阿礼狂いに生まれた少年のお話   作:右に倣え

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次の時代の足音

 信綱はその日、紅魔館に呼ばれていた。

 普段ならそっちから来いと突き返すところなのだが、招待状を持ってきた美鈴が泣きながらすがりついてきたのと、鍛錬とたまにやってくる椛と大将棋を打つくらいしかやることがなかったという――ぶっちゃけてしまえば暇だったので了承した次第である。

 

 その返事を聞いたレミリアが小躍りをしたとかどうとか言っていたが、そこは興味がなかったので聞き流す。

 

 そうして呼ばれた信綱は美鈴と美しい庭の整え方について話したり、美鈴から紅茶の淹れ方を習ったりと、実に充実した時間を過ごすことができた。

 

「ねえ、家主は? 家主の私は!?」

「いたのか。部屋に戻って寝てていいぞ」

「早起きしたのに!?」

「今は昼だぞ」

「吸血鬼は夜行性なのよ!!」

「おじさまに会いに行くためとか言って、最近は昼型ですけどね」

 

 習性は生活習慣で直せるもののようだ。それはさておき、全く自分の方を構ってくれないレミリアが涙目で寄ってくるので、信綱はしかめっ面になりながらも相手をしてやる。

 

「全く……お前はどうしたいんだ」

「え……こんな日も高い時間にそんな大胆なことを聞いちゃうって冗談! 冗談だから帰ろうとしないで!?」

 

 と、このようなやり取りもあったが最終的には招待された客である信綱が折れて、本気で泣きそうになっていたレミリアの相手をしたのはここだけの話。

 

 そうして今は帰り道の魔法の森を歩いていたのだが――

 

「……ふむ」

 

 聞き慣れない足音が信綱の耳に届く。

 獣やそれに類する妖怪ではない。それにしては不用心に過ぎる。

 しかし人間はこんな場所には来ない。キノコを取るにしてももっと森の浅い場所で行う。

 

 信綱は大して気にも留めないが、魔法の森は年中瘴気の渦巻く危険な場所だ。

 常人が下手に奥まで踏み込むと瘴気にアテられて、意識が混濁したところを妖怪に食われてお陀仏である。

 それでもここに廃屋が残っているのは――昔の人間は森の瘴気をどうにかするアテがあったのだろう。失敗に終わってしまったようだが。

 

 さて、信綱にとっては危険な場所ではないにしても、ここは十二分に危険な場所であることは確か。

 人妖の共存が始まってもそれを良しとしない妖怪もいるし、共存なんて言葉が浮かばないほどに理性のない妖怪もいる。

 

 そんな中で信綱以外に人がいることがあるのだろうか。

 いたとしたら全く己のことを顧みない愚か者か、自殺志願者の類だろう。

 信綱は軽くため息をつく。せめて自殺なら自分に感知できない場所でやって欲しいものだ。

 気づいてしまった以上、無視を決め込むのは後味が悪い。万に一つ、自分のことすらよくわかっていない大馬鹿者なら慧音の下へ引きずって半日は説教をしてもらう必要がある。

 

 信綱は足音の聞こえた方角に足を向けて――大きな廃屋の前でそれが止まる。

 

「そこで何をしている」

「っ!?」

 

 廃屋の前に突っ立っている男性に声をかけると、大げさなほどに肩が震える。信綱の接近に気づいてなかったらしい。

 振り返ったその容貌は慧音のそれと近しいような銀髪を持つ、人間離れした雰囲気を持つ青年だった。

 眼鏡を掛けており、その風貌はお世辞にも戦う人間のようには見えない。

 

「繰り返すぞ。そこで何をしている」

「え、っと……あなたこそどうしてこんな場所に? ここは魔法の森と呼ばれる場所で瘴気が渦巻いていて……」

「そうだ。だから俺は警告に来た。……どうやら無用の心配だったようだが」

 

 この男が人間でないことは一目でわかる。人里の住民は大体把握している彼にとって、銀の髪を持つ男など見たことも聞いたこともなかった。

 男性は信綱の言葉を聞くとほんの少しだけ眉を下げる。どうやら申し訳ないとは思っているようだ。

 

「それは悪いことをしてしまった。僕はご覧の通り人間ではないから、この森の瘴気は大丈夫なんだ。だから僕のことは気にしないで良いよ」

「……そうも行かなくなった」

 

 流暢にこちらと話す男性を見て、信綱は確かめなければならない要素が増えたことにため息をつく。

 半ば楽隠居の身とはいえ、人里の守護を担う者。どこに所属しているともわからない上、人語を解する理性も持つ非人間と来たら素性を確認せざるを得ない。

 剣呑さを増していく信綱とは対照的に、男性の顔色には変化がない。頼りないとも穏やかとも評価できる静かな表情だ。

 

「人里は知っているな? 俺はそこの守護者の役目についている。お前のような存在を無視はできない」

「やあ、これは参った。僕は無縁塚の近くで居を構えているんだけどね、今日は下見に来たんだよ」

「下見?」

「うん。僕は将来店を持ちたくてね。だけど正直なところ騒がしいところは好きじゃない。人里に家を持たない偏屈者なのもそこが原因なんだ」

「……店を持ちたい理由と矛盾するだろう」

 

 店というのは客があって成り立つもの。だというのにこの男はその客が多いことを望まないという。どうやって生きていくつもりだろうか。

 

「あなたの推測通り僕は人間じゃない。食事も睡眠もあんまり必要としないんだ。だから趣味で店を持つくらいならどうにかなるというわけさ」

「……一応確認するが、人里に害意はないな?」

「ないよ。僕は荒事が苦手だ。むしろ人里には隠れた貢献をしていると自負しているよ」

「隠れた貢献?」

「無縁塚に捨てられる無縁仏の供養は僕がしている。と言っても、最低限天冠と襦袢を着せるくらいだけど」

「それでは貢献の意味にならない……いや、なるほど。その代わり身ぐるみを剥ぐわけだ」

「彼らの身なりを整えているんだから、等価交換と言って欲しいね。それらを人里から調達に来た人たちが見つけやすいように置いているんだ」

 

 だったらお前が持って来いよ、と思うが口には出さない。彼は人里に属さない存在である以上、人里の者たちが危険な目に遭わないようにする義理はない。

 

「……わかった。人里に害意がないならとやかくは言わない。お前がどうなろうとお前の責任だ、好きにしろ」

「いや、あなたの質問に答えたんだから僕からも色々と聞いていいかな?」

「…………」

「そんな渋い顔をしないでくれ。無茶苦茶なことを言うつもりはないんだ。ただ――人里へはどうやって行けば良いのかな?」

 

 妖怪と思しき青年の言葉を聞いて、信綱の足元の地面が爆ぜる。

 次の瞬間には青年の首に刃が突き付けられて、その皮に刃が食い込む手前で止められている。

 青年の顔色に変化はない。もしこれが見えていたとしたら驚嘆すべき胆力である。

 

「……変化はない、か」

「いや、心臓がバクバク言っているよ。正直、あなたが地面を蹴った瞬間も見えなかった」

「意外に驚かないな」

「あまりそういったことが表に出にくい性分でね」

 

 どちらにせよこの一撃が見えないなら脅威にはならない。人里を内部から支配しようとしている、と考えるにはこの青年は些か呑気に過ぎる。

 警戒し過ぎか、と信綱は刀を収めて軽く頭を下げる。

 

「……警戒し過ぎた非礼を詫びよう」

「僕の言い方も悪かったからおあいこにしよう。で、質問には答えてもらえるかな?」

「理由を言え」

「やれやれ、手強いな」

 

 さして困った様子も見せずに肩をすくめる青年。

 信綱は眉を潜めて彼の答えを待つ。どうにもやりづらくて仕方がない。

 

「さっき言った通り、僕は店をやりたい。道具を集めて、それらを持つべき人の手に渡してやりたいのさ」

「なぜ」

「道具が好きだから、かな。それに僕は不思議な能力があって――あなたの刀、天狗が鍛えたものだね」

「……道具の銘でも見抜く力か?」

「似たようなものとだけ言っておくよ。ああ、そんなに使い勝手の良いものでもないから安心して欲しい。あなたの危惧することは何も起こらない」

 

 脅威となる能力ではない。彼も人畜無害であると言っているし、疑いを向けるべきではないのだろう。

 だが、それと彼を信用することは別問題である。

 

「……その力を活かして道具屋をやりたいと?」

「ああ。蒐集家になるという手もあるんだけど、やはり道具は持つべき人の手にあるべきだ。となれば不本意ながら客商売は外せない。そして店をやるからにはちゃんとした修行が必要と来た」

「商人の修行でもしたいのか?」

「そうなるね。これでも体力は人並み以上にあると自負しているよ」

「人里に妖怪が入れると?」

「そこは気長にやるさ。別に今すぐ店をやりたいわけじゃなくて、いつかの目標だからね」

 

 人里の情勢には疎いらしい。今の人里は妖怪の来訪を拒絶するものではなく、いつも通り仲間であると受け入れるものになっている。

 ……無論、問題を起こさなければの話だが。問題を起こしたら自警団に協力する烏天狗と火継の人間が漏れなく捕まえにやってくる。

 

 しばし悩んだ末、信綱はこの男の言うことを聞くことにした。

 ここで断っても男性は次の機会を待てば良いと言うだけだろうし、だったら懐に飛び込んで彼という人物を見定めてみたかったのだ。

 

「わかった。ちょうど人手が欲しい店も知っているからお前を連れて行ってやる」

「本当かい? あなたは僕を丸っきり信じていないように感じていたけれど」

「信じてなどいない。が、お前の害意を疑うほどでもない。お前にやる気があるのなら、知り合いの店を紹介する」

「願ってもない申し出だ。でも良いのかい? 僕が人里で問題を起こしたらあなたの責任になりかねない」

「別に構わん。問題を起こしたらその時は俺の手で殺すだけだ」

「……物騒だね、本当に」

 

 素性もよくわからない非人間を里に受け入れようとしているのだ。かなり譲歩していると信綱は自負していた。

 

「来るなら来い。来ないなら二度と俺の前に姿を現すな」

「もちろん行くよ。ああ、あなたの名前を聞いても良いかな? 僕の夢の第一歩を押してくれた恩人だ」

「呪いが怖い。お前から名乗れ」

「風情がないなあ……。僕は……そうだな、じゃあ森近霖之助でどうだいって痛い!?」

「ふざけているのかキサマ」

 

 今考えたような偽名を名乗られて人の名を聞き出そうとは良い度胸である。

 信綱はすでに一発放った握りこぶしをさらに固く握り締め、目の笑っていない笑みを浮かべた。

 

「ははは俺をからかうのか良い度胸だ死にたいようだな死ね」

「待て待て待ってくれ!? 僕は色々な土地でそれぞれ別の名前を名乗っているんだ! だけどどの名前にも愛着を持っている! 今名乗ったのも幻想郷での本名だよ!」

「その理屈が通じるなら親の名付けが無意味になるわ戯け」

「……すまない、その理屈なら僕には名前がないんだ。親の顔を知らずに育った口でね」

「なぜ」

「生まれついての半妖なんだ。人間と妖怪の合いの子さ」

「…………」

 

 信綱は少しだけ静かになり、舌打ちとともに拳を下ろす。

 

「商人には向いてないぞ、お前」

「自覚はあるよ。でも道具が好きなんだ。仕方ない」

「……紹介した店から逃げようとかは考えるなよ」

「そこまで無礼じゃないつもりだよ。せっかくの好意を無下にはしない」

 

 胡散臭い、と信綱はしかめっ面のまま後ろの半妖――霖之助が歩いてくるのを確認して、人里へ戻り始めるのであった。

 

「ちなみにどんなお店か聞いてもいいかい?」

「人里でも大きな店だ。基本、なんでも揃う」

「お、いいね。僕は道具を好むから、知識も相応にあると自負している。求められれば一つ披露するけどどうかな?」

「骨董品ならともかく、日用品に薀蓄はいらないだろうよ」

「残念だ。じゃあそれは僕の店を持った時の楽しみにしよう」

「休憩所ぐらいには考えてやろう」

 

 この時の信綱は知らなかった。彼の語る薀蓄の八割が彼の勝手な推測と妄想による、長ったらしく難解なものであるということを。そしてそれを何度も聞かされる身になるということを。

 それを聞く度に信綱は彼に霧雨商店を紹介してしまった自分をほんの僅かに後悔するのだが――それはまた別の話である。

 

 

 

 

 

「――霊夢」

 

 紫は肘を机の上に置き、口を隠すように組みながら重苦しくつぶやいた。

 

「霊夢を見たのよ」

「……へえ」

 

 彼女のつぶやきを聞いていた巫女は生返事を返すと、隣で茶を飲んでいた信綱の耳元に口を寄せる。

 

「ねえ、まさか紫の奴とうとう……」

「言ってやるな。痴呆は往々にして自覚がない。下手に指摘すると激昂する可能性がある。ここは適当に合わせて藍に連れて帰ってもらって――」

「あなたたち失礼過ぎるわよ!?」

 

 話を聞かれていたようで、涙目になった紫が机をバンバン叩く。同時に頭上に開かれたスキマから金ダライが落ちてくるが、巫女は軽く避けて信綱はどんな手品を使ったのか指一本で落下の勢いを殺し切って放り投げる。

 特に怒る様子も見せずに信綱は紫の言葉に反応を示す。人が巫女と茶を飲んでいる中、いきなり押しかけてきた彼女に対する挨拶は終わったので本題に入るのだ。

 

「で、霊夢がどうした。その手の技能は巫女の専売特許じゃないのか」

 

 霊夢とは予知夢の別名であり、昔には平家物語の一節などに出てきた単語だ。信綱も側仕えとしての教養で覚えていた。

 博麗の巫女も予知夢や神降ろしの話については詳しいようで、彼女も理解の様子を示しながらも首を傾げる。

 

「え、私そんなもの見たことないんだけど」

「そこの術より殴った方が早いとか言い出す不良巫女はさておき、私も驚いたわ。スキマを操れるとはいえ、私自身がこの手の夢を見るとは思ってなかったもの」

「じゃあただの夢だろう」

「そんな曖昧なものじゃなかった。もっとハッキリと、それでいて現実味のある夢だったのよ」

「わかったわかった。で、どんな夢だったんだ」

「なんだかものすごくおざなりな対応をされている気がするわ……」

 

 対応自体は適当だが、紫がいうからには何かしらの意味があるのだろうとは思っていた。

 ただの話の種に夢の内容を持ち出すほど、彼女の頭がお花畑だとは考えていない。百鬼夜行異変の手前辺りから彼女が意外と適当な性格であることは知っていたが、さすがにそこまで低く見てはいなかった。

 

「新しい巫女の夢を見たのよ」

「……私の次、かしら」

「ええ。その子はきっと今までに類を見ない巫女になるわ。この変わりつつある幻想郷をもっと楽しく、もっと素敵に変えてくれる。そんな巫女に」

「絶賛だな。そんなに面白い巫女だったのか」

「まさに幻想の申し子って言っても過言ではないくらいにね」

 

 どんな少女なのかはわからないが、紫が楽しみにしていることは伺えた。

 これから先の幻想郷に求められるのは単純な強さではない。幻想郷の調停者以外の何かを求められる世界で生きることになる初めての巫女は、未来の幻想郷をどう変えてくれるのだろう。

 

「夢の中であの子はこう言ったわ。――楽しかったわ。また今度、遊びましょう、と。ねえ、これがどんなにすごいことかわかる!?」

「興奮するな鬱陶しい」

 

 高揚に頬を赤く染めた紫が迫ってくることに信綱は嫌そうな顔をしながら、巫女と一緒に彼女の身体を押し返す。

 紫を押し返した巫女は彼女の言葉を聞いて、何かを懐かしむように目を細めた。

 

「そっか。あんたが見た夢では人と妖怪が争わないで遊べる世界になっていたのね」

「ええ、そうよ、そうなのよ! あなたはそれがどんな偉業かわかるわからないわよねって痛い!!」

「誰がそこまで尽力したと思っているんだ殴るぞキサマ」

「その手の早さは筋金入りね……」

 

 何やら興奮している紫を殴って鎮め、信綱は大きなため息を吐く。せっかく神社で巫女とのんびりしていたというのに、彼女の来訪のせいで台無しである。

 さておき、信綱とて人妖の共存に力を尽くした一人。紫の語る内容の意義がわからないほどこの事業に価値を見出していないわけではない。

 

「その頃にはお前が考えているルールも施行されているのだろうな」

「でしょうね。それにもうすぐあなたの役目も終わるわ」

「……夢で見たからとかそんなこと言わないでよ?」

「あながち間違いでもないわね。私が見た予知夢ではもうすぐあの子を拾うとあった。あの子が来たらあなたの役目はおしまい。成長するまでの間ぐらいは藍と私でどうにかするわ」

 

 紫の目が優しげに細められ、博麗の巫女の肩にそっと置かれた。

 

 

 

「過酷な使命に負けることなく務め上げてくれて、本当にお疲れ様でした。あなたがいなければ今の幻想郷はきっとなかったでしょう」

 

 

 

「……どうってことなかったわよ。こいつのお陰でね」

 

 巫女はぐ、と何かを堪えるように息を呑むと隣で茶をすする信綱へ、強引に肩を組んできた。

 信綱は露骨に迷惑そうな顔をしたが、彼女の目尻に光るものが浮かんでいることに気づくと、喉元まで来ていた抗議の言葉を諦観のため息に変えた。

 

「ふふ、私は良い人間に恵まれたわ。博麗の巫女もそうだけど、あなたみたいな人が人里から出てきたのが一番嬉しい誤算ね」

「俺に言うな」

「じゃああなたがご執心の白狼天狗にでも言えば良いのかしら?」

「……ふん」

 

 椛のことを引き合いに出され、信綱は機嫌を損ねたように鼻を鳴らす。

 どうにも彼にとっての弱点はあの白狼天狗らしい。彼女に累が及ぶのは彼にとって避けたいことのようだ。

 本人にも自覚はあるのだろう。でなければあんな念入りに隠したりはしない。

 

 御阿礼の子を引き合いに出すよりよほど操りやすいと言えた。御阿礼の子を引き合いに出すと、一部では紫すら凌駕しかねない能力を全て活用して信綱は相手を殺しにかかるはずだ。

 

「ともあれ、二人ともお疲れ様。もうすぐ新しいルールも決まるし、二人はこれからの幻想郷を眺めていてもいいのよ」

「別に幻想郷に興味はない。俺は御阿礼の子に仕えるだけだ」

「ま、私はのんびりさせてもらおうかしら。アテもあるし、好きなだけ食っちゃ寝させてもらうわ」

「穀潰しに食わせるメシはないぞ」

「巫女として一生分働いたわよ!?」

「俺より働いてから言え」

「それを言ったら誰も一生休めないと思うのだけど……」

 

 阿弥のいた時代は本当に忙しかったと紫も認識している。

 それに彼は今でも忙しない、というほどではないが仕事はしていると聞いている。本当にいつになったら休むのか紫の方が知りたいくらいである。

 それにしても、と紫は前々から気になっていたことを尋ねることにした。当たり前のようにいるので気にしていなかったが――

 

「ところで、なんであなたが博麗神社にいるのかしら? あなたと博麗の巫女、接点は吸血鬼異変ぐらいよね?」

「そこから接点を持ち続けるかは当人たちの気持ち次第だろう」

「こいつ、見合い話が嫌で逃げてたのよ。逃げ場所がここだったってわけ」

「……っ!!」

 

 巫女の説明を聞いた紫の首がぐりん、と音が聞こえる勢いで信綱から背けられ、口元に手を当てて必死に身体の震えを堪えていた。

 信綱は憮然とした顔で黙りこくる。巫女の言っていることが事実なので、下手に口を開いても言い訳にしかならない。

 

「っぷ、くくく、あははははっ! まさかあなたがそんなしょうもないことで逃げていただなんて、お腹がよじれそうって本当にねじろうとするのはやめて!?」

 

 笑いを堪え切れなかったのか机をバンバン叩いて笑い始めた紫を、彼女の言葉通り腹をねじり切ってやろうと近づいたところ彼女は慌てて笑いを引っ込めた。

 

「……昔の話だ。あの時は色々とやることが多かったのでな。誰かを娶ったところで構ってやる余裕がなかった」

「あら、意外なお言葉。あなたのところは子供を産んだらお役御免みたいなものだと思っていたのだけれど」

「男児が産まれたら阿礼狂いになる。狂人を産むための母体にさせておいて、役目が済んだら放逐など鬼畜の所業だろう」

 

 自分たちは狂人の集まりではあるが、犬畜生の集まりでは断じてない。いざとなったら全てを踏みにじる者にだって、可能な限り通すべき筋ぐらいは存在する。

 愛することだけはできないが、それ以外の要望には応える。食うに困らぬ資産を与え、火継の家に住まわせて最低限の仕事だけで済むよう配慮もする。

 子供を産んだ後の人生も好きにさせている。家を出たければ出れば良いし、そうでなければ情こそないものの夫婦として生きるのも良い。

 

 と、そこで信綱は軽いため息をつく。今の考え方は信綱の考え方であって、他の阿礼狂いが同じ考えだとは限らないことを思い出したのだ。

 そもそも、人里での評価を聞く限り自分は阿礼狂いとしてかなり優しい方のようだ。他者との軋轢を作ってでも御阿礼の子に全てを捧げる者も多く、信綱にとっては片手間でしかない優しさが片手間でない者も多くいるらしい。

 

「……少なくとも俺は無碍にしたくはなかった。それ以外にも幻想郷のことや阿弥様のこともあった。結局のところ、時節の問題だったのだろう」

「ま、あんたは人里での立場とかもあったけどね」

「俺が乗り気でなかったことも含め、総じて間が悪かったとしか言い様がない」

 

 別に後悔するようなことでもない。勘助と伽耶という親友同士の夫婦を見ていたので彼らの尊さは理解しているつもりだが、同時にあの輝きが自分のような狂人に似つかわしくないことも把握している。

 真っ当な人間を自分に付き合わせることはない。付き合うとしたら、それは互いに変人同士ぐらいが良い塩梅なのだ。

 

「あら、独り身ならちょうど良いじゃない。橙の相手にぜひ――いだだだだ! 頭が割れる!?」

「なぜお前は事あるごとに橙を勧めてくる。せめて藍にしろ」

 

 どこまで自分は童女趣味だと思われれば良いのだろうか、と信綱は紫の頭をゲンコツで挟んでグリグリと動かしながらため息をつく。

 女性の好みは、と問われて即答できるほど考えているわけではないが、少なくとも橙や萃香のような童女に見える存在に欲情する性格ではない、と声を大にして言いたかった。

 

「うう、痛い……」

「言葉には気をつけろ。大体、あいつと俺が夫婦になるなどゾッとする」

 

 というより、橙が夫婦の概念を知っているかすら疑問である。例え知っていたとしても、子分と親分の関係とか何か間違えて覚えてそうで怖い。

 橙のことを嫌っているわけではないが、そういった意味での好きでもなかった。むしろあれにそういった意味での好意を持つ大人がいたらそれはそれで恐ろしい。

 

「ちょっと」

 

 紫と信綱が結婚についての話をしていたところ、二人を横目に茶を飲んでいた巫女がふと口を開いた。

 

「あら、どうしたの? あ、あなたが巫女を引退した後の話? それなら私が口利きして適当な場所を――」

「そいつ、私が貰う予定だから」

「……は?」

 

 巫女の口から出てきた言葉をまともに処理しきれず、紫はあんぐりと口を開けて呆けた表情になる。

 信綱は巫女が自分からそのようなことを言うことにやや意外そうな顔をしたが、特に何かを言うことなく肩をすくめるに留めた。

 

「老い先短い女の人生の一部をもらうだけだ。大したことではない」

「律儀に付き合ってくれる老い先短い男には感謝してるわ」

「いやいやいや!? え、なに? あなたたちそういう関係だったの?」

 

 巫女と信綱は同時に首を横に振る。信綱は阿礼狂いであるから当然として、巫女の方も狂人である彼を愛しているなどとは口が裂けても言えない。

 

 だが、それで一緒になれないかと言われれば否である。信綱は彼女を愛さないとしても、彼女の境遇に憐れみを覚えたのは事実だし、自分にできることであればしてやろうとも思った。

 その一つが彼女の引退後は自分が引き取るということだ。そのためには婚姻という過程を経る必要があって、巫女もそれを了承している。

 

 二人からしてみればそれだけの話。しかし説明を受けた紫にとっては自分の見知った人間同士の婚姻。驚かない理由の方が少なかった。

 話を聞いた紫は驚きと呆れの合いの子のような曖昧な表情になり、やがて顔に手を当てて大きなため息をついた。

 

「はぁ……もう良いですわ。当人同士で完結しているのでは、私が何を言っても蛇足にしかならないもの」

「そう膨れるな。正直、実現するとは思ってなかった口約束だ」

「あ、それは私も思うわ。途中でどっちか死ぬと思ってたし」

「物騒かつ卑屈な未来予測はやめましょう!?」

「俺たちの時代に妖怪が起こした異変を数えてみろ」

「すいませんでした!!」

 

 紫が起こしたわけでもないのに謝ってしまう。彼女も信綱の動向を見守る立場を選んだため、巻き込まれた人間の代表である二人にこのことを突かれると強くは出られなかった。

 これが政治の場なら適当にはぐらかすのだろう、と考えて信綱の口が小さな笑みを作る。彼女も立場としての気を使わない部分では、意外なほど普通の少女にしか見えなかった。

 ……無論、妖怪の賢者であることも忘れてはいけないのだが。気を抜くことと油断することは別である。

 

 紫は信綱の視線に目ざとく気づくと、自分の姿を省みたのか咳払いをして真面目な顔を取り繕った。

 

「こほん。……とにかく、二人ともお疲れ様。後のことは任せて、好きに生きなさいな。夫婦になるでもなんでもするが良いわ。あなたたちの尽力、私は一生忘れないから」

 

 別に覚えてもらいたくてやったわけではない。だが、覚えてもらえることはありがたいことである。

 

 信綱と巫女は顔を見合わせ、そして紫の言葉にまんざらでもないように肩をすくめ合うのであった。

 

 

 

 

 

 紫の語った言葉の通り霊夢と名付けられた少女が、幻想郷にやってくるまであと少し――




香霖と霊夢(まだ生まれてすらいない)のお話。香霖は不思議と動かしやすい。

そして巫女は今度こそ正式に役目を解かれました。その辺りのお話はまた今度。



私事になりますが、とりあえず書けたら投稿するスタイルですので、投稿日数が変動することもありますがご容赦ください。遅くなる時はさすがに一言いれます。

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