阿礼狂いに生まれた少年のお話   作:右に倣え

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阿弥ルート
映姫とお話した後、涙を流すこともなく普通に帰った後のルートです


IFエンド 阿礼狂いを愛した御阿礼の子のお話

 四季映姫と話を交わした日の夜、阿弥は一人部屋の中で考え事をしていた。

 

「私は……あの人のことが好き」

 

 口に出して、阿弥は自分の胸が高鳴らないことにちょっとした感動を覚える。

 なにせ映姫と別れて部屋に戻ってから信綱を下げて部屋にこもり、ずっとこれだけを口にし続けていたのだ。

 

 ようやく慣れることができた、と阿弥はほっと安堵の息を吐く。

 

「…………」

 

 迷いや躊躇いはある。口に出すことの禁忌も理解しているつもりだ。

 彼は阿礼狂い。御阿礼の子のために生き、御阿礼の子のために死ぬことを生まれる前から宿命付けられている存在。

 彼に御阿礼の子を否定する機能などついていない。彼女が口に出したことは全てが正義であり、彼女が否定したものは全てが悪となる。

 

 その彼に自分の想いを告げてどうなるか。それは自らの恋心を自覚した今であっても想像がつかない。

 

 彼は困惑するだろう。御阿礼の子に狂っているとはいえ、それは狂愛では決してない。そんな利己的な感情に振り回されるほど生易しい狂気ではない。

 自らの心を完全に殺し、自分たちに仕えようとする。それが彼ら阿礼狂い。

 その信綱にこの想いを告げることは無意味かもしれない。火継信綱個人の感情は向けられないかもしれない。

 

「……だけど」

 

 阿弥は知っている。信綱が笑顔を見せるのは決して自分の前だけではないということを。

 霧雨商店の店主。幼年の頃より知り合いだったという白狼天狗。彼らと一緒にいる時の信綱が確かに楽しそうにしているのを知っている。

 問いかけねば終われない。阿弥は最後に自分の胸へ問いかけ、やはり揺るがない自分の想いに従うことにした。

 

 廊下に出て、信綱の部屋を目指す。彼は側仕えをしている間は稗田の家に一室を持つ。

 前に見たことがあるが、半ば私室と化しているようで彼が雑務に使う書類や書物がうず高く積まれていたのを覚えている。

 本人は阿弥の前でやることではないとあまり見せたがらないが、阿弥は慣れ親しんだ墨の香りが嫌いではなかった。

 

 ドクドクと心臓がうるさい。こんな夜更けに殿方の部屋を訪ねるなどはしたないと思う気持ちがいくらか。これから想いを告げに行くということへの緊張と恐怖が半分。残りは信綱が眠っていないだろうかという不安があったが――

 

「阿弥様、まだお休みになられていないのですか?」

 

 最後の心配は無用だった。信綱は寝間着にも着替えず、刀も腰に差した普段通りの背筋を伸ばした姿勢で阿弥を見つめていた。

 

「信綱さんはまだ寝ないの?」

「主より先に休む従者などおりませんよ。それより寝つけないのですか? でしたら白湯でもお持ちしますが」

「あ、ううん。そういうのじゃないから大丈夫」

「ふむ……」

 

 信綱は曖昧な表情でうなずき、阿弥の行動がわからないとばかりに首を傾げる。少なくとも寝つけないというわけではなさそうだ。

 もう夜も遅く、あまり眠るのが遅れると明日に支障が出てしまう。しかし、それを頭ごなしに言ったところで効果は薄い。

 

「……では、少し夜風にでも当たりましょうか。今宵は星も月もよく見えますよ」

 

 月明かりで微かに照らされ、薄暗い廊下であっても信綱が微笑んだことと手を差し伸べてきたことはわかる。

 彼に他意はないだろう。ただ純粋に阿弥のことを慮っての提案であることは阿弥にも読み取れた。

 しかしそれで何も思わないかと言えば話は別で、まして信綱への想いを自覚した阿弥には特大の爆弾でもあった。

 

「…………」

「? どうかされましたか、顔を赤くされて」

「な、なんでもない! なんでもないから! それより少し火照っちゃったから夜風に当たりましょう!?」

「は、はぁ……」

 

 赤くなってしまった頬をごまかすように信綱の手を引いて縁側に向かう。

 縁側は信綱の言うとおり煌々と輝く月が庭を照らし、星が微かに瞬く美しい夜空が広がっていた。

 

 幻想郷において星空は珍しいものではない。だが、日が沈めば仕事が終わる彼らにとって夜空とは眺めるものではなく、眠っている間に過ぎ去るものだ。

 阿弥も信綱に健康のためには早寝早起きであると教えられているため、こうして夜空をただ眺めるというのは珍しかった。

 

「すごい……! 星空ってこんなに目を奪うものだったのね! 記憶にあるのとは全然違う!」

「あまりはしゃぎ過ぎぬよう。興奮されては眠れなくなりますよ」

 

 信綱ははしゃぐ阿弥をたしなめるが、強く止めることはなかった。彼女の笑顔こそ至上のものである彼にとって、今の彼女を止めたくはなかったのだろう。

 少しでも星空を近くで見ようと可愛らしく背伸びをしている阿弥の隣に腰を下ろし、彼女が座るのを待つ。

 そうしてしばらくは夜空を眺める時間が続き、やがて阿弥も信綱の隣に座る。

 

「星がこんなに綺麗なんてわからなかった。信綱さん、誘ってくれてありがとう」

「喜んでいただけて何よりです。しかしどうされたのですか? 普段ならもうお休みの時間だと思いますが……」

 

 信綱の言葉に阿弥は何も言わず、星空を見上げる。そして彼の視線を受けながらおもむろに口を開いた。

 

「……私、もうあんまり長くはないの」

「……っ、そう、ですか」

 

 信綱が息を呑むほど驚くのは珍しいが、こと御阿礼の子に関しては当然のこととも言えた。

 彼が愛し、全てを捧げる存在である御阿礼の子。しかし彼女らは長く生きることができず、三十年足らずでその生涯を終えてしまう。

 その事実を直視し、信綱の声が僅かに震える。

 

「あとどのくらい時間があるかはわからないけど、もう十年はない。信綱さんもそれは知ってると思う」

「……そのようなことを言わないでください。私はあなたが長く生きると信じております」

「うん、ありがとう。そう言ってくれて嬉しい。でも事実は事実」

 

 阿弥の言葉に信綱は何も返せない。ただ、何かを堪えるように声を絞りだす。

 

「……どうか、生きたいと仰ってください。私はそのために万難を排して願いを叶えましょう」

「ううん、私が欲しいのはそういうのじゃないの。もっとささやかで、もっと大切なもの」

 

 それを言ったら信綱は自分の元から遠ざかってしまう。彼の言葉に嘘はなく、阿弥が生きたいと一言言えば彼は外法呪法邪法全てに躊躇わず手を染めて、何としてでも阿弥を生かそうとするだろう。

 そんなことになったら信綱と一緒にいられない。それは長く生きることよりも辛いことだ。

 

「信綱さん。私は笑っていたい。楽しく、幸福に」

「は。私もあなたが幸福に過ごすことこそ望みでございます」

 

 そう言って信綱は頭を垂れる。

 阿弥はその頭に触れようとして僅かに迷い、それでも彼の頭をそっと触れる。

 

 ――勇気を出そう。この人の意識を変えるために、まずは自分から一歩を踏み出さなくては。

 

 

 

「信綱さん。――私はあなたと一緒に幸せになりたいと思っています」

 

 

 

「……え?」

 

 呆然とした顔で信綱は頭を上げる。予想の外の外、夢にも思わない方向からの言葉であると、信綱の聡明な知性は答えを導き出してしまったのだ。

 唇が震え、声にならない声が信綱の口から生まれる。

 その様子を見て、阿弥は小さく笑いながら畳み掛けることにした。主導権は譲らないのが鉄則だと彼も言っていた。

 

「――火継信綱さん。あなたを家族としてではなく、一人の男性としてお慕い申し上げます」

「……阿弥様、それは」

「冗談や酔狂などでは断じてありません。私はあなたに恋をしている」

 

 目を見開き、驚愕以外の言葉がないとばかりに呆然としていた信綱の身体が弾かれたように阿弥から離れる。

 そして次に行ったことは姿勢を正し、阿弥に対して床に額づけることだった。

 

「――申し訳ありません。私が出過ぎたばかりにそのような気持ちを抱かせてしまいました」

 

 その姿勢を見ても阿弥は悲しいとは思わなかった。これが阿礼狂いとしては正しい反応であり、続く言葉も予想ができた。

 だからこそ阿弥は穏やかに微笑み、懸想する者の名を呼ぶ。

 

「信綱さん」

「私はすぐにでも側仕えを退き、他の者を宛てがいましょう。良縁をお望みでしたら私から人里に働きかけます」

「信綱さん」

「我々はあなたの従者であり剣です。我々は道具で良いのです。そのようなことを仰らないでください」

「こら、信綱さん」

「うぁっ」

 

 少々行き過ぎたので、阿弥は信綱の額を叩いて静かにする。

 特に鍛えてもいない少女の、何の力も込められていない手を信綱は避けられないで受け止める。その瞳は阿弥に対する申し訳無さと困惑に彩られていた。

 

「私の好きな人を道具だなんて言わないで。悲しいわ」

「ですが、阿弥様」

「それにそのようなこと、なんて言うのもなし。私があなたに恋をしたのが間違いみたいでしょう?」

「恋をすることは良きことです。ですが私のような面白みに欠ける男などより良い相手が必ずいます」

「いないわ。私にとって信綱さんより素敵な人はいない。いたとしても見つけられない」

 

 時間もないし、とまで続けはしなかった。そこまで言わなくても信綱は阿弥の言外の意味もしっかり読み取ってしまう。

 激痛を堪えるような顔になり、信綱はうなだれるしかなかった。

 なんと反応すれば良いのかわからない。このようなことは御阿礼の子の歴史も、火継の歴史においても存在しない。

 

 これが御阿礼の子以外のことなら良かった。それなら信綱は感情を排して合理で物事を考えることができる。

 だが、今回はそうではない。御阿礼の子が阿礼狂いに恋をした。その事態に対してどう対処するのが正解なのか、信綱には判断ができなかった。

 

「……どうして、ですか?」

「特にこれだ、と言えるキッカケがあるわけじゃないの。自覚をしたのは映姫様とお話をした時」

「何を話したのですか?」

「もう私には時間がないこと。そう遠くない未来で私は生まれ変わるために死ぬ」

「…………」

「それを考えた時、私の胸によぎったのは一つの想い」

 

 うなだれる信綱の頬に手を添え、そっと持ち上げる。彼の端正な顔は涙にこそ濡れていなかったが、途方に暮れていることはよくわかった。

 不思議と阿弥の心は落ち着いていた。想いを告げに行くと決心し、廊下を歩いていた時の心臓の鼓動がウソのように静かになっており、凪のような心持ちで言葉を紡ぐことができた。

 

「――あなたと一緒にいたい。家族としてではなく、一人の男女として」

「阿弥様……」

 

 信綱も徐々に落ち着きを取り戻していく。困惑していても現実が変わらない以上、受け入れてどうすべきか決めなければならない。

 正直なところ、信綱は阿弥の言葉を全く想像していなかった。青天の霹靂も良いところである。

 受け入れるか、断るか。単純に返答はこの二つになる。それはどうあっても変わらない。

 

 阿礼狂いの在り方を考えれば断るべきだ。自分たちは彼女の幸せの一助になれれば良いのであって、彼女の幸せそのものになるつもりはない。御阿礼の子を自らの生き様に巻き込むことは何としても避けたい。

 だが、断れば彼女は泣くだろう。それは阿礼狂いとして最悪のことでもある。御阿礼の子を泣かせた側仕えなど前代未聞だ。

 

 しかし受け入れることはできるのか。前述した通り、自分は阿礼狂いだ。御阿礼の子に付き従い、彼女のために生きることが生まれる前から定められている。

 これが自分の意志で決めたことなのかどうか、信綱でも判断がつかない。そんな自分が彼女の好意に応えるなど、おこがましいにも程がある。

 

 断ることも受け入れることもできない。生まれ持った歪みの極地とも言える答えに到達してしまい、信綱はパクパクと口を動かすことしかできなかった。

 

 そんな信綱に阿弥は小さく笑い、困り果てている彼に声をかけていく。

 

「ねえ、信綱さん。今考えていること、当ててあげようか?」

「……え?」

「自分はこの人が好きであると胸を張って言えるのか。そんなところでしょう?」

「……その通りにございます。阿弥様もご存知の通り、我々は生まれた時からそう決まっております。私自身の意思はそこになく――」

「信綱さんは私と一緒にいられて幸せ?」

「もちろんでございます」

「だったらそれでいいと思うの」

「え?」

 

 しかしこの想いは――という信綱の言葉を待つことなく、阿弥はゆるゆると首を横に振る。

 

「確かにあなたは特殊な人で、私も特殊な人。でも、あなたは私と一緒にいるのが幸福で、私はあなたと一緒にいるのが幸福。それだけわかっていれば人を好きになれると思う」

「阿弥様……」

「あなたを父と呼ぶ形でもきっと私は幸せになれる。――だけど、私はあなたと恋人になりたい」

 

 頬に添える手を増やす。両手で顔を挟まれ、阿弥の顔以外が見えなくなった信綱に阿弥はとびきりの笑顔を浮かべた。

 

「難しいかもしれないけど、私を見て欲しい。私を――ただの女である阿弥を愛して欲しい」

「阿弥、様」

「信綱さんが嫌だって言うならもう仕方がないと諦めます。全ては一夜の悪夢にしましょう。――でもどうか、どうか真剣に答えてください」

 

 阿弥の瞳が揺れる。涙が溢れそうになる相貌を見て、信綱の心は急速に固まっていく。

 

「……お気持ちは嬉しく思います、阿弥様」

「…………」

「一つだけ。一つだけ聞いていただきたいことがあります。全ての返事はその後で」

「……はい」

 

 信綱の顔を挟んでいた両手が離れ、阿弥と信綱の間に距離が生まれる。

 信綱は従者としての距離を保ちながら阿弥の前に正座し、真剣な面持ちで阿弥を見据える。

 

「何度でも申し上げますが、私は阿礼狂いと呼ばれる人種です。あなたのために生まれ、あなたのために死ぬと宿命付けられ、またそれに一切の疑問を持つことなく殉じる一族の人間です」

「ええ、知ってます。それでも、好きなのです」

「はい。阿弥様のお気持ちを疑う心は毛頭ございません。問題は私のことです」

「信綱さんに?」

 

 阿弥は首を傾げる。阿弥のことを一人の少女として愛せないことであれば、阿弥は気にするつもりはなかった。

 他人の愛や恋の存在を証明するなど誰にも出来はしない。重要なのは自分の心にどれほどの確信を持つことができるか、だ。

 その点で言えば阿弥は信綱に抱く想いを恋であると確信しているし、逆に信綱は阿弥に向ける感情が狂気の類であると確信しているのだろう。

 

「はい。私は阿弥様にするようなことを阿七様にもしてきました」

「知っているわ。記憶でしか知らないけど、その時の阿七は間違いなく幸福で――」

「――同じことを阿求様にもするでしょう」

「あ……」

 

 そう、信綱たち火継の人間は御阿礼の子に狂気とも言える感情を向けるのだ。

 稗田阿弥に、ではない。御阿礼の子に、である。

 そこに含まれるのは阿七、阿弥、阿求の三人。阿求はまだ生まれていないので阿礼男なのか阿礼乙女なのかはわからないが、どちらにせよ信綱は最大限の愛情を注ぎ大切に守ろうとするだろう。

 

「仮に私があなたの想いに応え、愛したとしましょう。悲しい仮定になりますがあなたが亡き後、阿求様がお生まれになられた時に私が存命ならば――きっと、阿弥様にしてあげたことと同じことを阿求様にもするでしょう」

「それは……」

 

 それが阿礼狂い。彼らにとっては御阿礼の子であることが至高の存在の証であり、それは誰が相手でも例外はない。

 一人の御阿礼の子を恋人にしても、また次の御阿礼の子に全てを捧げてしまう。そういう一族なのだ。

 

 阿弥もそれを理解したところで信綱は腰を折り、ゆっくりと頭を垂れて床に額づく。

 

 

 

「――お願いします。どうかあなたを私の最後にしてください。それが私の望みであり、あなたの想いに応えるために通すべき筋です」

 

 

 

 完璧な所作とともに信綱が放った言葉に、改めて阿弥は自分のしようとしていることを理解する。

 これは紛れもない禁忌だ。この恋の先に未来はない。

 阿弥は遠からず寿命を迎え、それに付き従う信綱もまた彼女に同道する。

 

 だが、もう戻る道はない。他でもない阿弥がその道を断ち切ってしまった。

 

「――わかりました。本当は阿求にも伝えたかったけれど……それが信綱さんの望みならば」

「ありがとうございます。――本当に、ありがとうございます」

 

 万感の思いがこもった信綱の言葉を聞いて、阿弥の胸になんとも言えない思いが去来する。

 彼にとっても苦渋の決断だったに違いない。御阿礼の子に長く仕えることができるというのは、彼にとって紛れもない幸福だ。

 それを捨て去り、阿弥に尽くそうとしている。その有り様は紛れもなく狂っていて――阿弥にとって何よりも愛おしかった。

 

「――お慕いしております、阿弥様」

「あ……」

 

 信綱の口からその言葉が出たと同時、阿弥は自分の身体が抱きしめられていることに気づく。

 腕を引かれ、信綱の腕には少し小さいくらいの身体を痛まない程度に強く抱きしめられて、阿弥はそっと息を吐いて彼の背中に腕を回す。

 

「ああ――好きです、信綱さん」

 

 互いにそれ以上は何も言わず月の光の下、二人の影を重ね合わせる。

 やがて何を言うでもなく互いの顔が近づき、一つになっていくのであった。

 

 

 

 

 

 それからの時間を阿弥は信綱と共に過ごした。

 無論、好意を伝えることがなくても二人が共にいることに変わりはない。だが、想いを伝えることで確かに変化もあり、それを阿弥は心から幸せそうに受け入れていた。

 

 信綱もまたどこにあるかわからない彼自身の心を探すことに苦心しながらも、阿弥の前で嘘をつくことだけはなく彼女の隣に居続けた。

 恋人でもあるのだから呼び捨てにして、という阿弥の願いは従者でもある彼の最後の一線に関わるのか固辞されているが、従者として以外の部分においても彼女の愛に応えたいという意思があった。

 

 あまり遠出をするようなことはなくとも、人里の中や家の周りを散歩するだけでも以前と関係を変えた二人は互いに手探りながらも幸せそうに笑い合っている姿だったとは彼らの姿をよく知る慧音の言葉。

 

 そんなこれまでと同じようでありながら確かに違う、それでいて何ものにも負けない幸福な時間。それは夢のようなものであり――夢のように短くもあった。

 

「……楽しかったね、信綱さん」

「はい、阿弥様」

 

 阿弥が信綱に想いを告げた時と同じ、満点の星空の下で阿弥と信綱は言葉を交わす。

 互いにそれが最期であると言葉にせずともわかっていた。それだけの時間を二人は共有していた。

 だからこそ、彼らはことさらに普段通りに話す。

 

「……あはは、もう話すことが思い付かないや」

「私も阿弥様も、たくさんのことを話しました。楽しいことも、苦しいことも、面白いことも、悲しいことも」

 

 信綱が阿弥に寄りかかる。従者としては考えられない姿勢だが、阿弥も嬉しそうに信綱へ体重をかける。

 お互いがお互いを支え合う。そんな形のまま二人はこれまで交えてきた心を思い返していく。

 

「信綱さんが私の想像より多くの女の人と知り合いだったこととか、博麗の巫女様と好い仲だって噂されていたこととか、ね」

「あれは私も初耳でした。本当に驚きましたよ」

 

 弁解するようにつぶやく信綱に阿弥は忍び笑いを漏らす。噂の真偽を確認しに行ったら巫女も驚いていたので、人里の中でだけ勝手に広まっていったものである。

 まさか二人とも気づいていなかったとは、と阿弥は思わず笑ってしまったことを思い出す。あの時の二人の顔は彼女らに失礼だと思っていても笑ってしまうものがある。

 

「阿弥様こそ椛とあれほど仲が良いとは思ってませんでしたよ。あの短い時間であそこまで仲良くなるとは驚きました」

「ふふっ、思えばあの時が信綱さんに恋をした時なのよね。最初に相談したのが椛姉さんで良かった」

 

 きっと椛には阿弥の悩みの答えも見えていたに違いない。それでも答えを言わず、阿弥に悩めと言ってくれた誠実さに心から感謝している。

 阿弥と信綱が結ばれたことを心から喜んでくれた、妖怪らしからぬほどに人懐っこい彼女は今日も妖怪の山で哨戒に勤しんでいるのだろう。

 

「……ふふふっ」

「ははっ」

 

 話題があっという間になくなったことがおかしくて笑ってしまう。逆に言えばそれぐらいしかお互いに違う時間を過ごした部分がないのだ。

 それだけの時間を信綱と阿弥は共有した。そしてそれはこれからも続いていく。

 

「……ね、信綱さん。信綱さんはいつも私を待ってくれていたよね」

「そんなことはありませんよ。阿弥様の後ろに付き従うのが私です」

「でも逢引の時とかは私を引っ張ってくれたじゃない」

「あ、あれは……ああするのが良いと聞きまして……」

 

 ちなみに情報源は信綱の身近な夫婦である霧雨夫妻。あんまりあてにならないな、と実感したのは彼らの助言を実行してすぐだった。

 そのことを阿弥に言うと面白そうに笑って身じろぎをした。

 

「信綱さんは信綱さんらしくでいいのよ。それがきっと一番楽しくて、私も嬉しいことだから」

「一回で身に沁みました……。それに阿弥様もこうすることは嬉しいようですし」

 

 信綱は阿弥の身体を支えながらも器用に身体をひねって、その頬に触れるだけの口づけを落とす。

 阿弥も慣れたものでくすぐったそうに目を細め、口元に微笑を浮かべた。

 

「ん、ふふっ。信綱さんもやっと慣れてくれた」

「人目のあるところではできませんけどね」

「それは良いのよ。こういうのは衆目に晒すものじゃないわ」

 

 阿弥もまた信綱の頬に唇を触れさせる。自分からするのは良くても阿弥からされるのは別なようで、信綱は身体をぎこちなく硬直させる。

 その様子を見た阿弥はこれまたおかしそうに笑い、信綱の膝に勢い良く頭を乗せる。家族であった時から変わらずこの場所は阿弥の特等席だ。

 

「ああ、おかしい! 楽しくって、おかしくって、幸せで――本当、夢のような毎日だった」

「だった、ではありません」

「え? でも、」

「私はずっとあなたの側に居続けます。これまでも、これからも――」

 

 その言葉の意味を察し、阿弥は淡い微笑みを浮かべる。

 阿弥の死に同道しようとする彼に悲しみを寄せることは不義理である。これは阿礼狂いとしての宿命に対する彼なりの反抗でもあるのだ。

 全ての御阿礼の子を同じように愛するのなら、そうなる前に命を絶つことで阿弥に向ける慕情を唯一無二のものに昇華する。それが彼の選んだ道だ。

 彼の死に対して思うところはある。自分の恋人はもっと凄い人間であるという確信もある。

 

 ――だが、そんな人間が自分のために死ぬことにどうしようもない喜びを覚える自分がいることもまた、真実だった。

 

 そういった想いを胸にしまい、阿弥は目を瞑る。

 瞼の裏によぎるのは信綱と過ごした記憶だけに留まらず、歴代の御阿礼の子の思いもまた蘇っていく。

 彼らの歩んできた道を思い、そして自分たちが歩み続けた道を想い、阿弥は精一杯の笑顔を信綱に向けた。やはり自分が最期の言葉とするならば、これしかない――

 

 

 

 

 

「愛しております、信綱さん――」

 

 

 

 

 

 微笑み、そして逝った阿弥の身体を膝の上に置き、信綱は静かに息を吐く。

 阿七もそうだが、自分の膝の上には御阿礼の子が好む何かがあるのかと聞きたくなってしまうほど、彼女らは死に場所に自分の膝を好む。

 しかしそれはどうでも良いこと。今やるべきことは決まっている。

 

「……少しだけ待っていてください」

 

 悲しみはない。阿弥は自分が彼女の道の伴をすることを許してくれた。御阿礼の子のいない世界で生きろと命じはしなかった。

 

「私もすぐ追いかけますから――」

 

 淡く微笑み、信綱は阿弥の華奢な身体を抱き上げて庭の中心に立つ。

 星空を彩る月の輝きを見上げていると、信綱の足元から白い炎が立ち上っていく。

 やがてそれは信綱の足から徐々に登って行き、白炎は彼の身体を余すところなく舐め尽くそうとする。

 

 この日のために作り上げた霊力による炎の術。自らの霊力を瞬間的に燃やし、着火することで自らの身体を焼くという誰も使わないであろう術。

 骨も残さず燃え続ける白炎に身を委ね、信綱は阿弥の身体を強く抱きしめる。

 そして何もかもを焼く炎が全てを燃やそうとした最期の刹那、信綱の口から彼女の愛に応える言葉が漏れる。

 

 

 

 

 

「――俺もあなたを愛しているよ、阿弥」

 

 

 

 

 

 そうして、一人の阿礼狂いと彼を愛した御阿礼の子の物語は幕を下ろす。

 先に繋がるものはなく、ただただ彼と彼女の間でだけ完結した物語であった。

 二人の自己満足だと言われればその通りとしか言い様がない。しかし――

 

 

 

 

 

 彼らは紛れもなく幸福だった。それだけは揺るがぬ事実として存在し続けるのだ――




Q.なぜこのタイミングで出したのか?
A.本編終わった後に出したら阿弥の印象薄れてるに決まってんじゃん(真顔)

というわけで阿弥エンドです。彼女の愛に応える=ノッブは彼女と運命を共にするという、まさにEndingになるわけなので、本編では想いを告げることができませんでした。

阿弥がほんの少しだけ欲張って、信綱はほんの少しだけ阿弥の想いを御阿礼の子の中でも特別視した。そんなルートです。

これで後残ったEndingは本編と椛だけだ……あの白狼天狗、なんで御阿礼の子でもないのにIFエンドもぎ取ってるんだろうね?(不思議そうな顔)

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