阿礼狂いに生まれた少年のお話   作:右に倣え

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阿礼狂いと妖怪と博麗の巫女

「ふむ……」

 

 信綱は手に持っている木刀を下ろし、眼下の光景を見る。

 死屍累々と横たわる人と妖怪の群れ。ことこの空間に限り、人妖の境目はなくなっていた。どちらも動けないほど消耗しているという点で。

 

「少し揉んでみたらこれか。基礎からやっていくべきだな……」

「いやいやいや! 君の稽古はおかしいんですよ!?」

 

 まだ余力のあった椛が代表してツッコミを入れる。というか妖怪までもぶっ倒れる稽古をしてなぜこの男は汗一つ流さない。

 権謀術数が必要な舞台からは離れつつある。しかしそれで何も仕事がなくなるかと言われればそんなことはない。

 英雄としての知名度は未だ健在の上、彼の力は今なお衰えがない。その力を全て、とはいかなくてもある程度を残すのも重要な役目である。

 

 なので信綱は頭を使う時間が減ったので、その分を稽古に費やしてみたのだが――結果はご覧の通りである。

 

「椿とやったのはもっと厳しかっただろう」

「難なくこなす君がおかしかったんですよ!! 私たちは普通の妖怪と人間なんです!!」

「わかったわかった、そう騒ぐな。俺も皆が皆上手くいくとは思っていない」

 

 一人余力を残している椛に対して倒れ伏している人妖たちが密かな尊敬をしていることを彼女は知らない。当然、信綱も気づかない。

 しかし今の状況が不味いことは理解しているようで、椛の言い分にも同意する様子を見せた。

 

「それぞれの限界は把握した。安心しろ、俺も加減ぐらい覚える」

「全く良い予感がしないんですけど、どうするつもりです?」

「きっちり生と死の境を彷徨う一歩手前まで追い込んでやる。さあ立て。稽古はまだ終わりじゃないぞ」

 

 信綱も加減のわからない烏天狗を相手に通った道だ。今の自分なら生かさず殺さず鍛えることができるはず。

 昔から椛を相手に散々試したことでもある。他の人間や妖怪に適用できない道理もない。

 しかし皆はもう限界だと思い込んでいるらしく、誰も立ち上がらない。

 

「仕方がない。椛が倒れるまでに起き上がらなかったら丸太引きずって走り込み追加な」

「鬼だこの人――!!」

「鬼なら加減を間違えて殺すわ戯け」

 

 だからタチが悪い、という椛の悲鳴は無視した。

 その後、自警団に参加した者たちが等しく信綱の顔を見ただけで血の気が引くまで、稽古は続けられたのであった。

 

 

 

「あの鍛錬を日々続けていれば、いつかは烏天狗ぐらいならなんとかなるのだが……」

「いや、あれについていける精神力だけでも相当な資質だと思いますよ?」

 

 稽古の終了後、信綱は見回りに行く椛に付き合って人里を歩いていた。

 今や天狗と人間に限れば良き隣人としての付き合いが形成されており、人里の警備を担っている椛もすっかり人里に馴染んだ。

 彼女にしてみればほんの十年ちょっと人里で仕事をするだけなのだが、人間の尺度で十年は結構な長さになる。

 きっと椛が天狗の山に戻る時は悲しむ人もいるのだろう。しかし、妖怪との別離を人間が嘆く時が来るとは信綱が子供の頃は思いもしなかった。

 

「いつまでも庇護されるばかりではいずれ人里の価値はまた昔に戻る。そうならないためにも、強さというのはあって困るものではない」

「あったら嬉しい、程度の気持ちであの鍛錬は無理ですって……」

「そんなものか? 別に阿弥様が強くなくても良いと言えば、俺はいつでもこの力を捨てるぞ?」

「だからそれは君が特殊なんですって!!」

 

 あれだけ磨いた自分の力にすら執着を見せないとは。

 ツッコミ疲れた椛はため息をついて顔を前に向ける。千里眼で人里の動きを見ることにも慣れてきた。

 最初は人の細やかな営みを見続けるのは辛いものがあったが、見る場所をスリなどの起こりやすい懐や手元に集中すれば、問題なく行えると最近気づいた。

 

「……まさか人里でお前と会えるようになるとは思わなかった」

「君たちの頑張りのおかげですよ。私一人じゃ何もできませんでした」

「俺も一人だったら何もしなかった」

 

 あの日、椿に出会っていなかったら。彼女が椛と知り合っていなかったら。

 天狗に武術を教わらなかった信綱はこれまでの異変で屍を晒していた可能性が高い。磨けばその分だけ輝く才覚の持ち主であっても、磨き方が上手くなければどうしようもない。

 仮に生き残ったとしても融和など一欠片も考えなかっただろう。元より敵には容赦をしない性格でもある。屍山血河を積み上げ、自分もまたその一部になっていたに違いない。

 

 ほんの少し。一歩を踏み出す際に右足を出すか左足を出すか。そんなちっぽけな違いだけであると信綱は理解していた。そしてそのちっぽけな違いは椛であると。

 

「誇れ。お前がいたから俺は退治より共存を選んだ。お前がいなければ天狗の山の騒動で死んでいただろうさ」

「……君、そういう照れくさいことはまっすぐ言いますよね」

「事実を述べたまでだ。恥じ入ることなど何もない」

 

 顔を赤くして縮こまる椛の様子に、何かおかしなことを言ったかと首を傾げる信綱。

 個人的な心情を述べることよりも客観的な事実を述べることの方が恥ずかしいこともあるのだが、この男はその辺りは気にしないらしい。

 

「で、お前はどうなんだ?」

「どう、とは?」

「面倒なことが起きていないかだ。俺の……友人であることには一定の意味がある」

「どうして友人と言うのを躊躇うのに、あんなことが言えるんですかね……?」

 

 良い歳であるというのに未だに慣れないようだ。精神構造が生まれた頃よりほとんど変わらないというのも良し悪しである。

 見た目だけは……相変わらずの狂気的な鍛錬の成果で三十代前半にすら見えるが、内面は椛が初めて会った少年の時と全く変わることなく阿礼狂いだ。

 外面を取り繕う術は天魔と対等に駆け引きができるほどに習得していても、逆に私心を出すのは苦手なのだろう。阿礼狂いであることが第一義である彼にとって、火継信綱としての私心はあまり価値の高いものではない。

 

「うるさい、さっさと答えろ」

 

 ……まあ、こうして見ているとただ単に彼が照れ屋であることも理由の一つだと思うが。

 三つ子の魂百まで、ということわざを連想しながらも、椛は律儀に信綱の質問に答えていく。

 

「特にないですよ。天魔様は私が人の上に立つ器ではないと仰ってましたし、鬼の方々も基本は人里の方に顔を出しています」

「知っている。あの豪快さは良くも悪くも人を惹きつける」

 

 酒の席は無礼講とも言うし、彼女らの酒の強さは折り紙つきだ。それなりに上手くやっているのだろう。

 最初の頃は加減を誤って殺してしまうのではないかと戦々恐々だったが、さすがにそこで信綱との約束を破るつもりはないらしい。

 

「あとはもういつも通りですよ。白狼天狗らしく、日々下っ端のお仕事です」

「そういう連中がいるから社会は成立する。にしても、ふむ……」

 

 少々意外だった。全ての勢力が、とまではいかなくてもある程度は粉をかけられると思っていたのである。

 理由を考えてみて、すぐに答えへと思い至る。

 

 彼女を身内に引き入れることでの旨みが少ないのだ。

 千里眼は確かに強力だが、天魔やレミリア、紫らはすでに存在を知っている。そして誰に協力しているかも知っている。

 信綱が人里で知り得ない情報を得た時は彼女を疑えば良いのだ。彼女の強みは、誰にも知られていないという前提があって初めて強力な鬼札になり得る。

 

 それに信綱は阿礼狂いでありながら最大限の配慮を彼女にしている。その彼女に手を出して、藪蛇を突く真似はしたくないというのもあるだろう。

 要約するとタネが割れている上、白兵戦こそ侮れないものの実力も大したことはない椛一人に対し、各々の勢力がそこまで手を割く必要がないのである。

 

「なるほど。まあお前が大天狗になるなどゾッとしないな」

「あはは、自分でもそう思いますよ。烏天狗が自分に傅くなんて想像できません」

 

 その光景を想像したのだろう。椛の顔が困ったような笑みに変わる。

 お前はそれで良い、と信綱は内心で思うも口には出さない。

 誰かを従える立場になるということは、利害を計算しなければならない立場になるということだ。

 信綱は阿礼狂いとして御阿礼の子に悪影響が出ない範囲でしか動かない。天魔は天狗の首領として天狗に不利益が出ない範囲で。

 

 そういう風に振る舞う必要がある以上、保守的にならざるを得ない時もある。

 そんな時、一歩を踏み出せるのは――椛のような立場の存在なのだろう。

 

「…………」

「どうかしましたか? 変な顔で見て」

 

 彼女にそれを告げたところで何もならない。信綱は視線を椛から離して彼女とは別に考えていたことを話す。

 

「……別に。椿はこの光景を望んでいたか、考えていただけだ」

 

 もし、彼女が生きていたら自分はなんて声をかけるのだろうか。

 彼女の人妖観が節穴だったことをバカにするだろうか。それとも戸惑う彼女に手を差し伸べていただろうか。

 椿が望んでいたのは人と妖怪が戦える時代だ。それはもう少し先の未来で、より安全で楽しい方法が実現するかもしれないところまで来ている。

 

「……今はあの人のこと、どう思ってます?」

「――憐れんでいる。俺と会わず、天狗の山で退屈を持て余していれば幸せになれたかもしれんというのに。……愚かな女だよ、本当に」

「ですが、あの人と会わなければ君は今のように強くなれなかった。弱いままで何かを変えられるほど、幻想郷は優しくありませんよ」

「…………」

 

 椛の言葉に反論が浮かばず、黙ることしかできなかった。

 続きを促す信綱の視線に、椛はさらに言葉を紡いでいく。

 

「それに私が共存を願ったのは、君と椿さんの結末を知ってからです。この光景ができるまで、何か一つでも違っていたら。それを言ったのは君じゃないですか」

「……ふん、わかっている」

 

 だが、彼女の死が幻想郷にとって必要であったと認めたくない自分がいた。

 なぜかはわからない。阿弥の敵になった彼女は信綱にとって死んで当然の相手であるというのに、不思議と彼女の死を肯定的に捉える気になれない。

 信綱はほんの少しだけ思索を巡らせ――自分の手で殺した相手を考えるなどということのバカバカしさにため息をつく。

 

「見回りに戻るぞ。河童の出店を見に行く」

 

 火継信綱という人間は、物事を自分の中で完結させると話題を変える癖があった。

 自分の心情を表に出すことを嫌う信綱らしい悪癖であり、椛からすれば何度も見た姿である。

 なので椛も驚くことなく彼の言葉に応える。

 

「あれ、何かあったんですか?」

「……イカサマしているんじゃないかという疑惑が出ていてな」

「ああ……」

 

 椛が遠い目になる。良くも悪くも技術者というか、思いついたら実践せずにはいられないというか。ついでに言えば研究には金もかかるため利益にもうるさい。

 あれ、河童って結構面倒な連中? と椛が思っていると、横を歩く信綱の顔が厳しいものに変わる。

 

「さんざん注意したというのに、懲りない奴らだ」

「え、君はもう何度も見ているんですか?」

「うむ。その度に生きるのが嫌になるくらい折檻したつもりなんだが……」

「うわぁ」

 

 この手の言葉で信綱が嘘をついたことはない。本当に死なせてくれと懇願するくらいには精神と肉体を追い詰めたのだろう。

 それでもなおイカサマを続けるとは、一周回って潔さすら覚える領域である。

 

「真面目に商売をしていれば俺も何も言わないというのに……」

「あはははは……ほら、ハマると凄いんですよ?」

「悪い方向に行くなと手綱を握ってくれ」

「それは無理です」

 

 地味に頭の痛い問題なのだ。祭りの出店程度の規模なので、さほど大きなわけではないのが救いというべきか、だからこそ強く罰することもできずタチが悪いというべきか。

 ともあれ、まずは真偽を確認して本当のようであれば、再び生きることが嫌になるまで折檻をしなければならない。信綱としても面倒なのでやりたくないことだ。

 

「はぁ……行くぞ、椛。やっと作った時間を些細なことで壊したくはない」

「ええ、任せてください。私だってこの時間は好きなんですから」

 

 二人は長年共に歩んできた者たち特有の距離感で、人里の中を歩いて行くのであった。

 

 

 

 

 

「…………」

「…………」

「…………」

「…………」

 

 空気が重い。双方ともに無言で茶をすすり、沈黙が場を支配している。

 茶を飲む片方は信綱。相手がなぜ何も言わないのかも理解しており、元々静かな時間が好きな彼にとって、この空間は少々居心地が悪い程度で気になるものではない。

 しばらく無言の時間が続いたが、やがて痺れを切らしたのか、信綱の茶飲み相手――博麗の巫女が口を開く。

 

「……何か言うことはないわけ」

「茶菓子が欲しい」

「湿気ったせんべいでも食ってなさい! 幻想郷の未来を決める会議に呼ばれないって何よ!」

 

 怒鳴りながらもせんべいを出してくれたので、遠慮なくかじりながら信綱は巫女の愚痴を聞き流す。

 招待をしたのは紫なのだ。別に信綱が選んだわけではない。巫女もそれぐらいはわかっているので、これは単なる八つ当たりに過ぎない。

 

「俺に言われても困る。選んだのはスキマだ」

「他に言う相手いないじゃない! 紫はどこにいるかわからないし! レミリアと天魔は遠いし!」

「それはそうだが、よく把握しているなお前……」

「紫から事の次第だけは聞かされたのよ……あんな喜色満面の紫なんて初めて見たわ」

「ふむ」

「正直気持ち悪かった」

「だろうな」

 

 紫が聞いていれば非難轟々の内容だったが、二人は特に気にしなかった。両者の中で紫がロクでもない妖怪に位置することは当然の事実らしい。

 

「あーあ、妖怪が雁首揃えて会合とか、どうせロクなことじゃないと思ってたのに。あんたまで入ってるなんて」

「それぞれが勢力の長だからな。博麗神社は勢力としては数えられん」

 

 敵味方以前に、ここが落ちたら幻想郷は終わりなのだ。

 絶対中立、絶対不可侵。それが博麗神社の不文律であり、この中で争うことは許されていない。

 これらも彼女を呼ばない決断に十分だが、それ以上にもっと大きく、単純な理由があった。

 

「大体お前、もうすぐ引退だろう」

「……む」

「昨日今日で決まるものでもない。骨子だけは定まったが、形になるのはまだまだ先の話だ」

「私やあんたが今から覚えられるものではないってこと?」

「いや、俺は覚えられるぞ?」

 

 必要ならなんだって覚えるし、取り入れる。霊力の扱いを巫女との稽古だけで覚えた彼の才覚は伊達ではない。たとえ制定された掟が全く新機軸のものであっても、信綱は容易に習得ができるだろう。

 

 とはいえ必要ないとも感じていた。これからの幻想郷に必要なのは命を懸けることなく人妖が戦える決まりであって、それができたら信綱は一線を退いて御阿礼の子の側にいたかった。

 人里に決定的な被害が出かねない場合は剣を振るうことも許されているので、最悪の場合の防波堤ぐらいになれば十分だと考えている。

 

 それを伝えると巫女は頭痛と感心を混ぜたようなため息をついた。

 

「馬鹿となんとかは紙一重ってよく言ったものね……」

「なぜ天才をなんとかと言う」

「あんたを天才と言うのはなんか腹立つ」

 

 相変わらず理不尽な巫女である。信綱は肩をすくめて湯呑みに残っていた茶を飲み干す。

 置いた湯呑みに新たな茶が注がれるのを横目に、信綱は巫女に声をかける。

 

「俺は御阿礼の子がいる限り現役だが、お前はそうではない。スキマが後継を見つけたら、ないしアテがついたら終わりだろう」

「……生きてこの役目を終えられる時が来るなんて思ってなかったわ」

「そんなものか」

「あんたは私が死ぬとか思わなかったの?」

「なぜ?」

 

 真顔で首を傾げられてしまい、むしろ巫女の方が戸惑ってしまう。この男の頭には巫女が死んだ場合のことが一切ないようだ。

 

「なぜって……博麗の巫女の危険性は知っているでしょう?」

「実際のところはわからないが、俺も修羅場はくぐっているから想像はつく」

「じゃあわかるでしょう。妖怪退治に失敗して死ぬ。恨みを買った妖怪に襲われる。寝入ったところを襲われる。博麗神社が中立地帯って言っても聞かない連中だっているわ」

「お前はその程度じゃ死なんだろう。そんな有象無象にお前が殺せるものか」

「……当たってるけどさあ」

 

 信頼されていると考えるべきか、それとも信用以前の事実を述べているだけなのか。常と変わらず淡々と話す信綱の顔からは今ひとつ判断ができなかった。

 

「それにお前が死ぬのならその前に俺も死んでいるだろう。何の因果か、妖怪の執着は俺に向いていた」

「ご愁傷様。そしてありがとう。おかげで楽ができたわ」

「どういたしまして」

 

 全く気のこもっていない巫女の感謝に信綱もおざなりに返す。過ぎたことをどうこう言うつもりはないのだ。

 

「……なあ、お前は巫女の役目を終えた後はどうしたいのか、決まっているのか?」

「え?」

「この前、俺も人里の政治からは下がるよう言われてな。ふと思った」

「……あんたはどうするの?」

「阿弥様の側仕えをやめるわけじゃない。稽古に当てる時間が増えた程度のものだ」

 

 当主としての雑務も適当な連中に任せている。実質、信綱に課せられた役目は妖怪との折衝ぐらいである。

 と言っても、基本は阿弥の側仕えが中心だったので、それ以外の時間に入っていた仕事がなくなったに過ぎない。それに人里の仕事ぐらいは片手間でもできていた。

 それを巫女に伝えると、巫女は馬鹿を見るような目で信綱を見る。

 

「まだ稽古してるの? 鬼なんてぶっ倒しておいて?」

「あんな薄氷の戦い二度と御免だ。次は無傷で勝つ」

「本気で言ってるのがあんたらしいわ……」

 

 面白い冗談だと思われたのだろうか。しかし信綱は五十を過ぎた今であっても、鍛錬を緩めることはなかった。

 彼が求める強さは例え鬼の首魁が二人がかりで来ようと、鎧袖一触に薙ぎ払える強さ。そこまで到達することが不可能であっても、御阿礼の子に心配をかけさせないために強さは必要だった。

 

「俺の話はどうでも良いだろう。お前の話だ」

「ん……」

 

 巫女は湯呑みを置いて空を見上げる。信綱もそれにつられて空を見る。

 雲ひとつなく蒼天澄み渡る晴れ模様。頬を撫でる風は適度に涼しく、秋晴れの良い一日であった。

 その空を見て、巫女の思考には何が去来しているのか。信綱には想像がつかなかった。

 

「……誰かと一緒にいたいってのは話したわよね」

「物心ついた頃よりこの神社で過ごしているのなら理解は示せるな」

 

 誰に相談することもなく、ただただその強さを求められる日々。人に肩入れをすることも、妖怪を駆逐することも許されず幻想郷の一部として生きることを宿命付けられた命。

 信綱には考えられないことだ。自分から望んだものではないものに命は懸けられない。

 

 それをこの巫女はやり遂げた。誰に認められずともそれは賞賛されるべきことである。

 信綱がこの巫女と友人として付き合いを続けているのは、巫女の役目を果たしている彼女に対する敬意も含まれているのだ。

 なので彼女が役目から解放された時、彼女の願いをある程度は叶えるのもやぶさかではなかった。大して価値も見出していない自分との婚姻で良いのならどうぞという感覚である。

 

「他の夢、他の夢、ねえ……。一緒にいてくれる相手はいるし、後はもう悠々自適にお茶でも飲んでいられればいいかな」

「今の状況と何が違うのだそれは……」

 

 無欲というべきか、とことん怠惰というべきか。あるいは夢を持つような関わりすらなかったのかもしれない。

 夢とは他者や道具と関わって得るもの。志半ばで死ぬ可能性が極めて高く、他者との関わりも最小限になっていた巫女が夢を持たないのも、ある意味当然の帰結なのだろう。

 

 それに対し憐れとは思うが、それ以上の同情などは抱いていない。

 選択肢が他になかろうと、選んだのは彼女である。辛い役目を背負ったことへの憐憫と、見事それを成し遂げたことに敬意は表すが、畏敬は持たない。

 色眼鏡をかけず、その人自身を見てくれる友人というのは思いのほかありがたい存在なのであると、信綱は勘助から学んでいた。

 

「……まあ、お前がそれで良いなら良いのだろう。俺もお前の生き方にとやかくは言わん」

 

 今さら夢を見つけてもどうしろという話でもある。もうお互いに五十を過ぎた老人の身だ。

 霊力を扱えるからか見た目こそまだ働き盛りを維持しているが、死ぬ時はあっさり死ぬだろう。

 

「わかってるじゃないの。適当にやってくわよ、適当に」

「…………」

 

 こいつは元々一般人の生活が向いてないのではないだろうか。そんな感想を巫女に対して持ってしまう信綱だったが、口には出さなかった。

 

「……ねえ」

「なんだ」

 

 巫女の声音がしんみりとしたものになり、そこはかとない真剣味を感じさせるものになる。

 それを耳ざとく察した信綱は、しかしいつも通りの態度で彼女の方を見やる。基本的に信綱の対応は相手の態度によって決まるが、大体の場面では彼なりに真面目に向き合っていた。

 

「私たち、友人よね?」

「そうだな」

「否定しないんだ」

「三十年以上お前の愚痴にも付き合ってきただろう」

「あんたの愚痴も聞かされたわね」

「そうだな。ところで、過去を思い返すような話が増えると人間は老けると言うぞ」

 

 拳が飛んできたので避ける。一発だけ飛んできた拳はそのまま力を失い、信綱の肩に置かれる。

 何かを言い淀むようにその手は震え、やがて決心とともに信綱の肩を握り潰す勢いで力がこもった。

 

「……先のことはまだわからないけど、ずっと友人でいてくれるわよね?」

「俺は来る者は拒まず去る者は追わずだ。お前が離れるか、阿弥様の敵にならない限り俺はお前を見捨てない」

 

 痛いから離せ、とは言えないので素直な気持ちを話す。

 彼女なりに勇気を出して聞いているのだ。素直に応えるのが筋だろう。

 それを聞いた巫女はこわばっていた肩の力を抜き、安心したように長い安堵のため息をつく。

 

「全く、そんな不安に思うようなことでもなかろうに」

「声に出さなきゃわからないこともあるのよ。あんたはその辺、かなり受け身だし」

「必要がないことはやらない。簡単なことだ」

 

 彼女が目に見えて落ち込んでいるようなら慰めの一つも口にするが、そうでなければ何も言わない。

 巫女の言葉ではないが、声に出さなければわからないことなどいくらでもある。

 

 御阿礼の子のことであるなら何も言わずとも全てを察するのが当然だが、それ以外の存在のためにそこまでする義理は見当たらなかった。

 

「……あんたは本当、変わらないわね。私が会った時からずっと」

「一生変わらんだろうよ。俺はそういうものだ」

 

 火継の人間は全員が阿礼狂いであり、総じて物の見方や価値基準などはほぼ同じである。

 その中で何を重要視するか。信綱のように可能な限り情理に配慮し周囲との軋轢を作らないことに腐心するか、周囲との関係自体を持たないように振る舞う者もいる。

 

 どちらも阿礼狂いという観点で見れば違いはない。根幹が生まれた時より定まっている以上、歳を重ねても枝葉が少々変わる程度である。

 その点で言えば信綱は変化した方だとも言える。六歳の頃から側仕えをし、多くの人妖に目をつけられて生きてきたため多くの価値観に触れている。

 

「……けど」

「けど?」

 

 御阿礼の子が至高という価値観は揺るがずとも、それ以外の部分では十二分に成長をした。それが今の共存を作り上げる原動力となっているのだ。

 

「俺が知り合った誰か一人でも欠けていたら、今の自分はないと思っている。お前も例外じゃない」

「……なんか言葉にされると照れるわね、それ」

「言葉にしなければわからないと言ったのはお前だろうに。まあ……」

 

 立ち上がり、巫女に手を伸ばす。

 

「来る者は拒まない。責務を終えたお前ぐらいならどんな形であれ、面倒を見てやる」

「……言ったわね? 私、結構面倒な方よ」

 

 それを巫女は眩しい何かを見るように目を細めて、しかし迷うことなく伸ばされた手を掴む。

 

「俺より面倒なやつはいないだろう。愛されないとわかっていて俺の手を取るか」

「恋だの愛だのを語れるほどの時間はないでしょ。一緒にいてくれる友だちがいる。それだけで十分よ」

「変わったやつだ」

「あんたと同じ評価ね。なら私も英雄ってことかしら?」

 

 口の減らない女である。しかし、これが彼女なりの親愛の表現であることも信綱は理解していた。

 仕方がないと微かに笑い、巫女も信綱の微笑んだ姿を見て笑う。

 

 博麗の巫女と阿礼狂い。本来なら接点など生まれるはずもない関係であるにも関わらず、ここまで縁が続き、またこれからも続いていく。

 

 

 

 それはきっと――彼女にとって何よりの救いなのだろう。




椛とは相棒。巫女とは腐れ縁のような、友人のような関係。
自分が狂人であると公言し、なおかつ向こうもそれを理解しているからこそ成り立つ人間関係。
奇妙でノッブの意思次第であっさり終わるけど不思議と強固。そんな感じのつながりです。

話が長くなる→色々とキャラが出る→そのキャラを満遍なく書こうとする→話が長くなる→作者が死ぬ(迫真)

というわけで次回で動乱の時代は終了です。つまり――阿弥と別れる時がやって来ました。

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