阿礼狂いに生まれた少年のお話   作:右に倣え

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怪力乱神と小さな百鬼夜行

 鬼の少女、星熊勇儀の名乗りも終わったところでいざ尋常に勝負――とはならなかった。

 

「おっとっと、待ちなよ勇儀」

「……んだよ、萃香か」

 

 明らかに不機嫌そうな顔で、勇儀は自らの隣にいつの間にか現れた萃香を見る。

 

「そんな怒らないでよ。ちょっと天狗の方に顔出してきただけじゃんか」

「そっちじゃあない。人がこれからお楽しみに入ろうって時に入ってくるのが気に食わねえってだけだ」

「うーん、それじゃあ今から言うことは勇儀をもっと怒らせるだろうねえ」

「……どうした」

「あの人間、私が欲しい」

 

 萃香の言葉を聞いた勇儀の足が振るわれ、その小さな身体を吹き飛ばす――前に萃香は霧と化す。

 

「私が先に言ったんだ。順序は守ってもらおうか」

「つれないねえ。ま、そこは仕方がないか。私が出遅れたのは事実だし」

「ハッ! 先走ってちょっかいなんてかけるからだよ」

「……どうしてわかった?」

「その胸。どんな手品かわからんが、斬られたんだろう。お前さんらしくもない」

 

 勇儀が指差す萃香の薄い胸には、傷跡こそ残っていないものの先ほどの攻撃から庇う姿を見せていた。

 人間に付けられた傷を鬼の一撃で上書きされたくないのか、それとも霊力を使えないはずの彼の斬撃が鬼に治癒しない傷を負わせられる特殊なものなのか。

 答えはどちらでも良い。重要なのは、萃香が抜け駆けしてこの人間に唾を付けたことである。

 

「最初に抜け駆けしたのはお前さんだ。ここは私に譲りな」

「ちぇー」

 

 不満たらたらだが、萃香は勇儀に一番手を譲るようだ。

 しかし信綱からすれば面倒以外の何ものでもない。鬼の首魁二人を相手取れとか、人間一人にかける期待じゃない。

 

「俺はお前に勝ったら鬼を退かせろと言っているんだが」

「うん、いいよ。どうせ私らの目的はお前なんだ。戦えるなら他の鬼を黙らせるぐらいやってやるさ」

「そこの一本角と戦うことは良いが、お前まで相手にする気はないぞ」

「ま、それは勇儀との戦いが終わってから決めても良いんじゃない? ほら、今は観戦に徹するよ」

「…………」

 

 胡散臭い。信綱は直感で萃香から紫と同じ気配を感じ取る。

 鬼であり嘘を嫌うことは間違いないだろうが、彼女は本当のところも言っていない。そんな気がしてならなかった。

 何か――そう。すでに答えは提示されているのに、何かを見落としているような感覚。

 

「……椛」

「わかりました、よく見ておきます」

 

 半ばすがるような気持ちで視線を後ろに送ると、椛はきちんと読み取ってくれた。

 内心で感謝しながら、信綱は思考を切り替えて勇儀の方を見る。彼女を前に無駄な思考は死に直結してしまう。

 

「……これから鬼と戦うというのに、人間に患いごとをさせるとはどちらが卑怯なのやら」

 

 が、鬼を相手に嫌味を言える機会など一生に一度あるかないかなので、とりあえず言っておく。

 実際、彼女らの思惑に振り回されているのはこちらなのだ。文句をいう権利ぐらいはあるだろう。

 

「スマンね。そこは侘びるよ。こいつは変なところで小賢しくていけない」

「ひっどいなあ勇儀。私は私なりに真剣にやってるよ? 少なくとも、鬼の面子を潰そうとは一度も思っちゃいない」

「ハッ、それでこそこそと下らねえ知恵を巡らせている時点で鬼の面子が潰れんだよ。まあ、らしいといえばらしいがね」

 

 心底済まなそうに、それこそそこまで気にしなくてもと思ってしまうほどに謝る勇儀。それとは対照的に萃香の方は全く堪えた様子がない。

 

 どうにもこの二人、鬼という種族での在り方が違うようだ。

 勇儀は実にまっとうな鬼らしい鬼。鬼に横道はないという言葉の体現者であると言える。

 対して萃香は違う。あれは鬼の在り方に決定的に反しない限り、ある程度の知略は許容するように見える。

 

 萃香は今もへらへらと笑っているが、その実何を考えているのか信綱にはわからない。この一点に関しては勇儀以上に脅威を感じていた。

 ――とはいえ、全てはまず目の前の脅威を打倒してからの話。萃香と戦うかどうか以前に、勇儀に勝たなければ何も始まらないのだ。

 

 信綱は覚悟を決めて二刀を構える。それを見て、勇儀も改めて地に足を付けて身構える。

 

「まあ、まずはこの勝負を楽しもうか! さぁ――一撃で終わるなんて無様は晒してくれるなよ!!」

 

 最初の一歩は勇儀から。

 大地が割れると錯覚してしまうほど、重い踏み込みからの拳。人間一人を殺すには過剰なほどの一撃。

 しかしすでに信綱の姿はそこになく、側面に回り込んで攻撃の当たらない場所に移動していた。

 

「――ッ!!」

 

 だというのに。こちらは攻撃がかすりもしない位置取りをしたはずなのに、振るわれる拳の風圧だけで身体が傾いでしまいそうになる。

 先ほどまで倒していた鬼とは次元が違う。同列に考えるのが失礼に値するほど、彼女の膂力は図抜けていた。

 だが、避けたことに変わりはなく、信綱は絶好の機会を得ていることは揺るがぬ事実。

 それを逃す理由もない。信綱は双刃を振るい、その振り抜いて力の弛緩した腕を切り落とそうとし――

 

 

 

 ――刃は骨に届くことなく浅く斬るだけに留まってしまう。

 

 

 

「――!?」

 

 斬撃に関しては鋼鉄の塊だろうと豆腐のように斬る自信があるというのに。きっちり物の斬れる箇所を狙ったというのに。その刃は骨にすら到達しない。

 なんという理不尽。なんという不条理。これまで信綱が戦いの中で築き上げてきた勝利の方程式を根底から覆してしまう。

 すなわち――出足を挫いて攻撃の手段を奪うという手が、完全に封殺されているのだ。

 

「なに驚いてんだ、よっ!!」

「ッ!!」

 

 身をよじって振るわれる豪腕を後ろに飛んで回避する。そしてすぐに自身の失策に気づく。

 距離を取って体勢を整えた時点で、勇儀の腕に付けた傷はすでに完治していたのだ。

 なるほど、これは確かに厄介に過ぎる。通常の鬼ですら硬く、強く、治りが早いというのに、この星熊勇儀はそれを極めている。

 

 ただ強く、ただ硬く、そして傷の治る速度は吸血鬼に迫るほど。

 

 八雲紫や伊吹萃香のように面倒な能力があるわけではない。

 だが、単純故に完成されたその強さは、今の信綱にとって何よりも脅威に映った。

 

「そんじょそこらの鬼と見くびらないでもらおうか。舐めてかかったら死ぬよ?」

「…………」

 

 答えない。彼女を倒すことは信綱の中ですでに確定している。先の交錯でおおよそ見えた。

 

 硬いには硬い――だが刃は通る。

 強いには強い――出がしっかり見えている以上、当たる道理はない。

 治りも早い――一気に終わらせれば問題はない。

 

 つまり――勝てる相手だ。

 

「――」

 

 次の踏み込みは信綱から。

 天狗仕込みの速度で懐に入ると、勇儀は力強い笑みを浮かべてその攻撃を受け止める姿勢を見せる。

 信綱の双手が霞み、無尽に放たれた斬撃が勇儀の右腕に纏わり付き、右肩と右腕を切り離す。

 骨と鉄が擦れ合い、耳障りな音が周囲に響き渡って勇儀の右腕が宙を舞う。

 

 ヒュウ、と勇儀が軽い口笛を吹く。一度の斬撃で斬れないならば、その傷が治る前にさらに攻撃を重ねれば良い。

 実に単純明快。そして多大な技術を要求する動きだ。今、自分の腕に何回刃が通ったのか、勇儀ですらよくわからない。

 それにそんな些細なこと、気にするまでもない。どのみち一撃当てればこちらの勝ちは変わらないのだから。

 

 残った左腕が唸りを上げる。振りかぶる必要などない。そんなことをしなくても人間の体は容易く壊れる。

 それを信綱は身体を翻して跳び上がり、空中の腕を刃に引っ掛けて勇儀の顔へ振るう。

 

「っ!」

 

 撒き散らされた血糊が視界を遮る。しかし空中にいる信綱の身動きが取れない事実は変わらない。

 勇儀は気にせず左腕を振り抜こうとして――その腕がなくなっていることに気づく。

 いつの間に。今度は本当に気づけなかった。

 そのことに驚愕するが、すぐに勇儀は自身も地を蹴る。上空にいる信綱を目掛けて宙返りからの蹴りを当てようとしたのだ。

 だがそれも叶うことなく信綱は怜悧な表情のまま刃を振るい、その首を斬り落とす。

 

 両者が地に足を着けた時、両手と首が胴体から切り離された勇儀の姿と、未だ返り血すら浴びない信綱と実に対照的になっていた。

 しかし、信綱の表情に喜びはない。

 

「……まだ倒れないか」

 

 勇儀は倒れていない。両手を落とし、首も斬ったというのにその肉体は倒れることなく地を踏みしめている。

 やがて右腕が新しく生え、左腕が治り、首もまた元に戻っていく。

 おぞましい光景だが、かつてレミリアを斬り刻んだ時にそういったものは見慣れている。

 全ての傷が治り、元通りになった勇儀は首の調子を確かめるようにゴキゴキと鳴らしながら、信綱に賞賛の声をかける。

 

「いや――見事!! 人の身でよくぞそこまで練り上げたもんだ! 歩法や動き方から見るに、天狗に教わったんだろう。さっきの両腕落とし、あれ何回斬った?」

「……十五回だ」

「さすが! 私には半分も見えていなかったよ! てぇことは左右で大体七回ってところか」

「違うな。左右で十五回ずつ、腕と首に刃を通した」

「ハッ――!」

 

 勇儀の顔が獰猛な笑みを形作る。地を踏む足にさらなる力がこもり、地割れができていく。

 その姿を見て、信綱は微かに眉をひそめて周囲に目を配る。

 誰も彼も皆、自分の一挙手一投足に注視している。あまり好ましくない状況だ。

 両手を斬って首を落としても相手は負けにならない。こっちはどれか一つ落ちただけで戦闘不能か、死ぬというのになんという不公平。

 内心で妖怪への罵倒を並べつつ、信綱は表情に出さないまま刀を構え直す。

 

「さぁて、もうしばらく楽しみますかねえ!!」

 

 再度の突進。信綱は文字通りその出足をくじかんと足に左の刀を奔らせて――通らない。

 

「っ!?」

 

 何をと思って見ると、足の筋肉が丸太のごとく膨れ上がり、その筋肉の収縮で刀を止めていることがわかった。

 

「来るとわかってりゃあ対策の一つも立とうってもんだよ!!」

「――っ!」

 

 すぐさま左手を離し迫り来る豪腕を屈んで、追撃の蹴りを身を翻してわざと紙一重で避ける。

 

「あん?」

「この……馬鹿力が!!」

 

 決して皮膚にかすらせず、紙一重と言えど確かに避けたはずなのに信綱の横顔に赤い筋が通る。

 それに怯むことなく信綱は両手で持った長刀を振るい、刀の食い込んでいる部分を穿つように刃を通し、強引に刀を奪取する。

 一度傷のできた部分をさらに抉るような攻撃。人間なら激痛に泣き叫ぶか、痛みで失神しているそれを勇儀は悦に浸っているとすら感じられる表情で受け止める。

 

 そしてすぐに治っていく傷を見て、信綱は自身の心臓の音がうるさくなりつつあるのを感じる。

 鬼との連戦に加え、この戦闘。どうせ一撃食らったら普通の鬼だろうと勇儀だろうと死ぬのは変わらないので、そこは気楽に戦えるが、さすがに彼女は別格だ。

 

 綱渡りに次ぐ綱渡り。相手も徐々にこちらの攻撃に反応しつつある上、彼女の再生力を考えると長期戦は不利だと言うのに、鬼の頑健さが短期決戦を許してくれない。

 かつて鬼を退治した人間たちが毒を盛った意味が身に沁みて実感できる。これと人間が同じ土俵で戦えというのは、鬼の方が卑怯というものだ。

 だが、泣き言を言っても始まらない。いつ来るかわからないものを相手に具体的な罠など無理というものだ。

 昔に鬼に毒を盛った者たちだって鬼という種族の脅威をその身で受けたからこそ思いつくもの。信綱が想像だけで罠を作ったところで、彼女らなら何の苦もなく踏み潰して来るだろう。

 

「…………」

「どうした? まさかもう諦めたとか言わないでおくれよ?」

 

 諦めて全てが丸く収まるのなら諦めたい心境だ。このままではどうやっても勝ち目が見えない。

 先ほどのように斬撃が来る瞬間に再び筋肉を固められれば、片手で振るう剣は阻まれてしまう。

 彼女の予測を全て読み切って裏をかいたとしても、両手か両足を切り飛ばすのがやっと。四肢全てを落とすための時間を彼女の懐で稼ぎ切る自信はない。

 

 懐に入ればその分、彼女の一撃を受ける確率も高まる。向こうだって考えなしに動いているわけではない。

 このまま信綱が斬り、彼女が迫るという構図を繰り返していれば、いずれ彼女の拳は信綱を捉えるだろう。そうなれば即死である。

 

「……いくら考えても、お前を倒せる未来図が描けない」

「……おいおい、まさか諦めるってんじゃないだろうな」

 

 初めて勇儀の目に不安が宿る。せっかく見つけた人間との時間が不本意な形で終わることへの恐怖だ。

 後ろで観戦している萃香の目には失望の色が宿り、冷めた目で信綱を見ている。

 そして後ろの椛からは痛いほどの視線が突き刺さってくるのを感じる。無価値と判断した行動をしないというのを知っているとはいえ、もう少し信じて欲しいものだ。

 

「このまま戦えば俺は負けるだろう。それぐらいお前の力は脅威だ」

「ハッ、そんなもん人間が鬼に挑む時点で当然なんだよ。そこをどう覆すのか! それが人間の真価ってもんだろう!!」

「……ふむ」

 

 勇儀と萃香、二人の違いがようやく理解できた。

 人間に期待しすぎるが故に手酷く騙されようと、人間を信じられる勇儀。彼女の期待は重く、信綱であっても彼女の期待に添えられるかはわからない。

 萃香は逆。人間に騙されたからこそ、人を信じることをやめた。彼女もまた勇儀と同じく人間に期待を抱いているが、それは自らの不信を覆し得る人間を求めてのこと。

 それに巻き込まれている信綱に言わせてしまえば良い迷惑の一言だが、彼女たちは真剣に求めている。

 この勝負に無様な形で負けることがあれば、人妖の共存は人間への信頼をやめた鬼たちによって閉ざされることだろう。

 

 

 

 ――ならば、こちらもなりふり構っていられない。

 

 

 

「このまま戦えば、という話だ。勘違いしてくれるな」

「ああん?」

「できればお前に使いたくはなかった。そこの小鬼に見られたくない」

「ん? 見られると困るやつなら後ろを向いておくよ。人間ってのは無様だからねえ。変な難癖を付けられるのは困る」

「まあ、仕方がない。ここまで手こずったのは俺がお前を見くびっていたからだ。認めよう」

 

 萃香の言葉は無視する。今信綱が戦っているのは勇儀であって、彼女に向ける注意は椛に全て任せてある。

 信綱は両腕を交差させて腰の方へ持っていく。双刃を振り抜き、一撃で決着をつける構えだ。

 

「お前は出し惜しみして勝てる相手ではない。これから見せる力でお前を倒し、返す刃で小鬼も倒す。……なんでもっと早くこの方法を思いつかなかったんだろうな。手札を晒した程度で勝てなくなるのなら、それは俺の未熟が悪い(・・・・・・・・・・)というのに」

「……良い啖呵だ。実に良い啖呵だよ人間! なんだ、仏頂面のお固い性格かと思ったら言うじゃないか!! 私を相手に出し惜しみなんて考えるとは、お前さんもなかなかイカれてる!」

 

 不安は歓喜に取って代わり、勇儀もまただらりと拳を下げた構えではなく腰を落とし、一撃に全てを込める体勢へと移行した。

 

「これでおあいこだ。私も出し惜しみなんてせずにお前さんを全力で殺す。――三歩。私が三歩歩いて拳を放つ前に私を倒せたら、お前さんの勝ちだ」

「…………」

 

 そこまで言う以上、勇儀には絶対の自信があるのだろう。まだ地上に鬼がいた頃、あらゆる障害をその拳で粉砕したに違いない。

 信綱もそれに応えようとして、勇儀の後ろにいた萃香が不満そうな声を上げる。

 

「ちょっと勇儀!? そんなことしたら私の分が残らないじゃん!」

「ハハハハハッ! 萃香だって先に戦っていたらこうしていただろう? お互い様だよ!」

「うっへえ……あの時手を出さなかったのが失敗だったかあ……」

「安心しなよ。殺した後のこいつはお前さんにやるよ。攫うなり食うなり好きにしな」

「ちぇ、つまんないの」

「……意外だな」

 

 両者のやり取りを見ていた信綱は嘲るような笑みを浮かべて勇儀に声をかける。

 

「あん?」

「まだ勝ってもいない戦いなのに、お前の中では終わったことになっているのか。不義理なものだな。鬼に横道はないと聞いていたが、どうやら嘘らしい」

「……んだと? 私らが嘘つきだって言うのか?」

 

 戦いを愉しむ姿から一変し、剣呑な顔になる。鬼が嘘を嫌うというのは本当のようだ。

 ――かかった。

 

「少なくとも誠実ではないだろう。相手を前に終わった話をして、そもそも身体能力では鬼が全てに優れているというのに、人間に正面からの勝負を強要して。罠にはめた人間が卑怯? 笑わせるな、お前たちほど卑怯な存在を俺は知らん」

 

 信綱は戦いの最中に話すことはあまりしない。相手は敵であり、排除することがすでに決まっているのだから声をかけるだけ無駄という考えである。

 それは逆に言えば、彼が戦っている時に何かを話すのは必ず意味があるということであり――

 

「――吠えたな、人間」

 

 星熊勇儀のみならず、信綱たちを取り囲む全ての鬼たちが殺気立ち、一人の人間に殺意を集中させる。

 後ろの椛は悪化したとしか思えない状況に顔を蒼白にし、信綱の方を見やる。

 なにか声でもかけてやりたいところだが、煽った直後にそれをすると策が見抜かれるかもしれない。

 と、そこで唯一信綱に対して殺気を向けなかった萃香が嘲笑うように声を発する。

 

「へっ、どうせ一撃で決められないから言葉でどうにかしようって魂胆だよ! これだから人間は小賢しくていけない! 勇儀、一発で仕留めてやりな!!」

「……わかってるよ。もう口出すな」

 

 勇儀は殺気を漲らせながらも、どこか冷静な声で後ろの萃香に答える。

 対して信綱は策が上手く行かなかったように苦々しい顔で、さらに腰を沈める。

 

(……さて、ここまでやれば俺の手はわからんだろう)

 

 萃香が見抜くところまで、信綱の予想通りである。イチかバチかの賭けの成功率を高めるための悪あがき。そう思ってもらった方がありがたい。

 存分に信綱の考える横道を警戒すれば良い。そうして彼女たちに否応なしに人間の謀略というものを意識させ――

 

「じゃあ、さよならだ。人間」

「――」

 

 勇儀の身体に力がこもるのがわかる。これより行われる三歩の踏み込みの後、極限まで力を溜めた拳が解放され、あらゆる障害が灰燼に帰す。

 

 一歩。その踏み込みが行われ、地面に大きなヒビが――入らない。

 

 

 

 すでに懐に入った信綱の長刀が勇儀の両足を腿から切断していたのだ。

 

 

 

「――ッ!?」

 

 心底の仰天が勇儀を襲う。

 だが考える暇はない。例え踏み込めずとも、その拳は当たれば人間の脆い身体など簡単に吹き飛ぶ。

 不格好になるが両の拳を握り締め、振り下ろす。

 

 

 

 だが、それも信綱の刀で受け止められ、肘の半ばまで引き裂かれてしまう。

 

 

 

「な、ぁ……ッ!?」

 

 訳がわからない。鬼の拳は薄い鋼の刃物など、物の数にもしないで破壊する。

 それは信綱がかつて吸血鬼異変の折に、美鈴を相手に行った技ではない。

 刃筋を立ててものの切れる箇所に置いておく。それだけでどうにかなるほど鬼の肉体は常識に則っていない。

 当然の理屈を当たり前に踏みにじる。鬼というのはそういう理不尽の塊だ。無策でやったところで鬼の力が強引にぶち抜いてしまう。

 だからこそ信綱もこれまで行わなかった。第一、人間の力で鬼の拳を受け止めようとすれば腕が壊れる。

 

 だというのに――彼はなんてことのない顔で両拳を受け止めた刀を持っている。

 腕が壊れた様子はない。いかなる絶技で力を受け流しても関係ない。鬼の膂力はそんな生易しいものじゃない。

 第一、そんなことができるならもっと早くにやっていれば勇儀の負けは確定していたはず。

 

 もはや自身の敗北が秒単位で迫る中、勇儀は驚愕で白に染まる思考のまま眼前へと来る刃を見て――

 

 

 

 その刃にあるはずのないものが煌めくのを見つける。

 

 

 

「お、まえ、」

 

 言葉は最後まで続かない。足を長刀で切り落とし、両拳を刀で受け止め、そして返しの長刀で勇儀の首を落とした。

 胴体を失った首が宙を舞う前に、左の刀を落とした信綱がその髪を手に取り、高々と掲げる。

 

「俺の――勝ちだ」

 

 

 

 

 

 信綱は自分の力が足りていると感じたことなど、一度もない。

 幼少の頃から修行を積み、壮年になり八雲紫に対等の相手と認められた今になってなお、己の力に満足はできなかった。

 満足できないなら何をすれば良い? 決まっている。さらなる修行だ。

 基礎を磨き上げ、並ぶもののない領域まで技を鍛え、有効と判断したものを全て取り入れる。それだけの話であった。

 

「アーッハッハッハッハ!! いやあ、負けた負けた! もうダメだ、降参!」

 

 生首だけとなり、信綱が髪を持ってぶら下げている状態になってなお、勇儀は健在だった。

 とはいえ両手両足が使えず、さらに首も信綱の手にある現状では声を出す以外の行動は難しいようで、潔く負けを認めていた。

 多大な疲労感をにじませている信綱と、そりゃもう心からの満足したような笑みを浮かべる勇儀。どちらが勝者で敗者かわからなくなる光景だった。

 

「さあ、私を殺しな。それで鬼退治は完了だ」

「ふざけるな。お前を殺したら鬼を地底に送り返すものがいなくなるだろうが」

 

 これまでの鬼の耐久力から言って、これで死ぬとは思っていなかったが、ここまで元気に喋れるとも思っていなかった。鬼の頑健さは卑怯を通り越して脱帽の一言である。

 

「そうかい、つれないねえ。人を襲った妖怪が人に倒されたっていうのに、死ぬ権利すらくれないのかい」

「敗者は勝者に逆らえない。そんな当たり前の理屈すら忘れたか」

「いいや、その通りだ。だけど言ったはずだよ。私たちを倒したら(・・・・・・・・)ってね」

「…………」

 

 とてつもなく嫌な顔をして萃香の方に横目を向ける。

 もう興奮が抑え切れないといった感じで信綱を見ており、今にも飛びかかってきそうなくらいだ。

 

「ハッハッハ、私を打ち倒した人間相手だ。萃香もさぞ張り切るだろうさ」

「…………」

「ま、お前さんの秘蔵を開けちまったのは悪いと思ってるよ。これじゃちっと萃香が有利に過ぎる。お前さんが勝とうが負けようが鬼の連中は私が責任持って地底に送るよ」

「……ふん」

 

 勇儀の首を乱暴に放り、信綱は萃香を見据える。

 放られた首は信綱たちを取り囲む鬼たちに受け取られ、主を失っていた胴体にくっつけられるとみるみるうちに再生が始まっていた。

 

「必死になって鬼を倒してみれば、次の鬼が控えていると。一人の人間に寄って集ってとは些かずるくないか?」

「よく言うよ。あんな切り札を隠していたなんて。ああいや、今までがおかしかったんだろうね」

 

 萃香は実に楽しそうに笑いながら、信綱の身体を舐め回すように見る。

 

「その腕、その足、その頭。どれを取っても非の打ち所がない。きっとお前さんは何をやらせても上手くやっていたんだろうよ。それこそ妖怪退治だって容易く行えるほどに」

「…………」

「だからこそって言うべきか。人間が妖怪を退治する時にあって然るべきもの――いいや、それ抜きに私らに挑むのが自殺行為ですらあるものをお前さんは使っていなかった。

 強者の傲慢って言葉じゃ足りない。超越者の足元不注意とでも言うべきかな?」

 

 萃香は謳うように自らの推測を説明していく。

 まるで時間を稼ぐような行為に信綱は内心で疑問に思うが、萃香の言葉はそれを無視して続く。

 

 

 

「――霊力。お前さん、どこかで霊力の扱いを覚えたな?」

 

 

 

「……幻想郷で最も霊力の扱いが上手い人間と稽古する機会があってな」

 

 確信を持った萃香の口調に、信綱も諦めて話し始める。こうして話していれば、これまでの戦いで消耗した体力も少しぐらい戻るだろうという打算も含めて。

 

「その時に習った?」

「何度か見てコツを掴んだ。さすがに巫女と同程度、というわけにはいかないが」

 

 地に落とした刀を拾いながら、信綱は軽く長刀を振るう。

 霊力の淡い白磁の光が軌跡に沿って残光を残す。

 先ほど勇儀を斬ったのも、この力を用いて刀を強化していたのだ。

 

「そうかいそうかい。……いいよ、やっぱりお前さんは最高だ。もはや人間じゃないって私が認めてやるよ」

「別にいらん」

 

 萃香の小さな身体から圧力が発せられる。

 勇儀のそれと全く遜色のないそれを受けて、信綱は再び意識を戦闘のそれに切り替えていく。

 誰にも言わずに隠しておいた霊力は周知になってしまった。一度限りの切り札はもはや通常の札に価値を落としてしまった。

 疎と密を操る鬼という、ある意味勇儀以上に厄介な鬼を今度こそ正真正銘、何の小細工もなしに倒さなくてはならない。

 その難しさに顔をしかめていると、萃香が急に顔を輝かせる。

 

「いやあ、ようやく来たか。遅すぎだよ」

「……?」

「信綱! 周りに人が集まってる! なんで、これ、どうして……!?」

 

 椛の驚愕の声が信綱を振り向かせる。何がどうなっているのかわからないとばかりに動揺している椛の目には、一体何が映っているのか。

 そんなことを思って口に出そうとした瞬間、信綱たちを取り囲んでいた鬼たちが一瞬で消え失せる。

 

「っ!」

「ああん?」

 

 信綱は鬼の消えた先に見えた光景に目を見開き、萃香もこれには予想外だったのか不思議そうな声を上げる。

 彼女の疑問に答えるように空間にスキマが開かれ、中から険しい顔の紫が姿を出す。

 

「――伊吹萃香。少々やり過ぎよ、これは」

「へぇ、ここであんたが出てくるか。よほどこの人間に肩入れしていると見た」

 

 萃香の言葉に答えず、紫は扇子で口元を隠して萃香を見下す。

 その顔から感情は読み取れなかったが、極めて不愉快な思いをしていることは想像に難くなかった。

 彼女が鬼をどこかへ放ったのもうなずける。なにせ――

 

 

 

 ――人里の人間がこの場に集まっているのだから。

 

 

 

「椛!」

「わかりませんよ私にも! どうしてか知らないけど、皆がこの場所に集まってる!」

 

 何がどうなっているのか。信綱は咄嗟に椛に説明を求め、皆が集まるという単語に眉をひそめる。

 

「集まっている……集まる?」

「そうです! まるで誘蛾灯に請われるように来ています!」

 

 信綱の視界にも映っている。自分でもどうしてこの場に来ているのかわからないけど、なぜかここに来てしまうといった風体で、人里の住人がこの場にいた。

 椛の視界では文やレミリア、博麗の巫女たちもこの場に集まっていることがわかっている。幻想郷の大半と言っても過言ではない集まりようだ。

 

 そして集まる、という単語と未だ剣呑極まりない気配を出しながら萃香を睨む紫を見て、信綱は今の状況を誰が作ったか理解する。

 

萃めた(・・・)のか、人間を……!」

「人間だけじゃあない! 天狗も吸血鬼も! みんな私が萃めてやったのさ!! これから始まる勝負は観客が多ければ多いほど盛り上がる!」

「――これ以上の狼藉を許すとでも?」

 

 いい加減頭に来ていたのだろう。紫が本気で怒っていることがわかる低い声を出す。

 

「はぁん、いいよ? 但し、私が疎と密を操れることは忘れないようにね。今この瞬間にだって、薄く広がった私がどこかにいるかもしれないんだよ?」

「……っ!!」

「ハッタリだ、スキマ。この辺に彼女以外の気配はない」

「ああん、人間にはわかっちゃう?」

「あなた……」

 

 紫を押しのけ、信綱は萃香と相対する。

 

「スキマは人間を守れ。結界を張るなり何なりでこいつから隔離することぐらいできるはずだ。……あと、絶対に阿弥様を守れ。これが俺からの命令だ」

「え、ええ……。でも、あなたはそれで良いの?」

「良いも悪いもない。――そいつは俺が斬る」

 

 ゾッ、と紫は背筋に異常な悪寒を感じ取り、信綱の顔を改めて見直す。

 仏頂面、苦渋の面、などといった勇儀と戦っていた時に見せていた感情豊かな(・・・・・)それではない。

 能面のごとき無表情をその顔に貼り付け、萃香と相対していた。

 彼女も疑問に思ったのか、信綱に声をかける。

 

「? どうした人間? 何か大切な人でもいたか?」

「……椛、あの方を守れ」

「…………わかり、ました」

 

 椛は千里眼ですでに見つけている。信綱が最も大切にし、全てを破壊してでも守り抜こうとするただ一人を。

 

 

 

 

 

 そう――人里の人間というのは、阿弥も例外ではなかったのだ。

 

 

 

 

 

「…………」

 

 故にここから先の信綱が人間である必要性はない。

 彼女は信綱の聖域を侵した。ならば彼女にかける言葉などもはや一つもなく。

 

「…………したな」

「あん?」

「阿弥様を危険に晒したな」

「あやさま? 一体誰――」

「阿弥様を危険に晒したな阿弥様を危険に晒したな阿弥様を危険に晒したな阿弥様を危険に晒したな阿弥様を危険に晒したな阿弥様を危険に晒したな阿弥様を危険に晒したな阿弥様を危険に晒したな阿弥様を危険に晒したな阿弥様を危険に晒したな阿弥様を危険に晒したな阿弥様を危険に晒したな阿弥様を危険に晒したな阿弥様を危険に晒したな阿弥様を危険に晒したな阿弥様を危険に晒したな阿弥様を危険に晒したな」

「へ、あ……!?」

 

 うわ言のようにつぶやかれる言葉に、さすがの萃香も信綱の異常性を察知する。

 だがもはや時は遅い。彼女をこの場に萃めた時点で、彼の取るべき行動など一つになっていた。

 すなわち――

 

 

 

「阿弥様を害したな、下郎がぁっ!!」

 

 

 

 敵の排除。ただそれだけである。




巫女との修行風景をわざわざ書いた意味はここにあったんだよ!!
はい、というわけであれが答えです。あそこの修行で巫女の霊力の使い方を見て覚えてました。何度も言いますがこの主人公、やろうと思ったことは大体こなすモノホンの天才です。

これを切り札として誰にも言わずに隠していました。本当は勇儀は使わずにどうにかして萃香にぶつけたかったのですが、勇儀が予想以上に強かったのでやむを得ないという流れです。

そして最後にやらかした主人公。萃香がやらかしたというべきか。
事実上のラストバトルですからやりたかったことを詰めました。いくら英雄と言ってもノッブは阿礼狂いですし、最後にふさわしいとするならやっぱこれしかないなという作者のゴリ押し。ラストバトルで見せる一面じゃないですね。



超 た の し い (ツヤツヤした顔)

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