阿礼狂いに生まれた少年のお話   作:右に倣え

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変革の時代 -あるいは、終わりの始まり-
阿弥のいない世界


 茫漠とした顔で空を見上げていた。

 初夏に差し掛かり太陽の輝きが一層強く感じられる中、その人物――信綱は何を見るでもなく空を見上げ続ける。

 

「ほら、お茶が入ったわよ」

 

 人里よりも高い場所にある博麗神社で空を見ていた信綱は、隣に茶が置かれたことに曖昧な声で礼を言う。

 

「……ん、ああ」

「……全く」

 

 巫女は信綱の気のない返事にため息をつきながらも、それ以上何かを言うことなく自身もまた隣に座る。

 阿弥の葬儀が終わってから大体この調子だ。人里での姿は知らないが、フラリと神社にやって来ては何をすることもなく縁側でぼんやりと空を見上げるだけ。

 

 いつまでも飽きずに空を見る姿には巫女の知っている信綱の姿は微塵もなく、下手に突いては壊れてしまいそうな危うさが感じられた。

 

「…………」

「…………」

 

 静かに茶をすする音だけが聞こえる。

 夏の夜長の子守唄になりそうな虫の音も、耳をつんざく蝉しぐれもまだ季節ではない。適度に暑く、適度に涼しい過ごしやすい季節。

 春から夏へ、新緑から翠緑へ、自然の僅かな変化が美しい時間だ。

 それでも彼は空を見続ける。まるでそこにしか見えない何かを見つめるように。

 

「……ねえ」

「どうした」

 

 やがてこのままでは埒が明かないと、意を決した巫女が信綱に話しかける。

 ここに来る頻度が増えた最初の頃は、阿弥のこともあったのだとある程度彼女も気を遣ったが、その気遣いはいつまでも続くわけではない。

 いい加減、彼の口から自分の状態ぐらい聞き出しておきたかった。

 

 これまでは巫女の言葉にも生返事か無反応を貫いていた信綱も、今度はしっかりとした口調での返答が来た。

 

「その……やっぱ、辛いの?」

「辛くないとでも思ったか?」

 

 首を横に振る。阿礼狂いと呼ばれるほど御阿礼の子に入れ込む彼らが、御阿礼の子の死に絶望を覚えないはずがなかった。

 特に信綱と阿弥の仲の深さは巫女も知っている。家族と見紛うほどに連れ添い、彼女が生まれてからずっと側に居続けたのだ。その絶望たるや、巫女の最悪を遥かに上回るものだろう。

 

 巫女の返事に信綱は静かに息を吐き、ポツポツと話し始める。

 

「……初めてだったんだ。あの方が生まれてから亡くなるまで、ずっと仕えた御阿礼の子は」

 

 ちなみに彼の家でそんなに長く仕えた火継はいない。幼少の頃から隔絶した強さを示し続けている信綱が色々と例外だが、巫女も彼以外の阿礼狂いは一人を除いて知らないため、何も言わなかった。

 

「先代の人はどうだったの?」

「俺より歳が上だった。十年と少し仕えて、あの方もまた遠くへ逝ってしまった」

 

 比べるのもおこがましいが、彼女の時は仕方がないと思えたのだ。信綱は未だ年若く、弟のように思っていた阿七が彼の未来を願うことは何の不都合もない。

 だが、阿弥は別だ。自分を父と慕っていた愛娘が父に生きろと言って自分は遠くへ逝ってしまうのだ。父より先に逝く娘など親不孝以外の何ものでもない。

 

「……俺を父と慕うのなら、俺より後に死んで欲しかった」

「……そう」

 

 何も言えない。家族というものに縁がない巫女であっても、彼の抱いている絶望が底知らずの深さであることくらい、想像がついた。

 迂闊に話しかけてしまったことを巫女が後悔し始めていると、信綱はいつの間にか巫女の方に合わせていた相貌を微かに緩める。

 

「……まあ、いつまでもこうしてはいられない」

「え?」

「生きろと言われた。後を頼むと言われた。ならば生きるしか道はない」

 

 そう言って信綱は立ち上がる。その足取りはここに来た時のような幽鬼のそれではなく、確固たる信念に裏打ちされた力強いものだった。

 そこまで見て、巫女はようやく博麗神社が彼が勝手に立ち直るまでの時間潰しの場所に使われていたことに気づき、口元に変な笑みが浮かぶ。

 

「……全く、人の家を勝手に駆け込み寺扱いするんじゃないわよって、昔に言ったでしょう」

「そう言ってくれるな。人里じゃ何かとうるさいんだ」

「へえ?」

「俺が阿礼狂いなのは周知の事実でもある」

 

 三十年、信綱が彼女と共に人里で過ごした姿を知っているものは多い。

 信綱が悲嘆に暮れているから気を遣ってくれるというのはありがたいが、信綱はそういった悲しみなどは共有せず一人で抱える方だった。

 なにせ――御阿礼の子に関わる悲しみだ。一欠片たりとも他の誰かに渡してやる義理はない。

 

「邪魔をしたな。しばらくは来ないだろうさ」

「あーあ、あんたが来た時に出したお茶は良いお茶だったんだけどなー」

 

 いや、あれは安物の茶だろう、というツッコミはしないことにした。こういう時に嬉しいのは気遣いである。

 

「次来る時は玉露と酒でも持ってきてやろう」

「やった! 言ってみるものね!」

 

 酒と茶だけで機嫌が良くなるのだから安い方だと思いながら、信綱は巫女に別れを告げて神社から立ち去るのであった。

 

 

 

 現状、信綱はこれといってやることがない。

 人里での信綱の仕事はほとんど終わり、後は若いものに任せている状態。火継の役目にしたって御阿礼の子がいない今、信綱たちは食うに困らない程度の日銭を稼げば良かった。

 

 日銭にしたってもう年老いた信綱がやるようなことはない。というより、なにかやろうとすると休んでいろと言われてしまう。そんなに働き過ぎに見えたのか不思議でならない。

 当主としての裁可が必要な仕事以外の雑事は部下に任せてある。もう彼のやることは火継の家にある離れに部屋を移して日がな一日鍛錬に勤しむかやってくる妖怪の相手をするくらいだ。

 

「なんだか隠居した老爺のようだ」

「いや、ようだも何もその通りなんじゃ……」

「私は嬉しいけどね。こうして会いに行っても邪険にされないし」

 

 そんなわけで信綱は現在、飽きもせずにやってきたレミリアたちの相手をしているのであった。

 

「霧雨商店はあっちだぞ」

「いい加減家に入るくらい良いじゃない!?」

 

 そして今でも対応は辛辣なもの。今はもう彼女をさほど嫌ってもいないのだが、今さら対応を変えるのもおかしい気がするため、この対応を変えるつもりは特になかった。

 

「それでなんの用だ」

「おじさまに会いに来たの。阿弥が死んで、あなたはどうなったかしら」

「…………」

 

 無言で視線に力を込める。レミリアの後ろに控える美鈴が思わず身体を強張らせてしまうほどの威圧に、レミリアはむしろ心地良さそうに笑う。

 

「阿弥が死んでから腑抜けた、なんて噂があったけど嘘みたいね。おじさまの殺意は曇りがなくて素敵よ」

「…………」

「……まあ、阿弥が死んで思うところがあるのは私も同じだけれど」

 

 不意にレミリアは感傷に浸る顔になり、何かを懐かしむように目を細める。

 その様子に対し信綱は殺意以上に疑問が浮かび上がる。彼女は阿弥に対してそれなりに入れ込んでいたが、それだけのはずだ。

 

「初めてなのよ」

「なに?」

「私ね、あの子なら手に入れられると思っていたの。……そんなに怒らないで。おじさまがいるから手を出すつもりはなかったわよ」

 

 美鈴の日傘から離れ、縁側に座る信綱の隣にレミリアは腰を下ろす。

 日光を遮り、色濃い影ができる場所を選んだそこはレミリアにとって思いの外涼しく、目を白黒させた。

 だがそれも一瞬で、すぐにレミリアは普段とは違う静かな表情で語り始める。

 

「それなりに気に入ってて、それなりに欲しかった。だけど……こんなに早く死ぬなんて反則でしょう。私が欲しかったのは生きている阿弥であって、死んだあの子じゃないのよ」

「…………」

「生まれて初めてよ。今まで多くの人間や妖怪を殺して欲しいものを手に入れてきたのに、たった一人の人間に死なれてこんな気持になるのは初めて」

「……ならばお前はどうするつもりだ」

 

 信綱の問いかけに対し、レミリアは以前に博麗神社で信綱がそうしたように空を見上げる。

 太陽は見えずただただ蒼天だけが広がる空に手を伸ばし、彼女はつぶやいた。

 

「どうもしないわ。――でも、別れは辛いものだってのは理解した」

「……お前」

 

 何かが変わっている。本質が吸血鬼であることに変わりはなくとも、彼女の中で何かが変わっている。それを信綱は不本意ながら続いてしまった付き合いの長さで直感する。

 

「前に話した妹とも向き合ってみようと思うの。……阿弥の死を知ることは運命だった。今ならそんな気がするわ」

「ふざけるな。あの方の死がそんな都合の良いものか」

 

 大体、運命ごときに彼女を殺させるはずないだろう。レミリアの目の前にいる男は人間の道理など十や二十も軽く蹴飛ばした存在だ。今さら運命など物ともしない。

 一切の迷いなく言い切る信綱の目を見て、レミリアは軽く笑った。

 

「そうね。おじさまと阿弥が運命に負けるなんてあり得ないわね。失言だったわ」

「わかれば良い。……それで、妹と話すとはどういう意味だ」

「そのまんまよ。いつでも会えると思っていた人がいつの間にか消えている。それはきっと誰にでも適用される道理。おじさまにも、私にも」

「……お前は簡単には死なないだろう」

「おじさまが来た時、あのスキマたちが来るのが遅ければわからなかった。案外、私もおじさまも今を生きている理由なんてそんなちっぽけなものよ」

 

 何かの偶然で助かっているようなもの。そう言いたいのだろう。

 信綱はレミリアの言葉に対しうなずくこともなければ、否定することもなく沈黙を貫く。

 

「……そのちっぽけな奇跡が来ない時が来ると?」

「それが来なくなった時が私の終わりでしょうね。おじさまと違って私は寿命とかも遠い話だし」

「だから話すのか」

「そうね。――時間は限られている。阿弥の死を見て久方ぶりに思い出したわ、この感覚」

 

 そこまでを真摯な表情で言って――次の瞬間には信綱の胸に飛び込む体勢になっていた。

 

「だからおじさま! 私にも構って頂戴って痛い!?」

「なんとなく読めてしまった自分が憎い」

 

 縁側に足を伸ばして座っていたにも関わらず、吸血鬼のレミリアの速度を越えた挙動で信綱はレミリアを回避し、彼女の顔は縁側の床とぶつかる。

 吸血鬼よりも速く動くということをやりながらも信綱の顔に得意そうなものはなく、レミリアの動きが読めるようになるほどに長くなってしまった付き合いを嘆くものだった。

 

「せめておじさまが死ぬまでには優しさを頂戴!?」

「死ぬまでには考えておいてやる。まだ死ぬ予定はない」

 

 阿求も任されているのだ。あと二十年は現役でいる予定である。

 その言葉を聞いたレミリアは満足そうな、それでいてどこか寂しげな笑みを浮かべて美鈴の元に戻ろうとする。

 

「――そう。おじさまとの付き合いもあと二十年なのね」

「…………」

「今日はこれで帰るわ。次に来る時には阿弥のお墓を案内してもらえないかしら。日本の様式にはまだ慣れないけど、花を捧げるのはどこの国でも共通でしょう?」

「……俺は幻想郷の流儀しか知らん。阿弥様の墓に何か……は、しないか」

 

 信綱は軽くため息をついてレミリアの言葉を受け入れる。彼女に対する反応が辛辣なのは自覚しているが、それとは別に嫌ってもいないつもりだ。

 

「お前は阿弥様を友人だと言った。その友情が人間のそれと違わないことを祈ろう」

「人間とまるっきり同じかどうかは保証しないけど、いなくなった友人を貶める真似はしないわ。吸血鬼の誇りにかけて」

「……ならば信じよう」

 

 彼女は自らの矜持について非常にうるさい。それは信綱も知っており、その筋金入りの意思の強さは言葉にせずとも認めているところだ。

 

「それじゃあまたねおじさま。……おじさまは長生きしてくれると嬉しいわ。血も吸わせてくれるとなおよし」

「寝言は寝て言え。それと花は薔薇を頼む。阿弥様が好んでいたが、紅魔館ぐらいでしか手に入らん」

 

 稗田邸は和風の庭園のため、いきなり薔薇を植えると全体の調和を乱しかねなかったため、阿弥を喜ばせることは泣く泣く断念していた。時間さえあれば庭を広げて一角に作りたいと思っていたのに。

 

「もう元通りみたいね。次も変わらない姿を見せてくれることを期待するわ」

「さっさと帰れ」

 

 にべもない信綱の言葉に、しかしレミリアはこれでこそ信綱だと言わんばかりに笑みを深めて去っていくのであった。

 ようやく一人になった信綱はレミリアが来たことにため息をつくと、彼女がしていたように空を見上げる。

 

 何かが変わりつつある。幻想郷の変化に連なり、それぞれの存在が変わり始めている。

 きっと阿求が生まれた時、幻想郷は今より良い物になっているだろう。

 そう考え、信綱の唇が微かに弧を描く。

 

「見届けるのも悪くはない、か……」

 

 慧音の言葉が今になってようやく理解できた気がする。自分の手で作っている間はあまり意識することもなかったが、自分の手を離れた幻想郷を眺めて生きることは楽しいのではないかと思えるようになったのだ。

 ……そんな考えに至ってしまうほど、歳を食ったということでもあるのだが。

 

 とにもかくにも側仕えの仕事がない現在、信綱の身分は楽隠居の爺だ。日がな一日釣りをするも、自警団相手に稽古を付けるも自由だ。

 

「どうしたものか……」

 

 そしてこの男、やることがないという状況が嫌いな性分でもあった。阿弥の側仕えをしていた時の忙しさにすっかり慣れてしまっている。

 むむ、と頭を悩ませながら信綱の時間はゆっくりと流れていくのであった。

 

 

 

 

 

 それは阿弥の墓を掃除している時のことだった。

 阿七、阿弥、そして歴代の御阿礼の子が眠る墓を汚れ一つ許さないとばかりに丁寧に掃除していると、横から足音が聞こえてくる。

 

「……花を供えたいのですが、良いでしょうか」

「……お前なら構わん」

 

 そっと墓から離れ、その人物――椛が墓前に花を供えるのを見つめる。

 人懐っこい笑顔もこの場では浮かべず、ただただ粛々と阿弥の前に花を置く彼女の姿は、普段からは想像もできないものだった。

 静かに置かれた花の前で手を合わせ、彼女の冥福を祈ってから椛の目は信綱の方を向く。

 

 椛は信綱の顔に何かを見たのか、聞きづらそうな顔をしながら口を開いた。

 

「その……大丈夫、ですか?」

「大丈夫、とは何がだ?」

「いえ、あの……阿弥ちゃんがいなくなって、です」

「問題ない、と言えるような者がいればそれは火継ではない」

 

 それは当然、信綱にも当てはまる。御阿礼の子と二度も死別した悲しみは一生癒えることなどない。

 しかし時間はそんな信綱の悲しみを他所に無情なまでに流れていく。

 

「それでも生きるしかない。後のことを任された身である以上、あの方の最期の望みは完璧に叶える」

「……そう、ですか」

 

 椛は言いたいことを飲み込んでうなずく。

 本当なら休むべきところまで来ているというのに、彼に休むという発想がないのではどうしようもない。

 

「……辛いと思ったら言ってください。君の代わりはできませんけど、支えになるぐらいはできると思ってますから」

「もう十分頼っている」

 

 それだけ言って信綱は椛の供えた花を汚さないように掃除を再開する。

 椛も花を供えただけで終わるつもりはなかったようで、信綱が掃除を終えるのをじっと見つめていた。

 

「……君は」

「うん?」

「これからどうするつもりなのか、聞いてもいいですか」

「どうするもこうするもない。やるべきと思ったことをやって、阿求様が来るのを待つだけだ」

「いつになるかも……いえ、その時にあなたが生きているかもわからないのに?」

「それが火継だ」

 

 そこに疑問など持たない。自分の生涯が全て徒労に終わり、何一つ報われることなどなくても、いつ現れるかもわからない御阿礼の子のために一生を捧げられる。

 一切の逡巡なく言い切るその姿に、椛は彼に対する認識をさらに深めていく。

 

 彼にとって御阿礼の子以外は全て有象無象であり、そしてその中には自分すら含まれる。

 戦場において自分の命を使い捨てることに留まらず、その人生すらも彼にとっては大して価値のあるものではない。

 

「……あなたがボロボロの姿で次の御阿礼の子の前に姿を現しても、あの子はきっと喜びません。もういい歳なんですから、身体には気をつけてくださいね」

「体調管理ぐらい初歩の初歩だ。お前こそ変な輩に目をつけられないよう注意しろ」

「あはは、私の目をお忘れですか」

「お前は変なところで抜けているからな」

「あ、ひどい!」

 

 むう、と頬を膨らませる椛に信綱は軽く笑う。

 それが鼻で笑われたと思ったのかさらに椛が機嫌を悪くするが、さすがに笑った意味を懇切丁寧に説明する義理はなかったので無視してしまう。

 

「そろそろ行くぞ。あまり墓前で騒がしくするものではない」

「あっと、そうですね。君はここにはどのくらいの頻度で?」

「月命日には必ず顔を出す。後は状況によりけりだ」

 

 さすがに御阿礼の子がいる時には頻度も下がる。今いる御阿礼の子を見ずに過去の御阿礼の子を見るなど侮辱に他ならない。

 が、それもいなくなっている今現在、しかも半分隠居の状態で暇な信綱はしょっちゅう顔を出していた。無論、しっかりと墓前に供える花などを用意した上で。

 

「それより戻るぞ。お前も暇なら来い」

「いや、私は人里で見回りの仕事が……」

「暇だな、来い」

「人の話聞いてます!?」

 

 椛のツッコミを無視して歩くと、後ろから大きなため息と足音が聞こえてくる。なんだかんだ言って着いてきてくれるようだ。

 

「……お前は」

「はい?」

「阿七様が亡くなられた後の俺を覚えているか?」

「……まあ、だいぶ憔悴していた様子は覚えてますね」

 

 平静を装っていてもさすがに二十にも満たない若造。椛の目には悲嘆に暮れているようにしか見えなかった。

 

「今の俺はどう見える?」

「同じですよ。あの時と同じ、親とはぐれた子供みたいな顔です」

 

 椛の例えに信綱が渋面を作るが、答えは変わらない。

 あの頃に比べて表面上は普段通りだし、言葉にも揺れはない。彼と親しくなければ変化はわからないだろう。

 だが、椛には崩れ落ちそうなところを必死に取り繕っているように見えた。

 そのことを椛が正直に話すと、信綱は言葉に詰まった様子を見せて大仰なため息をつく。

 

「……お前にそこまで見抜かれるとは修行が足りないか」

「いや、大事な人に先立たれて悲しいのは誰だって同じだと思いますよ?」

「変な同情はいらん。この悲しみは阿弥様より賜った最後の贈り物だ。誰にも共有などさせるものか」

「君のそういうところは嫌いじゃないけど面倒だと思います痛っ!?」

 

 うるさいので耳を引っ張って黙らせる。橙とはまた違った手触りでよく手入れされているのがわかった。

 面白いのでわざと耳の毛を逆立てようとすると、椛は俊敏な身のこなしで信綱から距離を取る。さすがに橙よりは用心深いらしい。

 

「子供ですか君は! 図星を突かれたからって引っ張らないでください!」

「減るものでもないだろう」

「毎日の手入れ時間が増えるんです!!」

 

 怒られたので肩をすくめて歩き出す。椛は肩を怒らせながら、信綱の手がすぐには届かない場所を維持しつつ歩いて来る。

 気を紛らわせるためとはいえ、少々からかい過ぎたかもしれないと自省した信綱は言い訳も兼ねて口を開く。

 

「まあ、あまり心配してくれるな。阿弥様に強く生きると言ったのは俺だ。少しもすればまた剣でも振るようになる」

「……それ、今思いついた台詞ですよね」

 

 長い付き合いだけあって見抜かれてしまった。

 さてどうしたものかと考えていると、椛の手が信綱を引いてくる。

 

「む」

「少しすれば、なんて言う暇があるのなら私の警らに付き合ってください。どうせ暇なんでしょう?」

「……わかったよ。戻ってもやることはないのでな」

 

 と、そこで一つだけ信綱が手がけているものを思い出す。

 妖怪関連の話ではない。そちらはすでに自分の手を離れつつあるので、何かあった時の相談役や裁可が必要な時の判子押しぐらいしかしていない。

 ちなみに相談役として上手くやる方法は具体的な道を提示することではなく、相手に意図した道を取るよう誘導することであると最近学んだ。閑話休題。

 

 それとは別に信綱が自主的にやっていることは日課である鍛錬と――本の作成だ。

 椛には話しているが、彼自身の動き方や剣の振り方、敵の動きに対してどのような防御をしてどのような攻撃を合わせるか。そういった動きを細かく分解し、可能な限り噛み砕いて記したものになる。

 

 どうにも自分は教える側としてはあまり向いていないのがわかった。相手のできる範囲を見極めることはできているつもりなのだが、精神面での部分――要するにやる気の部分があまり重要視できていないらしい。

 信綱もそうだが、火継の一族は阿礼狂いであるが故に自己への評価が低い。

 常人にしてみれば命懸けの修行などよほどの理由がなければやらないだろうが、阿礼狂いはそれが力への近道ならば一切迷わず実行できる連中しかいないのだ。それは御阿礼の子が自分の代には生まれないとわかっていても変わらない。

 

 そんなわけなので信綱は自分が死んだ後にも力を求める存在が現れることを願い、そしてそれが強くなれる一助となるために自分の動きを残している最中なのである。

 その本の存在を思い出し、信綱は隣を歩く椛を微かに目を細めて見る。

 

「…………」

「……? どうかしました、じっと見てきて……ハッ!? 耳は触らせませんよ!!」

「違うわ戯け」

 

 警戒して距離を取る椛に、信綱はつくづく馬鹿なことをしたと自分に呆れてため息をつく。

 その様子が普段と違うように見えたのか、椛は打って変わって信綱に近づいてくる。警戒しているのか無警戒なのか判断がつかない少女である。

 

「どうしました、今の反応はいつもと違いましたよ?」

「……まあ、良いだろう」

「何がですか?」

「今話すような内容ではない。行くぞ、阿弥様の墓参りに来てくれた礼にメシぐらいなら奢ってやる」

 

 話題をそらされた、と椛は長年信綱と一緒に過ごしてきた時間で答えを出す。

 しかしこうなった信綱は簡単に口を割らない。都合が悪くなると暴力に訴えてくるし、真っ当に問い詰めてものらりくらりとかわされてしまう。

 だから椛はせめてもの抵抗としてこれ見よがしにため息をつくことにする。この男と一緒にいて退屈や平穏とは無縁になるという諦観と、ある種の了承の意も兼ねて。

 

「……まあ、良いですよ。君は迷惑をかける時はあらかじめ言ってくれますからね」

 

 無理難題であっても、その時は信綱が一番危険で重要な部分をやっている。そのことを椛はよくわかっていた。

 

「だからどうした」

「言わないということは悪いことではない、ということです」

「…………」

 

 椛の言葉に信綱は声に詰まった様子でうなり、返事をすることなく歩き出す。

 その背中を追いかけて、椛は少しおかしく思ってしまいクスリと笑う。

 小さい背中で必死に走る姿を知っているはずなのに、いつの間にか彼の背中を見ることが当たり前になってしまった。

 それだけ長く一緒にいたということ。自他ともに狂人であると認めるこの男と。

 

「……本当に物好きなやつだな、お前は」

「ええ、物好きなんです。あなたと一緒にいられるくらいには」

「そのようだ。――これからも頼むぞ、椛」

「はいっ」

 

 これからも迷惑をかけるという意味だというのに、弾んだ声で返事をされてしまい信綱は肩をすくめるしかない。物好きもここに極まれりである。

 しかし――だからこそ背中を預けるに相応しいのだろう。

 

 信綱は自分の後ろを着いてくる椛の存在に、ほんの少しだけ笑みを浮かべるのであった。




早めに完成するじゃろ? あとはこれを土曜に投稿しようと思うじゃろ?
気付くと今投稿しておるんじゃ(真顔)

そしてやたらとヒロイン力の上がるもみもみ。お互いの好感度が高い上、付き合いも長いので丁々発止のやり取りに。
でもヒロインルートはIFルートです(強弁)

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