阿礼狂いに生まれた少年のお話   作:右に倣え

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天狗との一幕

 ドクドクとうるさい鼓動を無理やり鎮め、必死に息を整える。

 現在地は茂みの中。外部から見つけるには一苦労を要するであろう場所に隠れ、しかし油断は一切できない。

 周囲を注意深く見回し、五感を極限まで使って気配を探っていく。

 

 どこだ? どこにいる? いや、どこを探している?

 

 完璧にこちらを見失っている――なんてのは甘い夢想であると嫌というほど思い知らされている。

 今の状況だって一時しのぎに過ぎない。遠からず彼は自分を見つけるだろう。

 

 極限の緊張と綱渡りの連続に汗が流れ、地面に映る濃い影を一層濃く際立たせて――

 

 

 

 影が濃い?

 

 

 

「――ッ!!」

「む」

 

 背筋に走る悪寒に従い、茂みから飛び出す。

 直後、先ほどまで少女――椛のいた場所に二刀を振りかぶった男性が着地していた。

 男性の顔には微かな感嘆。気づかれないと思っていたのが感づかれたことに対する感心と驚愕が混ざっている。

 その男性――火継信綱が二刀を携える姿は、有事や異変の際には大妖怪にすら匹敵する頼もしさを備えるというのに、今の彼には途方もない圧迫感と恐怖しか覚えない。

 

 確信があったわけではない。ただ、影が濃いことから直感的に不味いと思っただけのこと。

 訳のわからない連想だろう。きっと自分も後で振り返って、なんであの瞬間わかったのか首を傾げるに違いない。

 だが、今は結果が全て。彼の追撃を振り切り、椛はまだ戦闘が可能な状態にある。

 

「ハッ!」

「っとぉ!!」

 

 追撃に振るわれた長刀を椛の手にある大太刀で防ぐ。

 甲高い音が連続し、火花が両者の間に散る。

 何合か打ち合った後、椛の側から渾身の一振りを合わせて大きく距離を取る。

 

(打ち合いができた! ということは――本命はこっちじゃない!)

 

 彼は無駄な行動はしない。それを骨の髄まで知っている椛には理解できる。

 自分程度の剣術で彼と打ち合えるものか。本気で今の攻撃で終わらせるつもりなら、さっきの打ち合いで武器が破壊されていた。

 

 事実、千里眼で見る彼の姿は木々の間を飛び回り、一瞬たりとも地に足をつけることなく攻める方向を特定させない動きで椛を翻弄している。

 全方位を見回せる目があるのなら、攻め手を予測させない動きをすれば良い。言葉にすればそれだけだが、実行するには彼のような卓越した体術が必要不可欠である。

 

 千里眼を持ってして見切れない速度とどこから仕掛けてくるかわからない足さばき。それらを目で追って――やがて諦めて目を瞑る。

 視界が闇に閉ざされ、彼の姿はどこにも見えなくなる。聞こえるのは樹の幹を蹴る際に生まれるコツコツというキツツキのような足音のみ。

 だが、こういった閉所とも言える場所では千里眼に頼るより精度が上がる情報だ。

 

「…………そこっ!!」

「おっと」

 

 音のする方向に大太刀を振るうと、少しだけ驚いた様子の信綱が剣を避けるために身を翻す。

 そして着地する音が地面の木の葉を踏み潰す音でわかる。その場所に剣を走らせて――硬質な何かに弾かれる。

 

「っ!?」

「一つの感覚に頼り過ぎだな」

 

 目の前で囁かれた声に驚愕のあまり、目を開ける。一刀を手放して地面に突き刺していた信綱が、両手で長刀を振りかぶっていたのだ。

 驚愕に固まる思考とは裏腹に肉体は素早く反応し、咄嗟に防ごうと左の盾を前に出し――失策に気づく。

 鉄の盾など彼の斬撃の前には何の意味も成さない。今必要なのは彼に刀を振らせないか、四肢の切断を覚悟で突っ込むこと。

 

「こ、のぉっ!!」

 

 案の定というべきか、左腕の感覚が喪失する。冷たい刃が肉を切り裂く感覚はおぞましく、痛みを無視できるようになった今でも耐え難い嫌悪感をもたらす。

 だがそこで動きを止めたら相手の思うつぼだ。椛は歯を食いしばってそれに耐え、踏み込んで斬撃を繰り出そうと――

 

「もう遅い」

「くっ――!」

 

 その足はすでに信綱が斬っており、椛が次に行う攻撃も読まれていたことがわかった。

 だがそれで諦めるわけにはいかない。手足が全て斬られようと、そこに可能性がある限り椛に諦めは存在しな――

 

「終わりだ」

 

 闘志に燃える椛に対し、信綱は無情にも残った手足を斬り飛ばす。

 

「ま、参りました!! あー、また負けたー!!」

 

 四肢を全部斬られたら諦めざるを得ない。椛は悔しそうに地面に転がるのであった。

 

 

 

「いやあ、凄まじい鍛錬ですねえ。椛もよくあそこまで切り結べるものです」

 

 椛と信綱の鍛錬と呼ぶには実戦的かつ、危険に過ぎる光景の一部始終を眺めていた文は、鍛錬で生まれた血と汗を水場で清めている椛に話しかける。

 

「何百、何千と斬られ続ければ嫌でも覚えますよ……文さんも試してみます?」

 

 話しかけられた椛はすでに接合しているものの、斬られた悪寒の消えない手足に水を何度もかけながら、濁った目をする。

 烏天狗を越える白狼天狗の第一号に、俺がしてやるという信綱の言葉から始まったこの鍛錬は、しかし椛の想像を絶する激しさがあった。

 信綱に稽古を付けていた時は彼が人間だという配慮があったから多少は手心も加えられていたというのに、信綱が椛に稽古をつける時はそれがない。

 

 多少熱が入り過ぎて斬ってしまっても、致命的なまでに斬り刻まなければ治るのだからなにやってもいいよね、と言わんばかりに攻撃してくるのだ。

 正直、何度泣きを見たかわからない。ズタボロで衣服を整える余力すら残らなかった時もあるくらいである。

 それでも椛が信綱の稽古に付き合っているのは、彼なりに真摯にやっているからだろう。言ったことを翻すことはあっても、諦めることは滅多にないのだ。

 それになんだかんだ強くなってもいる。百鬼夜行異変の折、信綱が背中にいたとはいえ鬼を相手に時間を稼げたのは鍛錬の賜である。

 

「あはは、遠慮しておきます。あの人のお気に入りはあなただけで十分ですよ」

「お気に入りなんて綺麗なものじゃないですって、全く……」

 

 身体を清め終わった椛は川岸に上がり、新しい服を身にまとっていく。彼との鍛錬時には着ている服が必ずと言っていいほど使い物にならなくなるので、こうして新しいものを用意しておくのだ。

 そんな椛の様子を逐一視界に焼き付けながら文はそっとつぶやく。

 

「――着痩せする方と見た」

「文さん?」

「いえいえ、なんでもありませんよー。さ、あまり話し込んでも彼が来るかもしれませんし、戻りましょうか」

「そうですね。もういい時間ですし、お昼にしましょう」

 

 ちなみに昼は大体信綱が川や山で採った魚や野草になる。稽古場に使うこの近辺は、もはや彼にとって庭に等しかった。

 椛と文が焚き火の焚かれている場所に戻ると、そこにはザッと水浴びでもしたのだろう。上半身をはだけた格好で座っている信綱がいた。

 

 もう五十を迎えようとしているというのに、この男の肉体には未だ衰えというものが見えない。

 鬼の顔すら伺えるような巌の如き肉体が惜しげもなく晒されていることに、文は貴重なものを見た心持ちになる。実際、彼が服を脱ぐような時があまりないので珍しいものではある。

 大体が和装で、公の場では羽織なども着る彼は結構着膨れをしているはずだが、それでも体躯自体は華奢に見えていた。

 が、それは決して筋肉がないことを意味しているのではなく、むしろ極限まで引き絞られているのだということが肉体から伺える。

 弓の弦を引き絞って引き絞って引き絞って。何かの拍子に千切れてしまうのではないかと思ってしまうほどに絞り込み、しかし千切れない。

 人間の限界に挑み続け、一歩間違えれば全てが壊れるような鍛錬に身を置き続けて、その上でようやく得られる肉体。そんな印象を文は覚えるのであった。

 

「む、戻ったか」

 

 とうの信綱はそんな文の視線に気づくことなく、二人が帰ってきたことに手元の紙をしまって立ち上がる。

 彼の前ではパチパチと音を立てて魚が野草を巻かれて串に刺さっており、食欲をそそる脂が滴っていた。

 

「メシにするぞ。魚は適当に採ってきた」

「わかりました。ところで、さっきの紙は?」

「大したものじゃないぞ。俺の動き方を書き記しただけのものだ」

 

 そう言って信綱が懐に収めた紙を無造作に放ってくる。

 受け取った椛とそれを覗き込む文が見てみると、確かに本人の言うとおり攻撃の受け方や避け方、避けた場合の反撃方法などが事細かに図解付きで記されていた。

 

「これは一体?」

「……こんなものでも、残しておけばいつか誰かの役に立つかもしれない。そう思っただけだ」

 

 たとえ役に立たなくても無駄にはならない。そう考えて、信綱は自分の戦い方を残そうとしていた。

 信綱の戦い方は火継の一族が使う戦闘術と椿から教わった天狗の武術、さらに自身の戦闘経験によって磨き上げた独自の動きが混合している。

 それでいて動きに無駄が出ないのは系統立った動きが元になっているからだろう。我流のみで強くなった場合、同時に悪癖なども身についているものだ。

 

「別に全部模倣できなくても、一部だけでも模倣できれば無意味にはならん」

「なるほど、道理です。ところでそうやって動きを教えられるのなら、私の稽古をもう少し楽なものにしてくれても……」

「これは人間用の動きだ。空を飛ぶ妖怪に合わせてはいない。お前は基礎もできているし、実戦に勝る稽古はない」

 

 がっくりと項垂れる椛に、彼女がどれだけ厳しい稽古に身を置いているか理解した文も苦笑いしかできない。

 とにかく食事をして気を紛らわそう。そう思って、そろそろ焼けてきた魚に手を伸ばす。

 

「まあまあ、辛いことなんて忘れて食事にしましょうよ……って、あら?」

 

 伸ばした手に枝の感触がない。そして横合いには何やら大柄な影がある。

 誰かと思ってそちらに視線を向けると、そこには魚を美味そうに頬張っている歳若い天狗の姿があった。

 

「んぐ、美味い。こういう野趣のあるやつを食うのは久しぶりだ」

「て、てて天魔様ぁ!?」

「よう、旦那」

「天魔か。そこにお前の分があるぞ」

「あ、天魔様。お久しぶりです」

「おう、きっちり顔を合わせたのは百鬼夜行前か」

「いやいやいやいや!!」

 

 いきなり現れた天魔の姿に文は心底仰天しているというのに、信綱と椛は驚いた素振りを見せない。

 椛はまだ理解できる。彼女は千里眼を持っているのだからどこかで気づいた可能性はある。だが、信綱はどうなっているのだろうか。

 不思議な目で見ていたことに気づいたのか、信綱が文の方を見ながら説明する。

 

「稽古の途中で視線が増えてた。慣れた気配だったから天魔だとわかっただけだ」

「だけってもんじゃないですよね!?」

「文、旦那を人間の領分に収めない方が良いぞ。驚くだけ損だ」

「失礼な」

「あはははは……」

 

 天狗が三人と非力な人間一人だろう、と信綱が憤慨するものの、誰一人として信綱の味方にはならなかった。解せぬ。

 天魔の登場に驚いていた文も二人が動じていないことから、自分だけ戸惑っているのはあれと思ったのかおずおずと座り直す。

 そのまま四人で魚の昼食を取った後、信綱は皆が休憩をしているのを見計らっておもむろに口を開く。

 

「お前はなんの用だ。まさか俺と椛の鍛錬を見学に来ただけでもないだろう」

「それも目的の一つではあるな。なにせ旦那の仕込んだ白狼天狗が伊吹萃香を一騎打ちで倒したと来た」

「あれは相手がほとんど一割にも満たない状態だったからですよ。万全だったら逆立ちしても勝てません」

 

 それを言ったら九割の萃香をほぼ一方的に斬り刻んだ信綱はどうなるのかという話だが、誰もそこには触れない。きっと常識はずれの答えが返ってくるだけである。

 

「それでも勝った。千里眼ぐらいしか取り柄のない白狼天狗が。旦那の鍛錬にはどんなものがあるのかと興味を持ってもおかしくないだろ?」

「それはまあ……」

「――天魔」

 

 椛が答えにくそうにしていたので、信綱が話を遮って助け舟を出す。

 

「本題に入れ。俺はお前に稽古の感想を求めた覚えはないぞ」

「へいへいっと。相変わらず世間話とか通じねえなあ」

「抜かせ。ただの世間話なら俺も目くじらは立てん」

 

 暗に世間話以外の目的があることを仄めかす。先ほどの話における、天魔の狙いをある程度読み取っているからこそ取れる行動だ。

 というより、先ほどの助け舟を出す瞬間を見計らっていたのだろう。信綱が椛をどの程度大切に扱っているか、その基準を見定めたかったに違いない。

 つまりすでに彼の手のひらである。それに信綱は不愉快そうに目を細める。

 

「さすが、と言っておこうか。ここまでオレとやり合える存在なんて妖怪にも早々いねえ。この手の駆け引きってのは単純な知恵比べとは違うからな」

「…………」

 

 天魔の褒め言葉にも耳を貸さず、信綱は細めた目に微量の殺気を込めていく。

 この後も椛と稽古をして、それが終わったら彼女に阿弥の元へ行ってもらおうと思っていたのだ。それを邪魔されたことへの恨みも僅かにこもっている視線を受けて、天魔も表情を真面目なものに変える。

 

「おっと、これ以上は怖いな、本題に入ろう。――人里に天狗を置きたいと考えている。旦那の裁可をもらいたい」

「……畏れの確保か」

「察しが良くて助かる。オレの方で見繕った天狗を何人か送る。そいつらは治安維持、それも野良妖怪の出てくるような人里の外縁に回してくれて構わない。むしろ力を示しやすいそっちに回してくれ」

「俺の一存では決められんな。人里の会合で話には出す」

「頼む。その先駆けってわけじゃないが、一人うちの天狗を連れて行って欲しい」

「ん?」

 

 信綱は文の方を見る。天魔が重用している部下は彼女ぐらいしか思いつかないため、彼女が人里に来るのだと考えたのだ。

 しかし文は全くそんなこと聞いていないと言わんばかりに体の前で手を振るばかり。では一体誰なのだろうか、と信綱が考えると、天魔の手が椛の肩に置かれた。

 

「というわけで、よろしく頼む」

 

 そして実に爽やかな笑顔とともに、椛にとって晴天の霹靂なそれを告げるのであった。

 

「は、はぁ……ってえええぇぇ!? 私ですか!?」

「むしろお前しか適任がいねえと思ってる。百鬼夜行異変の折、萃香が人間を集めた前でお前が勝ったとも聞いているし、目に見えて活躍したお前が人里に行った方が色々とやりやすいだろ」

「ふむ、道理だな。文ではないのか?」

 

 今まさに告げられた話の内容に椛は驚きを隠せないが、意外にも信綱は天魔の言葉に同意の姿勢を見せていた。

 実際、見回りの仕事に天狗を回すのであれば、管理するのは人里の警備を担っている信綱の仕事になる。

 ……本来なら有事の際に動くだけだったのだが、人里の運営に対妖怪の人間として携わっているうちに任されてしまっていたのだ。

 それに見回りをしなくとも、人里に常駐するであろう妖怪を管理するのは信綱の役目になるのが目に見えている。だったらせめて気心の知れた相手と仕事がしたい。

 

「そいつにはオレの仕事を押し付け――もとい、別の仕事がある」

「今なんて言いました!? 今なんて言いました、ねえ!?」

「うるさいぞ文。今は仕事の話の最中だ」

「天狗社会の理不尽!?」

 

 文が来ないことも不思議に思っていたが、どうやら天魔の個人的な用事に付き合わされるようだ。

 美鈴と言い文と言い、破天荒な上司を持つと大変だというのが実によくわかる光景だった。

 その点で言えば信綱は部下に優しい方だろう。あまり手綱も握っていないため、放任とも言えるが。

 

「……まあ良いだろう。こいつなら話も出しやすいし、向こうも受け入れるだろう。だが、畏れの確保が上手くいくかは保証しないぞ」

「そこは一時しのぎで構わん。今も騒いでる強硬派を抑える口実になりゃあ問題ない」

「意思の統一が難しいのはどこも変わらんな」

 

 人里にも未だ妖怪排斥の声があるように。天狗の方も火種を抱えている状況に変わりはないようだ。

 とはいえ共存の流れができあがりつつある今、下手に動いても逆効果にしかならないだろう。向こうもそれはわかっているのか、今はおとなしいものだ。

 信綱の言葉に天魔は同意の姿勢を示すも、口から出てくる言葉は意外にも彼らを擁護するものだった。

 

「あいつらもあいつらなりに天狗の未来を考えてんだよ。頭ごなしに否定はできん」

「ふむ、お前にしてみれば強硬派も守るべき天狗か」

「それに意思が一つに統一されすぎるのも問題がある。オレがいつまでも正しく天狗を導けるかはわからんしな」

「なるほど、お前も苦労しているな」

「旦那も同じだろう? お互い、一人で舵を取ると何かと大変で仕方がない」

 

 天魔の同意に信綱は肩をすくめて返答とする。あいにくと信綱は人間と妖怪の舵取りに苦心したことはあっても、責任を感じたことはなかった。

 失敗したところで前までの形に戻るだけ。仮に争うことになったとしても阿弥が守れるならそれで良い。その程度のものだった。

 ……萃香との戦いで阿弥を優先する姿を見せたことから、天魔には知られてしまっているかもしれないが。

 

「まあ犬走のことは旦那に任せるよ。天狗に被害が出ない範囲で煮るなり焼くなり好きにしてくれ」

「天魔様!?」

「言われずとも」

「ちょっと!?」

 

 信頼ができ、千里眼を持つ椛の重要性は身にしみている。こき使える間は徹底的に使い倒す所存だ。

 自分の意向が完全に無視されていることに椛は乾いた笑いを上げるものの、どうにもならないと思ったのかがっくりと項垂れる。

 天魔と信綱。天狗と人間の頭とも言える二人が決めた内容に、しがない白狼天狗に逆らう術はない。

 

「で、ここまでが本命。こっからは趣味の話だ」

「趣味?」

「おう。――人間、一つ技比べをしようじゃないか」

 

 天魔は立ち上がり、その腰に携えている木刀を信綱に放る。

 思わず受け取ってしまうが、信綱は怪訝そうな顔を崩さない。なぜ腹の底を見せない相手に手札を晒す必要があるのか。

 そんな不審を露わにする信綱に天魔は苦笑を浮かべた。

 

「オレだって四六時中悪巧みしてるわけじゃないっての。オレも久々に天狗の端くれとして、人間と純粋に武技を競いたいと思うのさ」

「……お前が俺に勝てるとでも?」

「まさか。鬼の首魁を打ち倒した人間とまともにやり合ったらお陀仏さ」

「つくづく人間と天狗の会話じゃないですよね……」

「鬼か何かだと思った方が驚愕が減りますよ?」

「聞こえてるぞ、そこ」

 

 文と椛がヒソヒソと交わす会話に顔をしかめる信綱。こいつらは人のことをなんだと思っているのか、と憤慨せざるを得ない。

 しかし信綱の怒りに対し同意する声は上がらなかった。周りは敵だらけである。

 

「……はぁ、寸止めでやるのか?」

「おう。何でもありだとオレが死ぬ。場所は……こんぐらいでいいか」

 

 天魔が腕を一振りすると、相撲の土俵のように小さな円が風で作られる。

 限られた空間内での武技の競い合い。火継の道場でもよくやっていることだ。

 相手は天狗の首領、天魔。信綱が火継の一族を率いる時間など児戯と感じてもおかしくないくらいの時間、天狗という種族を率いてきた男だ。

 能力の一端はあの騒動の時に見ているが、あれは妖力の扱いであって武術には数えられない。

 つまるところ、完全な未知数。ぶっつけ本番でどうにかするしかない。おまけに向こうはこちらの戦い方をある程度知っている。

 

 それらの情報を加味して、信綱は思考を切り替えて立ち上がる。

 

「……良いだろう。純粋に技術を競うのはそう嫌いじゃない」

「だろうさ。相手がいない乾きってのはそうそう無視できん。オレがそうだったようにな」

「…………」

 

 天魔の言葉には答えない。信綱が力を磨くのは御阿礼の子に仇なす敵を討ち倒すため。

 誰も相手にならない時が来たとしたら、それはいかなる相手からも御阿礼の子を守れるという点で誇るべきことなのだ。

 

 円の中に二人が入ると、両者の間ですぐに眼光による威圧のやり取りが始まる。

 これまでの穏やかな空気から一転し、あるのは互いの隙を抜け目なく探っていく駆け引きと機先を制そうと圧力を強める眼光のみ。

 

「…………」

「……来ないのか?」

「……ッ!!」

 

 天魔の声に応えたわけではない。だが、一歩は信綱から。

 動きが制限されて、どちらが重い枷を背負うか――そんなもの、空を自由に飛べる天狗の方が重いに決まっているのだ。

 ならば先手を取って主導権を握り、一気呵成に決めてしまおう。いつもと何ら変わらない結論だった。

 

「っと!」

「――」

 

 見惚れるような弧を描いて振るわれる右の木刀を天魔も危なげなく受け止め――急加速して死角から迫る左の木刀を首を傾けて回避する。

 さすが、と言わんばかりに天魔の口から小さな口笛が出る。それに対し信綱は一切の反応を返すことなく、無言で双刃を変幻自在に操り、あらゆる角度から襲いかかる。

 

 無尽に放たれる攻撃の嵐に天魔の顔から余裕も消え、しばし無言で互いに斬撃の応酬を繰り返す。

 辺りに響くのは木刀と木刀がぶつかり合う乾いた音ばかり。誰も何も発することなく、限られた空間から動かずに刃が振るわれる。

 互いに一歩も動かない。軸足を中心に僅かな足さばきのみで振るわれる剣を避け、また同時に攻撃へ転じていた。

 

 どこからか息を呑む音が聞こえる。鬼との戦いでは鬼の豪腕を信綱の技術がいなす戦い方だったが、こうして技と技を比べ合う戦いは初めてである。

 文と椛、二人の目から見て両者の剣術は同格に見えた。人の身でここまで練り上げた信綱を称えるべきか、百鬼夜行すら退けた信綱の剣術と同格の天魔を称えるべきか。

 

(――辛い。今は拮抗させているが、元の地力が違う。妖怪と打ち合うなんて何時ぶりだ? あまり長く続けていたら俺が負ける)

 

 信綱は打ち合いの最中であっても冷静に彼我の状況を見極めていく。

 言うまでもなく信綱は天狗と身体能力を比べて勝てるものではない。人間の中では極限まで鍛え抜かれて、人間を半歩超えたような身体能力の持ち主であっても、妖怪と比べられはしない。

 今だって打ち合いができているのは信綱が上手く力を受け流しているからであって、それも天魔の技巧の前には長くは続かない。

 正直、内心で舌を巻いている。弱いとは思っていなかったが、技術の面でもこれほどに腕が立つとは思っていなかった。

 

 ともあれ、このまま相手との打ち合いを続けていたらジリ貧、ないしそのまま決着になってしまうのは明白。

 ならば先に手札を切る必要がある。それも天魔の虚を突けるような特別なものを。

 

「――ッ!」

 

 最初の変化は天魔より。信綱の斬撃を紙一重に避けたはずの天魔の頬に赤い筋が走ったのだ。

 無論、天狗にとってかすり傷などないも同然。しかし、ここで重要なのは信綱の剣を避けたはずにも関わらず、傷がついたことである。

 その身で受けた天魔にはどんなカラクリがあるのか理解したらしく、信じられないものを見るような目で信綱を見る。

 

「――呑まれたな」

「天狗の技だろ、それ……!?」

「そうでもない。星熊勇儀と戦っていなければ思いつかなかった」

 

 霊力も使わず、純粋な技巧のみで実際の刃以上の射程を生み出す。

 鬼は豪腕に物を言わせて。天狗は風を操って実現するそれを信綱は技術だけで自力にしてみせた。

 打ち合いの最中はどこか余裕すら浮かべていた天魔だが、これには驚いたようで仕切り直しをしようと腕が大きくしなる。

 

 

 

 主導権は譲らない。当然、信綱に彼の仕切り直しを許すつもりは毛頭ない。

 

 

 

「――そこ」

「っ!?」

 

 木刀の柄。右の木刀を振り抜くような姿勢で斬撃を食い止めた信綱は一気に懐へ距離を詰め、その柔らかな腹部へ左の木刀を容赦なく突き込む。

 

「ご、ぶ……っ!」

 

 木刀と言えど先端はそれなりに鋭く、勢いと技術、そして場所さえ選べば突き刺すことぐらいは容易となる。当然、信綱にできない道理はなく――木刀は天魔の腹部を刺し貫いて、背中へと突き抜ける。

 口から血を吐いて膝をついた天魔の首に木刀を当てる。詰みだった。

 

「……降参を認めないならまだ続ける」

「参った。あーくそ、妖怪だからって容赦ねえな本当に」

 

 天魔は苦笑いを浮かべて腹部の木刀を引き抜き、立ち上がる。

 さすがというべきか、その傷はすぐに再生を始めてあっという間に治癒してしまう。木刀二振りで天狗を殺し切ることは難しいらしい。

 

「あやや、天魔様の腹に躊躇なく木刀を突き刺すとは、私も冷や汗をかきましたよ」

「椛にやったことと同じだ。妖怪に単純な殴打は効果が薄い」

 

 よほど強く叩いてもすぐに治ってしまう。骨折なども同様のため、力を削いだとわかりやすく教えるには人間を殺すつもりで戦うぐらいが良い塩梅になる。

 それに最初の応酬は信綱にとっても辛い状態だったようで、見るとはだけた上半身には汗が滴っている。

 

「全く、天狗の速度と膂力に正面から勝てるものかよ。曲芸の一つでもなければ危なかったのは俺だ」

「ちゃんと打ち合ってたじゃねえか。ご丁寧に腕の負担も軽減しながら」

「お前のおかげで綱渡りだったがな。あそこまでやれるなら星熊勇儀ぐらい勝てるだろう」

「ムリムリ。妖力は霊力みたいな妖怪特攻はないし、勇儀の姐さんの身体に刃が通せねえよ」

「とことん相性が悪いな鬼と天狗は」

「仰るとおりで。誰がそうしたのか聞いてみたいくらいにな」

 

 肩をすくめる天魔は本当に困っている様子だった。きっと鬼に面倒を押し付けられた経験が相当あるのだろう。

 そんな天魔だったが、しばらく休むとまたも雰囲気を変える。今度は私人としてではなく、天狗の首魁たる天魔としての姿だ。

 

「――さて、それじゃオレは戻る。次に会う時はスキマの主導で集まっているだろうさ」

「スキマの?」

「内容はその時のお楽しみってことで。またな、人間」

 

 どんな要件だよ、と問い詰める間もなく天魔は飛び去ってしまう。

 何か知らないかと文を見やるが、首を横に振られる。わからないようだ。

 あの紫が天魔にだけ教えて信綱に教えない理由がわからない。幻想郷の進退に関わる話なら、今の信綱を無視する理由はないはずだ。

 まだ何かしらの面倒が待っている。少なくとも天魔、紫と同じ席に集まることというものが。もしかしたら他の妖怪もいるかもしれない。

 

 いい加減阿弥との時間に注力したいものだ、と溜息を隠さない――と、そこで椛に伝えるべき要件を伝えておくことにした。

 

「ああ、椛。人里に来る前に一つ頼まれてくれ」

「? はい、何でしょう」

 

 

 

「阿弥様が会いたいと仰っていた。会いに行け」

「あれ、頼みというより命令!?」

 

 

 

 ただし、阿弥の言葉であるため内容は命令に等しいものであったが。




椛に阿弥のところに行けと言うのがこのお話の主軸です。そこに行くまで天魔とか出したらやたらと長くなってしまった。書きたかったから是非もないよネ!

ちなみに椛はノッブに散々いじめられているため、近接戦闘は割りとこなせたりします。ノッブの斬撃を受けられているのは、決して彼が手加減しているだけではありません。
それが何の役に立つのか? 弾幕ごっこが成立したらあんま役に立ちません(真顔)

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