阿礼狂いに生まれた少年のお話   作:右に倣え

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騒乱は終わり、明日が来る

「ハッハッハッハッハ!! そらそら、酒だ酒だー!! もっと飲め飲めー!!」

「離れてくれないか」

「なんだい、酒が減ってないよ? ほら、もっと飲みな!」

「離れろ」

「あ、ちょ、痛っ!?」

 

 馴れ馴れしく肩を組んでくる勇儀をゲシゲシと蹴っ飛ばして引き離す。酒は静かに飲みたいのだ。

 ……と、そう願っても今日は静かな酒は無理そうだが。

 信綱は眼前に広がる人間と天狗、鬼の三種族が混ざって開かれる宴会の中心人物なのだ。

 

 夜の帳が落ちて星と月の灯りが太陽の代わりを務める中、地上には煌々と灯された火を囲むように酒宴が行われていた。

 人間と天狗が主体となり、勇儀も顔を突っ込んできた大規模な宴会で。信綱はその中で一際高い場所に作られ、目立つ場所で酒を飲んでいた。

 

 あまり人混みが好きではない信綱は苦々しく思っているが、自分が何を成し遂げたのかは理解しているつもりだ。文字通りの神輿になるのもやむを得ない。

 百鬼夜行を退けた人間をひと目見ようと集まる天狗や人間の好奇の視線に内心で辟易しつつ、それでも軽く手を振るなどの心配りを忘れない。

 

 しかし早く阿弥の元に戻りたい。それで頑張ったね、の一言でも貰えれば言うことなしだ。

 そんなことを考えながら、信綱は隣で酒を飲む勇儀に話しかける。

 

「お前がまた地底から来るとは思わなかったぞ」

「いやあ、あんな大きなお祭り騒ぎの後だ! 酒を飲むのが当然! むしろ飲まないとかあり得ねえ!」

 

 一度はスキマによって地底に放り込まれたはずなのに、勇儀はいつの間にかまた地上に来ていた。しかも酒樽をいくつも担いで。

 恐らくだが、信綱に負けた時点でこうなる結末は見えていたのだろう。始めから信綱の勝利を疑いもしない顔でやって来た時は目を見開いたものだ。

 勇儀の大きな腕が自分の肩に回される度に鬱陶しそうに引き剥がしているのだが、一向に懲りた様子がない。もう諦めた方が良いのだろうかと思って、何も言わないでいるとふと勇儀の顔がしんみりとしたものになる。

 

「……また、こんな風に人間と酒が飲めるなんて思わなかったよ」

「そうか。とりあえず離れろ」

「ちったぁ聞いてくれても良いんじゃないかい!?」

「酒の肴程度に聞いてやるから離れろ。お前とそこまで親しくなったつもりはない」

「えー、喧嘩が終われば兄弟だろう?」

「離れろ」

「痛っ!?」

 

 ドゴ、と鈍い音がして勇儀の脇腹に信綱の肘がめり込む。さすがに痛かったのか、勇儀の頬が引きつった。

 

「いたた……お前さん、意外と冷たいねえ」

「むしろ俺が人情味あふれる人間に見えたか」

「いんにゃ、全く。……まあ、あれだよ。萃香の言っていることは概ね事実なんだ」

「そうか」

 

 盃に注がれた酒を飲み干す。鬼が持ってきた酒だけあって強い酒精があるが、それでも酩酊感を覚えるには至らない。

 どうにも自分の酔わない体質は筋金入りのようだ。阿礼狂いに酔う、という当たり前の機能があるのかはさておき。

 

「お前さんの言う通りだよ。人間ってのは脆くて弱い。でもそれをどうにかしようと知恵を振り絞っていた。そいつらに私たちが正面から戦っても蹂躙にしかならない」

「…………」

「だけど、そうじゃない人間も確かにいたんだ。お前さんみたいに鬼と立ち向かえる強者は確かに存在した。気のいい連中が多くてね、一緒に酒を酌み交わしたりもしたよ」

「ふむ」

 

 勇儀の口から語られる話に適当な相槌を打ちながら、信綱は酒を飲む。

 周りは乱痴気騒ぎの真っ最中、勇儀もこんな場所で真剣な話をするつもりもないだろう。なので酒の肴ぐらいの心積もりで聞いていた方が勇儀も気が楽なはずだ。

 

「いつの間にかそういう連中は消えていって、それがわからなかった私らは人間に騙されて追いやられた。……人間とは友人のつもりだったけど、何もわかってなかったんだ」

「そこまでわかっていたなら地底に篭っていれば良いだろう」

「わかっていても、認められない。そんなことだってある。お前さんにはないのかい?」

「……ふん」

 

 勇儀の問いかけに不愉快そうに鼻を鳴らす。

 信綱が理解していて認められないことなど、山のようにある。主に御阿礼の子関連で。

 なぜ彼女らは同じ時間を過ごせないのか。なぜ彼女らはそれを笑って受け入れるのか。

 阿礼狂い以前に、彼女のように短命ではない信綱には決して踏み込めない領域。

 

「思い当たるフシはあるみたいだね。人間に騙されるのが嫌で地底に行き、そこでも鬼と人間の関係が終わったなんてことが認められないまま、燻っていた時にお前さんの噂が届いた」

「さしずめ俺はお前たちにとっての光だったというわけか」

 

 信綱にしてみればものすごく迷惑なだけだが。おかげで死ぬ思いを何度もするハメになった。

 そんなことを考えていると、勇儀がバシバシと信綱の肩を叩いてくる。とてつもなく痛いのでやめて欲しい。

 

「そうだよ、その通り! そしてお前さんはそれに見事応えた! 満足も満足、大満足さ!」

「やめろ、死ぬ」

「おっと悪いね。体は人間だってのをすっかり忘れてた」

「体は、とはなんだ。俺は全身くまなく人間だ」

 

 憮然とした顔で言い返すが、笑ってごまかされる。一体どこに自分が人間だと思われない要素があるのだろうか。本当に謎である。

 などと信綱が見当はずれの疑問を持っていると、不意に勇儀の声が静かなものになる。

 

「……だから、私らはもう良い。人間と鬼の関係ってのも、私なりにケリが着いた。後は煮るなり焼くなり好きにするがいいさ」

「……別に俺からは何もない。人里の人間に迷惑をかけなければ、俺は何も言わん」

 

 鬼にも今後人間を襲わせないよう話を着けた。その約束が破られない限り、信綱から何かを仕掛けるつもりはない。

 そもそも、信綱は自分から他所に喧嘩を売るようなことはしない。自分はあくまで御阿礼の子に仕える者であり、彼女の身が危なくなるか、彼女自身の意思がない限り動くことはないのだ。

 

「……それって」

「それだけだ。お前らが人里と天狗の里を混乱のるつぼに叩き込んだ百鬼夜行の首謀者であることに変わりはない。信用が得られるまで時間がかかると思え」

 

 シッシッ、と腕を振っていい加減離れるよう促す。彼女の話を聞いているのも飽きてきた。

 

「……へへっ、いつまでも主役を独り占めしてちゃあ悪いよな。よっし、私は萃香の方に行ってくるよ。またな!」

「できるならもう来るな」

 

 豪快に笑いながら去っていく勇儀を見送り、信綱は深々とため息をつく。

 そもそも、どうしてこうなったのかは少し時間を遡ることになる。

 

 

 

 

 

「それで、あなたはどうするつもりなのかしら?」

「阿弥様の敵を殺すに決まっているだろう」

 

 紫のスキマから椛が萃香に打ち勝ち、萃香が敗北を認めたところを見せられても信綱の答えは変わらなかった。

 例え萃香がこれまでどんなに聖人君子な生活を送っていたとしても関係ない。御阿礼の子を危険な場所に連れ出した。それだけで阿礼狂いにとって万死に値する。

 

 椛の側の萃香が負けを認めたからか、信綱が押さえ込んでいる萃香も観念したような顔になっていた。

 どこか清々しく、どこか悔しい。そんな感情をにじませて萃香は口を開く。

 

「あんたと戦った気はしないけど、あの白狼天狗とは思いっきり戦えた。思い残すことはないよ、好きにしな」

「――」

「待ちなさい」

 

 振りかぶった信綱の剣はまたも紫に止められる。

 これ以上邪魔をするなら紫も敵と認めてたたっ斬る。そんな意志を込めて睨むと、彼女は冷や汗を流しながらも信綱に萃香を殺さないことの利益を提示していく。

 

「彼女を殺さないことを確約するなら、此度の異変の後始末は全て私が行いますわ」

「一昨日出直してこい」

 

 話にならんので殺そうとする。異変の後始末と言っても、人里に目立つ被害は出ていない。強いて言えば、皆が集まってしまったこの状況をどう収拾つけるかぐらいである。

 

「私から! 私からよく言っておきますから!」

「……引っ張るな。なんだ、お前はこいつが大事なのか?」

 

 普段の余裕が見られない紫の態度を不審に思い、信綱は刀を振りかぶる手を緩めて紫を見る。

 ぐ、と紫は言いたくない何かを堪えるような顔になるが、やがて観念したように話し始めた。

 

「……確かにその鬼は他人の嘘が嫌いなくせに、自分の嘘は許容する他人に厳しく自分に甘い性格ですし、四六時中酔っ払ってますし、自己中心的な性格をしてますし、迷惑千万な輩です」

「言われているぞ」

「泣きっ面に蜂か!? というか割りと満足してるんだから気持ち良く死なせろよ!?」

 

 ぎゃーぎゃーと騒ぐ萃香を無視して、紫は自分の心情を明かす。

 

「――それでも彼女は友達、なんです」

「友人は選んだ方が良いぞ」

「真顔で心配された!?」

 

 この鬼、友達にしても絶対ロクなことにならないと、ロクでもない妖怪の友人が多い信綱の勘が言っていた。

 紫の深く考えたら切なくなりそうな交友関係はさておき、信綱は少しだけ思考する。

 紫に恩を売るというのも悪くはないが、それだけだと少し弱い。

 

 吸血鬼異変のように、信綱が相手にしていたのが厳密に彼の求める相手ではなかった時ならともかく、この鬼は正真正銘、御阿礼の子に手を出した憎き敵だ。

 今の紫の話を聞いても、信綱の内心はほぼほぼ萃香への殺意で埋め尽くされている。

 確かに彼女を殺せば紫の恨みを買うかもしれない。だが、幻想郷にとって必要な存在である御阿礼の子を害することはないだろうし、自分も今や幻想郷にとってなくてはならない存在になった。

 殺したところですぐに悪影響が出るわけでもないだろう。

 

「……おい、スキマ」

「なんでしょう」

「こいつに余計なことをさせないと本当に誓えるか?」

「……ええ、妖怪の賢者の名に懸けて」

「……なら良い。良かったな小鬼。生き残れるぞ」

「ふざけんな! って言いたいけど……敗者にゃ言い訳する権利もないか」

 

 信綱が身体を押さえつけるのをやめ、大の字に寝っ転がった萃香が諦めたように大きく息を吐く。

 

「良いよ。人間の逆鱗に触れて、一矢報いることすらできなかった鬼だ。好きにするがいいさ」

「その言葉に嘘はないか?」

「鬼に横道はない。……いや、ちょっとはあるかも」

「八雲、またこいつが何かやったらお前の責任だぞ」

「……庇ったの、間違いだったかしら」

「それと、」

 

 頭痛を堪えるように頭に手を当てる紫の方を見て、信綱はかねてより考えていたことを話す。

 

「いい加減、お前にも表舞台に出てもらうぞ。もう見守る段は過ぎた」

「……ですが、私が出たら皆に要らぬ不安を与えて――」

「それはお前の日頃の行いだ。それとも何か? 自業自得を理由にいつまでも引きこもるのか? ははは、とんだ賢者もいたものだな」

 

 軽くあざ笑ってやる。彼女には幼い頃から散々弄ばれた経験があるので、ここぞとばかりに嫌味を言えるのはとても気持ちが良い。

 天狗と人間の歩み寄りを壊したくなかったから見守ることを選んだ、というのは嘘ではないが、完全無欠の善意というわけでもない。

 少なからず彼女がやるべきことを他の誰かがやってくれて楽ができるという面もあったのだ。

 

 それに土台を作るまでが信綱の役目である。実際にそこで共存の道を手探りで探すのは全ての人妖がやるべきこと。そこには当然、八雲紫も含まれている。

 

「別に裏方でいても構わんがな。人と妖怪の共存が成功した時、お前だけ人間との付き合い方がわからないなんてことになっても責任は取らんぞ」

「う、痛いところを……!」

 

 彼女の周囲にいる人間など、自分ぐらいのものである。

 この妖怪は他人との接点が少々少なすぎる。これで良く人間との共存を考えたものだと感心するくらいだ。

 

「これを機にもっと友人を増やせ。黒幕気取りの傍観者でいられると思ったら大間違いだぞ」

「……はあ、最後の最後でしてやられましたわ」

 

 やがて紫は肩の力を抜いた笑みを浮かべ、信綱に対して頭を垂れる。

 

「承りましたわ。鬼退治の英雄の言葉とあらば、聞き入れぬわけにはいきませんもの」

 

 

 

 

 

 そうして八雲紫が音頭を取って今に至るのだ。

 とりあえず酒を酌み交わせば大体仲が良くなる、なんて誰が言い出したのかは知らないが、あれよあれよという間に人里の外での大宴会が始まっていた。

 

 普段なら妖怪が襲ってくるため外で宴会などご法度なのだが、その妖怪も一緒になって酒を飲んでいるのだ。危険はない。

 

 萃香も参加したそうにしていたが、彼女には壊滅的な被害を受けたらしい河童の里の修復に行けと信綱が命令してあった。

 勝者である信綱に逆らうつもりはないらしく、とても恨めしい目をしながら山に向かっていった。

 彼女の力は敵に回れば厄介極まりないが、味方であるのなら非常に有用だ。

 それでも殺さなかったことを後悔する時が来ないか不安だが、今は自分の選択が間違いでなかったことを信じるしかない。

 

「やあ盟友! なに黄昏てるんだい?」

「……お前か」

 

 自分の選択について考えていると、にとりがやってきた。両手の指と指の間にそれぞれきゅうりを挟んでおり、どのような意図があるのか全く読み取れない。

 

「それはどうした」

「ふっふっふ……よくぞ聞いてくれた! とうっ!」

 

 ポリポリポリポリ、と小気味よい音を立てて、にとりの手にあるきゅうりがそれぞれ一口ずつかじられていく。

 右手のきゅうりをかじり、左手のきゅうりをかじり、一巡したところでねっとりと味わうように咀嚼する。

 そして形の良い白い喉を嚥下し、にとりは感動した顔で信綱を見てくる。

 

「これぞ究極の贅沢! それぞれの指できゅうりを持って、一口ずつかじる! ああ、私ったら明日死ぬんじゃないかな……!」

「そ、そうか……」

 

 ちょっと安すぎる贅沢ではないだろうか、と思ったが口には出さないでおく。河童の価値観ではきゅうりの存在がかなり上の方に位置しているらしい。

 

「……うん? そういえばお前の里、今あの小鬼が直しているのではなかったか?」

「あ、やめて。今そういうの聞きたくない。よりにもよって鬼が自分たちの家直してるとかそういう現実見たくない」

「わ、わかった」

 

 どうやら彼女なりの現実逃避でもあったようだ。天狗に壊されたと思ったら鬼に直してもらうなど、彼女らの家は波乱万丈に満ちている。

 

「お前たちのところも災難だったな。被害を受けた理由、立地以外にないだろう」

「うん、まあそうなんだけどね。天魔様も直す約束はしてくれてたし、そこはあんまり痛くないんだ」

「ふむ」

「でも、あの中に持ち出せなかった研究材料があることを思うと……ね」

「月並みだが、生きていればまたいつか同じものを見る時も来るだろう。そう落ち込むな」

「慰めてくれるのかい、盟友」

 

 さてな、と信綱はにとりから視線をそらして盃の酒を呷る。

 

「どう受け取るかはお前の自由だ。……あの釣り竿は大丈夫か?」

「あれは持ち出したよ。にしても、盟友がこんな有名人になるとは思わなかったなあ」

「ふん、俺だってそう思っている。吸血鬼に始まり、お前たち妖怪が騒ぎばかり起こすからだ」

 

 吸血鬼、天狗、鬼。誰も彼もが人間の都合などお構いなしに異変を起こした。

 そこに偶然か意図的か、信綱という人間が居合わせて解決した。この構図はレミリアの頃から変わらない。

 

「本当なら盟友は、さ。天魔様とか鬼の萃香様とかと一緒にいる方が似合ってるんじゃないか、って思うんだよ」

「俺はそうは思わん。あいつらと四六時中一緒など肩が凝る」

 

 それに腹芸をずっとしていろというのも苦痛だ。いい加減慣れてしまったが、椛という名の情報面での優位を自分から手放してしまった現在、彼らと対等に舌戦を交わせるかは怪しいものがある。

 

「これからはあの区画を徐々に広げていき、いずれは人里全体に広めるつもりだ。お前も来たくなったら来ればいい。俺も見かけたら挨拶ぐらいはする」

「……お祭りの射的とかみたいなギリギリの不正とかは」

「死にたいようだな」

「あ、いたっ!? やめて、頭握らないできゅうり潰しちゃうからああああぁぁぁ!!」

 

 まずそっちの心配か、と些か驚愕する。この河童のきゅうり好きは筋金入りのようだ。

 適度に握ったところで解放してやると、にとりは警戒したように信綱から距離を取って、ある程度離れたところでこちらに笑顔を向けて手を振ってきた。

 

「じゃあまた今度ね! 次に会うときはにとり様特製のぎゃふんと言うような発明品を見せてあげるから!」

「期待しないで待つとしよう」

 

 去っていく彼女を見送り、信綱は再び酒を飲む。酒しか飲まなくても酔わないというのは便利であり、妙な疎外感を覚えるものでもあり。

 そんなことを考えていると、博麗の巫女が難しそうな顔でやってくる。顔に赤みは差しておらず、まだほとんど飲んでいないことがわかった。

 

「……ちょっといいかしら」

「構わん」

 

 巫女は無言で信綱の隣に腰を下ろすと、眼下の篝火をぼんやり見つめながらつぶやく。

 

「人が死んだわ」

「……俺が送った奴か?」

「そうね、彼だけ。この異変が終わった後、真っ先に神社に戻ってもそんな奴がいたことが夢だったんじゃないかってくらいに何もなかった。……この切れ端くらい」

 

 そう言って巫女は信綱に血に染まった布の切れ端を手渡してくる。

 信綱にどんな命令を下したのか、実感させようという気迫が存在した。

 だが、信綱はそれを軽くうなずいて受け取っただけで、何かを言うことはなかった。

 

「そうか」

「……ちょっと、何もないの?」

「俺はあいつに死兵になれと命じ、あいつはそれに了承した。それに嫌がる様子はなかったはずだが?」

 

 死なせるつもりのなかった部下が死んだのなら悼みの一つも覚えるが、元より博麗神社に向かわせた部下は信綱が捨て駒に選んだ者。

 信綱が彼の死の一因を担っていると言われればその通りだが、彼を殺したことを咎められる筋合いはない。

 

「俺があいつに下した命令は鬼が来ていなければ巫女に助けを。鬼が来ていたら、お前が時間を稼いで巫女を人里に向かわせろ、というものだ」

「…………」

「あいつは使命を果たした。これはその証だ。俺があいつにかけてやる言葉は謝罪などではなく、よくやったという賞賛だけだ」

「……なんか、腹立つ」

 

 迷うことなく命を使い、それに迷うことなく殉じて最善の結果を手繰り寄せた。

 巫女の目には彼ら阿礼狂いの一族というものが、歪だけれど極めて強固な絆で結ばれているように感じられてしまう。

 御阿礼の子のためなら全てが統一された意思の元に動ける一族。そこに生半可な謝罪や遠慮などない。

 なんだか彼の死を悔やんでいるのが自分だけの気がしてしまい、巫女は言い表せない苛立ちが募るのを感じる。

 

「それにあいつの死は公表できん。俺の一族から出た死者など、聡明な阿弥様なら意味に気づくだろうし、何より人間が死ぬことは今後に響く」

 

 例え阿礼狂いであり、人里の人間からも遠巻きに扱われていた存在であろうと、妖怪の引き起こした異変で死んだとあっては人間側も良い顔をしない。

 今でこそ鳴りを潜めているが、妖怪を排斥した方が良いという声は未だ存在するのだ。彼らに余計な燃料を与えることになりかねない。

 まあ一番の理由は阿弥のために、という一点だけなのだが。そこは死兵となった彼とも共通の見解だった。

 

「……あんたたちはそれでいいの?」

「もちろん。俺たちの命で阿弥様を煩わせてしまうことが何よりも耐え難い。それが避けられるなら、誰にも知られず死ぬことなど笑って受け入れる」

 

 何かが欲しくてやっているわけではないのだ。自分たちの献身の果てに御阿礼の子の平穏があるのなら、それで十二分に報われるのである。

 信綱もそれは変わらない。正直、この人妖の共存を成し遂げて良かったと思ったことなど、椛の願いを叶えられたことと阿弥が笑ってくれたことの二つくらいだ。名誉や富に対する価値はさして見出していない。

 

「……納得の行かない顔をしているな」

「まあ、ね。あんたらの理屈に私まで巻き込まないで欲しいわ」

「そこは悪かったとしか言えん。が、恨むんなら俺ではなく鬼を恨んで欲しいものだ。確かに死地に送り込んだのは俺だが、実際に殺したのは奴らだろう」

「あんたは恨むの?」

「別に。あいつは結構筋が良かったから喪うのは惜しいが、その程度だ」

 

 風呂の湯が温かったとか、料理の味付けが今ひとつ物足りないとか、そういった日々の生活で起こり得るちょっとした不幸程度のものである。

 起きたことを祝福するとまでは言わないが、後悔するほどのものでもない。

 とはいえ、これは単純に火継の家の理屈であって、博麗の巫女のように心優しい人間には受け入れがたい理屈であることも確か。

 なので信綱は彼女にもできて、心が苦しくならないであろう最低限の方法を提示することにした。

 

「――墓でも造ってやれ」

「へ?」

「気になるのなら、墓でも造って花を添えてやってくれ。それで十分だ」

 

 阿弥の力になって死に、そして花まで添えてもらえる。阿礼狂いの一生としては上等に過ぎる。

 それに形あるものとして残ることで、御阿礼の子がいつか手を合わせる時が来るかもしれない。そんな時が来れば、死んだ彼も至上の幸福に包まれるだろう。

 

「……私でいいの?」

「お前しか知らん」

「……本当、あんたたちはよくわからないわ。あんたは鬼の首魁を二人ともぶっ倒すし」

「二度とやらん。何度死ぬかと思ったか」

「あんたでもそんなこと思うんだ」

「俺をなんだと思ってるんだ。一撃食らったら死ぬ身だぞ」

 

 無傷で勝つかひき肉になるかの二択なら、勝てば無傷になるのが当然である。

 それでも勇儀には頬に傷をつけられてしまったが、と信綱は顎の辺りからこめかみまで走る傷を撫でる。

 天狗が秘薬を出してくれると聞いているので、傷跡は残らないはずだ。

 そんなことを言っていると、巫女がフッと微笑んで立ち上がる。

 

「幻想郷の英雄になったって言っても変わらないわね、あんたは。じゃ、私もこれで」

「どこに行くんだ」

「お墓、造ってやるのよ。完成したらあんたも酒ぐらい持って来なさいよ」

 

 手をひらひらと振っておく。巫女が空を飛んで行く姿を見送っていると、視線の先に愛しい主の姿が映る。

 椛とともにやってきた彼女の姿に自分から立ち上がり、阿弥の元へ駆けていく。

 

「阿弥様……。呼んでくださればこちらから参りましたのに」

「ううん、今日の信綱さんは皆の信綱さんだから、私だけが独り占めしちゃいけないわ」

「私は最初からあなただけのものですよ。阿弥様」

 

 そう言って微笑む。信綱は人里のためだとか幻想郷のためだとかそんな大層なものではなく徹頭徹尾、阿弥のために動いてきた。

 その方向性を決める際に椛の言葉が指針となった。たったそれだけのことで今、この光景が存在している。

 阿弥はそんな狂人である信綱の心境など知りもせず、心配そうな顔で信綱の頬の傷を撫でようとする。

 

「信綱さん、傷ついてる……。椛姉さんもだけど、痛くないの?」

「この程度の傷、痛くもかゆくもありません。名誉の傷ですよ、これは」

 

 阿弥を守り抜けたという。決して人里を守ったからではない。

 椛はそんな信綱の内心を見抜いているのか、困ったように笑いながら添え木を当ててある左腕を指差す。

 

「さすがは鬼、と言ったところですよ。明日には治るみたいですけど、一日は治らないようです」

「烏天狗を越える最初の白狼天狗にしてやると言っただろう。あんな軌道も速度もわかった攻撃ぐらい捌けなくては困る」

「無理言わないでください!? あれが精一杯ですよ!」

 

 人間が妖怪に無茶振りしているというちぐはぐな光景だが、この二人の間ではそれが自然な空気だった。

 

「それで阿弥様、楽しんでおられますか?」

「無視した!?」

「あはは……うん、とっても楽しい。椛姉さんにもまた会えて、人と妖怪が笑い合える時間があって。信綱さんには本当に感謝してもし足りない」

 

 ゆるゆると首を振って、阿弥の手を取る。その後ろでは椛が本当に仕方のない人だと苦笑していた。

 

「そのお言葉だけで十分です、阿弥様。私が今までしてきたことの全てが報われます」

「……ん」

 

 阿弥がその身体を信綱に預けてきたので、信綱は彼女が痛まない程度にそっと抱きしめる。

 この小さな身体を守るために戦ってきた。守り抜くことができて望外の喜びである。

 

「じゃあ、お願い。……ずっと私とこうしてくれる?」

「ええ、もちろん」

 

 二人の姿は仲の良い親子のようであり、極まった形の主従であり、そして比翼の鳥のように椛には見えた。

 恐らくそのどれもが正解であり、不正解であるのだろう。

 信綱が阿弥に注いでいるのは無償の愛と呼ばれるもの。そして阿弥が信綱に向けているものは――未だ自覚はないけれど、それでも徐々に理解しつつある感情。

 

 だが――と、椛は静かに星空を仰ぎ見る。

 いつか彼女が一人の人間として自分を見て欲しいと願った時、二人の関係はどうなってしまうのか。

 いや、より具体的に言えば阿弥は信綱をどのような位置に置こうとするのか。それが疑問であり、不安だった。

 

 信綱は変わらないだろう。阿弥に何を言われようと、どんなに拒絶をされたとしても、彼は何一つ迷うことなく彼女のために命を燃やし続ける。

 では、阿弥はどうなるのだろうか。彼女の願いを信綱は必ず叶えるが――どうしたって無理なものもある。

 

「どうか――」

 

 その先の言葉は続かなかった。御阿礼の子の寿命に関しては椛も聞き及んでいる。

 妖怪から見て短い人間の生涯のさらに半分程度。その時間ぐらい彼女には幸せに生きて欲しいではないか。

 もう信綱は十分なほどに頑張った。幻想郷のために尽力し、人妖の在り方に大きな楔を打ち込んだ。これ以上頑張る必要なんてどこにもない。

 

 だからどうか――彼女らの未来に幸あれ、と椛は人知れず願うのであった。




ということで異変は終わりです。この動乱の時代もほぼ終わりと言っても良いかもしれません。
とはいえ最後の方にあるようにまだ山はあるけどな! 今度は剣振ってりゃどうにかなるもんじゃないという。

さて、どうしようか(概ねイベントは考えているものの、文字に興した場合少なくなるんじゃないかという不安)

ここからはのんびりかつゴリゴリと時間が進んでいき、阿弥の時間が終わるまで一気に行きます。阿弥の出す答えが焦点です。ノッブ? あれはもう一生変わりません。



で、さて。私事になりますが、4月より社会の荒波に揉まれて参ります。今までのような更新速度を維持できる可能性は極めて低いので、ご了承ください。
更新停止だけはしないよう注意いたします。私もここまで書いて完結させないとか生殺しも良いところですから。
というかあっきゅん書きたくて始めたのにあっきゅんまで届かないままエターとか笑い話だよ!!

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