「オラァ!!」
口内に紅色の槍を叩き込み、内部で爆散させる。
顔が柘榴のように弾けて赤い血を吹き出す不格好なオブジェと変わり、さらにそのむき出しの首に腕を突っ込む。
ぐちゅり、という気色悪い音を立てて肘の辺りまで埋め込まれた腕にさらなる魔力が込められる。
許容を越えた魔力を注ぎ込まれた鬼の身体が弾け飛び、臓物の欠片と肉片を撒き散らし――光の粒子と消えていく。
「あー……妖怪も消える時は綺麗なものね」
その様子をレミリアは血に塗れて紅に染まった視界で眺める。
腕も足も血に染まり、紅色でない部分を探す方が難しいほど。
――それを恍惚とした表情で受け止め、レミリアは凄艶に笑う。
「アッハハハハハハ!! 良いわよ良いわよ! こうしていると外の世界で暴れた時を思い出すわ!!」
指にこびりついた血を舐め取り、しかし顔をしかめて吐き出す。鬼の血はレミリアの口には合わないようだ。
ここは紅魔館の中庭。射命丸が紅魔館に到着するのと時をほぼ同じくして、鬼の群れが紅魔館を襲撃したのだ。
当然、美鈴たちは迎え撃つものの悲しきかな、根本的に攻撃の重さが足りない。
鬼の特徴はなんといってもその肉体の頑健さと、それを助長する生命力の強さである。
生半可な攻撃はその皮膚が弾いてしまい、通った傷もすぐに再生してしまう。
脆弱な人には決して抗えない悪逆と理不尽の権化。それがかつて日本という島国を覆った鬼という名の災害。
そう、災害なのだ。台風や地震と同じく、人々にはどうしようもできないもの。ただ耐え忍び、終わりが来るのを待つしかない。
――通常ならば。
「お嬢様、大丈夫ですか!?」
「へーきへーき、私を誰だと思ってんのよ」
吸血鬼は東洋では名前が届いていないが、西洋では有名な妖怪だ。その悪名は鬼にも匹敵する。
血を啜り、月の魔力を蓄え、夜に羽ばたく闇夜の王。レミリアもまた、鬼と同じく災害に分類される存在だ。
レミリアはまだまだ数を減らした様子のない鬼の群れを睥睨し、呵々大笑とその手に紅色の槍を持つ。
視界の先には未だ多くの鬼の群れ。対抗するには美鈴では力が足りず、パチュリーたちは館の守護に手一杯。
ついでに言えばやる気もさほどない。図書館さえ守れればそれで良いといった感じだ。今度こっそり紅茶に血を混ぜてやろうと思っている。
つまり、この場において鬼を殺し切ることができるのはレミリアただ一人になる。
「そこの烏もさあ、あんたもうちょい頑張りなさいよ。柔らかい口の中とか狙えばなんとかなるものよ?」
「種族の差が大きいんですよ!? 私がどんなに速く動いてもこの大地を動かせないように! 天狗と鬼では相性が最悪なんです!!」
「動かして見せなさいよ。おじさまならやろうとするわよ?」
「あのバケモノと一緒にしないでください!?」
「あっははは! おじさまったら誰からも人間と思われてないのね!!」
文と何気ない言葉を交わしながらレミリアは笑う。自分が目をかけた人間が妖怪に目をつけられるどころか、妖怪からも恐れられる存在になっていた。
人間は妖怪を恐れることが大前提にあるというのに、あの人間は妖怪に恐れられている。笑わない方がおかしい。
「で、おじさまからの救援要請。そりゃもう全力出すっきゃないっしょ」
「いやあ、噂には聞いてましたけど、聞きしに勝るベタ惚れっぷりですね」
文の驚嘆には答えず、レミリアは悠然と大地を踏みしめて後ろの美鈴に問いを投げる。
「当然。――美鈴! 私は強いか?」
「はいっ!」
「最強か?」
「お嬢様こそ最強です! 誰よりも、何よりも!!」
「――そうだ、その通り!! 私はレミリア・スカーレット!! 闇夜を統べる女王! 誇り高き吸血鬼!!」
美鈴の言葉に獰猛に笑い、レミリアは鬼の前に立つ。
「だからこそ――私を倒したおじさまは私より強い。彼が鬼に立ち向かうというのなら、私にはこの程度笑って踏破する義務がある」
自己の強さに絶対の自信を持つがゆえの言葉。そして己が強いと自負しているからこそ、その強さを上回った彼に惜しみない祝福を授ける。
それがレミリアの行動理由。人間の在り方も妖怪の在り方も全てどうでも良い。それらはレミリアの腹を満たすことはあっても、心を満たすことはないのだから。
「さあ、かかってきなさい雑兵ども!! 私を殺したければ、今いる数の十倍は持ってくることね!!」
レミリアの啖呵に鬼の軍勢は鬨の声を上げる。元より喧嘩っ早い連中の集まり。大人しく頭に着いていこうなんてものは皆無に等しかった。
この場にいる者たちは星熊勇儀らが目的とする強い人間との戦いなど眼中になく、あるのは新参者である吸血鬼に上下の立場を教えてやるために来ていた。
人間に負けたと聞いていたがなかなかどうして、気骨のある誇り高い妖怪ではないか。
出会う場所、時間が違えば気が合ったことだろう。ひょっとしたら酒を酌み交わす未来なんてのもあったかもしれない。
だが、彼女は人間に頭を垂れた。脆弱で、愚かで、卑怯な人間にだ。
教えてやらねばなるまい。レミリアが守ろうとしている人間は決して彼女に感謝などせず、ただ良いように利用してそれで終わりなのだと。
妖怪には妖怪の生き方がある。そしてそれは人間と相容れることは決してない。
彼女を叩き潰し、その後人里も襲う。スキマ妖怪や博麗の巫女が出てくるだろうが、構うものか。諸共に潰してしまえば良い。
その過程で自分たちのように名を残してもいない者たちは死ぬだろうが――なに、元より刹那的な快楽のために引き起こされた百鬼夜行。刹那に生きて死ぬのが本望だろう。
鬼にも鬼の考え方があって――しかしそれはレミリアの知るところではなく。
彼女と鬼の集団は何も言葉を交わすことなく、激突していくのであった。
「はぁ……今年は厄年かしら」
博麗の巫女は博麗神社にて、自らを見下ろす鬼たちと対峙していた。
その顔に気負ったものはなく、驚きなどないように振舞っている。
「おいおい、おれたちを見てもなんともねえのかよ?」
「お生憎様。私の役目は異変が起きた時の妖怪退治。それは誰が相手であっても変わらないのよ」
幻想郷の調停を担う以上、彼女にとって誰が相手でも大した違いはない。勝つ以外に道などないのだから、せいぜい生き残れるかどうかを心配するぐらいだ。
……尤も、その点で言うなら鬼はとてつもなく不味い相手になるのだが。
(あー、もう。紫はもうすぐ新しい博麗の巫女を探すって言ってたから、ようやくお役御免だと思ってたのに。……遺書の一つも書いておくべきだったかしら)
誰に渡せば良いのかわからず、咄嗟に思いついたのが一番付き合いの長い狂人であることに巫女は苦笑する。
彼に遺書を渡したところで何になるのか。残念だ、の一言で済ませて終わりだろう。
それとも何か、自分は彼に泣いて欲しいのだろうか。
「……ま、全ては繰り言ね。さて――私に喧嘩売ろうってんなら相手になるわよ」
胸に去来する思いを切り捨て、巫女は自らの役目に殉じることを選ぶ。
陰陽玉を浮かべ、袖に隠した札と針を確かめる。全て用意はされていた。
巫女の戦意に鬼は猛々しい笑みを顔に貼り付け、拳を構える。
恐らく命がけの勝負になる。例え勝っても五体満足とは行かないだろう。無論、負ければ死ぬ。
結局、私は先代の巫女と同じ運命なのかな、と心の何処かで思いながらも役目を果たそうとして――闖入者が現れる。
「お待ち下さい、博麗の巫女様」
「……はぁ!?」
自分の真横から聞こえる声に巫女は心底仰天する。
鬼に集中していたとはいえ、博麗の巫女が気づけないような隠形で近づいてきた男がいたのだ。驚くしかない。
男は鬼たちに刀を向けて牽制しながら、巫女に話しかけてくる。
「ここは自分に任せて人里に向かってください。当主がすでに戦っております」
「当主って……あんた、あいつの?」
思いつくのは彼しかいなかった。自分を狂人と言ってはばからないくせ、博麗の巫女すら凌ぐ実力を持つ、今の幻想郷で最も有名な人間。
青年は無表情にうなずき、巫女の疑問を肯定する。
「はい。信綱様より命を受けて参りました。――人里へ。ここは私が引き受けます」
感情の見えない瞳で剣を構える男に、巫女は彼が死兵であることを察する。
巫女に気づかせなかった隠形から見るに、この男はかなり腕が立つ。信綱ほどとまではいかなくても、人間の中では相当の強者。
しかし、そんな男でも鬼が相手では時間稼ぎが関の山。しかも単純な数でも向こうに利がある。これでは時間稼ぎという名の嬲り殺しにしかならない。
「何言ってんのよ! ここは二人で協力して――」
「協力したところで援軍の見込めないここでの勝ち目は薄い。それならここの者たちを引き連れてでも人里に向かい、当主様と協力した方が良い。それに――いざという時は死ね、と命じられてますので」
「……ッ! あんたそれでいいの!?」
「無論。当主様の命ならば、これが最も阿弥様のためになるということ」
その横顔には隠し切れない喜悦が浮かんでおり、まるでこの場で死ぬことがこの世で最も強い快楽であると信じて疑っていないようにすら見えた。
「素晴らしい。阿弥様のお側に居られなかったことは残念だが、あなたが生き延びれば私の命は阿弥様のためになったと断言できる。――私の命があの方にとっての益となる。これに勝る幸福などどこにもない」
「…………」
阿礼狂い。御阿礼の子のために生きて、御阿礼の子のために死ぬ。そんな歪な一族。
巫女も知っているのはずっと側仕えをしてきた信綱だけだった。故に彼を基準にして阿礼狂いというものを測っていた。
違う。信綱があらゆる意味で例外なのだ。彼はこの一族の中では相当に人間味あふれる性格をしている方だ。
この男のような近づき難さは感じないだけ、彼がマシな部類であることを今さらながらに思い知る。
「……覆す気はないのね?」
「ええ。あ、私の死で気に病まないでください。あなたに悔やんでもらったところで何の得にもなりませんから」
「阿弥に伝える必要は?」
「それこそ必要ありません。あの方のために死ぬのは事実ですが、それが阿弥様の重荷になってはいけない。私の死体は適当に焼くなり埋めるなりしておいてください」
全く気負った様子もなく死を受け入れている男に、巫女はため息をつくしかない。
梃子でも動かないだろうし、誰に知られるつもりもなく死ぬというのも本当だろう。
貧乏くじだ。彼の死を知るただ一人になってしまうとは。後で信綱に愚痴をこぼそう。
「……わかったわ。せいぜい派手に時間を稼ぎなさい!」
「はい。その方が良い。辛気臭く見送られるより、よほど気分良く戦える」
男が鬼の群れに突撃を開始すると同時、巫女は気休めの札をその背中に貼り付けて自らは踵を返す。
「逃がすな! 巫女さんを捕まえ――!?」
「――!!」
鬼の言葉は途中で止まる。指示を出すために開いた口腔に男の刀が突き刺さったのだ。
すぐに引き抜かれ、傷の再生が始まる前に次は目に刺突が繰り出される。
不意を突かれたとはいえ、ただの人間に二度も痛みを味わわされたことにより、鬼の頭から巫女のことはすっかり抜けてしまう。
繰り返すが、鬼は血の気の多い妖怪である。それ故――虚仮にされて黙っているということが最も耐え難い種族なのだ。
「てめぇ!」
「――」
鬼の集団に取り囲まれ、残る命数はどんなに奮戦しても一時間足らず。
だが、笑っている。今この瞬間、自分の命が阿弥に捧げられる瞬間を夢見て笑っている。
その命を使った奉公は側仕えである信綱にはできないことだ。彼は阿弥の側にいるため、生き残ることを考える義務がある。
自分たち側仕えになれなかったものにはそんなもの存在しない。御阿礼の子のために生き、彼女らの側にいられなかったからこそできる究極の奉仕。
この役目を与えてくれた信綱には感謝している。阿弥のために死ねるなど自分はなんと幸福か。
側仕えになれぬまま、平穏な時代の中で朽ち果てるよりよほど有意義だ。
多大な感謝と狂喜を込めて、青年は鬼の群れで舞を踊るように刀を振るっていくのであった。
そして天狗の里では天魔が陣頭指揮を執って鬼との戦闘に備えていた。
矢継ぎ早に指示を飛ばし、鬼が攻めづらい崖の方に退避し、戦闘に耐えうる天狗は全て上空に待機させる。
空を自由に飛べて、高度にも限界がないこの場所は天狗にとって手放してはならない優位点。
鬼が下から攻め、天狗は上から迎撃する。この構図が崩れた時が天狗の敗北である。
天魔なら無名の鬼相手ならどうとでもなる。天狗の頭領を務める所以は政治力だけではない。
――が、バカ正直に相手をする理由もない。警戒すべき伊吹萃香と星熊勇儀の両名は人里の方に向かっているのだ。こちらに来る雑兵をいなす程度なら人的被害は考えないで良い。
そんなわけで天魔は作戦の第一段階である河童との接触を行い、彼女らの避難を手伝っていた。
「犬走椛がいりゃあ、もっと楽ができたが……仕方がないか。鬼の本命はどうもオレたちじゃないようだし、一番キツイところに回すのが筋か。なあ河童」
そしてそんな折、信綱と知り合いだという河童がいたのでこれ幸いと河童の代表に仕立てあげ、自分の隣に置いている次第である。
他の河童も天魔の隣は嫌だったのか、どうぞどうぞと言わんばかりに差し出してきたので話が早かった。
対する河童は怯えたような、自分がどうしてここにいるのかわからないと言った視線で見つめてきており、それがまたおかしくて笑ってしまう。
「ひゅい!? い、いきなり話しかけないでくださいよ!?」
「ハッハッハ、人間と盟友と語るお前たちなら協力してくれると考えて正解だったな。しかもまさか旦那の知り合いとは」
幻想郷は狭いというべきか、あの男の知り合いがここに多すぎるというべきか。
天魔は自分の横で所在なさ気に立っている河童――河城にとりを見る。
「こっちの台詞ですよそれは……あの人間、何やってるのさ……」
「最近始まった人妖の交流の立役者」
「ひゅい!?」
「本当だ。その様子だと何も知らなかったみたいだな」
「いやあ、お互い名前を知ったのもつい最近で、それまでは当り障りのない世間話ぐらいしかしてこなかったもんで」
「お前ら確か店出してたろ」
「なんか妖怪といつも一緒に居たから声をかけづらかったんですよ!」
「お前……」
天魔はちょっと哀れな目でにとりを見てしまう。河童という種族は総じて人見知りが多いが、彼女もそれなのだろう。
それににとりが臆せず話せる相手で、なおかつ信綱との知り合いは意外と限られている。八雲の式の式と知り合いなのは本当にどうしてか知らないが。
そも、天狗と河童という種族の差は天狗と鬼とのそれに近い。種族単位で上下関係が決まっているのだ。にとりが天魔に対して下手に出るのも無理はない。
「まあ良い。お前たちの避難は終わったか? 荷物はありったけ持ったな?」
「は、はい。でも、私たちを逃がしてどうするつもりなんです?」
「うむ。――まあ、後で作り直してやるからあんま怒らんでくれ」
「へっ?」
これで天狗の里より低地で、なおかつ開けた場所を確保できた。おまけに川の流れは結構早いと来ている。まさに理想的。
これなら――鬼の連中を川に叩き落として時間を稼ぐぐらい、容易に行える。
「オレたち天狗と鬼は相性が悪い。どうしてかわかるか?」
「え? うーん……強いから?」
「まあ正解だ。天狗から見りゃ、鬼は確かに鈍重で空を飛べる奴も限られる。――だがそれを補って余りある強さがある」
生半可な妖術では痛痒すら与えず、天狗の全力を込めた一撃でもようやく身体が揺れる程度。
そして振るわれる豪腕は一撃当たれば天狗の身体をひしゃげさせ、轢き潰してしまう。
つまるところ、正面からの戦闘は極めて分が悪いということである。
そこまで説明して、天魔は人の悪い笑みを浮かべながら鬼の侵入しつつある河童の里を見下ろす。
「だからこそ。オレたちはオレたちの強みで鬼を退治する」
予定通りだ。案の定、空を飛べない鬼たちは開けた場所に出てきた。
その場所なら――上空に待機させた天狗たちの突撃が存分に効果を発揮する。
「オレたちの強みは機動力と速度だ。十分な助走があれば風と一体になるのも不可能じゃない」
そしてその速度を出した突進は鬼に対しても効果的なものになる。それこそ――川に叩き落として追っ払う程度なら容易なほどに。
そんな芸当ができるなら倒してしまえば良いじゃないか、と思われるだろうがこれも一長一短である。
高速で大質量をぶつける方法は単純故に効果的だが、実行者である天狗にかかる負担が重い。
鬼の再生力は高く、よしんばこの方法で傷を与えたとしても天狗より先に鬼が治ってしまうのだ。痛み分けとして分が悪い以上、この方法もあまり褒められたものではない。
「こっちは高所を握ってるんだ。活かさない手はないってことさ。……さて」
天魔はスッと片手を上げる。それと同時に上空の天狗が一斉に構えを取ったことを、隣にいるにとりが確認した。
天狗の首魁とはいえ、ここまでの統率力には目を見張るものがある。強い妖怪というのは総じて自意識も強いものだが、天魔は見事にそれらをまとめていた。
その姿に感嘆していたにとりだが、そこでようやく思考が追いついてくる。
つまり――これって河童の里が一方的に被害を被るんじゃね? という思考である。
「あ、ちょっ、天魔様!?」
「気づいたか。後で直してやるから勘弁しろ!」
「ぎゃー!? まだ持ち出してない研究材料があったのにー!!」
無情にも天魔の手は眼下の鬼目掛けて振り下ろされ、それに追従するように上空の天狗が文字通りの体当たりを敢行していく。
耳鳴りに近い音すら響かせて地表近くの鬼とぶつかり、衝撃波を撒き散らす。
もうもうと砂埃が立ち、光を遮る空間の中から飛び出すように鬼が何体も出てきて、川へと突き落とされていく。
さすがの鬼も突き飛ばされて体勢の崩れた状態で川に落ちては、そこから踏ん張る術を持たない。正面から戦わず、小賢しい手を使った天狗に対して怨嗟の声を上げながら、流されるしかなかった。
「なんか言ってますけど」
「負け犬の遠吠えだ。笑っとけ」
「は、はぁ……あ、でもこの川って最終的に……」
確かに天狗の山近辺の渓流は流れが激しい。だがそれも下流に行くに従って緩やかになっていく。
何よりあの川は――人里が生活用水にも使っていたはずだ。
そこまで思い至り、にとりは天魔の横顔を仰ぎ見る。
先ほどの流される鬼を見ていた時の稚気あふれる顔ではなく、何かを思い出すように顔をしかめていた。
「……同じ失態は犯さんよ、オレは」
「天魔様?」
にとりの言葉に天魔は頭を振る。大天狗の騒動の折、人里への守護を失念していたのは天魔の中で失敗として残っていた。
幸い、抜け目なく準備を怠らなかった信綱のおかげで被害は出なかったが、あれがなかったらと思うとゾッとする。
その時に学んだのだ。火継信綱という人間が中心になって物事が動いているとはいえ、他の人間たちも決して無視して良い存在ではないのだと。
「鬼がこのままバカ正直に登ってくるなら良し。何べんでも川に叩き落として根比べと洒落こむ。逆に人里に向かい始めたら――むしろ好都合。願ったり叶ったりだ」
「それ、どういう……」
「畏れの確保。妖怪が人間に忘れ去られる事態は避けられた。なら次にすべきは力の復権だ。――人間たちが見る前で天狗が鬼と戦えばどう映る?」
「あ――」
鬼は常人には決して勝てない存在だが、天狗なら討ち倒すまではいかなくても抵抗ぐらいはできる。
そしてその抵抗であっても、常人には決して立ち入れない攻防が行われることだろう。
それを見た人里の住人たちは妖怪に対して何を抱くか――決まっている。畏れだ。
天魔はこの騒動さえも利用して、人間の味方をする天狗という形で人間からの畏れを得るつもりなのだ。
「……それ、自作自演じゃ」
「鬼が天狗の里を放置して人里に向かうのが悪い。いやあ、弱いやつを寄って集って甚振るなんて許せん! だからオレが義憤に燃えて人里に援軍を送ってやった! 上手く行けば人間と妖怪の共存はグッと近づくぞ」
「……うわぁ」
もはや言葉もない。ここまで考えてやっているとしたら脱帽の一言である。
だが、にとりのそんな目に対して天魔は心外だと言わんばかりに肩をすくめた。
「これでおあいこだ。旦那も結構オレを出し抜いて来たんだ。こんぐらい些細な意趣返しだよ。向こうの損になるような真似はしていない」
「鬼を人里に向かわせるのも?」
「オレらが決定力に欠けるのも事実だからなあ。人里なら博麗の巫女も向かうだろうし、博麗の巫女を死なせまいとスキマも動くだろう。あとあの吸血鬼は旦那にぞっこんで、何より旦那と御阿礼の子があそこにいる」
要するにできることをできるやつに押し付けてしまおうという魂胆だ。
援軍という形で恩を売り、ある程度戦うことで畏れも得る。そして信綱の勝利に貢献すれば天狗の名声はうなぎ登りである。
まさに良いことずくめだ――勝てるなら。
結局のところ勝たなければ何の意味もない。そういった意味で天魔はこの上ない賭けに出ているのだ。
かつてその暴威を間近で見続け、どんな大義もその剛拳の元に薙ぎ払ってきた光景を見たことがあって――そのおぞましさも全て理解した上で、天魔は信綱に賭けた。
彼なら勝ってくれる。かつて大江山を征伐した人間たちのように、己の実力で鬼たちをねじ伏せてくれる。そう信じたのだ。
「だから――後は任せた。信じているぞ、人間」
天魔のつぶやきはにとりの耳に届くことなく、空へと消えていくのであった。
「ハッ!!」
「っと!」
盾が突き出され、顔面に軽い衝撃が走ると共に視界が封じられる。
結構な勢いの乗った一撃だったが、鬼の身である自分からすればちょっと痒い程度。
これなら盾がずれて視界が晴れた瞬間、生意気にも立ち向かってきた白狼天狗を薙ぎ払える。
と、そこで盾に遮られていた視界が広がり――刀を振りかぶった男の姿が目に映る。
それがこの鬼の最後の思考となり、横にズレた自らの視界で見た二人の姿が、最期の光景となった。
そう、盾を突き出す攻撃の意味は視界を塞ぎ人間――信綱の斬撃を見せないことだった。
椛が手に持っている盾で顔を叩き、その隙に信綱が二刀を振るい再生すら行えないほどに斬り刻む。
手首、肘、肩、足首、膝、腿、下腹部、胴体、首。さらにこれらを縦に両断し、ようやく鬼は生命活動を停止する。
厄介極まりない生命力だ。しかも肉体は頑健でレミリアのように柔らかくないのが困りもの。斬るにも神経を使ってしまう。
(これで二十。なるべく後ろを狙ったが、おおよそ四半弱ってところか)
本当に百体の鬼がいるのではと思ってしまう。信綱は内心で辟易しながら、背中の椛を見やる。
彼女はこの戦闘が始まってから、鬼の隙を作ることに終始していた。
自分の剣では鬼の一部を斬ることはできても倒し切るには至らないと判断したようで、鬼を殺せる信綱を十全に動かすことに力を注いでいた。
実際、千里眼を持つため視野の広い彼女の援護は非常に助かっている。信綱も隙のできた相手を斬り刻むだけなら簡単だが、そうでない相手の攻撃をかいくぐるのは少し手間がかかる。
などと考え事をしている間にも鬼が迫ってくる。
不用意にも刀の範囲に入ってきた鬼の首を斬り飛ばし、後ろを向く。
そこでは椛がちょうど手に持つ大太刀を鬼の腕に食い込ませており、その窮地を脱しようと必死になっていた。
「――」
好都合にも自分から注意を外してくれた鬼の首を刈り取り、そのまま全身を斬り刻んで殺し切る。
そうしている間に大太刀を引き抜いた椛は、先ほど信綱が首だけ斬って放置していた鬼の再生が始まる前に、その切断面から大太刀を振り下ろし、その身体を強引に両断する。
さすがに無傷の状態では肉に食い込ませるまでが限界だが、信綱が斬って切断面を見せる部分からなら斬り飛ばすことができた。
そして両断までされてしまえばいかに鬼の肉体であろうと、再生には時間がかかる。この戦いにおいてはほぼ無力化したも同然だ。
そんな風に椛が一体を無力化している間に、信綱は後ろで三体の鬼を殺していた。
一撃受ければ死ぬことは避けられないため、椛は一杯一杯で戦っているというのに、精神的に疲弊した様子が全く見られない上、息も切らしていなかった。
この人は本当に人間だろうか、と何度思ったかわからないことを思っていると、背中合わせの信綱から声がかかる。
「大丈夫か」
「な、なんとか」
「意外となんとかなるだろう?」
「それは君がいるからだと思いますけど……」
「戯け、修業の成果だ」
確かに椛の目は鬼の攻撃を的確に見切り、身体の動きは無駄なく生存のための動作を取ってくれる。
昔の自分だったらこうは行かないと断言できる。途中で足を止めて鬼の攻撃を受けてしまう未来が見えた。
妖怪の山に通じる森の中で信綱と散々交わした剣が役立っていると、椛は認めざるを得なかった。
鬼の攻撃は一撃喰らえば致命的だ――信綱の攻撃も、一度受けたらそこから全部持っていかれる。
鬼の攻撃は豪快で何人も薙ぎ払える――信綱のそれより鋭くなく、大振りだ。避けるだけなら苦労はない。
鬼の肉体はいかなる攻撃であれ耐えてしまう――攻撃しなければそんなもの、何の意味もない。
人間の英雄であり、今まさに鬼退治すら成し遂げている信綱の斬撃を最も多く受け、そして生きているのは間違いなく椛だ。
その蓄積された経験が身体を動かし、鬼が相手であろうと戦えるだけの技量をその身に宿していた。
椛は必死に戦っているが故にこの事実に未だ気づかず、なんとか防戦一方で頑張っているという認識しかない。
後で彼女に本当のところを教えてやろうか。そう信綱が思ったところで、彼らの奮戦は終わりを告げる。
「やあやあ、人間! 私らが真正面から向かってきたというのに、後ろからとはひどいじゃないか」
鬼の群れが割れるように広がり、そこから一人の鬼が歩いてくる。
片手で盃を持ち、着崩した着物を着て亜麻色の髪を流して歩く姿は気風の良い美少女にも見えた――天を高く衝く一本角がなければ。
椛から鬼の集団を見てもらった時に先頭を歩いている、というだけで彼女が首魁であるという確信は持っていたが、こうして相対することによりその確信は深まる。
鬼を前にしてもなんとも思わなかった信綱の危機感が騒いでいるのだ。この感覚を覚えたのは実に久しく――八雲紫と最初に会った頃まで遡る。
「…………」
「うん? 白狼天狗も一緒とは珍しい取り合わせだ。まあ良い、楽しもうじゃないか」
ニコニコと実に楽しそうに笑いながら、鬼の少女は酒を呷る。
「っぷはぁ、美味い! いやぁ、後回しにされっちまったからついでに見せてもらったけど――極上じゃないか。あんなもの見せられて、血が滾って仕方がない!」
人間を薙ぎ払う存在である鬼が、ただ一人の人間と白狼天狗に薙ぎ払われているのだ。
同族として見れば悪夢のようなものかもしれないが、彼女にとっては身体を昂ぶらせる興奮にしかなり得ない。
「ずっと眺めっぱなしってのは生殺しだ。そろそろ私らとも遊んでおくれよ」
「…………」
いつの間にか信綱と椛、そして鬼の少女を取り囲むように円ができていた。
逃げるにはこの包囲を突破する必要がある。もしくは――
「……一つ、約束をしろ」
「うん? 良いよ。鬼は約束は破らねえ」
「お前の要望通り、一騎打ちに応えてやる。――だから俺が勝ったら鬼を退かせろ」
「ちょっと!?」
信綱の口から出たのはとんでもない提案だった。鬼がどんな存在なのか、これまでの戦いで厄介な相手だとわかっていたはずだ。
椛と二人がかりでかかっていくらか生存の目が出る。そんな相手である。
そんな椛の不安を見抜いたのか、信綱は彼女に小さくささやく。
「――手はある。それに俺は一対一の戦いの方が得意だ。信じろ」
「……ああもう! 負けたらあの世まで追いかけて怒りますからね!!」
信綱は無駄と判断したことはしない。つまり一騎打ちを申し出たのも、そこに椛と二人がかりで戦う以上の可能性を見出したのだろう。
無論、そんなことは鬼にとってどうでも良く――彼女は信綱の申し出に歓喜するだけでよかった。
「ハッハハハハハハハハ!! こりゃあ良い! 鬼の私に一騎打ちを申し込むか! 人間が!! ――良いだろう。鬼に二言はない! 私たちが負けたら責任持って鬼を地底に戻してやる!」
持っとけ、と鬼の少女は持っていた盃を適当な鬼に放って、信綱の前に立つ。
地均しをするだけで大地にヒビが入り、周囲の木が大きく揺さぶられる。下手に建物でもあったら倒壊するほどの揺れだ。
その中で信綱は揺らぐことなく、鬼の少女をまっすぐ見据えていた。
「久方ぶりの人間だ。手加減も慢心もしない! さあ、人間。語られる怪力乱神――この星熊勇儀に打ち勝ってみせろ!!」
杯の酒をこぼしたら負け? そんなものはない(無慈悲)
ということで次回は慢心なしの勇儀戦です。頑張れノッブ(他人事)
バ火力クソ耐久超再生。並べるとわかる鬼のスペックの鬼畜ぶり。天狗は多分根本的に相性が悪い。
下手な攻撃は弾かれるのに、頑張って通した攻撃も瞬く間に再生してしまう。おまけに攻撃は受けたら死ぬのでオワタ式。そりゃ人間も毒盛りますよね。