阿礼狂いに生まれた少年のお話   作:右に倣え

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幻想郷の夜明け前

「――とまあ、オレたちがまとめておくべき話はこのぐらいか」

 

 信綱と天魔は間近に迫った天狗と人間との交流に備えて、ちょくちょく顔を合わせていた。

 意外と身軽なのか、それとも影武者でもいるのかは不明だが、時には文との会合場所に使っていた廃屋に天魔自らが訪れるほどだった。

 

 暇なのでは? と勘繰っているが、本人に聞くつもりはなかった。

 そんなわけで今日も廃屋にて信綱と天魔は決めておくべき内容の再確認をしていたのである。

 

「しかし人間が相手だと話の進みが早くて助かる。同族相手じゃこうは行かない」

「かなり時間の掛かった方だと思うが……」

 

 あの騒動からすでに数年が経過している。騒動が終わってからも反旗を翻した天狗の処分やら、そもそも勢力を二分した争いになったことで揺らいだ天魔の地盤固めなど、時間を要するものが多かったのだ。

 人間の側でも交流する区画を新たに作ったり、そもそも妖怪と交流することへの説得周りなどで時間がかかったので、そこはおあいこだと言えるのだが。

 

「ま、あの事件のおかげでこっちもやりやすくなった。あんまり一人が舵取りし過ぎるのも後々面倒なんだが、今は仕方がない」

「……お前は長く生きるだろう」

「そうだな。とはいえ、何が原因で死ぬかなんてわからん。誰だって死ぬときは呆気ないものだ」

 

 目を細める天魔は、あの時に信綱が討った大天狗を思い出しているのだろう。長くやっていたと聞くし、遥か昔から共に天狗を導いていたはずだ。

 が、その姿もまばたき一つで消え去り、天魔としての顔に戻る。

 

「ま、お互いままならない愚痴を言い合っても仕方がない。今ある札でやりくりするしかないのさ。お前さんもそうだろ?」

「……否定はしない」

 

 天魔の言葉に一応うなずいておく。彼の一族の長としての考え方には信綱にも賛同できるものが数多くあった。

 うなずいた信綱に気を良くしたのか笑顔を見せながら、天魔は懐の目録を渡してくる。

 

「そんじゃ、これがオレの選んだ天狗だ。オレの方で人間に興味があって、無闇に害そうとしない性格の連中を見繕った。あとは本人たちの強い希望」

「それでは多くなるのでは?」

「退屈は嫌いだが、責任も嫌いって連中が多いのさ、ウチは」

「部下は頭に似ると聞くぞ」

 

 困ったものだと苦笑する天魔に皮肉を返しながら、信綱は目録に目を通す。

 そのほとんどが知らない天狗だが、その中に射命丸文と犬走椛の名を見つける。

 

「ふむ……あの烏天狗も来るのか」

「オレの代理も兼ねてな。人間の方との顔合わせはオレがやるが、その時の天狗の防波堤だ。権限はオレと同等と見ていい」

「ずいぶんとあの天狗を買っているんだな」

 

 天魔は文を非常に重用している。それは信綱との交渉役に任せたことや、騒動の際にも見ることができた。

 信頼なのだろうか、と首をかしげる信綱に天魔はニヤリと人の悪い笑みを浮かべる。

 

「あいつ、からかうと面白いんだよ。根が真面目なのに、何を思ったか不真面目ぶりたがる。なんだかんだ腕も立つしオレに忠実ってのもあるが」

「お前に忠実じゃない部下もいるのか」

「一族ぐらいならともかく、天狗全体となるとどうしてもな。ウチは階級社会で階級の変動もまずないから横の繋がりもできやすい。一つの意思に統一なんてのはとてもとても」

「そういうものか」

 

 信綱は興味深そうに首肯する。なにせ彼の率いる家は一族全員阿礼狂いだ。こと御阿礼の子が関わる時は信綱が何も言わずとも一つの意思に統一される。

 そのことを伝えると、天魔からもバケモノを見るような目で見られてしまう。

 

「……お前の先祖やお前だけが特別じゃないのか。なんておっかねえ連中の集まりだ」

「でなければ代々御阿礼の子の側仕えなどできんわ」

「いや、別にお前と同等まで狂っている必要はないと思うぞ?」

 

 後天的に盲目的な忠誠を誓う例は存在する。

 命を助けられたとか、名もない人間に名を与えたなど、その人の運命そのものを変革するような出来事があった場合、助けてもらった存在に忠義を誓うこともあるだろう。

 だが信綱たちは違う。幼少の教育ですらなく、ただ生まれ落ちた時点ですでに特定の人物に対して魂すら捧げる熱を抱いている。

 

 これが一人二人ならまだ特異事例としてあり得なくもない。しかし一族全員がこれとはどういう了見だ。こんな人間の摂理に真っ向からケンカを売っている連中が大勢いるのか。

 

「……まっとうな出自じゃなさそうだな」

「そうだな。遡れば妖怪の血でも混ざっているかもしれん」

「いやいや、妖怪の血が入った程度でそうなるものかよ。間違いなく根っこの部分が弄くられているぜ」

「……だったらあのスキマだ。俺の知っている連中でそんなことが可能なのはやつぐらいだ」

「……そこまでわかってんのかよ」

 

 消去法で考えればすぐである。自分たちが異常であることなど、とうの昔から理解しているのだから。

 とはいえそれをどうこう言うつもりはなかった。紫が犯人であろうとなかろうと、そこにどんな思惑があろうとどうでも良い。むしろ感謝すらしている。

 

「今さらまともな人間に戻るつもりもないし、俺たちのやることはいつだって変わらない。――阿弥様を害するのなら全て討ち滅ぼす。それだけだ」

「……本当、牙がこっちに向かなくて良かったと思うね」

 

 意図せず背中に冷たい汗が流れるのを、天魔は感じ取る。

 信綱ほどの強者がいなくても、この手の連中は脅威と成り得る。倒すことはできても被害が洒落にならない領域まで膨れ上がるだろう。それほどに自分の命を度外視する連中は怖い。

 

「別に阿弥様に手を出さないなら俺から仕掛ける理由はない。俺もお前と戦うのは骨だ」

「勝てないとは言わないんだな」

「まあ、多分勝てるだろう。腕の一、二本は危ういが」

 

 切れる手札の用意を怠ってはいない。あの騒動のおかげで実戦経験が積めたので、信綱の技量にさらなる磨きがかかっていた。

 すでに四十代であるというのに、未だ信綱は成長の最中にある。妖怪を滅ぼす人間というのはかくも恐ろしいものだったかと、天魔は内心でかつての人間を思い返していた。

 

「……こりゃ、鬼が倒されるのも運命だったか。とにかくお互い、仲良くやっていこうや」

「わかった。……ところで、この目録にある天狗は全てが烏天狗か?」

「ん? 大天狗は入ってないから……後は白狼天狗くらいか。山の哨戒を任せていたからか、人里に興味を持つ者が多くてな」

「ふむ……そちらも確かめたか?」

「当然。そこいらに手抜かりはない」

 

 自信に溢れる天魔の言葉に適当な相槌を返しながら、信綱は思考を巡らせていた。

 椛の存在をいつ明かすか、である。もう隠しきるのは難しい段階まで来ている。

 というか鬼の情報もそろそろ告げねばならない。そうなると人里の人間が知るはずのない地底の情報も出すことになる。ごまかしきれはしないだろう。

 

「…………」

「何か気になる点でもあったか?」

「……いや、なんでもない」

「ん、そうか。……次に会うときはお互い笑顔で会いたいもんだな」

「そうだな。失敗しないことを祈ろう」

 

 互いに立ち上がり、背を向ける。天魔は空に飛び立ち、信綱は帰路についていく。

 これが終わったらこちらの知る全ての情報を渡そう。天魔は信用できないが、天狗のために動いているという点は信頼できる。

 天狗のためなら人間に頭も垂れる。不要なら躊躇わずに切り捨てる。――言い換えれば、人間に利用価値がある間はこちらを守るはずだ。

 

 鬼が襲来など人間の手に余る。二、三十体の雑兵ぐらいなら信綱が一人でどうにかできるが、向こうだってお行儀よく一点に集中するはずもない。

 被害は甚大なものになるだろう。そうなる前に対策は講じなければならない。

 が、人間側で鬼と戦えるだけの力量がある者など自分ぐらいだろう。

 

 昔の幻想郷縁起を見ても鬼の記述から読み取るに、相当恐ろしい存在だったようだ。

 頭数を揃えればどうにかなる、というのは驕りになるだろう。そしてその驕りの代償は地上の壊滅的被害。

 そんなことにならないためにも、人間と天狗という勢力そのものを巻き込んでしまおう。それが一番生き残りやすい形のはずだ。

 

「……あのスキマは何をしているのやら」

 

 自分と天魔が人妖の共存に力を尽くしているというのに、本来最初にそれを唱えたはずの妖怪の賢者はこれをどう思っているのだろう。

 

「……ふん」

 

 しばらく考えている間にそれらしい答えが出た。その内容に信綱は少々虫の居所が悪いように鼻を鳴らし、歩を速めるのであった。

 

 

 

「あの目録に見るべきものねえ……」

 

 帰りの道、天魔は空を飛びながら信綱が興味を示していた目録を思い出す。

 自分で選んだ連中だ。当然、顔も名前も全て覚えている。

 さて、信綱が見知っている者はあの中には射命丸文ぐらいのものだが、何がそんなに興味深かったのか。

 

「……全てが烏天狗か、なんて聞く必要あったか?」

 

 信綱から見れば全て似たり寄ったり、というより違いがわかるはずない。あれはどのくらいの数が交流に興味を持っているか、という報告書みたいなものだ。

 あれに一体何を不思議に思って――

 

「あの中に人間への協力者がいる……のか?」

 

 そんな疑問に至る。あの目録の中に信綱の知る天狗が二人以上いたのなら、あのような言葉が出てくるのも一応はうなずける。

 とはいえわかるのはそこまでだ。信綱もなかなか隙を見せない。

 

「……ま、考えることが多いのは良いことさ」

 

 最近は刺激的なことが多くて良い。退屈が妖怪を殺す毒である以上、良いことであれ悪いことであれ、やることがあるのは良いことだ。

 幻想郷における変化があるとしたら、それはもう佳境に来ている。

 最後までこのまま行ってくれれば言うことなし。だが、世界というのはそんなに都合が良くできていないことを、天狗の歴史という形で幻想郷を見続けてきた天魔は理解していた。

 

「……あの人間、そろそろ死なないと良いが」

 

 吸血鬼、天狗と来て次はどんな艱難辛苦が信綱に襲いかかるのか。

 傍観者であれば楽しいが、彼に死なれると自分も困る天魔はなるべく楽なものであって欲しいと、願うのであった。

 

 

 

 

 

 帰り道を歩いていた信綱は、ふと見慣れた道で足を止める。

 踏み均された道に侍るように立ち並ぶ木々。前後で差のない風景はどちらが人里への帰り道なのか、一瞬わからなくなってしまうほど。

 その中で信綱は何かを感じ取った。殺気や敵意などという明確なものではなく、なんとも表現しがたい不思議な気配。

 

「……ああ、なるほど。いるんだろう、八雲紫」

 

 曖昧な感覚、と来たら思い浮かぶものは彼女しかいない。虚空で彼女の名を呼ぶ。

 ……特に何もないので、気配を感じた場所に無言で手を伸ばす。

 

「きゃっ!?」

「やっぱりいたか。あんな変な感覚、お前しか考えられん」

「あなた、どんどん人間離れしてませんか……?」

 

 手を伸ばすと案の定、スキマを開いて紫が飛び出てきた。自分のスキマが見破られるとは思っていなかったのか、本気で驚いている様子だ。

 そんな彼女の様子に信綱は不快げに鼻を鳴らす。

 

「ふん、弱ければ生きられない世界にしたのはお前だろうに」

「……正直、人間を見くびっていましたわ。まさかあなたみたいな人が生まれるなんて」

「俺がいなければいつまでも人里は妖怪に怯えていたということか。楽でいいな、人妖共存の提唱者は」

 

 ギロリと鋭い目で睨む。信綱とて人里の一員。同胞が悪い扱いを受けることに良い顔はしない。

 ついでに嫌味も混ぜておく。彼女相手に言いたい放題言える瞬間など、この時ぐらいしかないだろう。

 

「ぐ……わ、悪いとは思ってます。ですが、私が動いては上手くまとまるものもまとまらなかったでしょう?」

 

 確かに八雲紫が相手となっては誰も彼女を信用などできないだろう。信綱と天魔の話し合いとは比べ物にならないほど、物々しい空気の会合になっていたはずだ。

 天魔がある程度信綱に対して気安い空気を見せるのも、彼が自身の立ち位置を極めて明確にしている上、そこから逸脱することはないと確信できるからだ。

 天魔は天狗のため。信綱は御阿礼の子、ひいては人里のため。お互いに利益が一致しているから手を組み、協力し合うことができる。

 

 八雲紫は幻想郷の味方であるという立ち位置は崩さないものの、それが天狗や人間のためになるかと言われると怪しいものがある。ぶっちゃけると胡散臭い。

 視点が彼女だけ広すぎるのだ。見ている方向が同じでも、信綱や天魔は自分たちの足元にしか目を向けておらず、紫は足元ではなくより遠くを見据えている。

 

 そこまで理解していても結局のところ、幻想郷を作り上げた一人に八雲紫がいることは間違いなく、問題が如実に表れるまで動かなかったのも事実なので、言いたいことは言っておくのだが。

 

「ふん、お前の事情など知ったことか。……で、なんの用だ」

「あなたと天魔がやっていることの結果を見届けようと思いまして」

「……余計な手出しは」

「しませんわ。それに下手な手出しはまとまる話をこじれさせてしまうだけよ」

 

 自覚があるならなぜ来たのか。そんな目で見ていると、紫の目がふっと優しいものに変わる。

 

「これは不躾な話だと思うけど……私はあなたに期待していたのよ」

「いい迷惑だ」

「歯に衣着せないわね! 橙は最近ちょっと優しくなったって言ってたのに!!」

「なぜお前に優しくせねばならんのだ」

 

 裏表のない橙ならともかく、裏も表も信綱よりたくさんある紫に見せる優しさなどない。

 不動の表情で、しかしもう帰っていいか? という意思をありありと浮かべている信綱に紫は咳払いをして話を戻す。

 

「ん、んっ! 私も人妖の在り方の変貌はなんとかしなければと思っていました」

「思ってなければ困る。死者が出ているんだ」

「茶々入れしない! でも、ハッキリ言ってあの時は袋小路だったのよ。妖怪は自分の領域にこもり、人間は妖怪の脅威を忘れつつあった」

 

 否定はせずにうなずく。あの時代は妖怪の姿を見たこともない人間が多くいた。

 まだ妖怪の姿を知る老齢の者たちがいたから良かったものの、あのまま十年も経っていれば妖怪の存在を信じない者すら生まれたかもしれない。

 

「あの吸血鬼が来たのも実に間が良かったわ。こう言ったら怒るでしょうけど、死者が数名で済んだ」

「…………」

 

 彼女の言葉に肯定はしないが、否定もしない。死者が出たことを喜ぶ感性は持ち合わせていない。

 たとえレミリアが来なければ天狗が襲いかかってくる可能性が濃厚で、そちらの方が死者が多く出ていただろうと予想していても――たらればの話で死者の数を幸運と言ってはいけない。

 

「遠からず爆発すると誰もが思っていたあの瞬間、レミリアが来たことで多くのものが一斉に動き始めた。私は言うに及ばず天狗や人間まで。正直、あなたが共存を意識するとは思っておりませんでしたわ」

 

 微かに苦笑する紫。信綱は憮然とした顔で紫から目をそらす。

 椛がいなければ思いもしなかった方向だ。椿の死を知った彼女が人妖が殺し合わずに済む世界を願わなかったら――きっと、信綱は人妖の在り方に興味など示さなかっただろう。

 

「そうして人間と天狗が手を取り合って……本当、夢のような光景でしたわ。何度も願った夢物語が、あなた達の手で実現しようとしている」

「……そうだな。それにケチを付ける気はない」

 

 紫が下手に手を出せない問題だったのは事実であり、何よりこういった話は当人同士の歩み寄りが大切だ。

 第三者が話をまとめれば共存できる、なんて楽な話ではない。

 そこは信綱にも理解できたため、茶々入れはしなかった。その代わり――

 

 

 

「――お前、どこまで読んでいた?」

 

 

 

「……どこまで、とは?」

 

 かつて夢見たものを見るような目から、信綱を推し量るそれに変わる。

 但しそれは決して悪意のあるものではなく、子供の宿題の答え合わせをするような優しいもの。

 

「そこまで妖怪の不満とかを理解していたのなら、あの小娘が来た時に色々と情勢が動くこともわかっていただろう。――その中にはここまでの絵面も描けていたはずだ」

「買いかぶりですわ。私、未来予知はできないのよ?」

 

 未来予知はできないだけで、彼女の能力は本当に得体が知れない。いや、ひょっとしたら未来予知も可能かもしれないと思わせる何かがある。

 しかし、それとは関係なしに信綱は今の状況が八雲紫の想像通りであることに確信を抱いていた。

 

「……恐らく、天魔が俺に話を持ちかける辺りまでは読んでいた。あの異変に関して、天狗が何の情報も得ていないとは考えられず、実際に情報を得ているのなら人里に属する俺が異変を解決したこともわかっている」

「ええ、ええ。それは少し考えれば誰でもわかることでしょう。博麗の巫女のように妖怪側の手出しが許されないわけでもなく、ただ純粋に強い人間にはそれほどの価値がある」

「……ではどうして手を出さなかった? あの時、お前なら機先を制して天狗と接触するくらい簡単なはずだ」

 

 紫の持つ情報は天狗とも自分とも違う領域にある。情報の量だけで見ても幻想郷で右に出るものはいないだろう。

 だからこそわからない。情報というのは時間とともに価値が劣化するものだ。だがそれは言い換えれば劣化していない情報には万金に値する価値があるということ。

 彼女なら自分と天狗、そして幻想郷。全てを自分の手のひらで動かすことなど造作もないはず。そうした方が楽に話も進んだだろう。

 信綱がそれを伝えると、紫は明確な意思を乗せて否定する。

 

「それは違うわ。確かに私にはそうすることができた。もしかしたら今以上に良い形で共存の道標もできていたかもしれないわね」

「なら――」

「でもそれは私が与えただけ。あなたや天魔の気持ちを無視して、ただ私が押し付けただけの答えで共存が生まれたとして、それが長続きすると思う?」

「…………」

 

 答えられない。人里の人間だって妖怪に良いようにされ続けて、妖怪に怯えることも共存することも全て妖怪からの押し付けで話が進むとしたら、どこかで不満が爆発するかもしれない。

 天狗だって彼らの利益にならなければ、容赦なく人間を切り捨てるだろう。

 それが自身の手で作り出したものなら惜しみもするが、他人の手から与えられたものに頓着はしまい。

 そして――八雲紫のその言葉には、信綱が稗田阿七より教わった言葉を連想させるものがあった。

 

「あなたたちの気持ちを無視したくなかった。それで得られる答えが最善とは思えなかった。だから、選んだの」

「見守ることを、か」

「ええ、正解」

 

 そう言って紫は慈母のごとき笑みを浮かべる。

 見守り続けた愛子が望み通りの未来に到達しつつある。そのことを祝福するように。

 

 その姿に信綱は不覚にも阿七を思い出してしまう。

 彼女に相手の思いを無視した行動が良い結果を生むとは限らないと言われたから、信綱は相手の情を考えるようになった。

 それと同じことを紫に言われ、つい連想してしまった。阿七は唯一無二の存在であり、八雲紫とは比べ物にならないほど尊い存在であるというのに。

 

「……なんか今、すごく失礼なことを思われた気がしたのだけれど」

「気のせいだろう。それで後は見届けるだけか。楽な役回りだ」

「見ているだけというのも辛いものなのよ? 天魔は抜け目ないから良いけど、あなたに関しては阿礼狂いですし」

「俺にそんな大役を押し付けたのが悪い。俺だってやらなくて良いならそれに越したことはなかった」

 

 なぜこんな政治的な動きまでしているのか。阿礼狂いは御阿礼の子に狂っていたいだけなのに、周囲の情勢がそれを許してくれなかった。

 結果としてこんな場所まで来てしまった。博麗の巫女でもなく、吸血鬼でも天狗でもないただの人間が、今や人妖共存の架け橋になりつつある。

 

「……当日は来るのか?」

「もちろん。私と藍、二人で見に行きますわ。当然、変化は使わずに」

 

 これまでは変化の術で来ていた可能性があるのかよ、と思ったが口には出さなかった。今さら人里の中を疑っても良いことはない。

 

「あの猫は連れて行かないのか」

「あら、連れて来て欲しかったの? なに、あなたやっぱりあの子が恋し――痛い!?」

「調子に乗るな」

「迷わずグーはひどくない!?」

 

 橙の性格は紫から来たのかもしれない、と思いながら紫の頭にゲンコツを落とす。

 紫は両手で可愛らしく頭を押さえて涙目になる。紫がやるとなぜか不気味に見えると信綱は思った。

 

「全く、その性格でよく妖怪との共存とか言うようになりましたわね。見守ると決めた時から今になっても氷解しない疑問ですわ」

「ふん、自覚はある。俺は誰憚ることない狂人で、御阿礼の子以外は全てが塵芥だ。正直、問題に直面しなければ人妖の共存なんてこれっぽっちも考えなかっただろうさ」

 

 自分は何かの手違いでこの場所にいるだけであって、本当にこの願いを持っているのは自分ではないのだ。

 

 

 

「だから――共存を成し遂げるのは俺じゃなくて、その願いを最初に持った奴なんだ」

 

 

 

 信綱は偶然にもそれを行える力と出会いがあったから行っただけ。彼女がいなければ自分はただの阿礼狂いであり続けただろう。

 そしてこうも思うのだ。本当に何かを変える力を持つというのなら、それは自分のような狂人ではないはずだ。

 

「あとは橙みたいに何も知らない奴だ。多分、これからの幻想郷を作るのはあいつらだ」

「……ずいぶんと買っているのね、あの子を」

「お前は見守ることを選んだ。俺と天魔は土台を作ることを選んだ。歩くのは俺たちじゃない」

 

 正直に言って、信綱は妖怪全体と仲良くできる自信なんて一欠片もない。自分みたいな狂人と友人でいてくれる奴らが変人なのだ。

 天魔も紫も立場が邪魔をして誰かれ構わず仲間を作る、というわけにもいかないだろう。

 要するに彼らが行ったことはただの道作りでしかないのだ。それ自体も重要だが、本当に大変なのはこれからだ。

 そう言うと、紫は静かに目を閉じて何かを噛み締めるように何度もうなずき、やがて信綱の肩に手を置く。

 それは対等の存在にする所作であり、自らと同じ領域にまで至った存在を歓迎する所作でもあった。

 

「……よく言ってくれました。阿礼狂いの当主、火継信綱。今のあなたを、ええ――幻想郷の一翼を担う一人であると認めましょう」

「興味ないな。そんなもの、阿弥様のお言葉以上の価値はない」

「あらひどい、私にとって最上位の褒め言葉なのに」

「別にお前に褒められたところで全く嬉しくないわ。せめて即物的なものを用意しろ」

「あ、じゃあ橙のお婿さんにでもならな痛い!!」

「寝言は寝て言え」

 

 博麗の巫女といい八雲紫といい、なぜ悉く自分との相手に童女にしか見えない妖怪を具体例に出してくるのだ。

 もう話すこともないのだろうと判断した信綱は、叩かれた頭を抱えて涙目になっている紫を横目に再び歩き出す。

 この際、紫は一瞬だけ気配を幻想郷の賢者のものに変えて口を開く。

 

「――もうすぐ嵐が来るわ。これまでで一番大きいものが」

「……お前が未然に防ぐ手はないのか」

「仮にそれで防いで、次にいつ不満が爆発するかは私にもわからなくなりますわ。今が最善かと」

 

 紫の言葉で来ることが確定してしまった鬼の集団。それに対抗する手段も勢力も、そして鬼たちを満足させうる人間もいる。

 確かに今以上の時はないのかもしれない。下手に時間稼ぎをしたところで、次がより良い状況で迎えられる保証はない。

 要するに鬼の襲来という幻想郷の歴史を紐解いても最大級と呼べる異変を、解決できる可能性を持つ人間がいるうちに爆発させて大人しくさせてしまおうという魂胆だ。

 

「つまり俺に死んで来いと」

「常人ならばそうでしょう。ですがあなたは生き残る算段をすでに立てている。違います?」

「……どうかな」

 

 もちろん嘘だ。あの日、燐から知りたくなかった情報を聞き出して以来、キッチリ対策は考えてある。

 ……相手の規模もよくわからないので、とりあえずその時が来るまで協力者を集めるのと自分の実力を可能な限り高めておくという身も蓋もない結論だったが、そう間違ってはいないはず。

 共通の危機であれば天狗を動かせる。天狗が動けば河童も動かせる。人里が危なければ巫女も動く。レミリアには以前の約束が効いている。

 あとは――自分が力を示せば良い。

 

 

 

「それでは頑張ってくださいな、人間の英雄。結実はもう間もなくですわ」

 

 

 

 次の異変に際しては味方になってくれるであろう、そんな幻想郷の賢者の言葉を背に信綱は帰路につくのであった。




話が進んでない? 次回から進めます(土下座)

ゆかりんはほぼメタ視点に近い情報を持っていて、大体なんでも自由に操れる上で何もしないことを選びました。彼らがその道を選ばなければ意味がないと思っています。

つまりそこまで見抜いた上でノッブはゆかりんに嫌味を言っているわけですが。
見方を変えれば散々厄介事押し付けられた形にもなりますので、阿礼狂いでいたい彼にとっては迷惑以外の何ものでもありませんでした。
でもそんなゆかりんでもノッブに共存を願わせた妖怪の存在までは手が及んでいません。椛がここまでのダークホースになるとは誰が思ったか。少なくとも私は思ってなかった(暴露)

さて、ぼちぼちこの時代も佳境に入りつつあります。阿弥の感情の決着に百鬼夜行。それが終わったら殆ど戦闘はなくなるでしょう。
三つも異変ぶち込んだからスゴく長くなっています。誰のせいだ、私のせいです(土下座)

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