言われた通りに信綱を見つめる。

 千里眼も用いてあらゆる方向から見て、彼の立ち姿から全てを見抜かんと凝視を続け――

 

「……右の踏み込みを引っ掛け、返す左足で地を蹴って私の後ろに回り込む。この際腕による牽制の攻撃が左から首、右から袈裟懸けを狙う。私はそれに反応してしまい、背後に回り込まれたことへの対応が遅れるまで織り込み済み。慌てて反転したところを狙って武器を持つ腕を切断、動揺したらそのまま四肢を奪う。しなければ喉を突いて身体を硬直させ、改めて無力化。……こんなところですか」

「よし、正解だ。やればできるじゃないか」

 

 自分の考えていた行動をほとんど読み切られたことに、信綱は満足そうにうなずく。

 今回は試金石として少々動きを単調にしてみたが、これならもう少し普段通りの動きでも大丈夫そうだ。

 

「……よしっ!」

 

 椛は自分の信綱を見た上での予測行動が間違っていなかったことに手応えを感じた笑みを浮かべ、拳を握った。

 普段は意識していなかったが、改めて見ると予想以上に見えてくる情報というのは多いのだと実感した。信綱はこれを平時から見ていると思うと、彼の人間離れした勘の鋭さや洞察力の深さにも納得ができるものである。

 

「なあなあ元博麗の巫女さん。あいつら気持ち悪い。いやすごいのはわかるけど」

「奇遇ね、私もそう思ったわ」

 

 なお、周りからの理解はこれっぽっちも得られなかった。

 二人が音も立てずにそっと距離を取るのを見て、信綱は心外だと言わんばかりに声を上げる。

 

「お前な。相手を観察するのは戦いの基本だろう」

「あんたと一緒にするな!? そこの気色悪い白狼天狗並には見ないわ!」

「き、気色悪いって……」

「というかあんたたちは結構長い間一緒に稽古してたんでしょ? だったら付き合いの長さでわかることとかもあるんじゃない?」

 

 ちょっと傷ついた顔をしている椛だったが、彼女を慰めることはせずに信綱は萃香の方に視線を向ける。

 

「ふむ……一理あるな。小鬼、お前もこいつに見られてみるか?」

「よし来た! 鬼が見られることにビビってられっか! どこからでもかかってこい!」

 

 二つ返事で引き受けてくれた萃香が椛の前に立つ。

 力強い笑みを浮かべ、雄々しく仁王立ちする姿は見た目以上の迫力を椛に与える。

 この威圧感だけは信綱には真似できないものだ。生まれついた頃より強者であり、また彼女自身にも強者としての誇りがなければ出せないものだ。

 

「えっと……真っ直ぐ踏み込んで右で殴る。外れたら左で殴る、それも外れたら足の鎖を振り回して動きを縛って、殴りに行く、です」

 

 そして強者であるゆえに彼女には小細工という三文字が存在しない。

 正面からいってぶち破る。避けたら当てに行く。受けたらそれごとぶっ飛ばす。実に単純明快で、実にわかりやすい強者の論理だ。

 

「おおー……天眼もかくやという見切り! いや、素晴らしい! やっぱお前さん、私のところに来ない? メッチャ可愛がるよ?」

「まだ死にたくないので遠慮します。しかしなるほど、君はこれができたから今までの相手にも勝つことができたんですね」

「お前はそうかもしれんな……」

 

 尊敬の混ざった椛の視線に信綱はため息で答える。

 椛に課している稽古の内容を、信綱はより高い精度で行うことができる。

 しかしそれで妖怪が殺せるなら苦労はない。あくまでこれは自分の命を守るための最低限の防御であり、攻撃まで保証するものではないのだ。

 

 確かに一太刀浴びせるならこれでできるだろう。人間が相手なら一撃で事足りる。だが妖怪はそうもいかない。

 椛の言っている読みを絶え間なく行うことで攻撃を読み切り、自分の安全を確保した上で自分は攻撃を浴びせ続ける。

 それをすることで信綱は今まで勝ってきた。中には信綱の予想を超えて振るった拳の風圧だけで傷を与えてくるバケモノもいたが、あれは数えないことにする。

 

「まあ良い。今の感覚は忘れるな。では次の稽古に行くぞ」

「あ、まだあるんですね……」

「当たり前だ。小鬼は下がってろ」

「へいへいっと。まあ鬼退治の英雄の家で鬼が騒ぐってのはダメか」

 

 信綱の言うことに逆らうつもりはないのか、萃香はおとなしく縁側の方に座って伊吹瓢を片手に見物の姿勢になる。

 先代の巫女は椛と信綱の稽古を気持ち悪がれば良いのか、それともすごいと思えば良いのかわからない曖昧な表情で眺めていたが――そんな彼女に信綱が手を伸ばす。

 

「お前も暇なら手伝え」

「……あんたは本当に変わってるわよね」

 

 形式上の妻である彼女のため息に信綱は首を傾げる。はて、なにかおかしなことを言っただろうか。

 

「なんでもない。旦那のワガママに付き合うのも醍醐味ってやつかしらね」

「ワガママ扱いされるのは心外なんだが」

「まあいいわ。私も身体を動かすのは嫌いじゃないし」

 

 抗議を無視された信綱が憮然とした面持ちになっていると、そんな彼の隣に先代が立って椛の方を向く。

 

「あんたはこいつと長いのよね」

「え? ええ、まあ……」

「こいつが結婚したって聞いた時、どんなことを思った?」

「物好きな人がいたなあ、って思いました」

 

 あけすけな物言いに先代も笑ってしまう。だが彼女自身も同じことを思っているので否定はできない。

 

「我ながら変わっているとは思うわ。自分でもこいつのどこが良いのかわかんないくらい」

「嫌なら去ってくれて構わんと言っているだろう」

「でも、不思議と嫌いにはなれないのよ。頭おかしいってわかってるし、その時が来たら見捨てられるってわかってるのに」

「あはは、わかります。私もそこまでわかっていても彼とは友人でありたいと思いますから」

「そ、仲良くやっていけそうでよかったわ。旦那を立てる貞淑な嫁としては旦那の付き合いも認めていかないといけないもの」

「……貞淑な嫁は旦那の言葉を無視しないと思うが」

 

 何やら先代と椛の間でわかり合えるものがあったらしい。それは良いことだが、自分がダシにされていることが納得できかねる、と信綱は不満気に腕を組んで縁側にいる萃香に話しかける。

 

「ひどい話だとは思わないか、なあ」

「好かれてるんだから良いんじゃない?」

 

 どうやら味方はいないようだ。信綱はこれ見よがしに大きなため息をついて、先代の隣に戻っていく。

 

「稽古に戻るぞ。人をダシに笑う余裕があるなら厳しくしても大丈夫そうだ」

「しまった藪蛇!?」

「ちなみにどんな稽古をする予定だったの?」

「俺とお前の二人がかりをこいつがいなす稽古」

「下っ端の白狼天狗に求めすぎでは!?」

 

 妖怪の山で見れば十把一絡げも良いところな白狼天狗が、鬼退治の英雄と博麗の巫女を同時に相手するなどどんな悪夢だ。

 椛は現実の理不尽さに涙を流したくなるが、それをしたところで信綱は手心を加えてはくれない。むしろ流せる涙があるうちは大丈夫、とか言い出して余計に稽古に力を入れそうだ。

 

 要するに、やってやるしかないのだ。椛は諦めたように自らの武器を構える。

 

「……ああもう、どうなっても知りませんからね!」

「よく言った。手加減はしないぞ」

「全力で行きますから手加減してください!!」

「かなり情けない台詞を臆面もなく言い切ったわね……」

 

 やぶれかぶれという言葉が当てはまりそうな勢いで突っ込んでくる妖怪と、それに対して手加減をしながら相手をする人間。

 なんだかチグハグな関係だが――この一時ぐらいはそれでも良いのかもしれない。きっと今だけしか目にできない光景だろうから。

 

 かつて博麗の巫女と呼ばれ、幻想郷の調停を担った彼女もまたその手に霊力を集め、相対する妖怪に振るっていくのであった。

 

 

 

 

 

「ううむ、ありゃ強くなるはずだ」

 

 当然ながら、博麗の巫女と信綱という人間最強の二人組を相手に戦えるはずもなく。

 半泣きで逃げ回る椛を眺めながら、萃香は一人酒を呷る。

 

「本人に自覚はないだろうけどね」

 

 萃香の見立てでは信綱は椛に対して、彼女自身の力がどの位置にあるかを教えていないように感じられた。

 あるいはそれすらも信綱の思惑通りなのかもしれない。身の丈に余った力は容易に所持者を食い殺す。

 

 しかし――こと白兵戦の技術において、椛はすでに目を見張るだけのものを身に着けている。

 

「一応、人間ほどじゃないけど私も動きは見えにくくしたつもりなんだけどねえ」

 

 実にあっさり見抜かれてしまったことには驚愕を覚えたものだ。

 萃香にはできない芸当だし、恐らくあの巫女にも相手の動きを口に出せと言われてあそこまでの精度は出せないだろう。

 

「……あれ、白兵戦なら結構いい線行くんじゃね?」

 

 本気の自分なら押し潰せる。天魔は技術で叩き伏せることができる。ならば他の妖怪は?

 妖力も白狼天狗相応である以上、あまりにも上位の妖怪は難しいかもしれないが――

 

「烏天狗ぐらいなら十分なんとかなるだろうな、ありゃ」

 

 一対一ではなく、相手が複数でも白兵戦の土俵ならば戦える。そんな印象を萃香は覚えるのであった。

 

 

 

 

 

 信綱が椛に稽古をつけ始めた目的は、すでに果たされていたのだ――

 

 

 

 

 

「無理! 無理ですって! もう武器ないし死んじゃう!?」

「大丈夫大丈夫なんとかなる」

「そうそう、あんた結構避けるしもうちょっとイケるって」

「誰かこの二人を止めてください!?」

 

 なお、当の白狼天狗本人はヤバい稽古相手が増えたことを泣きながら嘆いているのであった。




愛はないけど、相性は良いという不思議な関係の二人。
ノッブにとって彼女を大事にすることと愛は別の場所にあるようです。

巫女改め先代のお方は「普通」に憧れていましたが、これはこれで悪くないなと思っています。ノッブの周りは退屈だけは無縁になる仕様になっているので。

そしてなんか気持ち悪いことを始める椛とノッブ。描写は少なかったですが、椛もこれぐらいはできるという目安です。
白兵戦というカテゴリの中であれば中の上か上の下ぐらいにはなっていたり。ノッブ? ほぼトップです(真顔)

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