阿礼狂いに生まれた少年のお話   作:右に倣え

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少々遅くなりました。スマヌ、スマヌ、卒論が忙しいんや……!


阿礼狂いと人と妖怪と

 幻想郷の人里において、成人は十五からとされる。この歳になれば酒を呑むことも出来るようになり、また大人たちの会合にも出られるようになる。

 とはいっても、親の仕事の跡目と目されているような子であれば、成人前からそういった場所に出入りすることも珍しくはないため、実際のところそこまで大きな節目というわけではない。

 

 しかし、この歳を迎えることによって男衆はある役をこなすことが義務付けられる。

 

「…………」

「よ、ようノブ! 一緒に見回り行かねえ?」

 

 自警団である。

 外からやってくるかもしれない妖怪への見張り。人里内部において起きるかもしれない犯罪への抑止力。そして自身が大人になったことを人里の人間に知らしめる。

 様々な要素が絡んでいるが、とにもかくにも男衆は成人を迎えると自警団にある程度の期間、所属するのが決まりとなっていた。それは御阿礼の子のために生きる火継の一族であっても例外ではない。

 

 だが、十五を迎えて自警団の屯所に向かった信綱を待っていたのは、自分とほぼ同年代の連中と、長年勤めて熟達しているであろう先輩らの腫れ物を触るような目だった。

 子供の頃は気にならないかもしれないが、大人になれば嫌でも目につくのだ。

 

 御阿礼の子のために生まれ、御阿礼の子のために死ぬ。

 

 全てにおいて御阿礼の子を優先する歪極まりない一族であり、同時にその卓越した身体能力と御阿礼の子が命じれば喜んで命を捨てる精神性から、人里の最大戦力でもある彼らは自警団や妖怪退治屋の者たちにとって、非常に複雑な立ち位置にあった。

 

 なお当の本人らにはそんなことどうでも良かった。重要なのは御阿礼の子の力になることただ一つであり、それ以外の全てが些事である。

 信綱も例外ではなく、屯所にいる時間を放り出して阿七と共にいたいと心底思っているのだが、元より護衛の役目で自警団での仕事を減らしているのだ。そのたまにある仕事ぐらいは真面目にこなさなければならない。

 

「……そうだな。行くか」

 

 そして御阿礼の子が絡まない限り、自分と友人であろうとしてくれる勘助を大切にしたいという気持ちもまた、信綱は持ち合わせていた。

 

「だけど良いのか、俺に合わせて? 俺の見回り範囲は里の外だぞ」

 

 強い者が危険な場所を見る。当然の理屈ではあるが、同時に微かなやっかみも含まれていることがわからないほど、信綱は鈍くなかった。

 

「いいっていいって。妖怪なんて出やしないさ」

 

 簡素な槍を持った勘助とともに、先輩方に形式上の挨拶だけをして外に出る。

 信綱としても煩わしい時間であったので、外に出たのは気分転換に良かった。

 

「んーっ、やっぱ外に出ると気分いいな。これで妖怪さえいなけりゃ、伽耶も連れて遊びに行けるんだけど」

「そりゃ無理だ。人里に来ないとはいえ、妖怪自体はあちこちにいる。……ほら、あそこにも」

 

 信綱が木陰を指差すと、慌てたような足音がガサガサと茂みの奥に消えていくのがわかる。

 姿を見ないだけで、妖怪自体はやはりそこかしこに存在するのだ。

 

「だな。お前がいるからって油断はできないか」

「強い妖怪になると油断どころじゃないけどな。昔から妖怪を相手にする時は複数で囲んで叩くのが一番って相場が決まっている」

 

 そんな数の多寡を気にしないのが本当に強い妖怪でもあるのだが、そんな妖怪が人里に敵意を向けていたらとうに人里は滅んでいる。

 これにはきっとスキマ妖怪や博麗の巫女の尽力もあるのだろう。

 しかし人間の側からしてみれば、人に害を成す妖怪となんで共存しなければならないんだという話でもある。

 

 憎悪しあう、とまでは行かない。信綱の親世代から上はどうか知らないが、自分たちにとって妖怪とは遠くの世界の住人であった。

 存在はしている。だがそれは自分の住む世界とは関わりのない場所にいるのであって、自分たちとは何の関わりもない。その程度の認識しかなかった。

 

「まあ、何事も平穏なのが一番だ。山あり谷ありなんてのは、別の誰かがやってくれるって」

「……そうだな」

 

 その山あり谷ありの渦中に自分がいるかもしれない、とは言えなかった。

 少なくとも天狗に武術の教えを受けている時点で、平凡とはかけ離れた人生を送っているだろう。

 

「……で、さ」

 

 そんな時だった。自分の隣を歩く勘助がおずおずと、躊躇うように口を開く。

 大らかで活発。元気の塊と表現するのがピッタリなこの男にしては珍しい態度だった。

 

「どうした」

「……父ちゃんや母ちゃんが話してんだ。お前の家は色々と……その……」

「気が触れている。集団との協調性がない。気狂い揃いの家。そんな連中と付き合うのはやめろ。そんなところだろう」

「わかってんのかよ……」

「自分たちの里での評判ぐらい、嫌でも理解する」

 

 それ自体は今までも言われ続けていたであろう。むしろようやく来たか、という気持ちですらあった。

 阿礼狂いと呼ばれる火継の人間にとっては避けて通れない道だ。無理に嫌われるつもりはないが、優先順位を変えるつもりもなかった。

 

「いい加減、俺の家がどういう家かはわかっているだろう。――俺も同類だ」

「……っ」

 

 聞きたくなかったことを聞いてしまったように、勘助は表情を苦痛に歪ませる。

 信綱は対照的に静かな表情のままだった。

 まるでこの状況自体、平時と何も変わらないとでも言うように淡々としている。

 

「六歳の頃からか。寺子屋に顔を出す頻度が下がっただろう。あの時から俺は阿七様に仕えていた」

「丁稚とか、小間使いじゃないよ……な。お前んところ、裕福だし」

「色々と騒がしいから広いだけだ。道場と部屋以外は何もない」

 

 比喩ではなく事実だった。あの家に住んでいるのは女は世話係の女中と次代の跡目を産むことを義務付けられた者。男は皆例外なく阿礼狂いであり、御阿礼の子の隣に立つために心血を注ぐ連中しかいない。

 残りの男衆は暇さえあれば御阿礼の子に見合う己になるべく、鍛錬漬けの時間を過ごしている者ばかり。私生活とか何それ? というほどである。

 

 誤解を招かないよう説明しておくなら、子を産む者に対して火継の家は手厚く保護している。

 自分たちが狂っている自覚など皆持っているのだ。それ故、そうでないにも関わらず自分たちの道に付き合わせてしまう者に対しては、相応の便宜を図る。

 

「……まあ、誤解されても困るからハッキリ言っておこうか」

「……やめろよ。お前のこと、どう見ればいいかわかんなくなるだろ」

 

 勘助の声は震えていた。だが、信綱は止まらず言葉を続ける。

 

「もしも二者択一などの選択が迫られたら、俺は迷わず阿七様を取る。もう片方の天秤に何が乗っていても。父上だろうと、伽耶だろうと、慧音先生だろうと、自分だろうと――お前だろうと」

「やめろよ!!」

 

 泣き声のような怒鳴り声だった。言いたいことは言ったのか信綱は黙り、荒い息を吐く勘助を見つめていた。

 

「やめろ、やめろよ、やめてくれ、やめてくれ……!」

「……俺はそういう人間だ。狂っているのは間違いないし、おぞましいと思うのは正しい感性だ。勘助、お前が責められることは何一つとしてない」

「あ……」

「……先輩方には俺から言っておくから、お前はもう帰れ。離れていっても俺は何も言わん。それが普通の選択だ」

 

 人里外周を一回りする程度の短い時間だったが、勘助は憔悴しきっていた。

 一人で帰りたいところだと勘助の心情を慮るものの、万一があってもいけないため、無言で勘助を安全な場所まで送り届ける。

 

 小さくなっていく背中を見送りながら、勘助が離れていくことを多少残念には思うが、仕方がないことだとも信綱は考えていた。

 元より自分は阿礼狂いで、彼は正常な人間。相容れるはずもなかったのだ。

 幼少の頃に何かの手違いで交わっていた道が離れた。それだけの話。

 

 信綱はそう結論づけて背を向ける。

 

 ――信綱はこの対応を終生、勘助にからかわれることになるのだが、今の彼には知る由もなかった。

 

 

 

 

 

 信綱にとって、山の中はひょっとすると自分の家以上に思い入れのある場所となっていた。

 阿七に届ける滋味のあるものを採るために入ることもあれば、どんな思惑があるのかは不明だがこちらを鍛えようとする天狗と会うこともある。

 特に後者の場合は稽古とは名ばかりで、ほぼ本気で殺し合うような殺陣を繰り広げることになっているのだが、今も死んでおらず強くなっているのだから問題はない。

 

 事実、今もこのように山を歩いていると――ほら。

 

「シャッ!!」

 

 木々の隙間を縫うように飛ぶ椛が、信綱の死角を完璧についた奇襲を仕掛けてくる。

 人間と妖怪の差など考えない。一太刀に滅殺の意志を込めて、椛の握る大太刀が周囲の木もろともに信綱の立つ空間を薙ぎ払う。

 

 しかし、信綱にその刃は届かない。武器を振りかぶる瞬間までは確かにその場にいたというのに、振り抜いた時にはすでに消えている。

 どこにいった、と椛が千里眼で周囲を見る。千里眼を使えば見つけられぬ者などいない――

 

「終わりだ」

 

 首元に冷たい鉄が押し付けられ、そこで椛の抵抗は呆気なく終わりを迎えることになった。

 何か策はないかと知慧を巡らせるが、抵抗の余地ありと判断した信綱が容赦なく刀を押し付け、首に傷をつける。

 あとほんの少しでも力を込めれば動脈が切れ、椛は地獄の苦しみを味わうことになるだろう。妖怪だから死にはしないが、痛くて苦しいのは嫌なのだ。

 諦めて武器を捨て、両手を軽く上げる。

 

「参った。参りました。死角から突いて不意打ちしているのに、どうしてこんなあっさり負けるんですか……」

「千里眼に頼りすぎだ。速く動けば捕捉するのに僅かに時間がかかる。それに千里眼も戦闘と同時に使用は難しいのか、動きが止まる。――そら、三回は首を落とせる」

「それ、実行できる人間はほとんどいませんよ……」

 

 信綱の可愛げのない言葉にげんなりしつつ、椛は信綱から身体を離す。

 出会った頃は少年だったこの男も、ずいぶんとたくましくなったものだと僅かに感慨深い。

 数年程度、妖怪からしてみれば瞬きの時間に過ぎないが、その短い時間で人は見違えるように強くなる。

 あの頃より片鱗は見せていたが、肉体も出来上がるこの時期より、信綱の天稟は本格的に開花し始めていた。

 それこそ、白狼天狗である椛に不意を突かれても、たやすく返り討ちに出来る程度には。

 

「で、椿はどうした? お前じゃもう相手にならんぞ。次は目隠しでもするか?」

「すっごい失礼ですよねあなた! うぐぐ、人間に手加減されるとか屈辱通り越して死にたい……」

「骨は拾わんぞ。で、椿は?」

「もうすぐ来ますよ。烏天狗さまは私みたいな下っ端よりもお忙しいんです」

「お前と同じ哨戒をしていたと記憶しているが」

「どうにもあの人は私の友人みたいですからね。それに付き合ってもらってるんです。冬の哨戒なんて誰もやりたがらないでしょう?」

 

 椛と気安く話しながらも、信綱は周囲の警戒を怠らない。

 今さら白狼天狗一匹程度ならば苦もなく撃退できるため、彼女への警戒は最低限にしておく。

 というより、椛の怖いところは戦闘能力にはない。無力化が出来ても厄介な存在とは確かにいるのだ。

 

「ふむ。妖怪のもうすぐは信用ならんが……まあいい。することもないんだ。しばし待とう」

「あ、では将棋しません将棋?」

 

 手近な木にもたれかかると、椛は楽しそうな顔でこちらに寄ってくる。

 ちなみにここで言う将棋とは大将棋を指す。しかも妖怪の演算能力に物を言わせた目隠し将棋だ。

 なまじ信綱も付いてこれるだけの地頭を持っていたのが運の尽きだった。将棋が趣味らしい椛に、度々頭の中で将棋盤を突き合わせる羽目になってしまっていた。

 

「……まあ、構わん。この前までやったところからな。俺の手番だ」

 

 先日差した盤面を頭に思い浮かべる。この手の遊戯は経験が物を言うため、人間なら何世代も交代するような時間を費やしてきた妖怪はひどく手強い。

 信綱も勝負はできるものの、勝率はいいとこ一割程度だ。

 

 そんなわけで信綱は自分の知性を総動員して抵抗を試みているものの、あれよあれよという間に追いつめられてしまう。

 

(これはあと二十……いや、十五手ぐらいで詰まされるな)

 

 脳内の盤面に頭を悩ませ、いざとなったら盤面を忘れたことにしてうやむやにしてしまおうと思っていた時だった。

 

「――来たか」

「ふぁ? 神の一手でも降りてきました?」

「違う、そうじゃない」

 

 というかそこまで真剣にやってない。あくまで時間つぶしである。

 

「椿だよ。多分頭上。急降下を仕掛けてくる」

「はぁ……って、ちょ!? この軌道私まで被害を受ける位置ですよ!」

 

 千里眼で状況を把握したのか慌てて距離を離す椛を尻目に、信綱は背を預けていた木から離れ、木々に覆われて隠れてしまった空を見据える。

 木々の葉はいつも通りに蠢き、葉擦れの音を森の中に響かせる。一瞬の後に大半が散らされる運命にあることを知らぬまま。

 

 信綱が手を柄に添えると同時、頭上の木々が文字通り吹き飛ばされる。突進してくる椿のまとう風が、自分以外の何かに触れることを拒絶していた。

 向かう先にいるのは少年から青年へと成長を遂げた、けれどまだまだ大人とは言い切れない子供が一人。

 受ければ骨すら残らない。五体は引き裂かれ、バラバラの欠片になってしまうだろう。

 

「――猪突猛進とは、性格そのままだな」

 

 しかし、信綱は動かない。鞘から奔らせた剣閃が椿のまとっていた風を切り裂き、返す刃が彼女の持つ天狗団扇を弾き飛ばす。

 勢いを止めない彼女に対して、信綱は開いた片手で迫り来る椿の頬に触れる。

 

「あ――」

「失せろ」

 

 一瞬だけ驚愕したような――あえて直接的に表現するなら女の顔になった椿を記憶から消去しつつ、頬に添えた手に力を微かに込めて、向かってくる莫大な力を受け流す。

 

「ちょ、あ、きゃああああああああああ!!」

 

 ほぼ真横に力の向きを変えられた椿は、勢いそのままにバキバキと木を薙ぎ倒しながら信綱の視界から消える。

 それを見届け、一息ついてから信綱は椛に向き直り口を開く。

 

「……あいつも来たことだし、将棋は終わりにするぞ」

「刀を抜く瞬間が千里眼でも見えなかったんですけど。というか受け流しただけで真横に行きますっけ? この人本当に人間……?」

「聞こえてるぞ。俺は人間だ」

 

 ただちょっと異常な一族に生まれてしまっただけである。

 遡れば初代辺りで妖怪の血ぐらいは混ざっている可能性は否定できないが、長命な妖怪と違って寿命は人間相応だ。確かめる術は皆無に等しい。

 

「お前もこっちに来い。大した痛手でもないだろう」

「あ、バレた」

「ダルマにしても翌日には治る妖怪が何を言っている」

「首は不味いよ? 頭が吹っ飛ぶと、さすがに一刻やそこらじゃ回復しない」

「首が落ちただけなら死にもしませんけどね」

「滅びろ妖怪」

 

 こちとら腕が一本飛んだだけで命が危うい人間だというのに、なんという不公平。

 口でそう言いながら、信綱は抜いてある刀を二人に向ける。

 

「――始めるぞ」

「はーいはいっと。じゃ、今日も楽しもっか!」

「あ、私は適当に援護に回りますんで。今の彼と打ち合うとかホント勘弁して下さい」

「あっという間に追い抜かれたもんね、椛」

「白狼天狗の中では上位なんですよこれでも……」

 

 人間って怖いなあと呟きながら椛は距離を離す。千里眼で状況を把握しつつ、信綱の嫌がる瞬間を見逃さずに援護を入れてくるのだろう。

 千里眼という能力がある特性上、援護に回られてしまうと厄介極まりなくなる。信綱とて、常に全方位に注意を向けられるわけではないのだ。

 

「さて、それじゃあ今日はどっちが勝つかな」

「よく言う。まだ遊んでいる癖に」

「まだ、ね。この調子なら本気で打ち合う日も遠くないよ」

「言ってろ。俺はお前で足踏みしていられるほど人生に余裕はないんだ」

「余裕があってもなくても、強さには関係がない。――さあ、もっと強くなって私を惚れさせてみな! もうとっくに惚れてるけど!」

「知るか、死ね」

 

 鋼と鋼。鍛え抜かれた技術と技術。森の奥で聞くには不釣り合いな、甲高い鋼の音が幾重にも連続して響き渡る。

 縦横無尽に木々の間を跳ね回り、自らの足がついている場所が地面とばかりに動く信綱。

 その一挙手一投足を慈しむような目で見ながら、同時に自身もまた信綱以上の速度で動きまわり、信綱を翻弄する椿。

 一瞬の交錯と同時、響き渡る剣戟の音は――五つ。

 

「ああもう、本当に……!」

 

 目で追えない。援護に回ると言った椛は、自身の千里眼の弱点に歯噛みをする。

 確かにこの能力は便利だが、決して無敵でも最強でもない。動体視力は椛のそれに依存するし、何より見えたところで椛自身の能力は椿や信綱らとは比べ物にならないのだ。

 慢心などできるはずもない。こういう時、椛は自分の力が千里眼程度(・・)でしかないことを悔やしく思う。

 そして椛が自身の能力に懊悩している時も戦いは推移し、早くも終わりに差し掛かっていた。

 

「はっ!!」

「おおっと!」

 

 裂帛の気合とともに無数の剣閃が放たれる。一瞬のうちに繰り出される数は七。

 渾身の一撃を椿は全て見切り、同時に本命も理解する。

 

「全部引っ掛け。本命は――そこ!」

 

 椿は斬撃の嵐に身を投じ、剣閃が身体を刻むのを受け入れる。

 どうせ囮なのだ。妖怪を殺す斬撃には程遠い。もっと胴体ごとぶった斬る勢いでなければ、妖怪にとって致命傷には成り得ない。

 

 そして数年の付き合いになれば嫌でも技の好みというのも理解できてくる。この少年は――無駄を嫌うのだ。

 殺すつもりの一撃が回避されることを嫌う。故に絶対に当たる状況や体勢を作るのにこだわる。

 それさえわかっていれば、致命打を受けないためにある程度の傷を許容することによって、信綱の呼吸を乱すことができた。

 

 椿の推測を裏付けるように信綱の顔が苦渋に歪む。その顔に椿の妖怪としての感性が刺激されるのを覚えながら、信綱に刀を突きつける。

 

「はい、おしまい。妖怪相手に駆け引きなんて仕掛けない方がいいよ。前提が違うっていうのは、頭で理解できても、実際にできるかどうかは別問題だから」

「……覚えておこう。次からは全て殺すつもりで斬る」

「その方が良いね。私も愉しいから」

「妖怪め」

「妖怪だもの」

 

 信綱にとってみれば死と隣りあわせの稽古であっても、彼女らにとってはある種の娯楽にすぎない。

 

「もう一度やるぞ。彼女も混ぜて多人数で」

「漁夫の利を全力で狙いますけど良いんですか?」

「それしか勝ち筋ないんだし良いんじゃない? こいつと私だけじゃ大体結果見えちゃうし」

「滅びろ妖怪」

 

 振るわれる斬撃が木漏れ日を反射して煌めく。光の弧が椿の首を刈り取ろうと迫るが、半歩動いただけで避けられる。

 

「っとと。いやぁ、キミも腕を上げたもんだねえ。私はキミの呼吸とか癖とかある程度わかってるから勝てるけど、初見の烏天狗なら十分倒せるよ」

「大天狗は倒せないのだろう。まだ未熟だ」

「成人したてでそれなんだから十分だと思いますけど……」

 

 末恐ろしいなんて気持ち、とっくに通り越している。このまま成長したらひょっとすると、かつて妖怪と戦った古の勇者らと同等の領域まで達するのではないかと思ってしまう。

 

「……時に。お前は烏天狗の中ではどのくらいなんだ?」

「ん? 殿方との経験?」

「違う。力だ。一口に烏天狗とくくっても多少の差はあるだろう」

「あー……まあ、低いってことはないよ。上から数えた方が早い。でも一人、大天狗以上の力を持つ烏天狗とかいうバケモノがいて、さすがにそれには劣るかな」

「そんなのがいるなら俺はまだまだ普通だな」

「いやいやいやいや」

 

 椛からしてみればバケモノ同士が背比べをしているようなものだ。

 よもや後の未来で、そのバケモノみたいな天狗と知り合うことになるなど想像もしていない椛であった。

 

「気まぐれに振る舞ってるように見えるけど、ありゃ根は真面目と見たね。退屈退屈言いながら里からは出ないし、問題があった時とかも気づいたらいるし。絶対処女だよ処女」

「死ぬほどどうでも良いなその情報」

 

 ともあれ、まだまだ上には上がいることがよくわかった。より一層の修練に励む必要があるということ。

 今の無駄話で休憩にもなった。今度こそ自分が勝つという意思を込めて、信綱は椿を見据える。

 

「そろそろ再開するぞ。次はどうする」

「んじゃ、基礎を固めとこうか。とりあえず木でも括りつけて山走り回ろう」

「わかった」

「これを普通と思ってしまう辺り、私も毒されてるなあ……」

 

 最近、椛がやたらと遠い目をすることが増えていた。

 椿は死んでも構わないが、椛に死なれるのは少し悲しいため、信綱は彼女に声をかける。

 

「疲れてるのか? 休んでいても構わんぞ」

「いてもいなくても変わらないから?」

「それは否定しないが、お前に倒れられるとこいつを止める役がいなくなる」

「あ、そういう役どころ。……はぁ、大丈夫ですよ。人間に気遣われるほど落ちぶれちゃいません」

 

 立ち上がった椛と共に、信綱は稽古に没頭していくのであった。

 

 

 

 

 

 その日の帰り道、信綱が身体の痛みを堪えながら人里の中を歩いていると、目の前に人影ができる。

 

「……勘助」

「よう。一日探したけど見つかんなかった。どこ行ってたんだ?」

「……山で鍛錬だ。道場じゃ物足りない」

「そっか。……やっぱお前ってスゴイんだな」

 

 目的が読めない。信綱は何が起こっても対処できるように心構えを切り替えていく。

 

「俺と人里で会わない方が良い。気狂いの仲間だと思われるぞ」

「いいさ。言わせたい奴には言わせとけ。それより酒でも飲まねえ?」

 

 普段通りの姿であることが、余計に信綱の疑問を煽る。以前の様子は一体何だったのか。

 あの日の問答が受け流されているのなら、信綱も怒りの一つは覚える。いざとなれば切り捨てる存在であっても、切り捨てる際に何も思わないわけではないのだ。

 

「……別に構わんが、事情を話せ。見回りの時に言っただろう。俺と一緒にいて得になることはない。……俺だって報いてやれるかどうかはわからない」

「あー……悪い。ちょっと急だったか」

 

 歩こうぜ、と言われて信綱は勘助と並んで歩く。

 

「……お前に言われたこと、ずっと考えてた。お前の家のこととか、お前自身のことも。お前は色々と違うんだよな」

「そうだ。原因はわからんが、生まれた頃から御阿礼の子に対して異常な執着を持つ。男児ならば例外はない。

 あの方の役に立ちたい。あの方のために生きたい。それ以外は己含め、全てが塵芥。

 人里で暮らすには協調性に難あり。気狂いの集まり。――だけど強い」

「お前も強いのか?」

「勘助の首ならいつでもへし折れるくらいには」

「やるつもりはないんだろ? それ言い出したら包丁持ってる人間がいつでも相手を刺せるみたいなもんだ」

「まあ、それはそうだ」

 

 肩をすくめる。難易度に差があるとはいえ、誰だって人を殺すくらいは可能である。だが、それにこだわって隣人を信じられなくなっては、人は生きられない。

 

「……だけど御阿礼の子、だったか。その人のためならお前はやるんだよな」

「ああ。躊躇わない――いや、喜んでやる」

 

 例えそれが肉親の臓物を引きずり出すことであっても。隣を歩く親友の心臓をえぐることであろうと、それが命じられたのならば、かつてない幸福感に包まれながら実行するだろう。

 信綱の異常性を見て理解したのか、勘助の顔が引きつる。しかし、それも一瞬ですぐに普段通りの顔に戻る。

 

「わかった。それでいい」

「……何を言っている、勘助?」

「そんな時が来るなら、それでいいって言ったんだ。同じ里の人間を殺すように命じるのが稗田の家なら、多分この里は長くない」

「…………」

 

 返答はない。だが、それが何よりも雄弁な返答になっていた。

 

「俺も考えたんだよ。もしもお前と伽耶、どっちか一人しか選べないって時が来たらどうしようかって」

「……伽耶と同列ぐらいには思ってもらえていたのか」

「茶化すなよ。小さい頃から一緒なんだし当たり前だろ。……俺は、伽耶を選ぶ」

「そうか。その方が健全だ」

 

 ついでに言えば自分のような男と関わらない方がもっと健全なのだが、勘助はもう覚悟を決めているのだろう。ここまで言われて気づかないほど鈍感ではない。

 

「だけど、そうならないうちは両方とも大切な友達だ。……だからお前も、俺を切り捨てなきゃならない時まで、友達でいてくれないか」

「…………」

 

 信綱は眉を寄せ、無言になる。顔にこそ出さないが、戸惑っていた。

 そんな信綱に畳み掛けるように勘助が言葉を続ける。

 

「お前と縁を切ることも正直考えた。それが多分、一番楽な道だとも思った。だけど違うんだよ! 何が違うのかは上手く説明できないけど、あんな終わり方で終わっていいはずないんだよ!」

「……縁をつなぎ止める努力も重要、か」

 

 ずいぶんと昔に慧音から聞いた言葉が思い返された。一度繋いだ縁は簡単に切れるものではないが、つなぎ止める努力は欠かしてはならないと。

 恐らく、世間一般で言われている基準は信綱には当てはまらない。彼にとって他者との縁は御阿礼の子が絡めば儚く断ち切られるものだ。

 

「……そうだな。阿礼狂いと呼ばれている男で、いつかお前を手ひどく裏切るかもしれない俺で良ければ、お前の友達を続けさせてくれ」

 

 だが、それでも。それでも、その時が来るまでこの縁を大切にしたいと思ってしまったのだ。

 自分のような気狂いを友と呼んでくれるこの青年に、応えられる限りで応えたいと思ったのだ。

 

「お……おう! よっし、こうなりゃ伽耶も呼んでくる! 前みたいにとは行かなくてもさ、三人揃えばきっと楽しいって!」

 

 勘助は喜色満面の笑みを浮かべ、勢い良く信綱の背を叩く。

 その喜びようを見て、信綱も寺子屋の頃を思い出して微かに笑みを浮かべるのであった。

 

「……そうだな。きっと、楽しいことだ」

「ああ! へへっ、今日は呑むぞぉ!」

 

 

 

 

 

 二人の若者が笑いながら歩く姿に、皆が恐れるような阿礼狂いの姿はこの一時のみ、存在しなかった。




 (今は)平穏な日々を過ごしている一幕です。信綱少年改め信綱青年。
 阿七が外に出ないため知られることもありませんが、すでに人里の中では最強の一角です。幻想郷全体? 中堅ぐらいかな(適当)

 妖怪は近頃大人しい通り越して、力を失いつつある模様。さて、そんな頃に起こった異変がありましたね(ゲス顔)

 漢を見せた勘助青年。どっかで彼の葛藤を書く番外編か閑話を差し込むかもしれません。上手く入れられませんでしたが、時系列的に話の最初と最後で一月ぐらい時間が経ってます。



 そして近況報告というか、前書きにも有りましたようにリアルがちょっと切羽詰まってます(暴露)
 更新が遅くなることもあると思われるので、その時は活動報告を使おうと思います。お付き合いいただけると幸いです。

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