阿礼狂いに生まれた少年のお話   作:右に倣え

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願いの結実とそれぞれの始まり

 ふむ、と信綱は人妖の交流のために設けられた区画――そのまんまに交流区画と名付けられた一帯を歩いて回っていた。

 天狗の側でも騒動の際に大暴れした記憶が新しいのか、ジロジロと見られてしまう。

 見られることに興奮を覚える性格でもないので心苦しいのだが、この場では見られることが半分仕事のようなものだった。

 

 表情に出さないようにそっと息を吐く。阿弥が隣にいればこの仕事も至福のひと時に早変わりするのだが、彼女は今日はいない。

 なにせ交流は始まったばかり。どんな問題が起こるかわかったものではない。成功か失敗かもわからない試みに連れて行って危険な目に遭ったなどとしたら目も当てられない。

 

 だから慧音に見回りを頼んでおいたのだ。歴史書の編纂も行う彼女ならば今日の出来事も克明に記録してくれることだろう。後でそれを見れば実際に見ることには及ばずとも、それなりに詳しい資料が揃うはずだ。

 ……無論、民に安心感を与えることができるという理由もある。信綱の中での二つの比率は知らない方が幸せである。

 

 巫女と紫はどこにいるかわからない。だが彼女らのことだからどこかで見ているはず。いつ何が起きても不思議ではない空間を見逃すとは思えない。

 

 今のところは祭りのように浮足立った気配が漂っていた。人間は人間で、妖怪は妖怪で固まっており、どちらかが一歩を踏み出さなければこの微妙なこう着状態は続くと読み取れる。

 つまり、この状況に求められているのはある種空気を読まない力であり――

 

「あ、ねえねえ! あそこのお団子美味しそう! この橙さまに買ってあげても良いのよ!」

「さっき焼き菓子食ってただろうが」

「甘いものは別腹よ!」

「さっきのやつも甘かったと思うぞ。店主、二つくれ」

「へい毎度!」

 

 周りの視線に全く頓着しない妖猫が、今は信綱の手を引いていた。

 

 

 

 実のところ、彼女とはかなり早い段階で合流ができていたのだ。

 この催しが始まり、信綱と天魔が軽い挨拶をしてすぐに交流は始まった。

 最も往来が激しいことになると予測された場所では、勘助率いる霧雨商店が声を張り上げて客の呼び込みをすぐに始めていた。

 その場所では人妖関わらず上手く回っていたため、あまり心配することなくその場を後にすることができた。忙しそうに人里の酒や加工食品を売る勘助の邪魔はできない。

 

 が、あくまでそれは一角。全体で見ればまだまだ上手く行っているとは言いがたい。

 そんな時だった。橙が信綱の方にまっすぐ向かってきたのは。

 

「やっほー人間! 凄いわね、私が普通に歩いていても何も言われないなんて!」

「来たか。お前の主人はどうした?」

「藍さまは紫さまと一緒。お小遣いももらったのよ! なければ適当に妖術でごまかし――アイタタタ!!」

「この状況で、それをやったら、本当に見逃せないんだよ」

 

 橙の耳を強めに引っ張って、痛い痛いと喚く橙の耳元で一言一句を噛み含めるようにして告げる。

 何がどこで爆発するか全くわからないのだ。下手に火種を増やすような真似はしたくない。

 それに下手に人間を騙すことを覚えてはロクな妖怪にならない。

 妖怪の時点で将来のロクデナシが約束されているようなものだが、それでも橙にはまっとうに育って欲しい。でないと友人を手にかけるハメになる。

 

「ううぅ……悪かったわよ。でも大丈夫なの? 天狗も変化の術ぐらい使えるはずでしょ?」

「そこは人選をした天魔に一任した。天狗も自分たちの行いの責任が天魔に行くくらいわかっているだろう」

「? 難しいこと言ってる?」

「…………」

 

 橙に首を傾げられてしまい、信綱はいかに自分が面倒なことを考えることに慣れてしまったのか、嫌でも見せつけられてしまう。

 やや大仰にため息をついて、橙の頭に手を乗せる。耳を引っ張られると思って警戒している彼女の頭をぐしゃぐしゃと撫で回し、歩き出す。

 

「俺も考えたくないことだ。そら行くぞ、安いものなら買ってやる」

「今日は槍が降るわね……。短い命だったわ……」

「ちなみにあそこの店は人里でも有名な甘味処だ。今日は出店して金つば焼を出しているとか」

 

 足を止めて食べるのではなく、ある程度持ち運びも考えた選択である。他にも最中や大判焼きと言ったものもあり、塩っ気が欲しければ天ぷらや蕎麦の屋台などもあった。

 技術面で人間が天狗に勝てる部分はほとんどないため、食事方面で攻めようという魂胆である。あとは娯楽品などなど。

 

「なにやってんのよ早くお金出しなさいよ!」

 

 そしてあっという間に甘味に目が釘付けになった橙が信綱の手を引いてくる。

 強そうにも偉そうにも全く見えない妖猫と、今や幻想郷の大半にその名を知らしめている人里の英雄。

 およそ接点などないはずの二人が悪友のように悪態をつき、時には手を出しながら仲良く歩いていく。

 そんな姿を衆目に見せながら、二人の一日は始まっていくのであった。

 

 

 

 そして今は橙の甘味制覇に向けて付き合わされている途中だ。

 天狗の方も負けじと手の込んだ食物が出てきている。羽根のように軽くて甘い砂糖菓子や、卵を使った菓子が出てきている。

 ……卵の出処は考え始めると怖いのでなるべく考えないことにする。多分、彼らも普通に鳥を飼っているのだろう。そう思いたい。

 

「よく食うなお前は……」

「はぐはぐはぐ……。あんたは食べないの? 美味しいよ?」

「もう十分だ」

 

 橙が食べている姿を見るだけで腹が膨れてしまう。身体が資本の職務だけあって信綱も平均的な成人男性よりは食べる方だが、それでもずっと甘いものを食べていられる舌の持ち主というわけではない。

 焼き立てでほこほこと湯気を立てている大判焼きを、必死に冷ましながら美味しそうに頬張る橙を横目に歩いていると、視界の先に見慣れた日傘を発見する。

 

「あらおじさま、奇遇ね」

「こんにちは。お嬢様ともども、ずいぶんと探し回りましたよ」

「美鈴、そこの店でお茶買って来なさい。自腹な」

「しまった失言!? 行ってきます!」

「ちょっと、日傘は置いてきなさい!?」

「変わらんなお前ら」

 

 日傘を持ったまま飲み物を買いに行こうとして主を日向に晒し、火傷を負わせてしまう美鈴と身悶えしながら美鈴を叱るレミリアを見て、信綱はため息をつく。

 橙は例によってこの二人の空間に飲まれてしまい、ただ手元の大判焼きを食べるだけの存在になっていた。

 食べ続ける気概があることに信綱が内心で驚いていたのは内緒である。

 

「誰、この二人?」

「霧の異変――もう吸血鬼異変か。その時に来た吸血鬼だ」

「ん? その子猫ちゃん、あなたのペット?」

「なっ!? 違うわよ! こいつが私のペットよ!」

「どっちも違うに決まっているだろう」

 

 ゴリゴリと拳で橙の頭を押し込みながら、レミリアにも咎める目を向ける。

 信綱がそこそこ本気で気分を害していることがわかったのか、レミリアは肩をすくめて小さく笑う。

 

「そう、ごめんなさいね。まさか奥様が妖怪だなんて思わなかったわ。美女と野獣かしらって日傘はやめて!?」

 

 そっとレミリアから日傘を奪い取ると文字通りの日焼けに悶え苦しみ始める。

 その姿を眺めながら、自分が誰かと一緒に歩くといつも変な勘繰りばかりされる、と信綱は少しだけ落ち込む。見た目が問題なのか、肩書が問題なのか。

 やがてレミリアに日傘を返して、辟易した顔で両者の紹介をする。

 

「ふーん、あのスキマの式の式……どれくらいすごいの?」

「そりゃあもう凄いのよ! 幻想郷の管理なんて凄い大役に決まってるじゃない!」

「見た目通りのお子様だから、あと何百年かかるかわかったもんじゃないがな。ところでお前たちはどうして?」

「がーっ!! 最近は藍さまに腕を上げたなって褒められているのよ!!」

 

 こっちに腕を振り上げてくる橙を片腕で押さえ込みながら話し続ける。

 見るたびに腕を上げていく信綱に対抗心を燃やしたのか、橙は修行に身を入れるようになっていた。

 藍はこれをほくほく顔で受け入れており、密かに信綱を式に変える計画を練っていたらしいが、紫にボツを食らってお蔵入りしたとのこと。閑話休題。

 ちなみに知恵比べではさすがに藍に分があるが、武力勝負ならすでに信綱の方に天秤が傾いているようだと紫は見立てているらしい。

 

「もちろん見物よ。おじさま、あなたのオススメのお店とかないかしら?」

「ふむ……そろそろ客足も落ち着いただろうし、ちょうど良いか。おい、少し戻るぞ」

「ふぁ?」

 

 何か驚いている橙の手を引き、後ろのレミリアが戻ってきた美鈴から飲み物を受け取って付いてくるのを確認する。

 

「知己のやっている店がある。店主も信頼できる」

「へえ、おじさまの口から信頼なんて言葉が出るなんて。期待して良い?」

「それはお前が見て決めろ。そら着いた」

 

 勘助の出している霧雨商店は未だ盛況のようだが、最初の頃みたいな人だかりは落ち着いていた。

 その中でも信綱とレミリア、橙という組み合わせは人目を引いたのか、誰かが彼らの姿を見つけると静かに引いてくれる。

 

「……なんだか悪いことをした気がするな」

「あら、こういうのは堂々と傅かれていればいいのよ」

「すごい注目。これは私の時代が来てるわね……って、なに頭撫でてんのよ! やめなさい!」

 

 レミリアは根っこが貴族らしく、傅かれることを当然と受け入れている。

 その中で橙の脳天気さがうらやましく思えた信綱は、橙の頭を乱暴に撫でる。耳と同じく毛並みの手入れはしっかりされていた。

 

「よう、勘助。繁盛しているか?」

 

 店の前に立って声をかける。普段は丁稚や他の店員に店を任せるようになった勘助だが、大勝負の時は彼が前に出る形になっていた。

 

「お、来てくれたのか。そこのお嬢さんたちは……」

「やあ人間。吸血鬼異変の時には世話になったね」

 

 信綱を見つけた勘助は嬉しそうに笑うが、レミリアがかけた言葉にそれが引きつる。

 助け舟は出せない。人妖共存を掲げるなら、レミリアともどこかで折り合いを付けてもらわねばならないのだ。

 信綱が事の推移を見守っていると、勘助はグッと喉元で何かを堪えるようにして、笑顔を浮かべた。

 

「……いらっしゃいませ! うちは人間でも妖怪でも皆等しくお客様だよ! 何が欲しい?」

「……へえ。じゃあこのお菓子をもらおうかしら」

「あ、私はこっちの駄菓子!」

「毎度あり!」

 

 レミリアと橙にお菓子を渡しながら、勘助はそっと信綱に耳打ちする。

 

「これでいいんだよな?」

「ああ、ありがとう。やはりお前に頼んでよかった」

「よせよ。ウチの商品で喜んでくれるなら誰だってお客様だ」

 

そう言えるからこそ頼んだのだ。どうやらレミリアのお眼鏡にも適ったようで、一安心である。

 

「……おじさま」

「なんだ」

「あなたの友人だけあって、彼もなかなか強いわね。ああいうの、嫌いじゃないわ」

「そうか。なら、今後もよろしくしてやれ。商品を買ってやるのが一番喜ばれる」

「そうしようかしらね。……ええ、この場所を守るのも存外、悪くはないかもしれない」

 

 レミリアが零した言葉に信綱も微かに驚く。彼女が人里を守るのは自分との約束であって、それ以外の理由などないと思っていた。

 そんな風に考えていたことが読まれたのか、レミリアは優雅に微笑みながら口を開く。

 

「ふふ、居心地の良い場所を守るのは当然でしょう? 受け入れてくれる場所をわざわざ壊そうなんて思うのは余程のバカだけよ」

「……それもそうだな」

 

 相槌を打ちながらも、菓子くずをボロボロと口元にくっつけていては優雅もなにもないな、と思う信綱だった。

 橙は美鈴が日傘を持つことに集中しており、何も食べていないことに気づいたのか自分の菓子を半分差し出そうとする。

 

「はい、これ」

「……あの、これがどうかしましたか?」

「食べたそうだったからあげる」

「…………」

「えっ、泣き出した!?」

「ひ、久しぶりに人の暖かみに触れた気がします……!」

「血も涙もない悪魔とはこのことか」

「風評被害も甚だしいわよ!? ちゃんと労ったりお給料も出してるから!!」

 

 橙の優しさに泣き出してしまった美鈴。

 そんな彼女を見て、信綱は横で慌てているレミリアとの付き合い方を考えようか悩むのであった。

 

「じゃ、私はこれで離れるとするわ。ちょっと美鈴に優しくしないといけないし……」

「わかった。いじめるのもほどほどにしておけ」

「あんたがそれを言うのね……」

 

 ちょっと本気で泣いている様子の美鈴にこれはマズイと思ったのか、レミリアはそそくさと離れて部下を気遣い始めていた。

 あそこまで追い詰められる紅魔館の激務が少しだけ気になる信綱。もしかしたら彼女は自分よりも辛い仕事をしているのかもしれない。

 が、それは至極どうでも良いこと。あまり気にしていても虚しいだけなので程々にして歩き出す。

 隣の橙がお前が言うのか、という視線で見ていることはあえて無視することにした。

 

 

 

 次に見つけたのは九本の尾が壮観な道士服の少女だ。

 歩く度にふりふりと揺れる黄金の尻尾は思わず目で追ってしまうほど、人目を引いていた。

 信綱たちもかなり衆目を集めていたのだが、彼女には及ばない。

 

「あ、藍さまーっ!」

 

 敬愛する主を見つけた橙はその尻尾の海に飛び込むように抱きついていく。

 

「うん? ああ、橙か。楽しんでいるか?」

「はい、藍さま! 人間の作るものってとっても甘くて美味しいですね!」

「む……あまり甘いものの摂り過ぎは良くないんだが……」

「なぜ俺にそんな目を向ける」

 

 咎めるような目を向けられてしまい、信綱は憮然とした顔になる。

 確かに金銭には余裕があるのでいくらか奢ったが、甘いものばかりを選ぶのは橙の嗜好である。

 

「お前の主はどうした」

「別行動中……と言えれば格好もついたんだがね。到着して早々、どこかにフラリと行ってしまわれたよ。特に命令も受けていないし、ブラブラと散歩中みたいなものだ」

「じゃあ一緒に行きましょうよ! こいつ、すぐ意地悪してくるんです」

「……ほう」

 

 藍の目が微妙に怖いので信綱は顔を背けてあらぬ方向を眺める。

 ――と、そこで信綱はある存在に気づく。

 

「……なあ、八雲の式。お前の主人は本当に見つかっていないのか?」

「む? その通りだが……」

「……ふむ」

 

 先日覚えたあの感覚。あれは八雲藍などといった紫と親しい存在ならば気づけるものだとばかり思っていた。

 どうやらこれは信綱一人しか理解できない感覚らしい。藍の後方やや上空にある空間に手を伸ばそうとして、そこから目当ての妖怪が出てくるのを誘う。

 案の定、信綱が手を伸ばす前にそこから一瞬だけスキマが開き、先日話したばかりの少女が着地する。スキマを衆目に晒すつもりはないようだ。

 

「……一回目はまぐれの可能性を考えましたけど、二度あればそれは真実。……あなたの目には何が見えているのかしら。私以上にスキマが見えているのかもしれないわね」

「紫様!? おられたのですか!?」

「彼が私を察知できた以上、あなたにもできるかと思ったんだけど……期待外れだったようねって痛い!?」

「別に試してないだろうお前」

 

 ただ単に部下の慌てようを見て楽しんでいただけである。

 紫の頭にゲンコツを落としながら、信綱は藍にほんの少しだけ同情を覚えた。こんな主の従者になってしまうとは。

 それに反して御阿礼の子に仕えられる自分はなんと幸運か、という優越感も覚えていたので、信綱もあまり褒められたものではないが。

 

「……私が前に会ったのは吸血鬼異変が終わってすぐだったが、とんでもないな。紫様の気配に気づいたのか」

「俺だけではないと思っていたんだがな。どうもそうらしい。で、スキマ」

 

 ゲンコツを落とした手を開き、変な形状の帽子ごとその頭蓋を掴む。

 これマズイやつだ、と察した紫は冷や汗を浮かべながら信綱を見た。

 

「な、何かしら?」

「先日言っていたよな。この日は普通に歩く、と。あれはなんだ」

「私にとっての普通がスキマに乗っていることっていうか、ちょっとしたいたずら心がムラムラと湧き上がってきてこめかみが握りつぶされるように痛いいいい!?」

「今わかった。お前結構適当だろう」

 

 橙が紫のために飛びかかってくるギリギリを見極めて、紫の頭を離してやる。

 頭を押さえて涙目になった紫が信綱を非難するように睨みつけるが、全く意に介さない。幻想郷の賢者が相手でも容赦の二文字は存在しない男だった。

 

「あなた本当に容赦しないわね! 橙はいつもこんなことされてるわけ!?」

「うん」

「うむ」

「この状況に二人とも疑問を持ってない!? 藍、これでいいの!?」

「は、はぁ……」

 

 話に入れないような藍を見て、信綱は気づく。今のこのやり取り、レミリアと美鈴がよくやっている部外者の入りづらいそれではないだろうか。

 ちなみに藍は紫が親しい者を相手にしか見せない素の表情を、信綱に対して見せていることに驚いていた。

 最初に会った時は良いように紫の手玉に取られていた少年が、今や彼女に対等の存在と認められるまでになっていたのだ。

 人間の短い一生。その中の数十年程度でここまで到達した信綱に対し、敬意とも恐れとも取れぬ感情が浮かんでくる藍だった。

 

「はぁ……もういいですわ。それにしても……」

 

 そんな藍をさておいて、紫は自分たちの周りを眩しそうに見回す。

 この空間、領域において人妖の区別は限りなく薄い。

 誰も彼も皆、自分たちの商品を売ろうとするものや互いのことを理解しようと積極的に話しかけていく者たちばかり。中には見目麗しい天狗とお茶の時間でも楽しもうと声をかける豪の者までいるくらいだ。

 それらを愛おしそうに眺め、紫は信綱に笑顔を向ける。

 

「夢みたいな光景ですわね。藍もそう思わない?」

「はっ。人妖の不満が爆発するのではないかと考えていた頃が、ずいぶんと昔に思えます」

「私も時々そう思うわ。吸血鬼の娘が来てから全てが変わった。その点ではあの子に感謝してもいいわね」

「……俺としては違うがな」

 

 幻想郷の情勢で言えば、レミリアが来たことが奇貨だろう。だが、信綱が人妖の共存を考え始めたのはもう少し後からだ。

 仲が良い、とは言えなかったかもしれないが、それでも長い間ともに修練を続けてきた椿を手にかけた。

 その結末を嘆いた椛の慟哭を聞いた時が、信綱にとって人妖の共存を意識し始めた瞬間だった。

 だから賞賛されるべきは椿と椛、そして最善が最良の道ではないと信綱に教えてくれた阿七だ。

 自分は彼女たちの願いを受けて動いたに過ぎない。本質はただの阿礼狂いである。

 

「それで化け猫。お前はどうする? 二人について行くか?」

「あ、もう少し面倒を見ていてくれないかしら? 私たちはちょっと天魔の狸を探しているのよ」

「狸か」

「あなたも気をつけなさい? どんな状況でも天狗の利益はキッチリもらっていく男よ。私も何度煮え湯を飲まされたか」

 

 そう言う紫だが、心底嫌っている様子ではなかった。

 幻想郷の成立当初からの付き合いだと読み取れる。千年以上の付き合いは単なる好き嫌いを越えた関係を作り出すのだろう。

 

「では、ごきげんよう」

「橙、あまり甘いものばかり食べないようにな」

「紫さま、藍さま、また後でね!」

 

 日傘を持った妙齢の美女とそれに付き従う九尾の女。とても目立つ組み合わせであると思いながら、信綱は彼女たちが雑踏に紛れるのを見送る。

 そして残った橙を見下ろし、声をかけた。

 

「……で、これからどうする?」

「まだまだ見てないお店はあるわ! 行くわよ子分!」

「誰が子分だ。というか子分ならお前が奢れ」

「え? あんたの方がお金持ってるでしょってイタタタタ!!」

 

 橙の言うことは正しいが、それはそれとしてお金を出し続けるのは業腹なので橙の耳を引っ張っておく。あまり調子に乗られるのも困るのだ。

 

 そうして再び二人で歩き出して――信綱がこれまで密かに探していた目当ての妖怪を発見する。

 

「よう」

「あ、君も来ていたんですか」

「当然だろう。発案は俺だ」

「あ、天狗! あんたも来てたの!」

「ええ、橙ちゃんも健康そうで何よりです」

 

 一人歩いていた椛を発見し、信綱と橙が寄っていく。

 こうして三人で集まると、いつかの鬼の情報共有で集まった時を思い出す。

 あの時は強引に橙を巻き込んで泣かせてしまったものだ。

 

「……化け猫、もう少し小遣いをやろう」

「え? うん、ありがと」

 

 今さらになってほのかに罪悪感を覚えた信綱は、橙に小銭を握らせる。

 本人はもう覚えていないようだが、それでも小銭をもらったのが嬉しかったようであっという間に菓子を買いに行ってしまう。そんなに飢えていたか。

 などと考えながら橙を見送っていると、隣にやってきた椛が信綱と同じ方向を向いて、穏やかな顔で見ているものを共有し始める。

 

「……君が作ったんですよね、この光景」

「俺だけではない。天魔もこれを願った」

「それでも、やっぱり君が最初に言い出したことですから」

「それは違う」

「え?」

 

 思わず振り返ったという様子の椛に、少しだけ笑ってしまう。

 なんだ、この白狼天狗はあの一言がどれだけ己を変えたのか理解していなかったのか。

 もう教えても構わないだろう。信綱は自分のことを遠巻きに観察している視線に気づいた上で、隣の椛の手を取る。

 

「うん?」

「お前が――あの日、人妖の共存を願ったお前がいたからこそ、俺はここにいる」

「えっと……」

「お前が起点だ、椛。お前があの日に抱いた願いに共感したから、俺はこの光景を作り上げた」

 

 最初は何を言っているのかわからないといった表情の椛だったが、信綱の言葉を理解するとその顔が徐々に赤く染まっていく。

 なにせこの男の言動、幻想郷でも初めてとなる人妖が共存するこの光景を、お前のために作ったと言っているも同然なのだ。

 

「う、あ……」

「お前がいなければこの光景は生まれなかった。お前と椿がいなければ、今の俺はいなかった。だから賞賛されるべきはお前なんだ。犬走椛」

 

 ふっと微笑む信綱の顔を見て、椛は自分の中で生まれた感情が何なのか、ストンと落ち着く答えを得る。

 ああ、この気持ちはきっと――感動だ。自分が目をつけ、時に導き、時に引っ張られながら一緒にやってきたこの人間が、ここまで成し遂げた。

 これを喜ばずして何を喜べば良い。椛の頬を紅潮させていた感情が徐々に落ち着いていき、別のもっと大きな充足感が胸中を占めていく。

 

「……ありがとう、信綱。あなたの言葉、とても嬉しいわ。でも――」

「ああ、ここが終わりではない――」

 

 椛が片手を上げる。それが何を意味するのかわかった信綱も片手を上げる。

 信綱はここに至るまで力及ばずとも味方であり続けてくれた椛への感謝を込めて。椛は信綱がやってのけたことへの感謝と、これからも信綱の力になり続ける自身への誓いも込めて。

 

『ここからが始まりだ!』

 

 互いの手を叩く快哉は、両者の中で終生消えることはなかった。

 

 

 

 

 

「ク――ハハッ、ハハハハハハハハハハハッッ!!」

「ふ、うふふ、あはははは、だめ、笑っちゃうわ!」

 

 そんな二人の姿を遠く離れた家の屋根から眺めていた天魔と紫は、笑いが堪え切れていなかった。

 紫は上品に口元に手を当てていたが、天魔は腹を抱えて倒れるほどの笑いっぷりだった。

 

 まさか、まさかである。何の変哲もない白狼天狗こそが信綱の意識を変革せしめた当事者など、誰が予想できたか。

 天魔も紫もそちらの方を失念していたことに笑いが止まらない。

 

「お、オレもさ、あの人間に協力者の天狗がいるまでは読んでたんだよ。でも、まさか白狼天狗とは……ククッ」

「ええ、私も想像すらしていませんでしたわ。阿礼狂いを変えたのは幻想郷に名を馳せた大妖怪ではなく、ただの一介の天狗だなんて」

 

 全く気づかなかった自分たちがあまりに滑稽すぎて笑いが止まらない。

 名高い大妖怪を何体も討ち倒した人間の英雄が、最も頼っていたのが彼女とは。大穴にも程がある。

 そうして一頻り笑った天魔と紫は、信綱と椛が話しながらもチラチラとこちらに視線を投げかけていることに気づく。

 

「ありゃ、バレてんな。旦那はともかくとして、あの天狗まで気づくか。こりゃ文と同類っぽいな」

「ああ、あなたの子飼いの天狗と? 何かしら力があると?」

「おう。視界が異常に広いってところだろう。さすがに白狼天狗に見抜かれるほど耄碌した覚えはない」

「ふぅん、あなたが知らなかったの」

「ま、わかってればこき使っているからな。その点じゃよく隠した方だろう。大方、信頼できる相手にしか話していない」

 

 だが、それだけだ。天魔の目から見た椛に特筆すべきところはない。能力は後で聞き出す必要があるが、それ以外の力はせいぜい烏天狗と同程度。

 白狼天狗として見るなら破格だが、信綱や自分たちとは比較にならない。

 しかし――

 

「……あの人間の言っていることがなんとなくわかりましたわ」

「……だな」

 

 紫と天魔は椛とついさっき店から出て信綱たちに合流した橙の姿を見て、なんとなく理解する。

 

「あなたと阿礼狂いの英雄が作り上げたこの場所で、一番馴染んでいるのは彼女たちね」

「ああ。先見の明……ではないな。狂人には狂人の居場所しかないってわかっていたから、逆にこの場所に居るべき連中がわかったんだ」

 

 共存を願う椛に人妖の対立を経験として知らない橙。彼女たちのような者こそ、今後の幻想郷で必要とされる存在なのだろう。

 それを理解して、天魔はゆっくりと立ち上がる。

 

「……ま、オレもこれで満足したわけじゃない。まだまだ先は長い」

「ええ。あの子たちがまた、こうして人里で会えるように頑張りましょうか」

「最低限、ウチの利益を確保した上でな。やれやれ、これはまたしばらく隠居は遠のくな」

「あら、隠居するなら大歓迎よ?」

「冗談。虎視眈々とウチの勢力を減らそうとする婆さんがいる間は到底無理だね」

「…………」

 

 天魔の言葉に青筋を浮かべる紫だったが、相手にすることなく視線を切って足元にスキマを開く。

 

「それでは、私はのっぴきならない事態になるまで見守らせていただきますわ。せいぜい踊って頂戴な」

「言ってろ。オレもお前も、今だけは旦那に出し抜かれた間抜けな道化だろ」

 

 最後まで天魔の言葉は届くことなく、紫はスキマに消えていった。

 一人残された天魔はもう一度だけ信綱たちの三人に目を向け、独り言をつぶやく。

 

「まだまだ、ここからが始まりか……」

 

 

 

 

 

「よう、萃香。しばらく顔を見なかったけど、どこ行ってたんだい」

「やだね勇儀。わかりきってる、って顔してるよ」

「社交辞令ってやつさ。……で、どうだった?」

 

 地底の一角。相も変わらず酒を飲む鬼の二人は楽しそうに近況を報告し合う。

 勇儀の目は今にも燃え上がりそうな熾火があり、萃香の言葉を今か今かと待っていた様子だった。

 

「なに、そんなに楽しみだったの?」

「まあな。元々娯楽がないってことより、予感だよ」

「予感?」

「ああ、予感だ。――これからとびっきり楽しいことが待っている! なあ、萃香。お前の報告もそれなんだろう?」

 

 勇儀の言葉を受けて、萃香もまたニヤリと笑う。

 

「ちょっくら地上を見てきたんだ。そしたらなんと! 天狗と人間が同じ場所で商いをしていたんだ!」

「ハッ! 強い連中に媚びへつらって弱い奴らを襲う天狗が! 人間と! こいつぁ面白い!!」

 

 大笑いしながら酒を流し込む。あまり美味しくはないが、萃香の話に続きがあることぐらい、今すぐにでも言いたそうな顔をしている彼女の顔を見ればわかる。

 だからこれはいわゆる食前酒だ。この後に来る萃香の本命を聞いた時、酒は極上の美酒に変貌するのだ。

 

「人里はもう復興されてるよ。あの異変が起こってから十年以上経っている。ちょっと待ちすぎたくらいさ」

「ああ、そんな小さいことどうでも良いって。ほらほら、話せよ萃香。私とお前の仲だろう?」

「おっとと、やっぱ勇儀に隠し事はできないなあ。ありゃぁ、大勢で行くのがもったいないぐらいだよ」

 

 萃香はうっとりしたような顔で空を仰ぐ。きっと彼女の瞳には目をつけた愛しの人間が浮かんでいるのだろう。

 

「で、どうだったんだ。もったいぶらずに言えよ、ほら!」

「うん、言っちゃうよ? ――あの人間、私たちの予想以上に強くなっていたよ」

「ハ――」

 

 ニイィ、と二人の口元が裂けるように広がり、赤い弧を描く。

 酒を飲む手が止まってしまうほど、勇儀にとって萃香の言葉は興味深かった。

 

「どのくらいだ?」

「聞いて驚くな――いややっぱ驚いて! 多分、私らが本気で戦っても負ける可能性がある」

「クハッ――」

 

 二人の哄笑が地底中に響き渡る。天井で反響し、あますところなく響き渡ったそれは酔って眠っていた鬼たちを根こそぎ叩き起こすには十分だった。

 

「いいね、いいねいいねいいねいいねェ!! もう待てないよ!! 萃香、お前もだろ!?」

「もちろん! 勇儀が行かないって言うんなら私一人でも行こうとしていたところさ!」

 

 共存なんて生温い。妖怪とは人間を蹂躙し、支配するもの。

 かつて地上を覆った暴威を今こそ見せてやろう。そして腑抜けた妖怪と人間に知らしめてやるのだ。

 ぞろぞろとやってきた鬼を背にして勇儀と萃香、遥か昔に大江の山で猛威を振るった古の鬼が実に楽しそうに叫ぶ。

 

「さあ――鬼の覇道を始めようじゃないか!!」

 

 

 

 幻想郷において最後となる原始的な武力による異変――百鬼夜行異変の始まりだった。




ここからが本当の地獄だ……(文字通り)

ということでほのぼのパートは終了です。
もうちょっと強くなるかもしれないと放置していた人間はいつの間にか喉笛に食らいつくほどに成長していた。鬼の首魁たちのテンションは最初からMAXです。大変ですね(他人事)

そしてとうとうノッブとの繋がりが周知になった椛。実は烏天狗と一騎打ちならどうにかなるぐらいには腕を上げていた模様。なお比較対象がノッブしかいないので本人は気づいていません。

あ、次回はちょっと遅れるかもしれません。

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